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大学3年の由布は、伯母が営む小さな飲み屋・雁木亭でアルバイト中。そんなある日、由布が開店前の掃除をしていた時にやって来たのは、雁木亭の常連の1人、浜中。浜中は息子のいる茨城に引っ越すことになり、挨拶にやって来たのです。伯母は店の奥にある井戸の水を由布に汲ませ、その水を浜中に飲ませます。その井戸の水には不思議な言い伝えがあり、潮ノ道を出る時にこの水を飲んでおけば、必ずまたこの地に戻って来られるというのです... という「帰去来の井戸」他、全7編の連作短篇集。

お久しぶりの更新です... が、すみません、まだ復活したというわけではないのです。まだまだ充電中なのですが~。
光原百合さんの本が出たので! 出たら感想を書くとお約束してたので! それと1つ下の記事は、いただいた本のお礼がてらの感想です。

このシリーズは「オール讀物」に不定期に掲載されていて、その時にほとんどの作品を読んでいるのですが、通して読むのは今回が初めて。光原百合さんの潮ノ道を舞台にしたファンタジーのシリーズです。もうほんと大好きで、本になるのが待ち遠しかったんですよー。通して読めて嬉しい! あ、でも、表題作の「扉守」以降はブログに感想を書いてるんですが、1作目の「帰去来の井戸」は、どうやら今回初めてだったみたいです。それに「桜絵師」も読んでない... これは「小説現代」に掲載だったんですね。いやん、知らなかった!(というより、教えて頂いたのに頭からすっぽり抜けてしまっていたのかも...)

今回、本のタイトルが「扉守」となっているのが、実は少し意外だったのです。てっきり「潮ノ道幻想譚」とかその手のタイトルになるかと思いこんでいて、作品の1つのタイトルが本全体のタイトルになるとは思ってなくて。でも改めて通して読んでみて、なんとなく分かったような気がしました。1作ずつ読んでいた時は気がついてなかったんですけど、「扉守」はシリーズの方向性を決定づけた作品というか... それまでの「帰去来の井戸」も「天の音、地の声」も、言ってしまえば十分そういう作品だったんですけど、ここまではっきりとは定まってなかったような気がしますね。なんというか、ここでしっかりと楔を打ち込まれた... というのは言葉の使い方を間違えてるような気もしますが(汗)、そんな印象がありました。
どの話もそれぞれに良かったし、すごく好きな場面が色々と。例えば「帰去来の井戸」の小舟の場面とか... 冴え冴えとした満月の光が水に映るのが感じられてとても素敵。あと「天の音、地の声」の、夕暮れの中の宵闇色の猫とか、「ピアニシモより小さな祈り」の終盤の和音が響く場面とか。...あ、夜の場面ばかりだ。そうか、だからこの本の表紙絵は夜のイメージだったのか。(と、今頃納得してみたり) あ、でも「桜絵師」の満開の桜の場面もとても素敵だったなあ。満開の桜って、とても美しいんだけど美しいだけじゃない何かがありますよね。そんなイメージにぴったりで。そして話としては、最後の「ピアニシモより小さな祈り」が一番好きかな。私自身がピアノに思い入れがあるせいが大きいかもしれませんが、読んでいるとじんわりと胸が熱くなります。でもどの話もそれぞれに大好き。零さんのピアノも実際に聴いてみたいし、サクヤさんたちの芝居も観たいし、行雲さんの絵も見てみたい。満月の夜の小舟も見てみたくてたまらない... どの話を読んでも、潮ノ道に行ってみたくて堪らなくなります。まだまだ続いて欲しいシリーズです。(文藝春秋)


+既読の光原百合作品の感想+
「ありがと。 あのころの宝もの十二話」ダ・ヴィンチ編集部編(「届いた絵本」)
オール讀物11月号(文藝春秋)(「扉守」)
小説NON 11月号(祥伝社)(「希望の形」)
小説推理・オール讀物・星星峡(「1-1=1」「クリスマスの夜に」「オー・シャンゼリゼ」)
「最後の願い」光原百合
光原百合ベスト3@My Best Books!
「尾道草紙」尾道大学 創作民話の会
「銀の犬」「親切な海賊」光原百合
オール讀物 2007年10月号(「写想家」)
「嘘つき。 やさしい嘘十話」ダ・ヴィンチ編集部編(「木漏れ陽色の酒」)
オール讀物 2008年11月号(「旅の編み人」)
「新・本格推理 不可能犯罪の饗宴」二階堂黎人編・オール讀物 2009年8月号(「ピアニシモより小さな祈り」「花散る夜に」)
「イオニアの風」光原百合
「扉守 潮ノ道の旅人」光原百合
Livreに、これ以前の作品の感想があります)

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高校1年の秋。文化祭を前に化学部の硫酸銅の結晶がなくなり、文化祭の実行委員をしている穂村チカは、同じ吹奏楽部所属で幼馴染の上条ハルタに助けを求めます。硫酸銅の結晶は透明で美しい青色が人気の結晶なのですが、実は劇薬。警察に届けるべきなのは分かっていても、一旦届けてしまえば文化祭は間違いなく中止になってしまうのです... という「結晶泥棒」 他、全4編の連作短篇集。

先日サイン本を送って頂いたんですけど! お礼のメールをしようとしたのに、本に挟まっていた名刺をなくしてしまって、連絡先が分からなくなってしまいました...。ということで、本の感想を書いてお礼に代えさせていただきます。Uさん、ごめんなさいーーー。そして、いつもありがとうございますーーー。

この本を読んだのは先日の三連休の時。久々に「のだめカンタービレ」のDVDを観はじめたらすっかりハマってしまって、読書がすっかりお留守になってしまったんですけど、この作品は高校の吹奏楽部の生徒が中心になってるので、微妙にリンクしててすごく楽しめました。ああ、オーボエってそういう楽器だったのか、とか。そう知ってみると、のだめの黒木くんは、どんな風にオーボエを選んだのかなーとか考えてしまいます。(もちろんその音色が一番の理由でしょうけど) 吹奏楽部の割に、肝心の楽器演奏の場面がほとんどなかったのが、少し残念だったんですけどね。

初めての作家さんの作品なので、読む前にどんな雰囲気なんだろう?とドキドキしたし、最初にハルタが引きこもりっぽかったので、ちょっとキケン...? と思ったんですが、読み進めてみれば全然大丈夫でした。音楽とミステリ。そして青春。雰囲気はちょっと軽めだけど、なかなかいいですねえ。これは米澤穂信さんの古典部シリーズを思い出すわーー。と思いつつ読み進めてみれば、やっぱりそう感じてらっしゃる方が多いようで!
白いルービックキューブの話も良かったし、表題作「退出ゲーム」での即興劇も面白かった。「エレファンツ・ブレス」 の意外な方向への展開も楽しめたし。みんなの憧れの草壁先生の魅力は今一つ伝わってこなかったのが残念だったんですが、演劇部の名越や看板女優のマヤ(笑)、生徒会長の日野原や発明家の萩本兄弟、ミステリアスななサックス吹きのセイ・マレンなど脇役にも楽しい面々が揃ってるし、これはぜひ続編に期待したいと思います... と思ったら、既に出てるんですね。「初恋ソムリエ」、今度はこちらも読んでみます。(角川書店)

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14歳のカッレは名探偵に憧れ、ロンドンの貧民窟やシカゴの暗黒街に生まれたかったと思っている少年。日々怪しい人物をチェックし、町の治安を守るために見回りを欠かさず、空想の中で「探偵ブルムクヴィスト」になっては、いっぱしの名探偵ぶって「架空の聞き手」相手に捜査や推理の基本を語ってきかせています。しかし実際には、カッレは小さな町の食料品店の1人息子。カッレが住む平和な町では事件など望むべくもないのです。そして夏休み。遊び仲間の靴屋の息子のアンデスと、パン屋の娘のエーヴァ・ロッタと一緒に毎日のように遊びまわっているカッレの前に現れたのは、エーヴァ・ロッタのお母さんの弟だというエイナルおじさん。エイナルおじさんはエーヴァ・ロッタの家にしばらく滞在することになり、何かといえばカッレたち3人につきまとうのですが...。

子供の頃の私にとってリンドグレーンといえば、まずこのカッレくんのシリーズ。もう何度読んだか分からないぐらい大好きでした。ピッピもいいんですけどね、破天荒で突拍子のないことをしてばかりのピッピよりも、この3人の方が好き。現実味があって、身近な存在に感じられたからかも。このシリーズを最初に読んだのは、多分小学校3年生の頃だから、9歳のピッピよりも14歳のカッレたち3人の方が大人っぽく感じられて良かったというのもあったのかも。
ケストナーの「エーミールと探偵たち」はもう読んでたかもしれないけど、ホームズやルパンを読むようになる前で、「探偵」という存在にもあまり馴染んでなかった頃。カッレくんが憧れるエルキュール・ポワロやピーター・ウィムジィ卿の存在も知らなかったし(アスビョーン・クラーグは未だに知らない)、歴史上のバラ戦争なんていうのも、もちろん初耳。でもカッレたち3人の「白バラ軍」と、それに敵対する「赤バラ軍」のバラ戦争にも「いく千いく万の人命は、死と死の暗夜に落ちてゆくであろう」という言葉にもワクワクしたし(この言葉は、今読んでも本当にかっこいい)、夜中にこっそり家を抜け出しての冒険ときたら! そしてエーヴァ・ロッタのパパがくれる甘パンの美味しそうなことったら!

で、今回久しぶりに本を手に取ったんですけど、やっぱりすっごく面白かった~。これは本当に大好きです。展開も全て覚えてるというのに、すっかり童心に戻ってワクワク。でもそんな風にワクワクしつつも、早く名探偵になりたくて背伸びしてるカッレくんが、たまらなく可愛かったりなんかもして~。この辺りは自分が年を重ねた分、受ける印象がちょっぴり変わりますね。そういう描写がその時よりも目につくというか。一緒に白バラ軍に入って活躍したい(というかエーヴァ・ロッタになりたかった)と思ってた子供の頃とは違って、温かい目で見守る側になってる自分を再認識してしまう...。そして空想の中の事件だけでなく現実の事件に触れることによって、3人が大人の世界を垣間見る部分なんかでは、ああ、まだまだ大人になってしまうのは早いよ、1日でも長くこの幸せな時間を過ごさせてあげたいな、なんて思ってしまう...。
と言いつつ、入れるものなら今でもやっぱり私も白バラ軍に入りたいですけどね。で、赤バラ軍と戦争をしたい! 聖像の争奪戦を繰り広げたい! 白バラ軍はもちろんだけど、赤バラ軍のシックステンとベンカとユンカだって、とっても気持ちいい男の子たち。赤バラも白バラも、読んでる私まで気持ちよくなってしまうほど素敵な子供たちです。やっぱりいいな、このシリーズは。いくつになっても、子供の頃、最初にこのシリーズを読んだ頃の自分を思い出させてくれるみたい。うふふ、大好き。(岩波少年文庫)


+既読のリンドグレーン作品の感想+
「長くつ下のピッピ」「ピッピ船にのる」「ピッピ南の島へ」リンドグレーン
「やかまし村の子どもたち」「やかまし村の春・夏・秋・冬」「やかまし村はいつもにぎやか」リンドグレーン
「名探偵カッレくん」「カッレくんの冒険」「名探偵カッレとスパイ団」リンドグレーン

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リーサはもうじき8つになる女の子。家族はお父さんとお母さん、9歳のラッセと8歳のボッセという2人の兄さん。リーサの住んでいる家はやかまし村の中屋敷で、北屋敷には9歳のブリッタと7歳のアンナという2人の女の子、そして南屋敷にはオッレという8歳の男の子がいます。険しい坂道をいくつも上ったとても高いところにあるやかまし村にあるのは、この隣り合った3つの屋敷だけなのです。

ほのぼのとした小さな農村を舞台にした6人の子供たちの物語が、リーサの視点で語られていきます。リンドグレーンでも、このシリーズを読むのは今回が初めて。ピッピのシリーズと比べるとあんまり穏やかでほのぼのしているので(大自然の中の冒険はたっぷりなんですが)、最初はちょっと物足りなく感じてたんですが、3冊読み終える頃にはすっかりこの世界に入り込んでいました。
男の子と女の子の3人ずつに分かれることはあっても、6人の子供たちはいつでも一緒。ほとんどの出来事はやかまし村の中か、そうでなければ学校のある大村で起こります。学校に通うのも6人一緒。学校のない休みの間は、それこそ一日中一緒。ラッセとボッセの部屋とオッレの部屋は菩提樹伝いに移動できるほどだし、リーサの部屋とブリッタとアンナの部屋も、紐を渡してタバコの箱に手紙を入れて伝わらせられるほどの近さ。6人の子供たちも同じ兄弟姉妹のような近しさ。一緒に秘密の隠れ家を作ってみたり、自分たちにしか分からない言葉で話してみたり、インディアンごっこをしてみたり... そんな日常の遊びの中に、カブラ抜きをしたり鶏の卵を集めたり、動物たちに餌をやったり、干し草の取り入れをしたりという家のお手伝いも入ってくるんですが、みんなでやればどれも楽しくて。電話もテレビもない生活なんですが、和やかなゆったりした空気が流れているのがとても心地いい~。親同士も仲が良いので、3つの家族が大きな1つの家族みたいなんですよね。元々はこんな風に育った子供たち同士が結婚したのかしら? あくまでも子供たち中心の話なんだけど、ふとしたところから大人の包容力の大きさや温かく見守るまなざしが感じられて、それもいいんですよね。こんな温かい環境で育つ子供たちは、心の中まで豊かになるはず。本当に幸せ者だな~。(岩波少年文庫)


+既読のリンドグレーン作品の感想+
「長くつ下のピッピ」「ピッピ船にのる」「ピッピ南の島へ」リンドグレーン
「やかまし村の子どもたち」「やかまし村の春・夏・秋・冬」「やかまし村はいつもにぎやか」リンドグレーン
「名探偵カッレくん」「カッレくんの冒険」「名探偵カッレとスパイ団」リンドグレーン

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スウェーデンの小さな町のはずれの草ぼうぼうの古い庭に「ごたごた荘」という名前の古い家が建っていました。その家に住んでいるのは、ピッピ・ナガクツシタという名前の女の子。9歳なのにお父さんもお母さんもなく、船乗りだったお父さんにもらったサルの「ニルソン氏」と、この家に来てすぐ金貨で買った馬一頭と一緒に住んでいるのです。ごたごた荘の隣の家にはトミーとアンニカという男の子と女の子が住んでおり、3人はすぐに仲良くなります。

子供の頃に何度も読んだ長くつ下のピッピのシリーズ。先日ふとテレビをつけたら、一人芝居みたいなのをやってて懐かしくなっちゃって! 思わず手に取ってしまいました。久々の再読です。あ、子供の頃に何度も読んでいたとは言っても、自分で持っていたのは最初の「長くつ下のピッピ」1冊だけ。なので何度も読んだのもこれ1冊で、あとのは1、2回しか読んでないのですが。

子供の頃でも、ピッピみたいな破天荒な女の子が実際にいたら楽しいけど大変だろうなと思いながら読んでいた覚えがあるので、大人になった今読み返したら、ピッピに苦笑させられてしまうかも、なんて思ってたんです。もしかしたら、ピッピが痛々しく感じられてしまうかも? とも。で、ちょっと手に取る前に躊躇ってたんですが、杞憂でした。相変わらず楽しい! ピッピ、可愛い!
でも、改めて3冊まとめて読んでみると、1冊ごとにピッピの姿がだんだん変っていくなあ、なんて思ったりもしますね。1冊目のピッピはほんと破天荒。何者にも束縛されず自由気儘に日々すごしていて、仲良しのトミーとアンニカを喜ばせるのは大好きだけど、そのほかの人たちには、それほどサービス精神旺盛というわけでもないみたい。大人をからかうのも、自分が楽しいからってだけだし... まあ、その真っ直ぐさがいいんですけどね。火事の家に取り残された子供たちを救いだして英雄になってますが、この時も火事の恐ろしさや、取り残された子供たちの感じている恐怖を理解してるわけではなくて、周囲の人たちの話から助けた方がいいと分かったから、助けてます。
でも2冊目になると、力強いのは相変わらずなんだけど、いじめっ子や乱暴者をやっつける「弱きを助け強きをくじく」ピッピ像が強調されているようです。トミーとアンニカ以外の子供たちにも目を向けるようになるし、この2人以外の気持ちを考えることもし始めます。2人を連れ出して遊びに行った時にも、後で2人の両親が心配しないように置手紙を残してたりしますしね。これは1冊目では考えられなかったこと。そして3冊目になると、ピッピのほら話で逆に励まされる人も出てきますし。いつの間にかトミーとアンニカのお母さんの信頼も勝ち得てます。
最初は、破天荒なピッピ像から、もっと多くの人に受け入れられやすいヒロイン像へと微妙に変化したのかなーなんて思っていたのですが、3冊目を最後まで読んでみると、やっぱりこれはピッピの成長といった方が相応しいような気がしてきました。というのは、3冊目の「ピッピ南の島へ」のラストから。これは、ちょっとびっくりするような雰囲気なんですよね。そういえば、子供の頃もこのラストには違和感を感じていたのですが... でもこれが、既に大人であるリンドグレーンなりの終わらせ方だったんでしょうか。楽しい子供時代の終わりの予感。

で、子供の頃もピッピよりもアンニカになりたいと思った私ですが、大人になってから読み返しても、やっぱりなり替わるならアンニカの方が~ でした。自分自身がアンニカに近いというのも大きいんですけど(笑)、何といっても、アンニカならピッピの近くの一番いい位置でトミーと一緒に楽しんでいられますしね。「もの発見家」になるのも、木の上でお茶をして、その木の大きなうろの中に入ってみたりするのも、本当に楽しそう。ちょっと怖くなっちゃうような冒険も、2人がいれば大丈夫。遠足やパーティーで出てくるピッピの手作りのご馳走も美味しそう。読んでいるだけでワクワクしてきます。例えば床の上にショウガ入りクッキーの生地を伸ばしたり、誕生日のパーティのテーブルのご馳走をテーブルクロスごと片付けてしまうのは、冷静に考えればかなり困った状態になるはずなんですけどね。(笑)
それに子供の頃に一番羨ましかったのは、ピッピの家の居間にある大きなタンス。ピッピがお父さんと一緒に世界中をまわった時に買った宝物が、沢山詰まっているタンスなんです。2人がタンスの引き出しをあけては楽しんでるのが羨ましくて仕方なかったし、何かのたびにピッピがトミーとアンニカにプレゼントしてる物もすごく素敵だし! これは今でも羨ましくなっちゃいます。やっぱりアンニカになって、トミーとピッピと一緒に引き出しを覗きこみたいわ~。(ピッピになれば、その全ては自分の物になるのにねえ・笑)(岩波少年文庫)


+既読のリンドグレーン作品の感想+
「長くつ下のピッピ」「ピッピ船にのる」「ピッピ南の島へ」リンドグレーン
「やかまし村の子どもたち」「やかまし村の春・夏・秋・冬」「やかまし村はいつもにぎやか」リンドグレーン

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小さな町のラテン語学校に通っていた10歳の頃。シンクレールが近所の少年2人とうろついているところにやって来たのは、普通の小学校に行っている13歳ぐらいの強く荒っぽい少年・フランツ・クローマー。クローマーはシンクレールたちを手下のように扱い、クローマーを恐れていたシンクレールも内心面白くないながらも、それに従うことに。そして自分の身なりやしつけの良さが彼らの反感をそそっているのを感じたシンクレールは大げさな泥棒の話を作りだして語り、それが天地店名にかけて本当のことだと誓ってしまうのです。そしてその日からシンクレールはクローマーに脅されることになるのですが...。

感想はのちほど。(新潮文庫)


+既読のヘルマン・ヘッセ作品の感想+
「メルヒェン」ヘルマン・ヘッセ
「デミアン」ヘルマン・ヘッセ

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モストアッケル通りに住むある若い未亡人に子供が生まれ、かねてから挨拶を交わしていた、隣人のビンスワンゲルさんが名づけ親となります。そして1つの願い事を言うようにと言われた未亡人は、みんながわが子を愛さずにはいられないようにということを願うのですが... という「アウグスツス」他、全9編の短篇集。

