Catégories:“2009年”

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寒くて暗い11月の晩、魔使いの鐘が鳴ります。それは魔使いに仕事を頼む合図の鐘の音。しかしトムが外に見に行くと、そこには農夫ではなく、左手に杖を持った背の高い黒いフード姿の人物が立っていました。ここから一番近くに住んでいる魔使いは、トムの兄弟子にあたるビル・アークライト。咄嗟にそのアークライトなのかと思うトムでしたが、男は名乗ろうとはせず、トムに師匠宛ての手紙を渡します。それはかつて魔使いの弟子だった男で、しかし結局魔使いにはなれなかったモーガン。手紙を読んだ師匠は、翌日アングルザークの「冬の家」に行くと宣言します。

魔使いのシリーズの第3弾。
「魔使いの呪い」でも少し触れられてたんですが、今回は題名通り、魔使いの秘密が本格的に明かされることになりました。そしてそのことに密接に関係する出来事も起きることに。これまでも、魔使いって最終的には甘いというか優しいよなーと思ってたんですけど、今回はほんとズバリその印象通りの人物像です。トムには散々厳しいことを言ってるけど、それはやっぱり同じ轍を踏ませたくないという親心なんでしょうね。なんて思ってみたり。愛想が悪く見えてても、実は人一倍愛情たっぷりな人間だということがよく分かります。魔使いになると決める時には、今のトム以上に逡巡したかもしれないですね。そして今回も白黒がはっきり分けられない部分が多かったです。今までのアリスがまさにそうなんだけど... そんなアリスだからこそメグのことが誰よりも理解できるのかも。
トムのお母さんとメグって、もしや何か他にも共通点があったりするのかしら...? 続巻も楽しみ♪(創元ブックランド)


+既読のジョゼフ・ディレイニー作品の感想+
「魔使いの弟子」「魔使いの呪い」ジョゼフ・ディレイニー
「魔使いの秘密」ジョゼフ・ディレイニー

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畑を分割しないことが鉄則の農家では、長男以外の息子たちにそれぞれ仕事を見つけることが必要。そして7番目の息子である父の、さらに7番目の息子のトムは、魔使いの弟子になることになります。7掛ける7の子には素晴らしい能力があるのです。とは言え、畑や村や町を悪い魔女や魔物から安全に保ち人々を守るという大切な仕事を果たしながらも、人に忌み嫌われる魔使いという仕事に胸中複雑なトム。そして師匠となる魔使いが迎えに来たのは、トムが12歳の春のことでした。トムはウォータリー通り13番地の幽霊屋敷での試験に合格し、魔使いとして本格的に学び始めることに... という「魔使いの弟子」とその続編「魔使いの呪い」。

いやー、面白い! 最初この本を探そうとした時「魔法使いの弟子」って検索しちゃったんですけど、「魔法使い」ではなくて「魔使い」というのがポイントだったんですね。魔女とか、ボガートみたいな魔物は存在するんですけど、魔使いはあくまでも「魔使い」。魔法なんて使えないし、魔女やボガートには魔法でも力でもなく、それまで培ってきた知識と経験を駆使して立ち向かうんです。例えば魔女を拘束するのに必要なのは銀の鎖。ボガートを拘束するには、巨大なオークの木のそばに決められた大きさの穴を掘って塩(ボガートを焼く)と鉄(邪悪な力を失わせる)を混ぜたものを穴の内側に満遍なく塗り、穴の中に血を入れた皿を置いておびき寄せ、ボガートが穴の中に入ったところを分厚い石板(もちろんこの裏にも塩&鉄は塗ってある)ですかさず蓋をするという仕組み。1作目を読んだ時にそんな簡単にいくのかしら、なんて思ったりもしたんですが、私の疑問は早くも2作目の序盤で解決されてました。他にも誰か同じことを思った人がいたのかしら。(笑)

「魔使いの呪い」の解説が上橋菜穂子さんなんですが、その中でトムのことを「とても真っ当で、ぶれない」と書いてらっしゃるのを見て、ああ、ほんとその通りだなあと思いましたよ。最初、どの辺りで思ったんだったかしら... 「魔使いの弟子」で、師匠が「ボガートは何種類いると思う?」と聞いた辺りだったかしら。ほんと、真っ当。その真っ当さはおそらく作者の真っ当さなんでしょうけど。そしてその真っ当さが、話をよくある展開とはまた違った展開にしてて、それが面白いんですよね。そしてこのシリーズは「魔使いの秘密」「魔使いの戦い」へと続きます。そちらも楽しみ!(創元ブックランド)


