Catégories:“2009年”

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「妖婦ミレディーの秘密」から20年後。ルイ13世もリシュリューも既にこの世になく、まだ若いルイ14世が王位に着き、大后アンヌ・ドートリッシュが摂政になっていました。リシュリューの後釜となったのは、アンヌ・ドートリッシュと極秘結婚をしたイタリア人のマザラン。しかし重税を課したこともあり、マザランには人望がなく、世の中はマザラン派とフロンド派に二分されることに。そしてダルタニャンは、未だにトレヴィル銃士隊の副隊長としてくすぶっていました。ダルタニャンに目をつけたマザランは、かつての仲間たちを集めるようダルタニャンに要請します。

「ダルタニャン物語」の第2部。フロンドの乱(1648-1653)のフランス、そして清教徒革命(1641-1649)のイギリスが舞台となります。第1部から20年も経ってしまっているのがびっくりなんですが、その仲間たちもそれぞれの人生を送っていて、今やまるで音信不通状態だなんて! なんてこと!! でもその仲間が20年ぶりに集まることになります。歴史的背景の説明をしなければならないこともあって、前振りはちょっと長いんですが、ダルタニャンがかつての仲間を訪ね歩く頃から俄然面白くなりました。4人それぞれに主義主張や立場は違ったとしても、一度顔を合わせてしまえば良い仲間。でもここにリシュリューがいないのが、なんだか寂しくなってしまうんですよねえ。あれだけ悪役だったのに! あれだけヤなヤツだったのに! でもやっぱり大人物でしたね。小策士なマザランとは器が違ーう。

イギリスではチャールズ1世を助けようとする4人。チャールズ1世って、もっと無能などうしようもない人かと思ってたんですけど、いい人じゃないですか。(笑)...リシュリューもマザランもそうなんですけど、こういう風に歴史上の人物が肉付けされて動き出すのがまた楽しいですね。先日ホフマンで読んだスキュデリー嬢(感想)も登場してましたよ。そういえば、ルイ14世の頃の人でした! ホフマンの作品では老嬢だったスキュデリー嬢なんですけど、この時点ではまだ若く美しい女性。既に兄の執筆を手伝って、才能を発揮し始めているようです。
でもやっぱり第1部の「三銃士」ほどではなかったかな。やっぱりあちらは大傑作でしたね。こちらも面白いんだけど「大傑作」とまではいかないです。第3部への伏線もあるからかもしれません。

上に画像を出しているのは、今も入手可能のブッキング版ですが、私が読んだのは講談社文庫版。これが、文中の注釈や登場人物表にネタバレがあってびっくり... 復刊した時に訂正されてたりするのかしら? 登場人物表なら見ずに済ますこともできるけど、文中の注釈となると、ちょーっとキツいですねえ。(講談社文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ダルタニャン物語」1・2 A・デュマ
「ダルタニャン物語」3~5 A・デュマ

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8月、独身の女性教師・マート・アーバクル先生が40歳で突然の他界。ホーミニ・リッジ学校はインディアナ州の中でも最も辺鄙な地域にあり、教室は手入れの行き届いていない旧式のものが1つあるだけ。生徒は落ちこぼればかり。こんな学校に新しい教師を見つけるのは至難の業だし、教育委員会ですら学校を続けるのは割に合わないと考えているのを知っていたラッセルと弟のロイドは、とうとう学校が閉鎖される、と期待に胸をふくらませます。しかし教育委員会の決定は閉鎖ではありませんでした。なんと町の高校に通っている17歳の姉のタンジーが教師として抜擢されたのです。

