Catégories:“2009年”

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農民たちが啓けていくにつれて失われていく、その土地土地に伝わる数々の素朴な物語。しかし人類は長い間そういった物語を糧にして生きてきたのです。ここに収められているのは、19世紀半ばにジョルジュ・サンド自身がフランス中部ベリー地方の農村に伝わる民間伝承を採集したもの。息子のモーリス・サンドもフランス各地の言い伝えや民謡、伝説を集め、それらのために自ら挿絵を描いており、それらの絵もこの本に収められています。

フランスの代表的な伝説といえば、巨人のガルガンチュワに、下半身が蛇の姿の美しいメリジューヌ、そしてアーサー王伝説... でもここに収められているのは、そういった広く流布した物語でも英雄譚的な立派な物語でもなくて、もっと田園の農民たちが炉辺で語るような、ほんの小さな物語。巨石にまつわる物語や霧女、夜の洗濯女、化け犬、子鬼、森の妖火、狼使い、聖人による悪霊退散... こういうのは、ちょっとした目の錯覚や、聞き間違い、そんなところからも生まれてきたんでしょうね。フランスにおける「遠野物語」という言葉が書かれていましたが、まさにそうかもしれません。どれもごくごく短いあっさりした物語なんですが、それだけに生きた形で伝わってきたというのを強く感じさせます。そういった物語を通して、それらの物語が生まれた土地までもが見えてくるような気がします。素朴で単純だけれど、飽きさせない、噛み締めるほどに奥深い味わいがある、そんな魅力を持っていると思います。それに、特に強く感じさせられるのは田舎の夜の暗闇。やっぱり暗闇というのは、人間の想像力を色々な意味で刺激するものなのですね。そして、ジョルジュ・サンドの「愛の妖精」や「ばらいろの雲」といった作品の背景にもこのような物語が隠されていたんだなあと思うと、それもまた感慨深いものがありますねえ。(岩波文庫)


+既読のジョルジュ・サンド作品の感想+
「愛の妖精」「ばらいろの雲」ジョルジュ・サンド
「フランス田園伝説集」ジョルジュ・サンド

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弁護士のアタスン氏と遠縁のリチャード・エンフィールド氏が恒例の日曜日の散歩をしている時に出たのは、ロンドンの繁華街の裏通りにあるドアの話。それはエンフィールド氏が初めてハイド氏を見かけた場所。早足で歩いていたハイド氏は、懸命に走っていた少女と正面衝突し、倒れた少女の身体を平然と踏みつけたのです。悲鳴をあげている彼女をその場に置き去りして歩み去るハイド氏に、エンフィールド氏は思わずの小男の襟首をつかんで現場に引き立てることに。そして少女の家族とやがて現れた医者と共にハイド氏を非難するのですが...。このハイド氏は、相手に嫌悪感を抱かずにはいさせないタイプの小男でした。

作品を読んだことのない人でも、「ジキルとハイド」といえば知ってますよね。既に有名になりすぎていて、改めて読む気がしないという人も結構いそうです。結構スリリングなサスペンスですごく面白いので、ネタがあまりに有名になってしまってるのが勿体ないなーと思うのですが... ネタを全然知らずに読めば、どきどきワクワクしながら読めるはず。でも有名な作品になってしまうと、ネタばれなしに読むのってほんと難しいですね。という私は、ふと読みたくなって、久しぶりの再読です。中学か高校の時に読んで以来。まあ、その時もネタを知りつつ面白く読んだのですが、今回はさらに面白く読めました。
でも今回ちょっと意外だったのが、というか、すっかり忘れていたのが、ジキルとハイドの分かれ具合。なんとなくカルヴィーノの「まっぷたつの子爵」(感想)のような感じに思ってたんですけど、そうじゃなくて! ジキル博士は確かにいい人なんですけど、それでも若い頃には結構放埓な生活を送っていたという人。ハイド氏が登場した後も、その性格は基本的にまるで変わっていないようです。そもそも、最初に登場する時に「きれいに顔をそった五十歳の博士は、多少狡そうなところもあるが、知性と善意にあふれている」とあるんですね。ここの「多少狡そうなところもあるが」というのが気になるーーー。だってこの時点では既に、なんですもん。ハイド氏のおかげで、悪の部分が抜けきったわけじゃなかったんだ! となれば、そりゃハイド氏の方が純度が高い分(?)強いでしょう。ジキル博士は、世間一般が好人物だと考えている、普通の人間のままなんですもん。
そうか、そうだったのか。この辺り、色々と突っ込んで考えていくと面白そうです。スティーヴンスンは、その辺りのことはどう考えてたのかしら。あまり深く考えていなかったのか、それとも考えつくした結果がこの作品なのか。こういうのって卒論のテーマにもいいかもしれないですね?って卒論を書く予定なんて、実際には全然ないんですけど。(笑)(岩波文庫)