ヘッセによる創作童話集。童話とは言ってもグリムやペローのようなものではなくて、どちらかといえばトルストイのような雰囲気。でも民話を膨らませたトルストイとは違って、こちらは純然たる創作です。そして童話とは言っても子供向けではなくて、むしろ青少年から大人向けの深みのある物語ですね。どれもすごく良かった~。ヘッセは「車輪の下」を読んだことがある程度なんですが、それも全然覚えてなくて...。改めて、色々と読んでみたくなりました。

特に良かったのは、やっぱり表題作の「アウグスツス」かな。これは「愛されること」の意味を考えさせられます。若い母親は「愛されること」こそが一番の幸福と考えて、息子のためにそれを願ったわけなんですが... 「愛されること」は、確かにすごく幸せなことですよね。誰だって他人は好かれたいはず。少なくとも嫌われたいとは思ってないはず。でも「愛されること」は、確かに幸せの1つではあるものの、それは一番良いことというわけではなくて...。1人の人間が日々生活し、様々な感情や行動を積み重ねてこその「愛されること」なんですね。ただ「愛される」だけではダメ。もちろん、他の人間が同じことを願ったとしても、同じ結末を迎えるとは限らないのですが。これを読んで、設定も展開も結末も全然違うんですが、オスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」を思い出しました。
あと私が好きだったのは「別な星の奇妙なたより」かなあ。これは、ユートピアとも言える美しい村が雷雨と大水と地震によって破壊され、死者のための花もなくなってしまったため、1人の若者が王様に花をもらいに行くことになるという話。この村には悲しみや憎しみ、嫉妬や殺人といった悪は存在しないので、若者もそういうのをおとぎ話で読んだことがあるだけなんです。でも王都への旅の途中に生々しい戦争を目の当たりにして...。この辺りは、やっぱり第一次大戦中に書かれたということなんだろうな。この作品もそうなんですけど、陰惨さと苦しさ、そして幻想的なまでに美しい情景が対照的な作品、主人公も絶望に打ちのめされたかと思えば歓喜に打ち震えることになって、極端から極端へ走るというのが多かったかも。ヘッセ自身も、感情の振れ幅の大きな人だったのかしら。そしてこれまた全編通して感じられるのは、母の大きな存在。ヘッセ自身、心の奥底で母親を求め続けていたんでしょうね。
訳者解説に「小つぶではあるが、最もヘッセらしい物語を集めている」とある通り、物語の1つ1つは小粒かもしれないんですが、乾いた心に沁み込んでくるような繊細で美しい物語ばかり。でもヘッセ自身は、「詩人」のハン・フォークのように、自分自身の言葉を切望して、探し求め続けていたんでしょうね。「詩人」では、言葉は最終的に音楽にとって代わられることになるんですが... ヘッセの中ではどうだったのかしら? (新潮文庫)

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1871年。モリス37歳。この夏、彼はポニーの背に揺られて、アイスランドを旅した。終生愛してやまなかったアイスランド・サガゆかりの地を訪ねる六週間の旅だった。モリスの生涯の転機となった旅を記録した貴重な日記。氷河と火山の島アイスランドの伝説と自然と、そこに暮らす人びとの姿を精彩に富む筆致で描く。(「BOOK」データベースより)

全7巻のウィリアム・モリスコレクションで、唯一まだ読んでなかった本。アイスランド・サガは私も好きなので、結構楽しみにしてたんですが... うーん、あまり楽しめませんでした。アイスランド・サガが好きとは言っても、きっと「好き」のレベルが違いすぎるんでしょうね。例えば北欧には行ってみたいと思ってても、そういうゆかりの地を訪ねたいと思ったことはないし...。「ここはニャールのサガのあの場面で...」なんて言われても。その「ニャールのサガ」だって、一応読んでるんですけども。(涙)
しかも紀行エッセイ。私にとっては、どうも好き嫌いが激しく分かれる分野みたいです。せっかくだったのに、思ったほど楽しめなくて残念だわ~。(晶文社)


+既読のウィリアム・モリス作品の感想+
「世界のはての泉」上下 ウィリアム・モリス
「理想の書物」ウィリアム・モリス
「輝く平原の物語」ウィリアム・モリス
「ジョン・ボールの夢」ウィリアム・モリス
「ユートピアだより」ウィリアム・モリス
「不思議なみずうみの島々」上下 ウィリアム・モリス
「世界のかなたの森」ウィリアム・モリス
「サンダリング・フラッド」ウィリアム・モリス
「アイスランドへの旅」ウィリアム・モリス

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昔から妖精や魔女が多く出没する国として信じられてきたスコットランド。世界で最も早く近代化を成し遂げたイギリスの中でも、近代化に目覚めるのが特に早かったスコットランドですが、同時に妖精という反近代的ともいえる存在が19世紀の初頭まで一般的な農家ではごく普通に信じられていたのです。そんなスコットランドの各地に昔から語り継がれてきた妖精物語、全20編。

収められているのは、「紡ぎ女ハベトロット」「ノルウェイの黒い雄牛」「妖精の騎士」「赤い巨人」「小さな菓子パン」「足指をつめた娘」「マーリン岩の妖精」「海豹捕りと人魚」「小姓と銀のグラス」「怪物ドレグリン・ホグニー」「羊歯の谷間の小人ブラウニー」「キツネとオオカミ」「ファイフの魔女」「真実の詩人トマス」「邪悪な王妃と美しい心の王女」「キトランピットの妖精」「アシパトルと大海蛇」「馬商人ディックと詩人トマス」「領主オー・コー」「小人の石」の全20編。
スコットランドに伝わる物語とはいっても、どうなんでしょうね。大抵は世界各地に何かしら似た物語が見つけられるものだし... 例えば「小さな菓子パン」はロシアの「おだんごぱん」そっくりだし、「キツネとオオカミ」なんて、それこそどこにでもありそうな動物寓話。「キトランピットの妖精」は「トム・ティット・トット」や「ルンペルシュテルツヘン」、「足指をつめた娘」は「シンデレラ」、「邪悪な王妃と美しい心の王女」は「白雪姫」のバリエーション。実際、最初読み始めた時は、北欧の民話集「太陽の東 月の西」的な話が多いなあと思ったぐらい。同じヨーロッパ同士、1つの話が各地に流れてバリエーションを作っていくのも当然だし、最早どんなのがどこの国らしい話というのも分からなくなってきてます、私。(汗)
それでも詩人トマスの話があればスコットランド(というかケルト)だなあと思うし、「ファイフの魔女」のファイフというのも、シェイクスピアの「マクベス」にも出てきたスコットランドの地名。ブラウニーが出てきたり、7年の間妖精の囚われの身となると聞けば、やっぱりケルト的な妖精物語。どこかで読んだような話だなと思いつつ、ケルトの雰囲気を感じられるから、やっぱりそれでいいんでしょうね。あ、題名は「怖くて不思議な」になってますが、それほど怖くも不思議でもないです。というか、全然怖くなかったです、私は。(PHP研究所)

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ヨーロッパ北部周縁の民=ゲルマン人は、キリスト教とは異なる独自の北方的世界観を有していた。古の神々と英雄を謳い伝える『エッダ』と『サガ』。善悪二元の対立抗争、馬への強い信仰、バイキングに受け継がれた復讐の義務......。荒涼にして寒貧な世界で育まれた峻厳偉大なる精神を描く伝説の魅力に迫る。北欧人の奥深い神話と信仰世界への入門書。...という内容紹介がされている本です。(手抜きですがー)
第一部が「神話篇」で、第二部が「サガと伝説篇」。

「神話篇」の方は、以前「エッダ 古代北欧歌謡集」(感想)も読んでいるし、内容的には既に知ってる部分が多いんですけど、詩の形式となっていたそちらの本と比べて、こちらは散文による再話。それだけでも読みやすいですしね。原典ではバラバラだった歌謡の順番も、分かりやすく入れ替えてありました。そして最後に「古い神々とキリスト」という章があったのには少しびっくり。しかもその書きっぷりが...

キリストは栄光好きな神で、彼より他の者が善く言われたり、そうでなくともいたわりをもって語られることを、辛抱できなかった。というのは、天地を創造し、悪魔と戦って人間に救いと天国を与えたのは彼だったのだから。

すごい言われようですよね。まあ、私だって、古い神々を全て異教の神であり悪魔であると片付けてしまうような姿勢はどうかと思いますが。(笑)

「サガと伝説篇」は、サガが14も収められていて、未読のものも多かったのが収穫。地元では農民であり漁民でありながら、ヴァイキングとしてに略奪行為に出かけていた北欧の男たちの姿がよく分かります。あと、以前シェイクスピアの「ハムレット」(感想)の解説を読んだ時に「エッダ」や「ベオウルフ」にもハムレットの原型が存在するとされていると知ってびっくりしたんですが、この本に載ってました。「アムレード(ハムレット)」がそれ。題名からして間違いないんですけど(笑)、これは確かにハムレットでしたよ! 短くてすっきりしてて、こっちの方が私は好きかも。(爆) そして1つ前の記事の「魔法昔話の研究」のオイディプスの章に出てきた女系の権力継承が、ハムレットでも行われていたことに改めて気付きました。なるほどーーー。あと「ベーオウルフ」(感想)そっくりの「ビョーウルフとグレンデルの戦い」や、「ニーベルンゲンの歌」(感想)と同じ材料を扱いながら細かいところが結構違っている「ウォルスング家の物語」もありました。解説には「「ビョーウルフとグレンデルの戦い」は、イギリスの古詩『ベオウルフ』を用いてる」とあったんですが、それってやっぱり「ベオウルフ」の方が古いという意味なんですよね...?

とっても読み応えのある本でした。ただ、今の私はどうもあんまり読書に集中できてないので... ええと、毎年秋になると読書から気が逸れてしまうみたいです。どうやら「読書の秋」は私には当てはまらないようだということに、今頃になって気付きましたよ。(爆)
これはいずれ再読しなくちゃいけないなー。でも当面はもっと気軽に読める本を手に取ろうっと。(講談社学芸文庫)

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「わたしには呪われた才能がある。どんなものでもひと目見ただけで、すぐに形式が見えてしまうのだ」というプロップ。彼はアファナーシエフの「ロシア昔話集」を読み始めた時、全てのプロットの構成が同じだということがたちどころに分かり、それがきっかけで「昔話の形態学」研究に取り掛かることになったのだそう。そのプロップの論文集「口承文芸と現実」に収められている13編のうちから7本を選んで収めた本。「魔法昔話の構造的研究と歴史的研究」「異常誕生のモチーフ」「口承文芸における儀礼的笑い」「口承文芸の世界におけるオイディプス」「口承文芸の特徴」「口承文芸と現実」「口承文芸の歴史性とその研究方法」

小さい子供の頃に読むならともかく、ある程度大きくなってから読んだら、昔話のプロットがいくつかのパターンに分かれてるだけだということは、当然すぐ分かることですよね。「呪われた才能」なんて、大げさな。...なーんてちょっと斜め視線で読み始めたこの本なんですが、いや、ごめんなさい。とっても面白く読めました。抽象的な理論のところは今一つ掴み切れてないんですが、昔話の中に見る具体的なモチーフに関しては、すごく参考になりました! それは「異常誕生のモチーフ」「口承文芸における儀礼的笑い」「口承文芸の世界におけるオイディプス」の3章。

「異常誕生のモチーフ」
異常誕生の最も一般的な形態は、聖母マリアと同じく処女懐胎。今でこそ妊娠に関する男女の役割がきちんと解明されていて、それが常識となってるんですけど、それ以前の人々は男性の役割を理解してなくて、そういう行為を妊娠に直接結び付けて考えることもなかったと知ってびっくり。そうだったんだ...。でも確かに、教えられなければ分からないことかもしれないですねえ。その場合、妊娠に直接関係するのは、女性が食べる果実(エンドウ豆やリンゴ、ココナッツ、ナッツ、葡萄、ザクロなど)であったり、呪文であったり、飲み水であったり。さらに、遺体の一部を食べることによって妊娠することもあったり。昔話で魚が大きな役割を果たしていることが多いのは、魚の「多産」という特徴からなのだとか。(ロシアの昔話には、確かに魚絡みの話が結構あるかも) そして物語の中で、時々子供が異様に速く成長するのは、主人公が救済者、あるいは英雄として異常誕生しているため。生まれた時に既に災厄が起きているので、即座に救済に着手しなければならないんですね。(笑)

「口承文芸における儀礼的笑い」
そして「笑わない王女」の話。この話にもいくつかパターンがありますが、これも研究者にとっては興味の尽きない話なのだそう。「笑い」というのは、かつては宗教的に独特な意味を持っていたんだそうです。生者が死者の国に入り込む時、あるいは死者の国にいある間「笑い」はタブー。生者は笑うことによって自分が生者であることを暴露してしまうのだそうです。そして逆に、生者の国に戻ってきた時には「笑い」が必須となるんですね。「笑い」は人間を悲しみから解放する力があり、生命を生み出す力があるものなんですって。「笑い」は生命を創造する呪術的手段であり、天地を創造する神もまた笑うのです... というのは、キリスト教以前の神々。キリスト教では笑うのは悪魔であり死神であり、キリスト教の神は決して笑わないのだとか。(知らなかった)

「口承文芸の世界におけるオイディプス」
そして「オイディプス」型の物語について。これも構造的にかなり典型的な魔法昔話なんだそうです。オイディプスといえば悲劇なんですけど、この型の物語では、全ての出来事の前にまず予言があり、そのために主人公が生まれた場所を離れることになり、後年戻ってきた時に父を殺して実の母と結婚する、あるいは血の繋がった妹と結婚するという近親婚が行われ、主人公が王位につく、やがて妻が実は血を分けた肉親だったというのが判明する、というのが基本的なパターン。なぜ王は殺されなければならないのかというのも、必ず行われる近親婚も、権力移譲が妻(女性)を介して行われるというのもどれも重要ポイントで... というそんな話。

上の3つは適当に抜き出したので、ちょっと妙になってるところもあると思うんですが...
中沢新一さんのカイエ・ソヴァージュのシリーズ(感想)を思い出すなー。どれもじっくり読みこんでおきたい論文でした。でも一番最初に収められている、レヴィ=ストロース教授の批判に応える「魔法昔話の構造的研究と歴史的研究」は、今までプロップの著作をまるで読んだことのない私にとっては(しかもレヴィ=ストロースについてもほとんど知らない)、イマイチ分かりづらかった... それまでの経緯を全然知らないですしね。反論の熱さには圧倒されましたが、この2人、お互い相手の論文を読むだけでなく直接論じ合えれば、きっとまた全然違う結果が生まれたでしょうに。西と東に分かれてしまっていたのが惜しいという感じです。そして後半の「口承文芸の特徴」「口承文芸と現実」「口承文芸の歴史性とその研究方法」の3つは、口承文芸に関しての研究の本筋と言えるものだし、本来ならここを読みたかったはずなんだけど、抽象的な論となっていると私にはちょっと難しくて。やっぱり具体例が多く挙げられている3つのモチーフに関する部分が一番面白く読めました。(講談社学芸文庫)

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レア・ド・ロンヴァル49歳。金に困らない裏社交界(ドウミ・モンド=高級娼婦の世界)の女として生きてきた彼女と、いまや25歳の美しいシェリは6年も続いている関係。しかしそのシェリが18歳のエドメと結婚することになって...。

魅力的な年上の女性と美しい青年の恋。フランスの文学には、そういう設定が多いですよね。でもその1つ1つの作品が、それぞれにまるで違う表情を見せているような気がするのは、さすがおフランスといったところでしょうか。恋愛物には年季が入ってますものね。(笑)
49歳のレアと25歳のシェリ。2人の関係は6年続いているので、始まったのはレアが43歳、シェリが19歳の時ですね。女性の43歳から49歳って、結構変化が激しいような気がするなあ...。それでもずっと一緒にいれば、その変化もごくなだらかなものなんでしょうけど、シェリが結婚してしまって、レアがシェリと距離を置くことになるのが、結果的にすごく大きかったような気がしますー。シェリの母親もレアと同じく高級娼婦だったし、娼婦相手に遊びたおしてるシェリの女性を見る目は相当肥えてて、そんなシェリの目から見れば、若く美しいながらもまだまだ子供っぽいエドメの魅力は、レアに遠く及ぶものではなかったはずなんですが...。これから年老いていくレアと、これから花開いていくエドメ。
年を重ねて尚美しいレアも、絶世の美青年ながらもまだまだ子供っぽく我儘坊やといった風情のシェリもどちらも魅力的。でも、今はまだ可愛いお人形さんみたいなエドメも、これからどんどん魅力的になっていきそうな予感。でも結局のところは、レアが自分の気持ちに負けてしまっていたんだろうなあ...。
本当は違う結末を読みたかったところなんですが、でもこの作品には生半可な同情は似合わないでしょうね。この息詰まるような結末こそが、やっぱりこの作品の一番の魅力だったような気がします。ああもう本当に、切なくて美しくて残酷なお話でしたー。やっぱりフランスだな。 (岩波文庫)

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カール・ケレーニイは、19世紀のハンガリーに生まれた神話学者であり宗教史学者でもあるという人物。
というだけあって、この本も純粋にギリシャ神話とされている部分だけでなく、ギリシャ神話の中に取り込まれていったと思われる周辺地域の伝承、ギリシャ神話のエピソードの様々な異説、そしてホメロスやソフォクレス、アイスキュロス、エウリピデスなどのギリシャの古典文学にもたっぷり言及し、古代ギリシャ語の意味や語源などにも触れていれば、系図も充実してるし、それぞれのエピソードの出典も細かく明らかにされているような、学術寄りな本でした。もちろんギリシャ神話の物語としても楽しめるんですけど、同じ伝説の異説がどんどん並列で紹介されて考察されていく分、あまり滑らかに読み進めていけるという感じではないし、そもそも初心者向けではないんでしょうね。
例えば万物の起源や神々の始まりが、ヘシオドスではこう、ホメロスではこう、そしてオルフェウスの「聖なる書」ではこう、という風に色々と比較対象されるように書かれているのは面白かったし、ここでしか読めないエピソードもいっぱい。でもそれだけに、すごい読み応え! 文庫本2冊で900ページほどなんですけど、そのページ数の倍ほどの読み応えがありました。感想を書く前に燃え尽きてしまったわ。しばらくギリシャ神話はもういいや、という気分...(笑)
でもカール・ケレーニイがハンガリー生まれの人だったなんて! 「われわれのギリシャ神話」なんて言いまわしが多いし、古代ギリシャ語だけでなく現代ギリシャ語についても詳しそうなので、ギリシャ人研究者だと思いこんでましたよー。(中公文庫)

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この何週間というもの雨が全く降らず、その日も気温は43度。空はなめした皮のようにてかてか光り、地面は熱気で固くつっぱり、夜になれば雷が轟くのに、雨は一滴も降らないという状態。このままではエン麦もトウモロコシも収穫できなくなってしまうと、9歳半のガーネットも心配していました。しかしその日の夕食の後、11歳の兄のジェイと一緒に川に泳ぎに行ったガーネットは、水が減って川底が現れたところで砂に半分埋まっていた銀の指ぬきを見つけたのです。それが魔法の指ぬきだと信じるガーネット。そして実際、その日の晩何週間ぶりの雨が降り、ようやく楽しい夏の日々が始まったのです。

1930年代のアメリカのひと夏の物語。日照りの描写が続く序盤では、正直、このまま読み続けるかどうか迷ったほどの重苦しさだったんですが、ガーネットが指ぬきを見つけてからは、一気に楽しい冒険物語となりました。私は読みながらローラ・インガルス・ワイルダーの作品、特に「農場の少年」を思い出したんですが、そういった古き良きアメリカを楽しめる物語。でも、これも良かったんだけど、「農場の少年」ほどではなかったかな...
天候に左右される農場の生活は決して楽ではないものの、その土地を愛し、その土地での生活を謳歌しているガーネットたち。天候に一喜一憂し、請求書が来れば帳簿とのにらめっこ。でもその生活は、決して貧しくはないんですよね。物は豊富ではないかもしれないけど、心はとても豊か。時には面白くないことがあって家出を敢行することもあるガーネットなんですが、そんなガーネットを見つめる周囲の大人の目も温かくって、包みこまれるよう。そんな温かさが、衝動的な行動をとったガーネットにも伝わってしみ込んでいきます。
読んでいて一番好きだったのは、終盤の、エリックがジェイと一緒に将来の夢を話してる場面かな。このエリックは、両親を失って以来、苦労してきた少年。たまたまガーネットたちの農場の近くにやって来て、住みこみで仕事をすることになったんです。最初は警戒心が強くて、自分のことを話したがらなかったエリックなんですが、器用で働き者のエリックはみんなに可愛がられて、いつしか家族の一員となり、ここの土地に馴染んでいきます。このエリックを最初に迎えた時のガーネットのお母さんの態度も素敵なんですよね。ガーネットがお母さんを誇りに思うのがよく分かる~。(岩波少年文庫)

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ロージーがお母さんと一緒に住んでいるのは、アパートの一番上の階の家具付きの3部屋。お風呂を使えるのは週に2回、台所は共同。住み心地はあまり良くないのですが、ロージーのお父さんは既に亡くなり、お父さんの年金とお母さんの仕立て物の仕事では暮らしを立てるのが精一杯なので仕方ないのです。そして迎えた夏休み。ロージーのお母さんは、パーカーおくさんの仕立て物の仕事のために、ロンドン郊外にあるお屋敷に3週間通うことになっていました。お母さんが留守の間に何か役立つことをしたいと考えたロージーは、掃くことと拭くこととお皿洗いならできると、フェアファックスの市場にほうきを買いに行きます。そしてそこで出会った黒ネコに連れて行かれるようにして1人のおばあさんと出会い、ほうきと黒ネコを買い取ることに。

ロンドンに住む普通の女の子がひょんなことから黒猫の王子カーボネルと出会い、魔法のほうきを手に入れて、カーボネルにかけられている魔法を解くために奔走するという物語。これ、小学校の頃に図書館で1度読んだことがあるんです。でもその後また読みたいと思って探したんですが、題名をすっかり忘れてしまってて、図書館で探したんですがそれらしいのが見つからず...。その頃は司書さんに聞くなんてことは思い浮かばなかったので(笑)、そのままになってたんですが、岩波少年文庫で復刊されてるのを見て読んでみたら、まさにそれじゃないですか!

