「アイルランド民話紀行」松島まり乃

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太古の昔から目に見えない言葉の霊力を信じ、文字よりも言葉を大切にして、歴史や物語、詩を何世代にも渡って言葉で伝えてきたアイルランドのケルト人。その後ケルト社会が崩壊し、ゲール語が英語に取って代わられるようになっても、アイルランドには音楽や物語を好む風土が残り、今に至っています。そんなアイルランドのケルト的な無形の文化、歌い手たちや物語の語り手たちに興味を引かれた著者が、それらの人々に会いながらアイルランドを旅する本です。

まず印象に残ったのは、歌は語りだから、歌の背景を知らなければ正しく歌うことはできない、という言葉。歌う技術よりも、まず「物語ありき」。この言葉には驚きました。...ちょっと考えてみれば、確かに歌も物語も一緒なのにね。でもやっぱり、歌は耳から入ってくるもの、物語は目から入ってくるものという意識が私の中にはあるんですねえ。それがいいのか悪いのかはともかくとして。
古い神話や伝承、口承で伝わってきたような文学が好きと言いつつ、私は実際にはあまり耳からの情報というのに慣れてないのかも、なんて改めて思います。物心ついた頃には既に本は身の回りに沢山あったけど、どちらかといえば本と一緒に放置されてたという感じで、母に本の読み聞かせなんてやってもらったことないし(母もした覚えがないと言ってました)、おじいちゃんおばあちゃんが面白いお話を沢山してくれるなんてこともなく、ラジオもあんまり聞かなかったですしねえ。私にとって情報とは、まず目から入ってくるものなのかも。例えば何かの曲を聴いていても、私にとって歌は楽器の1つぐらいの位置付け。言葉としての歌詞を聞くことってほとんどないんです。ピアノはずっと習ってたし、音を聞き取るという意味ではある程度訓練されてるはずなのだけど。
でもケルトの文化では、元々文字には重きを置いてなくて、あくまでも言葉が中心。「文字にされれば、物語は死ぬ」なんて言葉を聞くと、ドキッとしてしまいます。

さて、この本に登場するのは現代の語り部たち。名刺大のカードを繰って、どんな話が聞きたいのかとたずね、1つ話が出てくるとその話が次の話へ、そしてまた次の話へと繋がっていくなんて楽しそう! 日本の昔話のような「むかーしむかしあるところに...」のような始まりではなくて、畳み掛けるように言葉が出てくるリズミカルな語りというのもちょっと意外でしたが、身振りや手振りもなく、自分の中にある言葉をどんどん並べていくような語り方みたいです。そしてそんな風に語られた物語が実際にこの本でも紹介されてるのが嬉しいところ。
語り部になるにも人それぞれのきっかけがあるでしょうけど、著者が最初に会った人の場合は、成人して海外で仕事をしていて、久々に帰国した時に見た光景がきっかけだったのだそうです。かつては夜になると家族や近所同士で集まって歌を歌い、楽器を演奏し、踊り、物語を語っていたのに、それが全くなくなっていたのにショックを受けたから。テレビの登場のせいだったんですね。人々はそれぞれ家に閉じこもってテレビを見るばかり... でもだからといって語りの伝統が完全に絶えたわけではなくて、声をかけてたら、まだまだ歌やお話を愛する人々がぞろぞろと出てきて。...こういう集まり(ケイリー)に関しては、チャールズ・デ・リントの「リトル・カントリー」(感想)や、ケイト・トンプソン「時間のない国で」(感想)を読んだ時にも楽しそうだなと思ってたんです。
でもこの人の場合は、まだまだそんな人たちがいっぱいいることが分かったからいいんですが、他の語り部には、もう誰もお話を聞きたい人間などいない、なんて言ってる人もいて... 今の人間は集中力がなくなっていて、20分も静かにしてることができない、もう語りも終わりだ、なんて話を聞くと本当に悲しくなってしまいます。

ちょっと意外だったのは、今は神話はあまり受けなくて、それよりも笑い話に人気があるという辺り。フィン・マックールの話もオシアンの話もクーフリンの話もメイヴの話も、私、大好きなんですけどー。確かに1日中働いて疲れてる時には、ちょっとした笑い話がいいのかもしれませんけどね。こんな時に文字があってやっぱり良かったと思います。文字がなかった頃は、最近の人には受けないから、なーんて言われて消えていった物語も沢山あったんでしょうけど、今はその心配はほとんどないんですものね。(笑)(集英社新書)

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Commentaires(2)

四季さん、こんにちは。
歌は語りだから、歌の背景を知らなければ正しく歌うことはできない、という話はわたしも印象に残っています。ほんとですね、歌も物語なんですね。
「文字にされれば、物語は死ぬ」と言う言葉、どきっとしましたよね。「物語」と書かれているけど、これ、わたしは勝手に「口承文化」という言葉に置き換えていました。最初から読まれるために書かれた本とは別物なんだ、ということを改めて感じました。
「こんな時に文字があってやっぱり良かったと思います。」も同感です。だって日本だって、もし「古事記」や「日本書紀」が文字で残っていなかったら私たちの神話も失われていたのかもしれないですものね。文字にして遺しておいてくれてよかった。

ほんとに豊富なお話がたくさん、それを語る人たちや、その語りを聞いて育った人のエピソードも興味深くて、とっても楽しめました。
読書メーターで、この本に出あわなかったらきっと手にとることもなかったかな、と思うと、紹介してくれたかたに感謝です。

ぱせりさん、こんにちは~。
文字によって、脳では覚えきれない量の情報を保存できるようになって
でも文字があることに安心してしまって、記憶力は完全に低下してると思うんですよね。
昔の語り部のおじいさんたちは、もっともっと凄かったんでしょうし
例えばドルイドなんかだと、口伝で膨大な量の情報、宗教的な教義も法律も、部族の歴史も家系図も
神話や英雄譚も全部覚えてたんですものね。
文字を使わないというのは、外部に情報を漏らさないという意味もあったでしょうけど
やっぱり生きた言葉、生きた物語というのを大切にしてたからなんでしょうねー。

>最初から読まれるために書かれた本とは別物なんだ

ほんと、そうですよね!
私たちがいくら本でケルトの伝説を読んでも、それは本物とは似て異なるものなのかも。
と言いつつも、やっぱり文字があって良かった、読むことができてよかったと思ってしまうんですが。(笑)

それにしても、歌は物語なとなると、私の音楽の聴き方、完全に間違ってます。(笑)
少なくともアイルランドの音楽を聴く時は、聴き方を変えなくちゃです~。

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