Catégories:“2009年”

Catégories: /

 [amazon]
去年、演劇研究所の招きでスウェーデンを訪れた時のこと。その晩、案内役のヨハンソン夫人に連れて行かれたのは王立図書館でした。夜の11時頃に図書館に入った「私」は、その一晩を一人っきりで図書館の中で過ごすことになります。そして、その図書館で私が見つけたのは、かの有名な「死者の百科事典」。「私」は2ヶ月前に亡くなった父に関すること全てが書かれている本を見つけ、読みふけることに... という表題作「死者の百科事典」他、全9編の短篇集。

先日読んだ、同じくダニロ・キシュの「砂時計」は、実はとても読みにくくて、もうどうしようかと思ったほどだったんですけど(挫折寸前でした)、でも読み終えてみればすごく印象に残る作品だったんですよね。こちらも全てを理解したとは言いがたいし、短編は苦手なので途中で集中力が途切れてしまったりはしたのだけど、逆に短編のせいか「砂時計」の時のような読みにくさは感じなかったです。全体的にとても濃厚な味わいの、愛と死をテーマにした幻想的な作品群。

9編の中で気に入ったのは「魔術師シモン」「死後の栄誉」、そして「祖国のために死ぬことは名誉」かな。表題作も良かったです。死者の百科事典というのは、無名の人々の生涯が事細かに書き綴られている百科事典。「私」が見つけて読むことになるのは、亡くなった父に関する部分なんですけど、その出生から生い立ち、起きた出来事、出会いや交友関係などが正確に細々と書き綴られています。そんなのが全て一々書かれていたら、到底一晩で読みきれるような量じゃないでしょう、なんて突っ込みはナシの方向で、なんですが(笑)、この本文を追っていく作業もいいんです。読んでるはしから、父親像が色鮮やかに形作られていく感じ。でもそれだけなら、ただ追憶に浸る物語となってしまうところなんですが、それが最終的には思いがけない方向へいくのがいいんですよね。これがとても圧倒的。そして視覚的にも鮮やかで。

「魔術師シモン」は伝説、「死後の栄誉」は回想、「死者の百科事典」は娘が語る父の生涯、「眠れる者たちの伝説」はコーランのような聖典風、「未知を映す鏡」は幻想小説、「師匠と弟子」は文学論、「祖国のために死ぬことは名誉」は歴史書、「王と愚者の諸」は推理小説、「赤いレーニン切手」は書簡、「ポスト・スクリプトゥム」はメタ・テキストと、それぞれに形式が違うのは、レーモン・クノーの「文体練習」(感想)によるところも多いとのこと。キシュ自身、「文体練習」をセルビア語に翻訳してるんだそうです。とってもとっても感想が書きづらくて、今まさに困ってるんですが(笑)、でも確かに「文体練習」みたいな万華鏡的な味わいのある作品集だったな、なんて思いますね。(東京創元社)


+既読のダニロ・キシュ作品の感想+
「砂時計」ダニロ・キシュ
「死者の百科事典」ダニロ・キシュ

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: / / /

 [amazon]
昔々、バーナビーという名の少年が、1人っきりで旅から旅へと曲芸をして歩いていました。母親は生まれた時に亡くなり、バーナビーはやはり曲芸師だった父親と一緒に各地を歩いて回っていたものの、その父親も10歳の時に亡くなっていたのです。芸の上手なバーナビーはみんなに気に入られ、どこに行ってもうまくいっていました。しかし寒い冬になってくると、広場でバーナビーの芸を見てくれるお客さんはどんどん減っていきます。雪が降ってきた日、ある修道士がバーナビーを見て、家がないのを知ると修道院へと連れて帰ることに。

この本は、フランスで何百年もの間語り継がれてきた「聖母マリアの曲芸師」というお話をバーバラ・クーニーが新たな視点から解釈して、絵を添えたもの。初めてこの話をラジオで聞いた時にとても気に入って、息子が生まれたらバーナビーという名をつけようと思ったほどだっていうんですから、その感銘ぶりが分かりますね。
そしてアナトール・フランスも、この話を元に短編を書いてるそうです。何だろう? と調べていたら、岩波文庫で「聖母と軽業師」という短篇集が出てたみたい。これかな? あとアマゾンにはデータがありませんが、世界文化社・ワンダーおはなし館の「かるわざし」(谷市郎訳)とか、書肆山田の「聖母の曲芸師」(堀口大學訳)とかもあったようですね。岩波文庫版も含め、どれも絶版のようですが...。あ、白水社からアナトール・フランス小説集が出てるんですけど、その7巻にも入ってるようです。そのアナトール・フランスが書いた作品を、作曲家のマスネーがオペラにしたのだとか。

