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以前「12歳からの読書案内」を読んだんですが(右の本)、気がついたら海外編も出てたので読んでみました。そちらは国内作品しか載ってなくて、それが少し物足りなかったので、今回の海外作品編は素直に嬉しいです。まえがきがね、またいいんですよ。「『12歳からの読書案内』が好評なので、海外編を編まないかという話が編集者からきた。むちゃくちゃうれしい」... この一文で読むのを決めたようなものです。本に対する愛情が感じられるのって気持ちいい~。
監修の金原瑞人さんは第一線で活躍している翻訳家さん。前のメンバーも詩人や歌人、翻訳家さんや児童文学研究者、編集者、大学生といったバラエティ豊かなメンバーでしたが、今回の海外作品編には、あさのあつこさんや森絵都さん、豊崎由美さんなど、おおっと思う人たちが加わってました。19名が選んだ海外作品100冊。

 1章 「感動」して心がじんわりする本
 2章 「どう生きるのか」を真剣に考えたくなる本
 3章 「試練」を乗り越えるヒントになる本
 4章 「元気とガッツ」にあふれる本
 5章 「ファンタジーの面白さ」が凝縮されている本
 6章 発想がユニーク! 珠玉の「短編集」
 7章 危険なくらい「想像力」が刺激される本

絵本から大人の本まで、今回もバラエティ豊かな選書ぶりですね。その中で、特に気になったのは、以下6冊。

 「海の上のピアニスト」 アレッサンドロ・バリッコ(白水社)
 「シェイクスピアを盗め!」 ゲアリー・ブラックウッド(白水社)
 「ガンプ 魔法の島への扉」 エヴァ・イボットソン(偕成社)
 「500年のトンネル」 スーザン・プライス(創元推理文庫)
 「女帝 わが名は則天武后」 山颯(シャン・サ)(草思社)
 「インド式マリッジブルー」 バリ・ライ(東京創元社)

      

中学生になった頃、本は読みたいんだけど一体何を読んだら分からない、という時期があったんですよね。分からないので、手探りで海外文学系を読んでいたんですが... もちろん、そういう風に手探りで探すのも、自力で発見した喜びがあるからいいんですけど、でもそんな時にこういう本があったら参考になったのに、なんてやっぱり思ってしまうのです。今は面白い「本の本」がいっぱいあっていいなー。(すばる舎)


+シリーズ既刊の感想+
「12歳からの読書案内」金原瑞人監修
「12歳からの読書案内 海外作品」金原瑞人監修

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日々のちょろいも 2ndのちょろいもさんに教えて頂いた本なんですが、これがこれが凄かった...! 全編通して面白いんだけど、凄いのは第1章。これは、「本を読む」とはどういうことかという話ですね。もう何ていうか、日頃私が感じていたことをズバッと文章にしてくれたような感じ。色んな作家さんの本からの引用を含め、メモを取りまくっちゃいました。
ご本人の文章から1つ引用すると

本を読む時間がない、と言う人は多いが、ウソだね。その気になれば、ちょっとした時間のすき間を利用して、いくらでも読めるものなのである。たとえ、それが二分、三分といった細切れ時間であっても、合計すれば一日二十、三十分にはなるはずだ。一ページ一分かかるとしたって、毎日三十ページ近くは読める。土日に少し時間を稼げば、新書程度の分量なら一週間に一冊は読了できる。要は、ほんとうに本が読みたいかどうか、なのだ。(P.34)

「本を読んでる時間がなくて~」という人は、要するに読書の優先順位がそれほど高くないってことなんですよね。
そう理解してます、いつも。別にそれがいいとか悪いとかではなくて。

そしてもう1つ。

本一冊を読んで、いきなり自己を変革しようというのはあまりに安易だ。そして、なにか「ためになる」ことがないと、本に手を出さない姿勢もいびつだ。それもこれも「本を読む」ことのほんとうの楽しさを知らないから、いつまでたっても即効性を謳う本ばかりに手を出してしまうのである。本は栄養ドリンクではない。(P.28)
他の作家さんの文章も1つだけ引用させて下さい。
文学、芸術に関する限り、私たちは楽しさよりも先ず、何かしら<ためになること>を追うようだ。楽しむための文学を、たとえば中間小説、大衆小説などと呼んで区別するところにも、自らの手で楽しむことを卑小化する傾向が見られはしまいか。感覚の楽しみが精神の豊かさにつながっていないから、楽しさを究極の評価とし得ないのだ
楽しむことのできぬ精神はひよわだ。楽しむことを許さない文化は未熟だ。詩や文学を楽しめぬところに、今の私たちの現実生活の楽しみかたの底の浅さも表れていると思う。(P.28)

