Catégories:“2009年”

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1492年夏。シエナの街のカンポ広場で馬を走らせていたチェーザレ・ボルジア。チェーザレはあと1ヶ月で17歳という頃で、ピサ大学に通う学生。その日は、シエナの街の恒例の年中行事であるパーリオ(競馬)出場のために、練習をしていたのです。そこにローマにいる父親・ロドリーゴ・ボルジアからの書状が届きます。それは、その日行われた法王を選出する枢機卿会議コンクラーベで、チェーザレの父親が新法王に選ばれてアレッサンドロ6世となったという知らせ。そして父に呼ばれて、チェーザレもローマに向かうことになったのです。

高校の時に読んだ本の再読です。ちょっと前にタニス・リーの「ヴェヌスの秘録」(感想感想)を読んだ時に、明らかにチェーザレ・ボルジアやその妹のルクレチアがモデルとなっている人物が出ていて、その時からもう一回読みたいなあと思っていたんです。今年になって読んだマイケル・スコット「マジシャン 魔術師ニコロ・マキャベリ」(感想)にも、マキャベリが登場するだけあってこの時代のエピソードが出てきましたしね。そして高校の時になんでこの本を手に取ったかといえば、多分、川原泉さんの「バビロンまで何マイル?」がきっかけ。(笑)

チェーザレがヴァレンティーノ枢機卿として存在する時代「緋衣」、枢機卿職をおりてから野心のままに突き進む「剣」、そして父の法王が亡くなってからの「流星」と3部構成。1492年といえば、そういえばコロンブスがアメリカ大陸を発見した年なんですねえ。地球のあっちとこっちでは、こんなことがあったのか。(笑)
今回読んでいてちょっと意外だったのは、妹のルクレツィアの出番が少なかったこと。これだけだったかしら? 以前読んだ時はすごく印象に残ったような気がしてたんだけど...? 例えばダンスのシーンがあるんですけど、そういうのを自分で勝手にイメージを膨らましてしまったのかしら。そして今回いいなあと思ったのは、ドン・ミケロット。いつも影のようにチェーザレについている存在。チェーザレの右手で、彼の存在だけで誰かの死を意味すると言われる美しい青年。まあ、こうやって読むと、かなり美化されてるんだろうなって思いますが~。

以前読んだ時もものすごくさっぱりした(というか、そっけない?)作品だとは思ったし、今もそう思うんですが、「ローマ人の物語」に比べると遥かに小説らしいですね。(新潮文庫)


+既読の塩野七生作品の感想+
「ローマ人の物語 危機と克服」21~23 塩野七生
「ローマ人の物語」8~10 塩野七生 「ガリア戦記」カエサル
「コンスタンティノープルの陥落」「ロードス島攻防記」「レパントの海戦」塩野七生
「ローマ人の物語 ローマは一日にして成らず」1・2 塩野七生
「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」塩野七生
「ローマ人の物語 ハンニバル戦記」3~5 塩野七生
「ローマ人の物語 勝者の混迷」6・7 塩野七生
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前」8~10 塩野七生(再読)
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以降」11~13 塩野七生
「ローマ人の物語 パクス・ロマーナ」14~16 塩野七生
「ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち」17~20 塩野七生
「ローマ人の物語 賢帝の世紀」24~26 塩野七生
「ローマ人の物語 すべての道はローマに通ず」塩野七生

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父と息子と僅かな人々を連れてトロイを脱出したアエネアスが、長い航海の果てにローマ近くの海岸に辿りつき、土地の王女を妻にしてそこに定住、その血を引くロムルスが後にローマを建国することになった... というのは、ローマ人たちに信じられていた建国の物語。「知力では、ギリシア人に劣り、体力では、ケルト(ガリア)やゲルマンの人々に劣り、技術力ではエトルリア人に劣り、経済力ではカルタゴ人に劣るのが、自分たちローマ人である」と自ら認めるローマ人がなぜあれだけの大文明圏を築き上げ、長期にわたって維持することができたのか... それを考えつつローマ帝国の興亡を描きあげる超大作の序章です。