それにしてもなんて美しいお話なんでしょう! 映画の「汚れなき悪戯」を思い出しちゃいました。
今まで見たバーバラ・クーニーの絵本とは絵のタッチが全然違っていて驚いたのだけど... 白と黒が基調で、色がついているのも朱色と青と緑色だけですしね。でもそれがまた中世の雰囲気をよく表していて素敵。なんだかまるでステンドグラスの絵物語を見ているみたい。おごそかで美しくて、そして暖かくて優しくて。絵もとても細かく描きこんであって、広場にいる代書屋(?)とか修道院での写本の風景とか、その辺りが特に気になってしまってじーっと眺めてしまったわ! 何も知らないで今の時期に読んでしまったんだけど、これはクリスマスの前に読むのが良かったかもしれないですね。バーバラ・クーニー自身もクリスマスの贈り物のために描いた本のようですし~。クリスマスプレゼントにも最適の本かと♪(すえもりブックス)


+既読のバーバラ・クーニー作品の感想+
「北の魔女ロウヒ」トニ・デ・ゲレツ文 バーバラ・クーニー絵
「ちいさな曲芸師バーナビー」バーバラ・クーニー

| | commentaire(4) | trackback(0)
Catégories: /

    [amazon]
アウグストゥスの死後、皇帝となったのはティベリウス。常に若く元気な部下に囲まれていたユリウス・カエサル、決断の際には常にアグリッパとマエケナスに相談することのできたアウグストゥスとは対照的に、ティベリウスは孤愁を感じさせる男。背が高くがっちりとした体格で、貧相という言葉とは無縁だったティベリウスですが、その背は人の想いを拒絶するかのように厳しいのです。そんなティベリウスと彼に続くカリグラ、クラウディウス、ネロといった、歴史的にあまり評価の高くない皇帝たちを取り上げる巻。

ローマ皇帝の中でも、カリグラとネロは飛びぬけて有名ですね。有名とは言ってももちろん悪い方でですが。カリグラはものすごいはじけっぷりだし、ネロは母親殺しと妻殺し、そしてキリスト教徒迫害。ローマ市内に放火。そんな2人と並んでいるところからして、ティベリウスやクラウディウスはどんな酷い皇帝だったんだろうって思ってしまうところなんですが~。
これが全然なんです。確かにそれぞれに悪かった点はあります。社交性に欠けていたティベリウスはそもそも人心を掴む努力を全然してないし、最後の10年はカプリの別荘に隠遁してしまったから、そのせいでローマっ子たちは見捨てられたと思ってしまうし... クラウディウスはすっかり自分の奥さんの言いなりになってしまうという情けなさ。再婚して奥さんが変わっても全然ダメ。でも、塩野さんの筆にかかると、それぞれなりに最善を尽くしたという感じになってしまうんですね。ティベリウスはローマ市民が大好きな催しを全然しなかったから人気は低迷してたけど、その分アウグスティヌスから受け継いだローマ帝国を健全な形に保つことには十分実力を発揮していたし、クラウディウスは元々歴史家だっただけに、皇帝という地位とその重責をよく分かっていて、カリグラが破綻させた財政をきちんと立て直してます。とてもじゃないけど、愚帝という感じじゃありません。
そして単なる愚帝と思わせないのは、カリグラとネロの場合も同様。まあ、黒字財政をたった4年で破綻させたカリグラの浪費っぷりとか、神に成り代わろうとするとこはさすがにどうかと思いますけど(笑)、カリグラの場合は、軍隊のマスコットボーイだった時代から描かれてますしね(カリグラというのは「小さな軍靴」という意味の愛称)、あの可愛かった少年が~!って感じで哀れだし、切ないんです。それにネロだって、いいことだっていっぱいしてるのに、ちょっとした失敗や時機を逸したことが大きく響いて、結局雪だるま式になっちゃったのね... という感じで、十分同情の余地あり。
普通の小説の悪役だって、実はそんなに悪い人間じゃなくて、むしろ主人公よりも人間的に深みを感じさせることだってあるし、それでも構わないんですけどね。評判の悪い皇帝たちのダメな部分を強調するだけでなく、人間的な部分をここまで描き出したというのはすごいと思います。でもね、暗殺されてその治世が終わるからには、後世までその悪名が轟いているからには、もっと憎々しい悪役の魅力というのも読んでみたかったなあ、なんて思ってしまったりするんですよね。ないものねだりなのは分かってるんですが。(笑)(新潮文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ローマ人の物語 ローマは一日にして成らず」1・2 塩野七生
「ローマ人の物語 ハンニバル戦記」3~5 塩野七生
「ローマ人の物語 勝者の混迷」6・7 塩野七生
「ローマ人の物語」8~10 塩野七生 「ガリア戦記」カエサル
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前」8~10 塩野七生(再読)
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以降」11~13 塩野七生
「ローマ人の物語 パクス・ロマーナ」14~16 塩野七生
「ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち」17~20 塩野七生
「ローマ人の物語 危機と克服」21~23 塩野七生
「ローマ人の物語 賢帝の世紀」24~26 塩野七生
「ローマ人の物語 すべての道はローマに通ず」塩野七生