20世紀初頭のアメリカの田舎の町が舞台。全身を洗うのは1週間に一度、冬にならないと靴をはいたり下着をつけることもない子供たち。交通手段は馬車が主流で、特別列車で最新の蒸気エンジンと脱穀機がやって来る日には、30キロ周辺に住んでる男たちは、もう大人も子供も駅に集まってきちゃう。そして1904年モデルの鋼鉄製の攪拌分離式脱穀機に目も眩むような思いをするのです。そんな古き良きアメリカの田舎町が愛情たっぷりに描かれていきます。
この田舎町の学校で新任教師となったのは、17歳のタンジー。あんまり若いので、タンジー自身がこの学校の生徒で、勉強に苦労してた時のことを知っている生徒もいるんですよね。そういうのって相当やりにくいはず。その上、目が離せない悪がきたちの中には実の弟もいるし、さらには学校のトイレが火事になったり、教卓の引き出しに大きな蛇が入っていたり。でもタンジーは初日から、反抗的なパール・ニアリングを従わせて、学校になんか来たくなかった「ちびパンツ」も手懐けてしまうし、やる気のない生徒たちの頭に次々に知識を詰め込んでしまうんです。怖~いファニー・ハムラインおばさんに対峙した時も一歩も引きません。その毅然として教師ぷりは、若干17歳の少女とは到底思えなくて、とっても素敵。作られた人物だからというわけではなく、タンジーだからこそ、と素直に思えます。それだけに、タンジーの教員の仮免許状付与の審査のためにパーク郡教育長と副教育長がきた場面では、読んでいるこちらまで思わずどきどきしてしまうのですが...。この日のファニー・ハムラインおばさんは素敵でした♪
そんな波乱万丈な毎日が、ラッセルのユーモアたっぷりの口調で語られていくんですけど、やっぱり一人称だから、そこは信用しきれないところもあって。だってラッセルにかかると、タンジーは「田舎くさくて、骨ばった体つき」「年が上というだけでなく体も巨大」「男みたいに大柄で、先生みたいにいばってる」なんですよ! どんな大女かと思ってしまうんですけど、どうやらラッセル以外の人間の目には少し違う風に映っているようで...。ふふふ、騙されました。もちろん「合衆国で最悪」のパンやパイを作るモードおばさんに代わって、夏の休みの間は家に帰ってきているタンジーが食事の支度をしてくれることとか、キャンプに行くラッセルとロイドのために山のように食料を持たせることとか、「ショートニング入りビスケットは、わたしが焼いたものよ」なんて声を潜めるタンジーに、最初から母のような愛情を感じてはいたんですけどね。
最後の最後で語られる後日談も微笑ましくて、「そうなったんだ...!」と、びっくりしつつも納得してみたり。とても幸せな読後感です。(創元ブックランド)


+既読のリチャード・ペック作品の感想+
「ホーミニ・リッジ学校の奇跡!」リチャード・ペック
「ミシシッピがくれたもの」リチャード・ペック

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姪に借りた車で息子のグレアムに会いに行くフランクリン。息子が傍にいるといいアイディアが浮かぶことを懐かしく思い出すのですが、出迎えたのは見栄えのいい筋肉質の20代後半のユダヤ人青年。自分の息子がゲイで、この青年が恋人だというのは一目瞭然。29歳の息子が一度も打ち明けてくれなかったことに一瞬ショックを受けるフランクリンですが、すぐに立ち直り...という「私の伝記作家へ」他、全9編の短篇集。

不安定な精神、そして死。さらにゲイ。それらが全編通して濃く漂っています。登場人物たちがそれぞれに深い孤独を感じていて、背負っているものも重いです。1人でいても、誰か愛する人間と一緒にいても、感じる孤独は同じ。ややもすると、愛する人と一緒にいるのに感じている孤独の方が1人でいる時の孤独よりも深いものかも。ひりひりとした心の痛みと深い悲しみ、絶望。時には愛している人を傷つけていたりもするのですが、それが分かっていながらどうすることもできないやるせなさ。...それでも彼らは、作者の柔らかい視線に包み込まれている分、幸せかもしれない、なんて思ったりもします。作者の視線というフィルターを通して、彼ら1人1人が柔らかく輝いているように見えました。訳者あとがきによると、精神を病む人間やゲイが多いのは、決してそういう人々をテーマにしているのではなく、アダム・ヘイズリット自身がゲイで、父親が精神を病んでいたので、そういう人々やその家族の気持ちを理解できるからなのだそう。ヘイズリットが語っていたという、「短篇小説は、登場人物の人生のなかでいちばん大事な瞬間をとらえることができる」という言葉が印象的です。
この9編の中で私が特に好きなのは「予兆」。「私の伝記作家へ」「戦いの終わり」も良かったな。「あなたはひとりぼっちじゃない」という題名から想像した内容とはちょっと違っていたんですけど、いい方に違ってました。だからといって、題名が似合わないというわけではなく... 「あなたはひとりぼっちじゃない」と、登場人物にそう言ってあげたくなるような作品ばかりでした。(新潮クレストブックス)

