Catégories:“2009年”

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この巻で取り上げるのは、紀元98年から161年まで、トライアヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウスの3人の皇帝の時代。20年の治世であらゆる分野で多大な業績をあげたトライアヌス帝ですが、同時代のタキトゥスは「まれなる幸福な時代」という一行を残したのみ。同じくこの時代を生きたスヴェトニウスも何も書かず、しかし同時代のローマ人も「黄金の世紀」と呼び、後世「五賢帝時代」と呼ばれるようになったこの時代。賢帝とは何であったのか、どのような理由でローマ人は賢帝と賞賛したのか、ということを見ていく巻です。

これまでタキトゥスの「歴史」「年代記」「アグリコラ」「同時代史」を元に自分なりの解釈をしつつ書き進めてきた塩野七生さんですが、ここにきてタキトゥスが何も書いていないので、相当戸惑ったようです。タキトゥスの没年は120年とされているので、117年までのトライアヌス帝の治世についても書こうと思えば書けたはずなのに、実際に書いているのはドミティアヌス帝の暗殺まで。同時代人のスヴェトニウスも「皇帝伝」でドミティアヌス帝までしか触れていないし、200年後にその続編を書こうとした6人の歴史家たちが書いた本も、書き始めはハドリアヌス帝から。1 年半ほどの治世しかなかったネルヴァはともかく、あらゆる分野で多大な業績をあげているはずのトライアヌスが全然書き残されていないなんて!
でもそんなトライアヌス像が、塩野七生さんによって鮮やかに描き出されていきます。ここに描かれているのは、初めての属州出身の皇帝だからと、黙々と人並み以上にがんばってしまったトライアヌスの姿。賢帝と言うにはあまり華がないように思えるトライアヌス帝なんですが、それでもトライアヌス円柱と呼ばれる戦勝記念碑に刻まれた浮き彫りに見るダキア戦記や(この円柱の全貌を見てみたい!)、当時建設されたという橋の図面からも、その有能さが分かります。
そしてトライアヌスの次は、トライアヌスが代父となっていたハドリアヌス。この人物の治世は21年。でもその21年のうち、本国イタリアにいたのは7年だけなんですね。皇帝の位についた当初こそローマに留まっていたものの、45歳から58歳までの13年間のほとんどを視察の旅で属州を巡行。常に皇帝としての義務を果たしつつ、トライアヌスが拡大した帝国内をくまなく巡察し、既存の公共施設を修理、国境の防衛線を強化、地域ごとの問題を解決、さらには徹底した法の整備まで。疲れを知らないその働きぶりに、即位直後の危険分子との粛清というマイナスイメージもいつしか払拭されることに...。この巻で興味深いのは、ハドリアヌス帝後半でかなりのページが割かれているローマ人とユダヤ人の意識の違いについて。ユダヤ人についてもある程度は知っているつもりでしたが、まだまだでした。これほどの意識の差があったとは正直びっくり。
そして取り上げられている3人の賢帝のうちの最後は、アントニヌス・ピウス。晩年首をかしげられるような行動が多かったハドリアヌスの神格化を1人訴えていたことから、ピウス(慈悲深い)という名前がつけられたというこの人物は、様々なことに目を配りつつも現状維持で賢帝となった人物。何もしていないので、あまり書くべきことも多くなくて、割かれているページも50ページ足らずなんですが、それでもその人柄の良さと頭の良さは十分伝わります。しかし逆に大改革を推し進めるためには、アントニヌス・ピウスではなくて、ハドリアヌスのような性格が必要だったということもよく分かります。

今回一番印象に残ったのは「ローマの皇帝たちの治世は殺されなくても二十年前後しかもっていないが、それも激務によるのかもしれない」(24巻P.248)という言葉。確かに長くても大体20年前後ですね。やっぱりそれだけローマ帝国の統治は大変だったんだなあー。と、納得。(新潮文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ローマ人の物語 ローマは一日にして成らず」1・2 塩野七生
「ローマ人の物語 ハンニバル戦記」3~5 塩野七生
「ローマ人の物語 勝者の混迷」6・7 塩野七生
「ローマ人の物語」8~10 塩野七生 「ガリア戦記」カエサル
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前」8~10 塩野七生(再読)
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以降」11~13 塩野七生
「ローマ人の物語 パクス・ロマーナ」14~16 塩野七生
「ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち」17~20 塩野七生
「ローマ人の物語 危機と克服」21~23 塩野七生
「ローマ人の物語 賢帝の世紀」24~26 塩野七生
「ローマ人の物語 すべての道はローマに通ず」塩野七生

