Catégories:“2009年”

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200年ほど前、30年戦争が起きた頃。今は廃墟となっている城はヴィッティングハウゼンの宮殿と呼ばれ、そこにはクラリッサとヨハンナという美しく優しい姉妹が住んでいました... という「高い森」他、全4編が収められた本。

去年の年末にチョコちょこさんに「出ましたね!」と教えて頂いていたのだけど、実際に入手できたのはずっと遅くなってしまったこの本。後付を見ると2008年12月24日になってましたが、その頃私の周囲では、影も形も見当たりませんでしたよ! ネット書店に出たのも随分遅かったはず。いえ、多少待たされても手にすることができれば、それでオッケーなのですが~。
今回のこの本は、シュティフターの作品に共通する主題である「森」に着目して編んだという短編集。モルダウの流れるボヘミア南部の森、自然の美しさと恐ろしさを併せ持つ森は、シュティフターの故郷だということもあって作品によく登場しますが、ここに収められた作品もそうです。最初の「高い森」と表題作「書き込みのある樅の木」は中編で、次の「最後の1ペニヒ」が短編、そして「クリスマス」がエッセイ。

読んでいると気持ちが穏やかになるような気がしてくるシュティフターの作品でも、一層静けさを感じるものだったように思います。本当にしんと静まり返った森の中にいるような気がして、なんだか怖くなってしまう... 作品には森で暮らす人々のことが書かれているんですが、本当の主人公は森そのものなのかもしれませんね。
美しくも哀しいロマンティックな「高い森」もいいんですけど、私が好きなのはやっぱり表題作かな。訳者解説を読むと、シュティフターの同時代の人々には酷評されていたようですが... どうやら違う点にばかり目を向けていたようですね。そうじゃないのに! でもこの結末が雑誌版ではまた違っていたと知って驚きました。この本に収められている結末の方が断然いいです。だってそれが次の「最後の1ペニヒ」に繋がっていくんですもん。そう、この並び順がまたとても素敵なのです。(松籟社)


+既読のシュティフター作品の感想+
「水晶 他三篇 石さまざま」シュティフター
「森の小道・二人の姉妹」シュティフター
「晩夏」上下 シュティフター
「ナレンブルク 運命に弄ばれた人々の城」A.シュティフター
「石さまざま」上下 アーダルベルト・シュティフター
「森ゆく人」アーダルベルト・シュティフター
「書き込みのある樅の木」アーダルベルト・シュティフター

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1985年に、ハーヴァード大学で6回の講義をすることになり、カルヴィーノが選んだ主題は「次の千年紀に保存されるべきいくつかの文学的な価値」。カルヴィーノの急逝により、その講義が実現することはありませんでしたが、これは事前にカルヴィーノが書き上げていた、6回のうちの5回分の講義の草稿を本にしたものです。

以前カルヴィーノの「なぜ古典を読むのか」を読んだ時に、題名通りの内容は最初の1章だけで、後はバラバラの文章の寄せ集めなんだなあーとちょっとがっかりしてた時に、overQさんがこっちの本の方がまとまった文学話になってますよ!と教えて下さった本。それから随分時間が経ってしまいましたが、ようやく読めましたー。

カルヴィーノが21世紀の文学に必要だと考えていたのは、「軽さ」「速さ」「正確さ」「視覚性」「多様性」。この5つのキーワードを通して、ギリシャ神話やオウィディウス、ルクレーティウスといった古代の文学から20世紀の文学までを考察しながら、カルヴィーノの目指してきたところを示しつつ、それが同時に21世紀以降の文学への提言ともなっている論です。こういうキーワードで文学を考えるのって、斬新だし面白いですね。これは案外文学以外にも広く通じるキーワードなんじゃないかしら。そしてこの本から感じられるのは、文学に対するカルヴィーノの真摯で愛情たっぷりの態度。
どれも面白かったんだけど、一番印象に残ったのは最初の「軽さ」かな。常々カルヴィーノの作品には、身ごなしの軽さを感じてましたしね。そんなカルヴィーノが小説を書き始めてすぐに気づいたのは、小説の素材となる様々な出来事と、文章を活気付かせる軽妙さの間に大きな隔たりがあるということ。それからは常にこの重さ、とりわけ物語の構造や言葉から重さを取り除こうとしてきたといいます。ここでの「軽さ」とはもちろん軽薄さではなくて、思慮深い軽やかさ。文章に取り付いて世界をじわじわと重苦しく不透明にしてしまう重さから逃れるためには、別の視点、別の論理、別の認識と検証で世界を見直さなければならないというんですね。カルヴィーノが作家として発表した1作目が、パルチザンでの体験を元にしたという「くもの巣の小道」ですものね。そういった経歴の持ち主だということも、大きな要因なんでしょう。
書かれていなかった6回目は「一貫性」になるはずだったようです。これはメルヴィルの「書記バートルビー」に触れる予定だったということしか分かってなくて... もう読むことができないなんて、とっても残念。(朝日新聞社)


