2008年1月 Archive

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三日月屋は、つるばら村でただ1つのパン屋さん。宅配専門で、まだお店はないのですが、注文を受けるとパン職人のくるみさんがパンを焼いて、どこへでも届けます。元々町のパン屋さんで働いていたくるみさんは、2月もそろそろ終わる頃におばあさんの家だった古い農家に引っ越して来て、中古のオーブンと調理用の大きなテーブルを入れて試作を繰り返し、春になった頃にようやく「三日月屋」を開いたのです。しかし沢山の注文があったのは、最初の1週間だけ。しばらく経つと、お店の存在はまるで忘れられてしまったかのようになり... という「つるばら村のパン屋さん」とその続編2作。

つるばら村のシリーズの最初の3冊。どれもパン屋の三日月屋のくるみさんが主人公です。以前にも何冊か読んだことがあるんですけど、どれを読んだのか分からなくなってしまって(汗)、結局全部読み返すことに...。
「つるばら村のパン屋さん」ではまだお店を持ってないくるみさんですが、「つるばら村の三日月屋さん」では駅前に赤い屋根の小さなお店をオープン。そして「つるばら村のくるみさん」では、なんとライバルと恋のお相手が登場?という展開。くるみさんの恋には、正直あまり興味がないのだけど(あれれ)、このシリーズ、とにかく美味しそうなんです。読んでいるだけで、おなかがすいてしまうし、無性にパンが食べたくなってしまう~。お客さんも人間だけじゃないんですよね。たとえばクマの注文は、生地にタンポポのはちみつを入れることと、生地をこねたり寝かせたりする時に蓄音機でレコードをかけておくこと。そのほかにも、十五夜の月の光を入れて欲しいとかいうのもあったし...。材料を持参して、これを入れたパンを焼いて欲しいという注文も多いですね。時には、パンの香りに誘われて遥か彼方の空の上からのお客さまもあったりして。でも焼きたてのパンのあの香りを思うと、そういうこともあるかもしれないなあ、なんて思っちゃう。中村悦子さんの挿絵もとっても柔らかい優しい雰囲気で素敵です。(講談社)


+シリーズ既刊の感想+
「つるばら村のパン屋さん」「つるばら村の三日月屋さん」「つるばら村のくるみさん」茂市久美子
「つるばら村の家具屋さん」「つるばら村のはちみつ屋さん」「つるばら村の理容師さん」茂市久美子

+既読の茂市久美子作品の感想+
「こもれび村のあんぺい先生」「にこりん村のふしぎな郵便」「トチノキ村の雑貨屋さん」「ゆうすげ村の小さな旅館」茂市久美子
「風の誘い」茂市久美子

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カッスルは、イギリス情報部に入って30年以上経つベテラン情報員。現在は6課でアフリカ担当として、さほど重要とも思えない極秘電報の暗号を解読したり、逆にこちらから電報を送ったりする日々。かつて南アフリカに勤務していた時に知り合った黒人女性のセイラと結婚し、その息子サムと3人で郊外での生活を送っています。しかしその6課から情報が漏洩していることが発覚。6Aにいるのは課長のワトスンとカッスル、そして40代で働き盛りのデイヴィスのみ。調査の結果ワトスンとカッスルは嫌疑を免れ、デイヴィスが疑われることに。独身でジャガーを乗り回し、年代物のポートワインに目がなく、賭け事もするデイヴィスは、調査をした丁度その日の昼食時にも報告書を持ち出そうとしていたのです。

