「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前」8~10 塩野七生
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紀元前100年、ローマの貴族の家に誕生したユリウス・カエサル。ローマ史上最大の英雄・カエサルはどのような時代に生まれて、どのような育ち方をしたのか。どのように世に出たのか。前半はカエサルの誕生から若い頃のエピソードを、後半は2000年経っても未だに世界中で読まれている「ガリア戦記」を中心に、有名な「賽は投げられた」のルビコン川までの、カエサルの前半生の姿を描き出します。
再読です。感想は以前書いたので今回は文章の抜書きだけ。塩野七生さんの文章も誰かの発言も入り混じってます。
「人は、仕事ができるだけでは、できる、と認めはしても心酔まではしない。」(8巻P.72)
「きみたちにはわからないのかね、あの若者の中には百人ものマリウスがいることを」(8巻P.79)
「読書の趣味は、経済的に余裕ができたからはじめる、というものではない」(8巻P.121)
「女とは、モテたいがために贈物をする男と、喜んでもらいたい一念で贈物をする男のちがいを、敏感に察するものである。」(8巻P.124)
「敵への不審だけででいる戦争とはちがって、政治は、敵でさえも信頼しないことにはできないのである。」(9巻P.89)
「戦争は、死ぬためにやるのではなく、生きるためにやるのである。戦争が死ぬためにやるものに変わりはじめると、醒めた理性も居場所を失ってくるから、すべてが狂ってくる。」(9巻P.91)
「復讐とは、彼にすれば、復讐に燃える側もその対象にされる側も、同じ水準にいなければ成立不可能な感情なのである。」(10巻P.21)
「だが、わたしが、お前たちの命よりも自分の栄光を重く見たとしたら、指揮官としては失格なのだ」(10巻P.91)
「ゲームと戦争は根本的なところでちがう。ゲームでの駒は思いのままに動かせる木片にすぎないが、戦争での駒は、感情をもつ人間である。ゆえに、形に現れにくく数でも計りがたい要素を、考慮にいれなければ闘えない"ゲーム"なのだ」(10巻P.97)
「他者から良く思われたい人には権力は不可欠ではないが、何かをやり遂げたいと思う人には、権力は、ないしはそれをやるに必要な力は不可欠である」(10巻P.177)
「ここを越えれば人間世界の悲惨。越えなければ、わが破滅」(10巻P.234)
前回はこの3冊を読んだ後に「ガリア戦記」にいってしまって「ルビコン以後」は結局読まなかったんですよね。今回はちゃんと読みます。(まだ入手してないけど)でも、同じ戦記でも、私にはカエサルよりもハンニバルvsスキピオの方がずっと面白かったな。やっぱり英雄には好敵手の存在が不可欠。でもカエサルにはカエサルだけで、好敵手と呼ぶのに相応しい人物がいないんですよね。それが物足りないです。(塩野七生さんのカエサルへの愛は十分感じるんですけどねー)(新潮文庫)
+シリーズ既刊の感想+
「ローマ人の物語 ローマは一日にして成らず」1・2 塩野七生
「ローマ人の物語 ハンニバル戦記」3~5 塩野七生
「ローマ人の物語 勝者の混迷」6・7 塩野七生
「ローマ人の物語」8~10 塩野七生 「ガリア戦記」カエサル
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前」8~10 塩野七生(再読)
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以降」11~13 塩野七生
「ローマ人の物語 パクス・ロマーナ」14~16 塩野七生
「ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち」17~20 塩野七生
「ローマ人の物語 危機と克服」21~23 塩野七生
「ローマ人の物語 賢帝の世紀」24~26 塩野七生
「ローマ人の物語 すべての道はローマに通ず」塩野七生
+既読の塩野七生作品の感想+
「コンスタンティノープルの陥落」「ロードス島攻防記」「レパントの海戦」塩野七生
「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」塩野七生
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