Catégories:“2007年”

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生まれた時に母を亡くし、父親が誰かも分からない孤児のウィッジは、7歳の時に近くの小さな村に住む牧師、ブライト博士に引き取られ、実験の手伝いをしながら英語やラテン語、そして速記術を教わります。そして14歳になった時、金貨10枚でサイモン・バスという男に引き取られることに。なんとロンドンで今かかっている宮内大臣一座のシェイクスピアの新作の芝居「ハムレット」の台詞を全て、得意の速記術で書き取って来いというのです。サイモン・バスは、盗み取った芝居を自分の持っている劇団に演じさせて、収益を2倍にしようと考えていました。

先日金原瑞人さんの「12歳からの読書案内 海外作品」(感想)を読んだ時に気になっていた本。紹介されていたのは「シェイクスピアを盗め!」だけだったんですけど、同じシリーズの本もあったので一緒に借りてきました。同じく白水社からの本で気になっていた「海の上のピアニスト」(アレッサンドロ・バリッコ)もあったので借りようかと思ったんですが、中身を見てびっくり。これは字が大きすぎるー。
ということでこの作品なんですが、これはエリザベス1世の時代、シェイクスピアが座付き作者として様々な脚本を書いていた時代のイギリスを舞台にした物語。当時、芝居の台本は一度出版してしまうと権利が出版業者に移ってどの劇団でも上演できるようになったため、人気作家を抱えている劇団は台本を厳重に管理し、ライバル劇団の手に渡らないように注意していたのだそうです。それでも金儲けのために芝居を盗もうという人間は後を絶たなかったのだとか... で、速記術を会得しているウィッジの出番となるわけです。
次々に起きるドタバタでテンポもいいし、ウィッジの成長ぶりが可愛いし、1600年当時の劇場や劇団、ロンドンの町の様子が読んでいてとても楽しかったです。訳者あとがきを見てみると、実はシェイクスピア以外にも実在の人物が沢山登場していたようですねー。あの人も?この人も!で、びっくりです。架空の人物ならではの自由闊達さ... と言うとなんだか妙ですが、みんなあんまり個性的に賑やかに動き回るので、てっきり架空の人物ばかりなのかと思ってました。(笑)
2作目は、ペストの流行でロンドンでの公演が禁止されてしまって、一座が地方巡業に出る話。これもすごい波乱万丈ですが、ウィッジのさらなる成長物語になってました。そして今回は読まなかったけど、「シェイクスピアの密使」という作品が3作目として出ていて、こちらはシェイクスピアの娘が出てくるんだとか。これがまたきっとクセモノなんでしょうねー。いずれ読んでみようと思います。(白水社)

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古い歴史を持つ海辺の町・風早の街の明治時代からの洋館が今も建ち並ぶ辺り、表通りから一歩裏道に入った静かな石畳の道沿いにある、カフェ・かもめ亭。暗い色のオークの木と煉瓦で作られたどっしりとした建物は、その昔帆船やイギリスのパブをモデルに作られたもの。店の真ん中に置かれた小さな自動ピアノがいつも耳に慣れた優しい曲を奏でており、店の扉にはめ込まれた人魚とかもめのステンドグラスからは、どこか魔法めいた色合いの光が差し込んで木の床を染め、店の壁には沢山の絵が飾られています。そんな素敵なお店が舞台の連作短編集。

掲示板でぽぷらさんが教えて下さって読んだ本。なんですが、本を手に取ってみて、あれ? そうそう、この本。sa-kiさんも読んでらっしゃいましたねー。
曽祖父の代から続く店を今受け継いでいるのは、まだマスターになってほんの数年だという広海(ひろみ)。出てくるのはコーヒーだったり、紅茶だったり、ロイヤルミルクティーだったり、時にはお酒をたらしたアイリッシュコーヒーだったり... そしていかにも居心地の良さそうなお店に訪れたお客が広海に向かって語るのは、どこか不思議な物語。ちょっぴり不思議で、ほんのり切なくて、それでも聞いた後に暖かい読後感が残るような物語。人間、幸せなことばかりではないけれど、悪いことばかりでもないよね、そんな気分になります。
私が特に気に入ったのは雑貨の輸入販売をしている寺嶋青年がディンブラのアイスティーを飲みながら語る、今の仕事を始めたきっかけとなった子供の頃の物語「万華鏡の庭」と、久しぶりにやって来たかおるちゃんがエスプレッソを飲みながら語る、小学校の頃に仲良しだった茶とらの猫の「ねこしまさんのお話」。BGMはそれぞれ「シェエラザード」と「ワルツ・フォー・デビー」。大きなスケッチブックを抱えて店に入ってきた高校生の澪子さんが甘いミント・ミルクティーを飲みながら語る、小さい頃からよくみる夢、砂漠を旅する夢の話の「砂漠の花」も良かったなあ。こちらのBGMは「展覧会の絵」。
読んでると、なんだか自分もこのかもめ亭の中でゆったりとお茶を飲んでるような感覚になるんです。素敵でした。久しぶりの日本人作家さんの作品だったので、尚更和んでしまったかも。