+既読のスティーヴンスン作品の感想+
「新アラビア夜話」スティーヴンスン
「ジーキル博士とハイド氏」スティーヴンスン

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現代、古代のゲルマニアのことについて知ることができる文献といえば、まずユリウス・カエサルの「ガリア戦記」、そしてタキトゥスの「ゲルマーニア」。これは帝政期ローマの歴史家であったタキトゥスによる「ゲルマーニア」です。西暦100年前後に書かれた作品。ゲルマニア地方の風土や、そこに住む様々なゲルマニア系民族の慣習・性質・社会制度・伝承などについて書かれているもの。

いやあ、面白かった! 塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読み進めているので、大体の流れがつかめてるというのが大きいと思うんですけど、ほんと楽しめました。岩波文庫の古典物は基本的に注釈が多いし、これもほんとに注釈のテンコ盛り。時には、注釈ページが章そのものの何倍もの長さの時もあるんですけど! 1章ずつがすごく短くて、その章ごとに注釈が入ってるので、1章読んで続けて注釈を読むと、まるでその章の解題みたいに読めたのも良かったです。
第1部は「ゲルマーニアの土地・習俗」、第2部は「ゲルマーニアの諸族」と分かれていて、「ゲルマーニアの境域」「ゲルマーニアの太古」「ゲルマーニアにおけるヘルクレースとウリクセース」「ゲルマーニーの体質」...などの章が、全部で46章。タキトゥスは実際にゲルマニアを訪れたことがなくて、ここに書かれていることは他者からの伝聞が主らしいし... だから信憑性も疑われていて、実際、ゲルマン民族といいながらケルト民族の話も混ざってたりするんですが、それでもタキトゥスの態度はとてもリベラルだと思うし、何より読み物として面白いから許しちゃう。(許すって)

面白かったのは、ゲルマン民族の金髪碧眼、そして立派な体躯をローマ人(タキトゥスも含めて)が羨んでいたようだということ。そうか、やっぱりそういうのって羨ましいものなんですねー。金髪のカツラなんかもあったみたいですよ! 他民族との婚姻がほとんどなくて、その特徴は純血主義的に保存されていたようです。(それが後の民族主義に繋がるのか、なんて思っちゃうけど) 当時既に爛熟していたローマ人社会とは対照的に、ゲルマン民族は全般的に品行方正な暮らしを営んでいて、不義密通なんかもほとんどなかったようです。破廉恥罪(!)を犯した人物は、頭から簀をかぶせられて泥沼に埋め込まれることに。処罰の執行を見せしめにするべき「犯行」と、隠蔽されるべき「恥行」が区別されてるところも面白いなあ。姦通した女性は、夫によって髪を切られて裸にされて、家を追い出され、鞭を持った夫に村中追い掛け回されたんだとか...。夫を失った女性が再婚ということも、まずなかったようです。でもゲルマン民族といえば、ドイツ人のあの勤勉なイメージが思い浮かぶんですけど、この頃はまだ全然みたい。ゲルマン人の1日は日没に始まって翌日の日没に終り(宴会がメインなのか)、成人男性が好きなのは狩、そして戦争。何もない時はひたすら惰眠をむさぼる生活。朝起きればまず沐浴して食事。ビールやワインを好み、タキトゥスも「彼等は渇き(飲酒)に対して節制がない。もしそれ、彼等の欲するだけを給することによって、その酒癖をほしいままにせしめるなら、彼等は武器によるより、はるかに容易に、その悪癖によって征服されるであろう」(P.108)なんて書いているほど。

