「水の家族」丸山健二

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「私」が感じたのは、ただならぬ水の気配。花冷えがする夜更けだというのに、何者かが川を泳いで渡ろうとしているのです。それは八重子だと直感的に感じる「私」。八重子がとうとう「私」の居場所を突き止めた...。相変わらず溌剌としている八重子に今の自分の姿を見せたくない「私」は、全財産を素早く隠して家を出ます。しかしその晩に限ってやけに体が軽く、じきに逃げようという気が失せ、川べりで八重子を待ち構えることに。そこに現れたのは1匹の大きな海亀でした。それは生と死の間を自由に行き来すると言われる伝説の海亀。「私」は既に死者となっていたのです...。

死者となった「私」が忘れじ川のほとりの草葉町に戻り、八重子や他の家族たちを見つめていく物語。1行の文章(詩?)と、数行の文章が交互に配置されていて、その定期的に現れるその1行の詩のような文章が、ぽつりぽつりと落ちてくる雫のように感じられて、とても印象に残ります。
死者となった「私」は様々な場面を見ることになります。今現在、そしてかつての草葉町の情景が鮮やかに浮かび上がってきて、「私」に何があったのかも徐々に明らかに...。生前の「私」が犯した罪は、やくざな弟に「こんなおれでもそこまで墜ちやしないぞ」と言わせるようなものだし、最初はそんな罪を犯した自分の不甲斐なさばかりが頭にある「私」なんですが、死者となった目で改めて家族の姿を見つめなおしていくうちに、それが自分なりの人生だった、自分らしい生き様だったと受け入れることができるようになるんですね。

去年の暮れに「水の女」というテーマでいくつか本を読んだんですが、この作品の「水」が、その時に読んだ「ペレアスとメリザンド」にものすごく重なりました。話としてはタイプが全然違うのに不思議なんですが。でも全てを受け入れる「水」という意味では同じような気がします。「ペレアスとメリザンド」のメリザンドは、その存在自体が「水」そのもの。そんなことを考えてると、この作品の八重子もまたメリザンドだったような気がしてきます。ああ、八重子もまた。いや、八重子だけではなかったのかしら。なんて思考の中の水に溺れそうになってますが、やっぱり絶えず流れ続ける水は人間の生そのものですね。ここに登場するのは正直あまりいい家族とは言えないけれど、それでも水は何もかもを同じように受け入れてくれるんだなあ。(求龍堂)


+既読の丸山健二作品の感想+
「荒野の庭」丸山健二
「水の家族」丸山健二

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