これは谷川俊太郎さんの『「ん」まであるく』(草思社)から。
そうだよね、やっぱり基本は「楽しむ」だよねっ。
以前読んだカルヴィーノの「なぜ古典を読むのか」にも、「古典は義務とか尊敬とかのために読むものではなくて、好きで読むものだ」 という言葉がありましたよ。やっぱり「楽しむ」こそが、読書の基本。それだけが全てと言いたいぐらいの、基本中の基本。

ということで、読みたくなるような本もいっぱい登場したんですけど、その中でありゃりゃーとなっちゃったのは、ギッシングの「ヘンリ・ライクロフトの私記」と谷沢永一の「紙つぶて」でした。
 

「ヘンリ・ライクロフトの私記」については、「およそ読書人と呼ばれる人の本棚に、これがないことはありえない」。
そして、「紙つぶて」が本棚に並んでない人が、「いやあ、本っていうとさあ」なんて抜かしても、無視するに限る、だそうで...
すみません、どちらも未読です。でもそんな私でも、本を楽しむことにかけては誰にも負けませんわ!

「ヘンリ・ライクロフトの私記」は面白そうなので、早速探してみようかと~。あ、「紙つぶて」も読んでみたいんだけど、こちらは「稀代の絶品書評コラム全455篇」とのことなので、もう少し日本文学を読んでからの方がいいかも。押さえるべき作品を全然押さえてない私ですから、猫に何とやらの状態になってしまいそうです。(光文社新書)

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1949年6月、政府科学顧問のベン・ロックスペイサー卿と国防省科学顧問のヘンリー・ティザード卿に、コンピュータの可能性について科学者に打診するよう依頼された物理学者のC.P.スノウは、スノウの母校ケンブリッジ大学のクライスト・コレッジで非公式のディナーを開催します。招かれたのは、遺伝学者のJ.B.S.ホールデイン、量子力学でノーベル物理学賞を受賞したエルヴィン・シュレーディンガー、20世紀で最大の哲学者の1人・ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン、数学者のアラン・チューリングの4人。その晩、ディナーの席で5人の白熱の議論が繰り広げられることに。

ここに書かれているのは、架空のディナーの情景。中心的な議題は、機械は思考することができるか否かというもの。この議論の中では、あくまでも「考える機械」止まりなんですけど、実質的には「人工知能(AI)の可能性について」ですね。(まだその言葉が生まれてなかったのね)
好戦的なヴィトゲンシュタインと、内向的だけど自信に満ちたチューリングの激しい議論が中心となって、穏やかなC.P.スノウが時折議論の筋道を元に戻しながら、シュレーディンガーとホールデインが自分の専門分野からの考察を挟んで議論をさらに煽るという形式。実際にはこんな話し合いはなかったはずなのに、本当に白熱の議論が行われてるような臨場感がありました。ここに出てくる5人に関しては名前ぐらいしか知らなかったんだけど、学者たちの個性もきちんと書き分けられていて掴みやすかったし、理数系の専門知識が全然なくても、予想したより分かりやすくて面白かった。訳者あとがきに、「精神と機械の本質を浮かび上がらせ、それらに関する知見を高校生にも分かるほど平易に解説」とあるように、入門的な本なんでしょうね。果たして専門的な知識を持つ人にはどうなのかな? あとね、この議論でのヴィトゲンシュタインってちょっと凄いんですよ。ヴィトゲンシュタインについて良く知ってる人には、これはどうなんだろう? ちょっと聞いてみたいところです。 (新潮クレストブックス)

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アウヘンスキオフ城に住むキャサリンと村に住むケイトは、幼い頃から大の仲良し。なかなか自由には会えないものの、少しでも機会をみつけては一緒に過ごしていました。キャサリンが12歳になる頃、乳母のゲルダが結婚して外国に行くことになり、キャサリンの父は新しい乳母を探す代わりに、ケイトの母親のグリゼル・マックスウェル夫人と再婚。キャサリンとケイトは姉妹となることに。しかしグリゼルは魔女だったのです。野育ちのケイトが、美しく気立ての良い継子キャサリンに負けているのを見たグリゼルは、夫の留守の間にじわじわとキャサリンを追い詰め始めます。

