Catégories:“2007年”

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物心が付いた頃から鉄塔に興味を持っていて、鉄塔を眺めるのが何よりも好きだった小学校5年生の少年が、夏休みに近所の鉄塔から順に1つずつ鉄塔を辿っていくという、文字通りの鉄塔小説。第6回日本ファンタジーノベル大賞大賞受賞作で(池上永一「バガージマヌパナス」と同時受賞)、映画化もされている作品。実際の鉄塔の写真が500枚以上収録されて、まるで小学5年生の少年による実録小説のような感じです。最初の新潮社版の単行本や文庫には全ての写真を収録することができなかったのが、今回のソフトバンク文庫でようやく全て収録という運びになったのだとか。

「男性型」「女性型」「料理長型」「婆ちゃん鉄塔」などなど、鉄塔に色々な名前をつけて、その「結界」に1つずつメダルを埋め込むことに執着して、最後までやり遂げようとするところなんかは、鉄塔に対する愛情が感じられていいと思うんですけど... いやあ、ツラかった。本を読んでいてこんなにツラかったのは久しぶり。なんせ私自身鉄塔にはまるで興味がないですしねえ。最初は、そんなに色んな種類の鉄塔があるのかーって読んでたんですけど、いくつか読んだ時点ですっかり飽きてしまって。いえ、この1つずつの鉄塔を執念深く描き続けるところにこそ、意味があるんでしょうけどね。そしてそれ以上にツラかったのが、文章が合わなかったこと。小学5年生の少年の一人称の作品で、会話はまるっきりの子供だっていうのに、地の文章の主語が「わたし」なんです。しかもどう考えても小学生の作文という感じの拙さなのに、語彙力は大人並み。もちろんわざと子供らしく書いたということなんでしょうけど、どうも気持ちが悪くて堪らなかったです... 最後まで読み終えてほっとしました。同時受賞の池上永一さんの「 バガージマヌパナス」は、すごく好きだったんだけどなあ。あ、この作品よりも、私は「風車祭(カジマヤー)」が好きなんですけどね。池上作品は4冊しか読んでないクセに、これは池上さんの最高傑作に違いないと信じてるぐらい。この年のファンタジーノベル大賞は、まるっきり正反対に違う2作だったんですね。(笑)(ソフトバンク文庫)

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与次郎が語ったのは、言い伝え通り恵比寿像の顔が赤くなった時、1つの島が滅んだという話。それを聞いて正馬と惣兵衛は非合理な話だと強く否定し、剣之進1人があり得ることだと反論。剣之進は実際にその話の証拠として「豊府紀聞巻四」を見つけてきます。しかしそれでも正馬と惣兵衛は、確かに恵比寿像の顔が赤くなった後に天変地異が起きたのかもしれないが、その2つの出来事の因果関係が証明されたわけではないと言うのです。結局4人は薬研堀のご隠居のところに話を聞いてもらいに行くことに... という「赤えいの魚(うお)」他、全6編の収められた短編集。

一体いつ以来...? の京極作品。京極堂のシリーズの方だって、あんなに夢中になってたのに、「宴の始末」辺りから気持ちが離れ始めて、結局「邪魅の雫」も読まなかったんですよねえ。でもこの作品はともっぺさんにとても良かったと教えていただいて、読んでみました。「続巷説~」がとても綺麗に閉じていてすごく良かったので、あれ以上一体何を書いたんだろう?って思ってたんですけど、ともっぺさんも読む前は似たようなことを感じてらしたのに、読んでみたらすごく良かった~と仰ってたので。
「憑き物」を落として人を正気に戻す京極堂シリーズに対して、こちらは「憑き物」を利用して人を正気に戻すシリーズ。でも時代は既に明治となっていて、今までの話とはまた趣向が違いました。百介はもうすっかり老人だし、文明開化の時代を生きる4人の若者たちが中心。

