Catégories:“2009年”

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トムは腹を立てていました。夏休みは弟のピーターと庭のリンゴの木の枝と枝の間に家を作ろうと前々から計画していたのに、ピーターははしかにかかり、トムはうつらないようにするために、アランおじさんとグウェンおばさんの家に行かなければならなくなったのです。アランおじさんたちが住んでるのは、庭のないアパート。万が一はしかにうつっていた時のために外に出ることもできず、友達もおらず、トムは日々退屈しきっていました。運動不足で夜も寝られなくなってしまったトムは、毎晩のように時計の打つ音を数えるのが習慣となります。古い置時計は、打つ音の数を間違えてばかり。しかしそんなある晩、夜中の1時に時計が13回打ったのです。夜の静けさに何かを感じたトムは、こっそりベッドから抜け出します... という「トムは真夜中の庭で」。
隣の家に住んでいたのは、"よごれディック"。数年前に奥さんに逃げられて以来、ディックは一人暮らしで、母さんに言わせると、ブタ小屋のブタのような暮らしぶり。運転はできないのに2台の車を持ち、1台ではウサギを、もう1台ではメンドリを飼い、卵を売って暮らしていました... という「汚れディック」他、全8編の短編集

古時計が13回打った時にだけ現れる庭園とハティという名の少女。昼間はがらくたばかりが置かれている狭苦しい汚い裏庭があるだけの場所に、広い芝生と花壇、木々や温室のある庭園が広がっていて...! 退屈だったはずの夏休みが、わくわくする真夜中の冒険に一変してしまいます。子供の頃に何度も読み返した作品なんですが、中学以降は読んでなかったかも... ものすごく久しぶりの再読なんですが、これがやっぱり良くて! 大人になって読んでも全然色褪せていないし、それどころかさらに一層楽しめるというのが素晴らしい。
でも楽しい冒険も徐々に終わりに近づいて...。小さかったハティがいつしかすっかり大きくなっていたと気づくところは切ないです。しかもそれに気付かされるのが、他人の目を通してなんですから! でも最後に彼女の名前を叫んだ時、きちんとその声が届いたというのがなんとも嬉しいところ。年齢差を越えた2人の邂逅には胸が温まります。
この作品、子供の頃読んでた時はやっぱりトム視点で読んでたと思うんですけど、大人になった今読むと、もちろんトム視点が基本なんですけど、ハティもかなり入ってたかも。読む年齢に応じて、その経験値に応じて、新たな感動をくれる本なんですね。あー、こういう子供の頃に大好きだった本を読み返すたびに、本棚に入れておいてくれた父に改めて感謝してしまうなあ。

そして「真夜中のパーティー」の方は、今回初めてです。どれもごく普通の日常から始まる物語。特に不思議なことが起きるわけでもないし、日常のちょっとした出来事と一緒に子供たちの思いが描かれているだけ。でもそれがとても鮮やかなんですね。真夜中のパーティーが親にばれないように工夫する姉弟たち、ついついニレの木を倒してしまった少年たち、貴重なイシガイを川に隠す少年たち、せっかく摘んだキイチゴを無駄にしてしまい、怒る父親から逃げ出す少女、池の底からレンガの代わりにブリキの箱を拾った少年...。特に印象に残ったのは、川の底に潜りこもうとするイシガイを見ながら密かに逡巡するダンの姿かな。これは本当にドキドキしました。兄のようなパットが大人たちに糾弾されるのに憤慨した小さなルーシーの反撃も良かったなあ。溜飲が下がります。あと、間違えてブリキの箱を拾ってきた少年のあの達成感・充実感ときたら! 読んでいるその時には、それほど大した物語には思えないのですが、後から考えると印象的な場面がとても多かったことに気づかされるような、深みのある短編集でした。(岩波少年文庫)

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17歳になっていたキャサリン・モーランドは、近隣で一番の財産家・アレン氏が通風の持病を治すためにバースに行く時に、誘われて一緒にバースに行くことに。ずっと田舎で暮らしてきた彼女は、華やかなバースの生活に夢中になります。バースにある社交場の1つロウアー・ルームズでは魅力的な青年・ティルニーを紹介されて好意を抱き、鉱泉室ではアレン夫人が旧友のソープ夫人に再会したことによって、ソープ夫人の長女のイザベラとすっかり親しくなるキャサリン。しかもソープ一家は、キャサリンの兄のジェイムズのことを知っており、既に親しくしていたのです。

