Catégories:“2009年”

Catégories: /

[amazon]
小さい頃は寝る前のお話が大好きだったのに、いつしか読書嫌いとなっていく子供たち。

読書嫌いが国語教育のせいばかりとは思いませんが、国語の授業によって読書好きが増えるということは、あまりないかもしれないですね。本が好きになる人は、国語の授業とはまるで関係ないところで本を好きになってるはず。少なくとも私はそうでした。だって、国語の授業で求められるのは正しい理解なんですもん。この文章は何に関するものなのか、この文章からはどういったことが読み取れるか、この時作者は何を言いたかったのか。あるいは、ここに入る接続詞は何なのか、この言葉を漢字で書きなさい... そんな設問ばっかり。そして読書感想文の提出。学校では本を読むことは教わるけれど、本を好きになることは教わらない、という言葉に同感です。
そこで現役の高校教師でもあるダニエル・ペナックが打ち出したのは、本の読み聞かせ。予備知識一切なしで、メモも何もとらずにとにかく読んでいるのを聴けばいい、という状況を作り出すこと。そしてひたすら読み聞かせているうちに、続きが気になった生徒たちは、逆に自分から本を手に取るようになったのだそうです。
ここでダニエル・ペナックが選んだのはパトリック・ジュースキントの「香水」なんですけど、見た目に威圧感のある思いっきり大きな単行本、でも実は字も余白も大きい、という本を選んだというのが、ペナックらしくて可笑しい♪

ここから考えられるのは、まず「読書と引き換えに何も求めないこと」の大切さ。実際、本を読むのは大好きな私ですが、その本を分析しろと言われても無理。荷が重いです。せいぜい感想を書く程度。同じ本を読んでも、その時々の経験値や精神状態によって印象が変わってくるのは当然だし、同じ作品を読んでも人によって受け止め方が違うのは当然のこと。一般の本好きとしては、評論家のように読む必要はないんですもん。たとえ誤読してたって、読みが浅くったって、そんなの他人には関係ないし。そんな自由があった上で、他人と本を読む楽しみを共有できれば、それ以上言うことはないかも。

「本嫌いのための新読書術」という副題なんですが、これは本が嫌いな人間に向けての本ではないです。むしろ本嫌いの周辺のための本。本嫌いの子供を持つ親、そして学校の国語教師に向けて書かれたような本。中身は確認してないんですけど、右の画像の「ペナック先生の愉快な読書法 読者の権利10ヶ条」という本と一緒なんじゃないかしら。同じとこから出てるけど、題名を変えたんですね、きっと。(藤原書店)


読者に与えられた権利10ケ条(あるいは読者が絶対に持ってる権利)とは。
  1. 読まない
  2. 飛ばし読みする
  3. 最後まで読まない
  4. 読み返す
  5. 手当たり次第になんでも読む
  6. ボヴァリズム(小説に書いてあることに染まりやすい病気)
  7. どこで読んでもいい
  8. あちこち拾い読みする
  9. 声を出して読む
  10. 黙っている


+既読のダニエル・ぺナック作品の感想+
「人喰い鬼のお愉しみ」D.ぺナック
「人喰い鬼のお愉しみ」「カービン銃の妖精」ダニエル・ぺナック
「散文売りの少女」ダニエル・ぺナック
「ムッシュ・マロセーヌ」ダニエル・ペナック
「片目のオオカミ」ダニエル・ペナック
「カモ少年と謎のペンフレンド」ダニエル・ペナック
「奔放な読書」ダニエル・ぺナック

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: / /

  [amazon] [amazon]
英雄となったシーザーの凱旋出迎えるローマの人々。アントニーが3度シーザーに捧げようとした王冠をシーザーは3度とも退けます。しかしキャシアスやブルータスは、シーザーの野望を危惧していたのです... という「ジュリアス・シーザー」。そしてシーザー亡き後のローマ。シーザー暗殺者たちを追討する軍を起こし、さらにギリシャや小アジアに進軍していたアントニーが出会ったのは、エジプトの女王・クレオパトラでした。アントニーはクレオパトラと恋に落ち、その冬をアレクサンドリアで過ごすことに。そんな時、アントニーの妻・フルヴィアと弟がオクテイヴィアスを相手に反乱を起こします... という「アントニーとクレオパトラ」。

