2009年7月 Archive

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ワルシャワのゲットーとも言えそうなクロホマルナ通りにラビの息子として生まれ、ヘブライ語、アラム語、イディッシュ語とタルムードによって育てられたアーロン。一番仲が良かったのは、天才児と言われたアーロンとは対照的に、周囲から知恵遅れと思われていた少女・ショーシャ。ショーシャは9歳になっても6歳のような話し振り、2学年遅れて通っていた公立学校からも、もう通わなくていいと言われてしまうほど。それでもショーシャと遊ぶ時だけは、アーロンは他の誰にも言えないようなこと、空想や白昼夢のことまで全部言うことができたのです。しかし1914年に第一次大戦が始まり、アーロンの一家もやがてワルシャワを去ることに。

アイザック・シンガーの自伝的小説。アイザック・シンガー自身、ポーランドのユダヤ人家庭に生まれているし、アーロンと年齢的にもほぼ同じなら、住んでた場所も経歴も家族のこともかなり重なってるみたいです。大きく違うのは、ショーシャのことだけ。この作品ではアーロンはショーシャに20年ぶりに再会することになるんですが、現実でアイザック・シンガーが再会できたのはショーシャではなく、ショーシャの娘だったんだとか。そう考えると、この作品はアイザック・シンガーが送りたかった人生というか、失われた人生というか、そんな感じがしてきます。

もうこのショーシャがとにかく可愛らしくて! 第一部では知恵遅れのイメージが強いんですけど、第二部のショーシャは1人の恋する女の子。もうこれは反則でしょ!ってぐらい可愛い。そして主人公も、そんなショーシャを大切に愛してます。ただ、それだけに、そのまま済むはずがないだろう、なんて思ってしまったりもするのだけど...。
でもそんなショーシャの可愛らしさに比べて、アーロンの魅力がイマイチだったかな。主人公に作者自身が色濃く反映されているせいで、妙なとこで謙虚だった? アーロンは女性にも不自由してないし、年上の友人たちにも可愛がられてるし、アメリカから来た女優のベティとその情人のサム・ドレイマンにも初対面でとても気に入られるんですよね。で、とんとん拍子に芝居の脚本を書くことが決まっちゃう。本当なら、かなり魅力的な才能溢れる青年のはずなんですけど、何なんでしょうね、この冴えなさは...。文才についても最後までよく分からないままで、でも最終的には世界的な作家になってたようだし、なんかこの辺りがどうもね。自伝的ではあっても小説として書くのであれば、もう少し書き込んで欲しかったところです。でも同じ書かれていないといえば、ナチスによるホロコーストも同様なんですが、こちらは書かれていないのが逆に良かったんですけどね。登場人物たちは第一次世界大戦も第二次世界大戦も体験してるし、ヒトラーの名前は何度も登場するし、戦争の犠牲になった人もいるのに、まるで戦時中という感じがしなくって、私にはそれがとても読みやすかったです。

作中で登場する「世界の本」というのが素敵。こういう本が存在すると思っただけで、いいことも悪いことも、全てが受け入れられそうな気がします。 実際には再会することのなかったショーシャもまた、この本の中にいるんですね。そうか、この作品はシンガーにとって「世界の本」そのものだったのかも。だからこそ、悲惨な戦争の描写もほとんどなかったのかもしれないなあ。(吉夏社)


+既読のアイザック・B・シンガー作品の感想+
「お話を運んだ馬」「まぬけなワルシャワ旅行」I.B.シンガー
「やぎと少年」アイザック・B・シンガー
「ショーシャ」アイザック・B・シンガー

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「紫式部日記」は、「源氏物語」を書いた紫式部の宮仕え回想録。自分が仕える彰子の初めての出産やそれにまつわる様々な出来事、彰子のこと、宮中でのこと、女房のあるべき姿などを語っていく作品です。森谷明子さんの「千年の黙」に、紫式部日記の内容的な場面が色々あったので、読みたいなと思ってたんですよねえ。
文庫だと岩波文庫と講談社学術文庫と、今回私が選んだ角川ソフィア文庫が現在入手可能。どれにするか迷ったんですけど、岩波文庫版はどうやらそっけないほどあっさりしてるようなのでボツ。講談社学術文庫版は「全訳注」で、上下巻だし多分詳細なんでしょうけど... 私が行った書店には置いてなくて残念。こちらの角川ソフィア文庫は、原文とその訳、そして解説が充実しているようだし、このシリーズは多少当たり外れがあるんだけど、こちらにしてみました。

