2009年5月 Archive

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昭和38年の暮れに富士山に山小屋を建て、翌39年の晩春から東京と山を往復する生活を始めたという武田泰淳一家。徐々に小屋の中を整えながら、近隣の湖や下の村に出かけて行くようになったのだそう。そして泰淳氏と代わる代わるつけるということで、百合子夫人の日記が始まります。泰淳氏やお嬢さんの花子さんも時々書き手として登場する山の日記。

以前、武田泰淳氏の「十三妹」(中国物です)は読んでるんですけど、百合子さんの本を読むのは初めて。随分前にたら本でみらくるさんが出してらして(「秋の夜長は長編小説!」「美味しそうな食べ物が出てくる本は?」)、読んでみたいなあと思いつつそのままになってたんですが、先日小川洋子さんの「心と響き合う読書案内」(感想)にも登場して! もうこれは読むしかないと観念(笑)しました。日記を書いているのは、主に百合子さん。泰淳氏と当時小学生だった花子さんも時々登場します。

ごく普通の日記なんです。日々の暮らしのこと、何を食べたとか誰に会ったとか、何を買ったとか(その値段も)、何があったとか何をしたとか、つらつらと書かれてるだけの日記。例えば、初めて山荘に暮らし始めた時の百合子さんの初めての日記は、昭和39年7月18日のもの。

七月十八日(土)
朝六時、東京を出て九時少し過ぎに着く。大月でお弁当三個。管理所に新聞と牛乳を申し込む。
夕方、溶岩拾い。
夜、風と雨。夜中にうぐいすが鳴いている。大雨で風が吹いているのに鳴いていた。(上巻P.15)

あー、でもこれは初日なので、イマイチ日常的ではないですね... じゃあ、次の日。

七月十九日(日)
朝、十時ごろまで風雨。
ひる ホットケーキ。
午後、河口湖まで買出し。馬肉(ポコ用)、豚肉、トマト、ナス。
河口湖の通りは大へんな人出と車の排気ガスで、東京と同じにおいがしている。湖上はボートと遊覧船とモーターボート。湖畔は、紙クズと食べ残しのゴミの山と観光バスと車で、歩くところが少ない。
夜はトンカツ。
くれ方に散歩に出たら、富士山の頂上に帽子のように白い雲がまきついて、ゆっくりまわって動いている。左の方から麓から七合目までぐらい、灯りの列がちらちら、ちらちら続いている。登山の灯だろうか。花子に見せてやろうと家まで降りてきて連れて出ると、もう富士山は全部雲におおわれて、富士山がどこにあるのかも分からない。灯りも見えない。本当に、あっというまに、雲がおりてきたのだ。(上巻P.15~16)

これは買い物の値段が入ってませんが~(笑)、でも全体的にこんな雰囲気なんです。格別どうということのない日々の営みを中心に、山での様子が書かれているだけのはずなのに...! なんでこんなに心ががっしりと掴まれちゃうんでしょうね。小川洋子さんは武田百合子さんのことを「天才」と書いてらしたし、そうなんだろうなと私も思います。日々が恙無く続いていって... そんな日々が続いていく幸せがしみじみと感じられたり、ふとした表現にハッとさせられたり。これは本当にただものではありません。私は10年以上も前にパソコン通信のオフに参加した時から「文章は人を表す」と言い続けてるんですけど(笑)、ほんと、百合子さんの姿がここにくっきり鮮やかに浮かび上がってきますね。元々他人に読ませるために書いてるものではないので、余計に素の百合子さんが見えてくるんでしょうね。嫌なことを言われれば、負けずに言い返してしまう百合子さん。まあ、土地の人が言うようにきついと言えばきついんですけど(笑)、むしろ大らかでさっぱりとした気性が素敵。やっぱりそんじょそこらの女性とは違いますよ。それも昭和40年頃のことだから、きっと相当目立ってたんだろうなあ。印象に残る言葉はそれこそ山のようにあったんですが、一番強烈だったのは、これ。

