2006年11月 Archive

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ニューヨークの共同墓地・ヨークチェスターに19年もの間隠れ住んでいるジョナサン・レベック。ある時ぐでんぐでんに酔っ払ってここに迷い込んで以来、鴉に1日2回の食事を運んでもらいながら、ここに暮らしているのです。幽霊を見ることができるレベックは、死者の話し相手となって相手の気持ちを落ち着かせたり、一緒にチェスをしたり、本を朗読する毎日。そんなある日、新たにマイケル・モーガンという男が墓地に埋葬されます。

以前「最後のユニコーン」を読んだ時に(感想)、ちょろいもさんがこの「心地よく秘密めいたところ」もいいと伺って、読もうと思っていた本。もっと早く読むつもりだったのに、ずいぶん遅くなってしまいましたー。(それでも1年は経ってないからまだマシなのだ)
まるで神話の世界のような「最後のユニコーン」とは違って、とても現実に近い物語なのだけど、独特の雰囲気は共通してますね。あくまでも静か。墓地が舞台の物語なので当然といえば当然なんですが、本当に静かに淡々と進んでいきます。途中、マイケルの死は毒殺なのか自殺なのかといった興味はあるんですが、基本的にはそれほど起伏のない物語。ただ、舞台が墓地で、死と隣り合わせだけに、とても登場人物たちの言葉に哲学的な雰囲気があるんですよね。レベック氏がマイケルに語る「死」というもの、静かに記憶がなくなっていくそのイメージが素敵です。人生から逃げ出したレベック氏や、夫を失って以来時間が止まっているようなクラッパー夫人にとって、ここはまさに「心地よく秘密めいたところ」。ここにいることは、人生における執行猶予期間なんでしょうね。人生半ばで死んでしまい、死んだ自分と向き合う時間を持つことになったマイケルやローラにとっても同様。まさにそれぞれにとっての「死」と「再生」の物語なのでしょう。
そしてこの作品で印象に残るのが鴉! ボロニヤ・ソーセージやローストビーフ・サンドイッチの重さによろけ、時にはトラックの荷台で休みながらも、レベック氏に食べ物を届け続け、皮肉な言葉を吐き続ける鴉の姿がとても微笑ましくて良かったです♪ こんな話を読んだら、鴉に対するイメージが変わっちゃうな。(そういえば、ジョージ・マクドナルドの「リリス」でも鴉が印象的だったなあ)

この作品は、ピーター・S・ビーグルが19歳の時に書いたものだと知ってびっくり。19歳でこういう作品が書けるものなんですか! てっきり、既に人生を重ねて老成した時期の作品かと... 凄いなあ。良かったです。(創元推理文庫)


+既読のピーター・S・ビーグル作品の感想+
「最後のユニコーン」ピーター・S・ビーグル
「心地よく秘密めいたところ」ピーター・S・ビーグル

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小学校の時、児童文学の中でファンタジーに出会ったという荻原規子さんによる、ファンタジーにまつわるエッセイ。主に理論社のホームページに2年間連載されていたウェブエッセイを本にまとめたもの。