「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以降」(感想)の関連で読んだ本。
「ジュリアス・シーザー」は、もっとシーザー中心かと思っていたので、実は主役でも何でもないことを初めて知ってびっくり。いえ、もちろんシーザーも登場するんですけど、むしろシーザー暗殺という事件をめぐるブルータスの物語だったんですね。もしくはブルータスとアントニー。暗殺後、市民を前にブルータスとアントニーは演説をするんだけど、ここがすごい。「私はシーザーを愛していた。しかし、それ以上にローマを愛していたのだ」と言って民衆を味方につけたブルータスなんですが、自分の演説が終わってもアントニーの演説を聞くようにと市民を説得するんです。でもそれに対してアントニーは。アントニーは決してブルータスを誹謗中傷しないし、それどころかブルータスの人格を褒めちぎるんですけど... さすが弁論術の盛んだった古代ローマ。
そしてこのアントニーは「アントニーとクレオパトラ」にも登場するんですが、こちらは「ジュリアス・シーザー」とは全然違う大人の恋愛物語。「ロミオとジュリエット」のあの若い恋心とは対極にあるかのような成熟した恋愛。2人とも大人ですしね、役者ですよ。私の知り合いの男性(年上・独身)が、「なんかこう、気持ちよく騙されたいわけだ」という意味のことを口癖のように言ってたんですが、こういうことだたったんだな。(ほんと?) 若さで突っ走るわけにもいかない大人にとっては、恋愛における演技力の重要性というのは、実はとても高いのかも。ま、歴史的真実としては、おそらく、純情な男を手玉に取ったしたたかな女という構図なんでしょうけど、この描き方はとてもシェイクスピアらしい気がします。

シェイクスピアは、子供の頃読んだチャールズ・ラムのを皮切りに結構読んでるはずなんですけど、むしろ嫌いだったんですよね。その後ちゃんとしたのを読んでも、何がいいのかよく分からなくて。どこかで読んだような話ばっかだし! でもやっぱりオコサマには理解できないものだったのかも。ここ数年で読み返したり新たに読んだものの方が断然楽しいです。(新潮文庫)


+既読のシェイクスピア作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「ジョン王」ウィリアム・シェイクスピア
「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」シェイクスピア
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治
「マクベス」シェイクスピア
「トロイラスとクレシダ」ウィリアム・シェイクスピア

| | commentaire(2) | trackback(0)
Catégories: / /

[amazon]
5年前に最愛の妻を亡くした翌日にブリュージュに来て以来、ここに定住しているユーグ。妻と2人で様々な国に住みながら、いつまでも変わらない熱情でもって愛を味わっていたのに、やっと30歳を迎える頃、わずか数週間寝込んだだけで妻は亡くなってしまったのです。今も屋敷の客間には亡き妻の所持品や彼女の手が触れたもの、肖像画、今なお色褪せない妻の金色の髪などが安置されていました。家政婦のバルブが客間を掃除する時は、彼自身が必ず立ち合うほど大切にされている品々。しかしその日夕暮れが近づいて日課の散歩に出たユーグが見かけたのは、1人の若い女。そのパステルカラーの顔色、真珠母の中に暗い瞳を大きく開いた眼、そして琥珀と繭の色のしたたるような正真正銘の金色の髪は、亡き妻に生き写しだったのです。

服部まゆみさんの「時のアラベスク」を読んで以来興味を持っていたのですが、ようやくこちらも読むことができましたー! 19世紀のベルギーの詩人・ローデンバックによる、まるで詩のような味わいのある小説。陰鬱な、それでいてこの上なく美しいブリュージュの街を舞台に繰り広げられていく物語。