+既読のジョゼフ・ディレイニー作品の感想+
「魔使いの弟子」「魔使いの呪い」ジョゼフ・ディレイニー
「魔使いの秘密」ジョゼフ・ディレイニー

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ノリーことエレノア・ウィンスロウは、お父さんとお母さんと2歳の弟と一緒にアメリカからイギリスに引っ越してきた9歳の女の子。イギリスのスレルという町でスレル校というところの小学部に通っています。将来の夢は、歯医者さんかペーパーエンジニアになること。最近とても好きなのは中国の女の子の絵を描くこととお話を作ること。

ニコルソン・ベイカーの本は「中二階」に続いて2冊目。でもその「中二階」とも全然雰囲気が違うし、「Hで愉快な電話小説」だという「もしもし」とも、「時間を止めて女性の服を脱がせる特技をもつ男の自伝」だという「フェルマータ」とも全然違う(はず)の作品。だってこの作品は、全編9歳のノリー視点の物語なんですもん! ニコルソン・ベイカーが自分の娘をモデルに書き上げたようで、かーなりのユニークな作品。「中二階」みたいな作品を書く人の娘だけあって、さすがに思考回路が理屈っぽいなーとも思うんですが(笑)、理屈っぽくても子供っぽい可愛らしさもたっぷりなので、全然大丈夫。ノリー、可愛いです! でもこの子供らしい様々な間違いも含めて全て日本語らしい日本語に訳すのは大変だったでしょうねえ。岸本佐知子さん、ほんと適材適所です。

アメリカで親友だったデボラと離れたのは寂しいけれど、新しい学校でもキラという仲良しの女の子ができるノリー。でも同じクラスのパメラという女の子がいじめられていているのを黙って見過ごしていることができないんですね。で、パメラとも仲良くなっちゃう。だってパメラは悪いことなんて何にもしてないし、ノリーが転校したばかりの時に道が分からなくなったノリーに親切にしてくれたんだから。でもパメラと一緒にいるだけで、ノリーも相当からかわれることになるんです。ノリーの仲良しのキラも、パメラと仲良くするとノリーもいじめられちゃうようになるよ、と何度も言ってますしね。こういう時、自分もいじめられるのが怖くて、嫌いでもないのにいじめっ子たちと一緒になって笑ったりしてしまう子の方が断然多いと思うんですが、ノリー、強いです。からかわれた時も、どれだけ効果的に反撃するか頑張ってますから。でもそんなノリーも常に自信たっぷりというわけではないのが、逆に人間らしいところでいいのかも。そんな時も、やっぱりノリーの思考回路って面白いんです。(白水uブックス)


+既読のニコルソン・ベイカーの作品+
「中二階」ニコルソン・ベイカー
「ノリーのおわらない物語」ニコルソン・ベイカー

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1779年、55歳でスコットランドのモイダートから新世界へと渡っていった男がいました。それはキャラム・ムーア。ケープ・ブレトンに行けば土地が手に入るというゲール語の手紙を受け取っていたのです。航海中に妻は病死するものの、12人の子供たちと長女の夫、そして犬は無事に新大陸に辿りつきます。そして「赤毛のキャラムの子供たち」と呼ばれる子孫たちが徐々に広がっていくことに。そしてその曾孫のさらに孫の時代。矯正歯科医をしているアレグザンダーは、かつては誇り高い炭鉱夫だったのに今は酒に溺れる兄・キャラムを週に一度訪ねるのを習慣にしていました。

寡作なアリステア・マクラウドの唯一の長編。短編を2冊読んで、この長編を読んでいるわけなんですが、短編の名手と言われるだけあって長編よりも短編の方がいいのかしら、なんて思いながら読んでたんです。長編好きで短編が苦手の私にしてはちょっと珍しいんですが、短編の方が読みやすかったし。でも最後まで読んでみると、やっぱりいいですね。色んなエピソードがいつの間にかその情景と共に脳裏に刻み込まれていたのを感じました。これがアリステア・マクラウドの底力なのかも。

