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文化出版局の「すてきなお母さん」誌に連載されていたというエッセイを1冊の本にまとめたもの。I章「本の中の子供」、II章「夢を追う子ら」に分けて、様々な児作家たちをとりあげています。I章で取り上げられているのは、女性作家。ローラ・インガルス・ワイルダー、エリナー・ファージョン、ヨハンナ・シュピーリ、ケート・グリーナウェイ、ルイザ・メイ・オルコット、ルーマー・ゴッデン、ビアトリクス・ポター、ジョルジュ・サンド、イーディス・ネズビット、セルマ・ラーゲルレーヴ、メアリ・シェリィ、ベッティーナ・フォン・アルニムの12人。II章で取り上げられているのは男性作家で、マーク、トウェイン、ルイス・キャロル、オスカー・ワイルド、ジュール・ヴェルヌ、ジョナサン・スウィフト、宮沢賢治、巌谷小波の7人。

児童文学論というよりも、これは作家論なんですね。19人の作家たちの生い立ちや家族に迫って、それが作品に与えた影響を考えていくエッセイ。この作家のうち、全然読んだことのないのは巌谷小波だけだったんですが、私ったら今まで作家のことなんて本当に何も知らずに読んできたんだなあと、ちょっと愕然としました。この中でも、特にファージョンやオルコット、ジョルジュ・サンド、キャロル、ヴェルヌ辺りは、何度読んだか分からないほど読み返しているのに! もちろんローラ・インガルス・ワイルダーの作品はそのまま彼女の歴史でもあるわけだし、ファージョンのように、「ムギと王さま」のまえがきで「本の小部屋」のことに触れていることから、読書一家の中で相当本を読んで育った人なんだろうなと想像できていた作家もいるんですが。

男性作家と女性作家と章が分かれてるんですが、特に女性作家の章が興味深かったです。例えば、ローラ・インガルス・ワイルダーの章。ローラの生活は、全て手作りです。家も家具も服も日用品も食べ物も全部手作り。外は荒々しい自然そのままの世界だけど、一旦家の中に入ってしまえば、そこはお母さんの手によってきちんと整えられていて、手作りの暖かさと家族の愛情で満ち溢れていて... そこがこのシリーズの人気の1つでもあるはず。でもそこで矢川澄子さんは

手作りの味わいはたしかに捨てがたい。ただしそれはあくまでも現代、二十世紀後半のわたしたちにとっての話であって、フロンティアの開拓者たちはかならずしもそう考えてはいなかったことをよくよく顧みなければならぬ。

と書いてるんですね。実際、この作品は1950年代から邦訳されていたらしいんですが、まだ戦後の荒廃の記憶も生々しい50年代にはあまり読まれることもなく、注目を集めるようになったのは、ようやく70年代になってからだったのだそう。確かに、戦後の窮乏を知っている人間にとっては、かなりキツい作品だったのかもしれませんね...。手作りを趣味として楽しむことができるなんて、確かに今の時代ならではのことと言えますし。このシリーズを読んだ時はまだ小学生だったから仕方ないんだけど、そんなこと全然考えてなかったなあー。
でもあの一連の作品の中で、ローラのお父さんが初めて脱穀機を使った時の言葉は、今でも鮮明に覚えてます。

機械ってものはたいした発明だよなあ! 旧式なやりかたのほうがいい連中は、かってにそうするがいいが、わたしは進歩派だよ。われわれはすばらしい時代に生きているんだ。

決して手作り・手作業信奉者じゃないんですよね。
ここで様々な作品の背景を知ってみると、その作家たちの作品がまた別の視点で味わえそうです。そうでなくても、子供の時の視点とはまた違う目で読めるでしょうしね。改めて、子供時代好きだった色んな本を読み返してみたくなっちゃいました。 (ちくま文庫)