久しぶりに読んでみると、ちょっと物足りない部分はあるものの、やっぱり可愛らしいエブリディ・マジックでした。ロージーは、仕事が大変なお母さんのことを常に気遣うような思いやりのある女の子。 お母さんとのやりとりでも、相手のことをまず考えて、自分のやりたいことは二の次。それが最終的には良い結果を生むことも多いんですよねえ。...そんな気持ちのいい女の子なのに、あんまり仲の良い友達はいないようなのはなぜなんだろう? とも思ったりするんですけどね。貧しいからって馬鹿にされてるのかしら。(確かにそういうクラスメートもいるけど、全員とは思いがたい) 博物館に行って陶器のコレクションを見た時の「使うためのものが、博物館のケースに入れられて、ただ見られてるだけって、かなしそうだって、あたし、いつも思うの。」なんてことを言うのがとても印象的だし、お母さんの仕事先で知り合った少年・ジョンとは、あっという間に仲良くなって一緒に冒険することになるのですが。
この冒険によって、それまでの子供だけの世界だけではなくて、魔法のほうきから繋がる魔法の世界と、必要なものを手に入れるために足を踏み入れる大人の世界と、ロージー自身の世界が広がっていくのがいいんですよね。しかもカーボネルと一緒にアパートの部屋から眺めてみると、ロンドンの町が実は猫の王国とすっかり重なってるし! ごく平凡な日常の中にいるとは思えないほどの大冒険。
優しいロージーは、魔法が解ければカーボネルが自分の国に帰ってしまうのが分かっていながらも、自分にできる限りのことをしようと奔走します。その割に、カーボネルの態度が高飛車のがまた可笑しい。自分が助けてもらう側だって意識はあるのかしら! 子供の頃に読んだ時は、「呼び寄せの呪文」のせいで、目の前のご馳走を食べられずにロージーの元へと急がなくちゃいけなくなったカーボネルの怒りっぷりが印象的だったんですが、今回読んでもやっぱり可笑しかったです。(岩波少年文庫)

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へレスポントス海峡を挟んで向かい合うセストスとアビュドスの町。アビュドスに住む青年・レアンドロスは、セストスにある古い塔に住む、愛と美の女神・アプロディテ祭祀の美しい巫女・ヘーローと許されざる恋に落ちてしまいます。そして毎晩ヘーローが掲げる炬火の明かりを頼りに海峡を泳いで渡り、忍び逢うのですが、ある冬の嵐の晩、炬火の火は風に吹き消され、方向を見失ったレアンドロスも力尽きて溺れてしまうのです。そして翌朝、浜辺に打ち上げられたレアンドロスの亡骸を見たヘーローは塔から身を躍らせて自殺... というギリシャ神話の物語を元にした作品。

感想はのちほど。(東京創元社)

+既読のミロラド・パヴィチ作品の感想+
「帝都最後の恋 占いのための手引き書」ミロラド・パヴィッチ
「風の裏側 ヘーローとレアンドロスの物語」ミロラド・パヴィチ

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実在しない書物の書評を書くという試みは、例えばホルヘ・ルイス・ボルヘスの「伝奇集」初秋の「ハーバート・クウェインの作品の検討」にも見られるもの。そのアイディア自体はラブレー、そしてそれ以前の昔にまで遡ります。しかし「完全な真空」が一風変わっているのは、そういった書評集だけを集めたアンソロジーを目指している点なのです... という、架空の本に対する書評を集めた本。

スタニスワフ・レムの作品を読むのは初めて。SFは苦手だし、あまり読む機会はないかなと思ってたんですが、ボルヘスの「伝奇集」(感想)を読んだ時に、これが楽しめたらぜひレムを、とオススメいただいたので読んでみました。いや、難しかった。古典文学からSFまでなんて幅広い! どんな知性の持ち主なんでしょう、レムという人は。これは私には全部は理解しきれないよ... 知力はもちろん、そこまでの読解力もまだ身についてないです。でも面白かった!
ええと、真空というのは、物質が何も存在しないという状態。なので「完全な真空」というのは、まったくの空っぽということですね。確かに存在してない本に関する書評を書くというのは砂上の楼閣のようなものだし、「完全な真空」と言えるのかも。でもこれのどこが「からっぽ」? いや、確かに「からっぽ」なんだけど。(笑)

まず面白いのは、この「完全な真空」という本そのものも、レム自身によって書評が書かれているということ。これがちょうど序文のように読めるんですけど、こういう構造(こういうのをメタって言うんですかね?)がものすごくソソるんですよねえ。そして他の書評が15冊分。その中には架空のノーベル賞授賞式での演説原稿なんかも混ざってるので、全部が全部書評というわけじゃないんですが。
私が一番好きだったのは「ギガメシュ」。これは、パトリック・ハナハンという作家が、同郷人であるジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」や「フィネガンズ・ウェイク」に対抗するかのように書いたという作品... 「オデュッセイア」は結局のところ古代バビロニアの叙事詩「ギルガメシュ」の剽窃に過ぎないと主張するハナハンは、自分なりの「ギルガメシュ」を「ギガメシュ」として書いたというんですね。ここで説明されているのは、なぜ「ギルガメシュ(GILGAMESH)」から「L」の文字を落として「ギガメシュ(GIGAMESH)」という題名とされたのか(「L」は「Lucipherus」「Lucifer」を表す... 存在はしているのだけれど目には見えない)ということに始まって、言葉遊びのオンパレード。でも単なる言葉遊びと侮るなかれ。これがもう、どこまで広がりを見せるのかと思っちゃうようなもので、すんごいツボです。「ユリシーズ」や「フィネガンズ・ウェイク」というのも、こういう作品なのかな? もしかしたら、私、好きかも? いや、もちろん、読むのは大変でしょうけど。以前から気になってたんだけど、ますます読みたくなってきたーー!
何も無いことを書き続ける「とどのつまりは何も無し」も面白いし(この「完全な真空」とちょっと似た存在ですね)、世界の古典文学をばらばらに解体して読者が好きなように再構成できる「あなたにも本が作れます」も~。コウスカ教授が自分のの出生の確率を太古の昔にまでさかのぼる「生の不可能性について/予知の不可能性について」のしつこさも楽しいです。でも、ここに書かれた書評の元になった本を実際に読んでみたいと思わなかったのは、なぜなんだろう? それはほめ言葉となるのでしょうか。それとも? このまま書かれたら、さぞすごい作品になっただろうな、というのもあるのに。(実際、書きあげるだけの能力はないが、書かないでおくのはもったいないアイディアもある、とのことでした)

いやいや、レムというのは、ものすごい人だったようですね。ボルヘスもそうだったけど、自分と同じ「人間」とはちょっと思えない... 怪物? アイディアの奔流が怒涛のように流れ出してくる人だったんでしょうね。こういう人の頭の中を覗いてみたい。「知性」が目に見えるように蠢いていそうです。今度読む時は、架空の作品への序文集だという「虚数」にしてみようと思うんですが、その前に自分の読書力をもっと鍛える必要アリ。いや、いつまで頑張っても、このレベルまでは鍛えられないかもしれないな。(国書刊行会)

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両親に言われて、東京にいる双子の妹・梢の様子を見に行くことになった翠。梢はプロのヴォーカリストになるのだと高校卒業と同時に岩手を出て、遠距離恋愛中だった恋人の家に転がり込んだのです。翠は行く前に福田パンに寄り、2人とも大好きなあんバターを、梢の恋人の分も合わせて3個買って行くことに... という「福田パン」他、全6編の短篇集。

高校に入学する年に一家で岩手に引っ越して以来、大学も就職も地元の翠と、高校を卒業してからは東京にいる梢。一卵性双子で顔はそっくりなのに、性格はまるで違う2人をめぐる連作短篇集。
穏やかな落着きを持つ翠と、華やかで奔放な梢。対照的な双子のうち、私は翠に惹かれながら読み進めたんですが、やっぱりそういう人が多いのかな? この短篇集全体にも、翠の穏やかな落着きが漂っているようです。高校時代は梢にかかってくる電話の方が圧倒的に多かったそうだし、2人が一緒にいたら、パッと目立つのは梢のはず。2人が別々にいる時も、翠のことを梢だと思って話しかける人が多かったんじゃないかしら。翠自身は、自分が物語の主役となるタイプだなんて思ったこともないだろうし、もしかしたらそれが密かにコンプレックスに繋がってたなんてこともあるのかも...。翠が岩手に残ろうと思ったのは、もしかしたら梢が東京に憧れるのを間近で見ていたからなのかもしれないですよね。
でも、華やかさでは梢に負けているように見えても、翠の地に足のついた誠実さや、和やかな優しさは、人々をほのぼのと心地よい気持ちにさせるもの。一緒にいて安らぐのは、やっぱり梢よりも翠のはず。そしてそれこそが、そのまま故郷という言葉が持つイメージなのかも、なんて思ったりもします。この作品に登場する人たちは、みな自分の「故郷」を探しているように感じたんですが... 生まれ育った懐かしい場所というだけではない、自分の居場所という意味での「故郷」を探しているような気がしたんですが、翠はその「故郷」の象徴のような存在なのかもしれません。

盛岡や花巻には1度だけ行ったことがあるんですけど、その時にこの本がまだなかったのがとっても残念。福田パンも行ってみたいし食べてみたいし、イギリス海岸にも光原社の中庭にも行ってみたいし、じゃじゃ麺も食べてみたい! そして、宮沢賢治記念館にも行ってみたい! 「イーハトーヴ短篇集」という副題通り、この本全編には宮沢賢治の存在感が漂ってます。賢治作品を知らなくても、読むのには全然問題ないんですが、知っていればこの作品の深みが一段と増すような気がする... その辺りがなんだかうまいなあ、匙加減が絶妙だなあ、なんて思います。(メディアファクトリー )

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4月のある朝の6時頃。町中へと向かう始発バスを待っていた人々は、ふと空を見上げて驚きます。そこには暗い色をした巨大なまる物体が雲のようにじっとしていたのです。「火星人だ!」という叫び声がきっかけとなって辺り一帯は大騒ぎになり、非常事態宣言が発令されることに。その頃、ニュータウンの第五区のマンションのメレッティさんの家でも、宿題をするために早く起きたパオロが空に浮かぶ物体を見つけ、慌てて妹のリタを起こしていました。しかしその時2人のいるベランダに何かが落ちてきたのです。それはとても美味しいチョコレートの固まりだったのです。

これは1966年、ロダーリがローマのトゥルッロというニュータウンにある小学校で、4年生の生徒たちと作ったお話なのだそう。道理で、いつも以上に子供たちが大活躍しているわけですね~。そして中心となるのは、とっても美味しそうなケーキ。チョコレートやマジパン、パイ生地、干しブドウ、砂糖づけシトロン、生クリーム、アーモンド菓子、砂糖づけのさくらんぼ、マロングラッセ、クルミやハシバミの実、アイスクリーム... ザバイオーネ、ロゾリオ酒やマルサラ酒といった辺りは実際には見たことがないんですが、イタリア語って、もう本当にどれもこれも美味しそうな気がしてしまうのはなぜなんでしょう。(笑)
楽しいながらも、純粋なロダーリの作品に比べると面白さは少し落ちるかも... とも思ってしまったんですが、それでもロダーリらしさはたっぷり。ケーキにことよせた世界平和へのメッセージもロダーリらしいところですね。子供たちの柔軟な発想とシンプルな知恵に、頭の固い大人たちがすっかり負けているという図には、時には物事を小難しく考えるのをやめて、あるがままを受け入れてそのまま楽しもうよ、と語りかけられているような気がします。

この本は「イタリアからのおくりもの 5つのちいさなファンタジア」という叢書の中の1冊。他の4冊は「木の上の家」ビアンカ・ピッツォルノ、 「ベネチア人にしっぽがはえた日」アンドレア・モレジーニ、「ドロドロ戦争」ベアロリーチェ・マジーニ、「アマチェム星のセーメ」ロベルト・ピウミーニ。どれも楽しそうだな~。(汐文社)


    


+既読のジャンニ・ロダーリ作品の感想+
「猫とともに去りぬ」ロダーリ
「チポリーノの冒険」ジャンニ・ロダーリ
「うそつき国のジェルソミーノ」ジャンニ・ロダーリ
「パパの電話を待ちながら」ジャンニ・ロダーリ
「空にうかんだ大きなケーキ」ジャンニ・ロダーリ

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西洋の文化を理解するためには欠かせないと言われている聖書の知識。しかし天地創造を扱う創世記はともかく、読みづらい部分も多いのです。キリスト教の信者ならともかく、あまりキリスト教との接点がない人間にとって、聖書を最初から最後まで読み通すのはとても大変なこと。そんな読者向けの聖書の解説本。枝葉末節は切り捨てて、有名なエピソードに絞って紹介していきます。

大学に進学する時にも、外国の文学を学ぶつもりなら聖書とギリシャ神話だけは読んでおきなさい、と学校で言われたんですよね。幸いギリシャ神話は子供の頃から好きだったし、聖書も、こちらは別に好きだったわけじゃないんですが(笑)カトリック系の学校に長く通っていたので、比較的読んでいる方。全部きっちり読み通してるわけじゃないけど、旧約聖書は物語として面白いですしね。あとは新約聖書の黙示録とか。なので、それほど初心者というわけじゃないんですが... ギリシャ神話関連の本では阿刀田さん独自の視点が楽しかったし! そちらを読んだ時に、この「旧約聖書を知っていますか」が良かったと教えてもらったので、さっそく読んでみました。
阿刀田高さんのスタンスは、1人の異教徒として、気楽な雰囲気で聖書を分かりやすく読み解いてみた、というもの。そのスタンスというか距離感が、読んでいてまず心地良かったです。やっぱりこういう宗教がらみの本は何かと難しいから... 信仰心が篤い人だと、深く踏み込めるでしょうけど、初心者向けの本じゃなくなっちゃいそうだし、一般の人のために解説するんなら、あまり信仰を持っていない人の方が客観的な態度をとれていいかもしれないですね。

聖書の中のエピソードに関しては、既に原典を知っている分、特に目新しいものはなかったんですが、それでもすごく久しぶりだし~。やっぱり阿刀田さん独自の視点が面白かったです。長年読んでいながら気がつかなかった矛盾点もあったし... たとえば創世記の最初のところで、6日目にもう男と女を作ってしまってたってほんと?! アダムが生まれて、その肋骨からイブ、と思い込んで読んでたから、こんな基本的なところにも気づいてなかったわ! そして創世記がイスラエルの民族にとっての神話だという話のところで、素人の推測と断りながらも書かれている文章に説得力がありました。

神話というものが歴史の中に入り込むのは、たいてい王国が隆盛を極めた時である。周囲の群雄勢力を平定し、強力な王国が誕生して、権勢ゆるぎない王が君臨すると(中略)その礎の確かさを文献として書き残したくなる。つまり神から与えられた王座なのだということを、あと追いの形で記録したくなる。

確かにそうなんだけど! 普通の神話を読んでる時はそういうのも当然頭にあるわけなんですけど、聖書に関しては全然考えたこともなかったなあ...。なるほど。身近にありすぎて気付かなかったわー。やっぱり時には一歩引いて眺めてみることが必要ですね。様々なエピソードの整合性のなさに関しても、いくつもの民族の持つ英雄譚や伝承が交錯して、聖書の中に吸収されたせいだと言われてみるとあっさり納得できますしね。そうか、聖書も普通の神話と何も変わらないんだなー。(笑)(新潮文庫)


+既読の阿刀田高作品の感想+
「新トロイア物語」阿刀田高
「ギリシア神話を知っていますか」「私のギリシャ神話」阿刀田高
「ホメロスを楽しむために」阿刀田高
「旧約聖書を知っていますか」阿刀田高

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ギリシャ軍によるトロイ城包囲が7年過ぎた頃。アガメムノンやユリシーズたちは、ギリシャ軍の華・アキリーズを戦場に駆り立てようとしていました。しかし自分の力や名声に酔いしれ、すっかり高慢になっていたアキリーズは、毎日パトロクラス相手にふざけたり、アガメムノンらを嘲るばかり。なかなか戦争に参加しようとしないのです。そんな時、トロイ軍の将軍・イーニーアスがギリシャの軍営を訪れます。それはプライアム王の息子であり、トロイ軍の大将であるヘクターからの一騎打ちの申し出。ユリシーズの提案でヘクターの相手に決まったのは、エージャックス。そしてその頃、パリスの弟のトロイラスは、クレシダに一途に恋をしており、クレシダの叔父であるパンダラスに仲を取り持ってくれるよう頼んでいました。

ギリシャ・ローマ時代の神話や出来事を題材に取ったような後世の作品で何が困るって、人名が違ってしまうこと。先日ラシーヌの戯曲を読んだ時も、「フェードル」がパイドラのことで、「アンドロマック」がアンドロマケーのことで、なんてところで苦労したんですが、こちらもそうでした。トロイラスやクレシダ、アガメムノンはまあいいとして、ユリシーズはオデュッセウス、アキリーズはアキレウス、エージャックスは大アイアース。プライアム王はプリアモス王、ヘクターはヘクトル、イーニーアスはアイネイアースのことなんです。確かにシェイクスピアは英語で書いてるから、私が馴染んでいるギリシャ語読みとは違っていても仕方ないんですが...。英語読みだと軽いですね。なんだか調子出ないなー。(笑)
でも、シェイクスピアの戯曲の中ではかなり評価が低い作品のようなんですけど、人名がきちんと飲みこめてしまえば、これが結構面白く読めました。まず可笑しかったのは、ヘクターと戦うことが決まったエージャックスを、ユリシーズやアガメムノン、ネスターやダイアミディーズがおだてつつ、実は虚仮にしているところ。そしてギリシャ陣営にやって来たクレシダをギリシャの将軍らが歓迎しているところ。これはどっちも日本語で読んでも笑えるような訳になってるんです。読みながら思わずくすくす笑いが漏れてしまったほど。訳者の小田島雄志さん、スゴイ!

