Catégories:“2009年”

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ピレネー山脈を仰ぎビスケー湾を臨むフランス西南部に広がるバスク地方。ここに古来より居住しているのは、バスク語を母国語に持つバスク民族。バスク民族は起源不明の神秘的な民族で、バスク語もまた、近隣のフランス語やスペイン語といったラテン語系の言語とは異なり、未だに世界のどの言語にも系統づけられていないものなのだそうです。そして、峻峰ピレネーの山なみに守られて、近隣の諸民族とはまた違う特異性を保ち続けているバスク地方に伝わるのは、女性的な魅力と妖怪の恐ろしさを合わせ持つ妖精・ラミナや、超人的な力を持ちながら無垢な子供にだまされる怪物タルタロといった自然が妖怪化したもの、熱心なカトリック信仰が土俗民話が結びついた、キリスト教の説話的なものや魔女たちの民話、そして動物と共存するバスク人らしい言葉を話す動物たちの民話など。これらの民話は、古くからバスク人たちの間で口承により伝えられてきたものなのです。

ラミナやタルタロの民話も、いかにも民話らしくて面白いんですが、この本でユニークだったのは断然「主キリストとペテロ聖人の奇跡」の章。既に知ってる民話の登場人物がキリストとペテロに入れ替わってるだけ、というのも多かったんですけど、今まで読んだことないパターンのも色々と。で、このキリストとペテロ、なんだか人格的に変なんです...。泊めてもらった家で翌日の麦打ちをやる約束をしておきながら、いつまで経ってもベッドから出ようとしなくて主人を怒らせてるし! 旅をしてる最中に女と悪魔が猛烈な口喧嘩をしているのを見て、ペテロはいきなり双方の頭を切り落としてしまってるし!(あとでまたくっつけるんですけど、間違えるんだな、これが) 石に躓いたり牛糞を踏んで滑って、ペテロが怒ってるし! ...ペテロはなんだか小ずるくて全然人間できてないし、キリストだって、ちょっとしたことで根に持ってペテロに仕返ししてるし、一体何なんでしょうね、この2人は。しかも、おなかがすいたペテロが麦の落穂を拾い始めて、それをキリストが見咎めるという話があるんですけど、この場面の挿絵が凄すぎる!(大笑)
バスク人たちは、こんなキリストとペテロでも信仰心が揺らがなかったんですかね? それとも逆に人間味を感じて親近感だったとか? 私だったら、こんな人たち信仰したくなくなっちゃいそうだけどなー。(笑)(現代教養文庫)

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今はもうない現代教養文庫は、こういう伝承民話集の本を色々と出してたんですよね。以前も「ケルト妖精民話集」「ケルト幻想民話集」「ケルト魔法民話集」(感想)、「ブルターニュ幻想 フランス民話」(感想)、「ジプシー民話集」(感想)なんていうのを読んだんですが、今回はフランスの民話集を3冊。「幻想」「妖精」「怪奇」です。

本題とは関係ないのだけど、こういう時に使われる「幻想」という言葉が、今ひとつ掴みきれていない私です。白水uブックスで「○○幻想小説傑作集」なんていうのが出てるのを何冊か読んだんですが(○○は国名)、これって「幻想」というより「怪奇」では? なんて思う作品が多かったんですよね。「幻想」って、現実から離れた空想的な... ええと、ファンタジックなものを指すんだと思ってたんですけど、違うんですかね? 純粋な言葉の意味としてはホラー味はあんまり関係ないと思うのだけど、文学的にはホラー味を含むのが常識なんでしょうか...?