この作品が出版されたのは書かれてから13年後、「分別と多感」や「自負と偏見」「エマ」より後とかなり遅くなったものの、ジェーン・オースティンが23歳の時に書かれたという初期の作品。作中でアン・ラドクリッフの「ユードルフォの謎」という作品が何度も引き合いに出されてるんですが、訳者あとがきによれば、そういった当時流行のゴシック小説の人気の過熱ぶりを皮肉って、パロディとして書かれた面もあるとのこと。13年経つうちに、小説の流行もバースの街の雰囲気もすっかり移り変わって時代遅れになってしまったため、わざわざその辺りのことを序文で説明しているほどです。21世紀の今読む分には、13年程度のずれなんて何ほどのものでもないんですが。(笑)

ゴシック小説のパロディと知ってみれば、「キャサリン・モーランドを子供時代に見かけたことのある人なら、誰も彼女がヒロインになるために生まれた人だなどとは思わなかっただろう」という書き出しからして可笑しいですし、その他にもヒロインらしからぬ部分が一々指摘されて、期待されるような波乱に満ちた展開にはならなかったことがわざわざ書かれているのが楽しいです。でもそれはあくまでもお楽しみの部分。物語の中心となるのはキャサリンとジェイムズのモーランド兄妹、イザベラとジョンのソープ兄妹、ヘンリーとエリナーのティルニー兄妹のこと。3組の兄妹たちの姿を通して当時の生活ぶりが見えてくるのが楽しいのも、世間ずれしていない可愛らしいお嬢さんのキャサリンがソープ兄妹に振り回されて、今でも決して古びることのない人間関係の面白さが味わえるのも、他のオースティン作品と同様ですね。今回特に印象に残ったのは、気軽に流行語を使うソープ兄妹、それに感化されて何の気なしに軽い言葉を使うようになったキャサリンをからかうヘンリー・ティルニー、と言葉遣いの違いによって3兄妹の違いが際立っていたことでしょうか。あまり意外な展開もなく、一応波乱はあるものの取ってつけたような波乱ですし、予想通りの結末へと真っ直ぐ進んでいくので、他の作品ほどの評価は得にくいかもしれないですが... でも十分楽しかったです♪

ジェーン・オースティンの長編作品では、これだけが文庫になってないんですよね。なので読むのが遅くなっちゃいましたが、これで長編はコンプリート。あとは「美しきカサンドラ」と「サンディトン」という2つの作品集を残すだけみたいなんですが... 短編作品もあるものの、未完のものだったり断片だったりというのも混ざってるようで、読むかどうかちょっと迷うとこだなあ。(キネマ旬報社)


+既読のジェイン・オースティン作品の感想+
「自負と偏見」オースチン
「エマ」上下 ジェイン・オースティン
「分別と多感」ジェイン・オースティン
「マンスフィールド・パーク」ジェイン・オースティン
「ジェイン・オースティンの手紙」ジェイン・オースティン
「説きふせられて」ジェーン・オースティン
「ノーサンガー・アベイ」ジェーン・オースティン

+既読のジェイン・オースティン関連作品の感想+
「ジェイン・オースティンの読書会」カレン・ジョイ・ファウラー

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王さまとお妃さまに待望の赤ちゃんが生まれ、小さなお姫さまのために洗礼式が盛大に執り行われることになります。名付け親として招かれたのは、国中で見つかった7人の妖精たち。妖精たち1人1人から贈り物をしてもらい、想像できる限り最高のお姫さまになるようにするのが、当時の習慣だったのです。しかし宴の席に8人目の妖精が現れます。その妖精は50年以上も前から塔の外に出ておらず、生きているのかどうかすら分からなかったため、招かれていなかったのです。妖精用のどっしりした黄金のケースに入った純金のスプーンとフォークとナイフは7つしか作っておらず、その妖精の前に出されたのは普通の食卓道具。ばかにされたと思い込んだ年取った妖精は、口の中でぶつぶつと脅しの文句を呟きます... という「眠りの森の美女」他、全10編の童話集。

アンジェラ・カーターの「血染めの部屋」(感想)を読んだ時も、「青髭」を改めて読んでみたいなあと思ってたんですけど、先日ファージョンの「ガラスのくつ」(感想)を読んで、今度読みたくなったのは「シンデレラ」! いい機会なので、ペロー童話集を読むことに。これも岩波文庫版や白水社uブックス、河出文庫版(澁澤龍彦訳)、ちくま文庫版(巖谷國士)など、色んなバージョンがあって、読み比べてみたくなっちゃうんですが~。今回手に取ったのは天沢退二郎訳の岩波少年文庫版。本の挿絵はマリ林(Marie Lyn)さんという方で、これがまたとても素敵。この方、天沢退二郎氏の奥様なんですね!