この作品では「トロイの城壁が七年にわたる包囲にも屈せず」とあるんですが、アキリーズがアガメムノンに対して怒っているので、おそらくホメロスの「イーリアス」と同時期の話なんでしょうね。(「イーリアス」はトロイ戦争の10年目) この「トロイラスとクレシダ」はタイトル通り、トロイの王子・トロイラスと、トロイの神官でありながらギリシャに寝返った神官カルカスの娘・クレシダという2人の悲恋物語ではあるんですが、それと平行して進んでいくのはトロイ戦争の顛末。というか、むしろ戦争の方が比重としては重いかもしれません。戦う気をまるで失っているアキリーズを、それと悟らせないように遠回し遠回しに戦場に引っ張り出すユリシーズの知略の物語。戦争ばかりだと観てる人が飽きてしまうだろうからと、ちょっと恋物語を入れて潤わせてみましたーという感じ?
人物の造形は、ホメロスの「イーリアス」とは、結構違ってました。一番目についたのは、ユリシーズに対するアキリーズの態度。「イーリアス」では、アキリーズはアガメムノンに対しては敵意を燃やしながらも、ユリシーズに対して敬愛の情を示してたんですよね。アガメムノンが折れて出た時も、ユリシーズが仲介役となったほど。でもこっちの作品でのアキリーズは、親友のパトロクラス以外の人間は全て見下してるんです。ユリシーズのことも。しかもアキリーズがヘクターを討ち取る場面が! これはないだろうという卑怯なやり口なんです。それまでのギリシャ陣営とヘクターの正々堂々としたやり取りからすると考えられなーい!

でも、やっぱり評判があまり高くないだけあって、ちょっと不思議な作品でもありました。それは、唐突に終わってしまうこと。ここで終わる? これから後はどうするの? もう呆気にとられてしまうような幕切れ。これは一体何だったんだーー。この作品は、シェイクスピアの作品の中でも「問題劇」という扱いをされてるそうなんですが、それも納得。現代の小説でも、ここまで読者に丸投げの作品はあんまりないんじゃないかしら。それに一応悲劇に分類される作品のようなんですが、とてもじゃないけど悲劇とは思えません。確かに愛は破局を迎えるんですけど、それでもこれって喜劇なんじゃ...?

シェイクスピアの作品に先んじて、チョーサーも同じ題名の作品を書いてるんですよね。日本では「トロイルス」という題名で訳されているようです。こちらではクレシダの造形がかなり違うようなので、そちらもぜひ読んでみたいなあ。そして「イーリアス」と並んでトロイ戦争についての筋の主な材源となっているという、ジョン・リドゲイド「トロイの書」、ウィリアム・キャクストンの「トロイ史集成」、チャップマン「イリアッド」も読んでみたいです... が、この3つは、どうやら日本語には訳されてないみたい... 残念。(白水uブックス)


+既読のシェイクスピア作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「ジョン王」ウィリアム・シェイクスピア
「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」シェイクスピア
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治
「マクベス」シェイクスピア
「トロイラスとクレシダ」シェイクスピア

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人類の古代史に燦然と輝く2つの叙事詩「イリアス」「オデュッセイア」。しかしその作者とされるホメロスという人物については、未だに生まれた年も生まれた場所も判明していません。「イリアス」はともかく、「オデュッセイア」はホメロスの作品ではないとする説もあります。しかしこの時代に諸国を巡り歩く詩人たちが「イリアス」や「オデュッセイア」となるような物語を歌い上げていたのは確かであり、それらの作品をまとめあげ、内容豊かな叙事詩に仕上げた人物が「ホメロス」とされているのです。このギリシャに生れた盲目の吟遊詩人・ホメロスと彼の2つの主要な作品を、その筋を辿りながら解説していく本。

「イリアス」(感想)「オデュッセイア」(感想)は既に読んでるんですが、先日読んだ「ギリシア神話を知っていますか」「私のギリシャ物語」での阿刀田高氏独自の視点がとても面白かったし、開眼する部分が多々あったので手に取ってみました... が。
確かにこちらも、すごく読みやすくて分かりやすいです。「イリアス」や「オデュッセイア」に興味がありつつも、ちょっと敷居が高そうで... なんて思ってる人には、入門編として最適でしょうね。こういう本を一回読んでおけば、とっつきにくい叙事詩の間口もぐーんと広がるはず。でも逆に、そういった叙事詩を既に読んでいる場合は... 阿刀田高さんご自身がギリシャやトルコを訪れた時のエピソードも交えて、面白おかしく語られていくし、そういう意味では楽しく読めるんですが... ギリシャ神話関連の本を読んだ時ほどには新鮮味が感じられなかったかも~。それがちょっぴり残念でした。 (新潮文庫)


+既読の阿刀田高作品の感想+
「新トロイア物語」阿刀田高
「ギリシア神話を知っていますか」「私のギリシャ神話」阿刀田高
「ホメロスを楽しむために」阿刀田高
「旧約聖書を知っていますか」阿刀田高

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10年間かかったトロイア戦争が終結。トロイアの町が陥落し、ギリシャ勢は帰国することに。オデュッセウスも3艘の船に戦利品を満載して家路につきます。しかしポセイドンの怒りを買っていたオデュッセウスが故郷のイタケ島に帰りつくには、さらに10年の歳月が必要だったのです。

「トロイア戦争物語」に引き続き、楽しく読める「オデュッセイア」です。でも面白さで言えば、「トロイア戦争物語」の方が上だったかな...。こちらも面白いことは面白いんだけど、「まあまあ」程度でした。読後、なんで「まあまあ」程度だったんだろうとちょっと考えてしまったんですけど、もしかしたら「オデュッセイア」は、既に完成されていて、あまり手を加える余地がないからかもしれないですね。「トロイア戦争物語」の中心になっている「イーリアス」だと、10年の戦争のうちほんの数週間のことしか書かれていないから、結構前後とか合間とかに付け加える余地があるんです。人間を間に挟んだ神々同士のいがみ合いも、結構ふくらませられるものだし。でも「オデュッセイア」は、そういう意味ではあまりふくらませ甲斐のない作品なのかも。あ、でも回想シーンの多い本家の「オデュッセイア」に比べて、こちらはきちんと時系列順に話が進んでいたので、とても分かりやすくはなってましたが~。

1つ「おっ」と思ったのは、キルケの島でのこと。オデュッセウスの船がキルケの島に着いたあと、乗組員たちは2手に分かれて、半数が島にある城を探りに行くんですね。それは魔女のキルケの住む城なんですが、みんなそんなこととは知る由もなく。で、警戒した1人を除いて、その城でキルケにもてなされることになるんですが... 結局、その人々は豚に変えられてしまうんです。原典では、ごちそうを食べ終わった頃にキルケが杖で人々を触ると豚に変身すると書かれてるだけなんですけど、このエヴスリンの物語では、その前段階としてごちそうを食べる場面があって、それがまるで豚みたいな食べっぷり。まるで「千と千尋の神隠し」の最初の場面みたい! もしや宮崎駿氏はこの作品を読んだのかしら~などと思ってしまったのでありました。(現代教養文庫)


+既読のバーナード・エヴスリン作品の感想+
「トロイア戦争物語」バーナード・エヴスリン
「オデュッセウス物語」バーナード・エヴスリン

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山のような荷物を背負った行商人がやって来たのは、スキュロス島の王城の中にある女たちの館。スキュロス島はかなりの僻地にあり、王女たちは自分たちが都の流行に遅れているのを気にしていたため、行商人が広げ始めた荷物を歓声をあげて取り囲みます。王女たちが夢中になったのは、見事な衣装や宝石。しかし1人だけ、そういった服飾品には目もくれず、剣を掴んで振るい始めた姫がいました。それは少し前から館に滞在していた王女たちの従妹。その姫を見た行商人は、その姫に向かってアキレウスと呼びかけます。その行商人は、実はイタケの王・オデュッセウス。トロイア戦争に勝つためにはアキレウスの存在が必要不可欠なため、探しに来たのです。しかしアキレウスは、この戦いに参加すれば死は免れない運命。そのため母のテティスが女装をさせて、スキュロス王の宮廷に隠していたのでした。

楽しく読めるトロイア戦争。かーなり軽いんですけど、面白いです。作者のバーナード・エヴスリンという人は、ニューヨーク在住の小説家兼劇作家。芝居や映画のシナリオを書いたり演出関係の仕事をしてるそうなんですけど、この作品を読んだ限りでは、テレビのシナリオライターというイメージ! それも視聴者のニーズを敏感にキャッチする、売れっ子シナリオライター。でもその分、やっぱり軽い... たとえば、同じくアメリカ人のトマス・ブルフィンチは、これから英文学を読もうとするアメリカ人のために、気軽に基礎知識を得られる本としてギリシャ・ローマ神話とかシャルルマーニュ伝説の解説本を書いたそうなんですね。どちらもそういった知識を楽しく得られるという取っつきやすい本を書いたという点では、よく似てます。でも多分、ギリシャ神話に対するスタンスは全然違うんだろうなあ。

この「トロイア物語」の中心になってるのは、ホメロスの「イーリアス」。でも他からもかなり色んな話を引っ張ってきてますね。「イーリアス」そのものは、10年間続いたといわれるトロイア戦争の1か月ほどの期間しか描いていないんです。アキレウスの怒りに始まり、ヘクトルの葬儀まで。でもこの作品には、その前後のことも結構書かれてました。トロイア戦争に関する叙事詩は今ではかなり失われて、ホメロスの「イーリアス」と「オデュッセイア」ぐらいしかきちんと読むことができないんですけど、元々は8つの作品が1つの「叙事詩環」を構成して、トロイア戦争の全貌を描きあげるものになってるんですね。その辺りも含めて、一般的に流布してるギリシャ神話やそこから派生した作品も交えて、ついでにエヴスリンのオリジナルもたっぷり交えて書きあげたという感じです。
で、先に「軽い」と書いたんですが、ほんと軽いです。「イーリアス」の重々しさなんて、これっぽっちも感じられないほど。まあ、面白いからいいんですけどね。同じくエヴスリンに「オデュッセイア物語」というのもあるので、そちらも読んでみたくなりました。でも、どこからどこまでがエヴスリンの創作なのか分からないというのは、結構キケンかもしれないですねー。特にアテナによる「英雄作り」、これはきっとエヴスリンによる創作に違いないと思うんですが! これは強烈。こんなのが神話にあると思いたくないし、思ってもらいたくもない...。

そして併せてエヴスリンの「ギリシア神話小事典」も入手しました。まだまだ拾い読みしてる段階なんですが、テレマコスやナウシカアの項に、知りたかったことが色々と書かれていて満足。でも先に「トロイア戦争物語」を読んでしまったから、こういった記述の信憑性もどうしても疑ってかかってしまう私です。「物語」にはオリジナルがいくら入ってもいいと思うんですけどね。「小事典」には創作は入るべきではないと思うし、入ってないと思いたいんですが...。(現代教養文庫)

+既読のバーナード・エヴスリン作品の感想+
「トロイア戦争物語」バーナード・エヴスリン
「オデュッセウス物語」バーナード・エヴスリン

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「まっくろネリノ」の家族は、とうさんとかあさん、そして兄さんが4人。でも父さんも母さんも毎日えさ探しに忙しいし、綺麗な色をした兄さんたちは、ぼくとちっとも遊んでくれないんだ。それは、ぼくだけが真っ黒だから。

またしても、「大人のための絵本の本」(感想)で気になった絵本です。だってだって、色がとっても綺麗なんですもん~。紹介されていたのは、この表紙の絵と、中の鮮やかな黄色地のページ。そして図書館で借りてみたら、やっぱりとっても色が綺麗な絵本でした。全体的な色合いは暗めなんですけどね。それだけに、紹介されていた黄色のページがとても鮮やか! 絵本の作者のヘルガ=ガルラーはオーストリア人。本職はデザイナーで、織物や室内装飾、映画のアニメーションの仕事など幅広く活躍している方なのだそうです。まあ、このネリノの一家が何なのかはよく分からないんですが...。お父さんとお母さんを見る限りでは、鳥なのかな? ネリノ自身は、丁度「まっくろくろすけ」みたいな感じです。(笑)
一人ぼっちで寂しかったネリノが、一人ぼっちじゃなくなるお話。自分の真っ黒な色にコンプレックスを感じていたけど、そんなありのままの自分の良さに気付いて、他のひとにもその良さを認めてもらうことができたというお話。そう言ってしまえば、とても単純なものなんだけど、でもこのネリノが自分の真っ黒さを生かす機智なんかも見せてくれて、それもすごく楽しいんです。
なんだかいいな、この絵本。手元に欲しいな。(偕成社)

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フランス軍が敗北し、プロシャ軍がルアン市に入場。プロシャ軍は厳しい軍規によってこの町を支配するものの、噂になっていたような残虐行為をここでは一切せず、ルアン市民も徐々に平生の姿を取り戻します。ドイツ軍将校のつてを利用して司令官から出発許可証をもらい、10人が大きな乗合馬車で一緒にディエップに向けて出発することに。ブドウ酒問屋を営むロワゾー夫妻、上流階級に属する大物のカレ=ラマドン氏夫妻、ユベール・ド・ブレヴィル伯爵夫妻、修道女2人、共和主義者のコルニュデ、そして太った娼婦... その体つきからブール・ド・シュイフ(脂肪のかたまり)と呼ばれている女性でした。

乗合馬車に乗り合わせた10人の作りだす1つの世界。他にも登場する人間はいますが、中心となるのはあくまでもこの10人だけ。しかしここには、1つの完全な世界が作り出されています。
一言で言ってしまえば、とても嫌な話。そしてとても身につまされる話。でも人間の本当に醜い部分を、こんな風に描きだしてしまうのは、やっぱり凄いなあと思いますね。もしここに自分がいたら、どうなんでしょう。そう思わずにはいられません。心の奥ではダメだと分かっていても、やっぱり安易な方へと流れていってしまうのではないかしら...。誰が入れ替わっても、これ以外の結末というのはあり得ないんじゃないか、そう思えてしまうような、ものすごく底力のある作品。
社会的弱者であり、お上品な人たちに蔑まれる娼婦。でも他人のことを思いやり、我慢するということを知っているのは、みなに蔑すまれる「脂肪のかたまり」だけなんですね。どれほど立派な服装をしていても、教養があったとしても、顔立ちが美しかったとしても、それは単なる外側の飾り物。同じ人間をこんな風に踏みつけにしていいはずがないんだけど... でもこの面々は、目的地に着いて解散した途端、娼婦のことなんて忘れてしまって、きっともう一生思い出さないんだろうな。もしこの物語がキリスト教的寓話なら、最終的に天国の門で聖ペテロにどう扱われるかまで描かれるところですが、そうじゃないですしね。これは現実に起こりうること。他の人々のために自分を殺すことを知っている娼婦だけど、彼女が最終的に救われるとは限らないわけです。だからこそ人生の縮図を感じさせるし、娼婦の思いが一層響いてくるんでしょう。

...それでも俗人どもはまだ仕方ないかも。でもね、この修道女って...!(岩波文庫)

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ローマ帝国の五賢帝の1人、皇帝ハドリアヌスももう60歳。死病に侵されるハドリアヌスがマルクス・アウレリウスに宛てた手紙。そしてそこで語る自らの生涯。

フランスではこの作品の影響で、ハドリアヌス帝が一番人気がある皇帝となったのだそうです。それもなるほどと納得させられてしまうような、無駄がそぎ落とされた美しい文章で構築されていく、静謐で高貴な世界でした。狩とギリシャ文化を愛したハドリアヌス。ヒスパニアに生まれ、ローマで教育を受け、青年時代に軍隊生活が始まり... ハドリアヌスにとっては聡明な守護神だったトライアヌスの妻・プロティナの存在。即位。粛清事件。そして帝国内を視察する旅から旅の生活。塩野七生さんの「ローマ人の物語 賢帝の世紀」(感想)に登場するハドリアヌスとは、ほんの少し印象が違う、でもどちらにも共通しているのは、間違いなく賢帝だったということ。何といっても皇帝在位中の業績が素晴らしいですしね。常に皇帝としての義務を果たしつつ、トライアヌスが拡大した帝国内をくまなく巡察し、既存の公共施設を修理、国境の防衛線を強化、地域ごとの問題を解決してローマ帝国の平和を維持していった人なんですから。

それでも、ユルスナールの作り上げた格調高い世界、そして塩野七生さんが繰り返し書く、現代人にとって理想像のように見えるローマ人の世界を読みながらも、本当にそうだったのかな?という思いもよぎってしまうのを止められない私。というのは、以前読んだペトロニウスの「サテュリコン」(感想)のせいですね。これがもう、ローマ文化の爛熟ぶりが良く分かるというか何というか、もう本当に辟易してしまうほどの退廃ぶりを描いた作品だったので...。
ペトロニウスというのは、ネロ帝時代の文人。ネロ帝の側近だった人なんですね。だから日々ネロ帝の華やかな生活の恩恵を受けていたでしょうし、そういう特殊な部分を描いた作品なのかもしれないんですが... でもローマ人の生活の乱れぶりについては、先日読んだタキトゥスの「ゲルマニア」(感想)にも、ちらりちらりと出てきたんです。この作品は、ゲルマニア地方の風土や、そこに住む様々なゲルマニア系民族の慣習・性質・社会制度・伝承などをローマ人に紹介するもの。なのでローマ人に関してはほとんど書かれていないんですが、品行方正なゲルマン人の暮らしぶりに対して、ローマ人の乱れ切った生活ぶりを嘆くような部分があるんです。このままではいつかゲルマン人にやっつけられてしまうだろう、という不安と。ネロ帝の時代は紀元37年から68年まで。ハドリアヌス帝は117年から138年まで。実際それほど離れているわけではないので、世の中だってそう大きく変わらないはず。タキトゥスの「ゲルマニア」が、その中間の98年に書かれたとされているんだから尚更。

でも... そんなことは既に関係ないんでしょうね。実際のローマ帝国がどうであったにせよ、そんなことは大した問題ではないんでしょう。確かにハドリアヌスだって若い頃から女性関係は結構盛んだったようだし、アンティノウスという美少年を寵愛したりしてるんだけど、それも含めて、ここに描かれているのは、あまりにも美しい世界。もうひれ伏すしかないほどの。ここに描かれたハドリアヌスは確かに生きているし、ユルスナールが描き上げたかったのは、ハドリアヌス帝の姿を借りたこの人物なのだと思えてきます。
ユルスナールは、この作品の構想を20歳から25歳の間に盛ったにも関わらず、実際に今ある状態の作品として書くまでには長い年月を経なければならなかったんだそうです。ああ、分かる気がする...。ユルスナールですら、この物語を書きあげるには、ある程度の年齢を重ねることが必要だったんですね。(白水社)


+既読のマルグリット・ユルスナール作品の感想+
「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール
「ハドリアヌス帝の回想」マルグリット・ユルスナール

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魔法の森の王・メンダンバーは、堅苦しい公式の式典に出席させようとしたり、執拗に結婚を勧めたりするエルフのウィリンや口うるさいガーゴイルの目を逃れて、1人城を出て魔法の森へ。魔法の森は、境界線はもちろんのことその地形さえ、前触れもなく頻繁に変わってしまう場所。しかし王であるメンダンバーは、特に何も考えなくても森を自由に出入りしたり、行きたい場所に行くことができる特権を持っていました。それなのに、1時間たっても、目的地の<緑の鏡ヶ淵>に辿りつかないのです。それどころか、本来入ることのできないはずの人間まで魔法の森に入り込んでいるのを発見。そして更に、魔法の森の中にあるはずのない荒地を発見。魔法の森の一部が徹底的に破壊され、何も残っていない状態となっていました。そこにドラゴンのうろこが何枚も落ちているのを見つけたメンダンバーは、偶然出会ったリスのアドバイスを受けて、魔女のモーウェンに会いに行くことに。

魔法の森シリーズの2作目。前回は、ありきたりなお姫さま教育と、世の中の頭の空っぽな王子さまたちにうんざりしているシモリーンが主役でしたが、今回中心となるのは、魔法の森の王・メンダンバー。(ようやく、シリーズ名の「魔法の森」が前面に出てきました) この王さまが堅苦しいことは大の苦手で、「頭は空っぽなのに、自分を魅力的に見せることだけは得意」な世間一般の典型的なお姫さまたちに辟易していて... という、平たく言ってしまえばシモリーンの男性版。1作目と対になってるとも言えるのかな? ...ええと、本当は原書で読むはずだったし、実際読み始めていたんですが... そうこうしてるうちに邦訳が出て、結局そちらを読んでしまいました。(汗)