今回読んだ「フランス幻想民話集」も、ちょぴり怖いお話が多かったです。全体的に死の影が濃くて、後味が良くなくて... 一種独特な陰鬱さ。「恋人たち」「悪魔」「領主」「求道者」「死者」「亡霊」の6章に分かれてるんですが、「悪魔」「死者」「亡霊」はともかく、「恋人」の章ですら結構スゴイ。美しい娘の心を得ようと、彼女が欲しがるもののために頑張る男が、最後にはとうとう失敗して心臓を失ってしまう話とか、実の母親に恋路を邪魔される人間と鳥の悲恋話とか、悪魔にたぶらかされる美しい娘の悲惨な話とか、女を誘惑しては捨てる浮気な男に、死んだ女性たちがこぞって仕返しをする話とか! 普通のハッピーエンドが1つもないじゃないですか。いやでもすごく面白いのだけど。あ、この本には「青ひげ」も入ってました。ペローの「青ひげ」とはまた違うけど、基本的なとこは一緒。
そして今度は「フランス妖精民話集」を読んでみると。こちらはうって変わってどこかで読んだ童話のような話が多かったです。グリムやペロー、北欧の民話に見られるような話もあれば、神話的なものもあって(実際に「プシュケ神話」の章もある)、基本的には美しく気立ての良い少女が、途中いささか苦労するにせよ、最後に幸せになる、あるいは醜い男がそのありのままを愛してくれる女性を見つけ、最後には素晴らしい王子さまになる、という物語が中心。「フランス幻想民話集」とは雰囲気が違いすぎてびっくり!
そして「フランス怪奇民話集」。ええと、怪奇ってこういうのなんですかね? 確かに死者が起き上がって復讐にやって来たり、生きている人間をむさぼり喰ったり。あるいは死者が世話になった人物に恩返しをしたり。悪魔に狙われたり。そういう風に書くと怖そうだし、実際、生と死の境目が曖昧になったような話が多いんですが... あんまり怖くないし、むしろ農民が悪魔をやっつけてしまったり、「イワンのばか」的なユーモアを感じるような? これなら「幻想民話集」の方が余程怖かったよ! あっちの方が「怪奇」だと思うんだけど、こっちが「怪奇」? そういうものなんでしょうか? うーん、よく分からん。

ということで、3冊の中では「フランス幻想民話集」がダントツで面白かったです。あと「フランス怪奇民話集」の解説の、死の通過儀礼、死と復活の儀式の話や、再生によって神性を得たとも考えられるモチーフの話も面白かった。こういう読み解き方を知ると、民話を読むのがぐんと面白くなるんですよね。以前読んだ中沢新一さんの「人類最古の哲学」(感想)にもそういうのがあってものすごく面白かったんだけど、他にもそういう読み解き方に関する本があったら読みたいなあ。
ご存知の方がいらしたら、ぜひ教えてくださーい。(現代教養文庫)

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トマス・カイトリーの著書「フェアリーの神話学」の解説部分と代表的な民話を収めたのが「妖精の誕生」。そちらに収めきれなかった民話を集めたのが、この「フェアリーのおくりもの」。スカンジナビア、ドイツ北部のリューゲン島、ドイツ、スイス、イギリス、ケルト人とウェールズ人という章に分けて民話67編を紹介していきます。

先日読んだ「妖精の誕生」とセットになるような本で、この2冊を読んで元々の著作「フェアリーの神話学」がほぼ網羅されることになります。ええと、トマス・カイトリーは妖精を「ロマンスの妖精」と「民間信仰の妖精」の2つに大別してるんですね。「ロマンスの妖精」は、アーサー王伝説やシャルルマーニュ伝説に登場するような妖精。その多くが魔法や様々な超能力を身につけた人間の女性で、ギリシア神話の運命の三女神・モイライの流れをひくもの。「民間信仰の妖精」は、自然力と人間の心の能力を人格化したもので、人間でも神でもない「妖精」。この「妖精のおくりもの」で紹介されているのは、その「民間信仰の妖精」の物語です。
カイトリーによると、「民間信仰の妖精」は、エルフ、小人、家の精、川や湖の精、そして海の精の大きく5つに分けられるとのこと。で、例えば同じエルフでも、「エッダ」に登場するのは「アルファル」、スウェーデンでは「エルフ」、デンマークでは「エルヴ」、ドイツでは「エルベ」、イギリスでは「エルフ」というように各地方によって呼び方が変わっていて、その性格も少しずつ違うんですね。やっぱり人と共に移動するにつれて、微妙に変化していったんだろうな。そして今回驚いたのは、アイルランドのイメージの強かった「取り替え子」の物語が、実はスカンジナビアにもあったこと。妖精だけでなくお話も移動してるのに何も不思議はないんですけど、やっぱりちょっとびっくりでした。こういう妖精やお話の発祥した場所とか移動したルートが分かればいいのに。面白いだろうな。(まあ、民族の移動を追っていけば、ある程度分かるんでしょうけど)

