2006年9月 Archive

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神戸学院大学教授の赤井敏夫さんによる、トールキン研究書。トールキンの「ホビットの冒険」「指輪物語」「シルマリリオン」やそれらの作品を巡る評論、キャロル・ルイスやC.S.ルイスとの比較、ルイスやチャールズ・ウィリアムズと活動していたインクリングスでの姿などから、トールキンの創り出した神話世界を考察していきます。石堂藍さんが「ファンタジー・ブックガイド」に、「『指輪』のファンだと言いながらこの本を読んでいないのはモグリであろう」と書いてらっしゃるんですが... すみません、モグリです(^^;。

とにかく膨大な参考資料に目を通した上で書かれたということがよく分かる本です。すごい!
アラゴルンとフロドのこととか、ギムリとガラドリエルのこととか、へええ、そうだったんだ!という部分が色々とあったんですが、この本を読んでる間中、重なって仕方がなかったのは、「ニグルの木の葉」のニグルとトールキン自身の姿。
「ニグルの木の葉」というのはトールキンによる寓話的物語で、この主人公のニグルは画家なんです。大して評価をされているわけではないんだけど、どこか宿命的に絵を描いてる人物。そのニグルは、元々木よりも、1枚の葉を上手く描くタイプの画家で、葉の形や光沢、葉先にかかる露のきらめきなど細部を写すことに拘るんですよね。でもいつかは、それらの葉の絵から木の全体を描きたいと思っているんです。そして、風にもてあそばれる1枚の葉の絵は、木の絵になり、やがて数え切れないほど枝を伸ばして、どんどん巨大な絵になっていく... このニグルの姿は、トールキン自身の姿だったのですねー! 最初、自分の子供たちのために「ホビットの冒険」という物語を作り、それが出版社の人間の目に留まって出版されることになり、そして続編を求められた時。最初は気軽に執筆を始めるものの、トールキンの前には、「中つ国」を中心とした神話「シルマリリオン」が徐々に出来上がりつつありました。時には執筆中の「指輪物語」に合わせて、神話を遡って書き換えたり、「ホビットの冒険」の最後の「それ以来かれは死ぬまで幸せに暮らしました」という言葉になかなか相応しい続編にならないと、いくつもの草稿を破棄したり。1つのエピソードを大きな物語にふくらましたり。そのまんまニグルじゃないですか。執筆するトールキンの姿が見えるようです。「ニグルの木の葉」では、ニグルが、もうすぐ旅に出なくちゃいけないのに時間がないと焦ってるんですけど、その辺りも、亡くなるまでに作品を完成させられなかったトールキンの姿と重なります。そして、この本を読めば「ホビットの冒険」「指輪物語」「シルマリルの物語」といった木の全体の姿が俯瞰できます。

ただ、既に「指輪物語」として広まっている作品を「指輪の王」、「ホビットの冒険」を「ホビット」と表記したなどの拘りは、どうなんでしょうね。原題の「The Lord of the Ring」の「Lord」という言葉は、キリスト教的にも、簡単に「王」なんて訳せるような言葉ではないはず。「指輪の王」なんて訳すぐらいなら、いっそのこと英語の題名のままにしておいた方が良かったんじゃ...。気持ちは分かる気もするけど、わざわざ表記を変えるのは、どうも読者に不親切な気がします。(人文書院)


+既読のJ.R.R.トールキン作品の感想+
「農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集」J.R.R.トールキン
「妖精物語の国へ」「妖精物語について」J.R.R.トールキン
「シルマリルの物語」上下 J.R.R.トールキン
「ビルボの別れの歌」「指輪物語『中つ国』のうた」J.R.R.トールキン
「ブリスさん」「サンタ・クロースからの手紙」J.R.R.トールキン
「仔犬のローヴァーの冒険」J.R.R.トールキン
「ホビットの冒険」上下 J.R.R.トールキン
「指輪物語」J.R.R.トールキン
「サー・ガウェインと緑の騎士」J.R.R.トールキン
「終わらざりし物語」上下 J.R.R.トールキン

