Catégories:“2009年”

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紀元前31年9月。アクティウムの海戦でアントニウスとクレオパトラの連合軍は敗北し、翌30年8月、エジプトに逃れていた2人は相次いで自殺。そして勝者となったオクタヴィアヌスはローマで3日間にわたる壮麗な凱旋式を行うことに。戦いの神・ヤヌスを祭る神殿の扉も閉ざされ、ヴェルギリウスやホラティウスといった詩人たちも平和への喜びを高らかに謳い上げ... この時、オクタヴィアヌスは34歳を迎えていました。

カエサル死後のローマを制した、ローマ初代皇帝・アウグストゥスを描く巻。
天才肌のカエサル亡き後、冷静沈着なアウグストゥスがいかに王政を嫌うローマ人の反感を買わずに、共和制のローマを帝政に変えていったのか、というのが興味の焦点。自分が持っていた非常時の権力を返上して、元老院に権力を取り返させるように見せておいて、巧妙に自分の地位を固めていくアウグストゥス。細かいことを1つずつ、決して焦らず、時期を見計らって着実に実行していくアウグストゥス。「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと思う現実しか見ていない」というのはカエサルの言葉ですが、アウグストゥスが選んだのは、見たいと欲する現実しか見ない人々に、それをそのまま見せるやり方。元老院も民衆もアウグストゥスが巧妙に作りかえていく社会を、これこそ自分たちの求めるものだと勝手に思い込んでたってことなんですねえ。カエサル自身が目指していたこととはいえ、実はこういった仕事ってカエサルよりもアウグストゥスの方が向いてたんじゃないかしら。カエサルだと弁舌さわやかに相手を言いくるめてしまいそうですけど、目立って仕方ないですものね。そのことからも、カエサルの人選は万全だったんだなあと改めて感じさせられます。カエサルの持つ華はアウグストゥスにはないんですけどね。文才もなく、弁舌の才能もなかったアウグストゥス。でも使う言葉は決して間違えなかった、というのがとても印象に残ります。

でもね、学生時代、毎年クリスマスになると行事で暗誦させられてた聖書のキリストの生誕場面にの最初に「そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリアの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。」というのがあって(ルカによる福音)、そろそろキリストが生まれるんだなーなんて思いながら読んでたんですが、16巻を読んでみると、紀元元年前後に国勢調査が行われたという事実はなかったんですって。びっくり! すっかり事実なのかと思い込んでましたよー。

それにしても... 16巻だけ書影が色褪せてキタナイ感じなのはなぜ?(笑)(新潮文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ローマ人の物語 ローマは一日にして成らず」1・2 塩野七生
「ローマ人の物語 ハンニバル戦記」3~5 塩野七生
「ローマ人の物語 勝者の混迷」6・7 塩野七生
「ローマ人の物語」8~10 塩野七生 「ガリア戦記」カエサル
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前」8~10 塩野七生(再読)
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以降」11~13 塩野七生
「ローマ人の物語 パクス・ロマーナ」14~16 塩野七生
「ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち」17~20 塩野七生
「ローマ人の物語 危機と克服」21~23 塩野七生
「ローマ人の物語 賢帝の世紀」24~26 塩野七生
「ローマ人の物語 すべての道はローマに通ず」塩野七生

+既読の塩野七生作品の感想+
「コンスタンティノープルの陥落」「ロードス島攻防記」「レパントの海戦」塩野七生
「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」塩野七生

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1949年10月。19歳のフランク・マコートは船で単身ニューヨークへと向かいます。船の食堂で隣席に座った司祭は、アイルランド出身ながらもロサンゼルスの教区に長いため、アイルランド訛りがほとんど消えているような人物。その司祭に、同じ船に乗り合わせているケンタッキーのプロテスタントの老夫婦はとてもお金持ちなので、愛想良くしておいた方がいいと言われるフランク。しかし顔はにきびだらけで目は爛れており、歯は虫歯でぼろぼろのフランクには、司祭とも満足に話せない状態なのに、老夫婦の前でどうやって振舞ったらいいのかまるで分からないのです。