巫女のウェレダのエピソードは、密偵ファルコシリーズにも登場してたので懐かしかったし、ゲルマン神話のヴォーダン(北欧神話のオーディン)が、風の神であり、飛業、疾行の神であり、死霊の軍を率いる神だからと、ローマ神話ではそれほど地位の高くない印象のメルクリウス(ギリシャ神話のヘルメス)になぞらえられているのも可笑しいし。(ヘルメスって一応十二神に入るけど、下っ端の使いっ走りのイメージなんだもん ←私は好きなんですけどね) それにオデュッセウスがその漂泊の間に北海やバルト海の方まで流されて、ゲルマーニアの土地を踏んだことがあるんだとか...。オデュッセウス自身の手によって神にささげられた神壇や、ギリシャ文字を彫りこんだ記念碑まで残っているとは、びっくりびっくり。タキトゥス自身は、「わたくしには、こういう事柄を、一々証拠をあげて立証るす気もなければ、敢えてまたこれを否認する心もない。要は人々、各々その性に従い、あるいは信を措き、あるいは措かなければよいのであろう」(P.36~37)と書いてるんですけどね。(この人のこういう態度が好きなんです)
それにしても感じるのは、ローマ人はゲルマン民族にいずれやられるだろうとタキトゥスが強い危惧を抱いていること。悲観的と言ってしまえばそれまでだけど、爛熟・腐敗したローマに対して、素朴な力強さのあるゲルマーニアを認め、賛美しているように感じられる時もありました。ゲルマン民族はタキトゥスにとって「高貴な野蛮人」だったんですね。 (岩波文庫)

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ある日、何か変わったことをやってみたい、新奇なものに接したい、大洋の果てにどんな人種がいるか調べてみたいという考えをおこした「私」は、50人の若者や最上等の舵取りを集め、食料や水、武器を揃え、「ヘラクレス」の柱を出発します... という「本当の話」他、全10編の短編集。

80編以上あるというルキアノスの短編のうち10編を収めた短編集。
この中でまず面白いのは、やっぱりまず表題作の「本当の話」! これはルキアノス本領発揮の対話式ではなくて、一人称の叙述で書かれている旅行記なんですが、もうほんとスバラシイー。元々は、この頃よく書かれてた突拍子もない旅行譚の上をいくパロディを書こうという意図のもとに書かれた作品なのだそうで... いやあ、ここからしてルキアノスらしいわ! この題名「本当の話」というのは、「この中には本当のことは何一つない」という文章を受けての「本当の話」ということなんです。ふふふ。
まるで「アルゴナウティカ」(感想)みたいに若者50人を連れて出立したルキアノス。「ヘラクレス及びデュオニュッソス神到来の地点」では、ぶどう酒の川や岩の上の巨大な足跡を見つけたり(ぶどう酒の川にいる魚の内臓には酒粕が詰まっていて、そのままでは酒気が強すぎて食べると酔っ払ってしまうらしい)、ダフネーのように半分木で半分人間の女性を見つけたり(そういう木に仲間が誘惑されて、その仲間も木になってしまう)、つむじ風に巻き込まれて船ごと月に行くことになって、月に味方をして太陽と戦争をしたり、ようやく地球に戻るものの、船ごと鯨に飲み込まれたり、鯨のおなかを脱出した後は、水平線の彼方の「神仙の島」に辿り着いたり。
まあ、ルキアノスよりも前にホメロスの「オデュッセイア」(感想)があるので、先駆者ってわけでもないんですけど、そういうのが好きな人には絶対オススメ。後世のシラノ・ド・ベルジュラックの「月世界旅行記」(感想)とか、スウィフトの「ガリバー旅行記」とか、「ほらふき男爵の冒険」とか... アリオストの「狂えるオルランド」(感想)とか、ダンテの「神曲」(感想)とか! そんな作品に多大な影響を与えているはず。実際、似たような場面もちらほらと~。きっとみんな愛読してたのね。(笑)
ホメロスといえば、ルキアノスが神仙の島でホメロスと出会って、本当の生国がどこなのか聞いたり、作品の真偽を疑われている部分を確かめたり、なんでイーリアスをアキレウスの憤怒から書き始めたのか質問したり(聞いてみたい気持ち、私にもよく分かるよ!)、そんな部分がまた面白いんです。作品の真偽に関しては、近代に言われ始めたことなのかと思ってたんですが、ルキアノスの時代にも既にそういう疑問はあったのか!