あまりピンと来ないままに、ハヤカワepi文庫に入っている作品を読み続けていたグレアム・グリーン。著者紹介には「イギリスを代表する作家であるとともに、20世紀のもっとも偉大な作家のひとり」とされてるんですけど... いえ、決して悪くはないんですけど、どこかピンと来なかったんですよね。それはもちろん読み手である私が未熟なせいなんでしょうけど。でもこの作品は面白かった!
この作品は、紛れもないスパイ小説ではあるんですけど、私がこれまでに読んだスパイ小説とは雰囲気が全然違いました。スパイ小説といえば普通、東西の駆け引きあり、裏切りあり、恋愛あり、派手なアクションありの、もっと手に汗を握るサスペンスで、ページターナーって感じの作品が多いと思うんですが、この作品は何ていうか、ものすごく静かなんです。イギリスの冬空のようなイメージ。実際、ジェームズ・ボンドシリーズが作中で何度か皮肉られていたりなんかして。
スパイ物というよりも、ずっしりと重い人間ドラマ。最後に明かされる真相も皮肉です。実際にグレアム・グリーンが第二次大戦中にイギリス情報部の仕事をしていたということもこの作品にリアリティを与えているんでしょうけど... それ以上に、ふとした拍子に垣間見えるキリスト教的な部分が作品に深みを出しているのかも。いやあ、良かったです。(ハヤカワepi文庫)


+既読のグレアム・グリーン作品の感想+
「第三の男」グレアム・グリーン
「おとなしいアメリカ人」グレアム・グリーン
「負けた者がみな貰う」グレアム・グリーン
「権力と栄光」グレアム・グリーン
「事件の核心」「二十一の短篇」グレアム・グリーン
「ブライトン・ロック」グレアム・グリーン
「ヒューマン・ファクター」グレアム・グリーン

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ハイベリー村のハートフィールド屋敷に住む21歳のエマは、父親のウッドハウス氏と2人暮らし。ウッドハウス家はハイベリー村一番の名家で、そこのお嬢様のエマは美人で頭が良くて性格も良くて、しかもお金持ち。しかし最近、16年間ウッドハウス家に住み込んで家庭教師を勤め、エマの姉のような存在だったミス・テイラーがウェストン氏と結婚して家を出てしまい、父親ともども、ちょっぴり寂しい日々を送っていました。そんなある日、エマは1年前にハイベリー村の牧師となったエルトン氏の縁結びをしようと思いつきます。エルトン氏は美男子で、しかも好青年。そもそもミス・テイラーとウェストン氏のことも、エマが仲を取り持ったようなもの。エマは自分が結婚する気のない代わりに、人の縁結びをするのが大好きだったのです。エマはエルトン氏の相手として、近くの寄宿学校に預けられている17歳のハリエットに白羽の矢を当てることに。

「自負と偏見」(感想)を読んで以来の、ジェイン・オースティン作品。この「自負と偏見」もとても面白かったし、カレン・ジョイ・ファウラーの「ジェイン・オースティンの読書会」を読んだ時も(感想)、他のオースティン作品を読みたいと思ったはずなのに、結局そのまま...。いやあ、ようやく読めました! これも「自負と偏見」と同じように田舎の町を舞台にした物語。

主人公のエマは、人も羨む恵まれたお嬢様。でも傍目には欠点なんてまるでなさそうなエマも、まだ21歳。まだまだ世間も人生も知ってるとは言えません。何でも自分の思った通りに物事が進むと思い込んでるんですが、そうそううまくはいかないんですね。(彼女には身分至上主義な面もあるんだけど... これはこの時代ならではのものだから、仕方ないのかな)
本来頭がいいはずのエマも、この作品では他人の気持ちを早とちりしたり勘違いしたり、全然いいところなし。そのままいけば幸せになったはずのハリエットの結婚話をつぶして、彼女の気持ちを牧師のエルトン氏に向けたかと思えば、エルトン氏は実はハリエットなんて眼中になかったことが判明する始末。その後もエマの勘違いとはた迷惑な思い込みは続きます。この辺り、ジェイン・オースティンの書き方にあんまり容赦がないので、可笑しいながらも気の毒になってしまうほどなんですが... でもエマは自分の失敗をきちんと認めて、迷惑をかけた相手に謝ることのできる素直なお嬢さんだから、読んでて憎めないんですよね。困ったちゃんのはずなのに、可愛いんです。それに今の時代にもいかにもいそうな嫌らし~い人たちも登場したりなんかして... いやあ、楽しかったです。「自負と偏見」同様、全然古さを感じさせなくて、いい意味でのクラシックさを感じられる作品でした~。(ちくま文庫)