本を読んでいて、この作家さんとは子供の頃の読書体験がかなり共通してそうだな、と感じることは結構あるんですが(私の読み進め方が王道だったとも言うんですが)、荻原さんともかなり共通しているようで、しかもドイツタイプの思考型ファンタジーよりもイギリスタイプの感覚型ファンタジーが好きだというのも一緒なので、なかなか興味深く読めました。特に面白かったのは、アラン・ガーナーの「ふくろう模様の皿」が、へたなホラーよりもずっと怖いという話。これは私は未読なんですが、ケルト神話の気配がかなり濃厚だという作品。でも「神話が深みからひっぱり出してくるものは、理性では手におえない強制力をもち、かなり恐い」のだそうです。ファンタジーを書くには神話や伝承、昔話に親しんでいることが必須だけれども、一歩扱いを間違えると、書き手である個人を破壊しかねないほど強力なものなのだとか。「ふくろう模様の皿」の映像化にまつわるエピソードにはびっくり。この作品、読もう読もうと思いつつ、まだ読んでなかったんですよね。読まなくてはー。
あと興味深かったのは、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの作品について。「DWJ作品の最大の特徴は、多くの印象鮮やかな場面にもかかわらず、物語のてんまつを長く覚えていられないことではないだろうか」というのは、本当にその通り! 私も結構読んだんですけど、覚えてられるのは、せいぜいそれぞれの作品の印象程度。「ハウルの動く城」を観た時も、荻原さんと同じく、原作ではどうだったかどうしても思い出せなかったんです。そうか、私だけじゃなかったんですねー。DWJ作品が終盤になると決まって「わや」になるのは、荻原さん曰く、ストーリーの定石を知りすぎているから。よく知られている枠組みを使いながら、話の展開も人物設定もわざと外して見せる、というのを繰り返すから、読者は頭が混乱してきてしまうのだとか。なるほどー。まあ、単にどんでん返しが多すぎるとも言えそうですが...。(笑) でも原書で読むと、日本語で読むほど「わや」にはならないのだそうです。言葉遊びが多いから、日本語に訳してる時点で、だんだん変になってくるんですって。もしかしたら原書で読んだ方が、違和感を感じることもなく、すんなり楽しめるのかもしれないですねー。(理論社)


+既読の荻原規子作品の感想+
「ファンタジーのDNA」荻原規子
Livreに、これ以前の作品の感想があります)

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人の波に流されるままに地下鉄の改札を抜け、地上に出て初めて自分が九段坂にいることに気づいた鈴木小夜子。典型的な二日酔い症状で頭が割れそうに痛い小夜子は、自分の持っていたはずのポシェットが、いつの間にか2千万円の現金の入ったセミショルダーとなっているのに気づいて驚きます。現在の自分自身の全財産が丁度2千万円。キャッシュカードや保険証など全てを失くした代わりに、この2千万円を一気に使い切ってしまおうと考えた小夜子は、目についた美青年に声をかけるのですが...。

タイトルはとても爽やかなんですが、蓋を開けてみれば、人生に疲れた二日酔いの独身中年女性が迎え酒をしつつ、周囲に絡みつつ展開していく物語。いやー、酒臭い息がこちらまで漂ってきそうなほどでした...。でもこの展開はあれですね、どちらかといえば森奈津子シリーズのノリなのでは? あんな風にエロティックではないんですけど、そのまま森奈津子シリーズにしてしまった方が、あり得ない~って状況ももう少し楽しめたのではないかと...。丁度この鈴木小夜子も作家という設定ですしね。...ええと、謎も一応ありますが、小夜子が謎に思っているだけで、読者には謎でも何でもありません。どちらかといえばラブ・コメディかなあ...。(中央公論新社)


+既読の西澤保彦作品の感想+
「方舟は冬の国へ」西澤保彦
「生贄を抱く夜」西澤保彦
「腕貫探偵 市民サーヴィス課出張所事件簿」西澤保彦
「フェティッシュ」西澤保彦
「キス」西澤保彦
「春の魔法のおすそわけ」西澤保彦
「ソフトタッチ・オペレーション」西澤保彦
Livreに、これ以前の全作品の感想があります)

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地図にも一般の書物にもその名を記されていない、海辺の漁村・穏。そこには春夏秋冬の他に、冬が終わるとやってくる神季、あるいは雷季と呼ばれる、その名の通り雷の季節がありました。雷の季節には鬼が穏のあちらこちらを歩き回り、人を攫っていくと言われ、穏の町に暮らす賢也もまた、ある雷季にただ1人の肉親だった姉を失っていたのです。そんなある日、賢也は穏の広場で偶然出会った老女がきっかけで、自分が「風わいわい」という鳥のようなものにとり憑かれているのを知ることに。

