Catégories:“2006年”

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13歳だった末っ子のセシリアの自殺をきっかけに、自殺に魅入られ始めたリズボン家の姉妹たち。彼女たちが自殺したのは、6月のヘビトンボの季節のことでした。一体彼女たちに何があったのか...。

美しいリスボン家の姉妹たちに憧れていつも見つめていた「ぼくら」がまとめあげたという体裁の作品。実は以前、ほしおさなえさんの「ヘビイチゴサナトリウム」を読んだ時にこの作品のことが出てきて、それからずっと気になっていた作品なんです。なんとハヤカワepi文庫に入っていたとはー。
でも、あまり期待通りではなかったです...。どうにも読みにくくて堪りませんでした。もう本当にこの題名の通りの内容で、一種異様な雰囲気の中で、破滅に向かっていく姉妹たちが淡々と描かれていくんですが... 解説には70年代のアメリカを象徴しているようなことが書かれてたんですけど、その辺りも正直あまりピンと来なかったし...。この作品は映画にもなっているので、そちらを観た方が良かったのかも。
本当は彼女たちを守ろうとしていただけの母親が、結果的にここまで彼女たちを追い詰めてしまったというのが何とも...。反抗しようとしても、結局その呪縛に囚われてしまっていた彼女たち。育てられた歳月の重みを感じてしまいます。(ハヤカワepi文庫)

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大学が冬休みに入り、4ヶ月ぶりでニューハンプシャーからロサンゼルスに帰ってきたクレイ。両親は別居中で、家にいるのは母親と2人の妹。毎日のようにコークできめて、友人らとパーティーに繰り出すクレイの日々を描いた作品。

昨日は村上春樹作品かと思ったら、こちらはまるで、村上龍さんの「限りなく透明に近いブルー」! でも「レス・ザン・ゼロ」が発表された当時、アメリカでは衝撃的だったらしいんですが、「限りなく透明に近いブルー」が発表されたのは1976年。「レス・ザン・ゼロ」は1986年。こちらの方が10年も後なんです。それを考えると、「限りなく透明に近いブルー」って、世界的に見ても早かったんですねえ。

ここに描かれているのは、80年代の西海岸の、セックスにドラッグにパーティ三昧の、虚無的で退廃的な日々。プールがあるのが当たり前のような裕福な家に生まれ育ちながらも、全てにおいて投げやりで無軌道な若者たち。常に他人と一緒にいなければ時間を潰すこともできないような彼らなのに、他人と本質的に関わることは避けていて、あくまでも表面的なつきあいだけ。
んんー、悪くはないんでしょうけど...
私はやっぱり「限りなく透明に近いブルー」の方が格上のように思いますね。先に出会ったのがそちらだったというのも大きいのかもしれないですが。...どちらにしても、アメリカの若者の無軌道な話って、あんまり好きじゃないんですよね(^^;。(ハヤカワepi文庫)

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その図書館は、普通の図書館とは違い、人々が大切な思いを綴った本を保管するだけのために存在する図書館。保管された本を調べたり読んだりする人は誰もおらず、図書館に来るのは、自分が書いた本を置きに来る人々だけ。そして「わたし」の仕事は、それらの人々に会って本を受け取り、その本を登録すること。人々は24時間いつでもやって来るので、この職について以来3年間、「わたし」は図書館から一歩も出ない生活を送っていました。そんなある日やって来たのはヴァイダ。並外れて美しい自分の容姿を恥じていたヴァイダですが、「わたし」と恋に落ちて図書館に暮らし始めることに。

一読して感じたのは、まるで村上春樹作品みたい!ということ。そして、人々が書き綴った本は誰にも読まれることなく図書館に保管され、図書館がいっぱいになると洞窟に移され、そのうちに朽ち果てることになるのですが、その部分はまるで「恥」を全て川に流しているボリス・ヴィアンの「心臓抜き」(感想)のようでした。こういう不思議感覚の作品は大好きです♪

でも、読み終えてから原題の「THE ABORTION」を見てびっくり。これは直訳すると「堕胎」のこと。そして訳者解説によると、ヒロインとなる「ヴァイダ」(Vida)の名前は「生命」を表す「Vita」から来ているのだそうです。この作品のテーマは、「生」と「死」だったんですね。
そう思って読み返してみると、物語のモチーフが色々と深い意味を内包していることに気づきます。まずここの図書館は、様々な人々が自分の書いた本を置き去りにする場所。新しい命をせっかく生み出したかと思えば、人々はそれらの命をこの図書館に捨てていってしまうんですよね。まるで「堕胎」のように。そして「わたし」とヴァイダは、本当の堕胎のためにはるばるメキシコまで行くことになるんですが、彼らにとってのメキシコは、本を書いた人々にとっての図書館。結局、その旅によって「わたし」は結局職を失ってしまうことになるんですが、図書館から外の世界に出ようとする「わたし」の姿は、まるで子宮から生まれ出る赤ん坊のようにも見えてきます。
リチャード・ブローティガンの作品は初めて読んだんですけど、いいですね。他の作品も読んでみたいです。(ハヤカワepi文庫)


