「水妖記(ウンディーネ)」フーケー

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美しい湖水と深い森に囲まれた場所に住む、年を取った人の好い漁師夫婦の家を1人の若い騎士・フントブラントが訪れます。彼は森の向こうの天領の町から、1人で不思議な生物や妖怪が現れると噂の森の様子を探りに来たのです。フントブラントは漁師夫婦の養女・ウンディーネと恋に落ち結婚。しかしウンディーネは魂を持たない水妖でした。フントブラントを愛し愛されることによって魂を得たウンディーネは、フントブラントに自分が水妖であることを打ち明けます。

フーケーは18世紀から19世紀にかけてのドイツのロマン主義作家。この作品は、ドイツではゲーテの「若きウェルテルの悩み」と共に愛読されているという作品なのだそうです。民間伝承に題材をとったという、美しく幻想的で、そしてとても悲しい物語。
読んでいて一番目を引いたのは、魂を持っていなかったウンディーネの、魂を得てからの変わりよう。まるで別人。魂がない頃のウンディーネって、楽しいことにしか興味を持たない、軽くて気まぐれでとてもお行儀の悪い子だったんですよね。でも、魂が近づいてくるにつれて「居ても立ってもいられないような心配や悲しみが影のように覆いかぶさって来る」と感じ、「魂」を得た後はすっかりお淑やかな娘になってしまいます。もしフントブラントに一生みじめな思いをさせられたとしても、魂を得させてもらえたことを有難く思うだろうと言っているほど。ここに登場する「魂」って、日本人にとっての「魂」とはまた別物のような気がして、ちょっと違和感があるのだけど...。「魂」というより、むしろ「愛」ではないのかなあ。(キリスト教だから、「信仰」もかも) そういえばロード・ダンセイニの「妖精族のむすめ」も、魂を得て人間になる妖精の話なんですが、何かを欲しいと願うこと自体、何かを感じること自体、魂を持ってるからこその心の動きのような気がするんですよねえ... うーん、魂って何なんだろう? 
ウンディーネの叔父の水の精・キューレボルンは魂を持っていないので、愛の幸せのために涙を流すウンディーネを理解することができないし、ウンディーネの言う「愛の喜びと愛の悲しみは、たがいによく似た優しい姿の、親しい姉妹の仲であって...」という言葉は理解の外。

この作品は、その後フランスの作家・ジャン・ジロドゥーによって「オンディーヌ」という三幕の戯曲にもなってます。どうやら、そちらの方が過程に説得力がありそうなので、そちらも読んでみたいです。でもこの「水妖記」も、確かに解説にもある通り、もっと切ない物語にすることもできたんでしょうけど、これはこれで完成されていると思いますね。あと、アーサー・ラッカムが挿絵を描いた単行本もあるみたいなので、見てみたいなあ。現在品切れのようですが、コチラ。(岩波文庫)


+関連作品の感想+
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「シンデレラ」「不思議の国のアリス」「ウンディーネ」「リップ・ヴァン・ウィンクル」「ピーター・パン」アーサー・ラッカム
「オンディーヌ」ジロドゥ

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