以前読んだ「夜市」「風の古道」(感想)がものすごーく良かった恒川光太郎さんの2冊目。この作品の舞台となる穏は、見かけは普通の田舎の村。どこか懐かしく、でも独特の幻想的な雰囲気を持っていて、「風の古道」と繋がっているように感じさせる世界です。現実の世界の延長線上にありながら、でも普通にしていたらどうやっても手が届かないような、そんな感じ。謎めいた風わいわいの存在も独特で、賢也視点の前半はとても面白かったんですが...。
問題は後半。それまでずっと賢也視点で話が進んでたので、突然茜の視点が登場して戸惑ったし、その2つの視点がどんな風に繋がるのか期待感を煽るというよりは、話を失速させてしまったような印象。タダムネキに関しても唐突だったし...。終盤は、あれよあれよという間に、違う方向に行ってしまいました。なんでこんな風になっちゃったんだろう? なんだか、この物語としてあるべきラストではなく、作者が頭の中で作っておいたラストに向かって無理矢理展開させて、強引に終わらせてしまったような、そんな感じがしました。独特の幻想的な情景はとても良かっただけに、とても残念...。次の作品に期待します。(角川書店)


+既読の恒川光太郎作品の感想+
「夜市」恒川光太郎
「雷の季節の終わりに」恒川光太郎
「秋の牢獄」恒川光太郎

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裕福な家に飼われているヨークシャー・テリアのタピオラが、英雄になりたくて家出をする「タピオラの旅」、自分がいずれ死ぬことに気づいたタピオラが、巨大な原牛の大群が荒野を猛然と突進する夢を見たことがきっかけで、軍隊を作ることになる「タピオラの勇敢な連隊」の2編。

ヨークシャー・テリアのタピオラ、カナリアのリチャード、ネズミのエレミアなど、動物を擬人化した寓話。ハヤカワ文庫FTでも、特に入手しにくい本なので、どんな作品なのかと思ってたんですが...
動物物があまり得意ではないせいもあるんでしょうけど、タピオラには全然感情移入できないし、読みながら思いっきり苛々してしまいましたー。この作品が書かれた1938年は、第二次世界大戦勃発の前年ということもあり、そういった世相を色濃く反映した作品なんでしょうし、その当時に読めばきっともっと受ける印象が違っていたんだろうと思うんですが...。(ハヤカワ文庫FT)

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魔法の国ザンスシリーズの4作目と5作目。最初の3冊を読んだ時にすっかりおなかいっぱいになってしまって(感想)、これでオシマイにしておこうかななんて思ったんですが、読んでみたらやっぱり面白かった!
特に「魔法の通廊」の方は、読みながら何度も笑ってしまいました。これはザンスの外の魔法の存在しない世界(全部ひっくるめてマンダニアと呼ばれています)に行った王と女王が予定の1週間を過ぎても帰って来なくて、1作目の主人公ビンクの息子ドオアが探しに行く話。ドオアの魔法の力は、無生物と話す能力なんですよね。だからドオアがいると、石だの水だの壁だのが話し始めてとっても賑やか。たとえば、ドオアが城の堀の水に「知っていることを言え。でないと、この石をぶつけるぞ」と脅すと、水もおびえるんですけど、投げられそうになった石も「うへえ! こんなドロドロの汚水になんか、投げ込まないでくれ!」と言ってたり。(笑) 3巻の「ルーグナ城の秘密」もドオアが主人公で面白かったし、ドオアが主人公の話って実は結構好きかも。そしてこの4巻では、ザンスとマンダニアの地理的時間的繋がりが、初めて明らかになりました。これは色々冒険ができそうな設定ですねー。
5巻は、人喰い鬼のメリメリが7人の人外美女たちと旅をすることになる話。人喰い鬼なのに菜食主義者のメリメリは、気が優しくて力持ち。愛すべきキャラクターです。でも今回、知能(アイキュー)蔓の呪いですっかり賢くなってしまったり、魂の半分を取られて力が弱くなってしまったりと、アイデンティティの危機が! まあ、結末は想像がつくんですけど、意外と最後までじらして読ませてくれました。やっぱりこのシリーズは、もうちょっと読み進めよう。(ハヤカワ文庫FT)