ポコ、早く土の中で腐っておしまい。(中巻P.159)

この言葉に、百合子さんの悲しさやるせなさがいっぱい詰まってると思うんですよね。
そしてすごく哀しくなったのは、終盤のこの2つ。

年々体の弱ってゆく人のそばで、沢山食べ、沢山しゃべり、大きな声で笑い、庭を駆け上り駆け下り、気分の照り降りをそのままに暮らしていた丈夫な私は、何て粗野で鈍感な女だったろう。(下巻P.396)

来年、変らずに元気でここに来ているだろうか。そのことは思わないで、毎日毎日暮らすのだ。(下巻P.428)

でも、これ以外にもハッとさせられる表現が本当にいっぱい!
その泰淳氏とも仲も良くて素敵なご夫婦です。色んなことを喋ったりじゃれ合ったり、時には喧嘩をしたり。時には泰淳氏を「震え上がらせるほど」怒らせたり。

帰って来る家があって嬉しい。その家の中に、話をきいてくれる男がいて嬉しい。(下巻P.126)

...と書いたのは百合子さんですけど、泰淳氏も似たようなことを感じていたに違いない! 何とも素敵な微笑ましい夫婦像でした。 (中公文庫)

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黄昏時。騎士・タンホイザーはウェヌスの丘にいたる暗い通い路の下にたたずんでいました。一分の隙もない身仕舞いをしておきながら、この1日の旅行でそれが乱れてしまったのではないかと丹念に直すタンホイザー。その時、かすかな歌声がこだまのように山の上から漂ってきます。タンホイザーは携えた小さな七弦琴(リュート)をごく軽くかきならし、その歌に伴奏をつけ始めます。

ヴィクトリア朝末期の夭折の天才画家・ビアズレーの唯一の散文作品。これ、何箇所かで紹介されていたので存在は知ってたんですけど、タンホイザー伝説を題材にした作品だったんですね! それを知らなかったので、読み始めてびっくりしちゃいました。(紹介記事の一体どこを読んでたんだ、私) ワーグナーもこの伝説を元にオペラ「タンホイザー」を作りあげてますが(感想)、そちらの作品はタンホイザーがウェヌスの城から立ち去ろうと決意を固める場面から始まるんです。こちらはそれとは対照的に、タンホイザーがウェヌスの城に迎え入れられ、享楽的な生活を送り始める場面から。でも未完。
作中にはビアズリー自身による挿画も多々織り込まれていて、この世界観がすごくよく分かるものとなっていました。タンホイザーという人物は、13世紀頃の騎士であり詩人でもあった人物のはずなんですけど、まるで19世紀末のダンディなイギリス紳士みたい。ここで私が思い浮かべたのは、まずオスカー・ワイルド。そんな感じのイギリス的な優雅さを持っていて、デカダンスという言葉がぴったりな人物像です。そして、まさにそんな雰囲気の作品。ウェヌスが中心のはずなのに、異教的な匂いも全然感じられませんでしたし。
よくよく考えてみれば、19世紀末といえばとーーーっても品行方正なイメージの強いヴィクトリア朝で、ここに描かれてる自由奔放な性は、とてもじゃないけどその時期の作品とは思えないんですが... その時代にも、当然のように隠れ家的なサロンはあったんでしょうね。あらゆる道徳観念から解放されて、空中浮遊しているような印象すらあります。ものすごーくエロティックなんだけど、あくまでも優美。でもビアズレーの夭折によって、タンホイザーがウェヌスの丘に入り込んで間もなく、話は唐突に終わってしまいます。このままワーグナーのタンホイザーに雪崩れ込んでしまっても、違和感ないかもしれないなあって思って、なんだか不思議な気もしたんですが... そういえばワーグナーとビアズレーって、ほぼ同時代の人なんですよね。特に不思議はないのかな?(中公文庫)

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桂子さんが山田と結婚して8年。桂子さんも30歳になり、今や6歳と5歳の2児の母親。山田の仕事も順調で、桂子さんも主婦業・母親業の傍ら翻訳の仕事をこなす日々。しかしそんな平穏な生活に、突然影がさすことになります。山田が前年パリに行った時にキリスト教の洗礼を受けていたというのです。

