Catégories:“2009年”

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ロージーがお母さんと一緒に住んでいるのは、アパートの一番上の階の家具付きの3部屋。お風呂を使えるのは週に2回、台所は共同。住み心地はあまり良くないのですが、ロージーのお父さんは既に亡くなり、お父さんの年金とお母さんの仕立て物の仕事では暮らしを立てるのが精一杯なので仕方ないのです。そして迎えた夏休み。ロージーのお母さんは、パーカーおくさんの仕立て物の仕事のために、ロンドン郊外にあるお屋敷に3週間通うことになっていました。お母さんが留守の間に何か役立つことをしたいと考えたロージーは、掃くことと拭くこととお皿洗いならできると、フェアファックスの市場にほうきを買いに行きます。そしてそこで出会った黒ネコに連れて行かれるようにして1人のおばあさんと出会い、ほうきと黒ネコを買い取ることに。

ロンドンに住む普通の女の子がひょんなことから黒猫の王子カーボネルと出会い、魔法のほうきを手に入れて、カーボネルにかけられている魔法を解くために奔走するという物語。これ、小学校の頃に図書館で1度読んだことがあるんです。でもその後また読みたいと思って探したんですが、題名をすっかり忘れてしまってて、図書館で探したんですがそれらしいのが見つからず...。その頃は司書さんに聞くなんてことは思い浮かばなかったので(笑)、そのままになってたんですが、岩波少年文庫で復刊されてるのを見て読んでみたら、まさにそれじゃないですか!

久しぶりに読んでみると、ちょっと物足りない部分はあるものの、やっぱり可愛らしいエブリディ・マジックでした。ロージーは、仕事が大変なお母さんのことを常に気遣うような思いやりのある女の子。 お母さんとのやりとりでも、相手のことをまず考えて、自分のやりたいことは二の次。それが最終的には良い結果を生むことも多いんですよねえ。...そんな気持ちのいい女の子なのに、あんまり仲の良い友達はいないようなのはなぜなんだろう? とも思ったりするんですけどね。貧しいからって馬鹿にされてるのかしら。(確かにそういうクラスメートもいるけど、全員とは思いがたい) 博物館に行って陶器のコレクションを見た時の「使うためのものが、博物館のケースに入れられて、ただ見られてるだけって、かなしそうだって、あたし、いつも思うの。」なんてことを言うのがとても印象的だし、お母さんの仕事先で知り合った少年・ジョンとは、あっという間に仲良くなって一緒に冒険することになるのですが。
この冒険によって、それまでの子供だけの世界だけではなくて、魔法のほうきから繋がる魔法の世界と、必要なものを手に入れるために足を踏み入れる大人の世界と、ロージー自身の世界が広がっていくのがいいんですよね。しかもカーボネルと一緒にアパートの部屋から眺めてみると、ロンドンの町が実は猫の王国とすっかり重なってるし! ごく平凡な日常の中にいるとは思えないほどの大冒険。
優しいロージーは、魔法が解ければカーボネルが自分の国に帰ってしまうのが分かっていながらも、自分にできる限りのことをしようと奔走します。その割に、カーボネルの態度が高飛車のがまた可笑しい。自分が助けてもらう側だって意識はあるのかしら! 子供の頃に読んだ時は、「呼び寄せの呪文」のせいで、目の前のご馳走を食べられずにロージーの元へと急がなくちゃいけなくなったカーボネルの怒りっぷりが印象的だったんですが、今回読んでもやっぱり可笑しかったです。(岩波少年文庫)

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へレスポントス海峡を挟んで向かい合うセストスとアビュドスの町。アビュドスに住む青年・レアンドロスは、セストスにある古い塔に住む、愛と美の女神・アプロディテ祭祀の美しい巫女・ヘーローと許されざる恋に落ちてしまいます。そして毎晩ヘーローが掲げる炬火の明かりを頼りに海峡を泳いで渡り、忍び逢うのですが、ある冬の嵐の晩、炬火の火は風に吹き消され、方向を見失ったレアンドロスも力尽きて溺れてしまうのです。そして翌朝、浜辺に打ち上げられたレアンドロスの亡骸を見たヘーローは塔から身を躍らせて自殺... というギリシャ神話の物語を元にした作品。

感想はのちほど。(東京創元社)