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13編の「少女少年小説」+2編のアメリカの新聞漫画。柴田元幸さん編集のアンソロジー。

なんで「少年少女小説」ではなくて、「少女少年小説」なのかはよく分からなかったんですが... 今現在の「少女少年」よりも、かつて「少女少年」だった人々への小説といった方が相応しい作品群かも。って、なんだか講談社ミステリーランドの「かつて子どもだったあなたと少年少女のための」って惹句みたいですが。(笑)
いやあ、良かったです。基本的に短編集やアンソロジーが苦手な私なんですが、ここに入っている作品はどれも好き。これって私にはとってもすごいこと! もちろん短編でも好きな作品はあるし、作家さんによっては短編の方がイイ!ってこともありますが、短編集って読んでるうちにだんだん集中力が途切れてしまいがちなんですよね。それが全然なかったなんて、それだけで感動しちゃいます。(笑)

収められているのは13編。
■バリー・ユアグロー「大洋」は、大洋を発見し、夕食の席で報告する弟の話。「大洋を発見した」なんてことがごく日常的な出来事のように語られるのが楽しいんです。人間の小さな諍いと、それを嘲笑うかのように大きく広がる海の情景と。穏やかで、でも哀しい海。
■アルトゥーロ・ヴィヴァンテの「ホルボーン亭」「灯台」は、どちらも自伝的な作品。「ホルボーン亭」の少年の目に映った魅惑の世界とその微笑ましさ、「灯台」のわくわく感とその後の微苦笑が印象的です。でも具体的にはほとんど何も書かれていないんですけど、それ以上に作品の背後に深い哀しみが潜んでるのも感じられて...。
■ダニイル・ハルムスの作品は、ごくごく短いのが5つ。これがもうどれも良くて! 一度に大好きになってしまいました。特に「おとぎ話」は、最後にくすっと笑わせてくれます。うふふ。
■スティーヴン・ミルハウザー「猫と鼠」は、「トムとジェリー」を文字だけにしたような作品。これだけは、もうちょっと短くても良かったかなって思ったんですけど、この長さだからこそ、鼠の孤独感が際立って見えてくるのかも。
■マリリン・マクラフリン「修道者」は、大人になることに拒否反応を示す主人公、という辺りは正直あまり好きではないんですけど、彼女の祖母や家の庭、アイルランドの海の情景が素敵。これを読んで梨木香歩さんの「西の魔女は死んだ」を思い出す人、多いでしょうねー。
■レベッカ・ブラウン「パン」は寄宿学校を舞台にした物語。圧倒的な魅力を持つ完璧な「あなた」に魅せられている「私」の物語。ほんの一瞬の気の緩みが(でも実は小さなことが積み重なっていっているのだけど)、それまで積み重ねてきたものを崩れ落ちさせてしまうその苦さ。読みながら胸が痛くなってしまいます。さすがレベッカ・ブラウン。
■アレクサンダル・ヘモン「島」は、背景が「青い空・白い雲」という感じなだけに、ユリウス伯父さんの語る話が生々しく迫ってきて... その影が濃く感じられます。
■ウォルター・デ・ラ・メア「謎」は、デ・ラ・メアらしいとてもとても幻想的な作品。見てはいけない、と目をそらそうとすればするほど、そこに目がいってしまうものなんですよね。そして、どうなったんだろう...?