「そして2人は幸せに暮らしました...」の後の話まできちんとついている「眠りの森の美女」や、狼に食べられたきりで終わってしまう「赤頭巾ちゃん」。そうか、この結末はペローだったのか。「眠りの森の美女」の後日譚がついてる絵本を子供の頃に読んで、それがものすごく強烈だったのに(特にたまねぎのソースが...)、それっきり見かけなくて一体どこで読んだんだろうと思ってたんです。そうか、ペローだったのか...。その他も、大体は知ってる通りのお話だったんですけど、10編のうち「巻き毛のリケ」というお話だけは全然知らなくて、ちょっとびっくり。訳者あとがきによると、この作品だけはグリムにもバジーレにもヨーロッパ各地の民話・説話には明らかな類話が見当たらないお話なんだそうです。道理で!
でも伝承に忠実なグリムに対して、同じく伝承を採取しながらルイ14世の宮廷で語るために洗練させたペロー、というイメージがすごく強いのに、訳者あとがきによると「赤頭巾ちゃん」なんかは、ペローの方が古い伝承に忠実なんですって。グリムの「いばら姫」では「眠りの森の美女」の後日譚はカットされ、「赤頭巾ちゃん」には新たな結末が付け加えられたというわけですね。でも洗練される過程で、少し変わってしまったのが、ペロー版のシンデレラ「サンドリヨン」。伝承特有の「3度の繰り返し」がなくて、舞踏会に行くのが2回なんですよ!(驚) でも変わってしまっているとしても、やっぱり物語として洗練されてて面白いです。それにそのそれぞれのお話の終わりに「教訓」や、時には「もう一つの教訓」が付けられてるのが楽しいのです。(ケストナーの「教訓」は、もしやここから?)

そして勢いづいて、以前読んだ「人類最古の哲学」(中沢新一)を再読。これ、2年ほど前にも読んでいて(感想)、その時も沢山メモを取りつつ読んだんですけど、既にかなり忘れてしまってるので... いやあ、やっぱり面白いです。5冊シリーズの1冊目は、世界中に散らばるシンデレラ伝説を通して神話について考えていく本。伝承・神話系の物語って、実はきちんとそれぞれの形式があって、それぞれの場面や行動にきちんと意味があってそういう決まりごとにのっとって作られてるんですよね。シンデレラといえば、日本ではまずペローやグリムが有名ですけど、もっと神話の作法に則ったシンデレラ物語が世界中に残っているわけです。そしてその物語を聞いた北米のミクマクインディアンが作り出したシンデレラの興味深いことといったら...! ええと、近々ドナ・ジョー・ナポリの「バウンド」を読むつもりにしてるので、そちらの予習も兼ねてます。(岩波少年文庫)

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町の高い円柱のうえに立っていたのは幸福な王子の像。全身うすい純金の箔がきせられ、目には2つのサファイア、刀の柄には大きな赤いルビーがはめられ、非常な賞賛の的。そんなある夜、一羽のツバメがエジプトに向かう途中、幸福の王子のいる町を通りかかります... という「幸福な王子」他、全9編を収めた短編集。と、
画家のバジル・ホールウォードのモデルとなっていたのは、美貌の青年・ドリアン・グレイ。彼は、ちょうどアトリエを訪ねて来たヘンリー卿に自分の美しさを改めて教えられ、同時に美しさを失うことへの恐怖をも植えつけられ、そして快楽主義者であるヘンリー卿の感化で、背徳の生活へと踏み出すことに。しかしその生活による外面的な変化は全て肖像画に表れ、ドリアン・グレイ自身はいつまで経っても若い美青年のままだったのです... という「ドリアン・グレイの肖像」。

先日再読した「サロメ」が思いのほか素晴らしかったので、そちらを訳している福田恆存さんの訳で読みたかったんですけど、「幸福の王子」はどうやら訳してらっしゃらないようですね... 残念。「ドリアン・グレイの肖像」は福田恆存さんの訳なのですが。

