Catégories:“2008年”

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17世紀、清教徒革命下のイギリス。テムズ川に捨てられていた赤ん坊は、50匹の犬と共に暮らし犬たちを闘犬やレースに出して生計を立てている「犬女」に拾われ、ジョーダンという名前をつけられることに。成長したジョーダンは、自分の中に見えないインクで綴られたもう1つの人生があることに気付き、かつて野イチゴが高く香る家で見かけた踊り子・フォーチュナータを探して旅立ちます。

本の紹介に「幻の女フォーチュナータを捜して時空を超えた冒険の旅に出る」なんて書かれていたので、もう少しSF寄りの作品なのかと思っていたのですが、全然違いました! これはファンタジーなのですねー。放っておけば、もう空想がどこまででも広がってしまいそうな不思議な作品。まるで生まれつき軽すぎて天井に頭をぶつけそうになった3番目のお姫さまのエピソードみたい。でもそのまま飛んでいってしまうのではなく、危ういところでへその緒に引っ張られるんです。王女さまもこの物語も。神話とか聖書とかのエピソードもあり、歴史的でもあり、何ていうかものすごく懐が深いなあ... しかもそこかしこに私が好きな雰囲気がたっぷり。女の掃除人が掃除する様々な色の雲のエピソードも、宙吊りの家での生活も、恋が疫病扱いされている町の話も、そして12人の王女たちの物語も...!
でもこういったファンタジックな物語は、ジョーダンの側の物語なんですよね。これと平行して進んでいくのは、もっと現実的な17世紀のイギリスを描いた「犬女」の物語。こちらのベースはあくまでも史実に忠実。でも「犬女」の存在だけはファンタジーなんですよねえ。ジョーダンがそのファンタジックな世界の中で1人リアルな存在だったように。
リアルでありながらファンタジック、ロマンティックでありながらグロテスク。でも美しい! この本に詰まっているエピソードは、まるでピューリタンたちに割られてしまった教会のステンドグラスの色ガラスに、日の光が当たって色んな色が石畳に映って踊っているような感じです。

冒頭で時間についての言葉が書かれています。

ホピというインディアンの種族の言語は、英語と同じくらい高度に洗練されているにもかかわらず、時制というものがない。過去、現在、未来の区別が存在しないのだ。このことは、時間について何を物語っているのだろう?

まさしくこの言葉の通りの作品だったかも。 (白水uブックス)


+既読のジャネット・ウィンターソン作品の感想+
「さくらんぼの性は」ジャネット・ウィンターソン
「オレンジだけが果物じゃない」ジャネット・ウィンターソン

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中国昔話大集の3冊目。今回は百物語形式で、短い物語が99話収められています。
1つだけご紹介しますね。21話「虎皮」。オチまで書いてしまってるので、この先は興味のある方だけご覧下さい。(最後の最後のオチだけは反転しないと読めないようにしてますが)


中国のこういった志怪小説には、動物の精や幽鬼の女性が登場することが多いんですけど、この話に登場するのは虎。旅をしていた男性がある宿に泊まると、突然虎が現れるんです。その男性が物陰に身を潜めていると、虎はするっと虎の皮を脱いで美しい娘になっちゃう。びっくりした男性が出てきて娘にわけを尋ねると、家が貧しくて結婚相手が見つからないから、夫になってくれる人を探してるのだという答。相手が美しい娘なものだから、男性は「じゃあ結婚しよう」ってことになります。で、虎の皮を枯れ井戸に投げ捨てちゃう。
ここまではいいんですが...
数年後、2人はまたこの宿に泊まることになるんですね。今度は息子も一緒に。で、枯れ井戸をふと覗いてみると、昔捨てた虎の皮がまだ残ってるんです。そして「お前が着ていた皮がまだあるよ」「まあ、懐かしい。せっかくだから拾ってきて下さいな」「ちょっと着てみますわ」なんて会話があるんですが...
この奥さん、虎の皮を着た途端、虎に戻ってしまいます。そこまでは予想通り。でも...
夫と息子に「躍りかかってその体を食らい尽くすと、いずこへか姿を消した」(←反転してください)

ひえーっ。そうくるか!
いや、ここまで来たら、こうなるしかないかも知れませんが... 中国物は結構読んできましたが、このパターンはちょっと珍しいかも。いやいや、やっぱり中国物は面白いです。百物語といえば怪談なんですけど、中国の怪談はあっけらかんとしててあまり怖くないとこが好き~。(アルファポリス文庫)