結論としては。確かに面白かったし、解釈もとても充実してたし... 当時の時代的背景から宮中での様子から、分かりやすく詳しく説明されているし、長く宮中にいる間に、最初は「女房なんて」と思っていた紫式部の変わっていく様子が指摘されてて、これは本当にすごく面白かったですね。あと、紫式部がこの日記を書いてるのも、ただの個人的な日記というだけではなく、藤原道長側の記者として書いていたような部分とか。ただ、これは本当に一般的な解釈なのかしらと疑問に思った箇所があったのと、あとは現代語訳や解説文が私の好みよりもちょーっと軽かったのが... あ、でもこれは私が軽く感じてしまっただけで、同じ訳を現代的で素晴らしいと感じる方も必ずいるはずなので、一概にどうだとは言えないんですけどね。少なくとも、この本を最初に読んだら、これで紫式部像や彰子像が固定されてしまいそう的な充実度はありました。「千年の黙」に登場する紫式部や彰子とは、ちょっぴり雰囲気が違いますが~。
ここに収められているのは全文ではないので、いずれは講談社学術文庫版も読んでみたいな。あ、「紫式部日記」と合わせて「御堂関白記(藤原道長の日記)」を読んでみるのもいいかもしれないですねー。(角川ソフィア文庫)


+既読の「源氏物語」の感想+
「源氏物語」+「まろ、ん?」小泉吉宏(与謝野晶子訳)
「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治

+既読の「源氏物語」関連作品の感想+
「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「源氏供養」上下 橋本治
「輝く日の宮」丸谷才一
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「七姫幻想」森谷明子
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

+関連シリーズ作品の感想+
「論語 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」加地伸行
「陶淵明 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」釜谷武志
「李白 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」筧久美子
「老子・荘子 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」野村茂夫
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

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暮れなずむ夏の日々の、遠い大聖堂の塔が沈みゆく陽に茜色に染まる頃。幼いオデット・ダントルヴェルヌは灰色の古城をこっそり抜け出しては、翳りゆく庭園にじっと佇み、小鳥たちの声に耳を傾けていました。蝋燭の灯りのともる仄暗い居間に戻ると、レースの祭壇布に刺繍している叔母のヴァレリに「どこに行っていて?」と聞かれ、「小鳥さんたちが夜のお祈りをするのを聞きに行っていたの」と答えるオデット。かつてインドから帰る途中の船が沈んで両親を失ったオデットは、預けられていたパリの聖鳩修道院から、夫を失った叔母に引き取られたのです。ある8月の美しい晩、幼いオデットは自分も司祭に聞いた少女ベルナデットのように、聖母マリアを探しに行こうと思い立ちます。

山本容子さんの繊細な銅版画がとても美しくて手に取った本です。原題の副題は「けだるい大人のためのおとぎ話」。作者のロナルド・ファーバンクは、20世紀初頭にロンドンの裕福なアッパーミドルの家に生まれた作家で、ガラス細工のような文体、極端なはにかみ性、飲酒癖、奇癖などで当時のロンドンのインテリの間ではいわば伝説的な人物だったのだそう。
この物語の少女オデットは作者と同じく、もしくはそれ以上に裕福な家に生まれ育った少女。幼い頃に両親を失うものの、引き取ってくれた叔母に大切に育てられています。世の中に存在する醜いものを何も知らないまま、素直に純粋に真っ直ぐ育つ少女。...司祭の話す聖母マリアと少女ベルナデットの物語に感動し憧れて、自分も聖母マリアと会いたいと願っていたその時までは。
実際に少女が出会ったのは、聖母マリアとは程遠い女性。いわゆる「世界最古の職業」の女性ですね。でもオデットにとっては、彼女もまた外の世界の真実を教えてくれる聖母マリアのような存在だったのかも。この一晩の経験で、人生は美しい夢だけではないと知るオデットなんですが、そのことを受け入れつつ、自分に与えられた役割を見事に果たしつつ、オデットは大人への第一歩を踏み出すのですねえ。オデットが夜の庭園で摘んでいた深紅の薔薇が、朝の陽光の中、道端に散らばっている場面が暗示的。でもこの出会いは、おそらく2人ともにとって幸せなものとなったと思うんですが... 果たして作者のロナルド・ファーバンクが初めて世間を知った時はどうだったんだろう?

