2009年1月 Archive

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体調を崩していたにもかかわらず、アイオワ・シティで行われるIWP(International Writing Program)という長期プログラムに参加した水村美苗さん。そのプログラムに参加している作家は総勢20名以上。日本人は水村美苗さんのみで、中国、韓国、ヴェトナム、ビルマ、モンゴル、ボツワナ、イスラエル、ポーランド、ルーマニア、ハンガリー、ウクライナ、リトアニア、ボスニア、イギリス、アイルランド、ドイツ、ノルウェー、チリ、アルゼンチンの詩人や小説家という多彩な顔ぶれとなります。そしてこの時水村美苗さんは、地球のありとあらゆるところで、金持ちの国でも貧乏人の国でも様々な政治状況のもとで、様々な言語によって人は書いている、と実感することに。

日本語と日本語の文学に対する危機感について論じる作品。「日本文学が「文学」という名に値したころの日本語さえもっと読まれていたらと、絶望と諦念が錯綜するなかで、ため息まじりに思っている人たちに向けて書かれているのである」として、「普遍語」「現地語」「国語」の3つの概念から言語について考えていきます。
まず、この「普遍語」「現地語」「国語」の概念が面白いんです。それに日本語における漢字・ひらがな・カタカナのことについても漠然としか知らなかったので、すごく興味深く読みました。漢文の返り点って、平安時代からつけられていたんですね! 漢文を読みやすくするために、平安時代の人々は漢文の横に返り点をつけ、助詞や語尾を書き添えるようになったのだとか。最初は漢字をそのための表音文字として使ってたそうなんですけど(真仮名)、やがてその文字が省略されカタカナとひらがなが生まれることになったのだそう。その頃の日本における「普遍語」は漢文。
でも、かつてはギリシャ語やラテン語、その他聖典や教義書を書く言葉だった「普遍語」が長い年月を経た今、英語の一人勝ちになってるというんですね。

多少冗長に感じられた部分もあったし、近代日本文学に対する個人的な感傷も感じたし、最終的な結論も少し急ぎすぎているような気がします。それでも1章のアイオワ大学での話、パリでの講演から続いて自然に展開していく論はとても面白かったし、興味深く読みました。ただ、確かに1人1人が日本語を大切にしていかないと日本語の存続も危ぶまれる状況にはなるのかもしれないし、既に「美しい日本語」が失われつつあるというのは日々感じてるのだけど、やっぱり日本語とその文学が亡びることはないと思いますね。たとえ全てが英語に置き換えられてしまっても、ギリシャ・ローマ文学といった過去の言葉で書かれた文学を読み、その原典を参考にする人間は決していなくならないのとは同じように。そもそも第1章で、自分の言葉で書き続けている作家たちのエピソードがあったではないですか。もちろん、そのためにはそれぞれが意識を持つことがとても重要なのだけど。

「私小説From Left to Right」を唯一訳すことのできない言語は英語... ほんとだ、確かにその通りですね! いや、これは盲点でした。(笑)(筑摩書房)


+既読の水村美苗作品の感想+
「本格小説」上下 水村美苗
「私小説 from left to right」水村美苗
「手紙、栞を添えて」辻邦生・水村美苗
「明暗」夏目漱石・「続明暗」水村美苗
「日本語が亡びるとき」水村美苗

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町が大きくなるにつれ、貨物駅では山のような荷箱や石炭、牛や豚をさばききれなくなり、正面の空き地に国中で一番大きなクレーンがすえつけられることになります。そしてクレーン係となったのは、工事中からクレーンにほれこんでしまった1人の若者でした。