「銀の鏡」の真由子と「ねこしまさんのお話」のかおるの話が重なるので気になっていたんですが、あとがきを読んでみると、どうやら村山早紀さん御自身がこういうタイプの女の子だったようですね。「いつも胸の奥に、たくさんのすり傷や切り傷を抱えていて、うつむいて歩」き、自分だけが普通でないような気がして、みんなの中に入って行けなくて悩んでいた女の子。本が友達で、本の世界に入っていくことでやっと息をつくような毎日。「明日、読みかけの本のつづきを読むために、わたしは生きていたのです」という言葉がとても強く印象に残りました。(ポプラ社)


+シリーズ既刊の感想+
「ささやかな魔法の物語 カフェ・かもめ亭」村山早紀
「人魚亭夢物語」村山早紀
「コンビニたそがれ堂」村山早紀
「百年めの秘密」
「やまんば娘、街へゆく」「七日間のスノウ」村山早紀

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ソポクレスは、アイスキュロス、エウリピデスと並ぶ3大悲劇詩人。生涯に作った123もの悲劇のうち、現存するのは本書に収められた7作、「アイアス」「トラキスの女たち」「アンティゴネ」「エレクトラ」「オイディプス王」「ピロクテテス」「コロノスのオイディプス」のみです。

いやあ、面白かった。やっぱりソフォクレス(この本の表記は「ソポクレス」ですが、どうも馴染めないので、こちらで失礼)はスゴイです。紀元前の作品でこんなに楽しめるとは思わなかった... ってエウリピデスを読んだ時も思ったんですけど(笑)、紅白の小林○子的に機械仕掛けの神で盛り上げるエウリピデスよりも、ソフォクレスの方がいかにもギリシャ悲劇という感じですね。ギリシャ悲劇と聞いて現代人が想像するような、まさにそういう作品を書いていると思います。
そんなソフォクレスの一番有名な作品といえばやっぱり「オイディプス王」。読んだことはなくても粗筋を知ってる方は多いでしょうね。フロイトのエディプス・コンプレックスという言葉の元になった作品でもあります。私がこの作品を読んだのは、確か中学の頃。筒井康隆さんの「エディプスの恋人」を読んで、その関連で読みました。でもその時はそれほど楽しめなかったんですよ。その時の私にはまだ早すぎたっていうのが一番大きいと思うんですが、必要以上に堅苦しく考えてたというのもあるのかも。
でもね、違うんです。「オイディプス王」は、実は紀元前に書かれたミステリ小説だったのです!

話としては、オイディプスが治めるテーバイの都に疫病が猛威をふるっているところから始まります。前王・ライオスを殺した犯人を挙げなくては、疫病がやむことはないというアポロンの神託が下り、オイディプスが探偵役として犯人探しを始めるんです。被害者はどんな人間だったのか、いつどこで殺されたのか、目撃者はいたのか。最初は断片的だった証言は、オイディプスを軸として徐々に繋がりを見せはじめます。迫り来る悪い予感。オイディプスを安心させようとした王妃・イオカステの証言は、逆にオイディプスを追い詰めることになります。そしてその証言に裏付けが取れた時に、見えた真実とは。
いや、実は安楽椅子探偵だったんですね、オイディプス王って。でも真相は、「探偵=犯人」。そして来る自己崩壊。

