Catégories:“2007年”

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南北戦争末期。ピーターズバーグで首に銃弾を受け、瀕死の重症を負った南軍兵士のインマンは、仲間の兵士たちや医師が手の施しようがないと判断したにも関わらず野戦病院まで生き延び、さらに出身州の正規の病院に移される間も生き延びて、ようやく傷が治り始めます。何週間もかけて少しずつ良くなってきたインマンは、今ではベッドで本を読んだり、外を眺めたりする日々。そんなある日、自分が病院から町まで歩けることを確認したインマンは、夜中に目を覚まし、恋人だったエイダの待つコールドマウンテンの町を目指して病院から脱走することに。

南軍から脱走し、追っ手から逃れながらひたすらコールド・マウンテンに向かうインマンと、牧師だった父を失って経済的に破綻し、ルビーという少女と共に暮らしを立て直そうとするエイダの2つの物語。恋愛小説ではあるんでしょうし、南北戦争をめぐる人々のドラマでもあるんでしょうけれど、そういった人間ドラマよりも、いろんな土地や自然の美しさや厳しさが印象に残った作品でした。特に、すっかり荒れてしまった自分の農場を、自給自足できるまでに作り変えようと決意したエイダの目に映る自然の情景が魅力的。チャールストンの上流階級に生まれて、女性には十分すぎるほどの教養を持っていて、でも「生きる」ということは今まで銀行でお金を下ろしてくること程度の認識しかなかったエイダなんですけど、ルビーという少女に助けられて徐々に強く逞しく生まれ変わってくるんですよね。となると、当然このルビーも魅力的なわけで...。教養としての学問こそ全くなくても、生きるための知識をたっぷりと持っていて、バイタリティに溢れているルビーは、主役の2人よりも存在感があるし素敵なんです。生きるというのは、本来こういうことなのね。ええと、逃亡中のインマンも、生き延びようとしているという意味ではエイダたちと同じだし、そこには様々な人間との出会いや別れ、そしてドラマがあるんですけど、日々の生活の中で着実に何かを作り上げつつあるエイダとルビーの方が前向きだし、読んでいて楽しかった。もちろん、インマンのパートがあるからこそ、エイダとルビーのパートが引き立っていたというのもあるのだけど。でもやっぱり光っていたのはルビーだな。(新潮文庫)

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アーシュラ・K・ル=グウィンによる、ファンタジー・SF論。各地で行われた講演会やエッセイのために書かれた原稿を集めたものです。「夜の言葉」というタイトルは、「わたしたちは、人間は昼の光のなかで生きていると思いがちなものですが、世界の半分は常に闇のなかにあり、そしてファンタジーは詩と同様、夜の言葉を語るものなのです」という言葉からきたものなのだそう。

ル=グウィンの本は「ゲド戦記」以外あまり読んでいないし、SFに苦手意識を持つ私は、傑作と名高い「闇の左手」も今ひとつだったんですが、この本はとても面白かったです。でもファンタジーやSFファンにとっても、すごく興味深く読める本だと思うんですけど、どちらかといえば創作をする人にとって勉強になる本なのかも。
その創作という意味で一番印象に残ったのは、ファンタジー作品の持つべき文体に関して語っている「エルフランドからポキープシへ」という章。ほんの数箇所の言葉を変えるだけで、エルフランドの話のはずがワシントンDCを舞台にした現代小説に変わってしまう例や、E.R.エディスン、ケネス・モリス、J.R.R.トールキンの3人の文を例に出しての話で、この辺りは本当は原文で読まなくちゃきちんと理解できないだろうと思うんですが、すごく興味深かったです。あと、フリッツ・ライバーとロジャー・ゼラズニイの2人が口語体のアメリカ英語と古文体を場面に応じて使い分けてるとした上で、こんなことを書いていました。

シェイクスピアに深く精通し、きわめて広範なテクニックを展開しているライバーが、いかなるものであれ、雄弁にして優美なる一定の調子を保ちつづけられないはずがないのは百パーセント確かだというのに。ときどきわたしは考えこんでしまいます。この二人の作家は自らの才能を過小評価しているのではないか、自身に対する自信を欠いているのではないか、と。あるいは、ファンタジーがシリアスに取り上げられることがほとんどないこの国のこの特異な時代状況が原因で、二人ともファンタジーを真面目に考えることを恐れているのかもしれない。