+既読のイタロ・カルヴィーノ作品の感想+
「宿命の交わる城」イタロ・カルヴィーノ
「不在の騎士」イタロ・カルヴィーノ
「レ・コスミコミケ」イタロ・カルヴィーノ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「まっぷたつの子爵」「木のぼり男爵」イタロ・カルヴィーノ
「イタリア民話集」上下 カルヴィーノ
「魔法の庭」イタロ・カルヴィーノ
「見えない都市」イタロ・カルヴィーノ
「マルコヴァルドさんの四季」カルヴィーノ
「冬の夜ひとりの旅人が」イタロ・カルヴィーノ
「柔かい月」イタロ・カルヴィーノ
「カルヴィーノの文学講義」イタロ・カルヴィーノ
「パロマー」カルヴィーノ
「くもの巣の小道」イタロ・カルヴィーノ
「むずかしい愛」カルヴィーノ

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紀元前265年、シチリアの第一の強国・シラクサがメッシーナに進攻し、メッシーナはローマに救援を要請。ローマはメッシーナとは同盟関係になく、しかもローマの軍団はいまだ海を渡ったことがないにもかかわらず、メッシーナの要請を受諾することを決定します。もしローマが断れば、メッシーナがカルタゴに頼ることは目に見えており、カルタゴがメッシーナを手に入れると、ローマまでもが危うくなってくるのです。結果的にメッシーナとシラクサを手に入れたローマにカルタゴが強い危機感を抱き、第一次ポエニ戦役(紀元前264~紀元前241)が勃発することに。

ローマとカルタゴとの間に闘われたポエニ戦役を中心に対外戦争の時代を描く巻。第一次ポエニ戦役の勃発する紀元前264年から、スペイン全土を領有することになる紀元前133年までの130年間を、プロセスを丹念に追いながらみていきます。カルタゴといえば、ローマの祖・アエネイアスと恋に落ちたディードの国~。なんですけど、ここではそういった伝説的なことには全く触れないんですね。「ローマは一日にして成らず」の時とは違って、今回はアレクサンダー大王のことなんかもきちんとしたスタンスで書かれていたように思います。

いや、この巻はほんと面白かった。面白いとは聞いてたんですけど、ほんとすっごく面白かった。子供の頃にハンニバルの本を読んだことがあるんですけど、そもそも戦争物は好きじゃなかったし、印象に残ってるといえば、せいぜい象ぐらいだったんです、私。(汗)
でも海軍どころか輸送船すら持っていなかったローマが、地中海最強の艦隊を擁する海運国カルタゴに対するために船を作って船の漕ぎ手を育成して、陸戦が得意なローマ軍ならではという工夫を凝らして... なんて読んでるとほんとワクワクしてしまいます。やっぱりこの柔軟さがローマの武器なんですねー。そして2人の対照的な男たち。まずは孤高の男・ハンニバル。彼に最後まで付き従った兵士たちにとって、ハンニバルは父親のようなものだったのではないでしょうか。兵士たちはハンニバルの背中を親父の背中のように見て育っていったに違いない。そしてハンニバルの好敵手・スキピオ。こちらは孤高なハンニバルとは対照的な、人の心を掴むのが上手い大らかで人懐こい青年。彼ら2人の姿が対照的に描き出されていて、それだけポエニ戦役の明暗がはっきりと現れているような気がします。