いやあ、今回も可愛らしかったです~。前作と比べると、ドラゴンの出番がかなり減ってしまってそれが寂しかったし、明るくて魅力的なシモリーンに比べると、どうしてもメンダンバーが見劣りしてしまうし(いい人なんですけどね、シモリーンほどのインパクトはないから)、おとぎ話の王道を捻った設定に関しても、前回ほどのヒットではなかったんですが、それでもやっぱり可愛らしくて楽しくて、このシリーズは大好き。
今回一番面白いなと思ったのは、メンダンバー王の魔法。この人は元々魔法が使えるという人ではなくて(だから魔法使いではない)、王位を継いだ時に魔法の力も受け継いでるんですね。即位した王に、森のすみずみまで網目のように広がっている魔法を感じ取り、使う能力を与えるのは魔法の森そのものなんです。で、メンダンバーは、メンダンバーにしか見えないその魔法の糸に触れたり引っ張ったり捻ったりすることによって、魔法を使うというわけです。魔法の森の外にいる時は糸がないので、色々大変なんだけど。
もちろんシモリーンも登場します。魔女のモーウェンも。新しい仲間もできるし、その仲間が次巻にも活躍してくれそうな予感。3巻目はモーウェンが主役となるようなので、そちらもとても楽しみです。(東京創元社)


+シリーズ既刊の感想+
「囚われちゃったお姫さま」パトリシア・C・リーデ
「Dealing with Dragons」Patricia C. Wrede
「消えちゃったドラゴン」パトリシア・C・リーデ

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大正から昭和初期にかけては、怪談文芸の黄金時期。その時代に「妖怪(おばけ)の隊長」と呼ばれた泉鏡花、そして名だたる文人墨客・名優たちが中心となり、百物語怪談会が繰り返し催されることになったのだそう。この本はその会の模様、そこで語られた数々の怪談と、そこから誕生した怪談小説や随筆作品を1冊にまとめたものです。

泉鏡花の名前に惹かれてなんとなく買ってしまった本なんですけど、一昨年刊行の特別編「百物語怪談会 文豪怪談傑作選・特別篇」が、やはり鏡花を中心とする顔ぶれの怪談アンソロジーで、こちらはその続編ともいえる本なのだそう。「百物語怪談会」は明治末期の怪談会で、こちらは大正から昭和にかけての怪談会です。

怪談会のメンバーは、泉鏡花、松崎天民、平山蘆江、久保田万太郎、長谷川伸、芥川龍之介、菊池寛、柳田國男、里見弴、長谷川時雨などなど。びっくりしてしまうほどの豪華メンバーによる怪談会は、意外と言っては失礼なんだけど、びっくりするほど面白かったです。そういった怪談会の模様が新聞や雑誌で詳報されたというのも納得できるレベルの高さ。
どれも文字にして読んでしまうとごく短い話ばかりなんですけど、みんな語り上手ですねー。特に印象に残ったのは、妖怪好きの新派俳優・喜多村緑郎の語る悲恋話かなあ。これは泉鏡花によって「浮舟」という作品にも仕立てられて、それもこの本に収められています。そして芥川龍之介や柳田國男も参加している怪談会の実録の面白いことったら。肝心の泉鏡花の存在感が一番薄かったりして...(笑)
怪談といえば、先日「牡丹灯籠」(感想)を読んで、本来怪談の主役かなと思うお化け話がすっかり脇に回ってたのにびっくりしたところ。こちらでは、短いだけあって主役は主役のままなんですけど、それでもやっぱり相手を怖がらせるだけが主眼というわけじゃないんですね。そこはかとない郷愁が漂っていたり、江戸時代の時代物に感じるような人情を感じさせたり。今時のホラーとはまた全然違ってて、なんだかとっても古き良き時代の和やかな(?)怪談という趣があって、そういうところが好きでした。怪談もいいものですね! まず真偽を疑うのではなくて、なんとそんな出来事があったのかと、話を楽しもうという姿勢がまた読んでいて楽しい一因なのかもしれません。...でもそうですか、死神や厄病神らしき姿を見た時は、頑張って睨みつけてやらないといけないんですね。心しておかなくちゃ。(ちくま文庫)


+既読の泉鏡花作品の感想+
「夜叉ヶ池・天守物語」「高野聖・眉かくしの霊」泉鏡花
「泉鏡花短篇集」川村二郎編
「海神別荘」「春昼・春昼後刻」泉鏡花
「鏡花百物語集 文豪怪談傑作選・特別篇」東雅夫編

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大雪の日の夕方、彗君は古い煉瓦造りの建物の中にあるクラブへと出かけます。それは祖父の入江さんが前世紀に始め、最近彗君が入江さんから譲り受けたもの。その日彗君は、バーテンダーの九鬼さんが作った、本物の雪がそのままグラスに盛られているようなカクテルと、鮮やかな血の色をしたカクテルを飲み、その2つのカクテルの不思議な相乗効果で酔郷へと出かけることに...。

バーテンダーの九鬼さんの作るカクテルによって、彗君がさまざまな世界に遊ぶという物語。「夢の通い路」では、桂子さんが「あちらの世界の面々」と交歓を尽くしたんですが、こちらはその慧君版なんですね。桂子さんの孫にあたる慧君が、様々な美女と情を交わすことになります。式子内親王に始まり、ゴーギャン風の南方系美女、かぐや姫、植物的魔女、鬼女、雪女... 時には髑髏まで。ちなみに「よもつひらさか」とは、現世と黄泉の国の境目にある坂のこと。
でも今回なんだかとっても不思議だったのは、全然エロティシズムを感じないこと! 「夢の通い路」も全然肉感的ではなくて、まるで水のような植物のようなさらさらとしたエロティシズムだったと思うんですけど、こっちはそれも全然... 少なくとも前半は全然でした。そういった場面は多いんですけどね。後半は、まあ少しは感じられるようになったけど、それでも「夢の通い路」に比べれば本当に薄いものだし。これって何なんだろう。慧君だからなのかな。それとも読み手の問題?
「ポポイ」を読んだ時にすごく興味を持った慧君なので、「ポポイ」の慧君の辺りを読み返してると、こんな記述がありました。

いつも無限に優しいのがこの人の特徴で、だから慧君は聖者なのだ。相手の意思に反して自分の欲望が働くということがなく、相手の欲することを自分も欲するだけなのだ。そして相手が狂って我を失っても、最初から我というものをもたない慧君は決して狂うことがない。

ああ、そうでした。そういう人だったのでした。だからだったんですね。
こちらの作品でも、慧君と舞の話は私にとってなんだか特別な存在だったなあ。「分子レベルでの理解」に関する会話は、すごく印象に残るものだったし。
でも、今回読んでいて興味を引かれたのは、慧君よりもむしろ九鬼さんだったかも。不思議な酒を作るバーテンダーであり、入江家を取り仕切る執事のような存在であり、入江氏の分身のような存在であり、そして冥界の女王の馴染みでもあり...。いったい彼は何者なんでしょうね?(講談社文庫)


+桂子さんシリーズの感想+
「ポポイ」倉橋由美子
「夢の浮橋」倉橋由美子
「城の中の城」倉橋由美子
「交歓」倉橋由美子
「夢の通い路」倉橋由美子
「よもつひらさか往還」倉橋由美子

+既読の倉橋由美子作品の感想+
「偏愛文学館」倉橋由美子

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ずっとまえ、わたしが小さかったとき、わたしよりももっと小さいいもうとがいました。ちいちゃいいもうとは、目が茶色で、かみの毛は赤くて、鼻がすこしピンク色で、とてもとてもきかんぼうでした...。きかんぼのちいちゃいいもうとが巻き起こす、楽しいけどとっても大変な騒動の数々を、おねえちゃんの「わたし」がお話してくれます。

「きかんぼのちいちゃいいもうと」のシリーズ3冊。「ぐらぐらの歯」と「おとまり」と「いたずらハリー」。
この「きかんぼのちいちゃいいもうと」は、わがままだし気まぐれだし勝手だし、もう本当に大変なんですけど! でもそんな「きかんぼのちいちゃいいもうと」が、実はとても優しくて可愛い女の子で、みんなに愛されてるのがすごく伝わってきて、読んでるだけで幸せになれちゃうんです。だってお隣のジョーンズさん夫婦も、牛乳屋さんもパン屋さんも石炭屋さんも窓ふき屋さんも御用聞きの人たちも、みーんな「きかんぼのちいちゃいいもうと」が大好きなんですもん。しかも酒井駒子さんの挿絵がまたものすごく可愛いし! 特にぶーっと膨れてるところが最高。膨れてるのに、なんでこんなに可愛いのかしら!

どれも楽しいお話だったんですが、私が特に好きだったのは、2巻「おとまり」の表題作。ドレスを脱がないでびしょびしょに濡れてしまった「きかんぼの女の人」って!(笑) しかも、もしや...?と思ったら、次のページの挿絵に描かれてるのがまさにその絵だったし! うふふ。
パンの耳の話とか、指輪の話とか、図書館の話なんかも可笑しいし、あと「本のなかの小さい男の子」の「朝ごはんなし、お昼ごはんもなし」「晩御飯もなかったのよ」「いいえ、晩ごはんはありました」も良かったんですよねえ。大おばさんにあげたスノードームの話も。パラパラめくってるだけでも、素敵な場面がいっぱい出てきて困っちゃう。どれもこれも大好き。でも、何といっても最高なのは、「いたずらハリー」の最後の「おぎょうぎのいいお客さま」でのお母さんとの会話かな♪
自分の妹とか子供とか、知ってる子とか、誰かに重ね合わせながら読む人が多いのではないかと思いますが、私が重ね合わせてしまったのは、友達のとこの子供。おねえちゃんはしっかり者でおりこうさんなのに、その弟はもう本当にやんちゃで! 壮絶な「困ったくん」なんです。でも、すんごく可愛いんですよね。お姉ちゃんもお母さんも始終困らされつつ、その子に向ける視線は愛情たっぷり~。まあ、その子は男の子なので、「きかんぼのちいちゃいいもうと」というよりは、その悪戯仲間のハリーの方がぴったりかもしれませんが!(福音館書店)


+既読の酒井駒子作品の感想+
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子
「よるくま」「よるくま クリスマスのまえのよる」酒井駒子(「リコちゃんのおうち」)
「ビロードのうさぎ」マージェリィ・W・ビアンコ文・酒井駒子絵訳
「きつねのかみさま」あまんきみこ文・酒井駒子絵
「絵本のつくりかた1」「Pooka+ 酒井駒子 小さな世界」
「ゆきがやんだら」「ぼく、おかあさんのこと...」酒井駒子
「こりゃ まてまて」「ロンパーちゃんとふうせん」酒井駒子
「BとIとRとD」酒井駒子
「赤い蝋燭と人魚」小川未明文・酒井駒子絵
「くまとやまねこ」湯本香樹実文・酒井駒子絵
「金曜日の砂糖ちゃん」酒井駒子
「きかんぼのちいちゃいいもうと」1~3 ドロシー・エドワーズ

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ハンスが湖のほとりで小舟を浮かべて遊んでいると、木の上から見ていた風さんがさっと地面に飛び降ります。すると小舟はするすると動き出して... 風さんはハンスを連れて野原を突っ切り、りんごの実を揺り落し、色づいた葉っぱを散らし、雲に乗ってぐんぐん飛んでいくのです... という「風さん」。
一人ぼっちで窓辺に座って外を眺めていたマリーレン。お母さんは出かけたきり、なかなか戻ってきません。灰色の空からひらひらと雪が舞い降りてきて、ゆきのこたちが踊り始めます。そしてゆきのこたちに誘われたマリーレンは、一緒にゆきの女王の国へ... という「ゆきのおしろへ」。
遠い遠い遙かな国。赤ちゃんのいもむしたちは、子守りおばさんが見守る中、緑の葉っぱのジュースを飲んだり、よちよちと歩き回ったり。さなぎの子どもは、綺麗な花が咲き乱れ芳しい香りが溢れる夢のお庭で遊んだり、とんぼのお姉さんにダンスを習ったり。そして3月になると、光の使いたちに羽をもらうのです... という「ちょうちょのくに」。

「風さん」は、水色の服と帽子に金髪をなびかせた男の子。ハンスは白と赤の服に、赤と水色の、とんがった先っぽが垂れ下った帽子。(名称が分かりませんー) 訳者あとがきで、「下を向いた頭がいかにも重そうです。頭が大きめの子の中には想像力が一杯で、でも現実をとらえるのはゆっくり...。子どものタイプをそんな風にとらえる観方もあります。」とありました。そして四大元素の風に対して、ハンスは水と土の子、とも。なるほどなあ。最初はどちらかといえば、大人しくて... ちょっぴり愚鈍なイメージで、走るのもちょっとたどたどしかったハンスが、軽やかな「風さん」にひっぱりまわされてるうちに、だんだんやんちゃになっていくのが可愛いのです。下を向いて垂れてた帽子の先っぽも、最後は上を向いてるし!

「ゆきのおしろへ」は、まず白くてまんまるいゆきのこたちが可愛いし、淡い色合いの雪の世界と白いゆきのこたちの中に、全身真赤な服のマリーレンちゃんの姿が鮮烈。こちらにも風の子が出てきましたが、「風さん」のあの男のではなくて、こちらは女の子。そして雪の女王のお城は、アンデルセンの「雪の女王」とはまた全然違う雰囲気。お城は氷でできていて冷たいはずだし、お庭にもガラスのようなお花が咲いてるんですけど、どこか暖かいんですよね。雪の女王の膝の上に女王そっくりの小さなお姫さまが座っていて、その腕の中にはその小さなお姫さまにそっくりの人形が抱かれているからかしら。雪の女王が、まるで聖母マリアのようなイメージです。そして雪のお姫さまの誕生日のパーティで働く雪だるまたちのおじさん臭くて可笑しいことったら。

そして「ちょうちょのくに」は... うーん、この本だけ感想が出てこなくて困ってしまったのだけど... それは、私自身がちょうちょが苦手なせいもあるのかも。いもむしもダメなんだけど、特にあのヒラヒラと飛んでるちょうちょが怖くて仕方ないんですよねー。あ、でも絵本の中のいもむしの赤ちゃんとか、さなぎの子どもとか、絵としてはすごく可愛いです。3月の春の誕生日に、輝く金の槍を持つ光の使いが、さなぎの子どもたちに羽をあげるというのが素敵。

「ゆきのおしろへ」がオルファースの最初の絵本で、「ちょうちょのくに」が最後の絵本なのだそうです。
他の絵本もそうなんですが、絵の枠がまた素敵なんですよね。アールヌーボーの絵によくあるような枠。この「風さん」では木の幹や枝が枠になってます。文章の方も水辺に咲く菖蒲の花だったり、流れる小舟だったり、綿毛を飛ばすたんぽぽだったり... 「ゆきのおしろへ」は、絵の左右が、真っ白い雪割草。そして「ちょうちょのくに」は、再び木の枠。時々枠にちょうちょやトンボの形がくり抜かれてるのがまた可愛いのです。(平凡社)


+既読のジビュレ・フォン・オルファース作品の感想+
「森のおひめさま」「うさぎのくにへ」「ねっこぼっこ」ジビュレ・フォン・オルファース
「風さん」「ゆきのおしろへ」「ちょうちょのくに」ジビュレ・フォン・オルファース

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ギリシャ神話は子供の頃から大好きで、何か見つけるたびに読むようにしてるんですが、ザル頭のせいか、読んでも読んでも抜け落ちていってしまう私。しかも、これだけ読んでも、知らないエピソードがまだまだ沢山あるみたいなんですよねえ。
というのも、先日光原百合さんの「イオニアの風」(感想)を読んだ時に、「オデュッセイア」... というかトロイア戦争の後日談の話になったんですね。光原百合さんが「イオニアの風」を書かれたきっかけが、その後日談の1つを読まれた時のことだったそうなんですが、私はその後日談を全然知らなくて! わー、そんな話があったんですか、状態。まだまだ知らないことがいっぱいあるんだなあ、そのエピソードはぜひとも読みたいぞ! と、もっと範囲を広げてみることにしました。まず手に取ってみたのは、参考文献として紹介されていた本の中から、一番入手しやすい阿刀田高さんの「ギリシア神話を知っていますか」。調べてみると「私のギリシャ神話」というのもあるようなので、そちらも一緒に。

いくらザル頭とはいえ、ギリシャ古典も含めて、ギリシャ神話に関しては既にある程度読んでるので、いかにも入門編的な題名の本はあんまり手に取らなかったんですけど... いや、これは面白かったです。ごく有名なエピソードだけピックアップして紹介していくという趣向ですが、これが頭の整理にぴったり。様々な文学作品や文献に目を通した上で総括的に語っているので、全体像がとても掴みやすくなってますしね。エピソードそのものは知ってるものばかりでも、阿刀田高さんの解釈が随所に交えられているので、「ああ、こういう読み方もできるのか」という意味でも面白かったし。まっさらなギリシャ神話初心者の読者には阿刀田色がつきすぎてしまうかもしれませんが、既にある程度自分なりのイメージも固まってるので、その心配もあまりなく。
ただこの2冊、内容的にはかなり重なってしまっているので、どちらも読む必要はあんまりないかもしれないですね。ちなみに私は「私のギリシャ神話」の方が好きでした。彫刻とか絵画とか、ギリシャ神話をモチーフにした様々な美術品がカラー図版で紹介されてるのが嬉しいし... どちらも読みやすいんだけど、こちらの本の方が後で出版されてる分、内容的にも一層練られてるような。こんな風に楽しめるんなら、「ホメロスを楽しむために」なんかもいいかもしれないなー。今まで気がついていない、新しい読み方を教えてもらえそうです。
でもでも、肝心のトロイア戦争の後日談については載ってなくて残念。さて、次はどの本に当たろうかしら? 「イオニアの風」の参考文献の中では、ホメロス「イリアス」「オデュッセイア」、ブルフィンチ「完訳ギリシア・ローマ神話」、呉茂一「ギリシア神話」は既読なので、残すは、ロバート・グレイヴズ「ギリシア神話」、バーナード・エヴスリン「ギリシア神話小事典」、カール・ケレーニイ「ギリシアの神話」。本当は光原さんが中学の頃に読まれたというリアン・ガーフィールドの「ギリシア神話物語」載ってるというのが一番ありそうな線なんですけど、この本は既に絶版だし、図書館にもないんですよねえ。絶版という意味では、未読の3つもどれも絶版ですが... ロバート・グレイヴズのがすごく良さそうな感じなのに、これも図書館にないのが残念だな。

で、読んでも読んでも抜け落ちていってしまうザル頭についてですが、「私のギリシャ神話」の宮田毬栄さんによる解説に、こんな文章がありました。

子ども用ダイジェスト版、トマス・ブルフィンチ、呉茂一、カール・ケレーニイ、と読んではきたものの、どれだけ頭に残っているかは、茫洋としてわからない。親しい神々もいれば英雄もいる。だが、親しめない神もたくさんいて、入り組んだ系図まで覚えられるわけがないのだ。
ギリシャ神話の膨大さ遠大さが、全貌をつかみにくくさせているし、阿刀田氏の指摘にもあるように、古代ギリシャ人の願望や恣意が後から神話に加えられ、矛盾や錯綜が生まれているからだろう。

解説を書かれるような方でもそうなんですね! なんだかちょっとほっとしました。(笑)(集英社文庫・新潮文庫)


+既読の阿刀田高作品の感想+
「新トロイア物語」阿刀田高
「ギリシア神話を知っていますか」「私のギリシャ神話」阿刀田高
「ホメロスを楽しむために」阿刀田高
「旧約聖書を知っていますか」阿刀田高

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夏休みが始まって間もなく、マリアンとその兄のジョーは、ピンホーのばば様に呼び出されます。ピンホー一族はクレストマンシー城の近くにあるアルヴァースコート村に住む魔女の一族で、ばば様はその長。近隣の他の町や村に移り住んでも、一族の者たちは皆ばば様の命令には従っているのです。ばば様の用件は、ジョーは夏休み中クレストマンシー城でブーツみがき係をしながら、クレストマンシー城の人々がピンホー一族のことに気付く気配がないかどうか確かめて報告すること、そしてマリアンは、毎日朝食後から夕食前までばば様の家で使い走りをすること。しかしそこにファーリー一族のじじ様とばば様、その娘のドロシアが現れます。口論の末、ファーリーのじじ様のかけた呪文で、ばば様がすっかりおかしくなってしまうのですが...。

大魔法使いクレストマンシーシリーズの7作目。
クレストマンシー城のお膝元でこんなことがあったなんて~~。ということで、すっごく面白かったんだけど! やっぱりクレストマンシーのシリーズが一番好きだし、その中でもこれは上位の方だなと思ったんだけど! でも「ああ、面白かった~」で終わってしまって、あんまり何も書けない私。それより、クレストマンシーシリーズを最初から読み返したいよぅ。
落ち着いて何か書けそうになったら、その時にちゃんと感想を書きますね。(徳間書店)