+既読の指輪物語関連作品の感想+
「トールキン神話の世界」赤井敏夫
「トールキンによる『指輪物語』の図像世界」W.G.ハモンド/C.スカル
「トールキン指輪物語事典」デヴィッド・デイ
「図説 トールキンの指輪物語世界 神話からファンタジーへ」デイヴィッド・デイ

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井辻朱美さんのファンタジー論に引き合いに出されていた、「指輪物語」のJ.R.R.トールキンの妖精物語論。2冊並んでますが、基本的に同じ本です。どちらにもまず妖精物語についての文章があって、C.S.ルイスに宛てた詩「神話を創る」(「妖精物語について」では「神話の創造」という題名)が。そして、「妖精物語の国へ」には「ビュルフトエルムの息子ビュルフトノスの帰還」が、「妖精物語について」には「ニグルの木の葉」が収められています。

なぜ同じような本を2冊読んだかといえば、メインの「妖精物語について」を読んでいても、ちっとも頭の中に入って来なかったから(^^;。
この2冊は訳者さんが違うのです。「妖精物語の国へ」は杉山洋子さん、「妖精物語について」は猪熊葉子さん。最初杉山訳を2回読んでもピンと来なくて、違う訳の本も読めば、きっと頭の中で内容を補い合ってくれるだろうと思って猪熊訳を読んだんですが、訳文はどうも一長一短、結局猪熊訳も2回読み、最後には2冊並べて読み比べてしまいました...。まあ、それだけ読み返した甲斐があって、ようやく頭に入ったんですが。(そこまでしなくちゃ入ってこない頭ってば)

やっぱりメインは「妖精物語について」でしょう。字が読めるようになって以来、妖精物語を愛してきたというトールキン。妖精物語を「子供っぽくてばかげている」「子供用の話だ」と一段低く見ようとする動きに対して繰り広げている、一種の擁護論ですね。妖精物語とは何なのか、その起源と効用とは何なのか、考察しています。これが発表されたのは、「ホビットの冒険」を刊行後、「指輪物語」を書いてる途中、でも壁にぶつかってる最中だったようで、なんだかムキになってるなあ、なんて感じる部分も。(笑)
特に印象に残ったのは、ファンタジーは本来文学に向いているという辺り。例えば絵画の場合だと、心に描いた不思議なイメージを視覚的に表現するのは簡単すぎるので、逆にばかげた作品や病的な作品が出来やすい。これが演劇になると、元々舞台上に「擬似魔術的な第二世界」を作り上げているので、「さらにファンタジーや魔術を持ち込むのは、まるでその内部にもうひとつ、第三の世界を作るようなもの」という理由で相性が悪い。その点、ファンタジーは、言葉で語られるのに向いているという話。映画についても書いてあれば良かったのに。でも、ディズニーは大嫌いだったようですが、映画化についてはやぶさかでなかったようですね。

お2人の訳はかなり違っていて、例えば神話や妖精物語を嘘だと言ったC.S.ルイスの言葉は、杉山訳は「銀の笛で嘘を奏でる」、猪熊訳は「銀(しろがね)のように美しいが嘘だ」。個人的には、日本語として硬すぎるように感じられる部分は多いものの、猪熊訳の方が好みです。(でもやっぱり硬いんだよね...)(ちくま文庫・評論社)


+既読のJ.R.R.トールキン作品の感想+
「農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集」J.R.R.トールキン
「妖精物語の国へ」「妖精物語について」J.R.R.トールキン
「シルマリルの物語」上下 J.R.R.トールキン
「ビルボの別れの歌」「指輪物語『中つ国』のうた」J.R.R.トールキン
「ブリスさん」「サンタ・クロースからの手紙」J.R.R.トールキン
「仔犬のローヴァーの冒険」J.R.R.トールキン
「ホビットの冒険」上下 J.R.R.トールキン
「指輪物語」J.R.R.トールキン
「サー・ガウェインと緑の騎士」J.R.R.トールキン
「終わらざりし物語」上下 J.R.R.トールキン