確かにフリッツ・ライバーの作品の訳は時と場合に応じて変わっていたような覚えがありますが... 日本語訳だけしか読んでないとそんな風にすごい人だとは、なかなか分からないわけで。そうだったのか。ちょっとびっくり。
あとは、「善」と「悪」の二勢力の単純な対立と思われがちな「指輪物語」において、たとえばエルフにはオークが、アラゴルンには黒い騎手が、ガンダルフにはサルーマンが、フロドにはゴクリが、というように輝かしく見える人物もそれぞれに黒い影を伴っているという話は、「ゲド戦記」の第1巻を思い起こさせて興味深かったし、他にも色々と「ほおお」と思う部分がありました。この場ではちょっとまとめにくいんですけどね。(岩波現代文庫)


+既読のアーシュラ・K・ル=グウィン作品の感想+
「闇の左手」アーシュラ・K・ル・グイン
「ゲド戦記」アーシュラ・K・ル=グイン
「夜の言葉」アーシュラ・K・ル=グウィン

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何不自由なく育ってきたメラニーの15歳の夏、アメリカに講演旅行に出かけていた両親が事故で亡くなります。有名な作家だった父に貯金はなく、一文無しとなったメラニーと弟のジョナソン、妹・ヴィクトリアは、南ロンドンで玩具店を営んでいる、会ったこともない叔父に引き取られることに。叔父の家での生活は、豊かだった両親との暮らしとはまるで異なるもの。不潔で不便な環境の中で、学校にも行かせてもらえないまま、叔父の顔色を窺う日々が続きます。

アンジェラ・カーターの作品を読むのは、「ワイズ・チルドレン」(感想)に続いて2作目。華やかで猥雑な雰囲気が楽しい「ワイズ・チルドレン」とは全然雰囲気が違っていて、こっちはもっと文学っぽい作品でちょっとびっくり。あ、題名に「魔法の」とはあるけど、全然魔法は出てこないし、ファンタジー作品でもないです。
冒頭の場面はとても綺麗なんです。メラニーが自分の部屋で鏡で見つめながら未来の恋人のことを考えてときめいていたり、母のウェディングドレスをこっそり取り出して、月の光を浴びながらそれを着て、夜の庭に出て行く場面がものすごく美しいー。でもそういう美しい場面があるから、両親の死後の貧しさが一層強調されてしまうんですね。両親の家とは対照的に、叔父の家の生活には美しさも幻想のかけらもなくて、とても現実的。
でも、それほど生活が零落しても、メラニーの恋に恋するところは変わらず。同居してる青年(叔母の弟)の不潔さに嫌悪感を抱きつつも、幻想の中の王子様を求めるように、ほのかな恋心を抱くんです。この辺りは、あまりにお手軽だなあという印象なんですが、でもそれがまた現実なのかも。そして最後に全てを失ってしまうところでは、メラニーの中の幻想も燃え尽きてしまうみたい。

私としては、「ワイズ・チルドレン」の方がずっと楽しくて好きだったなあ。でも「ワイズ・チルドレン」は晩年の傑作で、この「魔法の玩具店」は、長編2作目という初期の作品、しかもアンジェラ・カーターの作品の中でもちょっと異質な方らしい... やっぱりもうちょっと違う作品を選んだ方が良かったかも。(河出書房新社)


+既読のアンジェラ・カーター作品の感想+
「ワイズ・チルドレン」アンジェラ・カーター
「魔法の玩具店」アンジェラ・カーター
「夜ごとのサーカス」アンジェラ・カーター
「血染めの部屋 大人のための幻想童話」アンジェラ・カーター

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全長1500フィートで七層に区分された、要塞のような「地球市」は、常にレールを敷設して1年に36.5マイルずつ進み続ける都市。この都市に生まれたヘルワードは、この日都市で成人とされる650マイルの年を迎えて、ギルドの見習い員となる儀式に出席していました。ヘルワードは父と同じ未来測量員を希望して認められ、早速見習いギルド員として、様々なギルドの仕事を経験することになります。最初の仕事先は、鉄道敷設ギルド。ヘルワードは生まれて初めて外に出て、土の匂いを嗅ぎ、夜明けの太陽が昇るのを眺めることに。その太陽は、かつて教師に習ったような球形ではなく、円盤のような形をしていました...。