桂子さんシリーズです。
今回とにかくびっくりしたのは、思いっきりキリスト教絡みの話だったこと。このシリーズに、こんな風にキリスト教が登場することになろうとは! いや、ほんと全く思ってもいなかったのでびっくりです。なんとなくそういうのを超越してると思ってたんですけど、そうではなかったんですねー。でも私も驚いたんですけど、桂子さんの驚きはもちろん私以上なわけで。もう「青天の霹靂」というレベルではなく「冬の曇天がにわかに下がってきて頭上を圧する感じ」。目の前に黒々とした得体の知れないものが立ちはだかっているのを感じるぐらい。
でも「キリスト病」とは手厳しいけど、その辺りの話も面白かったです。桂子さんとしては、そんな病気にかかるような人間は大嫌いなんだけど、山田がそんな病気を発症するような人間だったと見抜けなかったのは、自分の落ち度でもあると考えてるんですね。そして桂子さんが受洗すると言う選択が考えられない以上、解決方法は離婚かもしくは山田が棄教するかしかないわけで... という所まで話がいってしまうのもびっくりなんですけど(笑)、それより常々「struggle」が嫌いだと公言している桂子さんがstruggleしてる! でもだからと言って、その葛藤に溺れてしまうなんてことは決してないし、子供たちに両親の不和を悟らせることもなく、あくまでも優雅な桂子さんなんですが。
まあ、今の日本ではキリスト教はすっかり落ち着いた存在になってると思うんですが、これを新興宗教に置き換えれば全てすんなり納得がいくことばかり。私も、自分の足できちんと立った上で宗教を心の拠り所にするのいいと思うんですけど、宗教に全面的に頼ろうとするのはちょっとね。自分は健康だからそういった宗教の世話になる必要がないと何度も繰り返す桂子さんですが、確かに彼女の心の健康さは大したものかも。彼女の精神はあくまでもしなやかで強靭で、相手に合わせて踊ることもできれば、それ自体を武器にすることもでき... どんなことが身の回りで起きても、あくまでも自然体。例えば桃花源記の中に出てきそうなお店に行った時も、今日は相手の決めた趣向に従うつもりでいたから、とまるで動じない桂子さんは、やっぱり大した女性です。(新潮文庫)


+桂子さんシリーズの感想+
「ポポイ」倉橋由美子
「夢の浮橋」倉橋由美子
「城の中の城」倉橋由美子
「交歓」倉橋由美子
「夢の通い路」倉橋由美子
「よもつひらさか往還」倉橋由美子

+既読の倉橋由美子作品の感想+
「偏愛文学館」倉橋由美子

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町かどのポストのそばにはミカン箱が1つ置いてあり、そこにはジムが座っていました。今8歳のデリーが知ってる限り、もしかしたらそのもっとずっと前から、朝も晩も夏も冬も、ジムはいつだってそこにいたのです。髪は真っ白で、顔は茶色くつやつやとしていて、目は青いガラス玉のようにきらきらしたジム。ジムはデリーの住む赤レンガでできた背の高い家の並ぶ通りの番をしているのだと、デリーは思っていました。この通りにはなくてはならない人なのです。