スコットランドからカナダへとやって来たキャラム・ムーアとその子供たち。そして幾世代を経てもそれと分かる「クロウン・キャラム・ムーア(赤毛のキャラムの子供たち)」の一大叙事詩。語り手となっているのは、現在矯正歯科医をしているアレグザンダー。彼も双子の妹も今は裕福な暮らしを送ってるし、「ギラ・ベク・ルーア(小さな赤毛の男の子)」なんて呼ばれた頃の面影はあまり残ってません。ゲール語も理解するけれど、祖父母の世代にとってのゲール語とはまた違うし、ハイランダーとしての彼らは失われつつあるんです。時が流れているのを実感。でも読んでいると、まさに「血は水より濃し」だと感じさせられられる場面がとても多くて。
一族のルーツとその広がりを描くことによって、キャラム家の持つ底力と言えそうな強さや、歓び、哀しみが滲み出してくるみたい。何度か登場する犬のエピソードのような、情が深く真っ直ぐながらも不器用なその生き様。そしてやっぱり読んでいて一番印象に残ったのは、犬のエピソードですね。特にスコットランドからカナダへと向かおうとする彼らを追いかけてきた犬の話。あとは一働きしてくれた馬に燕麦をやる話とか... あと好きだったのは、まるで正反対の気質を持つ父方の祖父と母方の祖父のエピソード。2人とも本当に素敵だったなあ。(新潮クレストブックス)


+既読のアリステア・マクラウド作品の感想+
「灰色の輝ける贈り物」アリステア・マクラウド
「冬の犬」アリステア・マクラウド
「彼方なる歌に耳を澄ませよ」アリステア・マクラウド

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本当はひとりっ子なのに、長い間兄さんがいるつもりになっていた「ぼく」。自分で作り出した悲しみや恐怖を分かち合う相手が必要で、長い間ハンサムで力強い「兄さん」に助けてもらっていたのです。しかしそんなある日、「ぼく」はついに1人きりではなくなります。屋根裏部屋に積み重ねられた古いトランクの中にベークライトの目をしたほこりっぽい小犬のぬいぐるみが出てきたのです。そして「ぼく」は15歳の時に、その小犬にまつわる話を聞くことに。

フィリップ・グランベールの自伝的作品。実際、彼が自分の家族にまつわる秘密を知ったのは、この本と同じく15歳の頃だったんだそうです。本職は精神科医という作家さん。
ここに描かれているものはとても重いものなんですけど、最初から最後まで終始淡々とした感情を抑えた文章で書かれていました。簡潔な文章の積み重ね。でも物凄く簡潔なのにその奥には色んな感情が詰まってて、ふとした拍子に零れ落ちてきそう。...なんて思いながら読んでいたら、フィリップ・グランベールはこの作品を2ヶ月ほどの間に夢中で書き上げたものの、最初書いたものは文章が感情に流されていて使い物にならなかったんだそうです。疲れ果て体調を崩しながらも書き直し続けた時、最後に「残ったのは骨の部分だけでした。結局それだけが必要だったのです」... その言葉には本当に納得。
特に印象に残ったのは、最初は自分で作り出した悲しみに浸っていた主人公が、ルイーズのおかげで両親の物語を再構成すると、今度は口をつぐみ、逆の立場になったこと。...でも他人の悩みを聞き、その悩みから解放する精神分析医という仕事をしながらも、自分の悩みから解放されるには、こうやって書くという行為が必要だったのかなあ。なんて感慨深く思ってみたり。(新潮クレストブックス)

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そこにあったのは、アリアドネのスレッド。その冒頭には、「私を見つけようとする人といっしょに、自分も姿を消してしまえるような迷宮を私はつくろう。これは誰が何について語ったのか?」というアリアドネの書き込みがありました。最初からそこにいたメンバーは「オルガニズム(^O^)」「ロミオとコイーバ」の2人。やがて「ナッツ・クラッカー」が加わります。ハンドルネームは勝手につけられたもの。3人とも気がついたら古代ギリシャ人の衣裳・キトンを着せられて、それぞれに小部屋の中にいたのです。やがてそのチャットには「モンストラダムス」「アリアドネ」「イゾルデ」が、そしてさらに「ウグリ666」「サルトリスト」が加わります。

8人の人間がチャットをしながら進んでいく物語。元ネタはギリシャ神話の中のミノタウロスのエピソード。迷宮に閉じ込められたミノタウロスを、アリアドネの助けを得たアテネの王子・テセウスが倒すというものです。そしてヴィクトル・ペレーヴィンはロシアでは人気の作家なのだそう。ロシア人作家によるチャットとギリシャ神話という組み合わせに興味を引かれたのですが、これがなかなかの難物でした...