折り込みでウィンザー・マッケイの「眠りの国のリトル・ニモ」とフランク・キングの「ガソリン・アレー」というアメリカの新聞漫画も付いてて、これがまた素敵なんです。こんなのが新聞についてるなんて! そしてこのマッケイがミルハウザーの「J・フランクリン・ペインの小さな王国」(感想)の主人公のモデルになっていたとは~。なるほど~。

13編+αの中で特に気に入ったのは「大洋」「ホルボーン亭」「灯台」「パン」「謎」、そしてダニイル・ハルムスの作品。ダニイル・ハルムスと出会えたのは大収穫ですね。他の作品もぜひ読んでみたいです。(文藝春秋)

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読売新聞の書評委員を2年、朝日新聞で4年、そして現在再び読売新聞で4年目、という川上弘美さんが新聞紙上に書いた書評が中心となった本。川上弘美さんのお好きな本、全144冊が紹介されていきます。

書評集や読書案内って、いくつかパターンがあると思うんですよね。真っ先に出てくるのはやっぱり「そこに紹介されてる本を全てを読みつくしたくなるもの」。私にとっては、石堂藍さんの「ファンタジー・ブックガイド」(感想)がこれに当たります。実際、ここに紹介されてる本はかなり読みました。全部で400タイトルぐらい紹介されてるので、まだまだなんですけどね。石堂藍さんと東雅夫さんの「幻想文学1500ブックガイド」(感想)も、どんどん読みたくなる本。こちらは、私があまり得意ではない分野のも紹介されてるので「全部読みたい!」とまではいかないんですが。そして先日読んだ小川洋子さんの「心と響き合う読書案内」(感想)の場合は、「未読の本が読みたくなるのはもちろん、既読の本ももう一度読み返したくなるもの」。よく知ってるはずの本でも、今の自分ならどう感じるんだろうって読み返したくなっちゃう。こういうのもとても素敵ですよね。
「既読の本について考察が深まって面白いもの」もありますね。紹介されている本を読んだ後で、そのことについてのページを繰りたくなるような本。水村美苗さんと辻邦生さんの往復書簡「手紙、栞を添えて」(感想)や、須賀敦子さんの「本に読まれて」(感想)がそういうタイプ。この手の本は、未読の本のところに差し掛かると、自分が読んでいないことがものすごく悔しく感じられてしまいます。私も早く読んで、このページを読み返したい!と焦ってしまうー。そして自分がその本を読んでから該当部分を読み返すと、ずしんずしんとくるタイプ。
逆に「未読の本も既に読んだ気になって満足してしまうもの」もありますね。例えば河合隼雄さんの「子どもの本を読む」(感想)「ファンタジーを読む」(感想)がそうでした。「ファンタジーを読む」で紹介されてる本はほとんど既読だったから良かったんですけど、「こどもの本を読む」は半分ぐらいで...。河合隼雄さんの心理学者の視点ならではの深い解釈がとても魅力的で、すごく興味深く読んだんですが、未読の本も既に読んだような気がして満足してしまい...。

この川上弘美さんの書評集は、私にとって「既に読んでいる本についてはとても楽しく興味深く読んだけれど、あまり新たに読みたいという気持ちにはさせないもの」でした。決して面白くなかったわけではないのです。それどころか、すごく面白かったんですよー。川上弘美さんなりの「読み」がすごく興味深かったし、特に既読本に関しては「なるほどな」と思わされる部分も多かったし、自分がうっすらと思っていたことをそのまま言葉にしてもらえたような快感も。でも、未読本に関しては、なんだかまるでその本をお題に書いたエッセイを読んでいるような感覚だったんですよね。川上弘美さんがあとがきで「取り上げた本を読んでいない読者の方に、ほとんどわからないようなことを平気で書いていることにも、驚いた」と書いてらっしゃるんですけど、もしかしたらそこに通じるのかもしれません。きっと、作家としての川上弘美さんの作品を追い続けているファンの方にとっては、どれもこれも読みたくなるんだろうな、川上弘美さんらしい文章に浸ってるだけでも幸福感を感じるんだろうなと思いつつ...。いえ、私も川上弘美さんの作品は好きなんですけどね。
「川上弘美書評集」とあるし、これは確かに書評集なのかもしれません。が、私にとっては書評というよりも川上弘美さんのエッセイを読んだような気分になった1冊。分厚い本なのにその厚みを感じさせない、素敵なエッセイ集でした。...読み方、間違えてる?(朝日新聞社)