「幸福の王子」は、実は子供の頃に大嫌いだった作品なんです。ワースト3に入ってました。何が嫌いって、幸福の王子の偽善的なところ。自分は貧しい人々を助けて満足かもしれないけど、そのために死んでしまったツバメはどうするの...?ですね。王子の思いやりが素晴らしい、なんて思わなかったし~。で、大人になった今読み返してみても、やっぱり凄い話でした。確かにツバメも納得してやってることではあるんだけど... しかも大人になってから読むと、さらに気になることがいっぱい。宝石や金箔を届けられた人は、その場は有難かったでしょうけど、金箔はともかく、立派なサファイアやルビーはどこから取ってきたのか一目瞭然のはず。疑われることにならなかったのかしら? もしそんなことにならなかったとしても、貧しくても正しく生きてきた生活がそれで一気に崩れてしまったりしなかったのかしら? 幸福の王子は、自分の目に見える範囲のほんの数人を助けたけど、その他の可哀想な人々はどうなるの? 全てに責任が取れないのなら、中途半端に手を出さない方がいいのでは?(千と千尋だね!) やっぱり幸福の王子の行動は自己中心的なものとしか映らないなあー。
そして今、他の作品を読んでみてもそういう物語ばかりでびっくりです。美しい言葉で飾られてはいるけれど、自己中心的な人々が純情な正直者を傷つける物語ばかり。赤いばらを欲しがった学生のために無意味に死んでいったナイチンゲールや、粉屋に利用されるだけ利用された正直者のハンス。死んでしまってなお、酷い言葉を投げかけられる侏儒。そんな物語も、オスカー・ワイルドの手にかかるとあまりに美しいのだけど...。オスカー・ワイルドはどんな気持ちでこういった作品を書いたのかしら。多分これが「童話集」でなければ、私も別にそこまで引っかからなかったんじゃないかと思うんですが...。(笑)

そして「ドリアン・グレイの肖像」は、肖像画がその罪を一手に引き受けてくれるという、今読んでも斬新な設定が楽しい作品。画家のバジルは画家ならではの鋭い目で「ひとりの哀れな人間に罪があるとすれば、その罪は、かれの口の線、瞼のたれさがり、あるいは手の形にさえ現れるのだ」と言うんですけど、ドリアン・グレイがいくら悪行を繰り返しても、外見は18年前に肖像画が描かれた時と同じ。顔つきは純真無垢で明るく、穢れをつけない若さのまま。
美貌の青年にとって、その美貌をなくすことは何よりも耐え難いことなんですけど、そのきっかけを作ったのはヘンリー卿。「美には天与の主権があるのだ。そして美を所有する人間は王者になれる」と言いながら、続けて「あなたが真の人生、完全にして充実した人生を送りうるのも、もうあと数年のことですよ。若さが消えされば、美しさもともに去ってしまう、そのとき、あなたは自分にはもはや勝利がなにひとつ残ってないということに突然気づくーー」なんて言うんですね。このヘンリー卿の言葉がどれも面白いし、その印象も強烈。やっぱりヘンリー卿には、オスカー・ワイルド自身が投影されてるのかしら。彼がドリアン・グレイの悪行にまるで気づいていないのが不思議ではあるんですが... 影響を与えた彼自身は快楽主義者としてではあっても、一般的な社会生活からは逸脱してませんしね。うーん、彼こそが本物だったということなのかもしれないな。あと、彼がドリアン・グレイに貸した本が背徳のきっかけになるんですけど、あれは何の本だったんだろう! 例えばマルキ・ド・サドとか?(笑)
そしてこの作品で特筆すべきなのは美へのこだわり。ドリアン・グレイ自身も美しい物が大好きで色々と収集してるんですけど、彼の存在自体がもう美しく感じられますしね。そして作品そのものもあまりに美しい...。とは言っても、その美しさは天上の美しさではなくて、堕天使の魅力なのですが。オスカー・ワイルドの美意識が全開の作品だと思います。(新潮文庫)


+既読のオスカー・ワイルド作品の感想+
「サロメ」ワイルド
「幸福な王子」「ドリアン・グレイの肖像」ワイルド
「ウィンダミア卿夫人の扇」ワイルド

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外で雄鶏が「コケコッコー!」と鳴き、地価の大きな暗い石造りのお勝手のせまいベッドの中で目を覚ましたのはエラ。以前は2階の綺麗な部屋で暮らしていたのに、エラの本当のお母さんは既に亡くなり、娘を2人連れた婦人がお父さんと結婚してからというもの、エラは穴倉のようなこの部屋に追いやられ、家の仕事を一手に引き受けさせられていたのです。鳴き続ける雄鶏、そして早く起きることを催促する道具たちに、エラは渋々起き上がります。しかしその時、馬具につけた鈴の音と馬のひづめが鳴る音が聞こえてきます。1ヶ月もの間留守にしていたお父さんがとうとう帰ってきたのです。