+シリーズ既刊の感想+
「カメレオンの呪文 魔法の国ザンス1」ピアズ・アンソニイ
「カメレオンの呪文」「魔王の聖域」「ルーグナ城の秘密」ピアズ・アンソニイ
「魔法の通廊」「人喰い鬼の探索」ピアズ・アンソニイ
「夢馬の使命」「王女とドラゴン」ピアズ・アンソニイ

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「ハリー・ポッター」が大流行したことにより、1990年後半に大きく様変わりしたファンタジーの世界。かつて「かなわざる夢」を語るものであったファンタジーは、今や自由に現実と架空の世界を行き来し、「不可能」がなくなってきています。しかしそういった作品は、新しい何かを獲得している反面、古い何かを失っているはず... と、新旧ファンタジーの境を論じていく本です。

この中で一番面白かったのは、第1章「二つのネオ・ファンタジー」。ここで取り上げられるネオ・ファンタジー作品というのは、ハリー・ポッターシリーズと、ダイアナ・ウィン・ジョーンズによる諸作品。ハリー・ポッターの魔法のアイテムのバラエティとアイディアにも感心しつつ、DWJの作品のおもちゃ箱的感覚も楽しいとは思いつつ、どこか違和感も感じていて、実はあまり好きじゃなかったんですが、それが何なのか、自分ではよく分かってなかったんですよね。そういった部分をすっきりと理論整然と説明してくれていました。ものすごーく納得。やっぱり違和感には根拠があったんですねえ。
今回それらそれらの作品を読み解くに当たって井辻さんが注目したのは、ハリー・ポッターシリーズのダーズリー家における「ギャグマンガ的な2次元性」と、DWJ作品の持つ「奇妙に明るい平面性」。ハリー・ポッターシリーズでは、ハリーはダーズリー一家にかなりひどい扱いを受けていて、時々報復したりすると、それがまたすごいことになったりするんですが、これは普通のリアルな世界というより、マンガとして受け止めれば良かったようです。言ってみれば、トムとジェリーのドタバタ劇のようなもの。でも、ホグワーツという異次元世界は一応3次元的に描かれてるんですが、そのホグワーツですら、「マンガ的フラット化」を免れているわけではないとのこと。そしてDWJの作品は、奥行きの浅い背景の前で、登場人物たちが演技をしているようなもの。俳優たちも分かって演じているので、何事が起きても常に落ち着いているし、特別深刻にならないというのが特徴。そしてこの2つの作品に共通して、これまでのファンタジー作品と異なっているのは、「身体」に対するイメージ。複数の命があってリセットも効くという、まさにゲームのような感覚、だそうです。
いやー、確かにその通りですね。ファンタジー作品は、現実にはあり得ないことを描いているからこそ、何でもアリにはして欲しくはないんですが、今どきのファンタジーって、もちろん全部が全部そうではないですけど、ほんと何でもアリなんですもん...。でも井辻さん曰く、それは別に悪いことでも何でもなくて、現実世界の人間自身が、テクノロジーの進化によって、かつては夢でしかなかった「何でもアリ」の状態を手にし始めているからなのだそうです。

それ以外にも色んな観点からファンタジー作品を考察してるんですけど、5章「ハイ・ファンタジーの企み」で、「十二国記」を論じてるのも面白かったです。女性や年少者という弱い存在がパワーゲームに参加するために、彼らを弱者たらしめている条件を巧妙に取り除き、仕掛けを施しているとか...。なるほどねえ。面白いなあ。(研究社)


+既読の井辻朱美作品の感想+
「風街物語 完全版」井辻朱美
「エルガーノの歌」「パルメランの夢」井辻朱美
「幽霊屋敷のコトン」「トヴィウスの森の物語」井辻朱美
「ヘルメ・ハイネの水晶の塔」井辻朱美
「遙かよりくる飛行船」井辻朱美
「ファンタジーの森から」「ファンタジーの魔法空間」井辻朱美
「夢の仕掛け 私のファンタジーめぐり」井辻朱美
「魔法のほうき」井辻朱美
「ファンタジー万華鏡」井辻朱美

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Note


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