「黄金の壺/マドモワゼル・ド・スキュデリ」ホフマン

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昇天祭の日の午後、大学生のアンゼルムスがエルベ川のほとりの接骨木(にわとこ)の木陰で自分の不運を嘆いていると、そこにいたのは金緑色に輝く蛇が3匹。アンゼルムスはそのうちの1匹の美しい暗青色の瞳に恋してしまいます。それはゼルペンティーナでした... という「黄金の壺」。そして「マドモワゼル・ド・スキュデリ」「ドン・ファン」「クライスレリアーナ」からの抜粋。

先日読んだ昭和9年発行の「黄金寳壷」では面白味が今ひとつ感じられなくて、好きなモチーフのはずなのにおかしいなあーと思っていた「黄金の壺」なんですが、こちらはとても面白く読めました。やっぱり私自身のせいだったのね。きちんと読み取れてなかったのか...! 解説にもありましたが、昇天祭という普通の日、ドレスデンという普通の町に、するりと摩訶不思議なものを滑り込ませてしまうのがいいんですよね。現実と相互に侵食しあう夢幻の世界を描くホフマンの作風。もしかしたら「むかしむかしあるところに」が主流のこの時代、こういう作風って画期的なものだったのかも。

そして「マドモワゼル・ド・スキュデリ」は、「スキュデリー嬢」でいいのにと思いつつ... 基本的には最初に読む訳の方が印象が強いですね。こちらで新たに読んだのは「ドン・ファン」と「クライスレリアーナ」。「黄金の壺」のリベンジとはいえ、この本を読む決め手となったのは、この「クライスレリアーナ」なのです。だってシューマンのピアノ曲「クライスレリアーナ」大好きなんですもん~。いつかは弾いてみたい曲。「クライスレリアーナ」とは「クライスラーの言行録」といった意味なんだそうで、失踪した楽長・ヨハネス・クライスラーの書き残した断片集という体裁。このヨハネス・クライスラーという人物はまるでホフマンその人のようで、特にこの中の「音楽嫌い」という掌編は、実際にこういう出来事が少年時代にあったんだろうなと思わせるところが楽しいです。

古典新訳文庫では、使われている日本語が軽すぎてがっかりさせられることも多いんですが、この本は良かったです。「モモ」を訳してらっしゃる大島かおりさんなので大丈夫だろうとは思ってましたけどね。訳者あとがきに「新しさ」に拘りすぎずに自分の言語感覚を頼りに訳したということ、そして「ホフマンの作品は十九世紀初葉に書かれたものですから、その文体や語彙が古くさいのは当然です。でもその古さをなるべく大事にして、その大時代な雰囲気を殺さないようにしたい」と書かれていました。まあ、「黄金の壺」は「です・ます」調なので、そういうところが読みにくく感じられてしまう方もいるかもしれませんが...。(この「ですます調」も大島さんなりの理由があってのこと) 他の作品もこういったスタンスで訳されていれば、新訳文庫にももっと好感が持てると思うんですけどねえ...。(光文社古典新訳文庫)


+既読のホフマン作品の感想+
「クルミわりとネズミの王さま」ホフマン
「悪魔の霊酒」上下 ホフマン
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