先日読んだ「銀のシギ」と同様、元は舞台のための脚本として書かれたものを小説に書き直したという作品。こちらもやはりファージョンらしい味付けがされて、元となっている「シンデレラ」の物語が楽しく膨らまされています。こちらの方が「銀のシギ」よりも賑やかですね。雪の季節の物語だし、まるでクリスマスのための贈り物みたい... なのに、こんな暑い時期に読んでしまってるんですが。(汗)
ペロー版の「シンデレラ」と違うのは、まず主人公のシンデレラに「エラ」という名前がつけられていること。でも以前読んだアーサー・ラッカムの「シンデレラ」(これはペロー版を元にC.S.エヴァンスが再話したもの)でも、同じようにエラという名前がつけられてたんですよね。やっぱり「Cinderella」という名前が「Cinder(灰)+Ella」ということだからなんだろうな、と思いつつ... 日本語のシンデレラの童話を読んでる限りでは、名前が出てきたような覚えがなかったんだけど(全然出てこなかったとも言い切れないのが微妙なとこなんだけど)、「灰かぶりのエラ」は基本なんですかね? それともファージョンか誰かが創作したものなのかな?(C.S.エヴァンスが再話したのは、ファージョンよりも後のことなので) あ、でももし基本だとしても、これは英語圏の人にとって、ですよね。ペローはフランス人だし、フランス語のシンデレラは「サンドリヨン(Cendrillon)」だから、また違うでしょうし。(この場合「Cendre」が灰)うーん、よく分からない!

ま、それはともかくとして。このエラがとても前向きな明るさを持つ女の子なのです。元話と同じく惨めな生活を送ってるはずなのに、その辛さを感じさせないほど。それも前向きになろうと頑張ってるんじゃなくて、ほんと自然体なんですよねえ。その自然体な部分は王子と会った時も変わることがありません。(その場面の会話のちぐはぐで可愛いことったら) そして子供の頃に「シンデレラ」を読んだ時、なんでお父さんは何もしてくれないんだろうと思ってたんですけど、その辺りもちゃんと織り込まれてました。お父さんは優しくて、でも優しすぎる人だったのですねー。しかも仕事で家をたびたび長いこと留守にしてるようだし。もちろん2番目の妻を離婚するなり、エラを信頼できる人間に預けるなり、何とかしようはあったとは思うんですが。(あ、でも離婚はできないのか、宗教的に)
エラのいる台所の道具が話し出すし、継母が実は○○だった、とか(笑)、頭が悪くて欲張りで太っているアレスーザと、怒りっぽくてずるくて痩せっぽちのアラミンタという2人の姉たちの対照的な姿も喜劇的だし、読んでるとやっぱり舞台向きに書かれた話だなあって思います。妖精のおばあさんは、あまり気のいい親切な妖精のゴッドマザーという雰囲気ではなくて、むしろちょっぴり怖そうな雰囲気なんですけどね。「チューイチュイ」という小鳥への呼びかけの声がとても印象的。そしておとぎ話で夢をみるのは普通はお姫さまと相場が決まっていますが、この作品では王子さま。ハート型の純金の額縁を眺めながら、運命の女性を夢見ている王子さまって一体?! でも一番良かったのは道化かな。王子の代わりに怒ったり喜んだり悲しんだりする道化。彼の意外な洞察力と、エラの父親との場面が素敵でした。賑やかでありながらほんのりと心が暖まる、この作品にぴったりの存在だと思います。(岩波書店)


+既読のファージョン作品の感想+
「ムギと王さま」「天国を出ていく」ファージョン
「年とったばあやのお話かご」「イタリアののぞきめがね」ファージョン
「町かどのジム」エリノア・ファージョン
「リンゴ畑のマーティン・ピピン」「ヒナギク野のマーティン・ピピン」ファージョン
「銀のシギ」エリナー・ファージョン
「マローンおばさん」エリナー・ファージョン
「ガラスのくつ」エリナー・ファージョン
「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」「ねんねんネコのねるとこは」エリナー・ファージョン