帯には「小川洋子さん推薦!」で「いたいけな少女が聖母の遣いとなる秘密の一夜は、銀の十字架のように清らかで枯れた薔薇のように妖しい。」という言葉があります。うわあ、まさにまさにまさに。やっぱりすごいな、小川洋子さんは。(講談社)

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家で子供を生むのが普通だった1860年代、病院での出産を決めた若き日のロジャー・バトン夫妻。夫妻は南北戦争後のボルチモアで社会的にも経済的にも恵まれた地位にあったのです。9月の早朝、赤ん坊がもう生まれたかどうかを確かめるために病院に急いでいたバトン氏が見つけたのは、かかりつけのキーン先生。しかし医師や看護婦たちの奇妙な態度に、バトン氏は恐れを抱き...。

今まで「グレート・ギャツビー 」しか知らなかったスコット・フィッツジェラルド。(とは言っても、私が読んだ時は「華麗なるギャツビー」だったんですが) この「ベンジャミン・バトン」は、今まで未訳だった短編が、映画化を期に翻訳されたということのようです。金目当てで沢山の短編を書いてるフィッツジェラルド、いいものはいいけど悪いものはとことん悪いのだそう。名作とされている物以外読む必要がなくて、翻訳する必要さえないというのが日米双方の研究者の間で共通了解となっているのだとか。そうだったのか...!

で、この作品。どこまで書いてしまっていいものなのか、正直迷ってしまうのだけど... でも既に色んなところで普通に書かれているようなので書いてしまうと、要するに、生まれた時に70歳ぐらいの老人の姿だったベンジャミン・バトンが、生きていくうちに徐々に若返っていくというSF的設定の話です。生まれた時は、まばらな髪はほぼ真っ白、あごからは煙色の長いひげが垂れています。当然実の親よりも遥かに年上。でもその実の父親は、現実を直視しようとしません。息子のひげを剃ったり、髪を切って黒く染めたり、全然似合いもしない子供らしい格好をさせたり。普通の赤ん坊のような行動を期待して、無理矢理1日中ガラガラで遊ばせたり。(実のお母さんがどう感じていたかなんていうのは全然ないんですが、これはどういう意図なんだろう?)
70歳の姿で生まれたとすれば、予め人生が70歳に設定されているようなものですよね。70年も生きられれば十分だとでも言うつもりなのか、それについては誰も触れていないのだけど...。
最初は楽しく読み始めたんですけど、途中からはちょっと痛すぎました。まるで指の間から零れ落ちていく砂みたいに、掴み取った幸せが零れ落ちていってしまうベンジャミン・バトン。幸せな時期って、本当に一瞬なんですね。普通の人間として生きていても、実際には一瞬のことなのかもしれないけど、それでも人生の流れの中で余韻もあるし、なんとなくそのままいったりもするはず。でもベンジャミン・バトンの場合は、本当に一瞬だということを直視させられることになるのが辛いところ。日本人は団体行動は得意だけど個性が足りなくて、なんて言われることも多いけど、個性というのも他人と同じ流れを生きているという土台があってこそのことですね。これじゃあどうしようもないです。...それでも精神年齢の流れが逆じゃなくて良かった、ってところかなあ。これが逆だったら本当に悲惨すぎるもの。少なくとも最後はね。それが唯一の救いだったように思います。(イースト・プレス)

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実朝が殺されて、かれこれ20年。当時20歳を越えたばかりだった「私」も御家人たちと共に出家し、鎌倉時代も今や遠い過去。しかし実朝のことだけは懐かしくてならず... と、「私」が実朝の思い出を語る「右大臣実朝」。
そして東北帝大医学部の前身・仙台医専を卒業した老医師は、周樹人ことその後の魯迅と同級生。魯迅の「藤野先生」を読んでやって来た記者相手に、当時の思い出話を語ります... という「惜別」。

