「妖精のアイルランド 取替え子の文学史」下楠昌哉

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アイルランドによく見られる「取り替え子(チェンジリング)」の伝承。赤ん坊や女性が妖精に攫われて、知らない間に妖精が入れ替わっているというこの伝承をキーワードに、W.B.イェイツ、ロード・ダンセイニ、ブラム・ストーカー、オスカー・ワイルド、ラフカディオ・ハーン、コナン・ドイル、ジェイムズ・ジョイスといった19世紀末から20世紀初頭にかけてのアイルランドにゆかりの深い作家たちを取り上げ、その作品を見ていく本。

「ドラキュラ」や「ドリアン・グレイの肖像画」、そして「雪女」といった作品の中に「取り替え子」のモチーフを見るというのはなかなか興味深いです。そういう特徴が「取り替え子」だけの特徴なのかというと、それはどうだろうという気もするし、ちょっとこじつけかなと思う部分もあるんですけど、アイルランドにゆかりの作家たちだけに、意識的であれ無意識であれ、そういう伝承系モチーフを自作に転用してるというのは十分考えられますものね。
でもそういう文学的な考察よりも、実際の「取り替え子」の話の方が私にとってはインパクトが強かったです。
「取替え子」という発想自体、実はすごく人間の闇の部分を示してると思うんですよね。この本にも「妖精を見る」ということは「耐え難い苦しみを精神的に乗り越えようとしたり、動揺した共同体の安寧を取り戻すための知恵であり手段だった」とあります。「取替え子」という言葉は、気に入らない赤ん坊や妻をある意味合法的に葬り去る手段にも通じるもの。そもそも自分の子が本当の子供なのか取り替え子なのか見分ける「ぜったい確かなやりかた」とされていたのは、その子供を火の上にかざして、「燃えろ、燃えろ、燃えろ、悪魔のものなら燃えてしまえ、けれど神様、聖者さまの下さりものなら傷つくまい」と唱えるやり方なんですから。もしこの子供が取り替え子だったら、叫び声をあげて一目散に煙突から上に逃げていくそうなんですけど、普通の子だったらどうなるんでしょう。命を取り留めたとしても酷い火傷を負うはず。それって魔女裁判の「水に沈めて浮かんできたら魔女、沈んだら人間」みたいな判定に通じるものがありますよね。結局、普通の人間だったら死んでしまうわけで... 19世紀末には、そんな風に「妖精を見る」ことは社会的・法律的に許されなくなってたそうですが、この本の中で紹介されているブリジット=クリアリーの焼殺事件だって19世紀末の出来事。本当に怖いです。ええと何が怖いって、まずそうやって都合の悪いものを「なかったこと」にしようとすること。そしてそういう集団のヒステリックなパワーかな。一度走り出しちゃったら、もう誰にも止められないんですものね。(平凡新書)

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