+既読の塩野七生作品の感想+
「コンスタンティノープルの陥落」「ロードス島攻防記」「レパントの海戦」塩野七生
「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」塩野七生

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皇帝ネロンが寝ている部屋の戸口で番をするかのように待っていたのは、ネロンの母・アグリピーヌ。自室に戻るように言われたアグリピーヌは、自分が日一日と邪魔者にされつつあること、ネロンがとうとうブリタニキュスに向かって牙をむいたこと、そしてブリタニキュスの恋人・ジュニーをかどわかしたことを、腹心の侍女に向かって訴えます... という「ブリタニキュス」。
ベレニスに密かい会いにきたのは、コマジェーヌの王・アンティオキュス。彼は以前からベレニスを愛しており、しかしベレニスと皇帝ティチュスが相思相愛のため、口を閉ざしたまま、この5年間ローマに滞在していました。しかしティチュスが皇帝に即位し、とうとうベレニスを妃にするつもりだということを聞き、ベレニスに別れを告げに来たのです... という「ベレニス」。

ラシーヌの、古代ローマを舞台にした悲劇2つ。「ブリタニキュス」では、皇帝「ネロン」なんて名前になってますけど、これはネロのことです。それまでは一応善政を敷いていたネロが暴虐と狂気の道へと突き進むターニングポイントとなった物語、でいいのかな? 既に実の母・アグリピーヌの存在を疎ましく思ってるし、妻・オクタヴィーとは上手くいってないし、義弟のブリタニキュスとジェニーと仲を妬んでるんですね。で、ジュニーをかどわかすんですけど、このジュニーにすっかり心を奪われてしまって...。ネロンがジュニーに惹かれたのは、ただ単にブリタニキュスとジュニーの関係への羨ましさからなんですよね、きっと。もしジュニーの心が手に入ったら、その途端、どうでも良くなっちゃったんじゃないかなあー。ここに描かれてるネロって、なんだかただ単に愛情不足で育ってしまった子供みたい。やっぱりあのお母さんが普通のお母さんじゃなかったというのが不幸の始まりかも。帝王教育はしてくれても、何かあった時にぎゅっと抱きしめてくれるようなお母さんじゃないですものね。(と勝手にイメージしてますが)

そして「ベレニス」は、ローマ市民が異国の女王であるベレニスの存在を認めないという理由から、相思相愛であるベレニスとティチュスが別れなければならなくなるという悲劇。物語の中心となるのはこの2人なんですが、キーパーソンとなるのは、ベレニスに密かに思いを寄せ続けていて、しかもティチュスからの信頼は厚いアンティオキュス。
ベレニスが愛しているのは、ティチュスという1人の男性。相手が栄えあるローマ帝国の皇帝であるということは、彼女にとっては二次的な問題でしかないんですが、ティチュスは彼女を愛しながらも、ローマ帝国のことを頭から振り払うことができないんですね。そういう誠実な男性だったからこそ、彼女も惹かれたというのはあるんでしょうけど...。ただ愛し愛されることだけを望んできたベレニスにとって、自分がローマ帝国と天秤にかけられることはその誇りが許さなくて。そして相思相愛の2人の前に今まで沈黙を守ってきたアンティオキュスは、動揺する2人を前にとうとう心情を吐露してしまうことに。
3人が3人ともそれぞれに相手のことを誠実に真っ直ぐに愛しているのに、一旦その愛情が捩れて絡まり合ってしまうと、結局は苦悩しか生み出さないんですねえ。3人の思いがそれぞれ切々と迫ってきます。そしてティチュスの「ああ、父上がただ、生きていて下さったなら!」という言葉。ラシーヌの悲劇は4つ読みましたが、これがダントツで好き。緊迫感たっぷりで、素晴らしいー。おそらく実際に演じられる舞台でも観客を呑み込まずにはいられなかったのでは。そして、この作品を読んで、とても読みたくなったのが「ローマ人の物語」のティトゥス部分。思わず「危機と克服」の巻を読み返してしまいましたよ。テイトゥスとベレニケのことについてはほとんど何も書かれてなくて残念なんだけど、そのお父さんのヴェスパシアヌスは、やっぱりかなり好き♪(岩波文庫)