リンゼイ・デイヴィスのファルコシリーズ(感想)にハマって、ヴェスパシアヌス、ティトゥス、ドミティアヌスという3人の皇帝について知りたくてその部分を読み、その後カエサルの前半部分だけを読んだ「ローマ人の物語」。今度は最初の1巻です。やっぱり最初の1冊目から順番に読むというのは重要ですね。例えばファルコシリーズに散々出てくるローマでの役職のことなんかもこの最初の2冊(ハードカバーでは1巻)に出てくるし。ローマにある丘のこともよく分かるし。でも読みながらちょっと混乱してしまったんですけど、これってあくまでも「小説」だったんですね。塩野さんが調べたことを想像を交えて書いた小説。こんなに歴史解説書のような書き方をしているのに、それでも小説なのか!というところで、どうも私としては受け入れがたいものがあるんですが...。

いえ、ローマ部分はいいんです。各人の造形や出来事を膨らませて書いているのが分かるから。でもね、文庫の1巻途中からギリシャについての記述が始まるんですよね。「では、ローマよりは先発民族であったギリシア人は、ローマからの調査団を迎える前五世紀半ばまでに、どのような歩みをしてきたのであろうか」なんて文章で始まって、完全に説明口調で書かれてしまうと、そこはどうしても純粋な解説を読んでいるような頭になってしまうわけです。そこは純然たる事実が書かれているのだろうと思ってしまう。でもそうではないんですね。実際その内容はホメロスの「イーリアス」「オデュッセイア」、アイスキュロスの「アガメムノーン」を始めとするギリシャ悲劇、ヘロドトスの「歴史」といった作品の要約を繋ぎ合わせたようなもの。トロイ戦争から帰ったアガメムノンが浴室で殺されたのはお話だろって分かるとしても、そういういかにも「お話」ってとこ以外は、事実だと思い込む人も多いんじゃないかなあ...。もう少し気を配って書いて欲しいなって思っちゃう。こういうとこも塩野さん流の小説なんだとしたら、どこまで信じて読んだらいいのか分かりませんー。
なんて書きましたが、ローマ人の部分は面白いです。ローマ人がなぜギリシャ人よりもエトルリア人よりも強い勢力となり、そして長い間生き残ったか。それがすごく分かります。私としては、カエサルの部分を読んだ時も思ったんですけど、敗者を滅ぼすのではなくて同化させる道を選んだことじゃないかと思いますね。もちろん寛容な宗教の存在も大きかったでしょうけどね。(新潮文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ローマ人の物語 ローマは一日にして成らず」1・2 塩野七生
「ローマ人の物語 ハンニバル戦記」3~5 塩野七生
「ローマ人の物語 勝者の混迷」6・7 塩野七生
「ローマ人の物語」8~10 塩野七生 「ガリア戦記」カエサル
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前」8~10 塩野七生(再読)
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以降」11~13 塩野七生
「ローマ人の物語 パクス・ロマーナ」14~16 塩野七生
「ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち」17~20 塩野七生
「ローマ人の物語 危機と克服」21~23 塩野七生
「ローマ人の物語 賢帝の世紀」24~26 塩野七生
「ローマ人の物語 すべての道はローマに通ず」塩野七生

+既読の塩野七生作品の感想+
「コンスタンティノープルの陥落」「ロードス島攻防記」「レパントの海戦」塩野七生
「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」塩野七生

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大西洋の沖合いの6000メートルもの深さの海面に浮かぶ小さな村。村を通るただ1本の道に沿って色褪せた赤煉瓦の家や店が並び、沢山の小窓がある鐘楼が立つこの村には、木靴をはいた12歳の少女がたった1人で暮らしています。船が近づくと少女は激しい眠気に襲われ村全体が波の下に沈むため、船乗りの誰1人として、この村を望遠鏡の隅にすら捉えたことがないのです... という「海の上の少女」他、全20篇が収められた短篇集。