そして今回もローマの特徴として色々出てきたんですけど... 敗軍の将に責任を求めないこととか、軍の総司令官である執政官に一度任務を与えて送り出したら最後、元老院ですら口出しはしないこととかね。戦争続きで国庫が空になっても、簡単に増税したりしないとかね。でも旧敵国にとってはとても温情なはずの措置も、一歩間違えると弱腰と間違えられちゃう。ここで塩野七生さんが強調しているのは、こういった「穏やかな帝国主義」が成功するには、双方共に納得して許容している必要があるということ。確かにそうかもしれないなあ。そして紀元前146年、ローマはそれまでの「穏やかな帝国主義」から「厳しい帝国主義」に方針を転換することになるんですが、この辺りが納得できるのは、確かにこれまでのプロセスを丹念に見てきたからこそなんですね。(新潮文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ローマ人の物語 ローマは一日にして成らず」1・2 塩野七生
「ローマ人の物語 ハンニバル戦記」3~5 塩野七生
「ローマ人の物語 勝者の混迷」6・7 塩野七生
「ローマ人の物語」8~10 塩野七生 「ガリア戦記」カエサル
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前」8~10 塩野七生(再読)
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以降」11~13 塩野七生
「ローマ人の物語 パクス・ロマーナ」14~16 塩野七生
「ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち」17~20 塩野七生
「ローマ人の物語 危機と克服」21~23 塩野七生
「ローマ人の物語 賢帝の世紀」24~26 塩野七生
「ローマ人の物語 すべての道はローマに通ず」塩野七生

+既読の塩野七生作品の感想+
「コンスタンティノープルの陥落」「ロードス島攻防記」「レパントの海戦」塩野七生
「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」塩野七生

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おかあさんと離れ、おばあちゃんとローリーおじさんと暮らすようになって、新しい学校に通い始めた9歳のエイドリアン。学業はそこそこ、運動はオンチ、それでも美術だけは飛びぬけて得意という引っ込み思案の大人しい少年。学校で仲良しなのは、同じく運動オンチのクリントン。そんなある日のこと、エイドリアンはテレビで3人の子供が行方不明になったニュースを見ることになります。それはエイドリアンの家の近くでの出来事。メトフォード家の3人の子供、10歳のヴェロニカと7歳のゾーイ、5歳のクリストファーが日曜日の午後にアイスクリームを買いに家を出たまま、そのまま帰って来ていなかったのです。

もう、息が止まりそうになりました...。こういう話だったんですね。読み終えた時は、もうショックが大きすぎて何も書けそうにないと思ったんですが、一晩経って少し落ち着いたので、やっぱり何か書いておかないと。
いえね、最初から不穏な空気が流れてるんです。冒頭は3人の子供たちのいなくなった場面。その時のことが淡々と書かれていて、その締めくくりは「三人の子どもはアイスクリームを買うこともなく、家にももどらなかった」。でもこの3人の話はここまで。そして始まるのが主人公のエイドリアンの話。
エイドリアンは、とても感受性の強い子なんですね。本当は美しいものにも敏感なんでしょうけど、ここで語られるのは怖いものの話。エイドリアンには怖いものが沢山あるんです。頭の中に怖いものリストがあって、その日の朝に朝刊で見た「海の怪物」もその1つ。「ナショナル・ジオグラフィック」で見た流砂もそうだし、自然発火や津波もそう。閉店後の店に閉じ込められるのも怖ければ、学校におばあちゃんが迎えに来なくなるのも怖いし、色々と想像が膨らんでしまうのを止められないんですね。だからこそ美術が得意にもなるんでしょうけど。
祖母と叔父と一緒に暮らしてるのは、どうやら母親が精神的に不安定だからみたい。祖母も日々頑張ってるんですが、エイドリアンが同じ家にいること自体に苛々してます。周りに誰1人として、余裕がある人間がいないんです。みんな自分のことに必死で、無条件にエイドリアンを胸に抱きとめられるような状態じゃなくて。みんな悪い人間じゃないし、エイドリアンのことを愛してるのに。エイドリアンはそんな手がかかるような子じゃないのに。
そして学校でも色々あります。学校でのエイドリアンの友達はクリントンだけで、でもエイドリアンはこのたった1人の親友に満足してるんですが...。