+既読のラシーヌ作品の感想+
「フェードル/アンドロマック」ラシーヌ
「ブリタニキュス/ベレニス」ラシーヌ

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ノールウェイ王の不意打ちに、スコットランドのダンカン王のもとで獅子奮迅の働きを見せるマクベス。戦いが終わり、マクベスとバンクォーが通りがかった荒地に現れたのは、3人の魔女でした。魔女たちは口々に「グラミスの領主様」「コーダの領主様」「いずれは王ともなられるお方」と呼びかけます。確かにマクベスは現在グラミスの領主。しかしコーダの領主はまだまだ元気で勢いが盛んであり、王も同様。不思議に思うと同時に困惑する2人。しかし2人を王宮で出迎えたロスとアンガスは、マクベスにコーダの領主と呼びかけます。ノールウェイ王を密かに援けていた裏切り者のコーダの領主は処刑が決定し、その地位は今やマクベスのものだというのです。

シェイクスピアの四大悲劇の1つ。四大悲劇の中では一番好きな作品。一番短いんですけど、シンプルながらもエッセンスのように凝縮している作品だと思います。戯曲という形式上、小説のような説明とか描写がないというのは当然なんですが、1つ1つの台詞が実はすごく色んなことを含んでるんですよね。それでも、説明不足としか思えない部分があるのですが...。と、感じていたら、当初書かれた作品から多くの場面が割愛されているとも考えられているのだそうです。なるほど、そうだったのかー。
野心はあるにしても、心は正しかったはずのマクベスが、魔女の予言をきっかけに大それた罪を犯し、幻影に悩まされ、自滅していくという悲劇。小心者と言われるマクベスも強気のマクベス夫人も、結局のところ、魔女の手の平で遊ばされていたようなものなんですねえ。悪人にはなりきれない、ごく平凡な人間にしか過ぎなかったというわけで。魔女の予言は、きっとマクベスの性格も見越してのことだと思うんですが、もしマクベスが自分の良心に負けなければ、結末を急がなければ、一体どうなっていたんでしょうね? コーダの領主の地位だって何もせずに手に入ったんだから、王位もそうなるはずだとは思わなかったのかな? そういうことを考えること自体、最早無意味なのかな? マクベスの人生は、魔女によって破滅させられたようなもの。元々そういった資質があったとはいえ、やっぱり魔女の言葉さえなければ、と思ってしまうのですが... 第1幕第1場の「きれいは穢ない。穢ないはきれい」という魔女の台詞が暗示的。そしてこれらの魔女は、先日読んだハインリヒ・ハイネの「精霊物語」によると、元々の伝説の中では3人のワルキューレだったんだそうです。戦死者を選ぶ役割を持つワルキューレにとって、マクベスへのこの予言はなんと相応しい役回り!
子供の頃に読んだ時は、「マクベスを倒す者はいないのだ、女の生み落とした者のなかには。」という部分には正直あまり感心しなかったんですが... なんかこじつけっぽくて。でも「マクベスは滅びはしない、あのバーナムの大森林がダンシネインの丘に攻めのぼって来ぬかぎりは。」の方は、実際に森が攻め上ってくるという絵画的な場面描写と相まって、とてもインパクトが強かった覚えがあります。ちなみに実在したスコットランド王としてのマクベスは、従兄のダンカン1世を殺害して王位を奪い、自分の王位を脅かす者を次々と抹殺したのは事実としても、善王だったようですね。...それだけ殺しておいて善王と言えるのかどうかは分かりませんが。(笑)(新潮文庫)


+既読のシェイクスピア作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「ジョン王」ウィリアム・シェイクスピア
「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」シェイクスピア
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治
「マクベス」シェイクスピア
「トロイラスとクレシダ」ウィリアム・シェイクスピア