最初のうちは、それぞれに確かに面白いんだけど、同じパターンが続くなあ... って感じだったんです。でもね、最後の「風の神」が良かった! きっとこの部分を書きたかったんですね、京極さんは。「彼岸」と「此岸」に関する部分がしみじみと良かった。百介が又市たちと過ごしたのはほんの数年間のこと。その後又市たちは百介の前に姿を現さなくなって、百介自身は又市たちに見捨てられてしまったように感じてるんですが、でもそれはきっと本当は全然違うんですね。大きな愛情が感じられるなあ。もしかすると又市たちにとって、百介は最後の良心だったのかも。江戸から明治へと移り変わった時代の中で、最早妖怪に用などなくなってしまったというのは、どうも寂しいんですが、やっぱりこの境目の時期だからこその話だったんだなあ。(なんて言ったら京極堂のシリーズはどうなんだ?なんですが)
あ、京極堂のシリーズに直接繋がる人物も複数登場してました。結局のところ、全部そっちに流れ込むってことなのね。(笑) (角川文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「巷説百物語」......ブログには感想がないので、よろしければLivreへどうぞ
「続巷説百物語」京極夏彦
「後巷説百物語」京極夏彦

+既読の京極夏彦作品の感想+
「百器徒然袋-風」京極夏彦
Livreに、これ以前の作品の感想があります

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母が亡くなった時に兄のカシスが託されたのは、子供の頃を過ごしたレ・ラヴーズの農園。姉のレーヌ=クロードに託されたのは、地下庫に眠る一財産になりそうなワイン。そして末っ子のフランボワーズが受け継いだのは、母の料理のレシピや様々なメモが書かれた雑記帳1冊とペリゴール産トリュフが1個。母の死から30年、フランボワーズは生まれ故郷の農園をカシスから買い取り、フランソワーズ・シモンという名でそこに住み始めます。本名のフランボワーズ・ダルティジャンを出さなかったのは、この村ではダルティジャンという名が忌まわしいものとされているから。幸い村人たちは誰も現在65歳の女性がかつての女の子であることを思い出さず、じきにフランボワーズが開いたクレープ屋も順調に繁盛します。しかしフランボワーズの料理がある有名シェフの目に留まり、クレープ屋が雑誌で紹介されると、その生活の静けさを破る人間たちが現れて...。

「ショコラ」「ブラックベリー・ワイン」に続く、ジョアン・ハリスの3作目。前2作のようにランスクネ・スー・タンヌという小さな村が登場することはないのだけど、この3作は食にまつわる「食の三部作(フード・トリロジー)」なんだそうです。確かに美味しそうな料理が、これでもかというほどに登場! でも、ものすごーく美味しそうなんだけど、それが明るい光となってるかといえばそうではなく、逆にものすごーく不穏な空気が流れてました。「ショコラ」に登場するチョコレートなんて、あの甘い香りが人々の頑なさを蕩かすって感じだったのに。でも改めて考えてみれば、あの時も不穏な空気は十分漂っていたんだな... 今回ほどにはダークではなかったのだけど。今回特に不吉だったのは、芳しい香りを放つ瑞々しいオレンジ。
物語は、フランボワーズの現在の話と、9歳の少女だった1942年当時の回想によって進んでいきます。その頃に何かとてつもなく不愉快な出来事があったんだろうなというのはすぐに分かるのだけど、それが何なのかなかなか分からなくて、最初はじれったいです。でも母の遺した雑記帳を読み解くうちに、ベールがはがされるように徐々にその出来事が見えてきます。求めている愛情を得られないまま意固地になってしまった子供と、素直に愛情を示すことのできない母。子供ならではの残酷さと浅はかな知恵。そして隠し通さなければならない秘密。
いやあ、面白かった。やっぱりジョアン・ハリスはイイ! ちょっと的外れかもしれないんだけど、やっぱり「食べる」ということは、人間が生きるための基本なんだなあ、なんて思ったりもしました。「1/4のオレンジ5切れ」というこの題名の不安定さがまた、内容にとても合っていていいですねえ。(角川書店)