「アンジェラの灰」の続編。アイルランドから憧れの地・アメリカに脱出しても、なかなか簡単には上手くいかないのは予想通り。しかしアイルランドのリムリックにいる家族は、フランクがアメリカでそこまで苦労しているなんて夢にも思わず、その送金をすっかり当てにしているというのも予想通り。アンジェラ自身、アメリカで上手くいかずに結局アイルランドに戻る羽目になったはずなのに、覚えてないのかな... きちんきちんと送金してるのにそれ以上要求されるとことか、ちょっといやーん。
でもこの「アンジェラの祈り」は、「アンジェラの灰」のように不幸が雪だるま式に膨らんでいく話というわけじゃないんですね。フランクはちゃんと仕送りしてるし、空腹でも何があっても、行き倒れになるわけじゃないんですよね。すっかり不幸な話を読んでるつもりになってたら、リムリックでは新しい服や靴を買うことができてるどころか、新しい家に移ることになってびっくり。そ、そうだったのか。フランクの暮らしも、ほんの少しずつではあっても上向きになっていきます。金持ちにはほど遠くても、きちんきちんと食べていくことのできる暮らし。もちろん、実際には並大抵の苦労ではなかったんでしょうけど... しかも別に私は不幸な話を読みたいわけではないんだけど(むしろそういう話は苦手だし)、なんだか釈然としないものを感じてしまいました...。自分のアイルランド訛りや爛れた目、ぼろぼろの歯にコンプレックスがあって、この世の中で一番不幸そうに振舞っているフランクでも、大学に行くこともできれば、美しい女の子と恋愛することもできるようになるんですもん。いずれにせよ、「アンジェラの灰」の時のようなどうしようもない、出口のないやるせなさはありません。まあ、この人生が最終的にハッピーエンドで終わるのかどうかは、まだまだこれからのフランク次第なんですけどね。
「アンジェラの灰」の灰の意味も、この作品で分かります。でも、そういう意味でも書かれるべき作品だったんでしょうけど、前作の方が力強くて惹きこまれたかも...。前作はそれだけで光ってたけど、こちらは前作あってこその作品なんですよね。(新潮クレストブックス)


+既読のフランク・マコート作品の感想+
「アンジェラの灰」上下 フランク・マコート
「アンジェラの祈り」フランク・マコート

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ダブリン大学を卒業後、音楽者を目指してドイツに行き、作家に転向しようとしてフランスに行ったというシング。ラシーヌに傾倒していたシングにイェーツが勧めたのは、アラン島を訪れること。シングはその勧めに従って1898年5月から1902年までの間に4回に渡ってアラン島に滞在して土地の人々にゲール語を習い、その土地に伝わる伝説や迷信を聞くことになります。これはその4回に渡るアラン島滞在記。

アラン島はアランモア(北の島)、イニシマーン(中央の島)、イニシール(東の島)という3つの島から成り立っていて、シングはその3つの島にカラハ(土地の人間の乗る小舟)で行き来しながら、島民の家に滞在してアイルランド語やゲール語を習い、土地の老人たちに様々な話を聞く日々。島の人々との生活ぶりが飾らない筆致で描かれていきます。最初は余所者扱いで少し距離があったんでしょうけど、徐々に島の生活に馴染み、島民と親しくなっていくシング。
ここに書かれているのは、ほぼ100年前の生活なんですが、私が以前からアイルランドという土地に対して持っていたイメージそのまま~。土地はあっても肝心の土があまりないから、土を大切に掘り出して砂と海草を混ぜて、平たい岩の上一面に広げて、そこでじゃがいもの栽培をするんですよ! 大変そうー。でも島の人々は素朴で暖かくて、自然体。ケルトの民話や妖精譚が自然に生活の中に息づいているのがとても素敵。島のおじいさんからも、後から後から妖精の話が出てきますしね。ここに出てくる妖精譚には既にどこかで読んだ覚えがあるものも多くて、この作品から知られるようになった物語もあるのかも? それにイェーツ辺りも同じように話を採取してたんでしょうね。そしてこの生活の中で得たものは、シングの戯曲の中で見事に実を結んでいるのだそう。そちらも読んでみたいな。
ただ、私が読んだこの岩波文庫の姉崎正見訳は最近復刊したものなんですけど、昭和12年当時の旧字・旧かな遣いのままなんですよね。みすず書房の栩木伸明訳の方が読みやすいのではないかと思います... この栩木伸明さん、「琥珀取り」「シャムロック・ティー」の方なので、読みやすさは間違いないかと。(岩波文庫)