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山の中に住む魔女に育てられた妖精のラウテンデラインの前に現れたのは、30歳の鋳鐘師・ハインリッヒ。湖の中に転がり落ちた鐘と一緒にハインリッヒも谷底に転げ落ちたのです。瀕死のハインリッヒは、自分を世話してくれるラウテンデラインを一目見て心を奪われます。しかしそこにハインリッヒを探しに来た牧師や教師、理髪師がやってきて、ハインリッヒを取り戻し、妻のマグダ夫人や子供たちのところに連れて帰ることに。

5幕物の戯曲で、オットリーノ・レスピーギが歌劇にも仕立てている作品。泉鏡花の「夜叉ヶ池」「海神別荘」「天守物語」、特に「夜叉ヶ池」にも大きく影響を与えているのだそうです。そして野溝七生子は、この作品のヒロイン・ラウテンデラインに因んで「ラウ」と呼ばれていたのだそう。

一読して驚いたのは、まるでフーケーの「ウンディーネ」(感想)みたいだということ。ラウテンデラインは、実際にはウンディーネのような水の精ではないはずなんですけど、でもその造形がすごくよく似ています。ただその日その日を楽しく暮らしていたラウテンデラインは、ハインリッヒを知ることによって初めて泣くことを知るんですね。ここで「泣く」というのは、ウンディーネが愛によって魂を得たのと同じようなこと。ラウテンデラインの場合は、ウンディーネほどの極端な変わりぶりではないのですが。それに作品全体の雰囲気もよく似てます。ハインリッヒに夢中になるラウテンデラインのことを周囲の精霊たちが面白く思わないのも同じだし、水が重要ポイントになるところも。ラウテンデラインは本当は水の精じゃないはずなのに、これじゃあまさに水の精。そして3杯の酒による結末も。魂を失って、愛を忘れてしまうところも。ああ、ここにも「水の女」がいたのか!と思いつつ。
2人の子供と妻の涙の壷、そして響き渡る鐘の音。ラウテンデラインの腕の中にはハインリッヒ。ああ、なんて美しい。水の魔物・ニッケルマンや牧神風の森の魔、そしてゲルマン神話の神々の名前もまた、異教的で幻想的な雰囲気を盛り上げていました。

ウンディーネは魂を持たない存在だけど、人間の男性に愛されて妻になると魂を得るという設定は、元々パラケルススによるものなんですね。水辺や水上で夫に罵られると、水の世界に戻らなくてはならないというのと、夫が他の女を娶れば命を奪うというのも。その辺りのパラケルスス関連の本も読んでみたいな。(岩波文庫)

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かつてウェストファリア地方のトゥンダー=テン=トロンク男爵の城館にいたのは、生まれつき品行が穏やかで無邪気なカンディードという青年。しかしある日のこと、カンディードと美しい男爵令嬢のキュネゴンドが接吻しているところを男爵が発見し、カンディードは城館から追い出されてしまうことに... という表題作「カンディードまたは最善説(オプテイミズム)」他、全6編。

18世紀フランスの啓蒙思想家・ヴォルテールによる哲学コント6編。コントというのはフランス語で、短い物語のこと。要するに哲学的な主題を持つ短い物語のことですね。ヴォルテールは、悲劇や喜劇や叙事詩といった前世紀の古典主義を終生信奉しながらも、人間の不幸や挫折、幸福の探求とといった主題はもっと現実的で真実味のある形(つまり小説や哲学コント)で扱うのがふさわしいと考えていたようです。そして、あからさまに告白したり感傷に浸ることを嫌って、自身の抱える問題や懐疑、苦悩をコントの主人公の青年の姿を借りて表現し、重大で深刻な時ほど照れ隠しのように茶化してみせたのだそう。
SF的設定の「ミクロメガス 哲学的物語」、ペルシャになぞらえながらも実はフランスの実態を描いている「この世は成り行き任せ バブーク自ら記した幻覚」、バビロン時代の賢者の中の賢者をめぐる寓話「ザディーグもしくは運命 東洋の物語」、完全な賢人を目指しながらも、早くも美しい女にたぶらかされて、とんでもない結末を迎えることになる1日を描いた「メムノン または人間の知恵」、ライプニッツの最善説への懐疑が徐々に大きくなってきている「スカルマンタドの旅物語 彼自身による手稿」、そしてとうとう最善説を風刺するところまでたどり着いてしまう表題作。作品は書かれた年代順に並べられているので、ヴォルテール自身の人生を知ると、その実体験が全てその哲学コントに登場してるのが分かって、その変遷がすごく興味深いです。
どれも面白かったんだけど、私が一番楽しく読めたのは「ザディーグ」。でも、これは絶対以前読んだことがあるんだけど! どこで読んだんだろう? その時はヴォルテール名義ではなくて、童話集みたいなのに登場してたような気がするんですが... それも前半の半分か3分の1だけ。どこで読んだんだか、今パッとは思い出せません。ああ、気になるー。この「ザディーグ」、古代バビロンが舞台で「千一夜物語」のように楽しく読める物語なんですけど、その主題は人間の幸福や人生について考えるとても深いもの。本来なら「カンディード」が一番評価されてる作品なんでしょうけど... この2作品は分量もかなりあって同じぐらいの読み応えがあるんですけど、私としては風刺色の強い「カンディード」よりも、もっと正面から素直に書いてるような「ザディーグ」の方が好みでした。(岩波文庫)


