Catégories:“2006年”

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明け方、ジェーヴル伯爵の屋敷に何者かが侵入。居間の物音に気づいて起き出した伯爵の姪・レイモンドと、伯爵令嬢シュザンヌは、外を何者かが大荷物を抱えて歩いていくのを目撃。居間に駆けつけると、2人の目の前で角灯を持った男がバルコニーから姿を消し、居間の隣の伯爵の部屋には、気を失った伯爵と、ナイフで刺された伯爵の秘書が折り重なって倒れていました。レイモンドが咄嗟に撃った弾は逃げていく男に命中。しかし茶色い革のハンチング帽を残して、男は消えうせてしまいます。

子供の頃に愛読したルパンシリーズの中でも、トップ3の面白さだった覚えのある「奇岩城」。子供の頃何度か読んだとはいえ、話の展開はほとんど覚えていなかったので、新鮮な気持ちで読めました。でも今改めて読んでみると、最近再読した「怪盗紳士ルパン」や「カリオストロ伯爵夫人」(感想)に比べて、正直あまり面白くありませんでした... なぜぇ。
ルパンやガニマール主任警部はもちろんのこと、高校生探偵・イジドール・ボードルレ、シャーロック・ホームズも登場して豪華キャストだし、奇妙な暗号がフランスの王室に伝わる秘宝に繋がるという探偵小説的・歴史的な興味もあるはずだったんですけどねえ... 所詮はジュブナイルの甘さ? ルパンにはもっと泰然と構えていて欲しい場面で、ボードルレ少年に案外やりこめられてしまうから? どうもこの作品では、ルパンの器が小さいというか、セコイというか、普段のルパンらしく感じられないのがイヤん。ボードルレ少年の方が遥かにかっこいいです。(ハヤカワ文庫HM)


+シリーズ既刊の感想+
「怪盗紳士ルパン」「カリオストロ伯爵夫人モーリス・ルブラン
「奇岩城」モーリス・ルブラン
「水晶の栓」モーリス・ルブラン

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ある名もない村で生まれたトビアスの母は、盗人であり乞食であり、娼婦。母の客でただ1人農夫ではなかった男は村の学校の教師で、トビアスに必要な服や教材を揃えてくれます。彼の娘・リーヌは、トビアスのただ1人の友達。しかし、トビアスは12歳の時、彼が自分の父親であることを知ってしまうのです。トビアスは大きな肉切り庖丁を持って寝室に入ると、眠っている2人を貫くように刺し、その足で国境を越えてゆきます。

「悪童日記」の三部作とはまた違う作品なんですが、内容的にはかなり重なってますね。ここに登場するトビアスの故郷の国も、多分ハンガリーでしょうし、主人公が越境してること、自分の過去を作り上げてること、かなり空想的で、その空想を言葉として書き留めている面も一緒。そしてこのトビアスの姿は、「悪童日記」の時以上に、作者のアゴタ・クリストフ自身に重なります。自分の母国から追い出され、生活のために敵国の言葉を覚える必要に迫られ、その言葉で文章を書いているという点も同じ。おそらく彼女は、これからも同じような主人公、同じような世界を書き続けるんでしょうね。
作中にはいくつもの死が登場するんですが、アゴタ・クリストフはあくまでも淡々と描いていきます。まるで、その1つ1つに感傷的になることを読者に許さないみたい。トビアスが待ち焦がれてる空想の世界のリーヌも実際に現れるんですけど、その場面もトビアスの空想のよう。予想通りのアンハッピー・エンドなんですけど、失恋の悲しみよりも遥かに大きな悲しみが作品全体にあるので、それはむしろ瑣末なことに見えてきます。事実をあるがままに受け止めて生きていく2人の姿が印象に残りました。(ハヤカワepi文庫)

+既読のアゴタ・クリストフ作品の感想+
「悪童日記」アゴタ・クリストフ
「ふたりの証拠」「第三の証拠」アゴタ・クリストフ
「昨日」アゴタ・クリストフ
「文盲 アゴタ・クリストフ自伝」アゴタ・クリストフ
「どちらでもいい」アゴタ・クリストフ

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17歳の時に出会って結婚した両親は、「わたし」が生まれて半年後に離婚。母が貧しい牧師風情と結婚していることが許せなかった祖父母が、父を家から追い出したのです。父のことを愛し続けていた母は、それを忘れようとするかのように他の男性たちとのデートを重ねる日々。「わたし」が父に会ったのは5歳、10歳、そして20歳になった時。20歳の時、10年ぶりに父に会った娘は父に強く惹かれ、父もまた美しく成長した娘に目を奪われます。