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カルヴィーノの「なぜ古典を読むのか」に引き続きの評論系。とは言っても、今回はファンタジーなので全然違うんですが、こちらも面白かったです。考えてみたら、こういう本って、今までほとんど読んだことがなかったんですよね。ゴチャゴチャにギッシリ詰め込まれた引き出しの中みたいになってた頭の中が、ちょっと整理されたような...。

この2冊を通して一番印象に残ったのは、博物館に関する話。恐竜や古代文明を求めて井辻さんが博物館めぐりをされていた時に気づいたのは、博物館という場所が、外界とは切り離された凝縮された場所だということ。最も古い時代の物は必ず最下階に展示され、そこから徐々に上昇するにつれて現代に近づいていき、出口には必ず土産物屋やカフェが置かれて「現実へのなだらかな再接続が準備されている」ということ。ああ、言われてみればそうかもしれないですね。そして目を転じてみると、テーマパークのアトラクションも、閉ざされた建物に入ることによって、短い死と再生を体験するもの。そうやって空間を創り出し、体験することこそがファンタジーの核であり、ファンタジー作品を支えているのはそういった空間なのではないか。それに気づいた時、井辻さんはファンタジーを「場所」や「空間」という隠れたコードから読み直すようになったのだそうです。
「ファンタジーの森から」には、「幻想文学」に連載されていたファンタジー論が収められているんですが、まだそれだけで1冊にするほどではなかったようで、歌人としての井辻さんの作品やエッセイも入ってます。井辻さんの短歌は初めて読んだんですが、こんな風に神話や古代世界を歌ってらしたとは... 素敵~。たとえば俵万智さんや穂村弘さんの口語短歌(って言うんですかね?)の存在は、何もなくても目に入ってくるけど、こういうのもあったんですね! もっと読んでみたいです。そして「ファンタジーの魔法空間」は、「ファンタジーの森から」に書かれた論を、もう一歩進めて整理した感じ。特に「家」について論じた章がすごいです。井辻さんは評論本を他にも何冊か書いてらして、これは比較的初期の2冊。次はもう少し新しいのを読んでみようと思ってます。「ファンタジーの魔法空間」もとてもいいのだけど、まだ途上のような、もっと綺麗に整理できる余地があるんじゃないかという気もするので。そして、どちらの本にもトールキンの「妖精物語について」についてかなり引き合いに出されていました。こちらも読まなくては~。

トールキンといえば、「指輪物語」における回想シーンと歌謡の多さ、そしてその役割に関する話が面白かったです。あらすじを聞いただけではそれほど楽しいとは思えない話が、なぜそれほど魅力的なのか。その理由として井辻さんが挙げているのは、「そこでは時間がその瞬間に生まれ、どの瞬間にも停止しうるような、立ち止まりうる相を備えていたからだ」ということ。確かに「指輪物語」には、最近のジェットコースター的作品にはない、ゆったりとした流れがあります。古い叙事詩や神話によく見られるような、時には本筋とは関係ない部分が延々と描かれている部分。怒涛のように展開して、見事に収束する話も面白いんだけど、そういうのは「ああ、面白かった」だけで終わってしまうことも多くて、忘れるのも早いんですよね。(全部ではないですが) でも「指輪物語」みたいな作品は、じっくりと自分のペースで読めるし、読み終わった後、何度でもイメージの中で反芻できるんです。それが1つの大きな違いとも言えそう。そうか、そういうゆったりとした、今の時空から切り離されたような部分も、私が「指輪物語」や古い神話、叙事詩に惹かれる大きな要素なんだな、と再発見なのでありました。...自分で気付けよって感じですが(^^;。(岩波書店・アトリエOCTA)


+既読の井辻朱美作品の感想+
「風街物語 完全版」井辻朱美
「エルガーノの歌」「パルメランの夢」井辻朱美
「幽霊屋敷のコトン」「トヴィウスの森の物語」井辻朱美
「ヘルメ・ハイネの水晶の塔」井辻朱美
「遙かよりくる飛行船」井辻朱美
「ファンタジーの森から」「ファンタジーの魔法空間」井辻朱美
「夢の仕掛け 私のファンタジーめぐり」井辻朱美
「魔法のほうき」井辻朱美
「ファンタジー万華鏡」井辻朱美

