Catégories:“2009年”

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光原百合さんの作品2つ。
その日「マノミの木」目当てに茉莉花村にやって来たのは、馬で10日ばかり行った先にある耀海(かぐみ)の若き領主夫妻。奥方の水澄が重い病にかかり、どんな病でも治すマノミにすがるしかないとやって来たのです。しかしマノミは魔の実。マノミ酒を飲んで命が助かれば、その代わりに最愛の人の記憶を失うのです... という「花散る夜に」。(新・本格推理 不可能犯罪の饗宴)
大学を卒業後、地元の尾道に戻った静音は、ひょんなことから神埼零というピアニストのコンサートに行くことに。音楽にはあまり詳しくないながらも鳥肌が立つような感動を覚えた静音は、それ以来、地元で演奏がある時は事務方スタッフとして手伝うようになり、いまや神崎零とも調律師兼マネージャーの木戸柊ともお馴染み。そして今回の演奏会が終わった後、静音は自宅にあるピアノのことを相談します。静音の家のピアノは音が出ないピアノ。相変わらず応接間に置かれているものの、静音の家ではみな諦めていたのです... という「ピアニシモより小さな祈り」。(オール讀物)

「花散る夜に」は、「嘘つき。やさしい嘘十話」に収録されていた「木漏れ陽色の酒」の続編。「最愛の人の記憶を失ってしまう」というのは、やっぱり何度考えてもキツい設定だわーと思いつつ。それだけだと話の範囲がどうしても狭まってしまいそうな気もするんですが、それは素人考えでした。ああ、なんて素敵なエンディング。
淡い金緑色のマノミの酒もなんですが、今回のマノミの花の散る場面の美しいことったら。この花びらの辺りで、ああこの作品はミステリなんだなあ、なんて改めて思ったりしてました。そして、ふと気づいてみれば。今回の領主夫妻の名前は「蒼波」「水澄」、前回は「水際」と「沙斗」。いずれも水に関係する名前なんですね。あの世とこの世の間にいる人々に、マノミの酒が効かなければもう助からない人々に、とても相応しい気がします。

「ピアニシモより小さな祈り」は、大好きな潮の道幻想譚シリーズ。これは尾道の街を舞台にした、ちょっぴり不思議なファンタジー。今回はピアノのお話。読んでいる後ろから、澄んだピアノの音が流れてくるような気がします。音と共に光の波が広がっていき、金色のオーロラに包まれるようなピアノの演奏、私も体験してみたい。でもそんな美しいピアノの音とは対照的な、切なくて哀しくてやるせない想いも存在して。最後の「ピアニシモより小さい音でしかなくとも...」という言葉がすごく良かったです~。そして和尚さんは相変わらずだし、静音は気が強い中に可愛いらしさがあって素敵だし、自分の魅力を知ってる人も、自分の魅力にまるで気づいてない人も、どちらも魅力的でした。私としては... 自分の魅力にまるで気づいてない人の方が好みかも。(笑)


そして光原百合さん情報です。
ギリシャ神話系ファンタジー「イオニアの風」の発売が決定になったそうです。発売日は8月25日。中央公論新社から。光原さんの本は装丁が素敵な本が多いのですが、今回も素敵な本になったそうで~。とっても楽しみ。
それと潮の道幻想譚シリーズは、これで単行本1冊分の短編が出揃って、これから単行本に向けた作業に入るとのこと! 最初の方のお話の記憶が朧になってるので、改めて最初から読み返すのがとても楽しみです。
あと、今刊行中の「詩とファンタジー」に光原百合さんの「夏の終わりのその向こう」が掲載されてるんですけど、それには「星月夜の夢がたり」で挿絵を担当された鯰江光二さんが絵をつけてらっしゃるんですね。その作品は、来年刊行予定の絵本に収録されることになるんだとか。内容は、ギロックの叙情小曲集の全曲をモチーフにしたファンタジーで(絵はもちろん鯰江光二さん)、小原孝さん演奏によるCDも付くんだそうです。光原百合さんは、尾道学園の創立50周年記念で校歌をご一緒に作られた時からの小原孝さんのファン。それ以来、すっかりピアノに開眼されて、小原さんが弾かれるギロックに魅了されて... 今回の「ピアニシモより小さな祈り」も、そうやって書かれることになったのですねえ。
ああ、どれも楽しみー!!(文藝春秋・光文社)