ゆるゆるとファージョン再読祭り中です。
ファージョンは枠物語が多いんですけど、今回はレンガの家が並ぶ通りにいるジムとデリーのお話が枠で、ジムがデリーに語って聞かせたお話が中身。ジムがどんな人なんだか最初は全然分からないんですけど、地域の人々から愛されてる存在だというのだけは確かなんですよね。そんなジムのことも、お話が進むにつれて徐々に分かってきます。ケント生まれで、キャビンボーイになりたくて家を飛び出し、ゆり木馬号のポッツ船長に出会い、世界中を冒険して回って... ジムがデリーに語る最初のお話こそ、小さい頃にマメ畑を荒らしにくる鳥の見張りをしていた時のことなんですが(これもまた可愛い話なんだわ... ベーコンのサンドイッチ!)、船乗りだっただけあって、そのお話の舞台は世界中に広がってます。時には海の底へ、時には霧の向こうへ、そして時には氷の抜け道の奥へ。イギリスの街角にいながらにして、色んな冒険を楽しませてくれちゃう。やっぱり今回は語り手も聞き手も男の子ですものね!
このお話の中で私が一番好きだったのは「九ばんめの波」かな。ゆり木馬号で航海中のジムが出会うのは、海の波に酔ってしまったタラ。「おまえ、それでもさかなか! こいつはおどろきだ!」と言うジムと一緒になって、海の動物が波に酔うなんて!と思いつつ、タラの「おどろくにはあたらないさ、ジム」「さっきの波は、とてつもなく大きかったじゃないか」という言葉に、妙に納得してみたり。そして船をひっくり返そうとする九番目の大波が来た時、タラはジムに助けてもらったお返しをすることになるのですが~。これがまたスバラシイ。そこらの昔話じゃあ、まずこういうのは読めません。(笑)
海の中の王国や霧の向こうの王国はとても美しかったし、氷の洞窟も幻想的。タラや大海ヘビ、ナマズの女王、ペンギンのフリップといった面々もそれぞれに魅力的~。それに何より枠部分の最後のシメも粋で気持ち良くて! とっても素敵な読後感です。(童話館出版)


+既読のファージョン作品の感想+
「ムギと王さま」「天国を出ていく」ファージョン
「年とったばあやのお話かご」「イタリアののぞきめがね」ファージョン
「町かどのジム」エリノア・ファージョン
「リンゴ畑のマーティン・ピピン」「ヒナギク野のマーティン・ピピン」ファージョン
「銀のシギ」エリナー・ファージョン
「マローンおばさん」エリナー・ファージョン
「ガラスのくつ」エリナー・ファージョン
「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」「ねんねんネコのねるとこは」エリナー・ファージョン

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3月初め。両親と共に京都に着いた牧田桂子は、そこで両親と分かれて嵯峨野へと向かいます。両親は奥嵯峨の不昧庵へ。桂子は嵐山の西山草堂で宮沢耕一と約束していたのです。耕一は桂子の恋人。大学の先輩で、一足先に卒業した後、大阪の銀行で働いていました。しかし食事の後、2人で嵯峨野を歩いている時に桂子が見かけたのは、茶屋で床机に腰掛けて薄茶を飲む母と見知らぬ男性の姿。両親は揃って不昧庵でのお茶会に出ているはずなのですが...。そして耕一も、二尊院で母が中年の見知らぬ男と肩を寄せ合って階段を上っているのを見たと言います。

桂子さんシリーズ。先日読んだ「ポポイ」をうんと遡って、あそこではもう「祖母」という立場にいた桂子さんが、まだ大学生だった頃のお話。最初の場面は京都の嵐山なんですけど、西山草堂って!この間、私もお豆腐を食べに行ったお店じゃないですか。なんていうのに始まって、反応してしまう部分がいっぱい。桂子さんが卒論のテーマに選んだジェーン・オースティンにもいちいち反応してしまったし、横道に逸れることも多い読書となってしまいました。いえ、そういうのも楽しかったんですが!

いや、凄いですね。まるで満開の桜の花の下にいるような気分になる作品。とてもとても美しいのに、それでいてどこか不気味なものも潜んでいて... 作中でもこんな表現が。

花ざかりの下から振りあおぐと、この世のものとは思えない妖気の雲がたちこめていて、さびしさに首すじが冷たくなり、花の下にひとがいなければ、桂子は狂って鬼に変じそうであった。