他にも「空を飛ぶメニッポス」では天界、「メニッポス」では地獄への旅が再度登場するし... ソフォクレスの「オイディプス王」は世界初のミステリだと思ったけど、これはきっと世界初のSF作品ですね。その他の作品もそれぞれ面白いです。「哲学諸派の売立て」と「漁師」も2作セットで面白かったし。ただ、ギリシャの哲学者たちについての私の知識が浅くて、堪能しきれずに終わってしまった部分も... その辺りを勉強し直して、いずれ再読したいなー。(ちくま文庫)


+既読のルキアノス作品の感想+
「神々の対話」ルーキアーノス
「遊女の対話」ルーキアーノス
「本当の話」ルキアノス

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北海道登別市出身のアイヌ民族で、15歳の時に言語学者の金田一京助氏出会ったのがきっかけで、アイヌとしての自信と誇りに目覚めたという知里幸惠さん。その知里幸惠さんが、アイヌ民族の間で口伝えに謡い継がれてきたユーカラの中から神謡13篇を選び、元となるアイヌ語の謡をローマ字で表記、その日本語訳をつけて出したのが、この「アイヌ神謡集」。医者から絶対安静を言われていたにもかかわらず、病気をおして翻訳・編集・推敲作業を続けた知里幸惠さんは、完成したその日に、持病の心臓病のためにわずか19歳で亡くなったのだそうです。金田一京助氏、そして幸惠さん自身の弟で言語学者の知里真志保さんによる解説付き。

アイヌ文学には韻文の物語と散文の物語があり、そのうちの韻文の物語がユーカラ(詞曲)と呼ばれる叙事詩のこと。そしてそのユーカラはさらに、「神のユーカラ」(神謡)と「人間のユーカラ」(英雄詞曲)に分けられ、狭義の「神のユーカラ」は動物神や植物神、自然神が登場して自らの体験を語る「カムイユカル」、広義の「神のユーカラ」は、そこに文化神・オイナカムイが主人公として現れて自らの体験を語る「オイナ」が加わったもの。この本に収められているのは、狭義の「神のユーカラ」13篇。文字をもたないアイヌ民族の間では、口承で伝えられてきたものです。

もう、もう、最初の「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」という言葉から引き込まれました。なんて美しい...! こういった言葉が謡の中で何度も繰り返されて、そのリズムの良さもとても印象的です。アイヌ語で謡われても、きっととても美しいものなんでしょうね。この本は対訳となっているので、ローマ字表記のアイヌ語を自分で読み、その音を確かめることができるはずなのですが... これがなかなか難しく... やっぱり一度きちんとした朗読を聴いてみないとダメかも。ああ、聴いてみたいなあ。
そして内容的にもとても面白いのです。アイヌの神(カムイですね)というのは、神々の世界にいる時は人間と同じ姿をしてるのに、人間の世界に来る時は、それぞれに違う姿をまとうんですね。この本に収められた作品群では、ほとんど動物の姿になっています。神が宿っていても、だからとても強いというのはないようで、普通の動物と同じように時には捕らえられ、食料として調理されてしまうこと。そしてそんな時、神はその動物の耳と耳の間に存在して、自分の宿る動物の体が切り刻まれたり調理されていくのを見てるんです! 世界の民話でも、こういうのは珍しいんじゃないかしら。そして人々は、神々が宿っているという前提のもとに、その動物が自分たちのところに来てくれたと考えて、その体を丁寧に扱って、利用できるものは利用し、感謝して、神々の国に戻ってもらうことになります。(この辺りは、神話的社会によくありますね) もちろん、良い神々ばかりとは限りません。悪い心を起こしたためにその報いを受けて死後反省することになる神々もいます。(これはとっても民話っぽい)
でもどの謡も、読んでいると広い大自然を感じさせるのが共通点。アイヌたちが自分たちのあるがまま生きていた時代。自分たちの文化に誇りを持っていた時代。かつてアイヌたちが自由の天地で「天真爛漫な稚児の様に」楽しく幸せに生きていた時代を懐かしむ、知里幸惠さん自身による序もとても印象に残ります。

で、この「アイヌ神謡集」がとても良かったので、勢いにのって、以前購入していた「ユーカラ アイヌ叙事詩」も読んだんですが... こちらは動物神だけじゃなくて色んな神々の謡が18編収められているし、英雄のユーカラも。こちらにも金田一 京助氏が絡んでるので、「アイヌ神謡集」とは全然重なってなくて、それも良かったんですが... こちらの旧字旧仮名遣いが... よ、読めない...(涙)
一応全部読んだんですけど、理解できたとは言いがたく。平凡社ライブラリーから出てる「カムイ・ユーカラ アイヌ・ラッ・クル伝」でリベンジするべきなのかしらー。はああ。(岩波文庫)