+シリーズ既刊の感想+
「魔法使いはだれだ」「クリストファーの魔法の旅」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「魔女と暮らせば」「トニーノの歌う魔法」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「魔法がいっぱい」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「魔法の館にやとわれて」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「キャットと魔法の卵」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ

+既読のダイアナ・ウィン・ジョーンズ作品の感想+
「魔法使いハウルと火の悪魔」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「アブダラの空飛ぶ絨毯」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「デイルマーク王国史」1~4 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「わたしが幽霊だった時」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
留守中に読んだ本(18冊)(「マライアおばさん」「七人の魔法使い」「時の町の伝説」の感想)
「呪われた首環の物語」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「花の魔法、白のドラゴン」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「いたずらロバート」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「ダイアナ・ウィン・ジョーンズのファンタジーランド観光ガイド」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「バウンダーズ」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「星空から来た犬」「魔空の森ヘックスウッド」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「バビロンまでは何マイル」上下 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「ウィルキンズの歯と呪いの魔法」「海駆ける騎士の伝説」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「うちの一階には鬼がいる!」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「魔法!魔法!魔法!」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「ぼくとルークの一週間と一日」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「牢の中の貴婦人」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
Livreに「ダークホルムの闇の君」「グリフィンの年」「九年目の魔法」の感想があります)

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エリンは大公(アルハン)領の闘蛇衆の村で育った少女。エリンの母・ソヨンの獣ノ医師としての腕は非常に高く、闘蛇の中でも最強の<牙>の世話を任されていました。しかしエリンは、自分たち母娘は集落の人々とはどこか隔たりがあると感じていました。それもそのはず、ソヨンは元々霧の民(アーリョ)であり、戒めを破って闘蛇衆の頭領の息子だった父・アッソンと恋に落ちたのです。アッソンは既に亡くなっており、頭領である祖父はソヨンの腕を認めながらも、2人に冷たい視線を向けるのみ。そしてそんなある晩、闘蛇の、それも<牙>10頭全てが死ぬという事態が起こります。ソヨンはその責任を取って処刑されることになり、エリンはそれを助けようとして、逆に母に闘蛇の背に乗せられて逃げのびさせられることに。そして意識を失って倒れていたエリンを助けたのは、真王(ヨジェ)領の山間地法で蜂飼いをしていたジョウンでした。

アニメにもなりましたよね。でもアニメを見て、本を読もうと思った方も多いかなと思うんですが(図書館にもそういう人がいっぱいいたなあ)、私自身はアニメを見てもあまりそそられず... いや、元々あまりアニメは好きではないというのも大きいんですけど... まあ、当分読まないかな、なんて思ってた作品です。でもあの分厚いハードカバーが講談社文庫になると知って! いい機会かも、なんて思ってたら、タイミングよく背中を押していただいて! 無事読むことができました。
いやあ、面白かったーー。
「守り人」シリーズも「狐笛のかなた」も大好きだし、読めばきっと面白いんだろうなとは思ったんですけど、やっぱり面白かったです。(それなら、なんでさっさと読まないんだ、私)

「守り人」と同じく異世界ファンタジーなんですが、私の勝手なイメージ的には高句麗、百済、新羅辺りかな?(その辺り、勝手に言ってるだけであまり知らないので、突っ込まないで下さい)
エリンの母の闘蛇に関する教え、謎めいた霧の民、そしてこれから学んでいこうとする王獣のこと。それらの根底に同じ流れがあるのを感じつつ... まさしくエリンの書いた「獣について学ぶことは、きっと、自分が知りたいと思っていることに、つながっているはずである」ということに通じるんだろうなと思いつつ。人と獣との関係。本来、人と獣とはどういった関係であるべきなのか、そして飼いならされた獣の失ってしまったものと、獣本来の姿とは。さらには「操る者」ではなく「奏でる者」としての「奏者」という言葉にも興味を引かれつつ。
いや、一気に読んでしまいました。人間と獣とは違うと何度言われても、何度痛い目に遭っても、また獣を信頼してしまうエリン。その辺りが上橋菜穂子さんらしいなあと思いますね。痛い目に遭いながらも、傷つきながらも、相手を理解しよう、受け入れよう、としてしまう...。もちろん種が違えば考え方も違うし、なかなか上手くいくわけがないんですが、それでも希望は捨てなければ、いつか分かり合える一瞬がくるのかも。人と獣に限らず。

上橋菜穂子さんはこの2冊を4か月で書きあげられたのだそう。確かに、やや性急な展開で、登場人物たちも描き切れてなかったかもしれないな、とも思うんですが、でもそれ以上に、大きな流れや勢いを大切にして描かれた作品なんだなというのを感じますね。いや、見事でした。これで綺麗にまとまったと思ったので、続編が書かれたということに改めて驚いてしまいますが...。やっぱりこれは続きも読んでしまうんだろうな。でも、もうちょっとあとで。こちらをもう一度読み返して、消化しきってから読んだ方が良さそうです。(講談社文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「獣の奏者」1・2 上橋菜穂子

+既読の上橋菜穂子作品の感想+
「虚空の旅人」「神の守り人 来訪編」「神の守り人 帰還編」「蒼路の旅人」上橋菜穂子
「天と地の守り人」1~3 上橋菜穂子
「流れ行く者 守り人短編集」上橋菜穂子
「バルサの食卓」上橋菜穂子・チーム北海道
Livreに「精霊の守り人」「闇の守り人」「夢の守り人」「狐笛のかなた」の感想があります)

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ローマに巡礼としてやってきた修道女フィデルマ。しかしひっそりとした裏通りの小さな教会堂でのミサにあずかっていた時、殺人事件に遭遇してしまうことに... という「聖餐式の毒杯」他、全5編の短編集。

7世紀のアイルランドを舞台にしたミステリ、修道女フィデルマシリーズの短編集。
短編作品も十分読ませてくれることは、シリーズ外作品の「アイルランド幻想」(オススメ!)でも既に分かっていたことなんですが、今回も切れが良い短編集になっていて、とても面白かったです。フィデルマが相変わらず冷静でな毅然とした態度で、その観察眼と洞察力、推理力を披露。でも、その高飛車で傲慢な態度も相変わらずなんですけどね... これさえなければなあ。7世紀のアイルランドが舞台というのが話の中でも十分生かされていて、その辺りもすごく面白いんですけど、肝心のフィデルマにはあまり愛着が湧かない私です...。でもちょっと思ったんですけど、原書でもここまで高飛車で傲慢なんでしょうかね? 会話の翻訳にどうも不自然さを感じるし、もしかしたら訳のせいもありそうだなあと思ってしまうんですがーー。(ということで、私はこの訳者さんの訳が苦手だったりする)
5作の中で一番面白かったのは、アイルランド全土の大王としての即位式を早く執り行わなければならないというのに、儀式に必要な王家伝来の宝剣・カラハーログが盗まれて... という「大王の剣」。あとはフィデルマがローマで事件に挑む「聖餐式の毒杯」も! 5編とも、フィデルマでなければ解決にもっと時間がかかるか、もしくは迷宮入りという事件、鮮やかに解き明かしてくれるのは快感です。
でも、7世紀の頃のローマってどうなってたんだろう? 古代ローマ帝国はもっと早い時期に東西に分裂して、東ローマ帝国(=ビザンティン帝国)しか残ってなかったと思うんだけど? 西ローマ帝国は確か5世紀に滅びたはず。イタリアが小国家に分裂するにはまだ早いのかな? (世界史、苦手だったんだよね~) この作品を読む限りでは、すでにキリスト教の本山的な雰囲気なんですが。

でもこのシリーズ、翻訳が出る順番がバラバラなんですよね。最初に出た「蜘蛛の巣」がシリーズ5作目で、次に出た「幼き子らよ、我がもとへ」が3作目なんですもん。今回は短編集だから、まあいいんだけど... 長編はやっぱり順番通りに出して頂きたい! そうでないと、フィデルマの人間的成長が楽しめないことになってしまうんですもん。実際に物事が前後して、フィデルマの反応の変化が妙な具合になってます。次はぜひ1作目を訳していただきたいな。(創元推理文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「蜘蛛の巣」上下 ピーター・トレメイン
「幼き子らよ、我がもとへ」上下 ピーター・トレメイン
「修道女フィデルマの叡智」ピーター・トレメイン

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暖かくて気持ちの良い午後に庭で昼寝をする女の子のお話「金曜日の砂糖ちゃん」、知らない道を通って帰った男の子が今まで知らなかった場所を発見する「草のオルガン」、そして夜中に目を覚ました女の子の「夜と夜のあいだに」の3つのお話。

まず表紙の女の子の絵が好き。目を閉じたその顔は、ほっぺたも唇もぷっくりしていて、まだまだあどけなくて、頭の上にはお花の冠。そこには鳥やらちょうちょやらがとまっていて、とっても可愛いのです。そしてお話。ノスタルジックな雰囲気を醸し出す絵は相変わらずなんだけど、どのお話も、いつも以上にとても幻想的な雰囲気。表紙の白いイメージとはまた少し違っていて、こちらは夜の気配の濃いお話です。「金曜日の砂糖ちゃん」なんて、お昼寝の話なのにね。

その「金曜日の砂糖ちゃん」の絵は、黒の中の赤がすごく鮮烈です。苺や小鳥の頭、テントウムシ、そしてカマキリの目。女の子が眠りから覚めるお話ではあるんだけど、これ1つが丸ごと夢の中のお話みたい。女の子を抱き起こすお母さんは、実はお母さんではなく... むしろギリシャ神話の夜の女神・ニュクスのイメージがあります。一見ちゃんと起きたように見えても、まだまだ夢が続く気配が濃厚。そして「草のオルガン」は、この中で唯一昼間のイメージも併せ持つお話。(それでもやっぱり、私にとっては夜なんだけど) 子供の頃のちょっとした、でも本人にとってはとっても大きな冒険の時間。そして「夜と夜のあいだに」。これは妙なデジャヴを感じさせるお話。こんなこと、私にもあったような気がする... それも強烈に。読んでいると、ぞくぞくしてきてしまう。

どれも明治~昭和初期辺りの文豪の作品を思い起こさせたんですが... 「金曜日の砂糖ちゃん」と「草のオルガン」は、そのラストの文章が特に。そんな感じの、どこか懐かしいイメージなのです。でも誰のことなのか何の作品のことなのか、具体的な名称がさっぱり思い出せない自分がカナシイ。なんて思っていたら。ふと、1つ出てきました。私が一番思っていたのとはまた別なんですけど、夏目漱石の「夢十夜」の雰囲気じゃないですか? 3つの話はどれも夢の中の出来事みたいだし。でも起きた後で、「こんな夢を見た」と思い起こすのではなくて、この夢はまだ覚めてなくて現在進行形。果たして無事に現実に戻れるのかどうかは謎。
そして子供の可愛らしさを描きつつも、そこからにじみ出てくるエロティシズム。それもまた、ぞくぞくさせられる一因なのね。(Luna Park Books)


+既読の酒井駒子作品の感想+
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子
「よるくま」「よるくま クリスマスのまえのよる」酒井駒子(「リコちゃんのおうち」)
「ビロードのうさぎ」マージェリィ・W・ビアンコ文・酒井駒子絵訳
「きつねのかみさま」あまんきみこ文・酒井駒子絵
「絵本のつくりかた1」「Pooka+ 酒井駒子 小さな世界」
「ゆきがやんだら」「ぼく、おかあさんのこと...」酒井駒子
「こりゃ まてまて」「ロンパーちゃんとふうせん」酒井駒子
「BとIとRとD」酒井駒子
「赤い蝋燭と人魚」小川未明文・酒井駒子絵
「くまとやまねこ」湯本香樹実文・酒井駒子絵
「金曜日の砂糖ちゃん」酒井駒子
「きかんぼのちいちゃいいもうと」1~3 ドロシー・エドワーズ

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AD76年9月。今回マルクスに助けを求めたのは、ヘレナの母・ユリア・ユスタ。27歳になるヘレナの弟・アウスル・カミルス・アエリアヌスがアテナイで勉強したいと言い出して、家族がギリシアに向かう船に乗るアエリアヌスを見送ったのは8月のこと。手紙が届くのは何ヶ月も先のことになるだろうと思いきや、オリュンピアで「神殿巡り」の旅をするギリシア団体旅行の一行と知り合いになり、そのうちの1人が死亡した事件に巻き込まれたというのです。ユリア・ユスタの頼みは、ギリシアでアエリアヌスに代わって事件の捜査を行い、アエリアヌスを予定通りアテナイに行かせて欲しいということでした。

久し振りの密偵ファルコシリーズ。これが17作目です。古代ローマ時代(ウェスパシアヌス帝の時代)を背景にしたシリーズなんですが、今回はローマ帝国の属州となっている古代ギリシャを旅する話なので特に嬉しい♪ 政治的にはローマが上位に立ってるんですけど、歴史・文化的にはギリシャが先駆者。ギリシャの文化に憧れるローマ人も多いのです。4年に1度のオリンピックの開催年を変えてまで、無理矢理参加してしまった皇帝ネロもその1人だし...(ネロの時代と結構近いせいか、何かといえばネロの名前が出てきます) 古代ローマの公用語はラテン語だけど、ギリシャ人の奴隷に勉学を習う貴族の子弟も多いし、教養がある人たちは当然のようにギリシャ語を話すし、大学に行くとかならまずはギリシャ留学だし。

今回のファルコの旅に同行するのは、5人と犬1匹という賑やかな一行。オリンピックの起源となったオリュンピアの地を訪れて体育場に行ったり、世界七不思議の1つであるゼウス像を見物したり、アポロンの神殿での神託が有名なデルポイや、デルポイとはまた違った方法で神託が行われるレバデイアのトロポニオスの神託所を訪れたりと、古代ギリシャの名所めぐりが楽しめるのもとても嬉しいところ。ギリシャ神話の様々なエピソードも紹介されます。そして良きローマ人としてのファルコの目を通して見たギリシャも面白いのです。まあ、この時代に本当にこんなパック旅行があったのかどうかは知りませんが...(笑)
でも、本来の目的は殺人事件の解決。事前に分かってたのは、今回「神殿巡り」の旅の途中に死亡した若妻のウァレリアと、3年前に白骨死体で見つかったマルケラ・カエシア。でも、まだまだ事件が起こるし、ファルコの捜査も攪乱されまくり。ファルコ大苦戦。...いや、この最後のオチには驚きました。伏線は十分すぎるほどあったんですけど、まさかまさかそうくるとは...。無理矢理な気もしますが、でもすんごいですね。これがまた視覚的効果抜群なせいか、最後のシーンがフランス映画の「太陽がいっぱい」と妙に重なって感じられました。発端も展開も結末も何もかもまるで違うのにね。映画的な幕引きでした。(光文社文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「密偵ファルコ 白銀の誓い」「密偵ファルコ 青銅の翳り」リンゼイ・デイヴィス
「密偵ファルコ 錆色の女神」リンゼイ・デイヴィス
「密偵ファルコ 鋼鉄の軍神」「密偵ファルコ 海神の黄金」リンゼイ・デイヴィス
「密偵ファルコ 砂漠の守護神」「密偵ファルコ 新たな旅立ち」リンゼイ・デイヴィス
「密偵ファルコ オリーブの真実」「密偵ファルコ 水路の連続殺人」リンゼイ・デイヴィス
「密偵ファルコ 獅子の目覚め」「密偵ファルコ 聖なる灯を守れ」リンゼイ・デイヴィス
「密偵ファルコ 亡者を哀れむ詩」「密偵ファルコ 疑惑の王宮建設」リンゼイ・デイヴィス
「密偵ファルコ 娘に語る神話」「密偵ファルコ 一人きりの法廷」リンゼイ・デイヴィス
「密偵ファルコ 地中海の海賊」リンゼイ・デイヴィス
「密偵ファルコ 最後の神託」リンゼイ・デイヴィス

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パリのチュイルリー公園の木が若葉をつけた頃。卵からかえったばかりの小さなひなが巣からはみだして、くるくるくる... 落ちていったのは、おじいさんの帽子の上。ことりはおじいさんの帽子にしがみつき、おじいさんは何も知らずに地下鉄の通路へ。やがておじいさんはいつもの場所に腰をおろしてアコーディオンを弾き始め、やがてことりに気付きます。巣に返してやろうにも、地下道のどこにも巣は見つからず、おじいさんはことりにオデットという名前をつけて、一緒に暮らし始めることに。

毎日アコーディオンを奏でているものの、孤独で少し気難しくなっていたおじいさん。そんなおじいさんがオデットと出会い、一緒に暮らすようになるうちに、だんだん楽しい笑顔を取り戻すというお話。リンク先は普通のアマゾンのページですが、画像は洋書のとこから借りてます。どこか懐かしい優しさのあるタッチで、パリの四季を背景に、オデットとおじいさんが描かれていきます。これは... 基本は水彩画なんでしょうね。でもどこかコミック的な絵も混ざってたりして、ことりのオデットの表情はどれもユーモラス。
おじいさんとオデットがまるで本当の親子のようなんですが、じきにオデットはおじいさんから巣立つ日を迎えて... 絵を見てると、おじいさんがだんだんと舞台から退場してしまう感じなのがとっても切ないんだけど... おじいさんの優しさはもちろんなんですが、それ以上に無邪気なオデットの姿に、なんだか救われるような気もして~。とっても素敵な絵本です。(冨山房)

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先日酒井駒子さん絡みで読んだ「絵本のつくりかた」の2です。こちらの副題は「フランスのアーティスト10名が語る創作のすべて」。副題通り、フランスの絵本がいっぱい! 「アーティスト10名が語る」となってますが、もう既に亡くなってる方の絵本も紹介されてるので、絵本作家さんとしては全部で15人。でもその名前だけを出しても、分かりにくいので...(笑) 見つかる限りの本の書影を出してみました。

まずは第1章、「忘れることのできない素敵な昔の絵本たち」。ここで紹介されているのはアンドレ・エレ、ジャン・ド・ブリュノフ、レオポルド・ショヴォー、ナタリー・パラン、フェオドール・ロジャンコフスキー。

   

一番惹かれたアンドレ・エレの絵本の表紙がないのが悲しいですが~。おもちゃ箱の中の人形たちが遊んでいるみたいな、可愛くて賑やかで楽しい雰囲気の絵なんです。ドビュッシーの楽譜に絵をつけたりもしてたみたい。でも邦訳されたのは、どうやら「ノアのはこぶね」という本だけらしく...。図書館に蔵書があるようなので、さっそく予約を入れてみましたが! と思ってたら、こんなページを見つけました。あとこんなのも。改めて見ると、なんだかコミックっぽい絵ですね。
ぞうのババールシリーズは、実際にはほとんど読んだことないんだけど、でも可愛いですよね。どうやらフランス語版は筆記体風の文字になってるようで(手書き?)、その柔らかい雰囲気が絵にぴったり。元々はお母さんが息子のために作ったお話を、画家のお父さんが絵本に仕立てたんだとか。やっぱりそういうのは基本なんだな~。

そして第2章、「絵本が生まれるところ」。ここで紹介されているのは、アネット・チゾン&タラス・テイラー、アン・グッドマン&ゲオルグ・ハレンスレーベン、リリ・スクラッチィ、ジョエル・ジョリヴェ、アンドレ・フランソワ。リリ・スクラッチィの邦訳絵本は見つかりませんでしたが...。

   

この中で一番好きなのは、バーバパパシリーズ。最初はペンと水彩画で描いていたけど、印刷すると黒い線が鮮明に出ないので、黒いふちどり線を描いたら一旦それを透明なシートにプリントしておいて、別の紙に彩色した絵に重ねて完成、という手間のかかる作業をしてるんだそうです。そして最初にバーバパパを描いたその日にたまたま赤鉛筆しか持ってなかったから、バーバパパはピンクになったんですって。(笑)
リサとガスパールも可愛いですね。でも私、この2人のことをずーっとウサギだとばかり思ってたんですけどーーー。リサとガスパールは何の動物なのかという質問に、「いたち? うーん、犬でもないし...」だなんて! うわあ、衝撃的事実だ。
それにしても、緻密に計算されているバーバパパシリーズに、大胆な勢いで描かれてるリサガスシリーズ。なんだかとっても対照的です。実際、絵のタッチも全然違うしね。