+既読の矢川澄子作品の感想+
「わたしのメルヘン散歩」矢川澄子
「兎とよばれた女」矢川澄子

+既読の矢川澄子翻訳作品の感想+
「七つの人形の恋物語」「スノーグース」ポール・ギャリコ
「トンデモネズミ大活躍」「ほんものの魔法使」ポール・ギャリコ
「小鳥たち」アナイス・ニン
「フィオリモンド姫の首かざり」ド・モーガン
「風の妖精たち」「針さしの物語」ド・モーガン
「ザ・ロンリー」ポール・ギャリコ
「「きよしこの夜」が生まれた日」ポール・ギャリコ
「ゴッケル物語」クレメンス・ブレンターノ
「妖精の国で」W.アリンガム&リチャード・ドイル
「クリスチナ・ロセッティ詩抄」クリスチナ・ロセッティ
「タイコたたきの夢」ライナー・チムニク

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吉野朔実さんの「犬は本よりも電信柱が好き」の「京都マニア」の章に紹介されていた本をくまなく読もう企画第3弾。この章では8冊紹介されていて、既に感想をアップしている入江敦彦さんの本4冊の他に、「桂離宮-日本の庭園美6」という本も見てるので(これは普通の写真集なので、感想は書きませんが)、これで5冊目。「草菜根」(中東久雄)と「京 花背 摘草料理」(中東吉次)は、料理本なので見ないかも。となると後は「人が見たら蛙に化(な)れ」(村田喜代子)だけなんですけど、この「遊鬼」を読み始めた途端、この「人が見たら蛙に化れ」という言葉が何度も出てきてびっくりでした。そう繋がるのかあ。「人が見たら蛙に化れ」は骨董の世界を描いた小説で、これも面白そうなんですけど... 大丈夫かな、結構分厚いので今の私には気分的にちょっと重いのだけど。読めるかな。

というのはともかく、「遊鬼」です。白洲正子さんという方は、とても恵まれた環境に生まれ育った方だと思うんですけど、やっぱりそれを生かせるかどうかは本人にかかってますよね。それを見事に生かしきった方だったんだなあ、と改めて思いました。この「遊鬼」は、彼女が師と仰いだり友人として付き合った人々のことなどを書き綴った随筆集なんですが、才能があるところには才能がある人が集まるというか、個性は別の個性を呼ぶというか、本当に強烈な人がいっぱい。そして、そんな強烈な才能と個性の持ち主に囲まれて、様々なことを貪欲に吸収されたんですね。「大往生 梅原龍三郎」の章の最後に、「それからひと月も経たぬうちに白州は亡くなった。つづいて加藤唐九郎、そして梅原先生、私にもどうやらこの世は色あせて、味けないところになって行くようである」とあるんですが、その気持ちも分かるような...。図書館で借りた本で、感想を書くのが期限に間に合わなかったので、ちゃんとメモできなかったんですが、含蓄のある言葉もいっぱいありました。洋画家の梅原龍三郎さんが描いたと仰る薔薇の絵が見つからなくて困ったという話に対する小林秀雄氏の言葉とかね。さらりと書かれているんだけど、ものすごくインパクトがありました。
特に強く印象に残ったのは、タイトル「遊鬼」の元となった鹿島清兵衛の生き様を描いた「遊鬼 鹿島清兵衛」。これは凄まじいです。事実は小説より奇なり、とはこのことか。あと、この本の表紙の桜の絵を描いた早川氏の「創る 早川幾忠」という章も、なんだかとても好きだったなあ。(新潮社)


+既読の白洲正子作品の感想+
「日本のたくみ」白洲正子
「西行」白洲正子
「遊鬼」白洲正子

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6週間ぶりに再会した恋人のクラリッサとピクニックに出かけたジョーは、ワインの栓を開けようとしたその時、男の叫び声を耳にして立ち上がります。巨大な灰色の気球が不時着し、かごから半分出かかったパイロットはロープに片足が絡まってひきずられ、かごにはまだ10歳ぐらいの少年が乗っていたのです。思わず助けに走るジョー。同じように駆けつけた何人かの男たちと一緒にロープを掴みます。しかし強風のため、気球は男たちをぶら下げたまま浮かび上がり... やがて男たちは1人また1人とロープから落下。1人が手を放すごとに気球は数フィート浮かび上がり、最後まで残っていたジョン・ローガンが手を放した時、気球は300フィートの上空にいました。ジョン・ローガンは死亡。事故にショックを受けたジョーとクラリッサは家に帰ってからも事故のことを話し続けます。その晩遅くかかってきたのは、気球の事故の時に一緒にかけつけた男たちの中の1人、ジェッド・パリーからの電話。「知ってもらいたいんだ。あなたが何を感じているかぼくには分かる。ぼくも同じことを感じてるから。愛してる」という言葉に、思わずジョーは電話を切るのですが...。