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・セイレーン、マーメイド、魔性の女、異教のヴィーナス、誘惑する水界の魔女など、可憐で妖艶な水の女たちを集めた異色の画集。ラファエル前派や世紀末の画家たちが描いた、19世紀ロマン主義の官能と退廃。...「水の女 From the Deep Waters」
・真夏の光のもとで、永遠の眠りの魔に囚われる女。いばらの森で王子の目覚めの口づけを待つ眠り姫。恋に溶けたからだの微熱のなかでまどろむダナエ。夜の虚空に愛された「夢魔」の女。地と天を結ぶ一弦の糸に耳を澄まし、無力に哀切に目を閉じる少女。ウォーターハウス、クリムト、デルヴィル、フュスリ他、収録画多数。...「眠る女 Sleeping Beauty」
・19世紀末―爛熟した美と退廃の時代、現実に倦みはてた人々が生み出した、聖であり、邪でもあり、純真で残酷で、類い稀に美しい「黄泉の女」たちの多彩なイメージを、繊細に編み上げて、世紀末をあざやかに映し込めた異色の画集。ベルギー象徴派やラファエル前派の画家たちが描いた珠玉の44作品をフルカラーにて収録。...「黄泉の女 To the End of the World」

出版社の案内をそのまま引用してしまいましたが...
この3冊は以前リブロポートという出版社から「A Treville Book」シリーズの本として刊行されていた本。その後リブロポートが倒産、「水の女」だけは河出書房新社から3年ほど前に復刊されて私も買ってたんですよね。で、「眠る女」と「黄泉の女」もいずれ復刊されるだろうと思って待ってたんですが、全然その気配がなくて! 結局ネットで探して購入してしまいましたよー。定価以下では買ってるけど、でもやっぱりお財布はイタイ。でもでもその価値はありました。いや、もう本当に、美しい!!
特にラファエル前派はやっぱり素敵。大好き。

まず「水の女」は、「Sights of Water」「Water Nymphs」「From the Deep」「Water Blooms」の4章。主に題材となっているのは、「ハムレット」のオフィーリアや「テンペスト」のミランダ、アーサー王伝説のエレインや、マーリンが心を奪われるニムエ、ヘラクレスの従者のヒュラスを誘惑したり、オルフェウスの首を見つけるニンフたち。キルケー、ケルピー、マーメイド、セイレーンなどなど。オフィーリアだけでも7枚ありますしね。ここに収められていない絵もまだまだあるはず。文学作品が画家に与えるインスピレーションというのは、すごいものがあるんでしょうね。アーサー王伝説のエレインも4枚あるし。特にウォーターハウスの「シャロットの女」は素晴らしく、高宮利行さんによる解説も素晴らしいので、テニスンの「シャロット姫」はもちろんのこと、夏目漱石の「薤露行」(感想)も読み返したくなります。さらには、そういった文学作品から派生していない絵画ですら、どの絵からも物語が立ち上ってくるように感じられるのが素晴らしいです。
一番好きなのは、ポール・ドラローシュの「若き殉教者」。ウォーターハウスの「ヒュラスと妖精たち」も素敵。このニンフたちが本当に美しくて。(どのニンフを見ても、顎がジェーン・モリスに見えてしまうのだけど。笑)

「眠る女」は、「Flaming June」「Sleeping Princess」「The Nightmare」「Hope」の4章。こちらにも「Sleeping Princess」という章題からも想像できるように「いばら姫」「眠りの森の美女」といったモチーフはありますし、金色の雨を浴びながら眠るダナエや、「神曲」のパオロとフランチェスカもいるのですが、こちらでは、文学作品から触発された作品というのは、あまり多くなかったです。
山田登世子さんによる解説の最初に「《美しいもの》はすべて眠る」という、E.A.ポーの「眠る女」からの引用がありました。ここに描かれているのは、眠っている間に時を止められてしまった女性たち。永遠の眠りはたたただ甘美で... 彼女たちはそのまどろみの中で、その美しさを永遠に保つことになるのですね。「水の女」とはまた違い、絵から物語を感じるというよりも、絵の中に描かれている女性と一緒になって、その永遠の眠りの中をたゆとう存在となってしまいたくなる画集。この中で一番好きなのは、フレデリック・レイトン卿の「燃えあがる六月」。あと特に好きなのは、ジョン・エヴァレット・ミレイの「二度目のお説教」、フランク・カドガン・クーパーの「眠るタイターニア "真夏の夜の夢"より」辺り。

