Catégories:“2009年”

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「うちの娘は藁から金糸を紡ぐことができます」と言ったことが王様の耳に入ったことから、窮地に陥った貧しい粉屋の娘は、城の一室に藁の山とともに閉じ込められ、3度謎の小人に助けてもらうことに... というのはグリム童話のルンペルシュティルツキンの物語。しかし、そもそも金糸を紡ぐことができるのなら、粉屋は貧しいはずがないのです。そんなヴィヴィアン・ヴァンデ・ヴェルデの疑問から生まれた6つの「ルンペルシュティルツキン物語」のバリエーション。

なぜこの物語を書こうと思ったか、というまえがきからして面白いです。昔話というのは矛盾があるもので不条理なもの、と子供の頃から悟ってたし、そういうものとして読んでたんですが、改めてその矛盾点を突かれるととっても新鮮。なぜ王様と貧乏な粉屋が話をすることになったのか、金が紡ぎだせるというのに粉屋が貧乏なままなのを王様は疑問に思わなかったのか、金を紡ぐことなど出来もしないのになぜ粉屋は娘を城に送り出してしまうのか、小人は自分で金糸を紡ぎだせるのになぜ報酬として金の指輪とネックレスを受け取るのか、なぜ小人は子どもを欲しがるのか、なぜ名前当てゲームという小人が一方的に不利な取引をすることになるのか、などなど。
「ルンペルシュティルツキン」と同じパターンの「トム・ティット・トット」をファージョンが語りなおした「銀のシギ」は子供の頃に本を持ってましたが(祖母の家に置いてるので、今もありますが)、こんな風に一度に6つも読めちゃうというのがすごいです。基本ラインが同じである程度の枠があるからこそ、そのバリエーションに作者のセンスが出るし、違いが際立ちますね。6つの物語に登場するのは、賢い娘だったり馬鹿な娘だったり、人の言うことを聞こうとしない娘だったり、強引な娘だったり。それに合わせて王様や粉屋、そしてルンペルシュティルツキンの造形もがらっと変わります。そのバランスが絶妙なんですね。それぞれに可愛らしくて良かったんですが~、この6作品の中では私はロマンティックな「藁を金に」が一番好きだなあ。ルンペルシュティルツキンも一番素敵ですしね。でも「金にも値する」の王様の鮮やかな処理も皮肉たっぷりでなかなかカッコいいです。こういう王様って素敵。ふふふ。(創元ブックランド)

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妹のマラーが亡くなった知らせに、サラの母・マリアムは嘆き悲しみます。ロンドンに住むマリアムは、テヘランに住むマラーに1年以上会っていなかったのです。マラーの夫が既に再婚していたこともあり、マラーの一番下の息子のサイードがロンドンへとやって来て、15年前にサラが家を出るまで使っていた部屋に落ち着くことに。しかしサイードは学校に通い始めるたとたん、いじめられ始めていました。授業時間中にショッピングモールで途方にくれていたサイードは警察に保護され、サラとマリアムは迎えに行くのですが、その後入ったパブでマリアムはサイードにいきなり平手打ちを食らわせます。店を出ると橋から飛び降りようとするサイード。そしてサイードの身体を引き戻そうとしたサラは腹部を蹴られ流産。ショックを受けたマリアムはしばらくイランへと帰ることに。

「ずいぶん長いあいだ二つの場所のあいだにいたような気がする」というマリアム。彼女の中にあるのはロンドンでの現在とイランでの娘時代。そしてイランを知らない娘のサラ。2人の物語が交互に進んでいきます。
青いタイルを並べたような表紙が印象的な本ですが、サフランといえば赤。サフランを使った料理は黄色くなりますけど、サフランのめしべ自体は赤。キッチンの壁を塗ろうとした時に、サラとサイードが2人でサフランの色を表現し始める場面が素敵。「夕焼けみたいに真っ赤」「切り傷つくっちゃったときの血の色」「お母さんの指先についたヘナ」「トルバートゥの土か、ゴセマールバートの土」「溶岩の色」「水ギセル(フーカ)の燃えさし」「ケシにザクロ」... どの表現からも想像できるのは深い赤。サフランの赤は、きっとイランの赤なんでしょうね。