+既読のミロラド・パヴィチ作品の感想+
「帝都最後の恋 占いのための手引き書」ミロラド・パヴィッチ
「風の裏側 ヘーローとレアンドロスの物語」ミロラド・パヴィチ

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実在しない書物の書評を書くという試みは、例えばホルヘ・ルイス・ボルヘスの「伝奇集」初秋の「ハーバート・クウェインの作品の検討」にも見られるもの。そのアイディア自体はラブレー、そしてそれ以前の昔にまで遡ります。しかし「完全な真空」が一風変わっているのは、そういった書評集だけを集めたアンソロジーを目指している点なのです... という、架空の本に対する書評を集めた本。

スタニスワフ・レムの作品を読むのは初めて。SFは苦手だし、あまり読む機会はないかなと思ってたんですが、ボルヘスの「伝奇集」(感想)を読んだ時に、これが楽しめたらぜひレムを、とオススメいただいたので読んでみました。いや、難しかった。古典文学からSFまでなんて幅広い! どんな知性の持ち主なんでしょう、レムという人は。これは私には全部は理解しきれないよ... 知力はもちろん、そこまでの読解力もまだ身についてないです。でも面白かった!
ええと、真空というのは、物質が何も存在しないという状態。なので「完全な真空」というのは、まったくの空っぽということですね。確かに存在してない本に関する書評を書くというのは砂上の楼閣のようなものだし、「完全な真空」と言えるのかも。でもこれのどこが「からっぽ」? いや、確かに「からっぽ」なんだけど。(笑)

まず面白いのは、この「完全な真空」という本そのものも、レム自身によって書評が書かれているということ。これがちょうど序文のように読めるんですけど、こういう構造(こういうのをメタって言うんですかね?)がものすごくソソるんですよねえ。そして他の書評が15冊分。その中には架空のノーベル賞授賞式での演説原稿なんかも混ざってるので、全部が全部書評というわけじゃないんですが。
私が一番好きだったのは「ギガメシュ」。これは、パトリック・ハナハンという作家が、同郷人であるジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」や「フィネガンズ・ウェイク」に対抗するかのように書いたという作品... 「オデュッセイア」は結局のところ古代バビロニアの叙事詩「ギルガメシュ」の剽窃に過ぎないと主張するハナハンは、自分なりの「ギルガメシュ」を「ギガメシュ」として書いたというんですね。ここで説明されているのは、なぜ「ギルガメシュ(GILGAMESH)」から「L」の文字を落として「ギガメシュ(GIGAMESH)」という題名とされたのか(「L」は「Lucipherus」「Lucifer」を表す... 存在はしているのだけれど目には見えない)ということに始まって、言葉遊びのオンパレード。でも単なる言葉遊びと侮るなかれ。これがもう、どこまで広がりを見せるのかと思っちゃうようなもので、すんごいツボです。「ユリシーズ」や「フィネガンズ・ウェイク」というのも、こういう作品なのかな? もしかしたら、私、好きかも? いや、もちろん、読むのは大変でしょうけど。以前から気になってたんだけど、ますます読みたくなってきたーー!
何も無いことを書き続ける「とどのつまりは何も無し」も面白いし(この「完全な真空」とちょっと似た存在ですね)、世界の古典文学をばらばらに解体して読者が好きなように再構成できる「あなたにも本が作れます」も~。コウスカ教授が自分のの出生の確率を太古の昔にまでさかのぼる「生の不可能性について/予知の不可能性について」のしつこさも楽しいです。でも、ここに書かれた書評の元になった本を実際に読んでみたいと思わなかったのは、なぜなんだろう? それはほめ言葉となるのでしょうか。それとも? このまま書かれたら、さぞすごい作品になっただろうな、というのもあるのに。(実際、書きあげるだけの能力はないが、書かないでおくのはもったいないアイディアもある、とのことでした)

いやいや、レムというのは、ものすごい人だったようですね。ボルヘスもそうだったけど、自分と同じ「人間」とはちょっと思えない... 怪物? アイディアの奔流が怒涛のように流れ出してくる人だったんでしょうね。こういう人の頭の中を覗いてみたい。「知性」が目に見えるように蠢いていそうです。今度読む時は、架空の作品への序文集だという「虚数」にしてみようと思うんですが、その前に自分の読書力をもっと鍛える必要アリ。いや、いつまで頑張っても、このレベルまでは鍛えられないかもしれないな。(国書刊行会)

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両親に言われて、東京にいる双子の妹・梢の様子を見に行くことになった翠。梢はプロのヴォーカリストになるのだと高校卒業と同時に岩手を出て、遠距離恋愛中だった恋人の家に転がり込んだのです。翠は行く前に福田パンに寄り、2人とも大好きなあんバターを、梢の恋人の分も合わせて3個買って行くことに... という「福田パン」他、全6編の短篇集。