最愛の妻を死によって失ったユーグ。その女性を再び得ることができたと思うところから物語は始まります。でも当然、2人の女性は同じ人間じゃないですよね。ジャーヌは踊り子だし、亡くなった妻のような気品ある女性ではないんです。(ユーグはおそらく貴族か、それに準じる階級のはず) そうでなくても、死による思い出には誰も太刀打ちなんてできないもの。死んだ人間は、それ以上老いることもなく、そのまま永遠に美しく昇華され続けていくんですもん。2人は別の存在だと、ユーグ自身、徐々に気づくことにはなるのですが...。
途中、書割ということでブリュージュの風景を始めとする写真が多数挿入されています。ローデンバック自身がはしがきで「その町の風景は、たんに背景とか、少々独断的に選ばれている叙景の主題としてあるだけでなく、この書の事件そのものと結びつく」と語っています。ユーグ自身「死んだ妻には死の都が照応しなければならなかった」と考えてますし、ブリュージュの情景がユーグ自身の心象風景にもなってます。やっぱりこの作品の本当の主役は、ブリュージュの街そのものなんですね。死の影に覆われたブリュージュの街。本来なら、そこには人々の賑やかな日々の営みがあるはずなのに、実際には人々は影でしか感じられないし、ユーグ自身、この街に来た時には既に死の影に囚われてます。そんなブリュージュの街で、ジャーヌだけが浮いた存在になるのも無理もないこと。この作品の中ではジャーヌだけが正反対の「生」、モノトーンの中で1人色鮮やかな存在なんですから。でもこの街は、そんなジャーヌも自分の中に取り込もうとします。
健全な観光都市である現実のブリュージュの街側としては、この「死都」というイメージに憤激したのだそうです。美しい作品だし、ブリュージュもこの上なく美しく描かれてるんですけどね。確かに憤激するというのも、無理ないかもしれないですねー。(岩波文庫)

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: / / /

  [amazon] [amazon]
92歳のマリアンは、この15年間は息子のガラハッドとその妻・ミューリエル、その末っ子のロバートと同居の生活。家は狭く窮屈で、日中のほとんどは部屋に面した裏庭で猫や鶏と過ごす日々。そして毎週月曜日になると、2ブロックほど歩いて友人のカルメラの家へ行きます。そんなある日、カルメラが耳の悪いマリアンにプレゼントしたのはバッファローの角でできた耳ラッパ。カルメラは、その耳ラッパを誰にも見せないで、家族がマリアンの話をしているのを盗み聞きすればいいと言うのですが...という「耳ラッパ 幻の聖杯物語」、そして短編集の「恐怖の館 世にも不思議な物語」。

先日「夢魔のレシピ」(感想)読んだレメディオス・バロと並ぶシュールレアリストの女流画家。裕福なイギリス人実業家を父に、アイルランド人を母に生まれ、父親の反対を押し切ってロンドンの美術学校に進んだ後マックス・エルンストと運命の出会いを果たし、エルンストが強制収容所に送られた後、キャリントン自身はスペインの精神病院へ。そしてその後メキシコに亡命... となかなか波乱万丈な人生を送っている人です。

「耳ラッパ」の方は、不思議な老人ホームで繰り広げられる不思議な物語。老人ホームに集まっているのは、それぞれに個性的な老人たち。家では厄介者扱いされて、それでこの老人ホームに来ることになったんでしょうけど、既に因習とか常識に囚われることなく生きることができる老人パワーがなかなかかっこいいです。この作品の主人公のマリアンはキャリントン自身がモデルで、親友のカルメラはレメディオス・バロがモデルなのだそう。そう言われてみると、先日「夢魔のレシピ」に架空の相手に書いた手紙というのもあったし、確かにバロみたいな感じ。そしてこの作品自体とても絵画的なんですけど、その中でも特にウィンクして見える尼僧の絵や、塔に閉じ込められるイメージなど、レメディオス・バロの絵画のイメージがものすごくしてました。でも私はレオノーラ・キャリントンの絵をあんまり知らないからなあ... もしかしたらキャリントン自身の絵なのかな? 実際のところはどうなんでしょう。
「恐怖の館」は、マックス・エルンストによる序文からして、これぞシュールレアリスムなのかという文章でかっこいいんですが、キャリントンの書く短編もなかなか素敵でした。アイルランド人の祖母や母、乳母からケルトの妖精物語や民間伝承を聞いて育ったとのことなんですが、そういう要素はあまり感じなかったですね。むしろ目を惹いたのは馬。この馬のイメージはスウィフトの「ガリバー旅行記」? それともこの不条理な作品群は「耳ラッパ」の帯に「92歳のアリスの大冒険」とあったように、ルイス・キャロル的? スウィフトもルイス・キャロルもアイルランド系だし、やっぱりそういうことなのかな。長めの作品もあるんですが、私が気に入ったのはむしろ掌編の「恐怖の館」「卵型の貴婦人」「デビュタント」「女王陛下の召喚状」辺り。特に「デビュタント」はレオノーラ・キャリントンの実体験に基づくと思われる作品。出たくないデビュタントの舞踏会に、自分の代わりにハイエナに出てもらったら、という物語なんですが、これが残酷童話の趣きで... 素敵♪
「恐怖の館」にはレオノーラ・キャリントンとその周囲の人々の写真が数10ページ挿入されていました。力強い顔立ちの美人さん。私としてはどちらかといえば、作品を見たかったんですけどねえ。どこで見られるんだろう?(工作舎)