「妖精の誕生」では、ペルシアやアラビアといった東洋のフェアリーの話に始まっていたのに、こちらにはその辺りの民話がまったくなかったのが残念なんですが、収められている伝承のほとんどはカイトリー自身が採取しているようなので、さすがにペルシアやアラビアでの採取は無理だったということなんでしょうね。その代わりに、こちらには「妖精の誕生」では取り上げられていなかったリューゲン島やマン島、そしてスイスが取り上げられていたし、とてもバラエティ豊かな民話集になってました。国ごとの妖精譚を読むのも面白いですが、そういった物語や妖精の存在を体系的に捉えられるところがやっぱりこの人の著作の特徴でありいいところかと。(現代教養文庫)


+既読のトマス・カイトリー作品の感想+
「妖精の誕生 フェアリー神話学」トマス・カイトリー
「妖精のおくりもの 世界妖精民話集」トマス・カイトリー

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ある日クードレットが主から命じられたのは、その祖先にあたる人物や出来事などの史実を物語に編むこと。クードレットの主はポワトゥのさる大領主で、パルトゥネの殿様と呼ばれており、その一族は妖精の血を引いているといわれていました。それは気高いリュジニャン城を築城し、数々の町を築かせたメリュジーヌのこと。クードレットは早速妖精メリュジーヌとその伴侶となるレモンダンの泉のほとりでの運命の出会い、結婚、そして彼らの10人の息子たちの物語を書き始めます。

メリュジーヌ伝説は、元々はケルト的な妖精伝説。現存するテキストとしては、ジャン・ダラスによって1393年に書かれた散文の「メリュジーヌ物語」、そして1401年以降に書かれたクードレットによる韻文作品「妖精メリュジーヌ伝説」が最も古いようで、これはそのクードレットの方。でもその2つの作品以前から、メリュジーヌにまつわる口承伝承がフランス各地に存在していたようです。
この物語に登場するメリュジーヌは、上半身が美しい女性で下半身が蛇。普段は人間の女性の姿で過ごしてるんですが、実の母親の呪いによって、土曜日だけ下半身が蛇になってしまうんですね。だからメリュジーヌの夫は、土曜日のメリュジーヌがどこに行こうとも何をしていようともその秘密を探らないという約束なんです。でもこういう約束は必ず破られるもの。要するに、「鶴の恩返し」と同じ「見るな」のタブー。でもこの作品はそれだけではなく... ここに登場するリュジニャン一族は実在していて、その一族の歴史を語る物語でもあったのでした。そこにびっくり!
読んでいてとても強く感じたのは、キリスト教の影響。作中では登場人物たちが繰り返しキリスト教、特にカトリックの信者であることが強調されていて、それはメリュジーヌも同様なんです。最初の出会いの時から、神の御名を出してレモンダンの警戒を解こうとしてますし、実際結婚式はカトリックの司祭によって執り行われます。でも、その妖精たちの故郷は、アーサー王伝説で有名なアヴァロン! 文中には「トリスタンの一族の血を引いた者」や「魔法使いマーリンの弟子」という言葉も登場するし、キリスト教色が濃いとはいえ、原形がまだまだ残ってるんですねえ。