+既読のリチャード・ブローティガン作品の感想+
「愛のゆくえ」リチャード・ブローティガン
「西瓜糖の日々」R.ブローティガン

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prince.jpg以前ブログの記事にも書いた、フランス語研究会での勉強の一環として読んでいた「星の王子さま」が、とうとう読み終わりましたー。わーい!
フランス語は以前にも勉強してことがあるんですが、もうすっかり忘れてるし、「星の王子さま」をいきなりフランス語で読んでもちんぷんかんぷんなので(笑)、その時にも書いた通り、仏語版と英語版を対訳っぽく使用しました。同じヨーロッパの言語ということで文の構造も語順も似てるので、日本語訳と照らし合わせるよりも分かりやすかったです。(なんて書くと、まるで国際人のような錯覚に陥りそうですが・笑)

原書で読んで初めて気づく部分もあって、そういう部分に出会うと、原書で読んでみてよかったなあって思いますね。例えば王子さまが、自分の星を出る時に薔薇の花と別れの挨拶を交わす場面。私が持ってる内藤訳では、こう訳されてます。

「さよなら」と、王子さまは花にいいました。

原書ではこんな感じ。

--Adieu, dit-il a la fleur.

ここでポイントとなるのが、フランス語には"au revoir"(オールボワール)と"adieu"(アデュー)という2つの別れの挨拶があるということ。普段使うのは「また会いましょう」的な"au revoir"で、それに対して"adieu"は、「二度と会わない相手」もしくは、「また会うことはあるかもしれないけれど、そうそう簡単には会えない相手」に対する挨拶の言葉。
日本語だと「さよなら」という一言にしかならないんですが、このほんの一言の短い台詞に、王子さまはその言葉に「もう二度と会えないかもしれない」という気持ちを込めていたんですねえ。こういう部分に、ぐぐっと来ちゃうんですよー。日本語で読んでるだけでは、分からなかった部分。でも日本語にそれほどの思いを込められる言葉なんて、ないですものね。実際、書店で「星の王子さま」の訳本を4~5冊確かめてみたんですけど、この部分の訳はどれも「さようなら」か「さよなら」でした。

そして途中から原書と合わせて読んでいたのは、瑛里さんに教えて頂いていた「星の王子さまをフランス語で読む」。これは題名の通り、「星の王子さま」をフランス語で読み解いていく本です。でも、全くの初心者向けという感じではないですね。案外文法に関する説明が多いので(もっと文章の流れを追うのかと思ってたので、ちょっとびっくり)、少しでも文法を齧ったことのある人の方が良さそうです。
この本によると、フランス人の子供なら8歳か9歳ぐらいで読めるのだそう。ということは、実はかなり苦戦していた私のフランス語読解力は、幼稚園児かそれ以下ということかなあ。(笑)

そして4月からのNHKラジオのフランス語講座の応用編では、3ヶ月コースで「『星の王子さま』を読もう」が始まります。一度読了したとはいうものの、かなり流し読みしてしまってる部分もあるので、こちらを聞いてきちんと読み直す予定。ラジオ講座の放送時間は、午前7時25分~午前7時45分、午後1時20分~午後1時40分(再放送)、応用編は金曜日と土曜日です。(NHK第二放送)

Antoine de Saint-Exupery
Le Petit Prince」(仏語版) 「The Little Prince」(英語版)

「星の王子さまをフランス語で読む」(ちくま学芸文庫)

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アメリカの黒人作家にして初のノーベル賞受賞者という女流作家・トニ・モリスンの作品。そういえば黒人作家による黒人の物語というのは、ほとんど読んだことがないかもしれません。これは黒人の少女ピコーラの物語。

ここに書かれているのは、黒人の中の差別意識。登場するピコーラという少女は、学校に友達なんて1人もいないし、黒人の少年たちにすら軽蔑され、いじめられています。黒人対白人という構図なら分かりやすいんですが、ピコーラが通ってる学校は、別に黒人蔑視というわけではないんです。転校生としてモーリーン・ピールという少女も登場するんですが、この子も黒人でありながら、周囲には「夢のようにすてきな黒人の女の子」と思われてます。とても裕福な家に生まれ育ち、肌の色は薄く、黒人はもちろん白人の子供たちも彼女のことをからかおうとしないどころか、むしろ魅了されてるんですよね。先生すらも。
黒人の中でも肌の黒さによって差別感情があるのは当然のことかもしれないんですけど、ピコーラがこれほどまでに手ひどく蔑視されているというのは衝撃的でした。むしろ白人と結婚する黒人の方がどっちつかずの状態で敬遠されやすいのかと思っていましたよ...。(この辺りの状況には、とんと疎くてお恥ずかしい) 黒人の中に、ここまで白人本位な美意識が入り込んでいたとは。そしてピコーラは、自分の眼が青い綺麗な眼だったらみんなに愛されると思って、毎晩のように神様にお祈りするんですよね...。
この作品は1940年代のアメリカの話だし、もちろん今とは多少状況が違うとは思うんですが、それでもきっと黒人による黒人差別はおそらくなくなってないんでしょうね。ピコーラをいじめる黒人の少年たちも、肌はピコーラと同じように黒いんです。白人に差別され続けている鬱憤がピコーラに対して噴出してるというのは分かるんですけど、これじゃあ、自分自身を貶めているのと同じこと。
でもこの作品において、作者は加害者側にも被害者側にも加担しようとはしません。ありのままの事実を淡々と書いているだけ。そしてピコーラや彼女の両親の人生を遡ることによって、その差別的な心情がどのようにして形成されていったのか、分かるような構成となっています。考えさせられる作品でした。(ハヤカワepi文庫)

