Catégories:“2008年”

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ロシアの詩人・プーシキンが、子供の頃に聞いたロシアの昔話を元に詩として書き上げた作品。ここに収められているのは「サルタン王のものがたり」「漁師と魚」「死んだ王女と七人の勇士」「勇士ルスランとリュドミーラ姫」の4編で、それぞれ散文の形に訳されています。
昨日の「ハンガリー民話集」を読んでいたら、無性に読みたくなっちゃいました。子供の頃、気がついたら本棚に入ってた本です。昭和33年発行の本なので、きっと父の本だったんでしょうね。古すぎて、アマゾンには本のデータもありませんでしたよー。すっかり古びてページの色も茶色味を帯びてるんですけど、ずっと大好きで大切にしてる本です。

「サルタン王のものがたり」は、2人の姉の悪だくみのために、樽に入れられて海に流されたお妃さまと王子の話。2人は何もない島に流れ着くんですけど、トビと争っていた白鳥を助けたことから、王子は白鳥に助けられてその島の領主・グビドン公となります。で、時々こっそりお父さんの顔を見に行くんです。このグビドン公が聞いてきた不思議な話を白鳥が実現してくれるところが好き。
「漁師と魚」は、願い事を叶えてくれる金の魚の話。でも昔話にありがちな「3回」ではないのが特徴ですね。
「死んだ王女と七人の勇士」は、ロシア版白雪姫。本家の白雪姫と違うのは、姫が入り込んだ家に住んでいたのは7人の小人ではなく勇士ということ、そして姫を助けるのが許婚の王子さまだということ。
「勇士ルスランとリュドミーラ姫」は、結婚式の夜に攫われてしまったリュドミーラ姫を、ルスランと他の3人の騎士たちが探しに行く物語。とても好きなのは、「フィンのおきな」が死んだ勇士ルスランに死の水と命の水をそそぐ場面。「死の水をふりかけると、みるみる傷はかがやきはじめ、しかばねはうつくしいふしぎな色につつまれました。」というところ。いきなり命の水をかけるのではなくて、まず死の水をかけるというのが、子供心にすごく印象的だったんですよね。そして「サルタン王のものがたり」にも出てきた魔法使いの「チェルノモールじいさん」が、あちらと同一人物のはずなのに全然雰囲気が違うのが面白いです。きっとこっちの方が本来の姿なんだろうな。

他の地方の童話に似ていても、4つの物語はそれぞれにロシアらしさを持っていて、それが他の地方の民話には全然見ない部分で、そういうところがとても好き。「勇士ルスランとリュドミーラ姫」はオペラにもなってるんですけど、元々はプーシキンの叙事詩なんですよね。子供用の本ではなくてきちんとした叙事詩の形に訳されたものがあればぜひ読みたいところなんですが... やっぱりないのかなあ。時々思い出しては探してみてるんですけどね。(岩波少年文庫)


+既読のプーシキン作品の感想+
「勇士ルスランとリュドミーラ姫」プーシキン
「プーシキン全集1 抒情詩・物語詩」プーシキン

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先日アンドルー・ラング編集の「きいろの童話集」を読んだ時にロシアや東欧の童話がもっと読みたいと書いたんですが(記事)、丁度この本を見つけたので読んでみました。この1冊にハンガリーの民話全43編が収められています。

さすがに43作品も読むと最後の方はちょっと飽きてしまったんですが(笑)、東欧の民話をちゃんと意識して読んだのは初めてだったので、なかなか興味深かったです。まず日本の昔話の決まり文句「むかしむかし、あるところに」というのが、ハンガリーでは「あったことかなかったことか」という言葉なんですよね。かなりの割合の物語がこの言葉で始まってます。もしかしたら、今までにもハンガリーの昔話を読んでるのかもしれませんが、この「あったことかなかったことか」というのは初めて。そして締めくくりの言葉に多いのが「死んでいなければ今も生きているはずだ」というもの。あと、その場に自分もいたというのも時々ありました。婚礼の式に招かれていたとか。以前読んだロシア民話では、婚礼の式によばれて蜜酒やビールをご馳走になったけれど、ちょっぴりひげを濡らしただけでみんなこぼれてしまった... というのが何回かあって、すごく印象的だったんですよね。こちらではそれほど慣用的に使われてるわけではなかったのでちょっと残念だったんですけど、それでもいかにも老人たちが語り継いていく話を採取したという感じで好き。