作者自身の体験、それも近親相姦が描かれていると話題になったらしいですね。でも、確かに近親相姦ではあるんですけど、かなりそっけない文章で書かれてるので、そういうエロティックさはほとんど感じなかったです。ここに描かれているのは、愛情に飢えた子供が自分の中に溜め込んできた哀しみ。でもそっけない文章のせいなのか、ただ言葉が足りないのか、こちらに受け止める力がないのか、彼女が父親に魅了される気持ちがあまり伝わってこなかったです。あの父親の一体どこがそんなに良かったのかしら。失われていた父親に対する思いというのは確かにあるでしょうけど...。父親にしたって、あれじゃあただの、自分が欲しいものを我慢することを知らない子供じゃないですか。娘の思いをあんな風に利用する父親なんて、とんでもない。
原題はただの「Kiss」ではなく、「The Kiss」。作品そのものは全然感傷的じゃないのに、「その」キスというところに、作者の感情が出てるような気がします。キャサリン・ハリソンを呪縛した、1つのキス。そしてこの作品では、過去のことを語りながら、その文章は現在形という時制を取ってるんですけど、これは過去の自分を追体験するという意味があったのでしょうか? 小説として読んでもらうことが目的というよりも、自分の辛い過去を敢えて文章にすることで、自分自身がその呪縛を断ち切るのが目的の作品のように思えました。(新潮文庫)

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1960年代後半から1980年代初めまで、女性誌「ミセス」を始めとして、様々な雑誌やPR誌に書かれてきた文章を1冊にまとめたもの。

読んでみると、他の作品とはちょっと雰囲気が違っていてちょっとびっくり。いつも感じるような圧倒的な博識ぶりはあまり感じられなくて、もっと澁澤氏が身近に感じられるような気軽なエッセイでした。やっぱり女性誌に執筆ということで、書き方も少し砕けていたんでしょうか。そして更にびっくりしたのが、全然古さを感じさせないこと。執筆されてから50年も経とうかという文章もあるんですけど、今読んでも全然違和感がないんですよね。日常についての話が中心となっているので、もちろん時代を感じさせる部分もあるんですが、それを考えてもほとんど、全くと言っていいほどです。
この本は、元々は「夢のある部屋」の部分だけが単行本として刊行されてたところに、編集部が関連のあるエッセイを選んで、「夢のある風景」という章として付け加えたようです。普段なら内容がカブってるのはあまり好きじゃないんですが、この本に関しては、ほとんど気になりませんでした。(妙に貞操帯の話が多いけど...) むしろ「夢のある部屋」の「鏡の魔法」という章に掲載されている写真の凸面鏡の来歴が、「夢のある風景」の「横浜で見つけた鏡」の章で語られていたりするのが楽しいです。そしてエッセイの中で愛蔵品の数々が紹介されていくのですが、ここに写真も収録されているのが嬉しいところ。居間に置かれた古い時計や愛蔵のガラス器、サド侯爵も部屋に飾っていたという髑髏(しゃれこうべ)、四谷シモン作の球体関節人形などなど。表紙の画像も、澁澤氏の部屋の写真です。

河出文庫の澁澤作品は以前から少しずつ集めてるんですが、最近河出文庫の装幀が変わってしまいましたよね。この「夢のある部屋」は古い方の装幀なんですけど、私の手元にも、既に新しい装幀の本が何冊かあります。これじゃあ、並べた時に気になっちゃう。もっと早く買い揃えておけば良かった。でも、どうやらずっと入手できない状態だった作品も新装版で再版され始めてるようで嬉しいです~。「胡桃の中の世界」も、ぜひとも再版して欲しいなあ。(河出文庫)


+既読の澁澤龍彦作品の感想+
「私のプリニウス」澁澤龍彦
「異端の肖像」澁澤龍彦
「夢のある部屋」澁澤龍彦
「澁澤龍彦初期小説集」澁澤龍彦
「夢のかたち」「オブジェを求めて」「天使から怪物まで」澁澤龍彦
「高丘親王航海記」澁澤龍彦
「東西不思議物語」澁澤龍彦
Livreに「世界悪女物語」「幻想博物誌」「夢の宇宙誌」「フローラ逍遥」の感想があります)