そうやって読むと、ギリシャ悲劇がちょっと身近な感じになりませんか? エドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人」が世界最古の推理小説とされていますけど、こっちの方が断然古いですよー。エディプス・コンプレックスなんていうのは後付けに過ぎないなので、この作品を読む時には邪魔になる程度のものだと思います。

まあ、ミステリと言えるのは「オイディプス王」ぐらいなんですけど(笑)、7編ともすごく面白かったです。「オイディプス王」の他で好きだったのは、トロイア戦争物かな。「アイアス」「エレクトラ」「ピロクテテス」ですね。どの作品も、クライマックスに向けて緊迫感が高まっていくのがさすがの迫力。いや、いいですねえ。面白かった。
ミステリ好きで「オイディプス王」が未読の方は、ぜひ試してみて! 訳者さんは違いますが、岩波文庫からも出ています♪(ちくま文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ギリシア悲劇I」アイスキュロス
「ギリシア悲劇II」ソポクレス
「ギリシア悲劇III」上 エウリピデス
「ギリシア悲劇IV」下 エウリピデス

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アイスキュロスは、ソフォクレス、エウリピデスと並ぶ3大悲劇詩人の1人。作品は90編以上あったと言われていますが、今でも残っているのは、ここに収められている「縛られたプロメテウス」「ペルシア人」「アガメムノン」「供養する女たち」「慈みの女神たち」「テーバイ攻めの七将」「救いを求める女たち」7編のみです。

久しぶりのギリシャ悲劇です。以前「アガメムノン」(感想)を読んだ時に、その続編の「供養する女たち(コエーポロイ)」「慈みの女神たち(エウメニデス)」も読むつもりだったんですが、随分間が開いてしまいました... が、ようやく3部作が読めました。いやー、正統派ですね。トロイア戦争関係の悲劇だと、「こんなんアリ?!」という展開をするエウリピデスの「タウリケーのイーピゲネイア」を実はものすごく気に入ってるので(感想)、アイスキュロスはこんなに真っ当な展開なのかと逆にびっくり。うーん、これも悪くないんだけど、ちょっと物足りない気がします...。でもね、解説に「アイスキュロスは真の意味でのアッティカ悲劇の建設者であった」という言葉があるんです。元々は1人の俳優が合唱隊と問答するだけだったギリシャ悲劇で、俳優の数を2人に増やしたのはアイスキュロス。その後、ソフォクレスが3人に増やしたそうなんですが、最初に2人に増やしたというのが、なにしろ画期的だったのだそう。そしてアイスキュロスは自ら俳優として演じ、音楽や舞踏の作者として合唱隊を教えたのだとか。ソポクレスやエウリピデスに比べると、アイスキュロスの作品は正統派ながらもどこか面白みが足りないようにも感じられるのですが、やっぱり先駆者だったことも関係があるのかも。アイスキュロスが完成させたギリシャ悲劇を、ソフォクレスが洗練させて、エウリピデスが民衆に向けてドラマティックに盛り上げてみせた、という位置づけかもしれないですね。

アイスキュロスは3部作が多くて、「アガメムノン」「供養する女たち」「慈みの女神たち」もオレステイア3部作だし、「縛られたプロメテウス」も、プロメテウス劇3部作の最初の作品。(あと2作は「解放されるプロメテウス」と「火を運ぶプロメテウス」) 「テーバイ攻めの七将」も3部作。(「ライオス」と「オイディプス」) 「救いを求める女たち」も3部作。(「アイギュプトスの息子たち」「ダナオスの娘たち」) 3部作じゃないのは、「ペルシア人」だけなんですよね。でも3部作がきちんと残ってるのは、オレステイア3部作だけで、後はほとんどが失われてしまってるんです。それが本当に残念。特に「縛られたプロメテウス」ではゼウスと衝突して岩山に磔つけられたプロメテウスが、3部作の最後ではどうやらゼウスと和解するようなんですが、ここから一体どんな展開をしたら和解に繋がるのか、とっても気になるーーー。
でもアイスキュロスは今から2500年も昔に生まれた紀元前の人。当時はパピルスなんですものね。今でも作品を読めるだけでもありがたいです。本当に。(ちくま文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ギリシア悲劇I」アイスキュロス
「ギリシア悲劇II」ソポクレス
「ギリシア悲劇III」上 エウリピデス
「ギリシア悲劇IV」下 エウリピデス