+既読の塩野七生作品の感想+
「コンスタンティノープルの陥落」「ロードス島攻防記」「レパントの海戦」塩野七生
「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」塩野七生

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: / / / /

  [amazon] [amazon]
4月のある朝、アドバセン近くの牧草地を歩いていたマーティン・ピピンは、道端の畑でカラス麦の種をまいている若い男を見かけます。一握りの種をまくごとに、種と同じほどの涙の粒をこぼし、時折種まきを全くやめると、激しくむせび泣く男の名前はロビン・ルー。彼は美しいジリアンに恋焦がれていました。しかしジリアンは父親の井戸屋形に閉じ込められ、男嫌いで嫁にいかぬと誓った6人の娘たちが、屋形の6つの鍵を持ってジリアンを見張っているというのです。マーティン・ピピンはロビン・ルーの望み通り、ロビンの持つプリムラの花をジリアンに届け、代わりにジリアンが髪にさしている花を持ってくるという約束をします... という「リンゴ畑のマーティン・ピピン」。
空が緑に変わりかけ、月や星が出始めた頃。ヒナギク野にいたのは、ヒナギクでくさりを編んでいる6人の女の子と1人の赤ん坊。そこにやって来たのはマーティン・ピピン。自分の子供をベッドに連れに行くためにやって来たマーティンは、6人の女の子たちのために寝る前のお話と歌を1つずつ、そしてそれぞれの子供たちの親を当てることになります... という「ヒナギク野のマーティン・ピピン」

ファージョン再読祭り、ゆるゆると開催中です。今回読んだのは旅の歌い手・マーティン・ピピンの本2冊。2冊合わせて1000ページを超えるという児童書とは思えないボリュームなんですが、読み始めたらもう止まらない! いやあ、もう本当に懐かしくて懐かしくて... 夢中になって読んでいたのは、もっぱら小学校の頃ですしね。本当に久しぶりです。

「リンゴ畑のマーティン・ピピン」は、サセックス州に伝わる「若葉おとめ」という遊戯の元となる物語を語ったという形式の作品。この遊戯は、囚われの姫を助けにきた旅の歌い手とおとめたちのストーリー。古風な歌の歌詞もとても典雅だし、三部構成で、第一部では若葉のもえぎ色、第二部では白と紅、第三部では黄色い服になるという視覚的にもとても美しい遊戯なんです。でもこれ、実はファージョンの創作。
恋わずらいのジリアンを正気に戻すためには、誰も聞いたことのない恋物語を聞かせるのが一番ということで、マーティン・ピピンが6つの物語を語ることになるんですが、この話が本当に大人っぽいんですよね。子供の頃もドキドキしながら読んでたんですが、大人になって再読しても、やっぱりドキドキしてしまうーっ。これはやっぱり子供向けの作品じゃないでしょ... と思いながら読んでいたら、やっぱり違いました。訳者あとがきによると、30歳の男性のために書かれた物語なんだそうです。女性向けではなく男性向けだったというのが意外ですが、確かにこれは30歳の男性でも十分楽しめる物語かと。6つのお話の中で特に好きなのは「王さまの納屋」と「若ジェラード」。そして「オープン・ウィンキンズ」。って、子供の時と変わらないんですけど! そんなに進歩してないのか、私!
お話とお話の間の「間奏曲」では、イギリスの娘たちが楽しむ素朴な遊びや占いの場面もありますし、それぞれのお話の後にはそれぞれの乳搾りの娘と彼氏(なんて言葉じゃ軽すぎる... やっぱり「若衆」でしょうか!)との諍いの原因も告白されたりして、枠の部分も十分楽しめます。