でも半分はイギリス人でイランには行ったことのないサラでも、そんな風にサイードと色の感覚を共有できるのに、マリアムはイギリス人の夫・エドワードとは言葉も記憶も分かち合えない夫婦だと感じてるんです。長年の夫婦生活の中でエドワードの穏やかさにきっと何度も救われてるでしょうに...。妻であり母である前に1人の人間、というのは誰にでもあると思いますが、マリアムはその傾向が人一倍強いです。普通だったら、年齢を重ねるにしたがって、石の角が少しずつとれていくような感じになりそうなものなんですが、マリアムの場合は革命で肉親を失ってるし、祖国から遠く隔てられてしまうことによって、そういう感情が人一倍強く残ってしまったのかも。でも、イランで一般的に女性が求められる役割を拒否することによって、マリアム自身が彼女の横暴な父親そっくりの人間になってしまったように感じられるのが皮肉です。...で、そういった昔ながらのイランの家族のあり方などもとても興味深く読みました。これを読むと、先日読んだ「テヘランでロリータを読む」は、やっぱり浅かったように思えてならないなあ。
でもね、終盤近くまでは良かったと思うんですけど、サラとマリアムが再会した辺りからは、なんだか妙に浅くなってしまったような... いきなり都合のいい話になってしまったようで、それがちょっと残念です。(新潮クレストブックス)

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昔々、ある国でのこと。郵便というものを始めてみたかった大臣は、王様に郵便や切手のことを説明します。すると王様が言ったのは「では、その切手の絵はわしが描いてみたい」... 絵が下手な王様にそんなことはさせられないと、大臣は国でたった1人の絵描きのペンタに切手の絵を描くよう命じます。

sa-ki さんに教えていただいた本~。
ペンタが描いたのは、「卵売りの少女」「キン・ジロー」「親指ボーイ」「赤リボン」など全部で23種類の絵。全ておとぎ話とか、よく知られている偉人の話から題材を取っていて、しかも西洋の物語は和風に、日本の物語は洋風に描いてるんです。左手には雀、右手には和鋏を握り締めたおばあさんは、赤いリボンのついた白い帽子に赤いパフスリーブのブラウス、緑のプリーツスカート、赤と白のエプロンという可愛らしい姿だったり、短い着物に赤いちゃんちゃんこ、そして赤い大きなリボンをつけた「赤リボン」ちゃんとか。こんな風に洋風と和風をひっくり返すだけでも、随分面白くなるものなんですね。
そして最後の「ピーチ・ボーイ」の切手がものすごく素敵! 他のお話のはそれぞれ1つの図柄だけなんですけど、これは5枚セットだし絵も一段と凝っていて、本当に切手を作ったのかしら、というぐらいリアルな切手の絵物語となっています。どれも「異国風」という言葉がぴったり来るような絵柄。桃太郎が出てきた生まれた場面はまるでキリスト生誕の場面だし... 見てたら、私が子供の頃から大切にしてる岩波少年文庫の「せむしの小馬」の挿絵を思い出しました。ということはロシア風なのかしら?
本の最後にはふるさと切手シリーズのために安野光雅さんが実際に描いた萩・津和野の切手が貼られていて、上からパラフィン紙が... なんだか検印があった時代の古い本みたいで、そういう趣向もすごく素敵です。(岩崎書店)

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1872年10月。最近父を失ったばかりのサリー・ロックハートは、父がサミュエル・セレビーと共同で経営していたロックハート&セルビー海運会社へとやって来ます。3ヶ月前にスクーナー船<ラヴィニア号>が南シナ海に沈み、これに乗船していたサリーの父も亡くなっていました。しかしその日の朝、シンガポールからサリーのもとにメモのようなものが郵送されてきたのです。そこには父ではない筆跡で「サリ七つの祝福に用心しろ マーチバンクスが助けになってくれる チャツム 用人しろ」と書かれていました。サリーはミスター・セレビーを訪ねてきたのですが、ミスター・セレビーは生憎留守。そして代わりに会ったミスター・ヒッグスは、「七つの祝福」という言葉を聞いた途端、心臓麻痺で死んでしまったのです。

サリー・ロックハートの冒険シリーズの第1弾。この作品は4部作で、「ライラの冒険」シリーズよりも前に書かれた作品なんだそうです。
舞台はシャーロック・ホームズが活躍し始めるよりも10年ほど前のヴィクトリア朝のロンドン。孤児となったサリーを引き取る親戚・ミセス・リーズの造形もいかにもヴィクトリア朝の堅苦しい未婚女性って感じだし、当時の風物が生き生きと書かれているのが楽しいです。特にステレオスコープ(日本ではのぞきからくり)が面白そう! 主人公のサリーは、好きに学習するようにまかされた結果、「英文学、フランス語、歴史、美術、音楽に関する知識は皆無だが、軍の作戦、簿記、株式市場の動き、ヒンドゥー人に関する実用的知識には堪能となった」という、ヴィクトリア朝の女性としてはあり得ないほど個性的な少女。でも、サリー自身は今ひとつ魅力的ではなかったかな...。悪たれ少年のジムは可愛いし、写真家のフレドリックとその妹・ローザ、トレンブルといった面々が揃うバートンストリート45番地はすごく魅力的だったんですけどね。マハラジャのルビーや父親の死の謎といった本筋の冒険や謎よりも、サリーが店を建て直していく辺りの方が面白かったかも。
第2弾はこの作品の6年後。サリーは既に大学を卒業して一人立ちしているようです。また写真店の面々やジムが登場してくれるといいんだけど、どうなるのかな。(創元ブックランド)