+既読の光原百合作品の感想+
「ありがと。 あのころの宝もの十二話」ダ・ヴィンチ編集部編(「届いた絵本」)
オール讀物11月号(文藝春秋)(「扉守」)
小説NON 11月号(祥伝社)(「希望の形」)
小説推理・オール讀物・星星峡(「1-1=1」「クリスマスの夜に」「オー・シャンゼリゼ」)
「最後の願い」光原百合
光原百合ベスト3@My Best Books!
「尾道草紙」尾道大学 創作民話の会
「銀の犬」「親切な海賊」光原百合
オール讀物 2007年10月号(「写想家」)
「嘘つき。 やさしい嘘十話」ダ・ヴィンチ編集部編(「木漏れ陽色の酒」)
オール讀物 2008年11月号(「旅の編み人」)
「新・本格推理 不可能犯罪の饗宴」二階堂黎人編・オール讀物 2009年8月号(「ピアニシモより小さな祈り」「花散る夜に」)
「イオニアの風」光原百合
「扉守 潮ノ道の旅人」光原百合
Livreに、これ以前の作品の感想があります)

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1954年から59年にかけて散文や詩の小品を書き、雑誌に発表していたボルヘス。ある日エメセー書店の編集者が訪れて全集の9巻として加えるべき原稿を求められ、その時は用意がないと断るものの、執拗に粘られて、已む無く書斎の棚や机の引き出しをかきまわして原稿を寄せ集めることになったのだとか。そして出版されたのがこの「創造者」。ボルヘス自身が最も気に入っていたという作品集です。

読み始めてまず驚いたのは、何よりも読みやすいということ。「伝奇集」が途中で止まったままだというのに、こちらは一旦読み始めたら、もう止まりませんでした。うわーん、面白かったーー。確かに、ここ数年でダンテの「神曲」も、アリオストの「狂えるオルランド」も読んだし、北欧神話関連も本が入手できる限り読んでいるし、ギリシャ神話関連もそう。ギリシャ悲劇だって、今の時代に読める作品は全部読んだし。ホメロス「イーリアス」「オデュッセイア」も再読したし、ミルトン「失楽園」も... って関係あるかな? 以前よりも理解できる素地が少しは整ってきているのかとも思うのですが。訳者解説を読むと、「伝奇集」や「不死の人」「審問」などの作品には、ボルヘスの個人的な感情の発露がほとんど見られないのに、こちらでは肉声めいたものを聞くことすらできる、とのこと。やっぱりそういうのも関係もあるんでしょうね。
ボルヘス自身、とても気に入っている本なのだそう。「驚くべきことに、書いたというよりは蓄積したというべきこの本が、わたしには最も個性的に思われ、わたしの好みからいえば、おそらく最上の作品なのである。その理由は至極簡単、『創造者』のどのページにも埋草がないということである。短い詩文の一篇、一篇がそれ自体のために、内的必然にかられて書かれている」...ボルヘス自身、全ての作品をできれば5、6ページ程度に縮めたいと語っていたそうです。確かにここに収録されている作品は、それぞれにエッセンス的な濃密さを感じさせますね。カルヴィーノの文学論とはまた違うものだとは分かっていても、どこか通じるような気がしてきたり。
読んでいて一番好きだったのは

文学の始まりには神話があり、同様に、終わりにもそれがあるのだ。(P.67)

この言葉。
ああ、この夏のうちに「伝奇集」を読んでしまおうっと!(岩波文庫)