10人の子供がいようとも、いつも変わらず美しい恋人であり続けるメリュジーヌ。このメリュジーヌの存在は多くの詩人を引き付けたようで、色んな作品の中でメリュジーヌの存在が感じられるのだそう。例えばアンドレ・ブルトンの「ナジャ」や「秘法十七番」。ゲーテの「ウィルヘルム・マイスター」の中の挿話の題名は、「新メリュジーヌ物語」。あと、調べてたら、メリュジーヌは「メリサンド」とも呼ばれると分かって、それもびっくりです。メリサンドといえば、メーテルランクの「ペレアスとメリザンド」(感想)じゃないですか。そうか、これも水の女だったんだなー? 「ペレアスとメリザンド」でメリザンドが初めて現れたのは泉のほとりだし、こちらもそうですもんね。この「妖精メリュジーヌ伝説」は、訳が子供向けのような語り口であったこともあって、読みながらそれほど物語に入り込めなかったのが残念だったし、せっかく原文が韻文なのに散文に訳されてしまってるのが残念だったんですけど、他のメリュジーヌの物語やそれに触発された作品も読んでみたいな。(現代教養文庫)

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日本に帰化し、「小泉八雲」と名乗るほどに日本を愛していたラフカディオ・ハーン。彼が日本各地に伝わる伝説、幽霊話などを再話した、有名な「耳なし芳一のはなし」を始めとする17編の「怪談」と、「蝶」「蚊」「蟻」にまつわる3編のエッセイ「虫の研究」。

ラフカディオ・ハーンは、アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれて、アイルランド、フランス、イギリスで教育を受けた後にアメリカに渡ってジャーナリストになり、さらに紀行文を書くために来日したという人物。日本では高校や大学の英語教師をつとめ、小泉節子と結婚し、その後帰化。イザベラ・バードやアーネスト・フェノロサらと並ぶ日本紹介者として有名ですね。そのラフカディオ・ハーンが、妻である節子から聞いた怪談話をきっかけに、日本古来の文献や民間伝承に取材して創作したという短篇集です。原文は英語で書かれていて、これはそれを日本語に翻訳したもの。

「耳なし芳一」や「雪女」といった話は、もう本当に有名ですよね。最早ラフカディオ・ハーンの手を離れてるのではないかと思うほど、一般に浸透した昔話となっていますが、その他の話もよく知られているものが多いです。でも知っている物語でも、改めて読むと思っていたのとはまたちょっと違っていてびっくり。例えば「耳なし芳一」は、主人公の芳一は目が見えないので、基本的に視覚的な描写というのがないはずなんですが、これがものすごく映像的なんです。特に芳一が甲冑に身を固めた武者に連れられて「さるやんごとないお方」を訪れる場面。芳一の耳に聞こえてくる音からでも、情景が立ち上ってくるみたい。「雪女」も、子供用の絵本からはちょっと味わえない、しみじみとした哀切感と夢幻的な雰囲気があって素敵だったし...。可笑しかったのは「鏡と鐘」。「ちょっと言いかねる。」で終わってしまうところが絶妙なんですよね~。(これだけじゃあ意味が分からないと思うので、ぜひ読んでみて下さい♪) しみじみとした美しさのある「青柳ものがたり」もとても好きな作品。今回改めて読んでみて、純粋に物語としての面白さが楽しめたのはもちろんのこと、その端々から江戸~明治時代の時代背景を伺い知ることができたのも楽しかったです。そしてラフカディオ・ハーンの再話能力のすばらしさも。この「怪談」の日本的な部分があくまでも日本らしく描かれているのは、ラフカディオ・ハーンはキリスト教に対してそれほどの信頼を置いていなかったというのが大きく関係しているような気もするのですが... どうでしょう。
そして意外な収穫だったのが「虫の研究」。これは虫にまつわる3編のエッセイなんですが、ここでは生まれながらの日本人ではないラフカディオ・ハーンの視点から語られることが、単なる虫に関する意見だけでなく、文化論・文学論にも発展するようなものだけにとても興味深かったです。蟻社会を人間社会に重ね合わせた「蟻」も哲学的だし、どこか近未来小説みたいで(というのは私が「一九八四年」を読んだところだから?)面白かったです。(岩波文庫)