+既読の話梅子作品の感想+
「游仙枕」「大器晩成」話梅子編・訳
「中国百物語 中国昔話大集III」話梅子編・訳

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ラトモス山麓の羊飼いたちの部族の若き王者・エンディミオンは、狩を好む美しい青年。しかし喜ばしいはずの祝祭の日、エンディミオンは突然気を失うのです。優しく介抱する妹のピオナの腕の中で息を吹き返したエンディミオンが語ったのは、夢の中で出会った月姫と恋に落ちたということ。そしてエンディミオンは、地下と海底、そして天上へと月姫を探す旅に出ることに。

月の女神・セレネがラトモス山中で眠っていた美しい少年・エンディミオンに恋をしたというギリシャ神話のエピソードを元にイギリスの詩人・ジョン・キーツが書いた長編の物語詩です。
さてこのエンディミオンとセレネのエピソードなんですが、アポロドーロスの「ギリシア神話」を繰って探してみたんですが、ごくごくあっさりとしか載ってませんでした。

カリュケーとアエトリオスから一子エンデュミオーンが生れた。彼はテッサリアーからアイオリス人を率いてエーリスを創建した。一説によれば彼はゼウスの子であるという。彼は人にすぐれて美貌であったが、月神が彼に恋した。しかしゼウスが彼にその欲するところを授け、彼は不老不死となって永久に眠ることを選んだのである。

これだけ!
いつもながら、アポロドーロスの「ギリシア神話」はほんとあっさりしてます... 単なる事実(?)の羅列といった感じ。呉茂一「ギリシア神話」には、もう少し書かれてましたけどね。永遠に美しさを保って死の眠りを眠るのと、生きて年老いていくのと、どちらがいいかという選択で、永遠の美を選ぶことになったらしいです。その選択をしたのがエンディミオンなのか、セレネなのか、それともゼウスの意思だったのかというのは明らかではないようでしたが。...ということは、やっぱりエンディミオンはゼウスの子ではないんじゃないかしら。もしゼウスの子だったら、きっともう少し恋人たちに優しい措置になったのではないかと思うし。
でもいずれにせよ、ギリシャ神話の中ではとても短いエピソードなんですよね。これがこんなに長くて美しい物語になってしまうとは...。でもギリシャ神話がイメージの源泉となるのは、ものすごく分かる気がします。「エンディミオン」には、エンディミオンの妹など、ギリシャ神話には出てこない人物も登場するんですが、基本的に神話の中の人物やエピソードがいっぱいで、ものすごく私好みな雰囲気です。

そしてこの本、訳が古い文体だったのでした。訳者あとがきをみたら、日付が昭和18年になっていてびっくり。冒頭はこんな感じです。

美しきものはとこしへによろこびなり、
そのうるはしさはいや增し、そはつねに
失せ果つることあらじ。そは常に吾らのために
靜けき憩ひの木陰を保ち、又うましき夢と
健康と靜かなる息吹とに滿つる眠りを保たむ。

さすがに意味がさっと頭の中に入ってこなくて、同じところを何度も読み返してしまいましたが...! こういう訳で読めて良かったです。何といっても美しい...。キーツの詩の雰囲気にぴったりだし、目の前に美しい情景が広がります。こういうのは新訳では読みたくないです。読むのには苦労するけど、こういう訳の方が好き!
あ、でもこの本も青柳いづみこさんの「水の音楽」から読みたくなった本なんですが... 肝心の「水の女」についてどういう風に書かれていたのか、すっかり忘れちゃってます、私。(汗) この作品にも確かに「水の女」は出てくるんですけどね。河の神・アルフェイオスと泉のニンフ・アレトゥーサのエピソードとか。そういうニンフの話だったかしら。それともセレネに恋されたエンディミオンだけど、実は水のニンフとの間に子供がいたった話だったかしら? ついこの間読んだばかりなのに、ダメダメだわー、私ってば。でも水の女よりも海底に差し込む月の光の方が印象的だったなあ。(岩波文庫)

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森で狩をしていたアルモンドの王子・ゴローは、獲物を深追いして森で迷ってしまいます。獲物を見失い、猟犬ともはぐれたゴローが出会ったのは、泉のほとりで泣いていた美しい少女。メリザンドだと名乗る少女の服装は王女のようで、かぶっていたという金の冠は泉の中に落ちていました。メリザンドに惹かれたゴローは彼女を連れて城に戻り、結婚するのですが...。