+既読のホルヘ・ルイス・ボルヘス作品の感想+
「創造者」J.L.ボルヘス
「エル・アレフ」「伝奇集」ホルヘ・ルイス・ボルヘス
「幻獣辞典」ホルヘ・ルイス・ボルヘス、マルガリータ・ゲレロ

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険しい丘と広く深いトゥイードの川、さびしげなチェヴィオットの山並みにかかるように建てられているノーラムの城の高い見張り塔に立つ戦士たちは、遠くの馬のひずめの音を耳にし、ホーンクリフ・ヒルを越えて槍を持った一群の騎馬武者たちが近づいてくるのを目にします。それはイングランド中の騎士の華・マーミオン卿の率いる騎士たち。一行は早速城に迎え入れられます。マーミオンはヘンリー8世の命令でスコットランド王・ジェイムズ4世のもとへと赴く途中なのです。マーミオンはここで道案内を得ると、翌朝早速出発することに。

ヘンリー8世の寵臣・マーミオンが主人公の叙事詩。ちゃんと叙事詩の形で訳されてるのはすごく嬉しいのですがーーー。ウォルター・スコットにしては今ひとつ楽しめなかったかも...。訳者の佐藤猛郎さんも、長い間この作品を好きになれなかったそうなので、私だけではないというのが心強いんですけどね...。でも「そこで私はこの難解な『マーミオン』にじっくり取り組んでみたら、少しはこの作品が好きになれるのではないかと思い、『マーミオン』関係の資料を集めることにした」というのが私とは違うところ! なんて素晴らしい。

主人公のマーミオン卿は、尼僧のコンスタンスを誘惑して修道院から脱走させて愛人にしてるけれど、今度は広大な土地を所有する貴族の跡取り娘・クレアに目をつけ結婚しようとする... という面もあれば、戦いにおいては勇敢で誇り高い騎士という面もある人物。スコットランド対イギリスという大きな背景の中で、マーミオンのスコットランド行きやコンスタンスの裁判、今は尼僧見習いとなっているクレアのことなどが語られていきます。
この作品で難点なのは、やっぱりこの構成でしょうね。全6曲で、その曲は純粋にマーミオンの物語詩となってるんですが、それぞれに序詩がつけられていて、その序詩は舞台となる土地のことやウォルター・スコットのことを語る、本筋とは関係ないものなんです。これを読むたびに、本編の物語詩が分断されてしまうという弊害が...。結局、本編と序詩を別々に読むことになってしまいましたよ。実際の吟遊詩人の語りならば、そんなことにはならないでしょうし、そうやって緩急をつけることによって聞き手を飽きさせない効果があるんだろうと思うんですが... この作品に限っては逆効果じゃないかしら。やっぱり文字で読む詩と、語りで聞く詩の違いかなあ。ウォルター・スコットの傑作とされている長編詩3作品のうち、「湖の麗人」や「最後の吟遊詩人の歌」は大好きなのに。その3作品にこの「マーミオン」も入ってるということは、一般的には高く評価されてるということなのに。その良さがあまり分からなくて残念です。(成美堂)


+既読のウォルター・スコット作品の感想+
「アイヴァンホー」上下 スコット
「湖の麗人」スコット
「最後の吟遊詩人の歌」ウォルター・スコット
「マーミオン」ウォルター・スコット

+既読のウォルター・スコット関連作品の感想+
「ウォルター・スコット邸訪問記」ワシントン・アーヴィング

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6月。ムーミン谷近くの山が噴火して大きな地震が起こり、遠くから海の水が押し寄せてきます。洪水のせいでムーミン谷はすっかり水浸し。避難しなくてはならなくなったムーミントロールたちの前に流れてきたのは、ムーミン一家よりももっと人数の多い家族が一緒に乗れるぐらいの大きな家でした。一家は早速その家に引越しをすることに... という「ムーミン谷の夏まつり」。
11月から4月までは冬眠するムーミンたち。しかし新年を少し過ぎた頃。ムーミントロールはふと目を覚まし、それきり眠れなくなってしまったのです。家の中は夏と一緒でも、妙に静かで寂しくて... ムーミンママの布団の上で丸まって長い冬の夜を過ごしたムーミンは、朝になると外に出てみることに。スナフキンに会いに南へ行こうと思ったのです... という「ムーミン谷の冬」。