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ゼウスの一族がオリュンポスの神々としてこの世界の統治者となり、天も地も安定し始めた頃。平和が訪れた地上では動物たちも順調に増え続け、そんな動物たちを管理する種族を大地から作り出すことになります。そしてゼウスの意向を受けたプロメテウスが作ったのは、神々と同じような姿の生き物。しかしただ従順な、神々の意志を忠実に実行する知恵を持つだけの種族を作るはずだったのに、プロメテウスの親指から流れた神血のせいで、人間は自分の意志を持つことになってしまったのです。怒るゼウスはプロメテウスを逆さ吊り刑に処し、人間を滅ぼすための大洪水を起こします。しかしただ1人の人間がゼウスの心を変え...。そしてそれからさらに時が流れ、オリュンポスでは今、人間の歴史に神々が介入することの是非を問う会議が開かれていました。

ヘレネとパリス、メネラオスとヘレネ、テレマコスとナウシカア。人間の歴史への神々の介入をかけて行われた賭けは3つ。神々はその賭けに介入を許されていなくて、選び取るのは人間自身... なのですが。

神々同士の会話の場面では、読み始めこそ「あ、こんな話し方するんだ」とか、私自身が以前から持ってた神々のイメージとは少し違ってたりもしたんですが、その辺りはすぐに馴染みました。イメージが違っていているところが、逆に面白かったりもしましたしね。特にモイライ! 私の中ではもう白髪のおばあさんのようなイメージしかなかったので、これは意表を突かれました。可愛い! しかもあのペタペタ、素敵! 読み終えた頃にはすっかりこの世界に愛着がわいてしまっていましたよ。そして、テレマコスとナウシカアのことを書きたいと思ったのがこの作品が生まれるきっかけというだけあって、やっぱりこの3つ目の話が一番読み応えがあって楽しかったです。(「いにしえからの慣わしにしたがって三度」というのは全くの同感だし、最初の2人のエピソードも良かったですけどねっ) ええと、トロイア戦争絡みの1つ目2つ目のエピソードはともかくとして、この3つ目のテレマコスとナウシカアについては、全くのオリジナルですよね...? テレマコスとナウシカアの話ってあるのでしょうか。確かに同じ時代だし、繋がりはあるのに、結び付けて考えたことってなかったなあ。じれったい2人が可愛いったら。
そして読んでいて一番印象に残ったのは、生まれた神々がそれぞれに司るもの、自分に与えられた役割について探るというくだり。その辺りに関しては、実は全然考えたことがなかったんですが、「なるほど~、本当にこんな感じなのかもしれないなあ~」。そしてここで、密かに努力を重ねながらも、それをまったく表に見せないヘルメスがまたいいんですね。作品全体を通しても、特に印象に残ったのはヘルメスでした。光原百合さんご自身もあとがきで「おしゃべりでいたずら好きで気まぐれで、意地悪なところと情け深いところをあわせ持つ」と書いてらっしゃいますが、本当にその通りの様々な表情を見せてくれるヘルメスがとても素敵で、イメージぴったり。そして今まで良いイメージのなかったアレスもまた違った意味で印象的でした。粗野で乱暴で、脳みそが筋肉でできたような戦好きというイメージだったんですが、ヘルメスの思いを読むことによって、また違った視点から捉えられるようになったかも。アレス自身の努力によって変えられたはずの部分ではあるけれど、確かにそういった知恵を持っていないのはアレスの責任ではなく... 哀しい存在ですね。
構想20年、実際に書き始めてから9年、ということで、読んでいてもその意気込みがとても強く感じられる作品でした。楽しかったです♪ 私はギリシャ神話が大好きだからもちろんなんですけど、あまり詳しくない人でも、これはきっと楽しめると思います~。逆にその人の中でのギリシャ神話の基本となってしまうかもしれないですね。(中央公論新社)


+既読の光原百合作品の感想+
「ありがと。 あのころの宝もの十二話」ダ・ヴィンチ編集部編(「届いた絵本」)
オール讀物11月号(文藝春秋)(「扉守」)
小説NON 11月号(祥伝社)(「希望の形」)
小説推理・オール讀物・星星峡(「1-1=1」「クリスマスの夜に」「オー・シャンゼリゼ」)
「最後の願い」光原百合
光原百合ベスト3@My Best Books!
「尾道草紙」尾道大学 創作民話の会
「銀の犬」「親切な海賊」光原百合
オール讀物 2007年10月号(「写想家」)
「嘘つき。 やさしい嘘十話」ダ・ヴィンチ編集部編(「木漏れ陽色の酒」)
オール讀物 2008年11月号(「旅の編み人」)
「新・本格推理 不可能犯罪の饗宴」二階堂黎人編・オール讀物 2009年8月号(「ピアニシモより小さな祈り」「花散る夜に」)
「イオニアの風」光原百合
「扉守 潮ノ道の旅人」光原百合
Livreに、これ以前の作品の感想があります)