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とても貧しい絵描きの卵の「わたし」が住んでいるのは、とても狭い路に面した建物の小さな部屋。光がさしてこないということはなく、高いところにある部屋からは、周りの屋根越しにずっと遠くの方まで見渡すことができました。引っ越してきたばかりのある晩、まだ友達もおらず、あいさつの声をかえてくれるような顔なじみもおらず、とても悲しい気持ちで窓のそばに立っていた「わたし」は、そこに良く知っている丸い懐かしい顔を発見します。それは昔ながらの月でした。月はまっすぐ「わたし」の部屋に差込み、これから外に出かけるときは毎晩「わたし」のところを覗きこむ約束をしてくれたのです。そして、わずかな時間ではあるものの、来るたびに空から見た色々なことを話してくれるようになります。

全部で33の月の小さな物語。夏目漱石の「夢十夜」か稲垣足穂の「一千一秒物語」か、はたまた「千一夜物語」かといった感じで、月が自分の見た情景を語っていきます。月は毎晩「わたし」の部屋に来られるわけじゃないし、来られたとしてもいられるのは、ほんのわずかな時間だけ。なので1つ1つのお話はどれも2~3ページと短いのです。でもこれがなんと美しい...!
恋人の安否を占うためにインドのガンジス川で明かりを流す美しいインド娘のこと、11羽のひなどりと一緒に寝ているめんどりの周りで跳ね回っている綺麗な女の子のこと、16年ぶりに見かけた、かつては美しい少女だった女性のこと... 様々な時代の様々な場所での出来事が語られていきます。その眼差しは、全てを静かに見守る母のような暖かさ。そして1つ1つの物語は短くても、その映像喚起力が素晴らしいんですよね。挿絵がなくても、どれも目の前に鮮やかに情景が浮かんできます。そして読み進めるほどにさらに鮮やかな情景が夢のように浮かんできて、それらが一幅の美しい絵となっているような...。「絵のない絵本」という題名も素晴らしいですね。この本って、きっと読者自身の想像力で仕上げをする絵本なんですね。
おそらくこの画家の卵は、アンデルセン自身なんでしょうね。訳者解説によると、この作品にはアンデルセン自身が様々な都市に滞在した時の情景が描き出されているのだそうです。そして、北欧生まれのアンデルセンは明るい南の国イタリアに憧れてやまなかったとのこと。童話集を読んだ時に感じたイタリアへの憧憬は、やっぱり本物だったんですね! この33編、どれも素敵でしたが~。その中でも特に印象に残ったのは、第16夜の道化役者の恋の物語。切なくて、でも暖かくて... 大切に読み続けていきたい本です。^^ (岩波書店)


+既読のアンデルセン作品の感想+
「アンデルセン童話集」1~3 アンデルセン
「絵のない絵本」アンデルセン

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森のそばで1人貧しく暮らしていたマローンおばさん。誰もおばさんの様子を尋ねる人も心にかける人もなく、1人放っておかれていました。しかし雪が深く降り積もったある冬の月曜日、窓の外にいたのは1羽のスズメ。みすぼらしく弱り果て、まぶたは半分ふさがってくちばしも凍り付いていたスズメを、マローンおばさんはすぐに中に入れてやります。

スズメ、ネコ、キツネ、ロバ、クマ... 来る動物たちを全て快く迎え入れ、乏しい食べ物も持ち物も何もかも分け与えたマローンおばさん。そのマローンおばさんが主人公となった短い詩の物語です。本当に短い物語で、あっという間に読めてしまうほどなんですけど、最後の「あなたの居場所が ここにはありますよ、マローンおばさん」という言葉が本当に素敵で~。読んでいて嬉しくなってしまいます。
挿絵は、ファージョンときたらやっぱりこの人!のエドワード・アーディゾーニで、物語も絵もとても美しい1冊。巻末に英詩も掲載されているのが嬉しいんですよね。日本語訳と照らし合わせながら読んで、1冊で2度美味しい読書♪ これは手元に置いておきたくなる1冊です。(岩波書店)


+既読のファージョン作品の感想+
「ムギと王さま」「天国を出ていく」ファージョン
「年とったばあやのお話かご」「イタリアののぞきめがね」ファージョン
「町かどのジム」エリノア・ファージョン
「リンゴ畑のマーティン・ピピン」「ヒナギク野のマーティン・ピピン」ファージョン
「銀のシギ」エリナー・ファージョン
「マローンおばさん」エリナー・ファージョン
「ガラスのくつ」エリナー・ファージョン
「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」「ねんねんネコのねるとこは」エリナー・ファージョン

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