ムーミンシリーズの4作目と5作目。
「ムーミン谷の夏まつり」は、1作目の以来の危機勃発の物語。でも彗星が地球にぶつかるというあの時にもまるで動じなかったムーミン一家が、洪水ごときでうろたえるわけもなく。(笑) 避難というよりも、もうほんと普通にお引越しですね。ピクニックのような和やかさ。みんなが新しい家に落ち着いた後でも、ムーミントロールとスノークのおじょうさんが木の上に置き去りにされるという事件が起きるんですが、ムーミンパパもムーミンママもあまり心配してないし~。はぐれたと分かった最初こそ嘆き悲しむムーミンママなんですけど、「ほんとに、あの子たちのことが、そんなにかなしいのかい」と言われて、「いいえ、ちょっとだけよ。だけど、こんなにないてもいい理由があるときには、いちどきにないておくの」ですもん。そこで一しきり泣いたら、後は希望のみ。なんて前向きなんだ!(笑)
今回は、ムーミントロールの気障な台詞にひっくり返りましたよ。「わたしがすごくきれいで、あんたがわたしをさらってしまうというあそびをしない?」というスノークのおじょうさんに対して、ムーミントロールの答えは「きみがすごくきれいだ、なんてことは、あそびにしなくていいんだよ。きみは、いまだって、ちゃんときれいなんだもの。ぼく、たいていきみをさらっちゃうよ。あしただけどさ」ですよ! それと、いつも孤高な人生を歩んでいるスナフキンが、公園の「べからず」立て札を片端から引き抜いてやろうと、ニョロニョロの種を蒔いたり、一緒に逃げ出した24人の子供たちの世話をしたりとなかなか楽しい展開です。

「ムーミン谷の冬」は、シリーズ初の冬の物語です。目を覚ましてしまうのはムーミンとちびのミイ。
冬眠中の11月から4月までの期間というのは、ムーミンたちにとって存在しないも同じ時間。北欧が舞台なのに、ムーミンが雪を見たこともなかったというのが驚きなんですが、ここに描かれているのは、まさに北欧の冬。夏とは全然雰囲気が違います。死んだように静まり返った雪の世界。「夜が明ける」とはいっても、半年は夜となる北欧は、白夜の反対の極夜の状態。1日中、薄闇のモノトーンの世界なんでしょうね。家の中にも外にも、寂寞としたイメージが漂っています。雪は音を吸収するでしょうから、一層不気味だったのでは。
「ここは、うちの水あび小屋だぜ」と言うムーミンに対して、「あんたのいうとおりかもしれないけど、それがまちがいかもしれなくてよ。そりゃ、夏にはなるほどこの小屋は、あんたのパパのものでしょうさ。でも、冬にはこのおしゃまのものですからね」と返すおしゃまさん。そう言われてしまうと一言もありませんね。よく知っている場所のはずなのに、ここは既に異世界。夏と冬でこれほど世界が変わるというのがすごいです。北欧に住む人々にとっては普通なのかもしれませんが、とてもインパクトがありました。
そしてそれだけに、春の到来がとても素敵。まだまだ雪が厚く積もり、氷も厚くはって寒いながらも、やがて水平線にお日さまが最初は糸のように細く顔を出し、それから少しずつ高く上るようになり、やがてムーミン谷にも弱い日ざしが差し込むようになります。そして雪嵐。こんな風に北欧の人々は春を迎えるんですね。目が覚めたムーミンママの「わかってますよ」という言葉がとても温かいです。ああ、特に大事件はおきない話なんだけど、シリーズ5冊読んだ中でこの作品が一番好き!(講談社文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ムーミン谷の彗星」トーベ・ヤンソン
「たのしいムーミン一家」トーベ・ヤンソン
「ムーミンパパの思い出」トーベ・ヤンソン
「ムーミン谷の夏まつり」「ムーミン谷の冬」トーベ・ヤンソン