「右大臣実朝」の実朝は、もちろん鎌倉幕府の3代目の将軍だった源実朝。鎌倉幕府を開いた源頼朝の子であり、兄の頼家が追放された12歳の時に将軍となるものの、26歳で甥(頼家の子)の公暁に襲われて落命。その源実朝の人物像を、吾妻鏡からの引用と共に、12歳の頃から側近として勤めてきた人物の目を通して描き出していきます。
中盤まではすごく読みにくかったんですけど、途中、実朝に太宰治自身が見えるような気がしてからどんどん面白くなりました。具体的には「何事モ十年デス。アトハ、余生ト言ッテヨイ」という台詞からだったかなあ。他にも色々と印象深い台詞があるんですよね。「平家ハ、アカルイ」「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ」とか。全部読んだあとに最初の方に戻ってみると、「都ハ、アカルクテヨイ」なんて言葉もあって... 読んでる時はそのまま受け止めていたけど、「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ」なんて台詞を読んだ後に改めてこの言葉を見ると、また印象が全然違ってきますね。公暁の言う、実朝自身の都に対する思いのこともあるし、色々と考えさせられます。実朝自身の一種清涼な明るさもまた「ホロビノ姿」だったのかしら。
話し手が実朝を無条件に崇拝してるので、実朝の負の部分はほとんど見えてこなくて、ひたすら賢さと典雅さを兼ね備えた青年として語られることになるんですが、その光が当たった実朝と対照的な存在なのが、影の存在である公暁。まるでこの作品で実朝に欠落してしまった人間らしさを一手に引き受けているみたい。一見裏腹な存在に見える実朝と公暁が、実は太宰治自身の二面性なのかな?

「惜別」で描かれているのは、若き日の魯迅。魯迅の「藤野先生」(感想)と呼応するような作品です。その「藤野先生」が印象深い作品だったこともあり、とても興味深く読みました。でも、描かれているのは確かに魯迅のはずなんだけど、やっぱりこの魯迅は魯迅自身が描いた魯迅とはまたちょっと違いますね。「藤野先生」に描かれていた魯迅の方が、大陸的な大きさを持っていたような気がします。ということは、やっぱりこちらに描き出されているのは太宰治自身の姿ということなんでしょう。1人孤独を噛み締めていたとしても、本人にそのつもりが全然なかったとしても、「周さん」を中心としてみんなが磁石のように吸い寄せられてるように見えるのがとても印象的でした。お節介焼きな津田憲治だって、本当は悪い人じゃないんだもんな。なんか可愛いな。
そして読み終えた直後は「惜別」の方が私の中では存在感が大きかったのに、少し時間が経ってみると「右大臣実朝」の方がどんどん存在感を増しているような... 今は「右大臣実朝」の方がむしろ好きですね。この印象の変わりっぷりは、我ながらなんだか不思議になってしまうほどです。(新潮文庫)


+既読の太宰治作品の感想+
「惜別」太宰治
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治

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昔、ヨーロッパはほとんど全部森で覆われており、人間も動物も森で暮らしていました。人々が生きていく上で、森は畑や牧草地以上に大切な存在。スウェーデンの人々も大きな森に囲まれた小さな村に住み、森の木で様々な道具を作り、食べ物を探し、家畜に緑の草を食べさせてたのです。しかし昔の森は、いつも緊張して身構えていなければならない場所。山賊が潜んでいたり、トロルやクーグスローンやヴィットロールなど姿の見えない魔物がいる所。森の中では思いもかけない不思議なことがよく起こり、人々はそんな話を暗い冬の夜長に語り合い、そして昔話や伝説ができていきます。この本に収められているのは、そんなスウェーデンに古くから伝わる、12の森のお話です。