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今では当たり前のように存在しているジョン・アーヴィングの「ガープの世界」も、この題名に落ち着くまでには紆余曲折がありました。村上春樹氏は「ガープ的世界の成り立ち」、青山南氏は「ガープが世界を見れば」、斉藤英治氏は「ガープ的世界」、そのほかにも「世界、ガープ発」「ガープによる世界」「ガープによる世界解釈」など、様々な題名が登場。静かだが苛烈なる戦いを繰り広げていたのです。... という「ガープ戦史」など、青山さんの日々の翻訳の仕事を通して描く裏話エッセイ集。

「翻訳家という楽天家たち」(感想)に引き続きの青山南さんのエッセイ。「翻訳家という楽天家たち」よりも純粋翻訳裏話という感じですね。(イーディも登場しないし・笑) この本の最初のエッセイが「本の雑誌」に発表されたのが1981年2月ということで、25年も経ってしまうと、さすがに時代を感じてしまう部分も目についたんですが、それでもやっぱり面白かったです。
例えば、一番最初に出てくる「失語症で何が悪い」は、5つも6つも続く「Hi」をどうやって訳すかというエピソード。たまに出てくる「Hi」なら、「やあ」でも「よお」でもいけますが、この時訳してらした本は、登場人物たちのボキャブラリーが貧困で、「Hi」が5つも6つも続けて出てきてたんだそうです。それはやっぱり困りますよね。「やあ」「やあ」「やあ」「やあ」「やあ」「やあ」じゃあ、読んでる方もちょっと...。で、青山さんは、全部おなじ言葉に統一するのも味気ないからと、結局「やあ」「おやっ」「なんだい」「よお」「へえ」「ケェッ」、最後の合唱はみんなまとめて「参ったね」と訳してしまったとのこと。面白いなあ。特にこの最後の「参ったね」。そんな風に訳せちゃうんですね。
そして、私もリチャード・ブローティガンの「愛のゆくえ」はとても面白く読んだので(感想)、「ブローティガン釣り」や「翻訳書のタイトルについて」の章は、特に楽しく読めました。やっぱり「愛のゆくえ」という題名はどうかと思いますよねえ。原題を直訳すると「堕胎、1966年のある歴史ロマンス」なんですもん。「愛のゆくえ」では、人にもオススメしづらいし、そもそも売れるとは思えないのですが...。でも最初にこの題名を出したのは新潮社なんだそうですけど、ハヤカワepi文庫版も「愛のゆくえ」になってるんですよね。既にすっかり定着してしまったのかしら。そして一緒に、ボリス・ヴィアンの「日々の泡」と「うたかたの日々」の話も。この2つの題名は今現在どちらも健在ですが、今後どうなるのか楽しみですね。(という私も「日々の泡」の方が好きですが!) 

上のアマゾンとBK1のリンクはちくま文庫版になってますが、私が読んだのは本の雑誌社版。どちらにしても現在新刊では入手できないのですが...。次は、読書そのものをテーマにしたというエッセイ集、「眺めたり触ったり」を探してみようと思いますー。小説なら、気に入った作家さんの本を片っ端から読む私ですが、同じ人のエッセイを何冊も読むなんて、ちょっと珍しいかも。(エッセイの場合、話題がどうしてもかぶってきちゃうことが多いのがイヤなんですよね)(本の雑誌社)


+既読の青山南作品の感想+
「翻訳家という楽天家たち」青山南
「ピーターとペーターの狭間で」青山南
「眺めたり触ったり」青山南
「外人のTOKYO暮らし」青山南
「英語になったニッポン小説」青山南
「気になる言葉、気が散る日々」青山南
「小説はゴシップが楽しい」青山南
「大事なことは、ぜーんぶ娘たちに教わった」青山南

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強国がひしめくインドシナ戦争下のサイゴン。アメリカ経済使節団で働いている青年・パイルが訪ねて来るのを待っていたイギリス人記者のファウラーは、フランス警察によってパイルの水死体が見つかったことを知らされます。ファウラーとパイルはかつてベトナム娘のフォンを争い、結局ファウラーがパイルに負けたという間柄。しかし尊大で騒々しくて子供っぽいアメリカ人記者たちとは違う、謙虚で生真面目、理想に燃えたパイルに、ファウラーは好感を抱いていたのです。