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七日の間誰も出て来ず、しかも何の応答もなくなった館。大后はたまりかねて白い糸の標を破って踏み込みます。そこにいたのは大王と衣通姫(そとおりひめ)。しかし大王は既に亡くなっていました。大后は衣通姫が大王の命を奪ったのだろうを弾劾するのですが、衣通姫は何とも答えようとせず... という「ささがにの泉」他、全7編。

オムニバス形式の七夕の姫の物語7編。神話の時代の衣通姫は「使い神」に守られた姫。姫の身体には地霊の力が満ち、国つ神の霊力を備えています。そしてその姫による機織は、まさに神事と言えるもの。「秋去衣」の軽大郎女(かるのおおいらつめ)にとっての機織も同様ですね。でも徐々に時代が下がるに従って、社会は変わり、霊力も失われ、機織は日常の仕事となってしまうのです。都ほどではないにせよ、変化に晒されることになるのは泉の地に住む一族も同様。それでもここに登場する姫たちは、みなそれぞれに様々な状況的な制約の中にありつつも、精一杯生きている女性たちなんですが... 「糸織草子」の姫なんて、読んでいて痛々しくなってしまうほどだったなあ...。
この7編の中で私が特に好きなのは、「ささがにの泉」と「朝顔斎王」。「ささがにの泉」は神話時代を感じられる独特の雰囲気が大好き。そして「朝顔斎王」は「源氏物語」の朝顔の斎院と重ね合わせられている、とても可愛らしい作品。

7つの題名は、それぞれに織姫の別名によるもの。(ささがに姫・秋去姫・薫物姫・朝顔姫・梶の葉姫・百子姫・糸織姫) 千街晶之さんの解説によると、折口信夫の論文「水の女」が発想源の1つであることは、ほぼ間違いないだろうとのこと。藤原氏は元々聖なる水を扱う家柄だったという説もあるのだそうです。そちらも読んでみたい! 確かに常に泉の地に住む一族が見え隠れしていますし、例えば「美都波」「瑞葉」「椎葉」「水都刃」...と「みづは」という名前が繰り返し登場するところなんかも暗示的。おそらく他にも様々な暗示的な意味合いが籠められているのでしょうね。そして、そこここに散らばるヒントを元に歴史上の人物のことを推理するのも楽しいところ。私も色々調べまくってしまいました。(その甲斐あって主要人物についてはほぼ全て分かったかな) 日本史に詳しい人ほど、一層楽しめそうです。でもそんなことは考えずに、ただストーリーを追って読んでも、十分ここに流れる空気は堪能できそうです。物語そのものも幻想的な美しさだし、物語の最後にゆかりの和歌が添えられているのも雅な美しさ。とっても味わい深い作品でした。(双葉文庫)


+既読の森谷明子作品の感想+
「れんげ野原のまんなかで」森谷明子
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「七姫幻想」森谷明子

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バーバ・ヤーガは、スラヴ系の民話に登場する魔女。元々はスラヴ神話における「冬」の象徴だったのに、キリスト教が入ってきて、すっかり悪い魔女になってしまったみたいです。元々は悪い存在じゃなかったので、時には良い人間を助けてくれる親切な老婆として登場したりもするんですけどね。そして、そのバーバ・ヤーガの住む家というのがとてもユニーク。鶏の足が生えた家なんです。その足でとことこ歩いて家が移動したり、ぐるぐる回ってる時も。