もうぞくぞくとしてきてしまいます。

そして読み終わってみてまず最初の印象は、対比の多い作品だなあということ。美しいのに不気味さもある満開の桜、というのも既にそうだと思うんですが、他にも色々と。伝統的なものとこの作品が書かれた時代における斬新さとか、どこか平板に感じられる明るさと陰影に富んだ暗鬱さとか、死と生とか。...死と生というより、この場合は死と快楽かも。あとは桂子と他の女性の女としての対比とか、桂子と耕一のそれぞれの両親とか、最後にできる2組のカップルとか。なんて書いてたら、だんだん無理矢理な気もしてきちゃったんですが、そんな対比がいたるところにあって、でもそれらがお互いに溶け合ってもいて。物語の舞台としても、東京と京都。物語の始まりは、3月なのに「地の底まで冷え込んで木には花もなかった」という嵯峨野。そして終わりもまた嵯峨野。もっとも終わりの方では、2年前の嵯峨野に比べて「大気のなかにかすかながらも春の吐く息のような暖かさがこもっているのが感じられた」なんですが。常識では考えられない関係となってしまった後に、逆に明るさが見えてくるというのもすごい。
それにしても、「ポポイ」の桂子さんに至るまでには、まだ一波乱も二波乱もありそうですね。だってあそこの「お祖父さま」は... ねえ? 他の作品を読むのも楽しみです。

そして上にも書いたんですが、桂子が卒論に選んでいるのはジェーン・オースティン。「ジェーン・オースティンのユーモアについて」という題です。この大学は、やっぱり東大なんでしょうね。作中でしばしばジェーン・オースティンについての会話が登場するのも、私としてはとても興味深いところでした。特にこのくだり。

オースティンのは、何といっても女の小説ですね。女が手で編むレースのテーブルクロスとか、刺繍とか、そういう種類のものを、ことばを使って丹念に編み上げたのがオースティンの小説ではないかと思います。

ああ、なるほど... これは全くその通りだと思いますね。桂子さんの卒論、読んでみたいなあー。倉橋由美子さんも、きっとかなりお好きなんでしょうね。そういえば私、ジェーン・オースティンの長編では「ノーサンガー・アベイ」だけが未読のまま残ってるんだった。文庫になるのを待ってるんだけど、ならないのかな? 今度図書館で借りてこようっと。 (中公文庫)


+桂子さんシリーズの感想+
「ポポイ」倉橋由美子
「夢の浮橋」倉橋由美子
「城の中の城」倉橋由美子
「交歓」倉橋由美子
「夢の通い路」倉橋由美子
「よもつひらさか往還」倉橋由美子

+既読の倉橋由美子作品の感想+
「偏愛文学館」倉橋由美子

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お父さんに長いこと仕事がなく、お母さんに仕立物を頼む人もいなくなってしまったので、暮らし向きが良くなるまでのしばらくの間、リディアは町でパン屋をしているおじさんのところに行くことになります。リディアはガーデニングが大好きな女の子。そしておじさんの家に行ったら、パン作りを教わりたいと思っていました。

先日読んだ「エリザベスは本の虫」と同じペアによる絵本。なんでかなと思ったら、このお2人ご夫婦だったんですね! 道理で~。サラ・スチュワートは小さい頃から図書館とお祖母さんのお庭が大好きだったそうで、それでこういう作品ができるというわけなんですね。^^
いつもむっつりしていて、全然「にこり」ともしないおじさんと一緒に暮らすことになるリディア。そんなリディアの手紙だけでできているお話です。おじさんの家に行くまでは、おじさんへの手紙、おじさんの家に行ってからは、お父さんとお母さんとおばあちゃんへの手紙。「エリザベスは本の虫」は、本好きさんの心をむぎゅっと鷲掴みしてくれるような絵本でしたが、今回は園芸好きさんの心を鷲掴みしてくれます。...というより。全部のベクトルが本に向かっちゃってるエリザベスに比べて、リディアはもっとバランスの良い健康的な女の子なので、もっと一般的に好まれるかも。(笑)