日本では最初に堀口大學が紹介して以来、詩人たちのアイドル的存在だったというシュペルヴィエル。聖書のエピソードを膨らませたりアレンジした作品もあれば、ギリシャ神話をモチーフにしているものもあり、フランスの普通の人々を描いた作品もあり、どこか分からない場所の物語もあり、収められている20編はとてもバラエティ豊かです。でもそこに共通しているのは、透明感のある美しさ。どの作品も散文なんですけど、詩人だというだけあって詩的な美しさがありました。
特に印象に残ったのは、大海原に浮かぶ村を描いた幻想的な表題作「海に住む少女」。そして娘の溺死体が海に流れ着く「セーヌからきた名なし嬢」。読んでいると情景が鮮やかに浮かび上がってきます。美しいなあ...。そして驚いたのは、死を感じさせる作品がとても多いこと。大半の作品が何らかの形で「死」を描いてるんですね。「死」そのものというよりも、「生」と「死」の境界線上かも。「死」とは関連していなくても、たとえば「少女」と「女」、「人間」と「人間でないもの」みたいな何らかの境界線上で揺らいでる印象が強いです。それはもしかしたら、フランスと生まれ故郷のウルグアイとの間で揺れ動いていたシュペルヴィエル自身だったのかしら、なんて思ってみたり。
それと思ったのは、作品を自分の方に引き寄せて読むのではなくて、作品の方に歩み寄らなければならないということ。そこに書かれているがままを受け入れ、味わわなければならないというか... 絵画的な美しさが感じられることもあって、まるで静まりかえった美術館で絵画を眺めているような気分になりました。 (みすず書房)

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愛の女神・ヴェーヌスの美しい洞窟。ヴェーヌスは薔薇色の光が漏れる洞窟の豪華な臥所に身を横たえ、タンホイザーはそのかたわらに寝入っています。周囲では妖精たちや人々による歓楽の情景。しかしその歓楽の宴が終わって目覚めた時、タンホイザーはヴェーヌスのもとを去る決意を固めていたのです。それは夢の中で耳にした教会の鐘の音がきっかけ。タンホイザーは、ヴェーヌスの寵愛を受ける今でも自分が死すべき人間であることに変わりはないこと、森や草原、空、鳥、教会といった地上のもの、そして自由を求めていることを語ります。

ワーグナーによるオペラ「タンホイザー」。タンホイザーは13世紀のドイツに実在した詩人。ヴェーヌス(ローマ神話の愛の女神・ヴィーナスね)の洞窟で永年過ごし、ある時に悔い改めるつもりでローマ法王のもとに行くのですが赦しを得られず、再びヴェーヌスの洞窟に戻ったという伝説があるんだそうです。なぜヴェーヌスが洞窟にいたのかといえば、キリスト教がヨーロッパに広まるにつれて、神話の神々は厳しい弾劾を受けるようになり、それを避けるために地下に宮殿をかまえたから。そして、それとはまた別に、テューリンゲンのヴァルトブルクの城で行われた、詩人たちによる歌合戦の伝説もあるんだそうです。ノヴァーリスの「青い花」(感想)の主人公・ハインリヒ・フォン・オフテルディンゲンもこの歌合戦に参加してたんだとか。そしてワーグナーがこの2つの伝説を結びつけて、「青い花」のハインリヒをタンホイザーに置き換えて書いたのがこの作品。

話の雰囲気とか、エリザーベトの清らかな愛情、タンホイザーの迷いなんかはいいんですけど... これじゃあ、ヴェーヌスが可哀想。ヴェーヌスの愛情が本物だったという線も十分あり得ると思うのに、ここではあくまでもキリスト教に対する異端の魔女的に描かれてるんですよね。まるで魔法でタンホイザーを誑かしたみたい。でもそれは違うでしょ...? と言いたくなるのは、私が神話好きだからでしょうかー。いや、実際にはこうしか書けないんでしょうけど。最後の姿が哀しいです。
「ニーベルンゲンの指環」の4冊はアーサー・ラッカムの挿絵でしたが、こちらは東逸子さんの挿絵。新書館のこのシリーズはどれも美しいですね。他のワーグナー作品も今度読もうっと。そしてこの本を読んでる時にたまたまリストのCDをかけてたんですが、最後にタンホイザー序曲が! そうだった、忘れてたー。...というのもすごい話ですが(笑)、私としてはこのシンクロにびっくりです。(新書館)