チャットなので、短い言葉のやり取りがメインだし、さくさくと読み進められるのではないかなーと思ってたんですけど、これが全然。会話の内容がものすごく観念的なんです。特にアリアドネがみた夢の話の辺りからどんどんわけが分からなって、これはまさに迷宮状態。ギリシャ神話では、テセウスが迷宮を脱出するのを手伝うアリアドネなんですけど、ここでは逆にアリアドネが他の面々を迷宮の奥深くに迎え入れてるみたい。
途中で「ディスクール」という言葉が登場するんですけど、これがポイントなのかな? これは「物事や考えを言葉で説明すること。またはその言葉、言説」という意味。そもそもチャットって言葉のみで成り立っているものだし、これがとても暗示的な気がします。8人がいるのが似たような部屋だからって、その部屋が同じ場所にあるとは限らないし、全ての人間が本当のことを話しているという保証もないわけで... 実際それでトラブルが起こることもありますしね。それでも迷宮から脱出するために、この「ディスクール」とともに進まなくちゃいけないんです。
きっとこういう話の1つ1つを完全に理解する必要はないんでしょうけど... でもほんとワケ分かりません。とは言ってもつまらないわけじゃなくて、むしろ面白いのがすごい。読み終わった途端にじっくり読み返してみたくなります。(角川書店)


+既読の新・世界の神話シリーズ作品の感想+
「ペネロピアド」マーガレット・アトウッド
「永遠を背負う男」ジャネット・ウィンターソン
「恐怖の兜」ヴィクトル・ペレーヴィン

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1971年からイランの大学で教鞭をとってきたアーザル・ナフィーシーは、1995年の秋、最後の大学を辞めた時にかねてからの夢を実現する決意をします。そして教え子の中から最も優秀で勉強熱心な7人を選び、毎週木曜日の朝に自宅で文学について話し合うということ。そして集まったのは詩人のマーナー、「お嬢さま」のマフシード、コメディアンのヤーシー、「問題児」アージーン、物静かな画家・ミートラー、自立したいという欲求と認められたいという欲求の狭間で揺れ動いていたサーナーズ、そして「チェシャ猫」ナスリーン。ナスリーンは最後まで一緒にいられなかったものの、彼らは2年近くの間、ほぼ毎週木曜日になるとアーザルの家にやってきて、ヴェールとコートを脱ぎ捨て、小説と現実の関係について話し合うことに。

主にナボコフ「ロリータ」、フィッツジェラルド「華麗なるギャツビー」、ジェイムズ「デイジー・ミラー」、オースティン「高慢と偏見」を通して、筆者が大学で教えていた数年間、そして木曜日の秘密の授業をしていた2年足らずのイランの状況を描き出していくという作品。イラン革命の後のイランでは、頽廃的な西洋文化は全て悪とされていて、これらの小説も本屋の棚からどんどん消えていってるような状態なんですね。普通の人々もちょっとしたことで何年間も投獄されたり、簡単に殺されたりというかなり厳しい状況。男性にももちろん厳しいんですが、ほとんど人格を認められていない女性に対する厳しさはそれを遥かに上回るもの。そんな状況の中で生きている女性たちの思いを吐露していきます。
もちろん「テヘラン」で「ロリータ」を読むというそのイメージのギャップはとても面白いと思うし、授業で「華麗なるギャツビー」をめぐる裁判を開いたりといった事柄はそれぞれにとても興味深かったんですが... あまり私には伝わってきませんでした。同じ時代のことを書いている新藤悦子さんの「チャドルの下から見たホメイニの国」(感想)を夢中になって読んだのとは対照的。どこがどう違うのか今ひとつ分からないのですが... いや、本当は感覚的には分かってるんですが...
その中の1つの要因は、本の解釈にそれほど感銘を受けなかったってことですね。私が未読の本も沢山登場してましたが、少なくとも「ロリータ」「華麗なるギャツビー」「デイジー・ミラー」「高慢と偏見」は既読。オースティンの長編だって全部読んでるし。でも例えば「ロリータ」での、「ハンバートは自分が求めるロリータをつくりだし、そのイメージに固執した」という読み方、そしてそれをイランの男女関係に重ねていく部分には「なるほど」と思うんですけど、正直もっとイラン人ならではという読み方を期待してたので... 結局のところ、それが一番大きかったんだろうなと思います。もちろんそれは、私自身が「自分が求める彼女たちをつくりだし、そのイメージに固執した」とも言えるのかもしれませんが...(白水社)

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