「ファンタジーの森から」「ファンタジーの魔法空間」井辻朱美

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カルヴィーノの「なぜ古典を読むのか」に引き続きの評論系。とは言っても、今回はファンタジーなので全然違うんですが、こちらも面白かったです。考えてみたら、こういう本って、今までほとんど読んだことがなかったんですよね。ゴチャゴチャにギッシリ詰め込まれた引き出しの中みたいになってた頭の中が、ちょっと整理されたような...。

この2冊を通して一番印象に残ったのは、博物館に関する話。恐竜や古代文明を求めて井辻さんが博物館めぐりをされていた時に気づいたのは、博物館という場所が、外界とは切り離された凝縮された場所だということ。最も古い時代の物は必ず最下階に展示され、そこから徐々に上昇するにつれて現代に近づいていき、出口には必ず土産物屋やカフェが置かれて「現実へのなだらかな再接続が準備されている」ということ。ああ、言われてみればそうかもしれないですね。そして目を転じてみると、テーマパークのアトラクションも、閉ざされた建物に入ることによって、短い死と再生を体験するもの。そうやって空間を創り出し、体験することこそがファンタジーの核であり、ファンタジー作品を支えているのはそういった空間なのではないか。それに気づいた時、井辻さんはファンタジーを「場所」や「空間」という隠れたコードから読み直すようになったのだそうです。
「ファンタジーの森から」には、「幻想文学」に連載されていたファンタジー論が収められているんですが、まだそれだけで1冊にするほどではなかったようで、歌人としての井辻さんの作品やエッセイも入ってます。井辻さんの短歌は初めて読んだんですが、こんな風に神話や古代世界を歌ってらしたとは... 素敵~。たとえば俵万智さんや穂村弘さんの口語短歌(って言うんですかね?)の存在は、何もなくても目に入ってくるけど、こういうのもあったんですね! もっと読んでみたいです。そして「ファンタジーの魔法空間」は、「ファンタジーの森から」に書かれた論を、もう一歩進めて整理した感じ。特に「家」について論じた章がすごいです。井辻さんは評論本を他にも何冊か書いてらして、これは比較的初期の2冊。次はもう少し新しいのを読んでみようと思ってます。「ファンタジーの魔法空間」もとてもいいのだけど、まだ途上のような、もっと綺麗に整理できる余地があるんじゃないかという気もするので。そして、どちらの本にもトールキンの「妖精物語について」についてかなり引き合いに出されていました。こちらも読まなくては~。

トールキンといえば、「指輪物語」における回想シーンと歌謡の多さ、そしてその役割に関する話が面白かったです。あらすじを聞いただけではそれほど楽しいとは思えない話が、なぜそれほど魅力的なのか。その理由として井辻さんが挙げているのは、「そこでは時間がその瞬間に生まれ、どの瞬間にも停止しうるような、立ち止まりうる相を備えていたからだ」ということ。確かに「指輪物語」には、最近のジェットコースター的作品にはない、ゆったりとした流れがあります。古い叙事詩や神話によく見られるような、時には本筋とは関係ない部分が延々と描かれている部分。怒涛のように展開して、見事に収束する話も面白いんだけど、そういうのは「ああ、面白かった」だけで終わってしまうことも多くて、忘れるのも早いんですよね。(全部ではないですが) でも「指輪物語」みたいな作品は、じっくりと自分のペースで読めるし、読み終わった後、何度でもイメージの中で反芻できるんです。それが1つの大きな違いとも言えそう。そうか、そういうゆったりとした、今の時空から切り離されたような部分も、私が「指輪物語」や古い神話、叙事詩に惹かれる大きな要素なんだな、と再発見なのでありました。...自分で気付けよって感じですが(^^;。(岩波書店・アトリエOCTA)