スーザン・プライスの「ゴースト・ドラム」に、鳥の足がついた家が出てきてたんですけど(その足で家が歩くんです)、こちらで登場したのは鳥の足の上で回転するお城。これは東方のシャーマンの旋回する儀礼が入ってきたものだそうです。それってダルヴィッシュの旋舞のことかな? ええと、私が知ってるのはスーフィー(イスラム教神秘主義派)の修行僧がひたすら旋回しながら祈るヤツです。今はトルコ辺りで観光客相手のショーとして旋回舞踏が行われているようですね。ハンガリーはオスマントルコに支配されていたこともあるから、やっぱりその辺りから入ってきたのかもしれないなあ。
それからやけにヤーノシュという名前が多かったんですけど、ヤーノシュはハンガリーの「太郎」なんですかね?(笑) あと15世紀に実在したというハンガリー王・マーチャーシュの話も面白かったです。これがまるで一休さんみたいなイメージ。巨大なかぼちゃを見つけて王様に贈り物にした貧しい人には2頭の雄牛が買えるお金を与えて、それを聞いて美しい子馬を贈り物に持っていった金持ちの男には、その巨大なかぼちゃを与えたり。お金がなくて亭主の葬式を断られた貧しい女には金貨を渡して、お葬式に自分も参列して坊さんをやっつけたり。実際にはお忍びで国の中を旅して回っていたこともあるそうなんで、そうなると水戸黄門になっちゃいますが。(笑)(岩波文庫)

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「風の王国」シリーズ14冊目と15冊目。『初冬の宴』から続く一連の話は次刊で終わります... と前巻のあとがきに書いてあった通り、ここのところずっと続いていた一連の話にもようやく終止符が打たれることになります。「花陰の鳥」「波斯の姫君」も本編じゃなかったから、本編として話にきっちり一区切りがつくのは本当に久しぶり! でも一連の流れの一区切りともなると、何を書いてもネタバレになっちゃう...。ええと、ネタバレにならないように書けることだけ書くと。
なるほど、こうやって決着をつけるわけですね~。不審な動きをしていたロナアルワに関しては、ほぼ想像通りの展開になってました。そういう話や展開は本当はあまり好きじゃないし、逆にものすごく苦手だったりするんですが、なかなか後味のいい結末を迎えてくれましたよ。よかったー、ほっとしました。それと、その後一体どんな風に話が続いていんだろう?と思ってたんですが、なるほどこういう風に流れていくわけですね。心配してたんですけど思ってたよりもずっといい感じです。
さて次はヤルルンだ! 一時はもう読むのをやめようかと思ったんですけど、こうなったら最後まで付き合いますよ~。(集英社コバルト文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「風の王国」1~4 毛利志生子
「風の王国 月神の爪」毛利志生子
「風の王国 河辺情話」毛利志生子
「風の王国 朱玉翠華伝」毛利志生子・増田メグミ
「風の王国 目容の毒」毛利志生子
「風の王国 臥虎の森」毛利志生子
「風の王国 花陰の鳥」毛利志生子
「風の王国 波斯の姫君」毛利志生子・増田メグミ
「風の王国 初冬の宴・金の鈴」毛利志生子
「風の王国 嵐の夜」上下 毛利志生子
「風の王国 星の宿る湖」毛利志生子

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こういう本の感想は滅多に書かないんですけど... 手芸家の高橋恵美子さんのエッセイです。