夏の日も冬の日も、晴れの日も雨の日も荷物を積み替えし続けるクレーン男。その仕事が楽しくて仕方なくて、誰にも譲りたくないんですね。水が欲しければつかみ機で川からくみ上げるし、必要なものはトラックの運転手たちが買って来てくれるし、親友のレクトロも毎日会いに来てくれるし、髪が伸びればレクトロのお兄さんが刈ってくれるし、日曜になれば娘たちがクレーンの周りで踊るし、全然寂しくなんてないんです。でも戦争が始まって状況は一変します。突然1人ぼっちになってしまうクレーン男。
平和な頃に楽しい夢にふけってるレクトロの絵があんまり幸せそうなもんで(レクトロの絵はどれも表情がいい!)、その後の状況がとてもツライのですが... でもそんな中でも素敵な情景がいくつかありました。クリスマスとかね。これは本当に素敵。モノクロの絵なのが信じられないぐらい色を感じます。そしてその後で、1羽のワシと友達になるんですが、このワシとクレーン男がただ一度仲たがいした時の哀しいことったら。
物語の終わりとクレーン男の最後の言葉は、美しいながらも寂しくて胸が詰まりそうになりました。でもやっぱりとっても素敵です。もちろん矢川澄子さんの訳も♪(パロル舎)


+既読のライナー・チムニク作品の感想+
「タイコたたきの夢」ライナー・チムニク
「クレーン男」ライナー・チムニク

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インド政府の官僚だった「わたし」は年齢を重ねるにつれて俗世を離れたいと強く思うようになり、妻を亡くした後、ナルマダ河のほとりに建つ政府関係の保養所に管理人として赴任。ナルマダ河はヒンドゥー教徒にとって最も聖なる巡礼地の1つで、シヴァ神の娘として尊敬を集めており、「わたし」も常々この河に惹かれていたのです。「わたし」の住むコテージの石のテラスからは、遥か下を滔々と流れるナルマダ河を望むことができ、私は毎日夜明け前に起きだしてテラスに座り、400キロ東のナルマダ河の水源に顔を向け、河を眺めては内省に耽ることに。

保養所の周りにはうっそうとしたジャングルが広がっていて、わずか19キロ先のルードラの町が見えないほど。1.5キロもの幅のナルマダ河の向こう岸には目の届く限りの沃野が広がり、隣の尾根の向こうには16世紀イスラーム神秘主義の聖人・アミール・ルミの墓に隣接しているムスリムの村があり、主人公は毎朝そこにいる賢者・タリク・ミアを訪ねてチェスをするのが日課。そしてナルマダ河の曲がり目にはマハデオの寺院群が見えます。このマハデオの寺院群は、日没時に石のテラスから眺めていると多くの巡礼者たちが茜色の夕空に影絵のように浮かび上がるし、黄昏になるとその辺りの水面は小さな炎で揺らぎ始めるんですね。それだけでも情景が雄大に、そして色鮮やかに浮かび上がってきます。
その穏やかな日々にふと侵入してくるのが、主人公の周りに現れる人々が持ち込む様々な物語なんです。これが面白かった...! 7つの物語があるんですけど、それぞれにインドならではですねー。いや、すごい迫力がありました。それは、苦行中のシヴァ神から流れ出た汗が美しく官能的な女の姿をとって、あまたの苦行者たちの欲情に火をつけたと言われるナルマダ河そのもののような物語。それぞれに愛の喜びや苦しみ、欲望が渦巻き、そして悟りへの道があります。
色々と深いレベルで感じるものがあるんですが、言葉にするのは難しいですね。でも途中とても印象に残った言葉を2つ。これは町から保養所に通って雑用をこなしてるミスター・チャグラの言葉。

ですが、サー、欲望がなければ生はありませんよ。何もかもが動きを止めてしまいます。無になってしまいます。それどころか死んでしまうのですよ。

何ひとつ失われてはいませんよ、サー。それが河の眺めの美しさというものです。
...インドってほんと果てしないほど広くて、果てしない深さがあるんでしょうね。一度は体験してみたいけど、自分がそれを受け入れる器の大きさを持ってるかどうかはまた別問題だな。(ランダムハウス講談社文庫)
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貧しい牧師の家に育ったルシアン・テイラー。学校の休みの期間に牧師館の近隣の見晴らしのいい場所を見つけようと歩き回り、空の凄まじい赤光に目を奪われ、人の通らなくなった暗い小径を歩き回り、ローマ人が大昔に作った砦を眺めます。書物が好きで、様々な文学を読んで成長したルシアンは、やがて円い小山の秘密や秘境の谷の魔法、葉の落ちつくした林の中を赤い渦を巻いて流れる小川の音などを英語の散文に移し変えたいと、少しずつ書き始めることに。