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: /

 [amazon]
生まれてすぐに字を覚えてて、あっという間に本の虫になったエリザベス。何をするよりも本が好きで、何を買うよりも本を買い、寝る間も惜しんで読んで読んで読みふけります。でもふと気づくと天井まで本の山。これ以上入らないことに気づいたエリザベスは...?

本に対する愛情がいーーーっぱい詰まった絵本。私も自分で相当の本好きだと思ってるんですが、エリザベスには負けますねえ。寝る間も惜しんで本を読んで育ったけど、ここまで本オンリーの生活は送ってなかったですもん。共通点はかなりありますけどね! あーでも、本を小さな積み木代わりにさせるのはいいけど(でもなるべくならしてほしくない)、本の上にお茶を置いたりはできないなー。あと、うちは私だけでなく両親も祖父母も筋金入りの本好きなので、本はとにかくいっぱいあって、エリザベスのとった方法を冗談半分に勧められることもありますが... 迷わず実行に移しちゃうエリザベスってば素敵! 男前!(笑)
よく見ると、「実在のメアリー・エリザベス・ブラウン 図書館員、読書家、友人 1920-1991 に捧げる」という言葉がありました。なんと実在の女性だったのですかーっ。素晴らしい。というか、エリザベス、ちゃんと素敵なお友達がいたのですねー。もう、友達そっちのけで読書をしていたのかと... いえ、ちゃんといたことは作中でも分かってたんですけどね。となると、やっぱり本読み友達? エリザベスはそのお友達と、読んだ本の感想とか言い合うことはあったのかしら...? なあんて、すっかり実在のエリザベスと作中のエリザベスを混同しちゃってますけど。(笑)
絵も可愛くてとっても好きです、この絵本♪(アスラン書房)


+既読のサラ・スチュワート・デイビッド・スモール作品の感想+
「エリザベスは本の虫」サラ・スチュワート文・デイビッド・スモール絵
「リディアのガーデニング」サラ・スチュワート文・デイビッド・スモール絵

| | commentaire(8) | trackback(1)
Catégories: / /

 [amazon]
スペイン出身の女性シュールレアリストの画家・レメディオス・バロの書いた散文や自作解説を集めた本。みたい夢を見るためのレシピや、実際に見た夢のこと、自動記述などの「夢のレシピ」、擬似学術論文や創作した手紙、物語や劇の断片の「魔女のテクスト」、バロ自身によるバロ展「イメージの実験室」、インタビューや書簡を集めた「地球の想い出」、バロ自身の生い立ちやレオノーラ・キャリントンとの交友を綴る訳者・野中雅代による「メキシコの魔法の庭」の全5章。1999年のレメディオス・バロ展の開催記念として出版された本。

寓話的で幻想的な絵画の多いレメディオス・バロ。私が知ったのは、小森香折さんの「ニコルの塔」(感想)を読んだ時で、それでものすごく好きになっちゃったんですよね。レメディオス・バロ関係の本がどれも入手できなくて、洋書で画集を買ってしまったぐらい。ガルシア・マルケスの「百年の孤独」(感想)や、トンマーゾ・ランドルフィの「月ノ石」(感想)もバロの絵が表紙に使われていたし、サンリオ文庫版のトマス・ピンチョンの「競売ナンバー49の叫び」もそうみたい。

この本に収録されているバロの絵は全て白黒なので、作品自体は画集などで見るのがお勧めなんですが、バロ自身による作品解説があるのがとても興味深いんです。それに楽しそうなお遊びも色々と。全体的には、正直あまり文才があるようには感じられないんですが(失礼)、それでもバロの絵の1枚1枚の背後に確かに存在する物語を感じることができるような1冊。バロの自由な精神とその遊び心、どこか抑圧された不安定さ、などなど。
面白かったのは、「エロティックな夢をかきたてるレシピ」。これはブルトンを中心にパリのシュールレアリストたちがよくしたというゲームで、社会の常識をブラック・ユーモアで覆し、同時に想像力を解放するというものなのだそう。バロはメキシコに行った後もレオノーラ・キャリントンらの友人とこのゲームをしているんですね。この「エロティックな夢をかきたてるレシピ」もその1つ。本当の料理本のように、まことしやかに作り上げられたレシピは、時にブラックユーモアを交えながらも明るい遊び心たっぷり。
親友だったというレオノーラ・キャリントンのことにも頻繁に触れられていました。彼女もシュールレアリストの画家。「耳ラッパ」「恐怖の館」などが刊行されてるので、こちらも近いうちに読むつもり。