+既読のジェイン・オースティン作品の感想+
「自負と偏見」オースチン
「エマ」上下 ジェイン・オースティン
「分別と多感」ジェイン・オースティン
「マンスフィールド・パーク」ジェイン・オースティン
「ジェイン・オースティンの手紙」ジェイン・オースティン
「説きふせられて」ジェーン・オースティン
「ノーサンガー・アベイ」ジェーン・オースティン

+既読のジェイン・オースティン関連作品の感想+
「ジェイン・オースティンの読書会」カレン・ジョイ・ファウラー

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小学校2年生のヨアキムは、パパとママの3人暮らし。神経を病んでいるパパは、一旦は中学の教師として仕事に出るものの調子が悪くて3日で行けなくなり、今はずっと家にいて、洋品店で働いているママが帰ってくるまでに家事をしておく約束。しかしその日ヨアキムが帰ってみると、家には誰もいなかったのです。あまり遠くに行かない時にはく木靴と、ずっと遠くまで行く時に着るウィンドヤッケがなくなっており、一体どこを探したらいいのか分からないヨアキムは、とりあえず近くの公園にパパを探しに行くことに。

ヨアキムの両親は大学の時に子供ができて結婚。最初は夫が卒業して仕事についたら、妻が復学して中断していた保母の資格を取る予定だったんですが、精神的に不安定な夫が働けないせいで、妻は安月給のキツイ仕事をやめられないんですね。でも毎日の仕事に疲れ切って帰ってきても、夫は何もしておいてくれないんです。晩御飯はおろか、流しは汚れた皿でいっぱいで、もう新しい皿なんて1枚もないし。
そんな大人2人の不安定さが伝染していて、ヨアキムもすっかり精神的に不安定。周囲のいじめっ子たちの標的にならないように立ち回るだけで必死なのに、自分の住んでるアパートの隣人は、魔女に殺人鬼に謎の妖精たち。しかも家の中にも鳥たちの幻影が...。隣人がどうこういうのは、近所の女の子が言ったことをヨアキムが信じてしまっただけなんですけど、古い洋服ダンスから夜の鳥たちが出てきてヨアキムに襲い掛かるという幻影はあまりにリアル。この鳥たちの幻影に、両親がいかに繊細なヨアキムを精神的に追い詰めているかが分かるようです。実際には、両親ともヨアキムを愛してるんですけどね。
この作品は、ヨアキムの視点からだけでなく、怖くて仕方がないという父親の気持ち、日々のやりきれない気持ちを持て余している母親の気持ちからも作品を読むことができるんですが、結局のところ、大人になりきれていなかったのに親になってしまって、その自覚をいつまでも持つことのできなかった父親が一番の問題かと。しっかりした妻の存在も彼を追い詰めてるのは分かるんですけど、「もう、何甘いこと言ってるのよ!」と何度言いたくなったことか。ほんとヨアキムが可哀相。身近な大人の事情に、なすすべもなく影響されてしまってるんですから。

でもその続編「ヨアキム」では物事が大きく動いて、ヨアキムも大きく成長することになります。相変わらず父親には腹が立つし、そもそもこの両親はもっと色んなことをきちんとヨアキムに説明するべきだと思うんですけどね。でもヨアキムも、前作みたいにいつまでも受身でばっかりいるわけではなく。きちんと自分の感情を表現できるようになったヨアキムが少しずつ頼もしくなっていくのが、すごく素敵です。(河出書房新社)

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イラン人なら誰でもその一節を暗誦することができる、と言われているほどイランの人々に愛されているという、11世紀の詩人・フェルドウスィーによるペルシャ英雄叙事詩「王書」から英雄サームの子・ザールの物語、そして12世紀の詩人・ニザーミーによる「ホスローとシーリーン」「ライラとマジュヌーン」「七王妃物語」といった作品が、美しいミニアチュールと共に紹介されている本です。