+既読の川上弘美作品の感想+
「古道具中野商店」川上弘美
「大好きな本 川上弘美書評集」川上弘美
Livreに「神様」「なんとなくな日々」「センセイの鞄」「パレード」の感想があります)

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子供部屋にいる4人の子供たちにとって、一番楽しみなのは寝る前のお話。ばあやは穴のあいた子供たちの靴下を繕いながら、その穴の大きさに見合ったお話をしてくれるのです... という「年とったばあやのお話かご」。そして、イタリアのフローレンスの丘の上の屋敷に住むブリジェットを訪ねた「わたし」が、そこでの出来事をもとにお話を語っていく「イタリアののぞきめがね」。

先日「ムギの王さま」を読んで、無性にファージョンが再読したくなっちゃいました。まずはファージョン作品集の1巻と2巻から~。
どちらも枠物語になってるので、基本的には似たような雰囲気。「イタリアののぞきめがね」はどうやらファージョン自身が友達家族の家を訪ねたイタリア旅行が軸になってるようなんですけど、「年とったばあやのお話かご」のばあやが語り手だと言ってもおかしくない感じですしね。でも細かい部分は色々と違っています。
「年とったばあやのお話かご」は、ばあやがこれまで世話をしてきた世界中の子供たちのお話。ばあやの年は一体いくつなんだか、この本での聞き手の4人の子供たちのお母さんも、そのまたお母さんもばあやの世話になってるんですけど、あのグリム兄弟もばあやがお守りをしてて、兄弟はその時に聞いた話を自分たちの童話集に入れたとかいうんですよ! ペルーのインカ王やエジプトのスフィンクスもばあやお守りをしたっていうし、ギリシャ神話のネプチューンだって、ばあやのお友達。お話だけで世界一周気分になっちゃいます。そして大きな穴には大きなお話、小さな穴には小さなお話と穴の大きさに合わせてお話の大きさも変わるんですが、小さい穴でも細かく丁寧にかがらなくてはいけない時は大きなお話になるし、穴が大きすぎる時はいいかげんにくっつけておかなければいけなくて、それほど大きなお話にならない時もあって、そういうのも楽しいです♪
「イタリアののぞきめがね」は、基本的にイタリアのお話ばかり。大人も子供も仮装して通りをかけまわるイタリアでの謝肉祭のお祭りの日には謝肉祭のお祭りのお話、パスタを切らして困ってしまった日には、昔々小麦が取れなくなってパスタが食べられなくなった時のお話、と、「わたし」の身の回りの出来事がお話になってるんです。「年とったばあやのお話かご」を読んでからこっちを読むと、挿入されるお話が少ないので、それがちょっぴり物足りないかな... それでもやっぱり楽しいんですけどね。(岩波書店)


+既読のファージョン作品の感想+
「ムギと王さま」「天国を出ていく」ファージョン
「年とったばあやのお話かご」「イタリアののぞきめがね」ファージョン
「町かどのジム」エリノア・ファージョン
「リンゴ畑のマーティン・ピピン」「ヒナギク野のマーティン・ピピン」ファージョン
「銀のシギ」エリナー・ファージョン
「マローンおばさん」エリナー・ファージョン
「ガラスのくつ」エリナー・ファージョン
「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」「ねんねんネコのねるとこは」エリナー・ファージョン

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太古の昔から目に見えない言葉の霊力を信じ、文字よりも言葉を大切にして、歴史や物語、詩を何世代にも渡って言葉で伝えてきたアイルランドのケルト人。その後ケルト社会が崩壊し、ゲール語が英語に取って代わられるようになっても、アイルランドには音楽や物語を好む風土が残り、今に至っています。そんなアイルランドのケルト的な無形の文化、歌い手たちや物語の語り手たちに興味を引かれた著者が、それらの人々に会いながらアイルランドを旅する本です。