+既読のジョアン・ハリス作品の感想+
「ブラックベリー・ワイン」ジョアン・ハリス
「1/4のオレンジ5切れ」ジョアン・ハリス
Livreに「ショコラ」の感想があります)

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中沢新一氏のカイエ・ソバージュシリーズ、読み残していた2冊をようやく読みました。いやあ、大変でした。文章はとても読みやすいのに、内容がなかなか頭の中に入ってこなくて... いえ、全部入ってこないわけじゃなくて、ものすごく興味深く読んだところもあるんですけど、どうも頭がすんなり受け付けない部分もあって。結局2冊を2度ずつ読んだんですが、これをまとめようと思ったら大変だわーっ。そういや、3巻の「愛と経済のロゴス」でもちょっと苦労していて、この先もっと苦労しそうだなという予感があって、こんなに間が開いたんでした。すっかり忘れてた。(笑)
でも全体的には、ものすごく面白かったです。読みやすいですしね。時には小難しい文章の方が有難がられることもあるようですが、これは平易な文章でありながら内容は深いという良い例かと。

今回特に面白かったのは、4巻「神の発明」の中の「スピリット」の話。
スピリットといえば、日本の八百万の神々の例を取ってみても分かるように、自然の中に数限りなくいるもの。そしてそういったスピリットと交信するのがシャーマンなわけですが、時には集団で共同体験を行うこともあるわけです。例えばアマゾン河流域のジャングルに住むあるインディアンは、今でも幻覚性植物を使って、集団で銀河のような光の幻覚を共有するのだそう。この集会に実際に参加した人類学者の話なんかも載ってます。でも実際には、そういう植物を利用しなくても幻覚症状を引き起こすことはできるんだそうです。例えば深い瞑想や電気的な刺激。完全な暗室に入ってしばらく静かにしているだけでも、じきに視覚野が発光しはじめるらしいです。(今度やってみよう) で、面白いのは、その時に見える光のパターンの形状は、どんなやり方でやったとしても、どれもとても似通っているということ。古代からこういった光のパターンがスピリットの存在に結び付けられてきたそうなんですが、そういった光のパターンは、実は人間の内部視覚だったんですね。そして「スピリット」は、そういった体験を説明する原理として生まれてきたもののようです。
そして数多くのスピリットの中には、威力と単独性を備えた「大いなる霊」も存在して、その「大いなる霊」がある条件のもとでその環を抜け出した時、一神教の「ゴッド」が生まれることになるようです。...とは言っても、全てのケースで抜け出すわけではなくて、アメリカ先住民の「グレートスピリット」のように、威力と単独性を供えていても、「ゴッド」にはならないケースもあるんですね。これは、そこに国家が存在するかどうかというところが分かれ目。王や国家を生み出す力が、「ゴッド」をも生み出すことになるようで、この辺りの話もすごく納得しやすくて、面白かったです。ただ、この辺りの説明があっさりとしすぎていて、少し物足りないんですが...。2巻の「熊から王へ」のこの話の関連部分を読み返してみようっと。(講談社選書メチエ)


+シリーズ既刊の感想+
「人類最古の哲学 カイエ・ソバージュI」中沢新一
「熊から王へ カイエ・ソバージュII」中沢新一
「愛と経済のロゴス カイエ・ソバージュIII」中沢新一
「神の発明」「対称性人類学」中沢新一

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「ナルニア国物語」のC.S.ルイスの自叙伝。幼かった時のこと、家族のこと、特に兄との親密だった関係のこと、母との別離とそれに伴う家族関係の変化のこと、寄宿学校での教育やそこで得た友人たちとのこと。そして兵役を経てオックスフォード大学に復学したこと。幼年期から、モードリン学寮の特別研究員に選ばれ、キリスト教を受け入れるようになった頃までのことを辿っていきます。