青柳いづみこさんの「水の音楽」を読んだ時に気になっていた本です。(記事) 本当は普通の本が読みたかったのに対訳しか見つからず... しかも対訳といえば英語かと思いこんでたんですが、なんとフランス語でびっくり。いえ、メーテルランクはベルギー人なので、当然といえば当然なんですが。...この「メーテルランク」、知らないなあって思う方も多いと思いますが、実は「青い鳥」のメーテルリンクなんです。こういう本でフランス語の勉強ができたらいいですよねえ。今回は所々原文を見る程度で、結局日本語の文章を追ってしまったので勿体なかったんですが。
右の画像は、ドビュッシー、シベリウス、シェーンベルク、フォーレの4人のそれぞれの「ペレアスとメリザンド」が入っているというCD。聴いてみたいなあと思って。音楽だけでなく、絵画の題材にもなってるのかもしれないですね。この本にもすごく素敵な挿絵が挿入されていました。カルロス・シュワップ画で、元々はパリで発行された限定版のための挿絵なのだそう。文庫だと小さくなってしまうし、色彩も分からなくなってしまうのが残念。でもこれもとても素敵で、元の美しさが想像できます。

青柳いづみこさんの本にも書かれていたのですが、この作品には確かにメリザンドが「水の女」だという記述はないんですね。それでもメリザンドが最初に登場するのは森の泉のほとりだし、城の外苑の泉の場面や海辺の洞窟の場面、城の地下にある水の溜まった穴などなど水の場面が、それぞれとても印象的なんです。それにとても意味深長。ゴローとの出会いの場面の会話からして、謎めいています。メリザンドはどうやらいじめられて、どこかから逃げ出してきたらしんですが、詳しくは語ろうとしません。生まれたのはこの国ではなく、ずっと遠いところ。王女のような服装をして、泣いているうちに「あの方に頂いた」金の冠を水に落としてしまった、しかしその冠はもう欲しくない。そしてその後の「どうしてそんなに、じっと、ごらんになるの」「目を見ているのです。ーー少しも目を閉じないのですか」という会話もなんだかイミシン。やっぱり人間じゃないみたい。水の精みたいですよね。まるで水の王と結婚していたような感じ。そしてこのメリザンドの性格ときたら。何かといえばすぐ泣くし! 気分のムラは激しいし! すぐ「どこかへ行ってしまいとうございます」なんて言うし! それにしては主体性のない流されやすい人なんですよね。これはやっぱり水そのものー。

この本の途中、鉛筆で「ちょい苦しい訳!」なんて書き込みされてました。(図書館の本に書き込みなんてしちゃいけません!) でも確かにそこも「ちょい苦しい」けど、私にはもっと気になるところが! 序盤でゴローの母親が自分の息子のことを話題に出してるんですけど、「あれはいつも本当に慎重で、くそ真面目で、意志も強い男でしたのに...」なんて言ってるんですよ。「くそ真面目」って! 仮にも一国のプリンセスの言葉とは思えません!!(岩波文庫)

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「音楽と文学の対位法」が新聞書評に取り上げられていた時に引き合いに出されていたのは、「のだめカンタービレ」の中の千秋の「楽譜どおりに弾け!」という台詞。その台詞がきっかけになって、青柳いづみこさんは「のだめカンタービレ」を読むことになったのだそうです。そしてさらに一色まこと「ピアノの森」、さそうあきら「神童」を読むことに。それらの作品は実際にクラシックに携わっている人々にきちんと取材調査した上でかかれたもの。「クラシック界のジョーシキは社会のヒジョーシキ」と言われるほど特殊なしきたりの多いクラシックの世界を、そういった漫画作品を通じて分かりやすく紹介していく本です。