「空にはあたかも大きな溶鉱炉の扉をあけたときのような、すさまじい赤光があった」という文章から始まる物語。その「赤い光」は作中に時々登場し、最後の最後までとても印象に残ります。
これはアーサー・マッケンの自伝的作品なんでしょうね。文学少年のルシアンが、自分の家の周辺の景色の美しさに気づき、その感動を文字に書き留めようとします。出版社に送った原稿は結局盗作されてしまうのですが、それでも書き続けるルシアン。ルシアンの持っている理想は現実から乖離してるし、ルシアン自身がルシアンの幻想の世界に生きているようで、ものすごく現実感がないんです。これは結局、現実と理想のあまりのギャップの大きさにルシアン自身が耐え切れなかった、ということなのかしら。ルシアンの書く言葉、そして作り出す文学はその橋渡しになるものというよりも、幻想を支える土台のようなものだし... 現実と向き合うための盾のようなものですね。そして読んでいる私も徐々に現実感を失ってしまうことに...。
場面場面の描写はとても印象に残ってるんですが、でもそれが頭の中で1つの流れとはならなくて、バラバラに存在してるみたいな感じなんです。今ひとつ掴みきれなかったのが残念なんですが、なんだか不思議な作品だったなあ。

作家の朝松健さんのこのお名前ってアーサー・マッケンからなんですかね?(創元推理文庫)

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市街の中心地に深く入り込んだところにあるアミール・ナトハ横丁。そこに住む若く美しい寡婦・ビセサは、ある日イギリス人のトレジャゴがまぐさに躓いて転ぶのを見て、窓の奥で笑い声をあげます。咄嗟に「千夜一夜」の「ハル・ダイアルの恋歌」を歌い出すトレジャゴ。小さな声ながらもその歌を見事に歌い継ぐビセサ。そして翌日、トレジャゴに謎めいた包みが届くのです。それはビセサからの謎かけ。トレジャゴはその夜ビセサのもとに赴き、2人は愛し合うようになるのですが... という「領分を越えて」他、全9編の短篇集。

常にインドが背景に存在するキプリングの作品。そしてそのインドの深みが結構怖いんですよね。以前読んだ「獣の印」(感想)も結構怖かったし、上にあらすじを書いた「領分を越えて」も強烈な作品です。義兄にそこまでする権利があるのか? いや、インドではあるのか...? なんて思いつつ。あと「モロウビー・ジュークスの不思議な旅」も、キプリングならではのインドですね。インドの奥の深い迷宮のような部分がとても印象に残ります。

私が気に入った作品は「めえー、めえー、黒い羊さん」。これは、キプリング自身の幼い頃を描いた自伝的な作品なのだそう。「黒い羊」というのは厄介者という意味ですね。There's a black sheep in every flock... どこにでも厄介者はいる、みたいな意味のことわざ。両親と一時的に別れて暮らすことになった幼いパンチとその妹・ジュディなんですが、引き取られた家でパンチは文字通り「黒い羊」となってしまいます。ジュディはみんなに気に入られるのに、パンチ1人ローザ叔母さんとその息子ハリーにいじめられる日々。パンチ視点の物語なので、ローザ叔母さんがどうしてそこまでパンチが嫌いになったのかは分からないんですが。
最終的には仲介してる人が相当まずい状態になってるのに気づいて、2人の母親が迎えに来ることになるんですけど、パンチはその愛情も信じられないんです。夜、部屋に入って来た母親を見て「暗い中をやって来て叩くなんて卑怯だ。ローザ叔母さんだってそんなことはしなかった」なんて思うほどですから。これはお母さんにしてみたらショックですよね...(どんな理由があるにせよ、5年も放置してる方にも責任はあると思いますが) そしてそちらもインパクトが強いんですが、妹のジュディの方も案外、ね。ローザ叔母さんがあれだけ手懐けてたのに皮肉だわ~。まあ皮肉といえば、そんな兄妹にパンチとジュディなんて名前がつけられてるのが一番の皮肉なのかもしれませんが。
あと、色んな物語を作り出すのが大好きな主人公が不思議な夢をみる「ブラッシュウッド・ボーイ」も好き。この作品もキプリング自身を投影しているのかしら。なんて思ったんですけど、どうなんでしょうね。(岩波文庫)


