「ファンタジー万華鏡」井辻朱美

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「ハリー・ポッター」が大流行したことにより、1990年後半に大きく様変わりしたファンタジーの世界。かつて「かなわざる夢」を語るものであったファンタジーは、今や自由に現実と架空の世界を行き来し、「不可能」がなくなってきています。しかしそういった作品は、新しい何かを獲得している反面、古い何かを失っているはず... と、新旧ファンタジーの境を論じていく本です。

この中で一番面白かったのは、第1章「二つのネオ・ファンタジー」。ここで取り上げられるネオ・ファンタジー作品というのは、ハリー・ポッターシリーズと、ダイアナ・ウィン・ジョーンズによる諸作品。ハリー・ポッターの魔法のアイテムのバラエティとアイディアにも感心しつつ、DWJの作品のおもちゃ箱的感覚も楽しいとは思いつつ、どこか違和感も感じていて、実はあまり好きじゃなかったんですが、それが何なのか、自分ではよく分かってなかったんですよね。そういった部分をすっきりと理論整然と説明してくれていました。ものすごーく納得。やっぱり違和感には根拠があったんですねえ。
今回それらそれらの作品を読み解くに当たって井辻さんが注目したのは、ハリー・ポッターシリーズのダーズリー家における「ギャグマンガ的な2次元性」と、DWJ作品の持つ「奇妙に明るい平面性」。ハリー・ポッターシリーズでは、ハリーはダーズリー一家にかなりひどい扱いを受けていて、時々報復したりすると、それがまたすごいことになったりするんですが、これは普通のリアルな世界というより、マンガとして受け止めれば良かったようです。言ってみれば、トムとジェリーのドタバタ劇のようなもの。でも、ホグワーツという異次元世界は一応3次元的に描かれてるんですが、そのホグワーツですら、「マンガ的フラット化」を免れているわけではないとのこと。そしてDWJの作品は、奥行きの浅い背景の前で、登場人物たちが演技をしているようなもの。俳優たちも分かって演じているので、何事が起きても常に落ち着いているし、特別深刻にならないというのが特徴。そしてこの2つの作品に共通して、これまでのファンタジー作品と異なっているのは、「身体」に対するイメージ。複数の命があってリセットも効くという、まさにゲームのような感覚、だそうです。
いやー、確かにその通りですね。ファンタジー作品は、現実にはあり得ないことを描いているからこそ、何でもアリにはして欲しくはないんですが、今どきのファンタジーって、もちろん全部が全部そうではないですけど、ほんと何でもアリなんですもん...。でも井辻さん曰く、それは別に悪いことでも何でもなくて、現実世界の人間自身が、テクノロジーの進化によって、かつては夢でしかなかった「何でもアリ」の状態を手にし始めているからなのだそうです。

それ以外にも色んな観点からファンタジー作品を考察してるんですけど、5章「ハイ・ファンタジーの企み」で、「十二国記」を論じてるのも面白かったです。女性や年少者という弱い存在がパワーゲームに参加するために、彼らを弱者たらしめている条件を巧妙に取り除き、仕掛けを施しているとか...。なるほどねえ。面白いなあ。(研究社)


+既読の井辻朱美作品の感想+
「風街物語 完全版」井辻朱美
「エルガーノの歌」「パルメランの夢」井辻朱美
「幽霊屋敷のコトン」「トヴィウスの森の物語」井辻朱美
「ヘルメ・ハイネの水晶の塔」井辻朱美
「遙かよりくる飛行船」井辻朱美
「ファンタジーの森から」「ファンタジーの魔法空間」井辻朱美
「夢の仕掛け 私のファンタジーめぐり」井辻朱美
「魔法のほうき」井辻朱美
「ファンタジー万華鏡」井辻朱美

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「指輪物語」。
いつも不思議に思うのは、それが「力を手に入れる話」ではなく、「力を捨てに行く話」だということ。
ファンタジーの鉄則のようなものから、いきなり最初のファンタジーがはずれている謎。

子どもというものは成長過程にあり、テレビのヒーロー物や魔法物に夢中になる。
だって未来には、オトナになって、ヒーローの力や、魔法の着せ替えのような美しさがやって来るから。
力や美を獲得していく物語に、自身を重ねるワクワク。
いちばん表層的には、ファンタジーは子どものこうした願望を捉えるもののように思えます。

ところが、ファンタジーはじつは、そういうものばかりではない…というより、ファンタジーの本質はそうした「見かけ」にはないようなのです。

「指輪物語」が力を捨てに行く物語なのは、それが大英帝国の没落期、ふたつの世界大戦、植民地主義の終焉の時期に書かれたからのようです。

同じ時期の英国作家を見ても、それは推察されて、たとえば、SFの父・ウェルズ。
彼の作品はどれも、力を得たゆえに、かえって滅びていく物語になってる。
それはまさに当時のイギリスの運命そのものでした。
終焉のイメージがビジュアルに展開されるのも、重要なポイントです。写真と映画の時代とシンクロしている。(それが小説の語りに影響しています。)