+シリーズ既刊の感想+
「マハラジャのルビー サリー・ロックハートの冒険1」フィリップ・プルマン
「仮面の大富豪 サリー・ロックハートの冒険2」上下 フィリップ・プルマン

+既読のフィリップ・プルマン作品の感想+
「黄金の羅針盤」上下「神秘の剣」上下 フィリップ・プルマン
「琥珀の望遠鏡」上下 フィリップ・プルマン
「かかしと召し使い」フィリップ・プルマン

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副題は「おしゃれ古本ガイド」。先日sa-ki さんに教えて頂いた本です。
仕事部屋に大きめの本棚が1つしかないという山崎まどかさん。多少大きめだったとしても、本好きさんの本棚なんてすぐ埋まってしまうもの。じきに1冊入れようとするたびに1冊抜かなければならなくなり、抜いた本は人にあげたり、古本屋に売ったり。そして1冊買うたびに1冊抜く、を繰り返してるうちに、気づけば本棚に残る本は古本ばかりだったといいます。古本ではなかったとしても、古本と並べても違和感のないような本。誰かに読まれて自分のところに巡ってきた本が大好きだという山崎まどかさんの、古本ガイドであり本棚紹介でもある本です。

「ブック・イン・ピンク」というタイトルですが、中身はピンク、レッド、ブルー、ブラウン、ブラックの5章。
ピンク...「おいしい話に目がない人の本棚」「ワードローブの本棚」「読書のためのレコード・ライブラリー」
レッド...「乙女のための本棚」「パジャマ・パーティみたいな本棚」「黒い服を好む人のための本棚」
ブルー...「フォアレディースの本棚」「遠くに思いをはせる本棚」「スラプスティックな本棚」
ブラウン...「ボーイフレンドの本棚」「観賞用本棚」
ブラック...「ポップコーン・ラヴァーのための本棚」「夢見がちな人のための本棚」「静かな生活のための本棚」

このカテゴリ分けがまたいいんですよねえ。素敵。可愛い。乙女だわ!
そしてこういう読書ガイドって、書いてる人と自分とのちょっとした重なりが重要ポイントですよね。全部重なってたら新鮮味がないし、全然重なってないのもちょっとね。たとえ1冊でも「コレが出てきたらおおっ!となる」本もありますし、その本を選んでるってだけで信用したくなっちゃうこともあるんですけど、1冊だけじゃあただの偶然かも。そんな本が2冊3冊出てきたら「もしや...」「コレはいけるかも!」...ブックガイドって、そんな風に判断してるような気がします。ちょっぴり重なりつつ、でも知らないのもいっぱい、というのが一番嬉しい。もちろん、コレが入ってるのはちょっと、ってこともありますけどね。(笑)
で、この本はそういう風に「お!」と思う本が、思わぬところに潜んでました。そしてその登場する具合が、私にとってはまたツボだったんです。そもそも「おいしい話に目がない人の本棚」からして、懐かしい本+今持ってる本がずらっと並んでるんですもん。こんな風に並んでると、周りの本も全部読んでみたくなっちゃうじゃないですか。でも知ってる本がいっぱいあるのは、そこだけ。しばらく知らない本が続いて、興味のないジャンルなんかもあって、少しテンションが下がり気味になってきた頃に、また「おおっ!」という本が登場する... これが個人的に絶妙で。しかも山崎まどかさん、先日「乙女日和」を読んだ時にも思ったんですが(感想は書いてません)、本だけでなく映画とか音楽の知識もすごく豊富な方なんですよね。
この本自体が古本でしか入手できなくなってるようなんですが(笑)、探して買っちゃう!(晶文社)