そして「ヒナギク野のマーティン・ピピン」は、その次世代の物語。なんとこちらの聞き手は、「リンゴ畑」の6人の乳搾りの娘たちの子供たちなんです。暗くなってきてもなかなか寝に行きたがらない女の子たちのためのお話と、それぞれの女の子たちの親当てゲーム。「リンゴ畑」では6人の外見の説明がほとんどないせいか、全員の性格の違いを掴むとこまではいかないんですが、こちらは6人が6人とも全然違ってるので、この子の親は誰?というのを通して「リンゴ畑」の6人を改めて知ることができます。
こっちのお話で特に好きなのは、これまた子供の頃と変わらず「エルシー・ピドック夢で縄跳びをする」と「トム・コブルとウーニー」。あーでも「タントニーのブタ」や「ウィルミントンの背高男」「ライの町の人魚」も捨てがたいー。なんて言ってたら全部になってしまうんだけど。エルシー・ピドックのお話は、これだけで独立した絵本にもなってますね。
そして「リンゴ畑」と同じく、間奏曲がまた楽しいんです。子供たちはみんな、マーティンに親を当てられてしまうのではないかとドキドキ。当てられないための駆け引きもそれぞれなら、当てられそうになった時や、大丈夫だと分かった時の反応もそれぞれ。マーティンは結局子供たちの涙に負け続けてしまうんですけどね。間違えたマーティンを容赦なくいじめる方が子供らしい反応かもしれませんが、私としては間違えたマーティンを慰めるような反応の方が子供の頃も好きだったし、今でもそう。って、やっぱり進歩してない私ってば。(笑)(岩波書店・岩波少年文庫)


+既読のファージョン作品の感想+
「ムギと王さま」「天国を出ていく」ファージョン
「年とったばあやのお話かご」「イタリアののぞきめがね」ファージョン
「町かどのジム」エリノア・ファージョン
「リンゴ畑のマーティン・ピピン」「ヒナギク野のマーティン・ピピン」ファージョン
「銀のシギ」エリナー・ファージョン
「マローンおばさん」エリナー・ファージョン
「ガラスのくつ」エリナー・ファージョン
「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」「ねんねんネコのねるとこは」エリナー・ファージョン

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: /

 [amazon]
赤ちゃんの時に両親を亡くし、今はハリエット大おばさんやフランシスおばさんと一緒に暮らしている9歳のベッツィー。大おばさんもフランシスおばさんもベッツィーをとても大切に思っていて、いつも甲斐甲斐しく面倒をみてくれます。特にフランシスおばさんは、いつもベッツィーの気持ちを一番分かってくれる人なのです。しかしそんなある日、ベッツィーの生活が一変します。ハリエット大おばさんの具合が悪いため転地療養しなければならなくなり、フランシスおばさんも同行することになったのです。でもベッツィーまでは一緒に連れて行けないので、ベッツィーは他の親戚に預けられることになるのですが...。

都会で大切に大切に育てられていたベッツィーが、それまで一緒に暮らしていた家族と離れて、田舎の農場に行く物語。最近出た本なんですけど、アメリカでは1917年に出版されたという作品。読んでるともう「赤毛のアン」や「大草原の小さな家」を思い出して仕方ない~。時代的にも同じぐらいですしね、まさにそんな雰囲気のお話です。

ベッツィーの最初の9年間は都会での生活。フランシスおばさんもハリエット大おばさんも、ベッツィーを大切に思うあまりに真綿に包むように大事に大事に育ててるんですが、これがいかんせん過保護すぎて... まるでベッツィーで人形遊びをしているように見えてきちゃうぐらい。愛情はたっぷりだし、悪気は全然ないのだけど。でもベッツィーに1人の人間としての人格を認めてなくて。
その都会での生活とは対照的なのが、パットニー農場での生活。ここの人々は、ベッツィーを全然甘やかしません。日々の暮らしに忙しいというのもあると思うんですが、必要以上に手をかけないんですね。最初からベッツィーを子供としてではなく1人の人間として扱って、正面から向き合っています。ヘンリー大おじさんは、初対面のベッツィーにいきなり馬車の手綱を預けて自分は計算に夢中になってますし、アンおばさんもアビゲイル大おばさんも殊更に労わるような言葉を口にしないし、細々と世話を焼いたりもしません。今までみたいに常に構ってもらえなくなったベッツィーは内心大いに不満。でもそんな日々を送ることによって、ベッツィーは自分の頭で考えることを知るし、自分のことは自分でやることを覚えるし、何か不測の事態が起きた時は自分で考えて対処できるようになるんですね。そして自分の力で何かができるということはベッツィーの自信に繋がって、ベッツィーはどんどん生き生きとした少女に変貌していきます。