去年、日常&読んだ本log のつなさんに教えて頂いた本です。(記事) 去年はギリシャ物やケルト物を中心に読もうと思っていて、まだペルシャ物に関しては暴走しないように自粛気味だったんですが、今年はこの辺りの本も積極的に読む予定~♪ 「王書」だけは、既に岩波文庫で読んでるんですけどね。(感想

「王書」は、10世紀中頃にイラン北東部の地主の家に生まれたフェルドウスィーが、それまでに残されていたイラン王朝の歴史や伝説、神話を集めてイラン民族の書を著わそうとしたもの。ニザーミーによる3作品は、12世紀にイラン北東部の寒村で生まれたニザーミーが、「王書」よりももっと艶麗なロマンスを求める人々に応じて「ガンジャの錦」とも呼ばれる作品群を作り上げたもの。彼らの物語の本には挿絵がつけられて、有名な箇所は絵看板や壁画にまで描かれて、人々に愛されたのだそうです。とは言っても、本来なら偶像崇拝を禁じるイスラムの世界。植物主体の装飾文様しか認められてないし、発展する余地もなかったはずなんですよね。先日読んだ新藤悦子さんの「青いチューリップ」には、トルコよりもペルシャの方がその辺りに寛容だったように書かれていたんですが、それでもやっぱりあんまり大っぴらにってわけにはいかなかったはず。公の場以外のところでは結構盛んに描かれたようですが、全能の神を冒涜することのないよう、あらゆるものに遠近法を廃して、陰影をつけないように描かれたんだそうです。ええと、陰影がなければいいという理論は、私にはイマイチ分からないんですが...(笑) どこか中国の絵を思わせるような平板な絵ながらも(実際、こういったミニアチュールは中国からトルコに伝えられた画法から発展したようです)、緻密に描きこまれた絵はとても装飾的で美しい!
物語はどれも重要な部分だけが取り上げられて、かなり簡単なものとなっているので、ちょっと物足りない面もあるんですが、これからペルシャの雰囲気を味わってみたいという人にぴったりかと♪
さて、今度はそれぞれの作品の東洋文庫から出てる版を借りてこようっと。(平凡社)


+既読のニザーミー作品の感想+
「ペルシアの四つの物語」岡田恵美子編訳
「ホスローとシーリーン」ニザーミー
「ライラとマジュヌーン」ニザーミー

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2008年度最初のたら本に参加します。今回のたらいまわしの主催は、ソラノアオ。の天藍さんです。
お題は、「私家版・ポケットの名言」。
面白いお題ですね! ただ、私の脳みそはザルなので、そういう記憶はすぐに流れていってしまうのだけど...。今回も「あれってどこに載ってた言葉だっけ?」と何度思ったことか。正確な文章はもちろんのこと、何がどの本に書かれていたのかもさっぱり。いや、たとえどの本に書かれていたか思い出したとしても、果たしてどの場面での言葉だったのか思い出せるかどうか謎なのですが。(汗)

人のこころは不思議なもので、ただ一言に救われることもあれば、ただ一行の言葉にずっと囚われ続けることもある。それは残酷な真実だったり優しい嘘だったり、あるいは何の気なしに漏らされた一言だったりもする。
そういった「ことば」は勿論、話し言葉に限らなくて、汲めども尽きぬ本の海には、それこそこの手に掬いきれないほどの言葉たちがたゆたっているはずです。
本の海から掬い上げた、「打ちのめされた」一言、「これがあったからこの本を最後まで読み通した」という一行、心震えた名文・名訳、名言・迷言・名台詞、必読の一章...、そういった「名言」をご紹介くださったらと思います。
なんでしたら、「今年の自分テーマはこの本」とかでもokです(・▽・;