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ニューヨークから北へ50分ほど離れた美しい町・ベドリー・ランに住んでいるフランクリン・ハタ。彼はアメリカに留まることを決意した日本人。新聞の短い三面記事で新しくできた町のことを知り、どこか惹かれるものを感じて、30年以上前にここに医療用品や医療器具を扱う店を開いたのです。引越し当時は誰も知っている人間がいなかった彼も、誰にでも知られている存在。現在は70歳も過ぎており、既に店は売却しているものの、親しみやすさから敬意を込めて「ドク」「ドク・ハタ」と呼ばれており、そんな町の空気を有難いものとして受け止めてきていました。

ドク・ハタが日々出会う人々との話から過去のこと、養女のサニーとのこと、一時期親しかった未亡人・メアリー・バーンズのこと、第二次大戦中に医療助手として軍医について任務についていた時のことなどを回想していきます。
この作品のタイトルは「A Gesture Life」。作品の途中で「体裁」という言葉に「ジェスチャー」というルビが振られていました。「生活のぜんぶを体裁と礼儀でつくりあげてる」... というのは養女のサニーの言葉。序盤から自分のことを人望のある「親切なドク・ハタ」で、町一番の大きさではないものの、立派な美しい家に住んでいることをさりげなく強調するドク・ハタなんですが、やっぱりこれも一人称ですからね... 反抗期に入ったサニーがドク・ハタに向ける言葉がとても辛辣。確かにドク・ハタは自分の評判や立場を作り上げ、常にそれを守るために行動してるし、それは彼を一見人格者のように見せてるんだけど... でもこれも在日朝鮮人の子供として生まれて日本人の養子となり、アメリカでは日系アメリカ人として暮らすことになったドク・ハタにとっては、一種の防衛本能だったんじゃないかと思うんですよね。誰も傷つけたくないという優しさは優柔不断と紙一重だし、結局彼は大切な人間を傷つけて失ってしまうことになるのですが。選択をしないというのも、1つの立派な選択ですものね。そして彼の一番の不幸は、それでもドク・ハタが傍目には不幸な人間には決して見えないことだったのかもしれません。失ったものに対して罪の意識を持ち続け、そして常に自分が外部者であることを意識し続け、その最後の場所を失うことを心の奥底で怯えているドク・ハタの姿が切ないです。

チャンネ・リーは韓国人従軍慰安婦のことを全く知らずに育ち、ある時知って、大きな衝撃を受けたのだそう。そして韓国人従軍慰安婦だった女性に長いインタビューをして、最初はその女性を中心とした作品を書こうとして、でもそれでは真実も深みも全く足りないのに気づいて、このドク・ハタの物語としたのだそうです。確かにドク・ハタの目を通して従軍慰安婦を見ることによって、その問題を生き生きと蘇らせているような気がしますし、同時にそれによってドク・ハタの認識の甘さも露呈されることになってるんですね。(新潮クレストブックス)

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イダが生まれた時、エレンは既に4人きょうだいでした。長女のビリー、長男のケスター、次女のエレン、そして赤ん坊のカルロス。母のマルヒェは、自分が1人っ子の家庭に育って嫌な思いをしていたので、笑いと喧騒にあふれた家を幸せな家庭としてイメージして、子供を6人欲しがっていたのです。両親がアメリカに関する文献を専門に切り抜き資料として保存するファン・ベメル事務所をしていたために家中が天井まで届く資料棚と黄ばんだ紙の臭いで溢れかえり、家の中は賑やかさに包まれていました。しかし生まれたイダに吐き癖があり、1日中むずかって泣き叫び、母もイダにミルクを飲ませられないほど衰弱していたため、徐々に「幸せな家庭」の歯車が狂い始めます。

絵に描いたような幸せな家庭を襲う悲劇。物語が始まった時から、何とも言いようのない緊張感をはらんでいて、その予感通りに暗い方向へと突き進んでいきます。でもその核心が何なのか正体はなかなか見せないままに、エレンが12歳だった頃の物語と約30年後の現在の物語が交互に進んでいきます。30年後のエレンは解剖医。妊娠中にもかかわらず離婚して、かつて自分が少女の頃に住んでいた家に戻ってきています。
家族の中で一番利発だったエレン。難しい言葉を使うのが大好きで、時には生意気としか思えない発言をするエレンなんですが、それでもまだ12歳。それでこんな衝撃を体験することになったというのが... 利発だからきちんと全てを見届けてるんですけどね...。現代の読者が読めば、その時何が起きていたのかほぼ予想がつくと思うんですが、この頃はそういう概念すらなかったんですね。しかも今なら12歳の子供が家のことを他人に相談できる専門の場所もありますけど、この頃は全然だったはず。こういった物語はそこかしこにあったのかも。
最後に彼女が自分のイデ=ソフィーの名前を託す場面が良かったです。ようやく救われた気がします。(新潮クレストブックス)

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