+既読のシング作品の感想+
「アラン島」シング
「シング戯曲全集」ジョン・M・シング

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全6章でロシア人にとっての死生観や異界について語っていく本。
第1章 「この世」と「あの世」のしきい ... ロシアの農民への死の予告や死の迎え方、戻ってくる死者について
第2章 家の霊域に棲むもの ... ロシアの家の隅にしつらえられる祭壇やペーチカ、家神・ドモヴォイについて
第3章 ロシア・フォークロアにおける「死」の概念 ... 民族宗教詩や昔話の中の死
第4章 「聖なるロシア」の啓示 ... 民族宗教詩「鳩の書」について
第5章 ロシア的終末論 ... 反キリストについて
第6章 天国と地獄の幻景 ... スラブ神話における宇宙の成り立ち

ロシアの農民たちにとっての死や、ドモヴォイやペーチカについて書かれている最初の2章は具体的なエピソードが多いし、とても興味深いです。こういう土着の習慣や信仰というのは、ロシア文学を理解する上でも重要なポイントになるのかもしれないですね。そして第3章・第4章に出てくる民族宗教詩というのも全然知らなかったので、そういうのもとても勉強になりました。
でも私が個人的に一番読みたかったのは、キリスト教が入ってくる以前の純粋なスラヴ神話に関する第6章。そういう話はあんまり載ってないのかなーとちょっと諦め気味になってたので、これが本当に嬉しかった! 古代スラヴ人がそういった神話を書き残すすべを知らなかったために、その多くは失わせてしまっているというのが、ものすごく残念。でも少なくとも、古代スラヴ人は宇宙を巨大な卵として捉えていたようです。「宇宙卵」を産んだのは、世界を創造したと言われる2羽の「宇宙鳥」。

宇宙卵の殻は天、薄皮は雲、白身は水(大海)、黄身は地、である。黄身(地)は白身(水)に囲まれた形で卵の真ん中に浮かんでいる。黄身の上方の部分は人間の住む世界であり、下方は黄泉の国、死者たちの世界である。黄泉の国へ行くには、地を取り囲んでいる大海を越えて行かなければならない。あるいは深い井戸を掘って地を貫いて行かなくてはならない。

地(地上界と地下界を含む)と九つの天は一本の「世界樹」(「宇宙樹」)によって繋がれている

「世界樹(宇宙樹)と」いうのが面白いですね。これは北欧神話と同じ。しかも北欧神話でも、世界の数は全部で9つ。民族が違えば、たとえ住んでいる場所が距離的に近くても、まるで違う世界観を持っている方が普通なのに、この共通点は興味深いです。あと他の章にあったんですが、古代スラヴ人は、死ぬとみな卵とかガラスのようなつるつるとした高い山を登らなければならないと信じてたそうなんですね。そういう話も実際、北欧の民話を集めた「太陽の東 月の西」に載ってたし、思ってる以上に共通点がありそう。ああ、もっとこういう話が読みたいー。(岩波新書)

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未来に残したい文学遺産を紹介する、という趣旨のTOKYO FMのラジオ番組「Panasonic Melodious Library」を書籍化したもの。共通点は「文学遺産として長く読み継がれてゆく本」という一点のみで、古今東西の文学から様々な作品が選ばれています。そして本を選ぶ時に最も配慮したのが季節感だったそうで、そのまま春夏秋冬の4つのブロックに分けて、全52作が紹介されていきます。

