「浮世の画家」カズオ・イシグロ

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1948年10月。かつては名のある画家として尊敬を集め、多くの弟子に囲まれて一世を風靡しながらも、今は引退して、隠居生活を送っている小野益次。終戦を迎えて日本の状況は大きく変わり、戦時中の小野の行動が元で、周囲の目は手を返したように冷たくなったのです。自宅で一見穏やかな日々を送りながら、小野は自らの過去を回想します。

「日の名残り」(感想)のような「信頼できない語り手」による物語なんですが、こちらの方があからさまですね! 主人公がかつてのことを回想しながら物語は進んでいくのは同じですし、その言葉をそのまま額面通りに受けとめられないのも一緒。それでも「日の名残り」は、そのまま受けとめてしまうこともできる作品なんです。でもこちらの作品では、どうしても小野が物事を自分に都合の良いように解釈し、記憶を改竄し、さりげなく自分の行動を正当化していこうとする部分がイヤでも目につきます。周囲の人々との記憶の齟齬も読みどころ。それに、何度も繰り返し「自分の社会的地位を十分に自覚したことなどない、自分は家柄など重視しない」というように語られているんですが、それが逆に自負心を浮き彫りにしているようだし、1年前に娘の紀子が破談された事件が、予想以上に小野を傷つけていることがよく分かります。確かに戦時中の小野は、自分の行動に信念を持っていたのでしょうけれど... 今はそれを屈折した感情で正当化することでしか生きながらえることができないんですね。そんな1人の男の悲哀がよく表されているように思います。
彼の身近な人間、彼の行動をつぶさにみてきた人間の視点から語られたら、この作品とはどれほど違う作品が出来上がるんでしょう。ほんと全く違う物語になってしまいそう。読んでみたいなあ。そんな作品が書かれることは、絶対ないでしょうけど...。(ハヤカワepi文庫)


+既読のカズオ・イシグロ作品の感想+
「日の名残り」カズオ・イシグロ
「遠い山なみの光」カズオ・イシグロ
「わたしたちが孤児だったころ」カズオ・イシグロ
「浮世の画家」カズオ・イシグロ
「私を離さないで」カズオ・イシグロ
「充たされざる者」カズオ・イシグロ

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Commentaires(4)

私も最近、『女たちの遠い夏』(ハヤカワ版タイトル、『遠い山なみの光』)を読みまして、このカズオ・イシグロならではの「信頼できない語り手」にゆらゆらと酔いました。
そうそう、『日の名残り』を随分前に読んだときには、文字通りに読んでしまったのだけれど、最近読み直したときに、ようやくその二重構造に気付いたのでした。
カズオ・イシグロ、慣れてくると、今度は一体どんな世界に連れて行ってくれるのだろう、とワクワクしますねえ。
次は『浮世の画家』だ!、と思っていたので、読み終わったら、またお伺いしますね~。

確かに四季さんんの、仰るとおりだと思いますが、このお話も
違う誰かのお話も視点の違いや、観念の違いは、有っても、
同じお話なんだと僕は、思います。あくまでも、僕の主観ですが、、、

>つなさん
ああー、「遠い山なみの光」もいいですね。
という私は、そっちはかなり文字通りに読んでしまった覚えがあるので
今、再読したら全く違う印象を持ちそうです。再読して確かめなくちゃー。
とにかく、書かれていないことがものすごく多い作品でしたよね、「遠い山なみの光」は。
こちらの作品も書かれていないことは多いんですが、またちょっと違うかな…
作品が書かれた順番も関係あるかもしれません。
「浮世の画家」、近々読まれるんですね。感想を楽しみにしてますね!

>mkoさん
カズオ・イシグロ、読まれてたんですか?
確かに同じ話かもしれないです。
でも同じ本を読んでも、まるで正反対の感想が出てくることがあるように
同じ出来事を体験しても、まるで違う面を見ていることがあるように
(目が見えない人たちが象を触ってる話のように)
根っこの部分は同じだったとしても、そこから様々に派生して
様々な真実が同時に存在してるんじゃないかなって思うんです。パラレルワールドみたいに。

ま、そういうのも、また1つの主観ですね。

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