私自身は「のだめカンタービレ」しか読んでないんですけど、メインに取り上げられているのが「のだめ」だったので、すごく面白かったです~。初見や暗譜、楽譜通り弾くという部分はまあ自分の経験からも多少は分かるんですけど、コンクールや演奏会、留学、そしてオーケストラとなるとまるで知らない世界ですしね。この本は、「のだめ」の解説書としてもすごく面白く読めるし、「のだめ」が実はとてもきちんと描かれた作品だということも分かります。のだめの弟が言っていた「不良債権」のこと、のだめのためのハリセンやオクレール先生の選曲のこと、そしてお父さんに愛されなかったのかもしれないターニャとお母さんに愛されすぎたフランクの違い、そして指揮者とオーケストラの関係のことなどなど、とても面白かったです。のだめの弾いている曲は、どれもとてものだめらしかったのですねー!!
そしてもちろん「のだめ」の話ばかりではありません。のだめ以外の話の中で特にへええと思ったのは、国際コンクールは「男の子は音楽なんてやるもんじゃありません!」と反対する親を説得する手段に使われているらしい、ということ。第一回ジュネーヴ・コンクールで優勝したミケランジェリも、第一回ブゾーニ・コンクールで4位入賞したブレンデルも、1960年のショパンコンクールで優勝したポリーニも、家族にピアニストになることを反対されていて、コンクールで優勝もしくは入賞してようやくピアニストになることを許されたんですって。びっくり! 他にもコンクールで弾く時は審査員を敵に回さない弾き方をしなければいけないこととか、青柳いづみこさんご自身の経験を踏まえた留学のエピソードとか... 私も知ってるピアニストの名前も色々登場して、その辺りも興味深かったです。
「のだめ」を愛読してる人にはきっと面白いはず! ぜひぜひ♪(文春新書)


+既読の青柳いづみこ作品の感想+
「モノ書きピアニストはお尻が痛い」「ショパンに飽きたら、ミステリー」青柳いづみこ
「水の音楽 オンディーヌとメリザンド」青柳いづみこ
「ボクたちクラシックつながり」青柳いづみこ
「ピアニストは指先で考える」青柳いづみこ
「指先から感じるドビュッシー」青柳いづみこ
「ピアニストが見たピアニスト」青柳いづみこ
「六本指のゴルトベルク」青柳いづみこ

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父の生家の前にあった大きな八角形の石に座っていた「私」は、車軸用の油を売りに来ていたアンドレーアスじいさんに足に油を塗ってもらい、嬉しいような落ち着かないような気持ちのまま母のところへ。しかし綺麗に洗われ磨かれたばかりの床に油の跡がつき、家の中は大騒ぎになります。泣くことすらできないでいた「私」に話し掛けたのは常日頃から優しく寛大だった祖父。祖父は「私」の話を聞くと一緒に隣村へと行くことにして、歩きながらかつてこの土地で起きた出来事を物語ります... という「花崗岩」他、全6編。

「石さまざま」の全編が読める新訳版。以前岩波文庫の「水晶 他三篇 石さまざま」を読んでるので、6編中4編は再読。でもやっぱりいいなあ、と序文からまたじっくりと読んでしまいました。作品ももちろんいいんですけど、この序文が本当に素敵なんです。「かつて私はこう言われたことがある。私が描くのは小さなものばかりで、登場人物たちも、いつもありふれた人間ばかりだと。」という言葉から始まってるんですが、そんな風に批評されたシュティフターの自分の作品に対する姿勢がよく表れていて、すごく好き。シュティフターが描くものは、まず美しくも恐ろしい大きな自然と、その自然と共に暮らす普通の人々なんですよね。もちろん時には全然違うものを描いた物語もあるんですが、根っこの部分は同じ。波乱に満ちたドラマティックな人生とは対極にあるような、ごく普通の日常の積み重ね。
シュティフターは、外的な自然に対して、人間の心を内的な自然と捉えていたようです。自然における「大気の流れ、水のせせらぎ、穀物の成長、海のうねり、大地の緑、空の輝き、星のまたたき」を偉大なものと考え、人間の中の「公正、素朴、克己、分別、自分の領域での立派な働き、美への感嘆。そういったものに満ちた人生が、晴れやかで落ち着いた死をもって終わるとき、私はそれを偉大なものと見なす」と書いています。雷雨や稲妻、嵐、火山の噴火、大地震といったものの方が人目を引くし目立ちやすいけれども、シュティフターにとっては、それらはむしろ小さな現象に過ぎないんですね。同じように、怒りや復讐心、破壊的な精神といった人間の感情の動きも小さな現象。そういうのをじっくりと読んでいると、なるほどなあと思うし、シュティフターの作品の良さが一層見えてくるような気が。