国内外を問わず様々な本が、小川洋子さんの柔らかで穏やかな語り口で紹介されていくのが素敵です~。有名な本が多いので、本好きさんにとっては「あ、知ってる、それ読んだ」という本も多いでしょうし、読んでなくても題名は知ってる、という本が多いはず。私自身も既読の本がすごく多かったんですが、それでも色々な発見がありました。
例えば「秘密の花園」や「モモ」みたいに、私自身子供の頃に大好きだった本で、比較的最近に読み返している本は、小川洋子さんの書かれていることがほんと「分かる分かる、そうなのよね」という感じだし、例えば「ラマン」や「悲しみよ こんにちは」みたいに、まだ小娘(笑)だった頃に読んだきりの本は、今の自分ならどう読むのかなと思って新たに読み返したくなったし... この手が一番多いかも。(笑) そして気になりつつも何となく読んでいなかった作品は、私も読んでみたくてうずうず。
どれも印象的だったんだけど、特に印象に残ったのは「アンネの日記」でしょうか。小川洋子さん自身、アンネと同世代の中学の頃に読んだ時はあまりピンと来なくて、でも17~18歳の頃に読んだ時にはすっかり引き込まれたのだそう。ああ、分かる...! 私も、外国の女の子は日本の女の子よりずっと大人だとは聞いてたけど、これほどだったのかーなんて思った覚えがあります。(私自身が標準よりも子供っぽかったせいもあるんだけど) そしてアムステルダムのアンネの隠れ家を訪ねた時のエピソードに、小川洋子さんの思い入れがしみじみと感じられました。あと、小川洋子さん自身が母としての視点で読んでらっしゃる部分もとても印象に残りました。「窓ぎわのトットちゃん」のお母さんのはからい、「銀の匙」の伯母さんの包み込むような暖かさ、「流れる星は生きている」の最後の母親の安堵などなど。

斬新で鋭い視点に感服させられるというのではなくて、同じ感じ方に共感したり、また新たな一面を教えてもらったりという、もっと身近で親しみやすい読書案内。小川洋子さんご自身の立ち位置が、読者ととても近いのがいいんですよね。1人の作家としての視点もとても興味深いものでしたが、作家である以前に1人の読者として本を楽しんでらっしゃるのがとても伝わってきます。そして、長く残っていく文学作品というのは様々な面を持っているもの。同じ人間が読んでも、経験値や立場の変化でその都度新たな発見があるもの。だからこそ、その作品は時代を超えて残っていくんだと思います。私も小川洋子さんのように、そういった文学作品とは息の長い付き合いがしたいな、と改めて感じました。
ラジオでは紹介した本に因んだ楽曲を3曲ずつ放送していたのだそうで、その曲の一覧も巻末に紹介されてました。これまた多岐にわたったジャンルから選曲されていて、ちょっとした意外性が楽しいです。(PHP新書)


+既読の小川洋子作品の感想+
「寡黙な死骸 みだらな弔い」小川洋子
「沈黙博物館」小川洋子
Livreに「偶然の祝福」「博士の愛した数式」の感想があります)

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昇天祭の日の午後、大学生のアンゼルムスがエルベ川のほとりの接骨木(にわとこ)の木陰で自分の不運を嘆いていると、そこにいたのは金緑色に輝く蛇が3匹。アンゼルムスはそのうちの1匹の美しい暗青色の瞳に恋してしまいます。それはゼルペンティーナでした... という「黄金の壺」。そして「マドモワゼル・ド・スキュデリ」「ドン・ファン」「クライスレリアーナ」からの抜粋。

先日読んだ昭和9年発行の「黄金寳壷」では面白味が今ひとつ感じられなくて、好きなモチーフのはずなのにおかしいなあーと思っていた「黄金の壺」なんですが、こちらはとても面白く読めました。やっぱり私自身のせいだったのね。きちんと読み取れてなかったのか...! 解説にもありましたが、昇天祭という普通の日、ドレスデンという普通の町に、するりと摩訶不思議なものを滑り込ませてしまうのがいいんですよね。現実と相互に侵食しあう夢幻の世界を描くホフマンの作風。もしかしたら「むかしむかしあるところに」が主流のこの時代、こういう作風って画期的なものだったのかも。

そして「マドモワゼル・ド・スキュデリ」は、「スキュデリー嬢」でいいのにと思いつつ... 基本的には最初に読む訳の方が印象が強いですね。こちらで新たに読んだのは「ドン・ファン」と「クライスレリアーナ」。「黄金の壺」のリベンジとはいえ、この本を読む決め手となったのは、この「クライスレリアーナ」なのです。だってシューマンのピアノ曲「クライスレリアーナ」大好きなんですもん~。いつかは弾いてみたい曲。「クライスレリアーナ」とは「クライスラーの言行録」といった意味なんだそうで、失踪した楽長・ヨハネス・クライスラーの書き残した断片集という体裁。このヨハネス・クライスラーという人物はまるでホフマンその人のようで、特にこの中の「音楽嫌い」という掌編は、実際にこういう出来事が少年時代にあったんだろうなと思わせるところが楽しいです。