+既読のキプリング作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「少年キム」ラドヤード・キプリング
「キプリング短篇集」キプリング

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ノルウェーに帰港間近に嵐によって流された貿易船。船長・ダーラントはたどり着いた岸辺に錨を下ろさせ、乗組員たちは休息を取ることに。そこに現れたのは赤い帆と黒いマストの船。その船は見る間に岸に近づくと、ダーラントの船とは反対側に接岸。全身をスペイン貴族のように真っ黒い衣裳に包んだオランダ人の船長が岸に下りたち、幽霊船の水夫たちが陰鬱に歌い始めます。オランダ人の船長を見て自分も岸に降り立ったダーラントは、オランダ人の見せた宝物に魅せられて、娘のゼンタをオランダ人船長に与える約束をすることに... という「さまよえるオランダ人」。
先代のブラバント公爵が娘のエルザと息子のゴットフリートを遺して亡くなって間もなく、ゴットフリートが森で行方不明になるという出来事が起こります。これは公爵領を狙うテルラムント伯爵の妻、実は魔法使いでもあるオルトルートが、ゴットフリートを白鳥に変えてしまったため。テルラムント伯爵は弟殺しの罪でエルザを訴え、丁度ブラバントを訪れていたハインリヒ1世が訴えを聞いて神明裁判を宣言。エルザは夢に現れた白銀に輝く甲冑姿の騎士に、自分の苦境を救ってくれるよう祈ります... という「ローエングリン」。

先日読んだ「タンホイザー」と今回読んだ「さまよえるオランダ人」「ローエングリーン」の3作は、いわゆる「ロマン派歌劇三部作」とされているのだそうです。世の中に出たのは、「さまよえるオランダ人」→「タンホイザー」→「ローエングリン」の順番。「さまよえるオランダ人」でワーグナーらしさが確立されて、「ローエングリン」が一番完成度が高いそうなんですけど... 私としては「タンホイザー」が一番好きだなあ。

まず「さまよえるオランダ人」。私はてっきりオランダ人が七つの海を彷徨う羽目に陥った伝説そのものを描いてるのかと思ってたんですけど、そうじゃなかったんですね! 物語が始まった時、呪いがかけられてから既に相当の年月が経ってました。でも父親が勝手に娘の結婚を決めてしまって、恋人同士が引き裂かれる話かと思ったんですが、どうもそういう話でもないらしく...。
娘がすっかり神懸ってしまって(それともこれは悪魔憑き?)、これじゃあ意味不明だよ... 分からないといえば、オランダ人もワケ分かんないんですけどね。何も1人で全て決め付けなくてもー。そんなことじゃあこれからの結婚生活が上手くいくわけないっしょ? なんて言いたくなってしまうー。(いや、きっとそういう陰鬱なキャラクターということなんですね、きっと) でも天野喜孝氏の挿絵が凄いです。これですっかりオランダ人のイメージは定着。

そして「ローエングリン」は、聖杯伝説に絡んだ話。エルザと白銀の甲冑の騎士の話が中心で、エルザが騎士の名前も素性も聞かないという誓いを立てなくちゃいけなくなるところがポイントなんですけど、まあ見てはいけないと言われれば見たくなるし、聞いてはいけないと言われれば聞きたくなるのが、この世の常。それでも魔女がいなければ、そんなに性急に事は運ばなかったでしょうね。あっさり引っかかったエルザは、まるでパンドラみたいな美しいおばかさん。この話は、実は魔女の1人勝ちのような気がします。この魔女はゲルマン神話の神々を信仰してるのかな? 「恩恵に浴しながら、おまえたちが背いた神々の 恐ろしい復讐をいまこそ思い知るがいい」なんて台詞が出てきます。ゲルマン神話の神々を信仰してるとなると、そんな悪い人に思えなくなってしまう私もダメダメ。(笑)
ということで、こちらは東逸子さんの挿絵です。エルザ、可愛いなー。(新書館)