ムソルグスキーの「展覧会の絵」にも「鶏の足の上に立つバーバ・ヤーガの小屋」があるし、あちらの方にはかなり馴染み深い存在のようなんですけど、なかなかバーバ・ヤーガの登場する物語にめぐり合えないんです。アファナーシェフの「ロシア民話集」(感想)でもいくつか読めたし、スーザン・プライスの「ゴースト・ドラム」(感想)は素晴らしかったのだけど...! でも、ふと気がついたら。バーバ・ヤーガのお話の絵本が図書館にいくつかあるじゃないですか。早速ありったけを借りてきました。

今回読んだ5冊の中では、「まほうつかいバーバ・ヤガー」(松谷さやか再話・ナタリー・パラン絵)と「バーバ・ヤガーとままむすめ」(渡辺節子文・井上洋介絵)がほぼ同じ話で、「ロシア民話集」収録の「ヤガーばあさん」と同じ。そして「マーシャとババヤガーのおおきなとり」(宮川やすえ文・太田大八絵)が、同じく「ロシア民話集」収録の「鵞鳥白鳥」と、「おばけのババヤガー」(カロリコフ再話・カバリョーフ絵)が「りりしい鷹フィニストの羽」と同じ。オリジナルなのかな?というのは「バーバ・ヤガー」だけ。(私がオリジナルを知らないだけかも)
でも既に知ってる話でも、絵本で改めて読むと面白いー。以前読んだ時は挿絵も何もない状態でしたしね。「まほうつかいバーバ・ヤガー」は、バーバ・ヤーガの家が普通の木の小屋で足が生えてないのが難点なんだけど、ぐるっと周りを回っても入り口が見つからない家に「こやよ こやよ、森のほうには うしろむき、わたしのほうには まえむきに なあれ!」って言うところが面白かったし、部分的に切り紙細工のような絵が可愛かったし... 「バーバ・ヤガーとままむすめ」の絵はあまり好みではなかったんだけど、ちゃんとバーバ・ヤガーの小屋に鶏の足がついてくるりくるりと回っているのが良かったし。「マーシャとババヤガーのおおきなとり」に登場する小屋も、回ってはいないものの鶏の足付き。そして「おばけのババヤガー」の幻想的な絵の素晴らしいことったら...! 人物の絵はあまり好きではないんですけど、バーバ・ヤガーの小屋(鶏の足付き)や、魔法使いの女王の城の絵が特に素敵~。
唯一のオリジナル(?)の「バーバ・ヤガー」(アーネスト・スモール文、ブレア・レント絵)は、お母さんに言われてカブを買いに出たものの途中でお金を落としてしまったマルーシャが、森にカブが生えてないか探していると、やがて鶏の足の生えたバーバ・ヤガーの小屋が現れて... というお話。「白い騎士」と「黒い騎士」というのが素敵だったし、悪い子じゃないと食べないというバーバ・ヤガーがユニーク。恐ろしいながらもどこか抜けている魔女相手に、マルーシャは自分の力でで夕食になることを免れるんですよ! 面白いなあ。こういうのを読んでると、「いい子にしないとバーバ・ヤーガに食べられてしまうよ!」なーんて子供をたしなめるお母さんの声が聞こえてきそう。版画風の挿絵も素敵でした。あ、小屋にはちゃんと鶏の足がついてます。一番左に画像が出てる絵本の表紙の通りです。(童話館出版・福音館書店・ほるぷ出版・岩崎書店・ひさかたチャイルド)

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世界の名ピアニストを論評して欲しいと言われ、はじめは戸惑いを覚えたという青柳いづみこさん。しかし資料を読み込むうちに、雲の上の存在のようなピアニストたちもまた、同じようにステージ演奏家に特有の苦悩に直面していたと分かり、気持ちが変わったのだそうです。ここで取り上げるのは、スビャトスラフ・リヒテル、ベネデッティ=ミケランジェリ、マルタ・アルゲリッチ、サンソン・フランソワ、ピエール・バルビゼ、エリック・ハイドシェックの6人。この6人を論じ、そのことを通して、20世紀後半以降のクラシック音楽を取り巻く環境の問題、商業主義の弊害や、何度も繰り返す演奏行為そのものの難しさなども炙り出していきます。

