「ヴェニスに死す」トーマス・マン

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5月のはじめ、かなり遠くまで散歩に出かけた初老の作家・グスタアフ・フォン・アッシェンバッハは、ふいの旅行欲におそわれて、ヴェニスに向かうことに。そしてヴェニスで出会ったのは、ポーランドの上流階級らしき一家。その中でも14歳ぐらいの美しい少年に,アッシェンバッハは目を奪われます。蒼白な肌に蜜色の巻き毛、まっすぐとおった鼻とかわいい口、やさしい神々しいまじめさを浮かべている顔... アッシェンバッハはじきに彼の姿を目で追い求めるようになり、そのうち少年の後を追い、つけまわすようになります。

最初は、気軽に読み解かれるのを拒否するかのような長い文章が続いていきます。でもそれが第3章でヴェニスに到着した頃から、徐々に変わり始めるんですね。長く装飾的だったはずの文章は短くなり、歯切れが良くなり、みるみるうちに読みやすくなって...。これはきっと、アッシェンバッハの精神的な変化を表したものでもあるんでしょうね。そして素晴らしいのは、やっぱりヴェニスに到着した後の物語。
物語の展開としては、比較的単純なんです。老作家がタッジオと呼ばれる美少年に出会い、その美しさや存在に心を奪われ、次第に夢中になっていくというだけのもの。アッシェンバッハは美少年を付け回してはいるんですが、2人の間に具体的な接触はありません。美少年に付きまとう執拗な視線だけ。でもこの出会いによって、老作家の世界がどれほど変わったことか。既に老醜の域に入っているアッシェンバッハの執拗な視線は、少年に薄気味悪さを感じさせたでしょうし、周囲にいる人間にとっても、滑稽で奇異な光景だったはず。そうでなくても、辺りには不穏な空気が流れていて、ものすごく不安を掻き立てるような空気。足場のバランスが悪すぎて、まっすぐ立っていられないような感覚。でもその中で、アッシェンバッハの心だけはこの恋によって純化して、非常に美しいものへと昇華していくんですね。
そして結果的にこの恋が連れてきたのは死なんですが... でもたとえ少年が死の天使だったとしても(私のイメージとしては、ギリシャ神話で神々に不死の酒ネクタルを給仕するガニュメデスなんですが)、老作家の旅が結果的に死の天使に搦めとられるためだけのようなものだったとしても、それは彼にとって最高に美しく幸せな日々だったはず。そんな純粋な日々が、愛おしく感じられてしまうのです。

ただ、この作品気になってしまったのは訳。解説に訳の素晴らしさについて触れられてたんですが、元々は旧字・旧仮名遣いの訳だったんでしょうし、そういう形で読まないと、その素晴らしさは堪能しきれないのではないかと... なんだかもったいなかったような気がしてしまいます。

そして「ヴェニスに死す」といえば、やっぱりヴィスコンティの映画! と思って右にDVDの画像をはりつけてみましたが... うーん、私が知ってるものとはちょっと違うなあ。この映画での老作家は、確かマーラーがイメージになってるんですよね。老作家ではなくて老作曲家で。私は気になりつつ観てなかったんですが。ああ、今こそ観てみたいぞ!(岩波文庫)

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Commentaires(7)

四季さん☆こんばんは
この映画が公開されたころは、ビヨル・アンドレセンの美しさばかりに目を奪われていたのですが、今見たらダーク・ボガード演じる老作家の心の動きに同調出来るのかもしれないですねぇ。
もう一度観たくなってきました。

こんばんは四季さん
私は映画でしか見たことありませんが、この作品と言えば、、やっぱしマーラーの5番ですね!