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「なぜ古典を読むのか」という問いの下に、カルヴィーノが定義した「古典」の14の定義。そしてホメロス「オデュッセイア」に始まり、オウィディウス、プリニウス、バルザックやトルストイ、ヘミングウェイ、ボルヘス、レーモン・クノーまで、30人ほどの作家とその著作を取り上げていきます。


まず古典に関する14の定義なんですが...
全部書くとさすがにマズいかなと思うので、特に印象に残ったものだけ抜粋。

1.古典とは、ふつう、人がそれについて、「いま、読み返しているのですが」とはいっても、「いま、読んでいるところです」とはあまりいわない本である。

これにはニヤリ。あ、でも「読んでいる」も「読み返している」も一緒だとカルヴィーノは書いてます。その理由も。

2.古典とは、読んでそれが好きになった人にとって、ひとつの豊かさとなる本だ。しかし、これを、よりよい条件で初めて味わう幸運にまだめぐりあっていない人間にとっても、おなじぐらい重要な資産だ。
3.古典とは、忘れられないものとしてはっきり記憶に残るときも、記憶の襞のなかで、集団に属する無意識、あるいは個人の無意識などという擬態をよそおって潜んでいるときも、これを読むものにとくべつな影響をおよぼす書物をいう。

要するに、若い時に古典を読んで十分理解できなかったとしても、その後ほとんど忘れてしまったとしても、知らないうちに自分の血肉となっているのが古典。だから「よりよい条件」とは言えないような若い時に読んでも大丈夫。だからといって、若い時に読んでいなくて、壮年または老年となった時に初めて読んでも、それは「比類ない愉しみ」をもたらすから、これまた大丈夫。

9.古典とは、人から聞いたりそれについて読んだりして、知りつくしているつもりになっていても、いざ自分で読んでみると、あたらしい、予期しなかった、それまでだれにも読まれたことのない作品に思える本である。

古典を読む時には、できるだけ原典だけを直接読むべきだ、というのは他の定義の所に書かれていたんですが、この定義にも当てはまるでしょうね。確かに、解説本や研究本によって妙な先入観が入ってしまうこともあるでしょうし、そういった本は原典以上に雄弁にはなり得ないかもしれないのですが... でも、たとえばその本に対して自分が理解しきれてないと思った時なんかに、色々な考え方について知りたくなってしまうことがあるのも事実。その場合は、先に原典を読んでいればオッケーでしょうか。(笑)
そしてこの定義のところに書かれていた「古典は義務とか尊敬とかのために読むものではなくて、好きで読むものだ」という言葉に、本当にただ「好き」だけで読んでいる私のようなへっぽこ読者は、大きく励まされるのでありました。(笑)


でもこの「なぜ古典を読むのか」ということだけで1冊書かれているのかと思いきや、最初の1章だけでした... あらら。
その後の文章は、主にある文学叢書の「まえがき」として書かれたものだそうなんですが、文体も違っているし、内容的にもちょっとバラバラな印象。しかもここで紹介されているのは、古い時代のいわゆる古典作品だけではなくて、「現代の古典」と言われるような、20世紀の作家の作品も結構入ってるんです。私は狭義の意味での古典作品について読みたかったので、ちょっと残念。でもカルヴィーノにとっての古典の定義の中に、「古代のものにせよ、近、現代のものにせよ、おなじ反響効果をもちながら、文化の継続性のなかで、すでにひとつの場を獲得したもの」という文章があるので、仕方ないですね。狭義の古典に拘らない人には、逆にブックガイドとして楽しめるんじゃないかと思います。私自身、もし今これほどまでに古典の気分になっていなければ、もっと楽しめたんじゃないかと。...うーん、今読んだのは、ちょっと勿体なかったかも。あ、もちろん、ホメロス~クセノポン~オウィディウス~プリニウス~アリオスト辺りは本当に面白かったし、興味深かったですけどね。(みすず書房)