古典新訳文庫では、使われている日本語が軽すぎてがっかりさせられることも多いんですが、この本は良かったです。「モモ」を訳してらっしゃる大島かおりさんなので大丈夫だろうとは思ってましたけどね。訳者あとがきに「新しさ」に拘りすぎずに自分の言語感覚を頼りに訳したということ、そして「ホフマンの作品は十九世紀初葉に書かれたものですから、その文体や語彙が古くさいのは当然です。でもその古さをなるべく大事にして、その大時代な雰囲気を殺さないようにしたい」と書かれていました。まあ、「黄金の壺」は「です・ます」調なので、そういうところが読みにくく感じられてしまう方もいるかもしれませんが...。(この「ですます調」も大島さんなりの理由があってのこと) 他の作品もこういったスタンスで訳されていれば、新訳文庫にももっと好感が持てると思うんですけどねえ...。(光文社古典新訳文庫)


+既読のホフマン作品の感想+
「クルミわりとネズミの王さま」ホフマン
「悪魔の霊酒」上下 ホフマン
「黄金の壷」「スキュデリー嬢」 ホフマン
「ホフマン短篇集」ホフマン
「黄金の壺/マドモワゼル・ド・スキュデリ」ホフマン

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8歳の時にケニアの北の海辺に移り住んだ盲目の老貝類学者は、小さな海洋公園でひたすら研究を続ける日々。しかし2年前、その生活に予期せぬねじれが出来たのです。老貝類学者の生活に迷いこんできたのはアメリカ人のナンシー。日射病にやられて錯乱していた彼女が貝の毒によって全快してしまうと、それを知った人々が老貝類学者のもとに押し寄せて... という「貝を集める人」他全8編の短編集。

まるでアリステア・マクラウドとかベルンハルト・シュリンクとか、そういうある程度以上の年齢を重ねた人の書いた作品のような雰囲気なんですが、これがまだ20代の新人作家の作品だと知ってびっくり。アメリカの大学院の創作科出身という、いまどきの作家さんのようです。
ここに描き出されているのは、アメリカはもちろんのこと、ケニアやタンザニア、リベリアといったアフリカの自然の情景だったり、北欧の原野だったり... 様々な自然の情景が描きあげられていました。大きく静かな自然の圧倒的な美しさと厳しさ、そしてもっと身近にある小さな自然のさりげないけれど確かな美しさ。自然に畏怖を感じたり、愛情を感じながら、寄り添って生きる人々の姿。これらの人々に共通するのは、深い喪失感。どれほど大事にしていても、大切な物が指の間からすり抜けて落ちていってしまう哀しみ。でも確かな希望もそこにはあるんですよね。
特に印象に残ったのは、上にあらすじを書いた「貝を集める人」と、あと「ハンターの妻」。「貝を集める人」での、盲目の老貝類学者が少年の頃に初めて貝の美しさに開眼した場面や、現在の「貝を見つけ、触れ、なぜこれほど美しいのか言葉にならないレベルでのみ理解する」のがいいんですよねえー。目は見えなくても、貝類の美しさを全身で感じ取っている、むしろ目が見えていた時よりもはっきりと見て取っている老貝類学者。色んな貝の美しさや怖さが伝わってきました。そして「ハンターの妻」は、山の中で狩猟のガイドとして暮らす男と、死んでいく生き物の魂を感じることができる妻の物語。2人が暮らしていた冬の山の情景がとても印象に残ります。冬眠する動物たちの美しさ、そして簡単に凍死・餓死させられてしまう冬の厳しさ。そしてそんな現実の情景とは対照的な、彼女の感じ取る幻想的な魂の情景。命が身体の中から外に流れ出る時に見えるのは、とても美しくて豊かで、暖かい情景なんです。この「ハンターの妻」や「ムコンド」はどちらも、まるで違う存在だからこそ惹かれ合い、でもまるで違う存在だからこそ同じ場所では幸せにはなれない夫婦を描いた物語なんですね。哀しい話なんだけど、素敵でした。(新潮クレストブックス)

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