前回読んだ「アムステルダム」は、大人っぽいクールな空気が漂いながらも、あまり起承転結のない作品だったなあという印象があるんですけど、これは全然違うんですね! ひー、怖い。実際には全然ホラーじゃないんですけど、私はこの手の話が苦手なので、そこらのホラーよりもよっぽど怖く感じられてしまいました...。
読み始めた時はてっきり、自分は死にたくないからロープから手を放してしまって、結局最後までロープに掴ってたジョン・ローガンを死なせてしまった罪悪感の話かと思ったんですが(最初にロープから手を放したのは自分じゃなかったって何度も言い訳してるんですもん)、全然そうじゃなくて(笑)、実際にはこの事件をきっかけに妙な男に見初められてしまったという話で、びっくり。相手に愛されていると勝手にかつ強烈に思い込んでしまう、「ド・クレランボー」症候群という妄想症があるんだそうです。そんな相手にストーカーされてしまうだけでも怖いんですけど、どこまでいっても会話は平行線を辿ってる辺りも強烈。ジョーはノイローゼ気味になっちゃうし、それが原因で恋人との仲が内側から崩壊し始めちゃう。いくらジョーにとっては脅威でも、その男はクラリッサには全然接触してないので、彼女にとってみれば多少危ないかもしれなくても特に危険のない相手に過ぎないですしね。本当にそれがジョーが言うように危険な人物なのか、それとも本当はジョーがおかしいのか。本当は科学者になりたかったという微妙なコンプレックスが、ジョーの精神崩壊に生かされてる辺りも巧いなあって思っちゃった。ま、それだけに私としては怖かったんですけどね。面白かったことは面白かったんですけど、読むのがツラかったですー。(新潮文庫)


+既読のイアン・マキューアン作品の感想+
「アムステルダム」イアン・マキューアン
「愛の続き」イアン・マキューアン

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フェヴァーズは、「下町のヴィーナス」とも「綱渡りのヘレン」とも呼ばれる、当代随一の空中ブランコ乗り。「彼女は事実(ファクト)か、それともつくり物(フィクション)か?」というキャッチフレーズで世間の評判になっていました。その晩、ロンドンでの公演を終えたフェヴァーズにインタビューにやって来たのは、アメリカ人の若い新聞記者・ウォルサー。フェヴァーズはインタビューで、自分はトロイのヘレンのように白鳥の卵から孵ったのだと言います。実際、その肩の後ろには途方もなく大きな羽がありました。すっかり彼女とその数奇な物語に魅了されたウォルサーは、フェヴァーズの取材を続けるために彼女の所属するサーカスに道化として入り、巡業に同行することに。

これは「ワイズ・チルドレン」のような、猥雑なショービジネスの世界を舞台にした作品。物語の中心となっているフェヴァーズは、天使のような羽を持ってるんですけど、その実態は天使からは程遠くて... 実は相当の大女だし、言葉は下町訛り。大酒飲みだし下品だし、楽屋には臭いの染み付いた下着やストッキングが散乱。それを若い男性に見られても動じるどころか、逆に相手の反応を見て楽しむ始末。でも彼女の語る生い立ちの話は面白い! 道端に捨てられてるところを売春宿の女性に拾われて、そこで育てられたことや、やがて肩から翼が生えてくると、売春宿では勝利の女神ニケの彫像のように館の中に立つことになったこと。そしてその売春宿がなくなった後は、フリークスが集められた館へ。
第1部の「ロンドン」で語られるのはそんなフェヴァーズのこれまでの人生で、第2部の「ペテルブルク」になると、ウォルサーがフェヴァーズを追ってサーカスに入るので、2人の関係を中心に話が展開すると思ったんですが... どうもちょっと違ったみたい。確かにフェヴァーズは常に中心にいるんですけどね。最後まで読んだ時に浮かび上がってきたのは、様々なフリークスたちの存在。そんな人々の存在がグロテスクでありながらも、幻想的で美しい情景になってました。
でも、「ワイズ・チルドレン」の面白さには及ばなかった気もするのだけど、これもとても良かったです。特に第1部が一番面白かったな。(国書刊行会)