+既読のリヒャルト・ワーグナー作品の感想+
「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」リヒャルト・ワーグナー
「タンホイザー」リヒャルト・ワーグナー
「さまよえるオランダ人」「ローエングリン」リヒャルト・ワーグナー

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むかしむかしのある日のこと、大きなもりの中にぽつんとある町の通りを、1人のせむし男がタイコをたたきながねり歩き、さけびだします。「ゆこう どこかにあるはすだ もっとよいくに よいくらし!」 町の人々はその男を牢屋にとじこめようとします。しかし町をくまなくしらべてみても、どこにもその男はいないのです。その夜、ひとりの老人がタイコを持っているのを見つかり、牢屋にとじこめられてしまいます。人ちがいだと言っても、だれも聞いてくれません。そしてあくる朝、またしても同じようにさけぶ声が。老人と牢番が一緒にタイコをたたきながら、同じようにさけんでいたのです。

たった1人が叫んだ「ゆこう どこかにあるはすだ もっとよいくに よいくらし!」 という言葉。最初は1人だったのが2人となり、8人になり、見る見るうちにもっと増えて、あっちでもこっちでも人々がタイコをたたき始めます。それは水滴が集まって水となり、やがては川となって勢い良く流れていくような感じ。読んでいる私まで、その奔流に飲み込まれてしまいそうになります。1つの町で始まった行進は、他の町も巻き込んでどんどん勢いを増して、しまいにはものすごい大きさに。まるでレミングの行進みたい。でも可笑しいんだけど、笑うに笑えない...。何があってもあくまでも前進してゆく人々の姿が、痛々しく見えて仕方ありません。それだけにすごく印象に残るんですけどね。これは何を意味しているのだろうと思いながら読んでいたら、最後にライナー・チムニクの紹介が。1930年にポーランドに生まれ、ミュンヘン在住の作家さんだと分かって、深く納得。
グレー地に、ライナー・チムニクが自ら描いたという細いペン描きの絵があって、とてもシックでお洒落な本です。絵もすっごく可愛い! ちょっと細かいんだけど、味わいがある絵なんですよね。そして矢川澄子さんの訳がやっぱり素敵。「ゆこう どこかにあるはすだ もっとよいくに よいくらし!」 ...このリズム感がいいんですよね。(パロル舎)

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50年ほど前、ロンドンに1人の豪商と義足作りに関しては類まれな腕の持ち主の親方がいた頃の物語。足を失った豪商は早速親方を呼びつけます。そして体にきっちりと合い、軽く、ひとりで勝手に歩き出すほどの脚が欲しいと注文するのですが... という「義足」他、全14編。

先日イギリス幻想小説傑作集を読んだ時に奇妙な世界の片隅でのkazuouさんに勧められたのが、この「スペイン幻想小説傑作集」。
スペイン文学はリアリズムが主流と言われてるんですが、これはスペインに早くからキリスト教が広まっていたこと、回教徒の侵入に抵抗するために異教的要素を極力排する必要があり、民間信仰や民間伝承の幻想譚が切捨てられたこと、そして宗教改革時に、そういった物語が再び断罪されたことが大きく関係しているのだそう。でも紀元前にケルト人の侵入を受けたイベリア半島北西端のガリシア地方なんかは、雨の多い陰鬱な気候と相まって、今でも民間信仰や異教的雰囲気をかなり残してるし、神秘的・幻想的作品を沢山生み出しているのだそうです。