高校に入学する年に一家で岩手に引っ越して以来、大学も就職も地元の翠と、高校を卒業してからは東京にいる梢。一卵性双子で顔はそっくりなのに、性格はまるで違う2人をめぐる連作短篇集。
穏やかな落着きを持つ翠と、華やかで奔放な梢。対照的な双子のうち、私は翠に惹かれながら読み進めたんですが、やっぱりそういう人が多いのかな? この短篇集全体にも、翠の穏やかな落着きが漂っているようです。高校時代は梢にかかってくる電話の方が圧倒的に多かったそうだし、2人が一緒にいたら、パッと目立つのは梢のはず。2人が別々にいる時も、翠のことを梢だと思って話しかける人が多かったんじゃないかしら。翠自身は、自分が物語の主役となるタイプだなんて思ったこともないだろうし、もしかしたらそれが密かにコンプレックスに繋がってたなんてこともあるのかも...。翠が岩手に残ろうと思ったのは、もしかしたら梢が東京に憧れるのを間近で見ていたからなのかもしれないですよね。
でも、華やかさでは梢に負けているように見えても、翠の地に足のついた誠実さや、和やかな優しさは、人々をほのぼのと心地よい気持ちにさせるもの。一緒にいて安らぐのは、やっぱり梢よりも翠のはず。そしてそれこそが、そのまま故郷という言葉が持つイメージなのかも、なんて思ったりもします。この作品に登場する人たちは、みな自分の「故郷」を探しているように感じたんですが... 生まれ育った懐かしい場所というだけではない、自分の居場所という意味での「故郷」を探しているような気がしたんですが、翠はその「故郷」の象徴のような存在なのかもしれません。

盛岡や花巻には1度だけ行ったことがあるんですけど、その時にこの本がまだなかったのがとっても残念。福田パンも行ってみたいし食べてみたいし、イギリス海岸にも光原社の中庭にも行ってみたいし、じゃじゃ麺も食べてみたい! そして、宮沢賢治記念館にも行ってみたい! 「イーハトーヴ短篇集」という副題通り、この本全編には宮沢賢治の存在感が漂ってます。賢治作品を知らなくても、読むのには全然問題ないんですが、知っていればこの作品の深みが一段と増すような気がする... その辺りがなんだかうまいなあ、匙加減が絶妙だなあ、なんて思います。(メディアファクトリー )

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4月のある朝の6時頃。町中へと向かう始発バスを待っていた人々は、ふと空を見上げて驚きます。そこには暗い色をした巨大なまる物体が雲のようにじっとしていたのです。「火星人だ!」という叫び声がきっかけとなって辺り一帯は大騒ぎになり、非常事態宣言が発令されることに。その頃、ニュータウンの第五区のマンションのメレッティさんの家でも、宿題をするために早く起きたパオロが空に浮かぶ物体を見つけ、慌てて妹のリタを起こしていました。しかしその時2人のいるベランダに何かが落ちてきたのです。それはとても美味しいチョコレートの固まりだったのです。

これは1966年、ロダーリがローマのトゥルッロというニュータウンにある小学校で、4年生の生徒たちと作ったお話なのだそう。道理で、いつも以上に子供たちが大活躍しているわけですね~。そして中心となるのは、とっても美味しそうなケーキ。チョコレートやマジパン、パイ生地、干しブドウ、砂糖づけシトロン、生クリーム、アーモンド菓子、砂糖づけのさくらんぼ、マロングラッセ、クルミやハシバミの実、アイスクリーム... ザバイオーネ、ロゾリオ酒やマルサラ酒といった辺りは実際には見たことがないんですが、イタリア語って、もう本当にどれもこれも美味しそうな気がしてしまうのはなぜなんでしょう。(笑)
楽しいながらも、純粋なロダーリの作品に比べると面白さは少し落ちるかも... とも思ってしまったんですが、それでもロダーリらしさはたっぷり。ケーキにことよせた世界平和へのメッセージもロダーリらしいところですね。子供たちの柔軟な発想とシンプルな知恵に、頭の固い大人たちがすっかり負けているという図には、時には物事を小難しく考えるのをやめて、あるがままを受け入れてそのまま楽しもうよ、と語りかけられているような気がします。

この本は「イタリアからのおくりもの 5つのちいさなファンタジア」という叢書の中の1冊。他の4冊は「木の上の家」ビアンカ・ピッツォルノ、 「ベネチア人にしっぽがはえた日」アンドレア・モレジーニ、「ドロドロ戦争」ベアロリーチェ・マジーニ、「アマチェム星のセーメ」ロベルト・ピウミーニ。どれも楽しそうだな~。(汐文社)


    