バロの絵が表紙になってる本を集めるとこんな感じ。右2冊は洋書で、私が持ってるのは右から2番目。

    

アマゾンの和書ではバロの本は2冊しか見つからなかったんですけど、そのうちの1冊が今回読んだ「夢魔のレシピ」で、もう1冊はリブロポートから出ている「予期せぬさすらい」。これが私の持っている「Remedios Varo: Unexpected Journey」の日本語訳みたいです。(工作舎)

| | commentaire(2) | trackback(1)
Catégories: / /

[amazon]
ここ数日というもの悩みごとを抱えていたウォルディングの司祭は、この日ようやく主教宛の手紙を書き上げます。司祭の悩みの種は、春頃から夕方になると山の端から聞こえてくる笛の音。始めはどこかの若者が村の娘に合図を送るために奏でている音だと考えていたのですが、どうやらそうではないらしいのです。その笛の調べは司祭が生まれてこの方聞いたことがないようなもので、なにやら異様な力を持っていました。そして笛の音が聞こえるたびに、娘たちがその調べを求めて丘を越えていくのです。

舞台はイギリスなんですけど、ウォルディングという場所は架空なのかな? 包容力のある司祭と善良な人々が住んで、日々労働に汗し、日曜日になれば皆教会に集まるというキリスト教的に模範的な村です。でもそんな理想的な村が、徐々に異端のものに侵食されていってしまうんですね。身も心も異界に連れ去ろうとするかのような笛の音。理性はその音に抗おうとしてても、感情はその音に連れ去られたがっていて。まるで「ハンメルンの笛吹き」の笛のように。

タイトルの「牧神」とはギリシャ神話に出てくる半人半獣の森の神・パンのこと。天候や風を司り、農業、牧畜、狩猟、漁業の守護神です。(パンと似た存在でサテュロスやフォーンがいますが、サテュロスは同じギリシャ神話の存在でもパンよりも格下で、フォーンはローマ神話の森と田園の神)
キリスト教の登場と共に異教の神として追放されてしまうことになるんですが、そのパンが19世紀末から20世紀初頭の英文学に頻繁に現れるようになったんだそうです。その役割は、文明の批判者として、物質主義に抗議する大自然の呼び声として。でも、うーん、どうなんでしょう。この「牧神の祝福」もその頃書かれた作品らしいんですが、この作品には「批判」「抗議」といった否定的な言葉は、あまり似合わないような気がしますねえ。「キリスト教批判」とか「現代文明への批判」という風に捉えることもできるんでしょうけど、それほどの主義主張を持った作品というよりも、古い異教時代の居心地の良さへの憧れとでもいったもののような... 「自然への回帰」なんて大層なものではなくて、もっと心が求める方向へと素直に向かってみたという感じがするんですが。
このウォルディングという場所は「エルフランドの王女」の国へと通じるのかも、なんて思ったりもします。ウォルディングそのものがエルフランドとなったということはあり得ないかしら...。(妖精文庫)


+既読のロード・ダンセイニ作品の感想+
「ぺガーナの神々」ロード・ダンセイニ
「魔法使いの弟子」ロード・ダンセイニ
「魔法の国の旅人」ロード・ダンセイニ
「世界の涯の物語」「夢見る人の物語」ロード・ダンセイニ
「妖精族のむすめ」ロード・ダンセイニ
「エルフランドの王女」ロード・ダンセイニ
「影の谷物語」ロード・ダンセイニ
「時と神々の物語」「最後の夢の物語」ロード・ダンセイニ
「ダンセイニ戯曲集」ロード・ダンセイニ
「牧神の祝福」ロード・ダンセイニ

| | commentaire(0) | trackback(0)

Note


MAIL FORMBBS

購読する ATOM


Powerd by MovableType4.24-ja
Copyright 2004-2011 四季. All rights reserved.