+既読のヴォルテール作品の感想+
「バビロンの王女・アマベッドの手紙」ヴォルテール
「カンディード」ヴォルテール

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ハンニバル・レクター博士が聞いていたグレン・グールドの「ゴルトベルク変奏曲」は、果たして1955年盤なのか、1981年盤なのか。左手が多指症で6本の指があったというレクター博士、左手だけで中指が2本ある指で演奏するというのは、一体どのような感覚なのか。そしてそのトマス・ハリスのレクター博士の三部作とリンクしているような気がしてならないのは、ジョン・フランクリン・バーディン「悪魔に食われろ青尾蝿」。こちらに登場するのは、ハープシコードで「ゴルトベルク変奏曲」を弾くヒロインのエレン。精神病院を退院したエレンが、頭の中で家に着いた自分が「ゴルトベルク変奏曲」を弾くところを思い描く場面は、まさに演奏家としての思念の動きと言えるリアルなものなのです。...古今東西の純文学やミステリーの中から音楽や音楽家を扱った作品を取り上げて、音楽とのかかわりを主軸に読み解き、それによって音楽や音楽家の神秘を垣間見ようとする1冊です。

青柳いづみこさんの音楽と小説の本といえば「ショパンに飽きたらミステリー」もありますが、そちらとはまた違った音楽のシーンを楽しめました。今回一番印象に残ったのは、「シャープとフラット」の章に紹介されているアンドレイ・マキーヌの「ある人生の音楽」に登場するピアニストについてのエピソードかな。その後に待つものが分かっていても、それでも弾きたいピアニストの思い。それが青柳いづみこさんの文章に重なって、じんじんと伝わってきます。そうだよね、弾きたいよね! 弾いてしまうよね...!
そして「音楽のもたらすもの」の章で紹介されるトルストイの「クロイツェル・ソナタ」では、この言葉が印象的。

普通の人間関係は、言葉を介して築かれる。見ず知らずの他人からスタートし、言葉をかわし、お互いの共通点を発見し、共感しあい、しかるのちに恋愛に至り、しばらくたつとやがて言葉がいらなくなり... というコースをたどるのだが、音楽はすべての手順をすっとばし、二人の男女をいきなり「言葉がいらなくなった状態」に置く。(P.172)

ああー、ものすごく分かる気がする...。音楽だけではないんでしょうけど、音楽にはこういう面が確かにあると思います。この作品は、ぜひとも実際にベートーベンの「クロイツェル・ソナタ」を聴きながら読んでみたい! そしてこのトルストイの作品にインスパイアされて書かれたという、ヤナーチェクの「クロイツェル・ソナタ」もぜひ聴いてみたい。

ここのところ私の中で音楽の比重がすごく大きくなってるので、比較的最近読んだ本はかなり音楽的な部分にも注目して読んでるんですけど... 例えばアンジェラ・カーターの「血染めの部屋」のバッハの平均律とかね。私は青柳さんとは逆にバッハを弾くのが大好きなので、バッハで気持ちを落ち着かせるというのは、ものすごく分かる気がします。私の場合、平均律全曲なんてとても弾けないどころか、弾けるのはまだほんの数曲なんですけど。(笑) 奥泉光さんの「鳥類学者のファンタジア」や山之口洋さんの「オルガニスト」は、音楽を無視しては読めないし、例えば皆川博子さんの「死の泉」のカストラートのインパクトは強烈だったんですけど...! あまり音楽を意識しないで読んだ本は、ぜひともその辺りに注目して読み返したくなりますねえ。今読んだらまた違う印象を持つんだろうな。それに未読の本もいっぱい紹介されてたんですよね。どれも読んでみたい! その時はもちろん、その作品で取り上げられている音楽を聴きながら読みたいものです。(岩波書店)