+既読のリヒャルト・ワーグナー作品の感想+
「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」リヒャルト・ワーグナー
「タンホイザー」リヒャルト・ワーグナー
「さまよえるオランダ人」「ローエングリン」リヒャルト・ワーグナー

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高貴な英国貴族の広大な屋敷に生まれ育ったオーランドー。エリザベス一世と血縁であり、大層気に入られていたオーランドーは美しく成長して宮廷に出仕。領地や屋敷、ガーター勲章を賜り、女王行幸の際には必ずお供することに。しかしロンドンの宮廷で出会ったロシアの姫君との恋愛、そして破局の後、オーランドーは屋敷に戻って読書に耽り、数多くの劇や詩を書くことになります。

文庫本の裏表紙の説明に

オーランドーとは何者? 36歳の女性にして360歳の両性具有者、エリザベス1世のお気に入りの美少年、やり手の大使、ロンドン社交界のレディ、文学賞を受賞した詩人、そしてつまりは... 何者? 性を超え時代を超え、恋愛遍歴を重ね、変化する時代精神を乗りこなしながら彼/彼女が守ってきたもの。...

とあるので、SF作品なのかと思って読み始めたんですが、全然そうではありませんでした。(良かったー) むしろ歴史小説ですね。でもオーランドーはエリザベス1世(1533-1603)の時代に生まれて、20世紀になるまでずっと生き続けることになるんですけど、時代はオーランドーが執筆に没頭していたり、7日間ほど目覚めないといった状態の間にごく自然に移り変わっちゃうし、周囲のメンバーもそのままなので、その時代時代の風物や流行が入れ替わるだけ。ごく自然な流れの話として読めてしまうほど。オーランドーがそれらの時代の移り変わりの生き証人となっている物語とは言えそうですが。

その300年以上に渡る時代の流れが何を表しているかといえば、オーランドーの家のモデルとされるサックヴィル家人々の歴史であり、ヴァージニア・ウルフと同時代のサックヴィル家の1人娘、そして女流作家となったヴィタ・サックヴィルの生涯なのだそうです。少年の頃のオーランドーや、まだ男性で大使をしていた頃のオーランドーの肖像画、そして女性となった後のオーランドーの写真が出てくるんですけど、その写真はヴィタの写真だし、肖像画はヴィタの祖先の肖像画とのこと。(どれも同一人物としか思えないほどそっくりですよー)
そしてこの300年は、エリザベス朝以降の英文学の流れも表しているのだそう。この英文学の流れがまたとても面白いんですよね。大学の英文学史の授業で名前を習ったり実際に作品を読んだ詩人や作家が次々と~。エリザベス朝の文学は、女性とは無縁で、シェイクスピアの劇のヒロインも演じたのは少年たち。そして男性に生まれたオーランドーが突然女性になってしまったのは、エリザベス朝が終わり、英文学に女性が登場するようになった17世紀末頃。確かにとても意図が感じられますね。
そしてオーランドーは男性の時も女性になってからも、名前は変わらずオーランドー。私としては「狂えるオルランド」(シャルルマーニュ伝説に出てくる騎士・ローランと同一人物)が真っ先に思い浮かぶんですが、やっぱりその線が濃厚のようで~。この作品でオーランドーの恋のお相手となるロシアのお姫様のポートレートは、ヴァージニア・ウルフの姪のアンジェリカのものだそうだし。アンジェリカといえば「狂えるオルランド」に出てくる異国のお姫さま! ほかにも色々な含みがあるみたい。作品そのものもすごく面白かったんだけど、そういう色々なことを教えてくれる訳者の杉山洋子さんによる解説「隠し絵のロマンス -伝記的に」もとても良かったです。(ちくま文庫)

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