+既読のジャンニ・ロダーリ作品の感想+
「猫とともに去りぬ」ロダーリ
「チポリーノの冒険」ジャンニ・ロダーリ
「うそつき国のジェルソミーノ」ジャンニ・ロダーリ
「パパの電話を待ちながら」ジャンニ・ロダーリ
「空にうかんだ大きなケーキ」ジャンニ・ロダーリ

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西洋の文化を理解するためには欠かせないと言われている聖書の知識。しかし天地創造を扱う創世記はともかく、読みづらい部分も多いのです。キリスト教の信者ならともかく、あまりキリスト教との接点がない人間にとって、聖書を最初から最後まで読み通すのはとても大変なこと。そんな読者向けの聖書の解説本。枝葉末節は切り捨てて、有名なエピソードに絞って紹介していきます。

大学に進学する時にも、外国の文学を学ぶつもりなら聖書とギリシャ神話だけは読んでおきなさい、と学校で言われたんですよね。幸いギリシャ神話は子供の頃から好きだったし、聖書も、こちらは別に好きだったわけじゃないんですが(笑)カトリック系の学校に長く通っていたので、比較的読んでいる方。全部きっちり読み通してるわけじゃないけど、旧約聖書は物語として面白いですしね。あとは新約聖書の黙示録とか。なので、それほど初心者というわけじゃないんですが... ギリシャ神話関連の本では阿刀田さん独自の視点が楽しかったし! そちらを読んだ時に、この「旧約聖書を知っていますか」が良かったと教えてもらったので、さっそく読んでみました。
阿刀田高さんのスタンスは、1人の異教徒として、気楽な雰囲気で聖書を分かりやすく読み解いてみた、というもの。そのスタンスというか距離感が、読んでいてまず心地良かったです。やっぱりこういう宗教がらみの本は何かと難しいから... 信仰心が篤い人だと、深く踏み込めるでしょうけど、初心者向けの本じゃなくなっちゃいそうだし、一般の人のために解説するんなら、あまり信仰を持っていない人の方が客観的な態度をとれていいかもしれないですね。

聖書の中のエピソードに関しては、既に原典を知っている分、特に目新しいものはなかったんですが、それでもすごく久しぶりだし~。やっぱり阿刀田さん独自の視点が面白かったです。長年読んでいながら気がつかなかった矛盾点もあったし... たとえば創世記の最初のところで、6日目にもう男と女を作ってしまってたってほんと?! アダムが生まれて、その肋骨からイブ、と思い込んで読んでたから、こんな基本的なところにも気づいてなかったわ! そして創世記がイスラエルの民族にとっての神話だという話のところで、素人の推測と断りながらも書かれている文章に説得力がありました。

神話というものが歴史の中に入り込むのは、たいてい王国が隆盛を極めた時である。周囲の群雄勢力を平定し、強力な王国が誕生して、権勢ゆるぎない王が君臨すると(中略)その礎の確かさを文献として書き残したくなる。つまり神から与えられた王座なのだということを、あと追いの形で記録したくなる。

確かにそうなんだけど! 普通の神話を読んでる時はそういうのも当然頭にあるわけなんですけど、聖書に関しては全然考えたこともなかったなあ...。なるほど。身近にありすぎて気付かなかったわー。やっぱり時には一歩引いて眺めてみることが必要ですね。様々なエピソードの整合性のなさに関しても、いくつもの民族の持つ英雄譚や伝承が交錯して、聖書の中に吸収されたせいだと言われてみるとあっさり納得できますしね。そうか、聖書も普通の神話と何も変わらないんだなー。(笑)(新潮文庫)


+既読の阿刀田高作品の感想+
「新トロイア物語」阿刀田高
「ギリシア神話を知っていますか」「私のギリシャ神話」阿刀田高
「ホメロスを楽しむために」阿刀田高
「旧約聖書を知っていますか」阿刀田高

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ギリシャ軍によるトロイ城包囲が7年過ぎた頃。アガメムノンやユリシーズたちは、ギリシャ軍の華・アキリーズを戦場に駆り立てようとしていました。しかし自分の力や名声に酔いしれ、すっかり高慢になっていたアキリーズは、毎日パトロクラス相手にふざけたり、アガメムノンらを嘲るばかり。なかなか戦争に参加しようとしないのです。そんな時、トロイ軍の将軍・イーニーアスがギリシャの軍営を訪れます。それはプライアム王の息子であり、トロイ軍の大将であるヘクターからの一騎打ちの申し出。ユリシーズの提案でヘクターの相手に決まったのは、エージャックス。そしてその頃、パリスの弟のトロイラスは、クレシダに一途に恋をしており、クレシダの叔父であるパンダラスに仲を取り持ってくれるよう頼んでいました。