+既読のアンジェラ・カーター作品の感想+
「ワイズ・チルドレン」アンジェラ・カーター
「魔法の玩具店」アンジェラ・カーター
「夜ごとのサーカス」アンジェラ・カーター
「血染めの部屋 大人のための幻想童話」アンジェラ・カーター

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17世紀の数学者フェルマーが書き残した様々な定理のうち、その死後350年経っても誰1人証明できないままに残ってしまった「フェルマーの最終定理」に関する本。以前ごとうさんに、「ノンフィクションが嫌いでないならば、お勧め」と、教えて頂いた作品です。いや、ノンフィクションは実際あまり得意ではないんですけど... 数学は好きな方だったし... とは言っても「フェルマーの定理ってどんなんだっけ?」状態だったんですけど(笑)、ちょっと面白そうだったので読んでみました。

そもそもフェルマーの定理というのは、古代ギリシャ時代のピュタゴラスの定理を発展させたもの。ピュタゴラスの定理というのは、「直角三角形の斜辺の二乗は、他の二辺の二乗の和に等しい」というアレです。方程式にすると、「x2 + y2 = z2」ですね。そして、この場合式の指数は2なわけなんですが、これを3やそれ以上の数にすると、それまで無限の解を持っていた式が、全く整数解を持たない式となってしまうというんですね。これがフェルマーの最終定理と呼ばれるもの。
フェルマーは何か定理を見つけるたびに愛読書だった「算術」という本の余白に書き込んでいて、その書き込みは48にも上ったのだそう。でもそのほとんどの証明は書かれてなくて(きちんと証明されていなければ定理とは言えないんでしょうけど、フェルマーにとっては定理だった)、それを後の数学者たちが1つずつ解いていってるんですね。でもこの定理に関しては、フェルマーの死後誰1人として解くことができなくて、それで「最終定理」なんて名前で呼ばれるようになったというわけです。「この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」なんてふざけたことを書き残してたらしいんですよ! 全く、人が悪いというか悪戯好きというか、とんでもない人ですね、フェルマーってば。(笑)
で、この定理の証明に成功したのが、プリンストン大学にいたアンドリュー・ワイルズ。10歳の時に初めてこのフェルマーの最終定理を知って以来、それを解くのに憧れて、結局数学者になってしまったという人なんです。

この定理の証明を延々と書かれても、きちんと理解できるのは世界でもほんの一握りの人間だけだそうだし、高校まで数学を勉強した程度じゃあ、何言ってんだかぜーんぜんワケわかんないって状態になるはず。でもこの本では、そういう証明方法とかじゃなくて、フェルマーの定理やその元になったピュタゴラスの定理のこと、それに関わってきた数学者たちの歴史なんかが丁寧に書かれることによって、とても読みやすい本になってました。数論の歴史、ですね。女性数学者たちの歴史なんかも面白かったし、この定理の証明に複数の日本人数学者が大きな役割を担っていたというのがねー、読んでてなんだか嬉しかったり。極東の人間なんてろくすっぽ取り上げられないで終わってしまうことも多いらしいんですけど、きちんと書かれていたのが良かったですね。しかも、一度は完全に証明できたかと思われた証明に致命的な欠陥が発見されて、一時は最早解決不可能かという様相を呈するんです。ドラマティックな盛り上がりも十分。面白かったです。(新潮文庫)

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アルバイト先の染色工場で出会った佐々井と親しくなった「ぼく」。やがて佐々井はそのアルバイトをやめるのですが、ある時、3ヶ月ほど集中的にお金を作る仕事をするので、それを手伝って欲しいと言われ、「ぼく」は手伝うことに... という「スティル・ライフ」と、1人娘のカンナを置いて東北に出張に出た文彦は、帰り道のサービスエリアで木材輸出の会社に勤めるロシア人のクーキンに声をかけられ、東京まで車に乗せていくことになり、それが縁でカンナも交えて時々会うことになるという「ヤー・チャイカ」の2編。