なぜ都市は移動し続けなければならないのか、なぜ都市の人々は外に出ることができないのか、なぜ限られた人々しか都市が動いていることを知らないのか。そもそもこの世界は何なのか。読み始めると同時にわからないことがいっぱい。ヘルワードのお父さんが同年代の人間よりも老けて見えるのは、きっと未来測量員という仕事のせいなんだろうなとは思うんですけど、そもそも未来測量員が何なのかも分からないんですよねえ。それでもその設定を受け入れて読んでるうちに... えっ、時間や距離が状況に応じて変化?! なーんてますます不思議な状況になってきてびっくり。一体この世界は何なんだー!!
結末は思いの他あっさりしてるなあと思ったんですが、これはまさに逆転世界ですね! 今まで信じて生きてきたものが、根底から覆されちゃう。完全に覆されたあとのヘルワードときたら... きゃー、お気の毒! (痛切なんだけど、ちょっと滑稽な感じもあるような・笑)
いやー、さすがプリーストでした。そしてやっぱりこの人はSF系の人なんだなあと実感しました。「奇術師」や「魔法」(感想)はハヤカワ文庫でもファンタジーのレーベルに入ってたし、あの2作品に関してはそれも良かったと思うんですけど、でも根っこのところは絶対SFだわ、この人は。もちろん「双生児」(感想)も然り、です。

SFはあんまり得意ではないので、読む前はちょっと心配してたんですけど、読んでみれば全然大丈夫でした。むしろ好きなタイプのSFだったので嬉しい♪ SFには好き嫌いがハッキリ分かれちゃうんですけど、自分が何が好きで何が苦手なのかきちんと分かっていないので、現在模索中なんです。どうやら宇宙戦争はダメらしい、というのは分かってるんですけどね。
それとこの都市、読んでる間はマーヴィン・ピークの作品に登場するゴーメンガーストという奇城を思い浮かべてたんです。さすがにあそこまでは歪んでないだろうとは思ったんですが。でも本の表紙を見てみたら意外とまともでびっくり。(本屋の紙カバーをつけっぱなしだったので、全然見てなかった) いや、普通に考えれば、こっちの方が本の内容には合ってるんですけどね。(笑)(創元SF文庫)


+既読のクリストファー・プリースト作品の感想+
「奇術師」「魔法」クリストファー・プリースト
「双生児」クリストファー・プリースト
「逆転世界」クリストファー・プリースト

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1時少し前、黒い表紙のペンギンのペーパーバックと、CVSファーマシーの白い小さな紙袋を手に、会社の入っているビルのロビーに入った「私」。エスカレーターで中二階にあがると、そこにオフィスがあるのです...

岸本佐知子さんの「気になる部分」(感想) を読んだ時から気になってたんですけど、ようやく読めました! 一読して思ったのは、この作品の(というより、ニコルソン・ベイカーの作品の?)翻訳を岸本佐知子さんに依頼した人はエライ!!ということ。ニコルソン・ベイカーの作品はこれが初めてなんですけど、びっくりしました。岸本さんのように一面のお花畑が火の海になってしまうことこそないんですが(笑)、この方の思考回路も相当念が入ってるんでしょうねえ。いや、すごいです。岸本さんは、まさに適材適所ですね。

ある会社員の靴紐がお昼前に切れて、彼は昼休みに新しい靴紐を買ってくるんです。実際にここに書かれているのは、その彼がオフィスビルに入ってきたところから、エスカレーターを降りるところまで。出来事としては、ぜーんぜん何も起きないんです。ひたすら彼がオフィスに向かう途中で頭の中でめぐらしていた考え事を書き綴っていくだけ。エスカレーターの美しさから、回転する物体の縁に当たる光の美しさを思い、自分の左手にある紙袋の中身を思い出そうとしながら、その日の昼食に半パイント入りの牛乳を買った時の店員の女の子とのやりとりを思い出し、「ストローはお使いになります?」と聞かれたことから、かつての紙ストローからプラスチック・ストローへの変換と"浮かぶストロー時代"の幕開け、その後の大手ファーストフードチェーン店のストローに関する対応へと思考は飛び、さらに様々な事柄へ...。両足の靴紐が同時期に切れるのはなぜなのか、自分の人生における8つの大きな進歩について、ミシン目に対する熱烈な賛美。どんなに瑣末な思考も疎かにされることなく滑らかに発展し続けますし、その発展した思考が新たな思考を呼んで、それぞれに詳細な注釈を呼んで、その注釈は本のページから溢れ出しちゃう。ありふれてるはずの日常のほんの数分間が、日常のありふれた瑣末なことに関する思考で、再現なく豊かに膨らんでいくんですよね。いや、もう、こんな作品を読んだのは初めて! いやー、ほんと変な話でした。でも面白かった。(笑)(白水uブックス)


+既読のニコルソン・ベイカー作品の感想+
「中二階」ニコルソン・ベイカー
「ノリーのおわらない物語」ニコルソン・ベイカー

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大学の先輩だった河原崎と一緒に、夜の動物園に入らせてもらった時の話「動物園のエンジン」、人を捜す仕事で小暮村に行った黒澤は、その村に未だに残る風習に驚かされる「サクリファイス」、「僕の勇気が魚だとしたら」という文章で始まるある作品にまつわる、いくつかの物語「フィッシュストーリー」、プロ野球選手の家に泥棒に入っている間に、助けを求める若い女性からの電話が... という「ポテチ」の4編。