ギリシャ・ローマ時代の神話や出来事を題材に取ったような後世の作品で何が困るって、人名が違ってしまうこと。先日ラシーヌの戯曲を読んだ時も、「フェードル」がパイドラのことで、「アンドロマック」がアンドロマケーのことで、なんてところで苦労したんですが、こちらもそうでした。トロイラスやクレシダ、アガメムノンはまあいいとして、ユリシーズはオデュッセウス、アキリーズはアキレウス、エージャックスは大アイアース。プライアム王はプリアモス王、ヘクターはヘクトル、イーニーアスはアイネイアースのことなんです。確かにシェイクスピアは英語で書いてるから、私が馴染んでいるギリシャ語読みとは違っていても仕方ないんですが...。英語読みだと軽いですね。なんだか調子出ないなー。(笑)
でも、シェイクスピアの戯曲の中ではかなり評価が低い作品のようなんですけど、人名がきちんと飲みこめてしまえば、これが結構面白く読めました。まず可笑しかったのは、ヘクターと戦うことが決まったエージャックスを、ユリシーズやアガメムノン、ネスターやダイアミディーズがおだてつつ、実は虚仮にしているところ。そしてギリシャ陣営にやって来たクレシダをギリシャの将軍らが歓迎しているところ。これはどっちも日本語で読んでも笑えるような訳になってるんです。読みながら思わずくすくす笑いが漏れてしまったほど。訳者の小田島雄志さん、スゴイ!

この作品では「トロイの城壁が七年にわたる包囲にも屈せず」とあるんですが、アキリーズがアガメムノンに対して怒っているので、おそらくホメロスの「イーリアス」と同時期の話なんでしょうね。(「イーリアス」はトロイ戦争の10年目) この「トロイラスとクレシダ」はタイトル通り、トロイの王子・トロイラスと、トロイの神官でありながらギリシャに寝返った神官カルカスの娘・クレシダという2人の悲恋物語ではあるんですが、それと平行して進んでいくのはトロイ戦争の顛末。というか、むしろ戦争の方が比重としては重いかもしれません。戦う気をまるで失っているアキリーズを、それと悟らせないように遠回し遠回しに戦場に引っ張り出すユリシーズの知略の物語。戦争ばかりだと観てる人が飽きてしまうだろうからと、ちょっと恋物語を入れて潤わせてみましたーという感じ?
人物の造形は、ホメロスの「イーリアス」とは、結構違ってました。一番目についたのは、ユリシーズに対するアキリーズの態度。「イーリアス」では、アキリーズはアガメムノンに対しては敵意を燃やしながらも、ユリシーズに対して敬愛の情を示してたんですよね。アガメムノンが折れて出た時も、ユリシーズが仲介役となったほど。でもこっちの作品でのアキリーズは、親友のパトロクラス以外の人間は全て見下してるんです。ユリシーズのことも。しかもアキリーズがヘクターを討ち取る場面が! これはないだろうという卑怯なやり口なんです。それまでのギリシャ陣営とヘクターの正々堂々としたやり取りからすると考えられなーい!

でも、やっぱり評判があまり高くないだけあって、ちょっと不思議な作品でもありました。それは、唐突に終わってしまうこと。ここで終わる? これから後はどうするの? もう呆気にとられてしまうような幕切れ。これは一体何だったんだーー。この作品は、シェイクスピアの作品の中でも「問題劇」という扱いをされてるそうなんですが、それも納得。現代の小説でも、ここまで読者に丸投げの作品はあんまりないんじゃないかしら。それに一応悲劇に分類される作品のようなんですが、とてもじゃないけど悲劇とは思えません。確かに愛は破局を迎えるんですけど、それでもこれって喜劇なんじゃ...?

シェイクスピアの作品に先んじて、チョーサーも同じ題名の作品を書いてるんですよね。日本では「トロイルス」という題名で訳されているようです。こちらではクレシダの造形がかなり違うようなので、そちらもぜひ読んでみたいなあ。そして「イーリアス」と並んでトロイ戦争についての筋の主な材源となっているという、ジョン・リドゲイド「トロイの書」、ウィリアム・キャクストンの「トロイ史集成」、チャップマン「イリアッド」も読んでみたいです... が、この3つは、どうやら日本語には訳されてないみたい... 残念。(白水uブックス)


+既読のシェイクスピア作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「ジョン王」ウィリアム・シェイクスピア
「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」シェイクスピア
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治
「マクベス」シェイクスピア
「トロイラスとクレシダ」シェイクスピア

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