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世界がオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国に分裂した近未来の社会。真理省の記録局に勤める党員・ウィンストン・スミスの仕事は、<ビッグ・ブラザー>率いる党の方針転換や様々な出来事によって、次々に変更を余儀なくされる歴史を改竄し続けること。歴史は次から次へと改竄され、しかし改竄された証拠は何ひとつとして残らず、全ての嘘は歴史へと移行したとたんに永遠の昔からの真実とされてしまうのです。そんな体制に、ウィンストン自身、強い不満を抱いていました。そんなある日、ウィンストンに接触してきたのは黒髪の若い美女・ジュリア。ウィンストンはジュリアと恋に落ち、テレスクリーンによる監視や思想警察の目をかいくぐってジュリアと逢い引きを重ね、やがては伝説的な裏切り者が組織したという<ブラザー同盟>に加わることになるのですが...。

ええと、普通は村上春樹さんの「1Q84」からこちらにくる方が多いと思うし、そもそもこの本がハヤカワから新訳で出たのもその流れなんでしょうけど、私はこっちだけ。以前ブラッドベリの「華氏451度」(感想)を読んだ時に、この作品もシャレにならないぐらい怖いという話を聞いて興味を持っていたのでした。しかも現在読破中のハヤカワepi文庫だし!(嬉) その「華氏451度」は1953年に書かれた作品ですが、こちらは1949年に書かれた作品。こちらの方がほんの少し早いですね。典型的なディストピア小説です。
こういう作品を読むといつも思うんですけど... 発表された当時も世論を騒がせたんでしょうけど、実際に書かれた時よりも現代の管理社会の中で読んでこそ、この怖さが実感できるかもしれませんね。近未来として書かれていたことが、実は全然未来の話じゃないってことに気がつかされることが多いんですもん。恐ろしいほどの合致。本を読んだ人が、そこに書かれているものを作り出そうとしたわけでもないでしょうに。たとえば星新一さんの「声の網」(感想)を読んだ時も思ったんですけど、素晴らしいSF作家が書く作品って、未来を恐ろしいほど見通してますね。

この作品は、その「声の網」や「華氏451度」ほど、まさに「今」という感じではなかったのだけど... 実はそうでもないのかな。もう既に「ニュースピーク」とか「二重思考」が生活の中に入り込んでいるのかな。こういう思考的なものって、気がついたらすっかり支配されてるんだろうなと思うと怖いです。ちなみに「ニュースピーク」は、言葉をどんどん単純化・簡素化する新語法。それによって思考をどんどん単純化して、思想犯罪に走れないようにするもの。反政府的な思想を持っても、それを十分に書き表すことができなくなってしまうというわけです。そして「二重思考」は、「戦争は平和なり、自由は隷属なり、無知は力なり」という言葉に代表されるように、矛盾する2つの事柄を同時に等しく信じて受け入れることができるようになること。そもそも歴史を改竄し続ける「真理省」、戦争を生み出し続ける「平和省」、思想犯を拷問にかけて人間性を矯正する「愛情省」という各省の名称自体が二重思考の産物。そして考えてみると、確かにピンチョンが解説に書いているように、現代アメリカの「国防省」もまた、新たな戦争を作り出す省なんですよねえ。ああ、ウィンストンとジュリアの物語自体もまた、そうなのかも。まずこういった高度に思想的な物語の中にロマンスが存在すること自体、二重思考なのかもなんて思ったりもします...。そして「愛すること」の反対は、「無関心なこと」でしょうか。うーん。
来るべき社会の姿を含め、様々なことを考えさせられる作品です。(ハヤカワepi文庫)

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