まあ、よくあるパターンと言ってしまえばそれまでなんですが、それがすんごくいいんです! パットニー農場の人たちは、必要ないことは口にしないけど、見るべきところはちゃんと見てるんですね。きっと甘ったれて依存心の強いベッツィーのことも、最初から見抜いてたと思うんだけど、もちろんそんなことも口にしません。黙って見守ることの大切さ、ですね。そしてそれがベッツィーにすごくいい影響を及ぼしていて、読んでいて素直にベッツィーの成長ぶりが嬉しくなってしまいます。こういう感覚、いまどきの児童書ではなかなか感じられないものかも。やっぱり子供時代はこういう作品を読んで育ちたいものだわ~って思ってしまいます。(もちろんアンでもローラでもいいんですけどね)
そして本当に良かったなと思ったのは、フランシスおばさんたちの愛情は、方向性こそ多少間違っていたと思うんですけど、それでも愛されて育つというのはとても大切なことだなあ、と思えたこと。スポイルされきっていたベッツィーですけど、彼女が折々に見せてくれる人を思いやる心は、確かにフランシスおばさんとハリエット大おばさんに育まれたものなんですもん。それが暖かい結末を呼び込んだ一番の要因かと。

そしてこの本、美味しそうな場面がものすごーーーくいっぱいあるんです。バター作りやアップルソース作り、壁に吊るしてある黄色いトウモロコシで作るポップコーン、そして雪の上に垂らして固めたメイプルシロップのキャンディー。メイプルシロップのキャンディといえば、「大草原の小さな家」のローラと後に結婚することになるアルマンゾの「農場の少年」を思い出します~。子供の頃、もうほんと食べてみたくて、すっごく憧れたんですよね。実は「大草原の小さな家」のシリーズはそれほど好きではなかったのだけど、「農場の少年」だけは、もう数え切れないぐらい何度も読んでたぐらい。メイプルシロップはもちろんのこと、お母さんの作るドーナッツやベイクドビーンズの美味しそうだったことったら~。日々の生活に必要なものは基本的に全て手作りで、そういう描写もすごく楽しかったんですよね。1年に1度靴屋さんが回ってきて子供たちに靴を作ってくれるから、そのための皮を用意しておくのとかね、今でもはっきり覚えてます。(徳間書店)

| | commentaire(6) | trackback(0)
Catégories: / / /

 [amazon]
優しくて賢くて逞しいハヌシ王子は、7つの山と7つの川を越えた向こうに世界で一番美しい姫がいると聞き、早速求婚に向かいます。しかしハンナ姫は気位の高い姫。世界中の王子が求婚に訪れても顔をちらりと見るだけで、誰も気に入らずに追い返してばかりだったのです... という「美しいハンナ姫」他、全6編。

ポーランドに古くから伝わる民話をモチーフにしたという物語。民話を元にしてるだけあって、どこかで読んだようなお話が多いんですが、どれも神を信じて地道に正直に日々働く人間が最後に幸せになるというところで共通しています。そして生まれ持った性質や育ちがどうであれ、そういった人間に生まれ変わることは可能ということも。美しいけどわがままなハンナ姫もそうだし(この話はグリムの「つぐみのひげの王さま」に似た展開)、いくらみんなに言われても全然働こうとせず、自分の馬に餌をやることも知らなかった男もそう。若い頃に遊ぶことしか知らなかった女は、すっかり年を取ってしまった後に若い頃の怠け者の自分を目の当たりにさせられることになります。「ヘイ、若かったわたしは ヘイ、どこへ行った? ヘイ、川の向こうか、ヘイ、森にかくれてしまったか?」という歌が、楽しそうでもあり、物悲しくもあり...。
面白かったのは、正直に日々働きたい男が極貧のために子供たちに食べさせることができなくて、でもぎりぎりまで盗人になることに抵抗するにもかかわらず、結局盗人になることによって王さまや国を助けることになるという「盗人のクーバ」。そして怖かったのは、生まれた時に、怪しげな男から宝石の詰まった手箱をもらい、日々それで遊びながら成長する王女さまの話「王女さまの手箱」。美しい宝石に夢中になるのはよくあることなんですけど、宝石を所有するのはあくまでも人間のはず。完全に宝石に所有され、支配されている姫の姿が恐ろしいです。この話もなんだけど、全体的にどこかトルストイっぽかったな。(岩波少年文庫)