本来は、無心論者だったC.S.ルイスが紆余曲折を経てキリスト教を信じるようになった過程を書こうとした本のようなんですけど、実際にはあまり宗教的な匂いが感じられなかったです。キリスト教について大きく取り上げられているのは2度だけでしたしね。1度目は、ほのかに持っていた信仰心を失ってしまった14歳の頃。そして30歳過ぎに信仰心を取り戻した時が2度目。そのキリスト教の信仰を取り戻したことが書かれている章は、意識的に書かれずに終わってしまったことも多かったようで、かなり抽象的なんです。これじゃあインパクトがあるどころか、ほとんど印象にも残りません...。唯一、キリスト教という心の支えを得たことで、「喜び」を失ってしまったようなところは興味深かったんですが。
それより、他のエピソードがものすごく面白かったです! 特に子供時代の回想部分が素晴らしい~。ルイスと兄の過ごした日々がすごくリアルに蘇ってくるようだし、それにルイスが読んでいた本! ルイスの本の好みは、私自身が好きなジャンルでもあるので、ものすごーく興味深く読めました。特にロングフェローの詩「オーラフ王の伝説」の中の「テグネールの頌詩」で、初めて北欧神話に出会った時の感動は印象的。この作品、読んでみたいなあ。日本語には訳されてないのかしら。そしてこの本を読んでたら、他にも「私も読みたいと思っていたんだった...!」という本を色々思い出しちゃいました。
そして様々な生活描写の中に、ナルニアの面影が垣間見えるようで懐かしかったです。特にルイス自身の母が亡くなる場面では、「魔術師とおい」のディゴリーと母親の関係を思い出すし、もしかしてノック先生は「ライオンと魔女」のカーク教授のモデル? ルイスと兄は、3歳の年齢の差のせいで違う寄宿学校に入ることになるんですけど、新学期の寄宿舎に向かう時は途中の駅まで一緒で、その学期が終わって帰省する時はその駅で再会するんですね。こういうところを読むと、ついついペベンシーきょうだいがカスピアン王子のふく角笛に呼び出される場面を思い出しちゃう。ナルニアを知らなくても読める本だとは思いますが、やっぱりこれはナルニアを知っていてこその本かもしれないですね。(ちくま文庫)


+既読のC.S.ルイス作品の感想+
「マラカンドラ」「ペレランドラ」C.S.ルイス
「サルカンドラ」C.S.ルイス
「顔を持つまで 王女プシケーと姉オリュアルの愛の神話」C.S.ルイス
「悪魔の手紙」C.S.ルイス
「喜びのおとずれ C.S.ルイス自叙伝」C.S.ルイス
「カスピアン王子のつのぶえ」他 C.S.ルイス

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これはカレル・チャペックが故郷であるチェコスロヴァキアについて書いた本。以前「イギリスだより」「スペイン旅行記」を読んだ時に(感想)、これも一緒に読むはずだったんですけど、イギリスやスペインに比べてチェコスロヴァキアの場合、地名を知らなさ過ぎて... どうも頭を素通りしてしまうので、ちょっと寝かせておいた本。ただ寝かせておいても地名に関する知識は全然増えてないんですけど(笑)、今回は前回に比べれば頭に入りやすかったかな。他の旅行記同様、雑誌や新聞に掲載されていた文章を1冊にまとめたものです。チャペックの死後70年経っているというのに(書かれたのがいつなのか知らないんですが、実質的には90年ぐらい経ってるのかな?)、全く古さを感じさせないどころか今でもとても興味深く読めるのは、他の著作と同様。
大抵はチェコスロヴァキアの牧歌的な風景が紹介されてるんですけど(外国人観光客の見分け方とか面白いです)、ものすごく印象に残ってしまったのは、「プラハめぐり3 そこで暮らす人々」の中の「警察の手入れ」の章でした。あまりに悲惨な人々の生活ぶりは、衝撃的。部屋を開けた途端に襲ってくる恐ろしい悪臭の波。部屋の中にあるのはぼろの山と驚くほど沢山のごきぶり。そしてそのびっくりするほど汚いぼろの固まりの中には何人もの子供たちが重なり合いながら寝ているというんです。1つの賃貸住宅の各小部屋(どのぐらいの広さなんだろう?)には、年配の男女1組と6~10人の子供たちがいるというのが平均的。部屋によっては、1つの小部屋に2~3家族が住んでいたりします。貧乏だから子沢山なのか、それとも子沢山だから貧乏なのか、でも薄い羽根布団が1枚しかなくて、互いに身体を暖め合うしかない人々にとっては、それは必然的な結末なのかも...。綺麗事を言うのは簡単でも、それは全く状況の改善には繋がらないということはチャペックもよく分かっていて、それでもやはり文章で訴えずにいられない気持ちが伝わってきます。この文章が書かれてから随分な年月が経ってるはずだけど、今プラハの貧民街はどうなってるんだろう? 相変わらず同じような状況なのか、それとも強制的に追い出されたりしたのか、それとも...?
もちろん、そんな悲惨な話ばかりではないんですけどね。祖国のいいところも悪いところもひっくるめて、チャペックの暖かいまなざしが感じられる1冊です。(ちくま文庫)