大人の余裕のなさとか、子供の世界の残酷さとか、そういうの1つ1つは自分の身近でもよく見かけるようなことなんですけどね。私はエイドリアンみたいな感受性はもってないけど、でもどれもがものすごく痛いほど分かりすぎてしまって(しかもこのおばあちゃんが、うちの母そっくりなんだわ)、何もかもが一気にエイドリアンに襲い掛かってくるようで、それがまさにエイドリアンの怖がってる流砂や津波のようで、いたたまれなかったです。それでいて物語そのものはとてもとても静かで美しくて、最後は、ああ、小鳥が飛び立ったんだな、って思ったのだけど。
最初のソーニャ・ハートネット作品がこれでなくて良かった。いえ、本当は最初に読むのに相応しいような作品なんだけど... 私にはちょっとつらすぎました。(河出書房新社)


+既読のソーニャ・ハートネット作品の感想+
「銀のロバ」ソーニャ・ハーネット
「小鳥たちが見たもの」ソーニャ・ハートネット

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アイルランドによく見られる「取り替え子(チェンジリング)」の伝承。赤ん坊や女性が妖精に攫われて、知らない間に妖精が入れ替わっているというこの伝承をキーワードに、W.B.イェイツ、ロード・ダンセイニ、ブラム・ストーカー、オスカー・ワイルド、ラフカディオ・ハーン、コナン・ドイル、ジェイムズ・ジョイスといった19世紀末から20世紀初頭にかけてのアイルランドにゆかりの深い作家たちを取り上げ、その作品を見ていく本。

「ドラキュラ」や「ドリアン・グレイの肖像画」、そして「雪女」といった作品の中に「取り替え子」のモチーフを見るというのはなかなか興味深いです。そういう特徴が「取り替え子」だけの特徴なのかというと、それはどうだろうという気もするし、ちょっとこじつけかなと思う部分もあるんですけど、アイルランドにゆかりの作家たちだけに、意識的であれ無意識であれ、そういう伝承系モチーフを自作に転用してるというのは十分考えられますものね。
でもそういう文学的な考察よりも、実際の「取り替え子」の話の方が私にとってはインパクトが強かったです。
「取替え子」という発想自体、実はすごく人間の闇の部分を示してると思うんですよね。この本にも「妖精を見る」ということは「耐え難い苦しみを精神的に乗り越えようとしたり、動揺した共同体の安寧を取り戻すための知恵であり手段だった」とあります。「取替え子」という言葉は、気に入らない赤ん坊や妻をある意味合法的に葬り去る手段にも通じるもの。そもそも自分の子が本当の子供なのか取り替え子なのか見分ける「ぜったい確かなやりかた」とされていたのは、その子供を火の上にかざして、「燃えろ、燃えろ、燃えろ、悪魔のものなら燃えてしまえ、けれど神様、聖者さまの下さりものなら傷つくまい」と唱えるやり方なんですから。もしこの子供が取り替え子だったら、叫び声をあげて一目散に煙突から上に逃げていくそうなんですけど、普通の子だったらどうなるんでしょう。命を取り留めたとしても酷い火傷を負うはず。それって魔女裁判の「水に沈めて浮かんできたら魔女、沈んだら人間」みたいな判定に通じるものがありますよね。結局、普通の人間だったら死んでしまうわけで... 19世紀末には、そんな風に「妖精を見る」ことは社会的・法律的に許されなくなってたそうですが、この本の中で紹介されているブリジット=クリアリーの焼殺事件だって19世紀末の出来事。本当に怖いです。ええと何が怖いって、まずそうやって都合の悪いものを「なかったこと」にしようとすること。そしてそういう集団のヒステリックなパワーかな。一度走り出しちゃったら、もう誰にも止められないんですものね。(平凡新書)

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ある日ペーターが読んだのは、ロシアの捕虜収容所を脱走したドイツ兵士が故郷に戻ってくる物語。やっとの思いで家に戻ってきた兵士の目が見たのは、小さな子供2人と見知らぬ男と一緒にいる妻の姿だったのです... それは「喜びと娯楽のための小説」という冊子シリーズの編集をしていた祖父母にもらった見本刷り。ペーターには父がおらず、母の稼ぎは少なく、しかも紙は高価だったため、裏の文章は読まないという約束でその紙の束をもらっていたのです。しかし物語の断片しか残っておらず、肝心の結末部分を読むことができなかったペーターは、物語の結末を探し始めることに。