子供の頃から物を作るのが大好きで、手芸に限らず常に色んなものを作ってきた私なんですが、今まで針と糸の縫い物だけは相性がイマイチ、とずっと思っていたんですよね。ミシンなんて持ってないし買う予定もナシ。布を裁断するなんて大の苦手。これから先も縫い物は必要最低限しかしないだろうと思っていたんですが...。
最近、自分でもちょっと針と糸に対して気持ちが和らいでるのを感じてはいたんです。(笑)でも縫い物の本は大抵ミシンで作るのが前提。確かに布の大きさや何やかやはミシンでも手縫いでも一緒だし、基本的に「縫う」という作業も同じはず。でも、なんか億劫... だったんですよね。そんな時に見つけたのが手縫いオンリーのバッグの本。丁度18色の糸セットを入手していたこともあって(本来は違う用途のためだったんだけど)、すっかりハマってしまいましたよ! それから半月ほどで、バッグを4つと共布のポーチその他をざくざくと作ってしまったほど。
「基本からはじめる手ぬいのバッグ」と「手ぬいでチクチクやわらかいバッグ」には、「手縫い」という言葉からはちょっと想像できなかったような素敵なバッグが沢山紹介されています。しかも綺麗な色糸のステッチをポイントにして見せてしまうのが可愛くて~♪ このセンスに心がぐぐっと鷲掴みにされちゃいました。そしていざ作り始めてみると、説明がとても分かりやすくて案外すいすいと作れるし。

とは言っても、普段ならそんな風にハマってもエッセイまでは読まないと思うんですけどね。バッグの本で既に感じるものがあったせいか、こちらにまで手を伸ばしてしまいました。んんー、やっぱりいいかも。たとえばなぜミシンじゃなくて手縫いなのかという部分では、私も似たようなことを感じていたし。確かにミシンの方が丈夫に綺麗にしかも速く縫えるでしょうけど、手縫いのちくちくと縫い進める感覚の方が私には合ってると思うし、手縫いならではの柔らかい仕上がりも好き。縫いながら微妙な加減ができるところもいいし、両手の範囲内で細々と作業するのも好き。ミシンの出し入れに関しては私も億劫と思うだろうし、それで結局縫い物から遠ざかってしまうなんて、いかにもありそう。(笑)

この本の中の「色いろふきん」という章に、傍に白い布を置いておいて、残り糸がでた時にちょこちょこと刺しておくと自然に布巾が出来てしまう...というエピソードがありました。これを読んだ時にいいなあ私もやりたいなあと思ったんですが、実際にその布巾の写真を見てみると、ほんとすごく可愛い! せっかく綺麗な色の糸を使ってるんだし、私も今日からやってみようっと。(主婦と生活社)


ちなみに↓の2冊もここ数ヶ月のマイブーム。トルコの女性がかぶるスカーフにつける縁飾りのことを「オヤ」と言うんですが、左の「ビーズの縁飾り」は、そのオヤのうちビーズを使ったボンジュックオヤにヒントを得ている本。基本的にレース編みの技法で作っていきます。そして右の「トルコの可憐な伝統レース イーネオヤ」は、縫い針と糸で編んでいくイーネオヤの本。どっちもものすごく可愛いんです♪
 

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「あおいろの童話集」「あおいろの童話集」「みどりいろの童話集」に続く第4巻。
北欧系の話の多かった「あおいろ」「あかいろ」に比べて、フランス系の話が多かった「みどりいろ」はなぜかあまり楽しめなかったんですが、今回の「きいろ」は東欧やロシアの話が結構入っていて、また十分楽しめました。
東欧の童話というのはあまり知らないんですけど、ロシアと合わせてスラブ系ということになるのでしょうか。ロシアの民話は、子供の頃から大好きなんですよね。「イワンのばか」とか「せむしの小馬」とか「火の鳥」とか。あ、でも以前スーザン・プライスの「ゴースト・ドラム」を読んだ時に、ババ・ヤガーというスラブ民話の魔女が出てきたんですけど、この作品を読むまで全然知らなかったんですよね。まだまだ知らない話がいっぱいありそうだし、東欧の話も併せてもっと色々読みたいなあ。あとスラブ系の神話もほとんど知らない... これもぜひとも読んでみたいな。(東京創元社)


+シリーズ既刊の感想+(東京創元社版)
「あおいろの童話集」「あかいろの童話集」アンドルー・ラング編
「みどりいろの童話集」アンドルー・ラング編
「きいろの童話集」アンドルー・ラング編
「ももいろの童話集」アンドルー・ラング編
「はいいろの童話集」アンドルー・ラング編
「むらさきいろの童話集」アンドルー・ラング編
「べにいろの童話集」アンドルー・ラング編
「ちゃいろの童話集」アンドルー・ラング編
「だいだいいろの童話集」アンドルー・ラング編
「くさいろの童話集」アンドルー・ラング編