スコットランドのギャロウェイ地方に伝わるケイト・クラッカーナッツの伝承がメインモチーフになっているんですが、ブリッグズがその背景として選んだのは17世紀半ばのスコットランド。1649年のチャールズ一世の処刑とそれに続く内戦という激動の時代を舞台にしています。読んでいると、まるで歴史小説みたい。でもそんなところに妖精や魔女が登場しても、全然違和感がないんですよね。逆に、そういう存在が本当にスコットランドやイングランドの日常に根ざした存在だったんだなあと感じられるほどです。
継母が実は魔女だったというのは、「シンデレラ」を始めとするおとぎ話によくあるパターンなんですが、先妻と後妻の娘同士が実の姉妹のように仲良くなるという展開はちょっと見ないですね。ケイトは、キャサリンを母親の悪意から守ろうとしながらも、母親に愛情を示されるとやっぱり嬉しくなるし、魔女を忌まわしく感じながらも、同時に強く惹かれるものも感じているし、キャサリンのためには魔女が死んで嬉しいけど、母親を失うのはやっぱり悲しいんですよね。でもそんな板ばさみの状況もしっかり受けとめていて、基本的に守られるだけのキャサリンよりもずっと魅力的でした。この2人、どちらも「ケイト」ですけど、「ケイト・クラッカーナッツ」と呼ばれるのは、キャサリンではなくてケイトの方。やっぱり彼女が主人公なんですね。(岩波書店)


+既読のキャサリン・ブリッグズ作品の感想+
「妖精 Who's Who」キャサリン・ブリッグズ
「魔女とふたりのケイト」K.M.ブリッグズ

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小さな村の産婆として暮らしている「わたし」は、娘のアーザと2人暮らし。「醜い女」と呼ばれる「わたし」とは裏腹に、5歳のアーザはとても美しい女の子。「わたし」は、村の女バーラの口利きで村人や近隣の貴族のお産を手伝い、アーザのために治療師として悪魔を追い払うことも勉強し始めます。

「ヘンゼルとグレーテル」を本歌取りしている作品。物語はヘンゼルとグレーテルがお菓子の家にやって来るずっと前から始まります。魔女がまだ魔女ではなかった、娘を愛する普通の母親だった頃に始まる物語。
ただ一度の失敗が女魔術師を追い込んで、娘を守るためとは言え、本物の魔女にしてしまうんですよね。「わたし」は、悪魔の誘惑に耳を貸さないように気をつけて暮らしてるんですが、それでもじわじわと周囲から追い詰められてしまいます。...でもこれを読んでると、魔女と人間の決定的な違いって何なんだろう?って思っちゃうんですよね。結局のところ、彼女は本当に魔女になったんではなくて、なったと思い込まされていただけのような気がしてしまう...。それに彼女を本物の魔女にしてしまったのは物語の上では悪魔なんですけど、本当は村人たちだと思うんですよね。病気や出産の時に、「わたし」にたびたび助けられていたのに... そのことを忘れなかったのは、ペーターという少年1人だけ。
1人の女性の哀しい末路の物語であり、同時に魔女を焼き殺してしまったグレーテルの行動に対する免罪符ともなる物語。グリム童話が残酷だというのはよく言われることですが、これもまた残酷な別の話です。(青山出版社)


+既読のドナ・ジョー・ナポリ作品の感想+
「逃れの森の魔女」ドナ・ジョー・ナポリ
「クレイジー・ジャック」ドナ・ジョー・ナポリ
「バウンド 纏足」ドナ・ジョー・ナポリ

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湖のほとりのカシの木に金の鎖で繋がれている博学の猫が語ったのは、遥か彼方の国の物語。若い魔女・チンギスは、ある日叫び声を聞きつけます。それは冷酷非常なギドン皇帝のただ1人の息子、サファ王子の声。皇帝は世継を得るために結婚し、后も無事に懐妊したものの、いざ世継が生まれるとなると自分の地位への不安を感じた皇帝は、サファを宮殿の一番高い塔のてっぺんの部屋に閉じ込めたまま忘れてしまったのです...という「ゴースト・ドラム」。
アイスランドの邪悪な魔法使い・クヴェルドルフは、最果ての国・テューレの女王が結婚相手を探していると聞き、我こそはと考えます。そしてアイスランドで一番語るのが上手いネコのトードという男に、女王の前で自分を称えてもらおうと考えるのですが、両親の死のきっかけとなったクヴェルドルフの行いを忘れていないネコのトードは、申し出をきっぱりと断ります... という「オーディンとのろわれた語り部」。