物語の中心となるのは、作者も題名も分からない小説の断片。その断片をつなぎ合わせて読むうちに、ペーターはそれがホメロスの「オデュッセイア」になぞらえられていることに気づきます。遍歴し、そして帰郷する物語。そしてペーターもまた、謎の小説の兵士・カールを追い求めて長い遍歴をすることになります。遍歴の後、イタケーに帰り着いたオデュッセウスが見出したのは貞節なペーネロペイア。しかしペーターが帰り着いた時、そこにいるのがペーネロペイアとは限りません。
シュリンクの作品を読むのは「朗読者」「逃げてゆく愛」に続いて3冊目なんですが、今回はあまり入り込めなかったかな... 中心となる小説の断片があまり魅力的じゃないというのもあったんですけど、ちょっと気になることが多すぎて気が散ってしまったような気がします。
まず「オデュッセイア」。ペーターの読んだ「オデュッセイア」は、イタケーに帰りついてハッピーエンドではなくて、その後も長い遍歴をしなければならなかったそうなんですけど... 私が読んだ「オデュッセイア」は、ほぼハッピーエンドだったはず! ペーターみたいに私も勘違いしてるのかなあ。いやいや、そんなことないと思うんだけど。まさかドイツ版はまた違うとか? うーん、気になります。私が読んだのは岩波文庫の松平千秋訳(感想)なので、ちゃんとしてるはずなんですが...。次に、事実の周りをぐるぐると回ってたペーターは、ある時いきなり核心に近づくんですが、そのことがなぜ分かったのかが良く分からないんです。天啓のようなものだったとか? いきなり自信を持って飛躍した話を始めるペーターにびっくりです。この辺りには、もう少し説明が欲しかったところ。さらに、ペーターは小さい頃から色んな人物に出会って様々な出来事があるんですけど、いかにも後に繋がりそうな人や出来事が、それっきりになってしまってるのが結構多かったような... それも気になりました。
ナチスのことや、東西ドイツを隔てていた壁の崩壊などのドイツの歴史的瞬間が描かれて、まだまだシュリンクにとって第二次世界大戦は過去のことではないのだということを感じさせられたのはこれまで通り。オデュッセウスがさらに遍歴を重ねなければならなかったように、シュリンクもまだ遍歴続けなければならないのでしょうか。でも今回、ペーターの遍歴の終わりには希望も感じられるんですよね。シュリンクの中の第二次世界大戦も、徐々に終わりに近づいているということなのかもしれませんね。(新潮クレストブックス)


+既読のベルンハルト・シュリンク作品の感想+
「朗読者」「逃げてゆく愛」ベルンハルト・シュリンク
「帰郷者」ベルンハルト・シュリンク

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勅命を帯びて河源へと向かっていた「わたし」はいつしか道に迷い、古老の言い伝えによれば神仙の棲むという深山幽谷へと迷い込みます。そこで三日の間斎戒沐浴した「わたし」は軽い舟で渓流を遡り、やがて桃の花の咲く谷川に到着。空一面光り輝き、いい匂いのする風が吹くこの地には仙女の住まいがあり、一夜の宿を請った「わたし」は仙女と詩のやりとりをし、食事や音楽を楽しむことに。

遣唐使によって奈良時代に日本に伝えられ、古文学に多くの影響を与えたという唐代伝奇小説。中国では早くに散逸したらしんですが、日本にきちんと残ってたというのが面白い。巻末には醍醐寺古鈔本の影印も収録されてます。

やっぱり桃源郷とくれば桃の花がつきもの。ここに住んでいるのは「十娘」「五嫂」と呼ばれる仙女たち。「十娘」が17歳で「五嫂」が19歳、2人とも夫を亡くした身の上で、とても人間とは思えない美しさ。主人公は十娘と盛んに詩のやり取りをした上で、ようやく家に招き入れられ、十娘や五嫂に山海の珍味や美しい音楽でもてなされることになります。詩が多く挿入されているというのは今まで読んだ伝奇小説にはなかったので驚いたんですが、この優雅なやり取りが奈良・平安時代の貴族に好まれたんでしょうね。それにしても、美食に美姫。ああ本当に男性のドリームな話だわー。(笑)(岩波文庫)

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