今回も他の作品とのリンクが結構あったんですが、個人的には「ラッシュライフ」の黒澤が登場するのが嬉しかったですね。なので、2作目の「サクリファイス」が一番好み。黒澤登場はもちろんのこと、すでにすっかり形骸化しているかのように思えた不気味な風習が、実は今でも生きていた?!という辺りが~。伊坂作品らしさという意味では、表題作「フィッシュストーリー」が一番かな。20数年前の父親の話、30年前のロックバンドの話、現在のハイジャック犯の話、そして10年後の話。全然関係ないように見える出来事が1つの細い糸でずっと繋がっていて。でも、一般的には「ポテチ」が一番人気かもしれないですね。これは味のある登場人物も多かったし。
でも、悪くはないんだけど... 私自身の気持ちが国内作品から離れ気味のせいもあると思うんですが、どうも物足りなかったです。伊坂作品らしさが、今回薄かったように思うんですよね。薄いとは言っても別路線を打ち出したわけではなくて、これまでの作品と同じようなパターン。比較的最近の作品では、私は「砂漠」や「魔王」が好きなんですけど... 特に「魔王」のインパクトは、今までにない伊坂色を見せてくれたという意味でも凄かったと思うのに...! でも結局また元に戻っちゃったのね、って感じ。うーん。(新潮社)


+既読の伊坂幸太郎作品の感想+
「死神の精度」伊坂幸太郎
「魔王」伊坂幸太郎
「砂漠」伊坂幸太郎
「終末のフール」伊坂幸太郎
「陽気なギャングが地球を回す」「陽気なギャングの日常と襲撃」伊坂幸太郎
「フィッシュストーリー」伊坂幸太郎
Livreに、これ以前の全作品の感想があります)

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「あの頃ぼくらはアホでした」「ちゃれんじ?」「さいえんす?」「夢はトリノをかけめぐる」に続く、5冊目のエッセイ集。「年譜」「自作解説」「映画化など」「思い出」「好きなもの」「スポーツ」「作家の日々」という7章。

これまでのエッセイ集で触れられていて知ってた部分もちょこちょこあったんですけど、生まれてからの年譜から始まっていることもあり、今までのエッセイの総まとめといった感がありました。「あの頃ぼくらはアホでした」の学生時代、5年間のサラリーマン生活、そして作家への転身。なかなか売れずに苦しむものの、いつの間にか作品に次々と映画化の話が舞い込むような作家への変身。東野圭吾作家史といったところですね。東野さんの作品はほとんど読んでるので、自作の解説もすごく興味深かったです。
でもこれは、東野圭吾さんにとっておそらく最後のエッセイ集になるのだとか。「たぶん最後の御挨拶」というのは、やっぱりそういう意味だったんですねえ。作家になった当初はエッセイを書くのを当然だと思い、プロの作家になったという実感もあって喜んでエッセイの仕事を引き受けていたという東野圭吾さんですが、実はずっと違和感を感じていたのだそう。デビューとなった江戸川乱歩賞はエッセイを書く能力とは無関係。実際エッセイを書くのは苦手。もうエッセイは書かないという決断は、「身体が軽くなったような気さえ」することだったんだそうです。苦手とは言っても、私は東野圭吾さんのエッセイは十分面白いと思うし、楽しみにしているファンも多いと思うんですけど、確かに「訴えたいことは小説で」という考えも分かりますしね。「そんな時間があるなら、小説を書け」という言葉に反論できないというのも、読者としてすごくありがたい姿勢なわけで。や、もちろん、「たぶん最後」というのは「絶対に最後」という意味ではないんですけど... それは東野さんにとっては、「ちゃれんじ?」や「さいえんす?」の「?」と同じようなものなんでしょう。
そしてこの表紙! もしかして東野さんの猫のぷん(夢吉)ですか!? すごーい。東野さんご自身による猫のイラストも可愛いです~。(文藝春秋)


+既読の東野圭吾作品の感想+
「ちゃれんじ?」東野圭吾
「さまよう刃」東野圭吾
「黒笑小説」東野圭吾
「容疑者Xの献身」東野圭吾
「さいえんす?」東野圭吾
「夢はトリノをかけめぐる」東野圭吾
「赤い指」東野圭吾
「たぶん最後の御挨拶」東野圭吾
Livreに、これ以前の全作品の感想があります)

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