自分が子供の頃好きだったもの、今も好きなものについてもっと気軽に語った「はじめに」もいいし、そしてやっぱり作品も! 訳してらっしゃる方が違うので、また少し印象が違ったところもあるんですが、まるで絵画を見ているような気がしてくる美しくて力強い自然描写は、作家であると同時に画家でもあったシュティフターの特質が良く表れてますね。特に「水晶」での青すぎるほど青い洞穴の場面、その後子供たちが岩室から見上げる夜空の描写は、やっぱり本当に素敵でした♪(松籟社)


+既読のシュティフター作品の感想+
「水晶 他三篇 石さまざま」シュティフター
「森の小道・二人の姉妹」シュティフター
「晩夏」上下 シュティフター
「ナレンブルク 運命に弄ばれた人々の城」A.シュティフター
「石さまざま」上下 アーダルベルト・シュティフター
「森ゆく人」アーダルベルト・シュティフター
「書き込みのある樅の木」アーダルベルト・シュティフター

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フランツィスクスは、父が犯した呪わしい悪行を償うために両親が聖地リンデに巡礼の旅に出ていた時にできた子供。苦行で身体を損なっていた父は、フランツが産まれた丁度その瞬間に他界。その後、母はリンデの修道院で出会った巡礼の言葉に感銘を受け、フランツをシトー会の女子修道院の院長に預けることになります。司祭について様々なことを学んだフランツは、16歳の時に隣町のカプチン会修道院に移って更に勉強し、やがてメダルドゥスという修道名を得ることに。そして、修道院に入って5年が過ぎた時、老齢のキュリルスの代わりに聖遺物の管理をすることになります。ほとんどの聖遺物は偽物。しかしその中には、聖アントニウスを誘惑するために悪魔が使ったという霊液(エリクシル)も入っており、キュリルスはこの霊酒の入った小函だけは決して気軽に開けないようにと注意するのですが...。

「つい、うっかり」「悪魔の霊酒」を口にしてしまったことから、主人公が様々な出来事に巻き込まれていくという物語。先日のたらいまわし企画第46回「つい、うっかり」の時に、overQさんが出してらした本です。(記事) 作者のE.T.A.ホフマンは「くるみ割り人形」を書いた人。以前これを読んだ時に、バレエの可愛らしさとはまた全然違う薄ら怖さにびっくりして、他の作品も読みたいなあと思ってたんです。でもなかなか手に入る本がないんですよね。こんな本が出ていたとは知りませんでしたー。

奇妙な類似や繰り返しが印象に残る幻想的な作品。登場人物に関してもそうなんですけど、ここで起きる出来事も全てが類似と繰り返し... つまりこの主人公にまつわる全ての出来事は、実はその場限りで起きたことではないんですね。最後には5代にわたる大河小説だったということが判明しますし。(このことは巻頭の登場人物表からも分かっちゃうんですが) そう考えると、主人公が悪魔の霊酒を飲んだのは、実は決して偶然ではなかったわけで... 「つい、うっかり」のように見えて、実は巧妙に仕組まれた罠にはまっていたんですねえ。そんなことをするのは、やっぱり悪魔? それが彼の運命(宿命)だった、なんて言い方もできるんですが、それにしては巧妙すぎるんです。読んでいると、まるで悪魔が本当にいて「悪魔の霊酒」が本物だったことを証明されてしまったような気になります。
でもとてもキリスト教色の濃い物語なんですが、何かしら起きる出来事が必ず後々に直接的に影響してるのを見てると、「因果応報」なんて仏教的な言葉が浮かんでしまうー。「因果応報」は、前世の行いが今世に影響してるということなので、ちょっと違うんですけどね。ぴったりの言葉は思い浮かびません... 思い浮かんだのは、せいぜい「業(ごう)」ぐらい。
というのはともかくとして、ものすごく緻密に出来上がった物語でした。全てが夢の中のことみたいなのに、妙に現実的でもあって、最終的に綺麗に収まってしまうのはミステリ的? いやあ、面白かったなあ。(ちくま文庫)


+既読のホフマン作品の感想+
「クルミわりとネズミの王さま」ホフマン
「悪魔の霊酒」上下 ホフマン
「黄金の壷」「スキュデリー嬢」 ホフマン
「ホフマン短篇集」ホフマン
「黄金の壺/マドモワゼル・ド・スキュデリ」ホフマン

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