+既読のイタロ・カルヴィーノ作品の感想+
「宿命の交わる城」イタロ・カルヴィーノ
「不在の騎士」イタロ・カルヴィーノ
「レ・コスミコミケ」イタロ・カルヴィーノ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「まっぷたつの子爵」「木のぼり男爵」イタロ・カルヴィーノ
「イタリア民話集」上下 カルヴィーノ
「魔法の庭」イタロ・カルヴィーノ
「見えない都市」イタロ・カルヴィーノ
「マルコヴァルドさんの四季」カルヴィーノ
「冬の夜ひとりの旅人が」イタロ・カルヴィーノ
「柔かい月」イタロ・カルヴィーノ
「カルヴィーノの文学講義」イタロ・カルヴィーノ
「パロマー」カルヴィーノ
「くもの巣の小道」イタロ・カルヴィーノ
「むずかしい愛」カルヴィーノ

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ジャンニ・ロダーリは、イタリアの児童文学作家。子供の頃に岩波少年文庫で買ってもらった「チポリーノの冒険」が、ロダーリの作品なんですよね。まだ祖母の家に置いてあるので、近いうちに再読しよう... なんて思っていたら、この本が! ついついこちらを先に読んでしまいました。
一見童話風の物語ばかり16編。でも、このピリリと効いた辛口のスパイスは、子供向けというよりもむしろ大人向けなんでしょうね。昔話を一捻りしたり、奇想天外のアイディアを楽しませてくれる作品ばかり。私が気に入ったのは、アルジェンティーナ広場の鉄柵を乗り越えると猫になってしまう表題作「猫とともに去りぬ」や、シンデレラを一捻りした「ヴィーナスグリーンの瞳のミス・スペースユニバース」。その他にも、ヴェネツィアが水没してしまうと聞いた時、ヴェネツィアから逃げようとするのではなく、いっそのこと魚になって環境に適応してしまおうとする「ヴェネツィアを救え あるいは 魚になるのがいちばんだ」や、マカロニウェスタンかと思いきや、カウボーイが持ち歩くのは拳銃ではなくピアノだった... と意表を突いてくれる「ピアノ・ビルと消えたかかし」など、アイディアが面白い作品が色々と。先日読んだばかりのエウリピデスの悲劇「アルケスティス」(感想)も、一捻りされた「三人の女神が紡ぐのは誰の糸?」になっていて、面白かったです。ほんと、この時に運命の女神たちが紡いでるのは、誰の糸だったんでしょう?(笑)
あとがきを読むと、ロダーリはかなり政治色の強い人だったみたい。確かに「チポリーノの冒険」も、外側こそ楽しい冒険物語なんだけど、結構政治的な匂いが強くて、風刺的だった覚えがあるので、あとがきを読んで納得。野菜と果物の国に横暴なレモン大公がいて、チポリーノ少年のお父さんが無実の罪で捕らえられちゃう、なんて話だったんですよね。ちなみにチポリーノとはたまねぎのこと、と岩波少年文庫のあとがきにありました。(←おお、小学校の頃に読んだっきりなのに、結構覚えてるもんだ) その後、作品に直接的な政治色が出ることはなくなったらしく、この作品にもそういうのは感じなかったけど、風刺は相変わらずたっぷりです。

光文社古典新訳文庫は、活字離れをとめるために、本当に面白い、いつの時代にも変わらない「本物」の古典作品を、読みやすい新訳で提供するというのがメインコンセプトのライン。(公式サイト) この「猫とともに去りぬ」は今回初邦訳だそうなんですが、同時刊行には、ドストエフスキーやらトゥルゲーネフやらシェイクスピアやらケストナーやら、錚々たる面々が並んでます。
たとえばケストナーだと、私はもう高橋健二さんの訳しか読みたくないし、そういう意味で手に取らない作品もあると思うんですが、まだ読んでない古典や、随分前に読んだっきりの作品に触れるには、いい機会かもしれないですね。(光文社古典新訳文庫)


+既読のジャンニ・ロダーリ作品の感想+
「猫とともに去りぬ」ロダーリ
「チポリーノの冒険」ジャンニ・ロダーリ
「うそつき国のジェルソミーノ」ジャンニ・ロダーリ
「パパの電話を待ちながら」ジャンニ・ロダーリ