「第三の男」(感想)以来のグレアム・グリーンの作品。「第三の男」も私にはちょっと読みづらかったんですが、これはそれ以上に読みづらかったです...。全然ダメというわけではなくて、面白い部分と詰まらない部分が混在してる感じなんですが、グレアム・グリーン、もしかしたら苦手なのかもしれない...。ハヤカワepi文庫の読破を目論んでる私ですが、あと6冊残っていて、そのうちグレアム・グリーンの本が4冊も控えてるんですよねえ。大丈夫かしら。(そんなことを言いながら、全部読んだ頃には大ファンになってたりして・笑)

ええと、どんな理由があっても、それがたとえ正義であっても、人を殺す免罪符には決してならないはずなんですが、それでもやっぱりアメリカは正義を掲げて他国同士の争いに介入し続けてますね。この作品は1955年に書かれているので、ベトナム戦争(1965-1970)すら起きていない頃だというのが驚きなんですが、古さなんて感じないどころか、むしろ今の時代に読んだ方が伝わってきそうな作品です。もちろんアメリカにも戦争反対の人は沢山いるでしょうし、実際に戦闘に参加する時は割り切らないとやってられないって人も多いんでしょうけど... 実は一番タチが悪いのは、パイルのような理想に燃える男なのかも、なんて思ったり。ある東亜問題専門家の本に傾倒しているパイルは、自らの意思で正義を行っていると信じてるんですけど、多分、実際のところは、上の人間にその本を渡されて、巧妙に操作されてるだけなんですよね。知らない間に自分の意思が刷りかえられてる。そしてそんなパイルを微調整するだけで、上の人間は自分たちの手を汚さずに済むわけで... パイルの無邪気さが哀しいぞ。
...なんて書いてますが、そっち方面には圧倒的に知識不足な私のことなので、全くの的外れかもしれません。(あらら) でも、それもまた1つのからくりなんだろうな、とそういう作品でした。(ハヤカワepi文庫)


+既読のグレアム・グリーン作品の感想+
「第三の男」グレアム・グリーン
「おとなしいアメリカ人」グレアム・グリーン
「負けた者がみな貰う」グレアム・グリーン
「権力と栄光」グレアム・グリーン
「事件の核心」「二十一の短篇」グレアム・グリーン
「ブライトン・ロック」グレアム・グリーン
「ヒューマン・ファクター」グレアム・グリーン

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1978年の夏。9歳のミケーレは、偶然入り込んだ廃屋の中に、1人の少年の姿を見つけます。少年が既に死んでいると思い込んだミケーレは、そのまま仲間たちにも何も言わずに帰宅。しかしその少年は、まだ生きていたのです。それを知ったミケーレは、その少年に水や食べ物を差し入れし始めるのですが...。

イタリア南部の小さな集落が舞台の物語。ぎらぎらと照りつける太陽に真っ青な空、乾いた熱い風、一面の金色の小麦畑。読んでいると、そんな情景が目の前に広がるような作品。大人たちは日々の貧しさに喘ぎ、豊かだという「北部」に憧れて、いつかはこんな場所から出ていってやると思っているし、確かに生活はとても貧しそうなんですが、子供たちの生活は、そんな情景がバックにあるせいか、すごく力強くて豊かに感じられました。小さい妹の世話を押し付けられて文句を言ってるミケーレだけど、実際にはとても面倒見の良いお兄ちゃん。このミケーレがとってもいい子なんです。
でも偶然少年を見つけてしまったミケーレは、じきに、この件に村の大人たち全員が関係していることも知ってしまい、そんな子供時代に別れを告げることになります。自分にとって絶対的な存在だった父が、実は弱く罪深い人間だったことを思い知らされるのは、9歳のミケーレにとっては大きな衝撃。大人たちのやっていることを薄々感づいても、無邪気に聞けるほどの子供でもないし、かといって黙って見過ごすことができるほどの大人でもなく、相談しようにも相手がいないミケーレ。信じていた相手からは裏切られるて散々。そんな風に、いきなり大人になることを求められるミケーレが可哀想ではあるんですが、自分なりの筋を通して、やるべきことをやろうとするミケーレの姿はとても爽やかでした。
epi文庫の作品は映画化されているものも多いんですが、その中でもこの映画の評判は良かったようですね。公式サイトはこちら。(ハヤカワepi文庫)

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