+既読のアイスキュロス作品の感想+
「アガメムノーン」アイスキュロス
「ギリシア悲劇I」アイスキュロス

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エーゲ海に浮かぶレスボス島。ある資産家の荘園で山羊の世話をしているラモーンという男は、荘園の山羊が捨てられた赤ん坊に乳を飲ませているのを見つけます。捨て子には珍しいほど立派な産着に包まっているのを見て、ラモーンは赤ん坊を家に連れて帰り、ダフニスという名をつけて、自分たち夫婦の子として育てることに。一方、それから2年ほどたったある日、荘園と地続きの田野で家畜を追っていたドリュアースという男が、岩穴で赤ん坊を見つけます。こちらの赤ん坊も立派な品を身につけており、リュアースの羊が乳を飲ませて世話をしていました。ドリュアースも赤子を家に連れて帰ってクロエーと名付け、自分たち夫婦の子として育てることに。2人の赤子はすくすくと育ち、ダフニスは山羊飼いに、クロエーは羊飼いになります。

古代ローマ時代のロンゴスの作品。レスボス島で狩をしていたロンゴスが、ニンフの森で世にも美しい絵を目にして、そこに描かれた情景に相応しい物語を書き上げたという形式です。この作品が書かれた2世紀末~3世紀初め頃は通俗的な大衆読物が盛んに書かれていて、冒険あり恋愛あり怪奇ありという盛り沢山の作品が人気だったのだそう。それも読者の異国趣味を満足させるために、主人公たちは西に東に大活躍。でもこの「ダフニスとクロエー」の舞台はレスボス島だけ、それもごく限られた牧場地帯の中の出来事を描いた作品ということで、珍しい存在なのだそうです。
でもこの物語の中心となるのは、まだまだ幼いダフニスとクロエー。恋とは何なのかということすら分からないような2人の話なので、広い世界なんて全然必要ないですね。のどかな島の情景、季節の移り変わり共に2人の恋が育っていく様子が叙情的に描かれていて、とても美しいです。もちろん2人の恋の前には、いくつも障害があるんですけど、それも純情な恋の雰囲気を壊すものではなくて、2人の気持ちの結びつきを強める程度のもの。牧歌的な魅力に溢れた美しい小品となっています

岩波文庫にはボナールの絵が使われていますが、シャガールが好きな方には右のような本もあります。シャガール晩年の傑作リトグラフを全42点、挿絵として使っているという贅沢な本なのだそうです。私自身はシャガールは苦手なので多分見ないと思いますが、お好きな方にはいいかも。あと、「ダフニスとクロエー」といえば、ミレーの絵もあればラヴェルのバレエ曲もありますし、三島由紀夫の「潮騒」もこの作品を底本にしてるんだそうです。そんな風に色々な影響を与えてるのも頷ける作品でした。何ていうか、基本に戻った純粋さが力強いです。(岩波文庫)

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ニューヨークで出会って結婚したものの、貧しさのあまり暮らしていくことができず、フランクの両親は子供たちを連れてアイルランドのリムリックへと戻ることに。父のマラキは、口ばかり達者で甲斐性なしの飲んだくれ。暖炉のわきでうめくだけの信心深い母親・アンジェラ。一家がアイルランドに渡ったのはフランクが4歳、すぐ下の弟のマラキが3歳、双子の弟のオリバーとユージーンが1歳の時のことでした。

1997年のピュリッツァー賞伝記部門を受賞したという、フランク・マコート自身の子供の頃を描いた作品です。

子供のころを振り返ると、よく生き延びたものだと思う。もちろん、惨めな子供時代だった。だが、幸せな子供時代なんて語る価値もない。アイルランド人の惨めな子供時代は、普通の人の惨めな子供時代より悪い。アイルランド人カトリック教徒の惨めな子供時代は、それよりもっと悪い。

