「人類最古の哲学 カイエ・ソバージュI」中沢新一

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国家や一神教が発生する前の人類は、神話という様式を通して、宇宙の中における人間の位置や、自然の秩序、人生の意味などについて深い哲学的思考を行っており、そこには素朴ではあっても複雑な論理体系が存在していました。ギリシャで作り出された「哲学」の歴史がたかだか2500年なのに比べ、「はじまりの哲学」である神話の歴史は少なく見積もっても3万数千年。そこには人間がその歴史の中で蓄積してきた知恵があるのです。ここでは主に、民話として語られながら神話としての特徴も失っていない稀有な例である「シンデレラ」の物語を素材として、神話について考えていきます。

主に大学で行われた「比較宗教論」の講義の記録が全5冊にまとめられたうちの第1巻。ここでの主題は「神話」。以前あかつき書見台のマオさんのところで見かけて(記事)、面白そうだなとチェックしていた本です。
世界中に似たようなモチーフの神話や民話があるというのは、やっぱり地球上における人類の移動によるものだったのですねー。中石器時代から新石器時代にかけて、マンモスを追って移動する人々と共に急速に世界中に広がっていったようです。もちろん各地の神話は全く一緒ではないですけど、語られ伝えられるうちに自然に、あるいはその民族に合わせて少しずつ変化していくのは当たり前。それでも神話は論理的全体性を備えているので、この変形には一定の規則があるのだそうです。ラヴェルの「ボレロ」のように少しずつ主題を変えて変奏しながら、という中沢氏の言葉がまさにぴったり。
この中で一番興味深かったのは、やっぱりこの本の大半を占めるシンデレラ物語の考察でした。ペローとグリムのシンデレラはよく知られてるし、ここに載ってたロシア~トルコ・ギリシャに伝わるという「毛皮むすめ」も知ってましたが(私が持ってるグリムの本にも、これとそっくりの話がありました) ポルトガルや中国のものは今回が初めて。1つずつ話を比較考察していくうちに、どういった部分が神話からの流れなのか分かってくるのがすごく面白いです。フランスの民間伝承をルイ王の宮廷用に洗練させたペロー版は、神話的にはかなり破綻してるんですけど、それでも骨格は残ってるし、ドイツの民間伝承をかなり忠実に拾ったグリム版は、ペロー版よりも神話の論理が残ってると言えますね。「生」と「死」の仲介がとても綺麗な構造をしていました。神話というのは、実に論理的なモノなのですね~。そして落とした片方の靴のエピソードはオイディプス伝説へと~。
更に面白かったのは、ヨーロッパのシンデレラを聞いた北米のミクマクインディアンが作り出したというシンデレラ。これを読むと、神話の次元がまるで違うことに気づかされます。こういった作品を作り出せるということは、それだけ生活の中に神話が根付いているということなんでしょう。ものすごく核となるものを読んだなあという気がしました。
講義を本にしただけあって読みやすいし、なかなか面白かったので、続きも読んでみようと思います。(講談社選書メチエ)


+シリーズ既刊の感想+
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柳田国男「遠野物語」に、小正月の行事で、子供たちが群れをなして、家々を訪れ、福の神が来たといって、お餅をもらう風習が出てきます(102番)。
なんとなく、ハロウィンに似ている。
それはたぶん偶然じゃなくて、ものすごく古い時代に、人類の広がりとともに伝播したものなんでしょうね☆

最近、こうした「伝播説」の延長(しすぎ)で、サイクロプスはサイの神、ダイダロスはダイダラボッチ、ケルベロスは犬神とかかわりがあると、考え始めています。
こうした説は、「電波系」と呼ばれます…(;・∀・)

シンデレラは、今では秋葉原でツンデレラ神話に変換されていますよね(同意を強要

昨日、「小夜の中山の夜泣き石」のことを記事にして、じつは今日も千葉の別な「夜泣き石」のことを書く予定なんですが。
千葉のほうは、里見家の姫君の悲劇を伝える夜泣き石。
この伝説が、かすかにシンデレラ物の断片を持っています。

おそらく、もとは里見家ではなく、千葉の古い伝承、真間の手児奈(=姫=シンデレラ)と関連付けられてたと思います。
真水の井戸のフシギを解釈した神話。

手児名伝説では、継母も登場するんです!
ママハハの「ママ」って、「真間の手児名」の「真間」から由来している、という説もあるくらい(これはマジで
万葉で、虫麻呂が手児奈をよんだ歌には、「靴」まで出てきますから(* ^ー゚)

葛飾の近辺ですが、縄文時代からひらかれ、おそらくこの地域が歌垣の場で、その女性イメージが「手児奈」という神話的人物に結晶したのかもしれません。

へええ、日本にもそんな風習があったんですね~。
それは全然知りませんでした。

ハロウィーンって、元々は収穫祭ですよね。
それがいつの間にか、死者の霊が戻ってきたり魔女や精霊が来る日になっていて
この部分は、まるでお盆みたいだなあと思ってたんです。
あのカボチャのランタンには、お盆の迎え火とか送り火を連想させる部分があるし
野菜を使うところは、お盆のナスとかキュウリで作る動物と重な… らないですか?(笑)
(今みたいにカボチャを使う前は、カブだったそうですね)
あとね、お菓子をもらうのは、元々は別だった行事がくっついたんじゃないかなって思ったり。
ハロウィーンって、一見とても独特のお祭りにも見えますけど
そうやって分解してみると、他の地方にもある普通の風習の集合体なんだなあ、なんて思ったりします。
やっぱり、大昔のものが少しずつ形を変えながら、どんどん広がっていったんでしょうね。
そうなると、その元の姿がものすごーく見たくなってきてしまいます。