+シリーズ既刊の感想+(偕成社文庫版)
「みどりいろの童話集」「ばらいろの童話集」アンドルー・ラング

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主人が事故に遭ったと医者を呼んだ妻。しかし医者がその寝室に入った時、その家の主人の頭には斧がめり込んでいて、既に死亡していたのです... という「斧」他、全26編。短ければ2ページ、一番長くても19ページ、大抵は4~5ページの作品を集めたショートショート集。

アゴタ・クリストフらしい、余計な装飾を一切そぎ落としたような文章の作品ばかりの作品集。内容的には結構ブラックでびっくりです。最初の「斧」を読んでいたら、ロアルド・ダールの「あなたに似た人」を思い出しちゃいました。でも全体的には、あそこまで突き抜けたブラックさではないかな。重苦しい空気の中で孤独や絶望感に苛まれつつも、そういった感情があまりに身近な日常になりすぎてしまって、それを孤独や絶望とは感じていないような感じ。
これらの作品は、1970年代から1990年代前半にかけてのアゴタ・クリストフのノートや書付けの中に埋もれていた習作のたぐいで、編集者が発掘して1冊に纏めたのだそう。習作だけあって、確かにそれぞれの作品の出来栄えにはちょっとばらつきがあるみたい。「悪童日記」のインパクトには、やっぱり及ばないですしね。それでも4~5ページという短さでこれほどの存在感があるというのが、やっぱり驚き。むしろ短い作品の方がインパクトが強くて面白かったです。(ハヤカワepi文庫)


+既読のアゴタ・クリストフ作品の感想+
「悪童日記」アゴタ・クリストフ
「ふたりの証拠」「第三の証拠」アゴタ・クリストフ
「昨日」アゴタ・クリストフ
「文盲 アゴタ・クリストフ自伝」アゴタ・クリストフ
「どちらでもいい」アゴタ・クリストフ

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画家・大竹伸朗さんが見たモロッコという国を文章、写真、そして絵で表現した本。

風待屋のsa-ki さんに教えて頂いた本です。画家というフィルターを通して見たモロッコを、感性のままに表現してる作品だと聞いていたんですが、まさにその通りの本でした! 一方、大竹伸朗さんというフィルターが強すぎて素のモロッコが見えてこないとも聞いてたんですが、それもその通りで...(笑)
飛行機でマラガに降り立ってから、タンジールやフェズを訪れ、マラケシュから再び飛び立つまでの11日間のことが日を追って書かれてるんですが、これが普通の紀行文とは全然違うんですね。解説の角田光代さんが書かれてるように、これは「異国の夢日記」なのかもしれません。この本を読んでモロッコに行ったとしても、こんな風景は全然見えて来ないんでしょう。(笑)

マラケシュを訪れたところで、こんな文章がありました。

ストロボをたいて撮影すると、一瞬の強烈な光とともに対象となる像が網膜に焼きつく。光をいっさい遮断した部屋の中で像が焼きついた何秒間かは、目を開けてても綴じていても関係のない状態におちいる。
目を閉じながら見る風景は実に不思議だ。「見る」ことの不思議さと頼りなさを、いっしょに感じることになる。

まさにそんな風にして書かれたんでしょうね。モロッコという国のエッセンスは強烈に伝わってくるんですけど、それはあくまでも大竹伸朗さんの感じたモロッコ。カメラのシャッターを押した時みたいに、まさにその瞬間を切り取ってるわけじゃなくて、頭の中に残像として残ってる「いま」を紙の上に表現しているような感じ。それはギタリストが「こんな感じ」と曲を弾いた時みたいに、元の曲と実際に照らし合わせてみるとかなり違っているのに、原曲よりもその「感じ」が的確に表現されているのと似ているのかも。(これは本文中に出てくる話)

最初はなんだか読みにくい文章だなあと思ったんですが、それが逆に大竹伸朗さんという方の個性を端的に表しているみたい。文章としては変なのに、すごく伝わってくるんですよ。途中からは、もうこの文章しかあり得ないという気がしてきたほどでした。大竹伸朗さんの感じたモロッコ、面白かったです。(集英社文庫)

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