+既読のカレル・チャペック作品の感想+
「ダーシェンカ」「チャペックの犬と猫のお話」「園芸家12ヶ月」カレル・チャペック
「イギリスだより」「スペイン旅行記」カレル・チャペック
「ロボット」チャペック
「チェコスロヴァキアめぐり」カレル・チャペック
「北欧の旅」カレル・チャペック

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「私」が昇り龍の刺青を背負う印鑑職人の正吉さんと知り合ったのは、この町に引っ越してきて半年ぐらい経ったある日のこと。偶然立ち寄った「かおり」という小さな居酒屋で声をかけられたのです。それ以来、「かおり」や風呂屋で一緒になると、なんとはない世間話をする間柄。しかしそんなある日、「かおり」で話しているうちにいつの間にか眠り込んでしまった「私」が目を覚ますと、隣に正吉さんの姿はありませんでした。一週間ほどかけて仕上げた実印を大切な人に届けるという話を聞いていた「私」は、椅子の足元に黄色い箱の入った紙の手提げ袋が置き忘れられているのを見て、慌てて都電の駅へと走ります。

先日読んだ「雪沼とその周辺」(感想)に続いて、堀江敏幸作品2作目です。雪沼は架空の場所だったんですけど、こちらは実在の場所が舞台。都電荒川線の走る小さな町を舞台にした物語です。学校で教えたり、実務翻訳をしているけれど、日々の生活としては不安定な生活を送っている「私」が主人公。
まず書かれているのは、ここでの暮らしで「私」が出会った正吉さんや古本屋の筧さん、「かおり」の女将、大家であり町工場を営んでいる米倉さん、その娘で、「私」が時々勉強を見てあげることになる咲ちゃんたちとのエピソード。その合間に、過去の様々な回想や現在のことが浮かんでは消えていきます。競馬のことや読んだ本のこと、その時に目に映る情景など。思い浮かぶままに書き綴られているという印象もあるんですが、きっと実際にはそうではないんでしょうね。この文章、やっぱり読んでるとなんだか落ち着きます~。とても穏やかな心持ちになってきます。特に書かれていなくても、それぞれの登場人物の背後にある、これまでの人生が確かに感じられるような気がしてくるのがいいのかな。ふいと姿を消してしまった正吉さんは、最後までもう現れることなく終わってしまうし、そういう意味では物語がきちんと閉じていないとも言えるんですけど、その不在の存在感はとても大きかったですしね。実は相当な文学的素養を持つ「私」も、どこか魅力的だったし。読んでいて気持ちの良い作品でした。実際に都電に乗って、王子駅の辺りを歩き回ってみたくなっちゃうな。(新潮文庫)


+既読の堀江敏幸作品の感想+
「雪沼とその周辺」堀江敏幸
「いつか王子駅で」堀江敏幸

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