+既読の青柳いづみこ作品の感想+
「モノ書きピアニストはお尻が痛い」「ショパンに飽きたら、ミステリー」青柳いづみこ
「水の音楽 オンディーヌとメリザンド」青柳いづみこ
「ボクたちクラシックつながり」青柳いづみこ
「ピアニストは指先で考える」青柳いづみこ
「指先から感じるドビュッシー」青柳いづみこ
「ピアニストが見たピアニスト」青柳いづみこ
「六本指のゴルトベルク」青柳いづみこ

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今までになく酷いうなされ方をしているダランベールを心配したレスピナッス嬢は、夜中看病しながら、その気違いじみた支離滅裂な話し振りのうわ言を書き留めます。そして朝になって呼んだ医者のボルドゥーに、その時に書き留めておいたことを話すことに。レスピナッス嬢が驚いたことに、ボルドゥーはそのうわ言のメモから意味を掴みレスピナッス嬢に解説、やがて2人はそれについて議論をし始めることに... という表題作「ダランベールの夢」他全5編。

ディドロは、18世紀フランスの啓蒙思想家であり作家である人物。18世紀を代表する書物「百科全書」の編纂・刊行に関わった百科全書派の中心的な人物です。(他にはダランベールやヴォルテール、ジャン=ジャック・ルソー、モンテスキューの名も) この「百科全書」は、当時の技術的・科学的な知識の最先端を集めて紹介しながら、同時に古い世界観を打ち破り、社会や宗教・哲学等への批判を行っているので、宗教界や特権階級から危険視されたんだそうで... そしてその購読者は、実際にフランス革命の推進派と重なっているのだそうで... やっぱり危険だったのか。(笑)

5編とも全て対話形式の作品となっています。訳者による「はしがき」に、ディドロの著作や18世紀の思想にまだあまり馴染みのない読者は、まず「肖像奇談」を読んで、次に「或哲学者とXXX元帥夫人との対談」、そして最後に3部作を順を追って読むのが読み易いと書かれていたので、今回その通りに読んでみました。実際「肖像奇談」は一番分かりやすいです。話として普通に面白い。最後のオチもいいですねえ。と言いつつ、以前どこかで読んだような気もしたのだけど。どこかのアンソロジーに入ってたのかな? 次の「或哲学者とXXX元帥夫人との対談」は、それよりもちょっと難しい... 難物というほどではないのだけど。そして3部作。最初の「ダランベールとディドロの対談」は面白かったー! 圧力を通じて現れる死力と場所の移動を通じて現れる活力、静止的感性と能動的感性、そして静止的感性から能動的感性への移行。一見小難しいんだけど、よく読んでみると案外分かりやすいです。ええと、こういうのが唯物論なんですかね?(すみません、よく分かってません) でも次の表題作「ダランベールの夢」では、話が一気に多岐に渡ってしまって、ついていけないー。対話形式だし、文章的には比較的読みやすいんだけど、何なんだ、これは??? で、3部作最後の「対談の続き」は、また少し分かりやすくなって。
ディドロという人は、ごく普通のこととかちっちゃいことをわざと大げさに言い立てて、相手の反応を見て楽しむようなところがあるんですかね? なぜ真っ直ぐ等身大に表現できない? なんて思ってしまったんですが、その反応、合ってるのでしょうか。(笑) で、驚いたのはその内容の新しさ。なんだか今の時代に書かれてると言われてもおかしくないようなことが色々と書かれていて、これが18世紀に書かれたということにびっくりです。これはきっと内容がきちんと分かればどれもすごく面白いんでしょうね。まあ、最初から1度読んですんなり理解できるようなものとは思ってなかったので、面白かった部分もあったということが大収穫。ゆっくりじっくり付き合っていきます。(岩波文庫)

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