どちらも「ぼく」と佐々井、文彦とクーキンという、ひょんなことで知り合った2人の奇妙な関係と友情を描いた作品。これはもう物語の筋を追うよりも、雰囲気を味わいながら読むべき作品かもしれませんね。もちろん物語としても面白かったんですけど、それ以上にこの雰囲気が好き~。バーで飲んでいる時の星の話、雨崎での雪の降る情景、スケートをしている時の霧の思い出話... とても透明で、静かでひんやりとした空気が流れてます。いつの間にか、自分が空の星の1つになってしまったような気がしてくるような... もしくは宇宙から降ってくる微粒子の1つになってしまったような感覚、かな。音が感じられないのに、星の音がとても豊かに聞こえてくるような気もしたり。(それって一体どんな音? なんとなく硬質なイメージなんですが・笑) そして、紛れもない小説なのに、しかも理系の話題が多いのに(笑)、ものすごく詩的なんです。
ちなみに「ヤー・チャイカ」というのは、「私はカモメ」という意味だそうです。世界で最初の女性飛行士となったテレシコワのコールサインが、この言葉だったのだとか。Wikipediaによると、1963年6月16日にボストーク6号に搭乗したとありました。そんな時代の人だったのか。すごいなあ。(中公文庫)


+既読の池澤夏樹作品の感想+
「南の島のティオ」池澤夏樹
「スティル・ライフ」池澤夏樹
「真昼のプリニウス」池澤夏樹
「夏の朝の成層圏」池澤夏樹
「バビロンに行きて歌え」池澤夏樹
「神々の食」池澤夏樹

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吉野朔実さんの「犬は本よりも電信柱が好き」の「京都マニア」の章に紹介されていた本をくまなく読もう企画第2弾。「京都な暮らし」は、実際は紹介されてなかったんですけどね。これは京都の四季折々の慣習や何かの本。
ということで、「京都人だけが食べている」「京味深々 京都人だけが食べている2」がメインだったわけなんですが、ああー、美味しそうでした! 美味しそうなお店がいっぱい紹介されてました。特に行きたくなったのは、吉野朔実さんも絶賛のなかひがし(懐石)かな。つるやの丼はやっぱり美味しそうだし、西陣江戸川のうな重も。新福菜館本店の炒飯のこの色もそそる... あと、わざわざ京都で?って感じもしますけど、吉加寿のお好み焼きや蛸虎のたこ焼きもちょっと試してみたくなったし、冷麺大好きの私としては、年中冷麺が食べられるという中華のサカイ本店にも行ってみたーい。お菓子関係では、松屋藤兵衛(和菓子)、緑寿庵清水(金平糖)、濱長本店(ところてん)辺り。そして生麩餅や麩饅頭目当てで中村軒と麩嘉。生麩大好きなんです。
 
でも、肝心の桂離宮付近のお店は、中村軒と隆兵そばしか載ってなくてざんねーん。(一応事前リサーチの一環ですから) どちらもその日お店がお休みなんですよぅ。中村軒の生麩餅食べたかったな。で、嵐山まで範囲を広げてみても、新八茶屋とサガパーというところしか載ってない... しかもこれは2つともソフトクリームのお店。私はソフトクリームは食べられないし。これはやっぱり、嵐山には「よそさん」相手のお店が多いってことかもしれないな。(実際多いんだけど)
文章のはしばしに見え隠れしてる京都人のプライドも、第三者として読めば面白いです。これで時々ふっと引きずり寄せられることさえなければ良かったんですけどね。...こればっかりは、わざわざ他の地方を引き合いに出さなくても京都万歳だけでいいじゃないですかーって言いたくなっちゃう。でもとりあえず、今回読む入江敦彦さんの本はこれでオシマイです。ああ、おなかいっぱい。ごちそうさまでした。(光文社知恵の森文庫・幻冬舎文庫)


+既読の入り江敦彦作品の感想+
「京都人だけが知っている」入江敦彦
「京都人だけが食べている」「京味深々 京都人だけが食べている2」「京都な暮らし」入江敦彦

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