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先日「日の名残り」(感想)がものすごーく良かったカズオ・イシグロさんの作品。今回は英国だけでなく、日本も舞台になってるんですね。現在英国の田舎に住んでいる悦子と、ロンドンから訪ねて来た娘のニキの会話、そして長崎に住んでいた頃の悦子の回想シーンで物語は進んでいきます。回想に主に登場するのは、長崎にいた頃に悦子の夫だった二郎、その父親の緒方さん、近所に住んでいた佐知子とその娘の万里子。

長崎に住んでいたはずの悦子がなぜ今は英国に住んでいるのか、二郎との間に一体何が起きたのか、そして回想シーンに一番多く登場する佐知子やその娘の万里子が悦子の人生に、本質的な意味でどのように関与しているのか分からないまま、悦子の回想は続いていきます。はっきりと分かるのは、景子という娘がいたけれど、彼女が自殺してしまったということだけ。「景子は、ニキとはちがって純粋な日本人だった」という文章から、この景子がおそらく二郎との間に出来た娘であろうということ、悦子が日本人ではない夫と再婚したこと、夫が娘に日本名をつけたがったという部分から、その男性が親日家らしいことだけは分かるんですが、今どこでどうしているのやら。生きているのでしょうか、それとも既に亡くなっているのでしょうか。どうやら家にはいないようです。となると、やはり亡くなったと考える方が妥当なのでしょうか。そして、すぐには分からなくてもそのうちに明かされるのだろうと思っていた部分が、結局ほとんど明かされないまま物語は終了してしまってびっくり。
確かに普通の人が過去のことを思い出す時は、自分以外の人間に説明するように思い浮かべるわけじゃないし、きっとこんな感じですよね。もっととりとめがなくてもおかしくないです。でも幼い頃に英国に渡り、そのまま帰化、日本語を外国語として育ったというカズオ・イシグロ氏が、こんな風に行間から感じ取るタイプの作品も書かれるとは意外でした。英国人というより、日本人の作品みたい。
回想シーンを見る限り、悦子と佐知子はまるでタイプの違う女性。2人の会話はどこまでいっても噛み合いませんし、理解し合っているとは言いがたい状態。長崎にいた頃は良妻賢母タイプだった悦子と、あくまでも「女」である佐知子とは全く相容れないのですが... 後から振り返ってみると、佐知子と万里子の関係は、悦子と景子の関係に重なるんですよね。景子を死に追いやったのは結局自分なのではないかと感じている悦子。1人の女性の中に「母」であること、「妻」であること、「女」であることが上手く同居できれば良いのでしょうけれど、大抵はどれか1つに比重が傾きがちでしょうし、それが自分の本当の望みとは違っていた場合は...。
すっきりとはしないんですけど(笑)、色々余韻が残る作品です。(ハヤカワepi文庫)


+既読のカズオ・イシグロ作品の感想+
「日の名残り」カズオ・イシグロ
「遠い山なみの光」カズオ・イシグロ
「わたしたちが孤児だったころ」カズオ・イシグロ
「浮世の画家」カズオ・イシグロ
「私を離さないで」カズオ・イシグロ
「充たされざる者」カズオ・イシグロ

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昨年の9月に付き合い始めてから、彼が電話をかけてきて、家へ訪ねてくるのを待つだけの生活になってしまった「私」。仕事や日常的な用事は無難にこなすだけ。しかし彼は妻子のある東欧の外交官。じきに任務を終えて、母国に戻ることになります。

本国フランスでは、出版されるやいなやベストセラーとなり、マルグリット・デュラスの「愛人(ラマン)」と並ぶほどの売れ行きを示したという作品なのだそうです。
でも、私には今ひとつピンと来なかったかな...。よくある恋愛物とは一線を画してると思うんですよね。あくまでも自分のことを客観的に見てシンプルに書いてるのがいいと思うし。でも、惹き込まれなかった。斉藤由貴さんが解説で、「あなたは、自分を見失う程の恋愛に溺れた事がありますか」と書かれてるんですが、もしかしたら私が惹き込まれなかったのは、そういう経験が乏しいせいなのかも? 恋愛はしてても、自分を見失う程恋愛に溺れたことなんて、あったかしら...。ここまで純粋に相手のことだけを思って生活することができるのって、確かに1つの贅沢かもしれないなあ。
もちろん、経験がなくても惹き込まれる人は惹き込まれるんでしょうね。恋をしている最中よりも、恋を失った時に読んだ方がしみじみと響いてくるような気がします。(ハヤカワepi文庫)

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