えーっ、なんと千葉にもシンデレラが?!
継母はまだしも、靴まで出てくるなんてびっくりですね。
シンデレラの社会的機能とは、最も高いものと最も低いものを結び付けることだそうで
そのために予め社会的な分離の設定をしておいて、
豆とかカマドとか鳥とかが仲介役になるのだそうです。
で、ポルトガルのシンデレラには、まさに井戸が登場するんですよー。
手児奈は、井戸の中の魚と結婚したりしませんか?(笑)
これは族外婚の極端な例で、死者や異界の存在との結婚をあらわすそうです。

またまた、こんばんは☆

「節句」という言葉があるけれど、
夏至冬至、春分秋分、新年、種まき田植えや収穫、花が咲く頃・枯れる頃、
…物事が転換する「サカイ」の位置にある時期。
ここで、祭りや年中行事はおこなわれます。

つまり、サカイでさえあれば、夏であろうが冬であろうが、何でもいいみたいです。
ある地域では春の祭りが、別な地域では秋の祭りとしておこなわれるってことが、よくある。

レヴィ=ストロースが、神話群を分析するときの手法が、こういうものなんです。
具体的な部分(夏か冬か)はちがっていても、「形式」(サカイの時期であること)は一致している…ということ。

この方法がわかると、すごく神話や風習を深読みできるようになります。

  +

カボチャの頭について。

「道」という漢字は、「首」が含まれている。
白川静によれば、これはドクロをかかげて、未知の道を歩いた、古代の風習に基づくもの。

私は「サイの神」について調べていますが、このサイは、「口」という漢字を当てるのが、妥当だと思われます。
「口」は、目鼻口のクチではなくて、サイと読む。
頭蓋骨を器にしたもので、ここに神を乗り移らせた。
甲骨文字とは、この「口=サイ」に、神意を降ろしたものなんです。

アフリカでも、アジアでも、南米でも、動物や人間のドクロを、魔よけとする風習が広くおこなわれています。
ドクロの首飾りや、海賊船のドクロや、西遊記の沙悟浄のドクロなんかも、ここから由来していると思います。
道を行くものは、ドクロの魔よけが必要だった。

日本では犬神がそうだし、アイヌはキツネやフクロウのドクロを魔よけに使った。
「イワシの頭も信心から」のイワシ頭も、ドクロの一番簡易な形です。
じつは、獅子舞も、もとはホンモノの動物の頭部を使い、これに噛まれると、魔がはらえると信じられた。

ハロウィンのカボチャ頭も、ナス・キュウリの動物人形も、イケニエの魔よけを簡略化したものなんだという、推定が成り立ちます。
こわッ((;゚Д゚)

話は変わりますが、うちのブログでは「ご近所のサイの神」を募集中ですヽ(´ー`)ノ
ご近所でなくても、どこでもいいのですが、S+Kの音を持つ地名をご存知でしたら、お知らせ下さいませ。

ああー、「サカイ」と「サイ」。
そうか、サカイなら春でも秋でもいいんですね!
先日読んでいたケルトの「タム・リン」の話で、妖精から人間を取り戻すのに
一方ではハロウィーン、一方では夏至となっていたので、どういう意味があるのかなと思ってたんですけど
もしかしたら、どちらもサカイというだけのことで、取り立てて言うほどのことはないのかもしれませんね。

そろそろレヴィ=ストロースにも手を伸ばしてみるべきなのかも…
この中沢新一さんの本でもかなり引き合いに出されてるんです。
そもそもカイエ・ソバージュというシリーズタイトル自体、「野生の思考」から来てるようですし。

このシリーズ2巻の最初の方に、狩猟民族が殺した動物の頭蓋骨を装飾する話が出てきていました。
生きていくためには動物を殺さなければならないけれど、それはあくまでも自然からの贈り物として受け取って
相手の尊厳を傷つけないように殺した後も丁重に扱って、その仲間の元に霊を戻すのだとか。
人間と動物のどちらが優位にあるとかそういうのはなくて、お互いに尊重しあっていた話が、とても面白いです。
(そこから同時多発テロや狂牛病に話が繋がるんです)


それにしても、ドクロですか!>ハロウィンのかぼちゃ
それは考えたことなかったですが… でもドクロと言われてみると、ものすごく説得力がありますね。(笑)
ドクロが魔よけというのは、ありますねー。
その生き物の血や肉や心臓なんかは自分の中に取り込んで、相手の力も自分のものにしているから
一層の効果が期待されたのでしょうね。


それとS+Kの音を持つ地名、記事を見た時から考えてたんですけど
まず出てきたのが私のハンドル名。
おお、私自身がサイだったのか!とたわけたことを考えてしまって書き込みできず仕舞い…
すみません。また後ほどゆっくりとお伺いしますね。^^
(TBもその時にさせていただきます~)

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