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: / /

 [amazon]
珍しく暖かな冬。毛皮職人のロイベンは迷った挙句、やぎのズラテーを思い切って売りに出すことに。家族みんなに愛されているズラテーでしたが、その代金8グルデンでハヌカのお祭りために必要な品物が買い揃えられるのです。しかし息子のアーロンがズラテーを連れて村を出た時には晴れていたのに、町に向かううちに空模様がにわかに変わり始め、とうとう吹雪になってしまい... という「やぎのズラテー」他、全7編。

ポーランド生まれのユダヤ人作家・アイザック・B・シンガーが、若者のために初めて書いたという本。他の2冊もそうだったんですが、シンガーの本は、まえがきもすごくいいんですよねえ。今回もぐっときちゃいました。

わたしたちのきのうという日、楽しかったこと、哀しかったこともふくめて、その日はどこにあるのか。過去とそれにまつわるさまざまな気持ちを思い出すうえに役立ってくれるもの、それが文学です。物語をする人にとって、きのうという日は、いつも身近にあります。それは過ぎ去った年月、何十年という時間にしても同じです。物語のなかでは、時間は消えない。人間たちも、動物たちも消えない。書く人にとっても、読む人にとっても、物語のなかの生きものは、いつまでも生きつづける。遠い昔におこったことは、いまもほんとうに存在する。(P.9)

本当は全文ここに載せたいぐらいですけど...! これだけじゃあ、ちゃんと伝わらないかもしれないんですけど...! でも我慢します。(笑)
シンガーは、子供時代を懐かしむかのようにワルシャワを舞台にした作品を沢山書いてるのに、実は彼の作品はポーランドでは1冊の本にもなっていないと訳者あとがきに書かれていて、びっくりです。1978年にノーベル文学賞を受賞してるんですが、その時もポーランドの新聞では「イディシ語で書く無名のアメリカ作家が受賞」と伝えられただけなんですって。その大きな原因の1つは、300万人以上いたはずのポーランドに住むユダヤ人が、ナチスの手によって殺され尽くしてしまったこと。シンガーが生まれ育ったワルシャワは、もうないんですね。そしてその結果、東ヨーロッパに住むユダヤ人たちの共通語であるイディシ語も死に絶えようとしているのだとか。そう知ってみると、一見「物語があれば、過去のこともいつも身近に感じられる」という前向きな言葉だと思ったまえがきの言葉が、また違う風に響いてきます。

「お話を運んだ馬」や「まぬけなワルシャワ旅行」にも登場した、ヘルムの村を舞台にしたお話も3編ありますし... ヘルムというのは、ポーランドに住むユダヤ人の昔話によく登場する、とんまばかりが住んでいるという架空の村です。それ以外の4編は、どれも生きることと死ぬことを主題にした物語。その中には深い信仰がこめられていました。どれも良かったんだけど、特に良かったのは上にあらすじを書いた「やぎのズラテー」かな。このお話がこの本のタイトルにもなってるんでしょうね。これはもう本当にしみじみと良かったです。
ユダヤのハヌカのお祭りや、子供たちが夢中になるグレイデルという駒遊びなど、見慣れないユダヤの風習が自然に楽しめるのも良かったし~。この本で挿絵を描いているのは、モーリス・センダックなんです。センダックも、彼自身はアメリカ生まれなんですけど、その両親はワルシャワ郊外のユダヤ人の町からアメリカに渡ったのだそう。「初代のシュレミール」に出てくる赤ん坊の表情が最高! そして雪の白さが印象に残ります。(岩波書店)


+既読のアイザック・B・シンガー作品の感想+
「お話を運んだ馬」「まぬけなワルシャワ旅行」I.B.シンガー
「やぎと少年」アイザック・B・シンガー
「ショーシャ」アイザック・B・シンガー

| | commentaire(4) | trackback(0)

Note


MAIL FORMBBS

購読する ATOM


Powerd by MovableType4.24-ja
Copyright 2004-2011 四季. All rights reserved.