スーザン・プライス2冊。
「オーディンとのろわれた語り部」は、アイスランドの民話にヒントを得てスーザン・プライスが作り出した作品だそうです。これはこれで悪くなかったんですけど... 私にはちょっと短すぎたかも。字も大きくて読みにくかったんですよね。この2冊を比べてしまうと、断然「ゴースト・ドラム」が良かったです。なのに「ゴースト・ドラム」の画像がなくて残念。
「オーディンとのろわれた語り部」はアイスランドが舞台。でも「ゴースト・ドラム」はどこなんだろう... 1年の半分が冷たく暗い冬だという凍てついた国、ということしか書かれていません。それだけならアイスランドでも良さそうなものなんですが、北欧神話系ではないですね。むしろロシアの雰囲気。スラヴ系の神話かな? 博学の猫が語るという形式がとても雰囲気を出していて良かったし、魔女がチンギスを育てていく過程も面白かったし... 魔女は普通に子育てをするのではなくて、ゴースト・ドラムという太鼓を叩きながら歌うんです。丸1年間歌い終わった時には、最初毛布にくるまっていたはずの赤ん坊は、既に20歳の娘に! 魔法の修業も面白かったです。世界で最も大切な3つの魔法とは「言葉」「文字」「音楽」という話にも、すごく説得力があって。
一応児童書なんですけど、児童書とは到底思えない作品。壮絶に血が流され続ける暗い歴史、といったところは「エルフギフト」(感想)と共通していて、あとがきで金原瑞人さんが書かれている通り、いわゆる「教育的配慮」がまるでないんですね。でもこれが凄い迫力。短い作品ながらも強烈なインパクトがあって、ずっしりと重い手ごたえがありました。寸分の無駄もないって、こういう作品のことなのかも。この作品はシリーズ物で2作の続編があるようなので、ぜひ訳して欲しいなあ。(福武書店・徳間書店)


+既読のスーザン・プライス作品の感想+
「エルフギフト」上下 スーザン・プライス
「ゴースト・ドラム」「オーディンとのろわれた語り部」スーザン・プライス
「500年のトンネル」上下 スーザン・プライス

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魔法の力を授かったフィンカイラの若者たちは、7つの魔法の基礎を学び終えると、力呼びの儀式のために魔法の楽器作りに取り掛かる慣わし。14歳になったマーリンもサルテリーという小さな竪琴を作ります。儀式が成功ならサルテリーはひとりでに鳴り出し、魔法の力を呼び起こすはず。しかし儀式が上手くいくかと思われたちょうどその時、弦が一斉に切れてサルテリーは空中で燃えてしまったのです。そこに現れたのは、ドワーフ族の女王であり魔術師でもあるウルナルダ。はるか北の失われし地ロストランドで伝説の皇帝竜・バルディアグが目覚めようとしており、マーリン以外にバルディアグを倒せるものはいないというのです。

ということで、3巻から5巻まで一気に読みました。3巻ではまだ作者が無理矢理波風を立ててるように感じてしまったし、読んでいて歯がゆくなってしまうほど未熟なマーリンにうんざりしてたんですが、4巻になっていきなり面白くなりました。物語の展開としてもとても自然になったと思います。作者がマーリンの頭を押さえつけておく必要もそろそろなくなった? しかも、マーリンの将来と直接的に繋がる部分があったのも面白かった。なんだかT.H.ホワイトの「永遠の王」(感想)みたい!と思う場面もありました。5巻は4巻ほどではなかったけど、まずまず、かな。
ただ、本国ではこの続編として、「アバロン」シリーズも刊行されているところなんだそうですが、それが訳されても、読むかどうかは...。今回の主人公はマーリンではないようなんですけどね。書いてる人は同じだからなー。(主婦の友社)


+シリーズ既刊の感想+
「マーリン」1・2 T.A.バロン
「マーリン」3~5 T.A.バロン

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Note


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