まず印象に残ったのは、歌は語りだから、歌の背景を知らなければ正しく歌うことはできない、という言葉。歌う技術よりも、まず「物語ありき」。この言葉には驚きました。...ちょっと考えてみれば、確かに歌も物語も一緒なのにね。でもやっぱり、歌は耳から入ってくるもの、物語は目から入ってくるものという意識が私の中にはあるんですねえ。それがいいのか悪いのかはともかくとして。
古い神話や伝承、口承で伝わってきたような文学が好きと言いつつ、私は実際にはあまり耳からの情報というのに慣れてないのかも、なんて改めて思います。物心ついた頃には既に本は身の回りに沢山あったけど、どちらかといえば本と一緒に放置されてたという感じで、母に本の読み聞かせなんてやってもらったことないし(母もした覚えがないと言ってました)、おじいちゃんおばあちゃんが面白いお話を沢山してくれるなんてこともなく、ラジオもあんまり聞かなかったですしねえ。私にとって情報とは、まず目から入ってくるものなのかも。例えば何かの曲を聴いていても、私にとって歌は楽器の1つぐらいの位置付け。言葉としての歌詞を聞くことってほとんどないんです。ピアノはずっと習ってたし、音を聞き取るという意味ではある程度訓練されてるはずなのだけど。
でもケルトの文化では、元々文字には重きを置いてなくて、あくまでも言葉が中心。「文字にされれば、物語は死ぬ」なんて言葉を聞くと、ドキッとしてしまいます。

さて、この本に登場するのは現代の語り部たち。名刺大のカードを繰って、どんな話が聞きたいのかとたずね、1つ話が出てくるとその話が次の話へ、そしてまた次の話へと繋がっていくなんて楽しそう! 日本の昔話のような「むかーしむかしあるところに...」のような始まりではなくて、畳み掛けるように言葉が出てくるリズミカルな語りというのもちょっと意外でしたが、身振りや手振りもなく、自分の中にある言葉をどんどん並べていくような語り方みたいです。そしてそんな風に語られた物語が実際にこの本でも紹介されてるのが嬉しいところ。
語り部になるにも人それぞれのきっかけがあるでしょうけど、著者が最初に会った人の場合は、成人して海外で仕事をしていて、久々に帰国した時に見た光景がきっかけだったのだそうです。かつては夜になると家族や近所同士で集まって歌を歌い、楽器を演奏し、踊り、物語を語っていたのに、それが全くなくなっていたのにショックを受けたから。テレビの登場のせいだったんですね。人々はそれぞれ家に閉じこもってテレビを見るばかり... でもだからといって語りの伝統が完全に絶えたわけではなくて、声をかけてたら、まだまだ歌やお話を愛する人々がぞろぞろと出てきて。...こういう集まり(ケイリー)に関しては、チャールズ・デ・リントの「リトル・カントリー」(感想)や、ケイト・トンプソン「時間のない国で」(感想)を読んだ時にも楽しそうだなと思ってたんです。
でもこの人の場合は、まだまだそんな人たちがいっぱいいることが分かったからいいんですが、他の語り部には、もう誰もお話を聞きたい人間などいない、なんて言ってる人もいて... 今の人間は集中力がなくなっていて、20分も静かにしてることができない、もう語りも終わりだ、なんて話を聞くと本当に悲しくなってしまいます。

ちょっと意外だったのは、今は神話はあまり受けなくて、それよりも笑い話に人気があるという辺り。フィン・マックールの話もオシアンの話もクーフリンの話もメイヴの話も、私、大好きなんですけどー。確かに1日中働いて疲れてる時には、ちょっとした笑い話がいいのかもしれませんけどね。こんな時に文字があってやっぱり良かったと思います。文字がなかった頃は、最近の人には受けないから、なーんて言われて消えていった物語も沢山あったんでしょうけど、今はその心配はほとんどないんですものね。(笑)(集英社新書)

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