そして最後の第3章は「もっと深く絵本を知る」。リオネル・コクラン、ポール・コックス、エマニュエル・ピエール、グレゴワール・ソロタレフ、トミ・ウンゲラーの5人。

    

エマニュエル・ピエールの絵本は見つかりませんでしたが、「すてきな三にんぐみ」は有名ですね。このトミ・ウンゲラーが、結構アダルト~なものにも携わってると知ってびっくり。でも、この辺りのアーティストたちは、私はあんまり馴染みがないので、なんとも... えへへ。(美術出版社)


+シリーズ既刊の感想+
「絵本のつくりかた1」「Pooka+ 酒井駒子 小さな世界」
「絵本のつくりかた2 みづゑのレシピ」

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森の中に住んでいた小さなおひめさま。窓から外を眺めているおひめさまに、まず朝の風がお手伝いの「つゆのこ」を送ってきて、髪を梳かしたり服を着せたり。そして次は「こけのぼうや」たちが、朝ごはんの用意をするのです... という「森のおひめさま」。
森番をしているおとうさんが、森の中できのこをとっているうちにいなくなってしまった「むくむくちゃんとぷくぷくちゃん」。2人が森の中で途方にくれているのを見て、通りがかったかあさんうさぎが、自分の家に連れて帰ったのです... という「うさぎのくにへ」。
春になるとねっこぼっこたちは大地のかあさんに起こされて、春の用意を始めます。女の子たちは春の着物を自分たちで縫い、男の子たちは絵の具で色んな虫の頭を塗ってあげるのです... という「ねっこぼっこ」。

こちらも1つ前の記事の「わたしの庭のバラの花」同様、先日読んだ「大人のための絵本の本」(感想)を読んで読みたくなった絵本。紹介されていたのは「森のおひめさま」と「風さん」の2冊なんですが、ジビュレ・フォン・オルファースは34歳で世を去るまでに8冊しか絵本を残していなくて、そのどれもがドイツの古典絵本の名作とされてるそうなんです。絵もとても上品で綺麗。なので、とりあえず図書館にあった3冊借りてきました。どれも自然を描いた物語。

「森のおひめさま」は、おひめさまの1日を描いた絵本。森のおひめさまの世話をするのは「つゆのこ」に「こけのぼうや」、そして「きのこぼっこ」に「星のこども」。このおひめさまは何者なんでしょう。「つゆのこ」や「こけのぼうや」たちも妖精のようなんだけど、おひめさまもそうなのかな? 森を統べる妖精の女王? 立派なお城に一人っきりで住んでるようなので、ちょっと寂しそうだな、と思ったんですけど、外に一歩出れば世話をしてくれる「つゆのこ」たちもいるし、身支度も外なら、朝ごはんも外で食べてるし、からすの先制に勉強を教わるのも外。勉強が終われば動物たちや「きのこぼっこ」と外で遊んで、夜になると「星のこども」たちにお城まで送ってもらうのです。お城はほんと寝に帰るだけの場所みたい。(笑)

そして「うさぎのくにへ」は、「ぷくぷくちゃん」と「むくむくちゃん」がうさぎの家族の中に紛れ込んだお話。この「ぷくぷくちゃん」と「むくむくちゃん」という名前がまず可愛い! 原書ではどんな言葉だったのかしら。「ぷくぷくちゃん」と「むくむくちゃん」だなんて、すごく素敵な訳ですよね。そして2人を家に連れて帰るかあさんうさぎがまたいいんです。そうでなくても子沢山なんだけど、その愛情は、人間の子供にも分けてあげられるほどたっぷり。夜なべして、2人に素敵なうさぎ服を縫ってあげてるし! この服のおかげで2人は凍えないで済むし、子うさぎたちも、外見が一緒になった2人を自然に迎え入れてあげられるというわけです。まあ、最後は2人は戻るべきところに戻ることになるんですが、でもこのうさぎの国での体験は、いつまでも暖かい思い出となって残りそう。

最後に「ねっこぼっこ」。このねっこぼっこたちも妖精なのかな? 冬中寝てるんだけど、春になると起こされて色んな準備を整えて、そのまま地上へ。そして夏と秋を過ごして、寒くなるとまたかあさんのもとへと戻って、冬の間は寝て過ごすという1年のお話。こんな風に春を作りだすお話は他にも読んだことがあるんですけど、やっぱりこういうことを考えるのが素敵。大好き。で、冬の間寝ているぼっこたち、みんな目を覚ました時は土の色の服なんですけど、起きたらまず色とりどりの服を作って、その服の色はどうやらその子が司る植物の色みたいなんですよね。緑の服のぼっこは緑の草、白い服のぼっこは白い花、黄色の服のぼっこは黄色の花、そして青い服のぼっこは青い花。寒くなって戻ってきた時もその色の服なんだけど... 寝る前に着替えるのかな? それとも寝てる間に土の色になってしまうのかな? ふふふ、夢がたっぷりの物語です。(平凡社)


+既読のジビュレ・フォン・オルファース作品の感想+
「森のおひめさま」「うさぎのくにへ」「ねっこぼっこ」ジビュレ・フォン・オルファース
「風さん」「ゆきのおしろへ」「ちょうちょのくに」ジビュレ・フォン・オルファース

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「これはわたしの庭のバラの花」
「これはわたしの庭の、バラの花でねむるハチ」
「これはわたしの庭のバラの花でねむる、ハチに日かげをつくっている、すっとのびたタチアオイ」
「これはわたしの庭のバラの花でねむる、ハチに日かげをつくっている、すっとのびたタチアオイのわきの、まるいオレンジいろのきんせんか。」
...という風に、言葉と絵がどんどん積み重なっていく絵本。

先日読んだ「大人のための絵本の本」(感想)を読んで読みたくなった絵本。絵が全然違うので、借りるまで気がつかなかったんですが、アーノルド・ノーベルって「ふたりはともだち」「ふたりはいっしょ」なんかの、かえるくんとがまくんのシリーズの人だったんですね! このシリーズ、大好きなんです。そうかー、そうだったのかー。そして絵を描いたアニタ・ローベルは、アーノルド・ローベルの奥さま。絵そのものは、アーノルド・ローベル自身が描いてるかえるくんシリーズの方が好きなタッチなんですけどね。でもこちらも味わいのある、表情が豊かな絵です。

穏やかな昼下がりの庭のイメージ。そんな庭で、花も言葉もどんどん積み重ねられていきます。バラ、タチアオイ、きんせんか、百日草、ひなぎく、つりがねそう、ゆり、ぼたん... でもあることをきっかけに、その静寂さが破れた時...! 最後の左右のページの対比が可笑しいのです。バラの花は、何もなかったように澄ましかえってるし。ふふふ。(セーラー出版)

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北海道の富良野の東大演習林に「えぞ松の更新」を見に行った幸田文さん。北海道の自然は厳しく、えぞ松の種も毎年数知れないほど発芽しても、ほとんどのものは育つことができない状態。しかし倒木の上に着床して発芽したものは、そこでも自然淘汰されるものの、強く幸運な何本かは生き延びることができるのです。それが「えぞ松の更新」。1本の倒木の上に整然と行儀よく並んで立つえぞ松の様子に、知識のない人でも、これがえぞ松の更新だということが分かるのだそうですが...。そんな「えぞ松」ほか、木にまつわる全15編のエッセイ集。

ずっと気になってた本です。ようやく読めました。すごく良かった~。
幸田文さんは、幸田露伴の次女。だから文才がある、というわけでもないんでしょうけど、やっぱり面白かったです。文章の良し悪しというのは私には(いつも)分からないんだけど、読んでいて心地よいリズムがあるし、なんていうか、感性が独特なんですね。言葉への表わし方がものすごく素直ということなのかな。擬態語... というのかよく分からないんだけど、そういうのもとても多くて、初めて聞く言葉なんだけど、それがまたすごく表情豊かで、「言いたいこと、分かる分かるー!」という感じ。
実際に木を見に行けば、そこでもまた一般人とは違う反応を見せます。木の気持ちを汲み取り、推し量り、時には我を通してでもとことんその木の姿を見極めようとする幸田文さん。一番印象に残ったのは、「ひのき」の章に書かれた「アテ」の話。森林に携わる人々がアテのことをさんざん貶すのを見て「木の身になってごらんなさい、恨めしくて、くやし涙がこぼれます」とまで言い、特別にアテを挽くことまで頼み込むのです。実際に挽いている場面でも、アテの猛々しさが伝わってきます。

半分まで素直に裁たれてきた板が、そこからぐうっと身をねじった。裁たれつつ、反りかえった。耐えかねた、といったような反りのうちかただった。途中から急に反ったのだから、当然板の頭のほうは振られて、コンベヤを一尺も外へはみだした。すべて、はっと見ている間のことだった。

これは実は挽いている人にもかなり危険な作業だったのでは...。それでも幸田文さんは、反ったのだからまた矯められるのではないかと考えて、実際に掴んで、その固さを身をもって知らされることになります。

この中で一番古い「えぞ松の更新」は1971年1月、最後の「ポプラ」が1984年6月発表。13年半にもわたって書き継がれたことになるんですね。その間、北海道から屋久島の杉まで、日本国内の様々な木に出会ってきたという幸田文さん。人間は、たとえば杉のように何千年も生きられはしませんが、それでも幸田文さんの長いスパンで物事と付き合っている姿も印象的でした。

住むことにしろ、食べもの着物にしろ、春夏秋冬、四つの季節を経てみなければ、ひと通りのこともわかりはしない。ましてや山や川のようなものは、四季の変化どころではない。朝夕でも晴雨でも姿をかえてみせるのだから、せめて四季四回は見ておかないと、話にならないのだ(P.101~P.102)

ああ、なるほどなあ、って思います。本当にそうですね。(新潮文庫)

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ある朝突然、仲良しのことりが死んでしまい、悲しんだくまは綺麗な箱を作って、その中にことりを寝かせて持ち歩きます。ことりは一見眠っているだけのよう。しかし森の友達たちは、箱の中のことりを見るとみな困った顔をして、もう早くことりのことを忘れた方がいいと言うのです。くまはとうとう暗く締め切った部屋に閉じこもってしまい...。

まず、くまとことりの「きょうの朝」の話のところで、心が鷲掴みにされました。

「ねえ、ことり。きょうも『きょうの朝』だね。きのうの朝も、おとといの朝も、『きょうの朝』って思ってたのに、ふしぎだね。あしたになると、また朝がきて、あさってになると、また朝がきて、でもみんな『きょうの朝』になるんだろうな。ぼくたち、いつも『きょうの朝』にいるんだ。ずっとずっといっしょにね」

「そうだよ、くま。ぼくはきのうの朝より、あしたの朝より、きょうの朝がいちばんすきさ」

それなのに、そんなことを言い合える、かけがいのない友達を失ってしまっただなんて。ああ、切ないです。深い悲しみを癒すには、確かに時間が一番の薬なんだけど... くまだってそんなことは薄々は分かってたかもしれないんだけど... でもそんなに簡単に割り切れるはずないですよね。純粋にことりを失った悲しみ、やるせない喪失感はもちろんのこと、死んでいくことりに何もできなかった自分への責めや悔いもあったかもしれない。でも、そんな悲しみの中に溺れそうになった時の出会い。そしてあの一言。ああ、くまはこの一言が欲しかったんだなあって思います。それなのに、森の仲間は誰もこの一言を言ってあげられなかったのか!
モノトーンの絵の中の、ほんの少しの明るいピンク色が、くまの気持ちを表しているんでしょうね。そしてきっとそのうち、もっともっと色が増えていくんでしょう。で、いつか、モノトーンの背景のそこここが綺麗な色で彩られて。そうなったら素敵だな。(河出書房新社)


+既読の酒井駒子作品の感想+
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子
「よるくま」「よるくま クリスマスのまえのよる」酒井駒子(「リコちゃんのおうち」)
「ビロードのうさぎ」マージェリィ・W・ビアンコ文・酒井駒子絵訳
「きつねのかみさま」あまんきみこ文・酒井駒子絵
「絵本のつくりかた1」「Pooka+ 酒井駒子 小さな世界」
「ゆきがやんだら」「ぼく、おかあさんのこと...」酒井駒子
「こりゃ まてまて」「ロンパーちゃんとふうせん」酒井駒子
「BとIとRとD」酒井駒子
「赤い蝋燭と人魚」小川未明文・酒井駒子絵
「くまとやまねこ」湯本香樹実文・酒井駒子絵
「金曜日の砂糖ちゃん」酒井駒子
「きかんぼのちいちゃいいもうと」1~3 ドロシー・エドワーズ

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北の海に住む人魚は、生まれてくる子供に、寂しく冷たい海ではなく、人間の住む美しい町で育って欲しいと考えて、子供を陸で産み落とします。それは人魚の女の子。その女の子を拾ったのは、蝋燭の店をしている子供のいない老夫婦でした。老夫婦は神様に授けられた子供だと考えて、大切に育てるのですが...。

「人魚は、南の方の海にばかり棲んでいるのではありません。北の海にも棲んでいたのであります」という始まりがとても美しい小川未明さんの童話。大正10年の作品なんだそうです。でも美しいながらも、暗くて怖くて寂しくて哀しくて、実は子供の頃からずっと苦手だったんですよね。老夫婦が子供を拾う話となると、どうしても桃太郎とかかぐや姫とかそういう話を思い浮かべるんですけど、この物語は全然違うんですもん。なんで、いつの間に、そんなことになってしまったの? と、なんだか裏切られたような気がしてしまって。
でもこの童話に、酒井駒子さんの絵がこの上なくよく似合うのです。酒井駒子さんの絵は、黒がとても印象に残る絵。暗い北の海の中や、そこで暮らす人魚の孤独感。この上なく寂しいんだけど、なんて美しい...!
そんな黒が基調の絵なんですが、海岸の小さな町の描写では背景が白となります。小さいけれど、ちょっと素敵な町。蠟燭の店をやってる、信心深いお爺さんとお婆さん。そんな2人が拾った可愛い女の子の人魚。神様に授けられたこの子を大切に育てようという優しい気持ち。しかしまた徐々に黒くなるのですね。それは拾ったのが普通の女の子ではなく、人魚だと分かった時から始まっていたのでしょうか...。どんどん美しく育っていく人魚の女の子。絵がうまい彼女のおかげで、蝋燭店は繁盛します。でもそれが良くなかったのかも。女の子の真直ぐな気持ちはお爺さんとお婆さんに届かなくなってしまう。優しかったはずの手は、いつしか残酷な手になってしまう。

この物語にはこの絵しかない、とそう思えてしまうほどはまっている酒井駒子さんの絵。闇のような黒と血のような赤が、ただただ印象的。苦手だった物語のはずなのに... もしかしたら、今まで読んだ駒子さんの絵本の中で、これが一番インパクトが強かったかも。(偕成社)


+既読の酒井駒子作品の感想+
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子
「よるくま」「よるくま クリスマスのまえのよる」酒井駒子(「リコちゃんのおうち」)
「ビロードのうさぎ」マージェリィ・W・ビアンコ文・酒井駒子絵訳
「きつねのかみさま」あまんきみこ文・酒井駒子絵
「絵本のつくりかた1」「Pooka+ 酒井駒子 小さな世界」
「ゆきがやんだら」「ぼく、おかあさんのこと...」酒井駒子
「こりゃ まてまて」「ロンパーちゃんとふうせん」酒井駒子
「BとIとRとD」酒井駒子
「赤い蝋燭と人魚」小川未明文・酒井駒子絵
「くまとやまねこ」湯本香樹実文・酒井駒子絵
「金曜日の砂糖ちゃん」酒井駒子
「きかんぼのちいちゃいいもうと」1~3 ドロシー・エドワーズ

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□(しかく)ちゃんという女の子の、8つの小さな情景。「昼間の蒸気機関車」「図書館」「お友達」「12月」「幼稚園」「指しゃぶり」「カミナリ」「スイレン」。

「BとIとRとD」という題名が「BIRD」をバラバラにしているように、□ちゃんの日常の情景も1つずつバラバラで、全部で8つ。でも、大人の読者にとってはバラバラな情景も、□ちゃんにとっては滑らかに続いているんでしょうね。そして「BとIとRとD」が「BIRD」になるんだろうなあ。
この中で一番身近な情景は「図書館」。私の職場にも、いるいる、こういう女の子! すんごい可愛いんですよね。児童書を配架してる時にいたりすると、思わず本を片付ける手がゆっくりになったりなんかして。(笑) そして私が一番好きなのは「お友達」。ふとした瞬間に夢から醒めたように「足先の縫い目の堅いのが、急に見えてきて」というのが、ものすごくよく分かる... 他のお話でも「分かるなあ」はいっぱいあるんだけど、これに関しては、なんだかもう本当に胸が痛いほど分かってしまいます。という私自身は、お人形ではあまり遊ばなかったのだけど。そしてとっても可愛いのは「カミナリ」。これはお話も可愛いんだけど、絵がいいのです。リンゴの実に落ちてるちっちゃなカミナリ。いいなあ、可愛いなあ。(白泉社)


+既読の酒井駒子作品の感想+
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子
「よるくま」「よるくま クリスマスのまえのよる」酒井駒子(「リコちゃんのおうち」)
「ビロードのうさぎ」マージェリィ・W・ビアンコ文・酒井駒子絵訳
「きつねのかみさま」あまんきみこ文・酒井駒子絵
「絵本のつくりかた1」「Pooka+ 酒井駒子 小さな世界」
「ゆきがやんだら」「ぼく、おかあさんのこと...」酒井駒子
「こりゃ まてまて」「ロンパーちゃんとふうせん」酒井駒子
「BとIとRとD」酒井駒子
「赤い蝋燭と人魚」小川未明文・酒井駒子絵
「くまとやまねこ」湯本香樹実文・酒井駒子絵
「金曜日の砂糖ちゃん」酒井駒子
「きかんぼのちいちゃいいもうと」1~3 ドロシー・エドワーズ

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アナトール・ル・ブラーズはフランスにおける柳田國夫のような存在で、日本の「遠野物語」のような伝説集をいくつか残しているそうなんですが、この本は、そのアナトール・ル・ブラーズの著作の中でもとりわけ名高いという原著「ブルターニュの人々における死の伝説」全132話から97話を抜粋したもの。「予兆」「死の前」「アンクー」「死の真似事」「呪い殺し」「魂の出発」「死後」「埋葬」「魂の出発」「溺死者」「呑み込まれた町」「殺人者と首吊り人」「アナオン」「魂の祝祭」「魂の巡礼」「アナオンに涙を流しすぎてはいけない」「幽霊」「悪意ある死者」「悪魔祓いとその仲間」「地獄」「天国」の全21章。

先日読んだ現代教養文庫のフランス民話集数冊(感想)でも見た話がいくつかあったし、あと「ブルターニュ幻想 フランス民話」(感想)なんかとも、多分重なっている部分があったと思うんですが... この本の方が、人々から直接採集したという雰囲気が色濃く残ってたかな。
一読してまず気づかされるのは、死の身近さ。そしてキリスト教色の濃さ。たとえば洗礼を受けずに死ぬのはとてもとても不幸なことなので、赤ん坊が生まれたら、何はさておき早く洗礼を受けさせなくちゃいけないんですね。洗礼を受けずに死んだ子供の苦しみの描写と併せて、そのことが物語の中で何度も語られています。死ぬ間際の赦しの秘跡も大切なんですが、何よりもまず洗礼。異教徒のまま死ぬということをすごく恐れてます。そして、日常における「死」の扱い方。他人をからかってやろうと死んだふりなんかをすれば、その悪戯者本人を待っているのは本当の死だし、誤って人を呪えば、そこで待ち受けているのも呪った本人の死。死を決して軽々しく考えてはいけないという教訓。
でも、死そのものは、決して悪いことではないのです。死んだ人間が生前心正しく生きていて、償いの必要さえなければ、もしくは償いがごく軽くて無事に終われば、どうやらこの世に生きているよりも居心地がいいみたい。そして死ぬことよりも重要なのは、救われるかどうかということ。業の深い人間の死後は、相当大変なようです。償おうにも自分の力だけでは償うことができずに、生きている人間の力を借りる話も多々あったし。それに何か不穏な出来事が起きた時、みんなまず司祭に相談しに行くんですが、司祭に助けを求めて、助言を得られて、しかもきちんと司祭に言われた通りにできたとしても、結局死んでしまい... それでも救われたから良かった、なんて話もありました。
これほどまでに「死」ばかりが描かれているとは、ちょっとびっくりなんですが... まあ、伝承の宝庫であるブルターニュで死にまつわる話を集めただけといえばそれだけなんですけど... 逆に言えば、まずキリスト教徒になり、キリスト教徒として正しく生きることが重要で、そして決して「死」をもてあそんではいけない、という感覚を養うために、いかに日頃から刷り込みされてるかということでもあるんでしょうね。もしかしたら、そのために利用されてる民話もあるのかも、なんて思ったりもします。