「イギリス幻想小説傑作集」は怪奇的な作品が多かったんですが、こちらはユーモアがかった作品が多かったかな。特に可笑しいのは上にあらすじを書いた「義足」。すごいブラックユーモアなんですけどね。まさか、義足に連れられて世界中を駆け巡ってしまうとはー。(しかも最後の最後まですごいんです) あと、貧しくとも美しい主人公で、拾った人形を大切にするうちにその人形に魂が宿ってしまう... という一見昔ながらのおとぎ話のような「人形」という作品も、実はユーモアたっぷり。でもこちらは際どい路線。シニカルな笑いなのは、骸骨になってしまった登場人物たちが可笑しい「ガラスの眼」。
ちょっと読んだことのない雰囲気でびっくりしたのは、突然世界が真っ暗闇に覆われてしまった...! という「暗闇」。火が燃えていても、目には見えないんです。なので世界が暗闇になったというより、人々が突然みんな盲目になっちゃったってことなんですけど、主人公の目覚めた頃の長閑な雰囲気が一転して、この世の終わりといった感じになるのが迫力。そしてこの本で一番幻想的な作品だなあと思ったのは(私のイメージの「幻想」ですが)、学校をずる休みした少年が原っぱの祭りに行って、射的で特賞の島を当ててしまうという「島」。これはちょっと恒川光太郎さんの「夜市」(感想)みたいな感じ。この世とあの世の境界線が曖昧で... こういう雰囲気は大好き。

この中にアルバロ・クンケイロの「ポルトガルの雄鶏」という作品があって、この短篇自体はあんまりどうってことないんですけど(失礼)、アーサー王伝説の魔法使い・マーリンが主人公の「マーリンと家族」という長編からの抜粋なんだそうです。マーリンが主人公だなんて、これは読んでみたいなあ。でも未訳。(白水uブックス)


+シリーズ既刊の感想+
「イギリス幻想小説傑作集」由良君美編
「スペイン幻想小説傑作集」東谷穎人編
「ドイツ幻想小説傑作集」種村季弘編

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格闘技を観るのが好きな父と、格闘するのが好きな母。母にとっては全てが敵か味方か二つにひとつ。そして「私」は、普通のやり方で子供を授かることに不満だった母が、孤児院から貰ってきた子供。母とタッグを組んで「自分たち以外のすべてのもの」と闘うために、この家に連れてこられたのです。「私」は狂信的な母によって宗教的な教育を受け、異教徒たちと日々戦うことになります。

先日読んだ「さくらんぼの性は」がとっても面白かったジャネット・ウィンターソン。これは彼女の自伝的な作品なのだそう。主人公の名前も「ジャネット」です。
ここに登場する母親は狂信的なキリスト教の一派の信者。新約聖書ではなく旧約聖書ばかり読んでるというところも、通常のキリスト教の信者とはかなり違う感じ。そんな母親にジャネットは徹底的に宗教教育されることになります。読み書きを習うのも旧約聖書を使って。だから小学校に入った時には、周囲から完全に浮き上がってしまうんですね。真に迫った様子で地獄の話をしてクラスメートを怖がらせてみたり、家庭科の時間も、みんながふわふわした羊なんかを刺繍してるのに、1人地獄をモチーフに黒一色で刺繍をしてみたり。それでもジャネットは母親と教会を100%信頼してるし、先生にも、自分に理解できないものだからって、価値がないと決めつけるの間違いですなんて反論してます。
でもある出来事がきっかけで、自我に目覚めて、全ての物事を自分の目で見つめなおすようになるんです。ま、思春期ですしね。それまで信頼してた親の言動に疑問を持つようになるというのは、ごく普通のことなんですが。ジャネットの家がちょっと極端だっただけで。...とは言っても、やっぱりここの家はスゴイのだけど。(笑)

最後はどうやらすっかり元の鞘に収まってしまったようで、それが少し不思議だったんですが... でもこんなものなのかな。狂信的な信者だったというのが問題なだけで、母親はジャネットのことをきちんと愛情を持って育てていたわけですしね。これが家族の絆なのかな。しばらく合わない間に「果物といえばオレンジ」だった母親は「オレンジだけが果物じゃないってことよ」になってたんですけど... でも実は何も変わってなくて。そんな母親をコミカルにシニカルに描写しているのが、さっぱりとしてていい感じです。
本筋も面白かったんだけど、それ以上に(?)面白いのが時折挿入される寓話。これがその時々のジャネットの心情を現してるんです。こういうのがジャネット・ウィンターソンらしさなんだろうな。こういうの好き好き♪(国書刊行会)


+既読のジャネット・ウィンターソン作品の感想+
「さくらんぼの性は」ジャネット・ウィンターソン
「オレンジだけが果物じゃない」ジャネット・ウィンターソン

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Note


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