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1冊目は、カポーティの若き日の紀行文の「ローカル・カラー」と、著名人について書いた「観察記録」。2冊目は、ソ連でオール黒人キャストのミュージカル「ポギーとベス」を上演することになったアメリカの劇団に随行した時の記録「詩神の声聞こゆ」と、京都でのマーロン・ブランド会見記「お山の大将」と、日本人の印象を書いた「文体ーーおよび日本人」。

うーん、とても感想が書きにくい...。どれも小説ではない、ってせいもないのでしょうけど、やっぱりそれも関係あるのかな。まず1冊目の「ローカル・カラー」や「観察記録」は、スケッチと呼ぶのが相応しいような文章。そして「詩神の声聞こゆ」は、カポーティが「初めて短篇喜劇風"ノンフィクション・ノヴェル"として構想した」という作品。
でも私がこの2冊のうちで一番好きなのは、そういう風に表題作となるような作品ではなくて、まずジャン・コクトーの紹介でフランス文学の大女流作家コレットに会った時のことを書いた「白バラ」でした。8ページほどの短い作品なんですが、最初は緊張していたカポーティが、一瞬にしてコレットという人物に魅せられ、その後も影響を受け続けたのが十二分に分かるような気がします。コレットの最後の言葉も印象的。それと、映画「サヨナラ」の撮影のために京都に来ていたマーロン・ブランドと会った時のことを書いた「お山の大将」も好き。ある人物を叙述する時、決してその人が満足するように描かなかったというカポーティですが、そういった人々の中でもっとも心を痛めたのがマーロン・ブランドだったのだそうです。でも、私はすごくいい文章だと思うんだけどな。成功者という位置には相応しくないほどの、強い感受性を持った青年像が浮かび上がってくるようです。

この2冊には、それぞれ「犬が吠える」という副題が付いていて、それはカポーティがアンドレ・ジッドに教えてもらったアラブの諺「犬は吠える、がキャラバンは進む」から来ているのだそうです。解説で青山南さんも書いてたけど、確かに犬は吠えるもの。それでもカポーティは、進み続けていたということなのでしょうね。(ハヤカワepi文庫)


+既読のトルーマン・カポーティ作品の感想+
「カメレオンのための音楽」トルーマン・カポーティ
「ローカル・カラー/観察記録」「詩神の声聞こゆ」トルーマン・カポーティ

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「風の王国」シリーズ7冊目。サイドストーリーの短編4編と、イラストを描いてらっしゃる増田メグミさんのまんが2編、全6編が収められています。

「小説+まんが」ということで、最初は読むのを躊躇っていて、結局8冊目の長編を先に読んじゃったんですけど、色々なサイド・ストーリーが読めて、結果的には面白かったです。まんがとは言っても以前から挿絵を描いてらっしゃる増田メグミさんの作品なので、違和感もなかったですし。本当はあまり小説とまんがを1冊の本にして欲しくはないのだけど。
今回面白かったのは、翠蘭と朱玉の出会いとなった「天河の水」と、吐蕃へ嫁ぐことが決まった翠蘭が後宮で過ごす日々を描いた「花の名前」。特に「花の名前」は、李世民(唐の太宗皇帝)の宮廷でのエピソードが描かれるだけに、中国歴史物好きとしては堪らないものがありました~。ここに登場する李世民の妃・楊妃は、隋の煬帝の娘。そして同じく登場する武才人は、後の則天武后(武則天)。後に皇位争いに巻き込まれて、謀反人として自殺させられた呉王李恪も登場するし、3代目高宗皇帝になる晋王李治まで! 後々のことを思うと、少し複雑な気持ちになっちゃうんですけどね。(コバルト文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「風の王国」1~4 毛利志生子
「風の王国 月神の爪」毛利志生子
「風の王国 河辺情話」毛利志生子
「風の王国 朱玉翠華伝」毛利志生子・増田メグミ
「風の王国 目容の毒」毛利志生子
「風の王国 花陰の鳥」毛利志生子
「風の王国 波斯の姫君」毛利志生子・増田メグミ
「風の王国 初冬の宴・金の鈴」毛利志生子
「風の王国 嵐の夜」上下 毛利志生子
「風の王国 星の宿る湖」毛利志生子

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