「エリザベスは本の虫」でも思ってたんですけど、絵がほんと雄弁なんですよねえ。むしろ文章よりも絵の方が語っているかもしれません。絵を見てるだけでもお話の筋は十分分かるはずだし、リディアの笑い声とか街のざわめきとか、聞こえてくるような気がするんですもん。登場人物たちの表情も豊かだし、遊び心も~。という私が一番好きなのは、おうちに帰る場面の絵。これは本当に何度見てもぐっときます。^^

「ガーデニングに終わりなし」という言葉は確かに! ああ、耳が痛いです。(笑)(アスラン書房)


+既読のサラ・スチュワート・デイビッド・スモール作品の感想+
「エリザベスは本の虫」サラ・スチュワート文・デイビッド・スモール絵
「リディアのガーデニング」サラ・スチュワート文・デイビッド・スモール絵

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1916年の夏。15歳だったハワードがその旅で一番楽しみにしていたのはドライブ。車は、父が往診に使っていたT型フォード・ツーリングカー。父は生まれはイリノイ州南部のグランドタワーという小さな町で、ミズーリ州のセントルイスで医者として成功、多忙な日々を送っていましたが、ある日突然、家族旅行に出ると言い出したのです。結局母は家に残るものの、ハワードと双子の弟・レイモンドとアールは生まれて初めてイリノイ州の祖父母と大おじ、大おばを訪ねることに。そして祖母のティリーが15歳だった頃の物語を聞くことになります。

物語そのものも1916年の回想で始まるんですが、実際に中心となるのは、もひとつ遡った1861年に始まる物語。ハワードの回想の中で祖母のティリーが語っていた、祖母の娘時代の物語です。この話はイリノイ州のグランドタワーに、ニューオーリンズからセントルイスに向かう途中の裕福そうな娘・デルフィーン、そして肌の色の濃いカリンダが来たところから始まります。南北戦争がもうすぐそこまで迫ってきていて、ティリーの家でも、ティリーの双子の弟のノアが北軍に今にも志願しそうな状態。そんな家に、黒人奴隷らしきカリンダを連れたデルフィーン、つまり南軍側としか思えない2人が暮らすことになるのですから、フクザツです。...南北戦争は、勝った北軍の立場からすれば、南部の奴隷制度を廃止して、黒人を奴隷状態から解放したと言えるものなんですけど、南軍側、黒人側からすればそんな単純な問題ではなかった、という話を聞いたことがあります... まあいずれにせよ、南北戦争にとって黒人問題は、表向きの1つの大義名分に過ぎなかったと思うんですが。

ティリーの語る物語は、19世紀のアメリカの小さな町の様子を濃やかに鮮やかに描き出していきます。当時の人々の生活ぶりや社会風俗・習慣... 特に印象に残るのは、ティニョンと呼ばれるカリンダのスカーフ、そしてショーボートが来た時の興奮。そして戦地にいる兵士たちの酷い状態。キャスの視る幻も印象的なんですが、冒頭で彼女が見た青と灰色の少年たちというのは、軍服の色なのかな? その辺りが今ひとつ分からなかったんですが、読み落としたかな? あとプラサージュとかの言葉そのものは知りませんでしたが、そういう特殊な状態のことや、少しでも混ざっていれば、という話は聞いたことがありますねえ。そういった話の中にも当時の様子が見えてきます。物語終盤では、それまで考えてもいなかった事実が次々と明かされて、もう本当に目が離せない状態。いや、すごいですね。最初読み始めた時に想像していたよりも、ずっと深い物語でした。
美しく着飾り、自信に満ち溢れている都会の女性・デルフィーンも、無口だけどなかなか逞しいカリンダも、リベラルな物の見方ができるティリーも、それぞれにとても印象に残る女性たち。そして父の最後の言葉と、そんな父の言葉をきちんと受け止めるハワード。みんな、それぞれに素敵です。そして読み終えて最初に戻ってみれば、ハワードのお母さんはセントルイス出身だったんですね。うーん、なるほど。(創元ブックランド)


+既読のリチャード・ペック作品の感想+
「ホーミニ・リッジ学校の奇跡!」リチャード・ペック
「ミシシッピがくれたもの」リチャード・ペック

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Note


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