スウェーデンの民話の本を改めて読むというのは初めてだと思うんですけど、さすが北欧繋がり、アスビョルンセン編のノルウェーの民話集「太陽の東 月の西」で読んだような話が多かったです。「バターぼうや」は「ちびのふとっちょ」だし、「トロルの心臓」は「心臓が、からだのなかにない巨人」。「仕事を取りかえたおやじさん」は「家事をすることになっただんなさん」。でもそれだけじゃなくて、それ以外の民話に似ているものもありました。「ティッテリチェーレ」は「トム・ティット・トット」や「ルンペルシュティルツキン」みたいだし、「親指小僧」は「ヘンゼルとグレーテル」のバリエーション。「トロルと雄山羊」「小便小僧のピンケル」も、出所が思い出せませんが、よく似た物語を読みましたよ。何だっけ? でももちろん、読んだことのないタイプのお話もありましたよ!
きっとお母さんが小さな子供と一緒に楽しむ本なんでしょうね。挿絵も可愛いし、お話の中に出てくる昔の道具や当時の生活習慣の簡単な説明が巻末にあるのが分かりやすいし、面白いです。ただ、ちょっと気になった部分も。この本に収めるために元のお話を簡略化しるんだろうと思うんですけど、それで話がおかしくなってる部分があるんですよね。「トロルの心臓」では、地主の娘を助けに来た小作人の息子が、娘に3つのことをトロルに聞くように指示するんですけど、その3つの質問のうちの2つ意図が分かりません。きっと元の話には関係するエピソードがきちんとあったのに、省略されてしまったんだろうと思うんですが...。いくら昔話では「3」が基本だからといって、そんなところだけ律儀に残しても。それに「王女と大きな馬」なんかは、ここからさらに冒険が始まる、というところで終わってしまっているような...。せっかくロシア民話のイワンのお話みたいになりそうだったのに。

まあ、それはともかくとして。

この中で凄かったのは「ふくろうの赤ちゃん」という話。

むかし、子どもがほしいと思いながら、なかなか授からない夫婦がいました。

ここまでは普通ですね。でも。

ある朝、おやじさんは仕事にでかけるとき、おかみさんにいいました。
「いいか、夕方帰ってきたとき、子どもが生まれていなかったら、命がないと思え」

そ、そんな無茶なーーー!!(笑)
この話、3ページぐらいしかない短い話なんですけど、もう最後まで可笑しいです。おかみさんもなかなかやるし、その後のおやじさんの台詞がまた最高。ああ、オチまで書いてしまいたいぐらい~。(ラトルズ)

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ボルヘス2冊。「伝奇集」は以前読もうとしてなかなか読みきれなくて、随分長い間放置してあったもの。本当に日本語で書かれてるのかと疑ってしまうほど、読んでも読んでも意味分からん、という状態で。でも先日、なんとなく「創造者」を買ってしまって(なんで買ったのかな、私)、試しに読んでみたら予想外の面白さ。思わず「エル・アレフ」まで買ってしまって(だからなんで買うかな、私)、「伝奇集」と一緒に読むことに。

どちらも読めました!(ほっ)
しかも面白かったよ!(すごいっ)

以前読んだ時に何が悪かったのかといえば、多分私の読む姿勢... というか頭の切り替えですね。小説なのかエッセイなのかよく分からなくて、自分の立ち位置がうまく確保できなくて、って感じだったと思うんですけど、今回は大丈夫でした。まるで真実の体験を伝えてるように書かれてるけど、色んな人名が登場してるし色んな文献からいっぱい引用されてるけど、例えばまるで本当に存在する本のように書評が書かれてるけど、これは全部、大真面目なほら話だったんですねーーー。そう思ってみると、突然面白く読めるようになりました。そうか、そういうことだったのか。私ってば頭が固かったんだなあ。

どちらも短編集で、でも「創造者」ほど短い作品ではなくて、でも長くても1編が30ページほど。どれも膨らせ方次第では、いくらでも長編になりそうなのに、敢えてこの書き方でこの長さなんですね。そういうのも多分、以前戸惑った一因だったと思うんだけど。真実と虚構のあわいをゆらゆらと。そしてどの作品にもボルヘス的宇宙が濃厚にそして無限に広がっていて。そして迷宮。...まあ、全部きちんと理解しきれたわけじゃないですけど、こういうのはするめみたいに何度も読んで噛み締めればいいわけですね。読むたびに新しい発見もありそうだし。その時々で気に入る作品も違うかもしれないな。という私が今回気に入ったのは、「エル・アレフ」では「神の書き残された言葉」。「不死の人」や表題作「エル・アレフ」ももちろんいいんだけど、今回はこれが一番すとんときました。「伝奇集」では「円環の廃墟」「バベルの図書館」。初読の時はとっつきが悪かった「トレーン、ウクバール、オリビス・テルティウス」も、やっぱり面白かったなあ。


+既読のホルヘ・ルイス・ボルヘス作品の感想+
「創造者」J.L.ボルヘス
「エル・アレフ」「伝奇集」ホルヘ・ルイス・ボルヘス
「幻獣辞典」ホルヘ・ルイス・ボルヘス、マルガリータ・ゲレロ

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