+既読の井辻朱美作品の感想+
「風街物語 完全版」井辻朱美
「エルガーノの歌」「パルメランの夢」井辻朱美
「幽霊屋敷のコトン」「トヴィウスの森の物語」井辻朱美
「ヘルメ・ハイネの水晶の塔」井辻朱美
「遙かよりくる飛行船」井辻朱美
「ファンタジーの森から」「ファンタジーの魔法空間」井辻朱美
「夢の仕掛け 私のファンタジーめぐり」井辻朱美
「魔法のほうき」井辻朱美
「ファンタジー万華鏡」井辻朱美

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Commentaires(2)

カルヴィーノの記事のコメントの「続き」みたいなものですが。。

ファンタジーが今、産業としての文学の中心的な担い手になっています。
とりあえず、ファンタジーを書いとくと、食べていけるくらい(笑)
…まあ、英語圏でのことですが。

でも、これはとても大事なことで、無名の作家でもその流れに沿っていけば仕事になるというのは、文学の重要な母胎になるようです。
ちゃんとした作品も、そういうふくよかな土壌がないと出現できない。

日本では残念ながら、ブンガクはそんなに力強い産業ではなくて。
マンガだとやっと無名の作家が無数にいて、そこから名を残す漫画家がいくらか出現する形になっていますが。
ずうっとむかし、芥川から三島あるいは大江くらいまでは、「純文学」が産業文学として成立してた時代もあったのに( ;∀;)


ファンタジーの起源は、じつはごく最近、1980年代にあるのではと思い始めています。
ルイスやトールキンにさかのぼるのは、意外と「あとづけ」の解釈なのかも、と。

グリム童話というゲルマンのふるさとを訪ねる試みが、
じつはドイツという仮想的な近代国家の、「こころ」の部分を支える試みとして、近代に出現したものじゃないか
…ということを前にちょっと考えたんです。
日本で言えば、ハーンから柳田国男や折口信夫が、近代日本の裏側を流れる水脈として、古きよき「美しい日本」を発見したように。

現在のファンタジーの復権も、何かを支え補うように、出現しているのではないか。
実際、デジタルなもの…ゲームやCGの出現と、ファンタジーの流行はシンクロしているように見えます。

そのことが、とても気がかりでいます…と、何とも答えにくいコメントを書いちゃったかしら(;・∀・)

ファンタジーという名称が定着して30年ほどだそうです。
まさに井辻さんがそのことを、「ファンタジーの魔法空間」の序論で書いてらっしゃいました。
あ、それはあくまでも日本での話なんですが。(でもトールキン自身、ファンタジーとは言ってないですね)
それまでホフマンやネルヴァル、ゴーティエ、ノヴァーリスといった幻想文学しかなかった日本に
「指輪物語」が現れて、裏街道の幻想文学を一気に陽のあたる場所へと押し出したのだそうです。
…だから、ここではルイスやトールキンは「あとづけ」とはされていないんですけどね。
ええと、「指輪物語」が日本語に訳されたのは… 1970年代かな?

あと、今これほどまでにファンタジーが広まった理由として、ミステリの隆盛とも無関係ではないだろうとも。
20世紀に入って小説は色々な意味で変わり、ミステリの流行と共に世界はどんどん断片化。
限られた手がかりから全体像を推理するせいで、世界がどんどん断片化していくミステリに対して
「いっぽうで世界が断片化してゆくのに対する補償として、世界の全体性を回復したいという衝動のためではあるまいか」
という文章が「ファンタジーの森から」にありました。

overQさんが考えてらっしゃるのは、もっと広い視野に立ってのことだと思うのですが…

私としては、今の時点では、やっぱり「指輪」「ナルニア」がファンタジーの起源かなと思ってます。
神話や伝承が「あとづけ」かなと。
また色々調べていったら、違う考えになるかもしれません。

>実際、デジタルなもの…ゲームやCGの出現と、ファンタジーの流行はシンクロしているように見えます。
本当にそうですね。単にそういったものとファンタジーの相性が良かったという以上のものがありそうです。
でね、コンピューターゲームのRPGよりもさらに遡って、TRPGが大きな鍵を握りそうな気がします。
TRPGについては、私はほとんど何も知らないので何とも言いがたいのですが…

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