音楽があまりにはまりまくって、ほかのことはあまり覚えていません(笑)
苦悩する作家と、無表情を変えない美少年と。そんな感じです。

>Rokoさん
わあ、Rokoさんは映画を観てらっしゃるのですねー。
ほんとビヨル・アンドレセン(という名前なんですね)の美しさときたら!
うちの母がヴィスコンティ好きで映画を観てるので、うちにもパンフレットがあったんですが
ほんと目を奪われたって感じでした… 一種独特ですね。すごい存在感。
実際に映像で観てみたらどんな感じなのかしら。老作家がどう描かれてるのかにも興味津々です。
あ、本も良かったので(かなり薄い本です)、機会があればぜひ~。


>shosenさん
shosenさんも映画を観てらっしゃるのですねー。
そうそう、マーラーなんですよね。
きっとマーラーの交響曲がすごくハマるような映像だったんでしょうねー。ヴィスコンティですものね!
と思ったら、やっぱりハマってたんですね。
音楽や無表情の美少年や苦悩する作家や、ヴェニスの街の風景とか
そういう色んなものが危うい均衡を保ってたのではないかと予想… 観てみたいです!

逆に最近、映像をビデオで見て、原作を読みたいなあと思っている慮柳です。
ビヨル・アンドレセンは、本当に、溜息が出るほど美しかったです。
こんな人が世の中にはいるんだなあ、と思うほどでした(笑)。
後、時代が時代なだけに、女性のファッションが華やかで、
それも見ていて楽しかったです。

ただ、Rokoさんとちょっとかぶるのですが、
もっと若さとか色んなものをなくしてから見て、
作中アッシェンバッハと同じようにうちのめされながら見たかったなあと、
思ったりもしたのでした。

四季さん、こんにちはー
わたくし実は新潮文庫の高橋義孝訳で読んだのですが、そちらもなかなか良い訳だと感じました。でも岩波の訳が良かったということでとても気になります。
旧字・旧仮名遣いと現代仮名遣いまでの差にこだわるとなると・・・文字って視覚でも楽しめるものなのですよね。。
意味をとるためだけのものではないのですね、文字(文章)って。
感想を拝見して、文字(書き言葉)ってほんとそれだけで豊かさを感じさせてくれる文化なんだなあと(ついでに『日本語が亡びるとき』を読んだときのことを思い出しつつ)ふと考えてしまいました。

>慮柳涼さん
わあ、映像を観られたばかりだなんて、まさに逆。
ビヨル・アンドレセンは、やっぱり美しかったですか~。
でもあんなに存在感のある美しさなのに、中身は普通の健康的な少年だったそうですよ。
少年と言いつつ、今やもういい年したおじさんなんでしょうけど…(笑)
この映画以降は、もう映画には出演しなかったんですね。
勿体ない気もするけど、あの美しさがそのまま残って、それもまた良かったのかなあ。
ああ、女性のファッションは華やかでしょうね~。
あの時代、しかもヴィスコンティですものね。観てみたいです!

>作中アッシェンバッハと同じようにうちのめされながら見たかったなあと、

ああ、涼さんがそう思われるの分かる気がします。
でもまだアッシェンバッハの年齢には程遠いですものね~。
例えば10年後、20年後に観たら、またその時々で違う印象を持つかもしれないし
こういう作品は、長いスパンで楽しんでいくのもいいかもしれないですね。^^

>kyokyomさん
あ、新潮文庫でしたか!
そういえば先日「トニオ・クレーゲル」も読んでらっしゃいましたものね。^^

訳はねえ、例えば今ならグスタフと訳すところが「グスタアフ」となってたし
それ以外にも、たとえば「テエブル」とか「フロックコオト」とかね、
そういうのがやけに目についたんですよ。
普通の文章の中に突然そういう言葉が入ると、やっぱりちぐはぐじゃないですか?
で、調べてみると、訳者の実吉捷郎さんは明治生まれで、大正・昭和時代に活躍したドイツ文学者。
これは後で変えたものなんだなと、腑に落ちたんです。
テエブルもフロックコオトも、旧字・旧仮名遣いの文章の中ならしっくりくるはず。
多分、実吉捷郎さんが最初に訳された時は、もっと絶妙だったと思うのです。
で、惜しいなあ、と。
現代的な仮名遣いに直すのなら、もっとその辺りのバランスのことも考えて欲しかったです。

本当に、文字というものは、意味を伝える手段だけではないですよね。
例えば理数系の論文的なものなら、正確であることが一番なんでしょうけど
文学においては、視覚的な美しさというのもすごく重要だと思います。
って、ちょっと話がズレてますかね。いやん。

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