貧しくてひもじくて、それでも父親はわずかに稼いだ金や失業手当を持ってパブに行ってしまい、子供たちは空腹のまま布団に入る毎日。妹のマーガレットや弟のオリバーとユージーンが死んだのも貧しさのせいだし、フランクの腸チフスや結膜炎ものすごく酷くなったのも、貧しさのせい。仕事が長続きしないのに、ほんのわずかのお金も飲んでしまう父親のせいで、母親は近所の人に食べ物を借りて、子供たちに食べさせる生活。後の方で、フランクが空腹のあまり、フィッシュアンドチップスが包まれていた新聞紙の油をなめるシーンが出てきます。強烈です。「油の染みが一つもなくなるまで、ぼくは新聞をちゅうちゅうと吸う」 ...確かにアイルランドのカトリック教徒の子供たちの悲惨さは、桁違いかもしれないですね。
それでも決してお涙頂戴ではなくて、ほんのりユーモアまじりに語られているのがいいのです。悲惨な状況ではあるけど、フランクたちは決して不幸ではないし...。父親が語ってくれるクーフリンの物語を、フランクが大事に自分だけのものにしていたり、早朝の父親を独り占めして密かに喜びを感じている部分なんて、読んでいるとほんのりと暖かくなります。告解のエピソードも微笑ましいです。幼い頃の告解は司祭が笑いをこらえるのに必死になるような無邪気な内容なんですが、徐々に大きくなって異性への関心が育つにつれて、素直に告解できるような内容ではなくなってくるんですね。そうなると、フランクは教会に行かなければと思いつつも、なかなか入ることができなくなっちゃう。そして、おできのように大きく腫れ上がった罪の意識が自分を殺すことのないようにと1人祈ることに... 一人前の大人になったように見えながら、まだまだ子供の部分を見せるフランクが可愛いです。

「アンジェラの灰」の「灰」とは何なのか、この作品にははっきりと書かれていません。アンジェラが時々眺めている暖炉の灰とか、煙草の灰というのも考えられるんですけど、私は最初この題を見た時に、「ashes to ashes, dust to dust」(灰は灰に、塵は塵に、という埋葬の時の言葉)なのかなと思いました... が、アンジェラはまだ生きてるので、違うみたい。(笑)
あとがきによると、続編の「アンジェラの祈り」を読むと分かるのだそうです。(新潮文庫)


+既読のフランク・マコート作品の感想+
「アンジェラの灰」上下 フランク・マコート
「アンジェラの祈り」フランク・マコート

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夏休みになると、毎年田舎(カンポ)のオジさんの家にやられる9歳のユニオールと12歳のラファ。兄のラファは毎年文句を言うけれど、首都サント・ドミンゴのスラムとはまるで違う生活を、ユニオールは案外気に入っていました... という「イスラエル」以下全10編。

ドミニカ共和国からアメリカに移民した作家・ジュノ・ディアズの自伝的短編集。それぞれの短編は時系列的に並んでいるわけではなくて、主人公のユニオールは9歳だったりティーンエイジャーだったり、物語の舞台となる場所もドミニカ共和国の首都・サント・ドミンゴだったり、田舎町だったり、ニューヨークのスラムだったりと、結構ランダム。でも、それがなぜかとても自然で、その都度、すんなりとその情景に引き込んでくれるんです。
冒頭に、「あなたにこうして / 英語で書いていること自体 / 本当に伝えたかったことを / 既に裏切っている / わたしの伝えたかったこと / それは / わたしが英語の世界に属さないこと / それどころか、どこにも属していないこと」という言葉が引用されています。この言葉はキューバの詩人の言葉なのだそう。でもきっと、ディアズ自身の叫びでもあるんでしょうね。アメリカの大学や大学院に進学している以上、既に英語の方が堪能かもしれませんが、どんな風に書いても英語で書いている以上、元々話したり考えるために使っていたスペイン語とは異質なものとなっているはず。そういうことを考えると、母国語でもないフランス語を日々使い、執筆しているアゴタ・クリストフのことを思い出さずにはいられません。ジュノ・ディアズもアゴタ・クリストフのように、自分の中から母国語が消えていくのを感じていたりするのでしょうか。ジュノ・ディアズの場合は、戦争のためにやむを得なかったアゴタ・クリストフとは状況が全然違うのだけど。でもいくら上手に英語を話しても、英語は彼の母国語ではないんですよね。そしてそれこそが、この短編集に独特の雰囲気を与えているものなのかも。それぞれに余韻の残る短編集です。
でもこの題名、どこから出てきた言葉なんだろう? 原題は「DROWN」... 溺れる、です。直訳して、そのままタイトルにするわけにいかないのは分かるんですけどね。(新潮クレストブックス)

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