この企画に興味をもたれた方は、左上の「たら本」アイコンをクリック!
初めての方も大歓迎です。どうぞお気軽に参加なさって下さいね

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1542年。父のカワと一緒に羊を連れて山の上の草原に来ていた7歳のネフィが出会ったのは、バロという男。人に追われて3日3晩飲まず食わずで歩いてきたというバロは、食料と水をもらったお礼に、遥か西にあるオスマンの国の都イスタンブルの話を物語ります。それは、スルタン・スレイマンがぞっこん惚れ込んで1年前に正式な妃にしたフッレムが宮廷の新しいハレムの庭に青いチューリップを欲しがっているという話。そして何年も青いチューリップの研究をし続けているアーデム教授の話。青いチューリップは都では幻の花とされていました。しかし、カワやネフィの来るこの山では咲いているのです。突然行ってもスルタンには会ってもらえないと考えたカワとネフィは、青いチューリップの球根を持ってアーデム教授に会いに行くことに。

トルコに造詣の深い新藤悦子さん初の児童書という作品。読んでみると夢枕獏さんのシナン(感想)とかなり時代的に重なっててびっくり。背景は16世紀のスレイマン1世の時代。シナンはもう既に建築家頭となっていて、アヤソフィアを凌ぐモスクを建築させようとしていた頃の話です。まあ、この時代がトルコにとって黄金時代だから当たり前といえば当たり前なんでしょうけどねー。それにスレイマン1世もシナンも名前しか登場しないんですけどね。あ、でも、「青いチューリップ、永遠に」の方にはスレイマン妃のロクセラーヌが登場していました。(この作品ではフッレム妃という名前) そしてイブラヒム大宰相とのエピソードも。

その後のヨーロッパでのチューリップ狂時代を予感させるようなストーリーを下敷きに、都に出てきた羊飼いの少年・ネフィの成長や、絵師に憧れるアーデム教授の娘・ラーレの話などが展開。面白かったんだけど、描きたいことがちょっと多すぎたかも、という印象も...。これだけ詰め込んだにしてはよく整理されていると言えるんでしょうけど、もうちょっと絵のことに焦点絞っても良かった気もします。絵師頭の一番弟子・メフメットの葛藤とか、もっとじっくりと読みたかったし。でもこの辺りの話は本当に興味深いです。当時のトルコでは写実的な絵は基本的に禁止されていて、肖像画を描くこともできないし、花の絵を描くにもいちいち文様化しなくちゃいけないというのがあるんですが、見たままを描くのが好きなラーレは、それがどうしても納得できないんです。で、宮廷の絵師頭をしている祖父に尋ねるんですね。その時の答が「文様にだって生命(いのち)がある。目に映るものを、一度殺して、新たな生命を吹き込む、それが文様というものじゃ」という言葉。これがとっても印象的でした。
そして「青いチューリップ、永遠に」は、それから1年後の話。こちらの方が新藤悦子さんの肩からも力が抜けたのか、話の中心がはっきりしていて読みやすいです。波乱万丈という意味では少し控えめになってるし、1作で勝負という感じだった前作に比べて、良くも悪くもシリーズ物になっちゃってるんですけどね。中心となっているのは、相変わらず絵師に憧れているラーレと、印刷された本を初めて目にして、宝石のような本よりも、人々が手に取りやすい薬草帳を作りたいと考えたネフィが中心。ラーレは描いた絵が認められて、女絵師としてちやほやされるようになるんですが、そこで気づかされるのは、「生きている」ことと「生かされている」ことの違い。籠の中の鳥よりも空を飛ぶ鳥の方が、のびのびと歌うということ。いくら華やかで美しい世界だろうと、閉ざされた世界にいるよりも外の自由な空気の方が大切だということ。となると、ラーレを巡る青年たちの中では、型破りなネフィがいかにも魅力的に映るわけで...。ライバルのメフメットにももう少し見せ場を作ってあげて欲しいなー。(講談社)


+既読の新藤悦子作品の感想+
「空とぶじゅうたん」1・2 新藤悦子・こみねゆら
「青いチューリップ」「青いチューリップ、永遠に」新藤悦子
「エツコとハリメ」新藤悦子
「トルコ 風の旅」「イスタンブールの目」新藤悦子
「時をわたるキャラバン」新藤悦子
「羊飼いの口笛が聴こえる」新藤悦子
「チャドルの下から見たホメイニの国」新藤悦子

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