バルビゼはかつての青柳さんの師だし、ハイドシェックは青柳さんご本人が親しい仲。よくご存知なんですね。でも直接知らなかったとしても、本人と直接関わり合った人々の話を聞いたり資料を読んだり... そのピアニストの音楽的生い立ちや音楽性を知るのはもちろんのこと、音楽を聴いて映像を見て、具体的な演奏技術や、演奏時の精神的な状態にまで触れて、単なる批評家にはなかなか踏み込めない領域まで踏み込んで書いているのが、とても面白いし興味深いところ。
この中でアルゲリッチだけはある程度知ってたんですが、他はほとんど知らなくて、すごく面白かったし興味深かったです。特にリヒテル。正規の音楽教育を全然受けないで育った人だったんですか! チェルニーなんて弾いたことがなくて、最初に弾いたのがショパンのノクターンの第1番って...! ワーグナーやヴェルディ、プッチーニのオペラのピアノ用編曲を片っ端から弾いて、早く寝ろとお母さんに怒られたんですって。ピアニストって小さい頃から猛特訓を受けてるイメージなんですけど、全然ちがいますね。やっぱり天才だったのか。「君はピアノが好きじゃないね」と言われたリヒテルが「私は音楽の方が好きなんです」と答えたというエピソードもとても印象深いです。
そしてハイドシェックの章では、ピアニストがピアニストであり続けることの難しさを目の当たりにさせられることに。訴訟問題でディスクが長い間出ないうちに、すっかり最新流行のピアニストではなくなってしまったことに気づくハイドシェック。新しいディスクがリリースされないと、雑誌のインタビューもラジオの出演依頼もなく、批評家も演奏会に来てくれなくなり、新聞や雑誌の批評も出なくなるんですって。そして左腕の故障。演奏会腕や手の故障の噂が業界に広まると仕事が来なくなると誰にも相談できずにじっと耐えるなんて... 痛々しすぎる。
そう思って読み返してみると、どのピアニストもそれぞれに転換期というものがあるんですよね。リヒテルは暗譜するのをやめ、ミケランジェリは弾き方が変わり、アルゲリッチはソロで弾かなくなる。その意味で一番印象に残ったのはミケランジェリ。まさに楽譜通りでミスタッチなど1つもない完成度を誇る非の打ち所のない演奏で知られるミケランジェリも、若い頃はイタリアのオペラ歌手のように時には熱く目にも留まらぬ速さで、時にはしっとりと歌いまくるピアノを弾いていたんだとか。でもその彼が、第二次世界大戦で変貌してしまうんですね。自分自身の体の変調だって本人にとって辛いのはとても分かるんだけど、それはまだ仕方ないのないこと。そういった外的で暴力的な影響によって人格まで変わってしまうような体験って...。

最後にそれぞれのピアニストの青柳さんの推薦盤紹介みたいなのがあれば良かったんだけど... アマゾンのレビューには「巻末にはそれぞれのピアニストのお勧めCDリスト付き」なんて書いてあるんだけど、どこだろう? ページが抜けてるのかしら? 巻末には参考文献とあとがきしかないんだけど! 書店で他の本もチェックしてみなくてはー。でもバルビゼとフェラスのデュオや、ハイドシェックのベートーベン全集をぜひ聴いてみたくなったし、ミケランジェリの「幻の高次倍音」や「重たいのに透明。濃淡が刻々と変化する」音を体感してみたくなりました。(白水社)


+既読の青柳いづみこ作品の感想+
「モノ書きピアニストはお尻が痛い」「ショパンに飽きたら、ミステリー」青柳いづみこ
「水の音楽 オンディーヌとメリザンド」青柳いづみこ
「ボクたちクラシックつながり」青柳いづみこ
「ピアニストは指先で考える」青柳いづみこ
「指先から感じるドビュッシー」青柳いづみこ
「ピアニストが見たピアニスト」青柳いづみこ
「六本指のゴルトベルク」青柳いづみこ

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