そして3冊目の「黄泉の女」は、「Love and Life」「Wounded Angel」「Punishment of Lust」「Night with her Train of Stars」の4章。こちらはまた、キューピッドとプシケーや、エンディミオン、オルフェウスとエウリュディケ、ペルセポネ、メデア、スフィンクスといったギリシャ神話系のモチーフが多いです。あと目につくのはエデンの園のイメージ。滝本誠さんの解説を読んで、ジョヴァンニ・セガンティーニの「よこしまの母たち」の読み解き方になるほど~。ここにはあと「淫蕩の罪」しかないけど、これもなんだか繋がった物語のように感じられるし、他の作品も色々と見てみたくなっちゃうなあ。
そしてこの本で一番好きなのは、ソフィー・アンダーソンの「ニンフの頭部」。あとは表紙にもなっているエドワード・ロバート・ヒューズ「夜と星の列車」もすごく素敵だし、フランク・カドガン・クーパーの「ラプンツェル」には意表を突かれました。この表情、すごいな。

3冊の中ではやっぱり「水の女」が一番好きでしょうかー。最初に入手したというのもあるでしょうし、「水の女」というのが今の私の隠しテーマ(別に隠してません)になってるので、それもあるでしょう。この本が一番、そのテーマに焦点が合ってると感じるというのも。でも「水」と「眠り」と「死」は、同じ事象に対するまた違う表現に過ぎないようにも思うし、結局のところは、切っても切り離せない存在かも。どれも何度も何度もめくっては、ため息をつきながら見入ってしまう画集です。(河出書房新社・リブロポート)


 
左は3冊一緒に撮ったところ。「水の女」だけは復刊されたものだけど、元々のデザインのままなので3冊揃えてもまるで違和感がありません。素敵でしょう?
右はポール・ドラローシュの「若き殉教者」。この人はラファエル前派じゃなくてロマン派。

 
左がフレデリック・レイトン卿の「燃えあがる六月」。このオレンジ色にノックアウト。
右はソフィー・アンダーソンの「ニンフの頭部」。タイトルがイマイチなんだけど...(笑)

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遊女たちによる15の会話「遊女の対話」他、全4編の短篇集。

んんー、先日読んだ「神々の対話」の方が断然面白かったなと思いつつ...
まあ、こちらも対話形式の表題作「遊女の対話」が、結構面白かったんですけどね。ええと、遊女とはいっても、古代ギリシャにおける遊女は、結構きちんと認められた存在だったようです。古代ギリシャ時代は、食料品の買い物ですら男性の仕事。一般女性はひたすら家の中にいて、つつましく家庭を守り夫を助けるべき存在。特に年頃の娘の顔などは何かの祭礼の折に垣間見るしかない! そのため、宴会などで場を取り持つのは、もっぱら遊女の仕事。でも男性と対等に会話を交わすためには、相当の才能と知恵と教養が必要となり、次第に男性顔負けの教養を身につけた才気溢れる遊女が登場することに... というと、なんだかまるで江戸時代の花魁みたいですね。で、職業柄卑しめられるどころか、むしろその美貌と才能によって自由に華やかに生きている女性として、もてはやされる存在だったんだとか。(うーん、「遊女」という言葉じゃない方が良かったような気もする...)
でもこの「遊女たちの会話」に登場しているのは、そこまでの高級遊女ではなくて、もっと一般的な遊女たち。遣り手婆にいいようにされてたり、男どもの甘言に惑わされながらも、逞しく生きていく女性たち。時にはそんな彼女たちを一途に愛する男性もいるんですが、大抵の男たちは彼女たちの手練手管に鼻の下を伸ばし、都合のいいことばかりを言ってるんですね。まあ、女性たちだって、あの手この手で男性をしっかりつかまえておこうとするんだけど。国が違っても、時代が違っても、男女の間のやりとりは同じなんだなあ。心変わりや嫉妬、取った取られた結婚するしないなんて騒ぎとか、自分を魅力的に見せるテクニックや、恋を成就させるためのおまじない。その辺りが可笑しいです。やっぱりルキアノスって、ショートコントの才能があったと思うわー。
でもあとの3編は... 「嘘好き、または懐疑者」はまだしも、「偽予言者アレクサンドロス」「ペレグリーノスの昇天」は今ひとつ。どちらも実在の人物だそうなんですけどね。私にはその面白みがあんまりよく分からなくて、残念でした。(岩波文庫)


+既読のルキアノス作品の感想+
「神々の対話」ルーキアーノス
「遊女の対話」ルーキアーノス
「本当の話 ルキアノス短篇集」ルキアノス

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