SFは、でも、ウェルズのあと(もっと陰々滅々なステープルドンを経てw)、アーサー・C・クラークが登場する。
彼はイギリス人ですが、技術者出身。著作は、アメリカを主な市場にしていました。

石炭と蒸気の時代は終わり、石油とエンジンの時代がやって来る。
つまり、英国の時代は終わり、アメリカの時代の始まり。
クラークはエンジニアだったので、それをよく知っていた。
こうして、海を渡ったSFは、アメリカの理科系男子(おたく)にもてはやされ、雑誌文化とともに大量生産され、すさまじい隆盛に達します。クラークはスーパースターになる。
ハッピーな気分が横溢する50年代のアメリカSFの時代。

ところが、60年代に入ると、ベトナム戦争もあり、アメリカは停滞していく。
この時期、「指輪物語」は再発見されるんです…ヒッピーたちによって。
「力を捨てにいく話」の価値が、再発見されるのです☆
アメリカは大英帝国の没落を早回しで演じていたから。
ル=グィンなんかが出てくるのもこの時代です。

アメリカSFは、その後、IT革命とシンクロして、サイバーパンクが出現し、別な流れになっていきます。

でも、ヨーロッパでは、80年代後半、聖母マリアブームとか、グレゴリオ聖歌ブームとか、エンヤなどケルトのブームとかが起きてくる。
日本はバブルの時期。経済史的にはプラザ合意以降の時代(これが結局ものすごく決定的でした)。
ヨーロッパは大量の移民を受け入れ、統合をひかえながら未来が見えなくなった時期。

ハリー・ポッターも、またダヴィンチコードなんかも、この流れの中から出てきたものと思います。
不安な時期(経済的な未来の不安な時期)、人々はルーツを求める。自分のアイデンティティが何かを知ろうとして、何かにしがみつこうとする。
「力を得たい」と、子どものように、思うようになる。
指輪をはめたい、とサウロンの誘惑に負ける。。

ファンタジーの微妙な位置。

グリム童話がヒトラーを生み出したのではないか…ということを、すごく間接的に示唆する記事を、前に書いたのです。ゲルマン神話の使い方のことを。
グリム童話の時点では、「指輪」をはめるか・捨てるかは、まだ決していなかった。
しかし、「ドイツ」人は、ゲルマンの指輪をはめた。日本人も同じ時期、同じような判断をしてしまったのですが。

「指輪物語」が、元祖のようなものとして、ファンタジーの高い位置にあることは、すごく意味があると思います。(それとウィリアム・モリスなんかもそう)
「捨てる」というのは、すごい発想の転換なんですね。燦然と輝いてると思います。

…って、長いばっかりで、ぜんぜん井辻さんの本に触れてないや(;・∀・)
じつは読んだことないです(笑)
明日あたり読んでみますね☆

この話題は、また(うまく書けそうなら)記事にしてみたいです。でも、難しいなぁ…まだいろんな論点があるんです。。

overQさん、こんにちは!
そうそう、指輪物語の「捨てる」発想はすごいですよね。
それは私も最初に読んだ時から思っていました。
力の指輪となれば欲しくなるのは当然なのに、それが「悪」にしかなり得ないというのが新鮮で…
ボロミアや彼の父親が指輪に固執したのも当然ですよね。それが普通の論理なんですもん。

でもそれが大英帝国の没落期に重なってるから、というのは、考えもしてませんでした。そうだったんですね!
そしてウェルズの作品も同じだったとは…。
…あ、写真と映画の時代とシンクロしてるというのが、先日のお話に繋がるところなんですね!

その作品が書かれた当時の世相が、作品に大きな影響を与えるというのは、当然の話だし、
分かっていて当然だったはずなのに、実はまるっきり頭から抜け落ちてましたよ…
うわあ、改めて考えるとすごく恥ずかしいです。
無闇やたらと読んでるだけじゃあ、どうにもならないのに、私ったら。

このあたりのこと、ほんとぜひぜひ記事にしてください!
いや、確かに色々な論点があって、まとめにくいところかもしれませんが…
色々知りたいことはあるのに、今まではどこから切り崩したらいいのか分からない状態だったんですが
overQさんのおかげで、そのヒントが得られたような気がします。

きっと何かの拍子に、今まで読んで蓄積してきたものが、するっと大きな形を取って
ああ、こういうことだったのかって分かるようになるんだろうなあと淡い期待を抱いてたんですけど
本当にそうなるかもって希望が出てきましたよー。
ありがとうございます。^^
私に欠けていたのは、まず大局的な視野だったのかもしれないですね。
それとウィリアム・モリス、まだ読んでないんです。読んでみなくちゃいけないですね!

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