でもそんなキリスト教的な死の物語の奥に見え隠れしているのは、ケルトの存在。たとえば「アンクー」と呼ばれる存在は、まるでキリスト教の悪魔と重なっているように描かれてるんですが、本来はケルトの死神なんです。水に沈んだイスの町も、元々はケルトの中の伝説の1つ。やっぱりブルターニュはケルト色が濃い土地柄ですね。でもそれらの伝説の起源の大半はアイルランドだそうなんですが、アイルランドとはまた違った印象。独特です。

出版社も違えば訳者も違いますが、この本の2か月後に出版された、同じくアナトール・ル・ブラーズの「ブルターニュ 死の伝承」と、どうやら原著は同じみたい。というか、そちらが完訳版で、こちらが抜粋なんですね。全132話から97話を抜粋ということは、あと35話増えるだけだし、とは思うんだけど、調べてみたらページ数も値段も倍ほど違う! その「ブルターニュ 死の伝承」は766ページで9240円なんです。(こっちは349ページで2730円)これは到底自分では買えないし... しかも市内の図書館には蔵書がないようで... 当分読めなさそうだなあ。でも、ネットで調べてると、どうやらそっちを読まないと分からない部分というのもあるようなんですよね。気になるなあ。(国書刊行会)

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「私」の恋人が逆進化。ある日まで彼は「私」の恋人だったのに、次の日は猿になり、それから1ヶ月たった今では、海亀なのです... という「思い出す人」他、全16編の短編集。

読み始めてまずびっくりしたのが、そのシュールさ。だって、恋人がある日突然猿になってしまって、それからヒヒになったりいろいろして、今は海亀なんですよ! しかもそんなことを、語り手の彼女が淡々と語り続けるんです。怒りも困惑も悲しみもなくて、ましてや狂気のかけらもなくて、ただ事実を事実として認めて、見守りつつ語るだけ。彼女は、覚えておくことこそが自分の仕事だと感じてるんですね。元々、少女の頃に既に特定の願いごとがもたらす結果を学んでしまったからと、星にはただ「善いこと」だけを願っていたような女性ではあるんですが... それでも、ね。普通ならパニックを起こしたり、元に戻れるよう神頼みになったり、もしくはすっかり諦めてしまって、その「元恋人」を捨ててしまったり... あと他にどんな選択肢があるのか今ぱっと思い浮かびませんが、彼女のように、ただ淡々と「見守り続ける」というのは、あまりないような。でも、彼女は当然のようにそうしてる。そして、そんな一種独特の雰囲気が、この作品だけでなくて、全ての作品に共通しているんです。何が起きても動じない神経の太さというのではなくて、とてもとても繊細なのに、何が起きてもただ受け止める度量を持つ人々の姿が描かれています。そこには無理な明るさも過剰な暗さもななくて。シュールでありながら、そこからあと1歩を踏み出してしまわない絶妙さ。そしてその絶妙なセンスがものすごく美しいのです。

訳者あとがきによると、エイミー・ベンダーはイタロ・カルヴィーノ、オスカー・ワイルド、ジェイムズ・ボールドウィン辺りの作品が好きなんだとか。キャリル・チャーチルの戯曲「クラウド・ナイン」、オリヴァー・サックスのエッセイ、ガブリエル・ガルシア=マルケスの「百年の孤独」が大好きで、その後村上春樹の奇妙な宇宙に入り浸ることになったんですって。ああ、分かる気がする! という私は、ジェイムズ・ボールドウィンもキャリル・チャーチルもオリヴァー・サックスも読んだことないんですが(汗)、カルヴィーノとワイルド、そして「百年の孤独」に村上春樹と聞けば、なるほど納得です。特にカルヴィーノが好きな方は、一度試してみる価値があるかと~♪ (角川文庫)

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まずは「こりゃ まてまて」。
公園に行った女の子。チョウやトカゲ、ハトやネコを見つけるたびに「こりゃ まてまて」と追いかけるのですが、みんなすぐ逃げて行ってしまって...。
0歳児~3歳児対象の赤ちゃん絵本。日常の中でよくありそうな場面を切り取ったお話です。いつもながら酒井駒子さんの描く子がとても可愛くて~。特にこのほっぺが絶品! つんつん、すりすりしたい~。
で、この絵本、すごくいいなと思ったのが文字なんです。ちょっぴり擦れてて、微妙に不揃いのハンコ風の字。擦れてるとか不揃いとか言っても、気がつかない人が多いかもって程度なんですけどね。でもやっぱり印刷のための普通の活字とはまた違う表情。他の作品、特に「よるくま クリスマスのまえのよる」を読んだ時に、普通の印刷のフォントだと、この絵にはちょっと無粋な感じがしちゃうなあ、なんて思ってたので(普通のお話部分はまだいいんだけど、字が大きいとことかね)、そういうところに気が配られてるのが素敵。このシリーズっていっぱいあるけど、ほかのもそんな風にフォントに気を配られているのかしら? 今度チェックしてみよう。

そして「ロンパーちゃんとふうせん」。
まちで風船をもらったロンパーちゃん。飛んでいってしまわないように、指にくくってもらって、無事におうちに到着。でもおうちで遊ぼうとしても、風船はすぐに天井にのぼってしまうのです。そんな風船に、お母さんは素敵な工夫をしてくれるのですが...。
ロンパーちゃん、可愛いな~。糸でも浮かんでる風船って、すぐ指からするりと抜けて飛んでいってしまいますね。子供の頃に何度悔しい思いをしたことか... 私の母も指にくくりつけてくれてたはずなんだけど。そしてこの表紙のピンク色からして、お洒落な感じで印象的なんですけど、ロンパーちゃんのお母さんがまるで少し昔のパリっぽいモードでお洒落なんです。風船をくれるお兄さんも日本とはちょっと違う感じだし、このお話の舞台はどこなんだろう? 住んでるところも「アパルトマン」って感じに見えるんですが。

「こりゃ まてまて」の子がもう少し大きくなったら、ロンパーちゃんになるのかな? なんて考えるのも楽しいです。でも「こりゃ まてまて」の子のお父さんはごく普通の日本のお父さんだし、遊んでるのは多摩川の土手って感じだし... ロンパーちゃんのお母さんはパリのモードな人だから...(笑)
ロンパーちゃんも、まだまだぷくぷくほっぺの年代。これがまた可愛いんですよね♪(白泉社・福音館書店)


+既読の酒井駒子作品の感想+
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子
「よるくま」「よるくま クリスマスのまえのよる」酒井駒子(「リコちゃんのおうち」)
「ビロードのうさぎ」マージェリィ・W・ビアンコ文・酒井駒子絵訳
「きつねのかみさま」あまんきみこ文・酒井駒子絵
「絵本のつくりかた1」「Pooka+ 酒井駒子 小さな世界」
「ゆきがやんだら」「ぼく、おかあさんのこと...」酒井駒子
「こりゃ まてまて」「ロンパーちゃんとふうせん」酒井駒子
「BとIとRとD」酒井駒子
「赤い蝋燭と人魚」小川未明文・酒井駒子絵
「くまとやまねこ」湯本香樹実文・酒井駒子絵
「金曜日の砂糖ちゃん」酒井駒子
「きかんぼのちいちゃいいもうと」1~3 ドロシー・エドワーズ

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うさぎのぼうや繋がりの絵本が2冊。

「ゆきがやんだら」の方は、夜中に降り始めた雪がまだ降り続いているため、バスが動かなって園はお休み。でも、飛行機が飛ばないからパパが帰って来られない、そんな日のお話。
雪が降ってる時って、なんだかいつもと違う静けさがありますよね。そして夜の一面の銀世界は、音を全部吸い取ってしまいそう。うさぎのぼうやは、きっと「わーい!」なんて歓声をあげながら走っていってると思うのに、そんな声も雪に吸い込まれてしまったみたい。そういう静けさが、絵からとっても伝わってきます。走り回って足跡をいっぱいつけたり、雪でおだんごを作ったり。そんな風に一心に遊ぶ子供を見つめるお母さんの優しく柔らかい視線がまた素敵で、とっても暖かい気持ちになれる絵本です。

そして「ぼく おかあさんのこと...」は、「ぼく おかあさんのこと...」「キライ。」そんな衝撃的(笑)な台詞で始まるお話。
なぜキライかといえば、日曜日の朝はいつまでも寝ていて、ドラマばっかり見てマンガを見せてくれないし、すぐ怒るし、早く早くとせかすくせに自分はゆっくりしてるし、それからそれから... でもそんなことを言いながらも、本当はお母さんのことが大好きなんですよね。そしてお母さんも「ぼく」のことが大好き。そんな気持ちがいっぱい伝わってくる絵本です。うさぎのぼうやは可愛いし、お母さんの表情も豊かで、すご~く語ってるんだけど、私が一番好きなのは違うところ。「ぼくが おおきく おおきく おおきくなっても」というページが大好き! 何度読んでもここでくすっと笑ってしまいます。素敵素敵♪(学習研究社・文溪堂)


+既読の酒井駒子作品の感想+
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子
「よるくま」「よるくま クリスマスのまえのよる」酒井駒子(「リコちゃんのおうち」)
「ビロードのうさぎ」マージェリィ・W・ビアンコ文・酒井駒子絵訳
「きつねのかみさま」あまんきみこ文・酒井駒子絵
「絵本のつくりかた1」「Pooka+ 酒井駒子 小さな世界」
「ゆきがやんだら」「ぼく、おかあさんのこと...」酒井駒子
「こりゃ まてまて」「ロンパーちゃんとふうせん」酒井駒子
「BとIとRとD」酒井駒子
「赤い蝋燭と人魚」小川未明文・酒井駒子絵
「くまとやまねこ」湯本香樹実文・酒井駒子絵
「金曜日の砂糖ちゃん」酒井駒子
「きかんぼのちいちゃいいもうと」1~3 ドロシー・エドワーズ

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「絵本のつくりかた1」は、「あこがれのクリエイターとつくるはじめての物語 (みづゑのレシピ) 」という副題。1枚の紙を折り紙のように畳んでみたり、しかけを作ってみたり。大好きなものを集めて繋げてみたり。そんな風に楽しく絵本を作る本。この本に取り上げられているのは酒井駒子さんだけでなく、100%ORANGEさんやあだちなみさん、荒井良二さん、竹内通雅さんなどなど。酒井駒子さんの創作場面が見えてくる「絵本と物語が生まれるところ」はもちろんのこと、絵本携わる色んな人たちの、それぞれの作品の奥にあるものが見えてくるのがまた嬉しいところなんです。色んなアイディアがあるものだなあ、面白いなあ。白紙の本とレシピの2冊セットなので、絵本が大好きな人にも、いつか絵本を作りたい人にもいいかもしれないですね。私なんかだと、絵心なんて全然ないし、使いこなせないままになってしまいそうですが...。
この本は1なので、2もあるんですよね。2は「フランスのアーティスト10名が語る創作のすべて」で、「ぞうのババール」のジャン・ド・ブリュノフや「バーバパパ」のアネット・チゾン&タラス・テイラー 、「リサとガスパール」や「ペネロペ」のアン・グットマン&ゲオルグ・ハレンスレーベンなどが取り上げられてるそうなんです。そちらも見てみたいなあ。フランスの絵本もお洒落で大好き♪ 三つ子ちゃんなんかも入ってるといいなあ。

そして「Pooka+ 酒井駒子 小さな世界」は、全部丸ごと酒井駒子さんの本。日本だけでなく海外にもファンが多いという酒井駒子さんのこれまでの仕事を、総まとめして全て紹介していっちゃうという本です。今ではもう手に入らない貴重な仕事もここで見られますし、この本のために書き下ろされた絵本まであるなんて、スゴイ! それ以外にも、酒井駒子さんのインタビューやコラム、お好きな本の紹介なども。酒井駒子さんがお好きな本、私にとっても思い出の本というのがすごく多くて~。それだけでも嬉しくなっちゃいました。いやでもほんと、絵を見ているだけで幸せになれるというのに、こんな風に一堂に会した絵を見られてしまって、しかもそんな+αがあるなんて、なんて贅沢なんでしょう~! ファン必見、というか、ファン必携ですね。もうほんと、駒子ファンは持ってて損はないと思います。今はもう手にいれることができないグッズを見て、悔しくなっちゃうとは思いますが、そこはそれということで。いやいや、素晴らしいです~。(美術出版社・学習研究社)


+シリーズ既刊の感想+
「絵本のつくりかた1」「Pooka+ 酒井駒子 小さな世界」
「絵本のつくりかた2 みづゑのレシピ」

+既読の酒井駒子作品の感想+
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子
「よるくま」「よるくま クリスマスのまえのよる」酒井駒子(「リコちゃんのおうち」)
「ビロードのうさぎ」マージェリィ・W・ビアンコ文・酒井駒子絵訳
「きつねのかみさま」あまんきみこ文・酒井駒子絵
「絵本のつくりかた1」「Pooka+ 酒井駒子 小さな世界」
「ゆきがやんだら」「ぼく、おかあさんのこと...」酒井駒子
「こりゃ まてまて」「ロンパーちゃんとふうせん」酒井駒子
「BとIとRとD」酒井駒子
「赤い蝋燭と人魚」小川未明文・酒井駒子絵
「くまとやまねこ」湯本香樹実文・酒井駒子絵
「金曜日の砂糖ちゃん」酒井駒子
「きかんぼのちいちゃいいもうと」1~3 ドロシー・エドワーズ

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おやつを食べ終わった時に公園になわとびを忘れて帰ったことに気づいた「あたし」は、弟のけんちゃんと一緒に公園へ。でもかけたはずの木の枝には、何もかかってないのです。その時、風にのって聞こえてきたのは、楽しそうな笑い声。2人は友達が遊んでいるのかと、そちらの方へ行ってみるのですが...。

あまんきみこさんのお話を読むのは、もしかしたら今回が初めてかも? りえちゃんとけんちゃんという姉弟が遭遇する、ちょっぴり不思議な出来事の物語。でも実際に読んでると、あんまり不思議な感じはしなくて、するりんとこの出来事を受け止めてしまうのはなぜなんでしょうね。逆になんだかものすごく身近な感じがします。懐かしい、とでもいうか。2人の表情があんなに楽しそうだからかな? 特にお姉ちゃんの笑顔が素敵。ほんと可愛い。愛しくなってしまうほど可愛い。それに2人はもちろんのこと、きつねたちもとても可愛いんですよね。すごくいい表情をしてる。みんなで一緒に遊んでいる場面なんて、見ていてウキウキしてきてしまうほどなんですもん。
そして「きつねのかみさま」という題名にもなるほど納得です。りえちゃんの「ごちゃごちゃのきもち」、良くわかるな。でもその「ごちゃごちゃのきもち」に色んな理由とか言葉をつけたがるのが大人なんだけど、これはそのままでいいのよね。うん。(ポプラ社)


+既読の酒井駒子作品の感想+
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子
「よるくま」「よるくま クリスマスのまえのよる」酒井駒子(「リコちゃんのおうち」)
「ビロードのうさぎ」マージェリィ・W・ビアンコ文・酒井駒子絵訳
「きつねのかみさま」あまんきみこ文・酒井駒子絵
「絵本のつくりかた1」「Pooka+ 酒井駒子 小さな世界」
「ゆきがやんだら」「ぼく、おかあさんのこと...」酒井駒子
「こりゃ まてまて」「ロンパーちゃんとふうせん」酒井駒子
「BとIとRとD」酒井駒子
「赤い蝋燭と人魚」小川未明文・酒井駒子絵
「くまとやまねこ」湯本香樹実文・酒井駒子絵
「金曜日の砂糖ちゃん」酒井駒子
「きかんぼのちいちゃいいもうと」1~3 ドロシー・エドワーズ

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ヴァレーゼに住むビアンキさんは薬のセールスマン。7日間のうち6日間はイタリアじゅうを西から東へ、南から北へ、そして中部へと旅してまわっています。そんなビアンキさんに幼い娘が頼んだのは、毎晩1つずつお話をしてほしいということ。女の子はお話を聞かないことには眠れないのです。そしてビアンキさんは約束通り、毎晩9時になるとどこにいようが家に電話をかけて、娘に1つお話を聞かせることに。

ロダーリによるショートショート全56編。電話で娘に語る小さな物語という設定通り、どれも小さなお話なんですが、これが本当に楽しくて! だって空からコンフェッティは降ってくるし、回転木馬は宇宙に飛んでいくし、鼻は逃げていくし...! ロダーリの頭の中ってどうなってるんだろう。次から次へとアイディアが湧き出してくるのかな~。時にはオチがなくても、全くのナンセンスでも、ロダーリの手にかかると楽しく読めてしまうのが不思議なほど。どれも奇想天外だし、読者の気を逸らさないどころか、全く飽きさせないはず。さすがロダーリ。
私が特に好きだったのは、散歩をしながら体をどんどん落してしまう「うっかり坊やの散歩」や、一見何の変哲もない回転木馬の話「チェゼナティコの回転木馬」、数字の9が計算をしている子供に文句を言う「9を下ろして」、春分の日に起きた出来事「トロリーバス75番」辺り。でも読後に本をパラパラめくってると、やっぱりどれも捨てがたいー。この本は手元に置いておきたいな。ちょっと疲れた時なんかに、1つずつ読むのもいいかもです。^^(講談社)


+既読のジャンニ・ロダーリ作品の感想+
「猫とともに去りぬ」ロダーリ
「チポリーノの冒険」ジャンニ・ロダーリ
「うそつき国のジェルソミーノ」ジャンニ・ロダーリ
「パパの電話を待ちながら」ジャンニ・ロダーリ

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ヒイラギの枝と一緒にクリスマスの靴下に入っていたビロードのうさぎ。始めは大喜びで遊んでいたぼうやでしたが、新しいプレゼントがどんどん来ると、うさぎはすっかり忘れ去られて、子供部屋の隅っこに放置されてしまうことに。でも、お手伝いさんのナナが、いつもの犬のぬいぐるみの代わりにうさぎをぼうやと一緒に寝かせた時から、うさぎはぼうやのお気に入りになり、いつもいつも一緒に過ごすことになったのです。

ぼうやとうさぎの心の絆が、ほんと泣きたいぐらい愛おしくなってしまうんですが... 同時に「ほんもの」って一体何なんだろう?と考えさせられる話でもあります。うさぎがぼうやに忘れ去られていた時、他のおもちゃたちはみんな「じぶんこそ ほんものだ」「ほんものそっくりだ」と自慢ばかりしてて、忘れられたうさぎをばかにするんですね。私はやっぱり、この時にウマのおもちゃが言う「こころから たいせつに だいじにおもわれた おもちゃは ほんとうのものになる。たとえ そのころには ふるくなって ボロボロになっていたとしてもね」という言葉が全てだと思うんですけど... ビロードのうさぎも、ぼうやと一緒にいる時がやっぱり一番幸せだったはず。なのに。
酒井駒子さんの絵がやっぱりものすごく素敵です。ぼうやがお布団で作ってくれる「うさぎのあな」も幸せそうな一コマで大好きだし、最後の場面の問いかけるようなうさぎの緑色の目もすごく好き。だけどやっぱり一番は、病気のぼうやの耳元でうさぎが色んな話をするところかしら。うさぎがぼうやのことを本当に大切に思ってるのが伝わってきて、ぐっとくるし、すごく素敵なんですよね。ああ、いいなあ。この場面、好きだなあ。(ブロンズ新社)


+既読の酒井駒子作品の感想+
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子
「よるくま」「よるくま クリスマスのまえのよる」酒井駒子(「リコちゃんのおうち」)
「ビロードのうさぎ」マージェリィ・W・ビアンコ文・酒井駒子絵訳
「きつねのかみさま」あまんきみこ文・酒井駒子絵
「絵本のつくりかた1」「Pooka+ 酒井駒子 小さな世界」
「ゆきがやんだら」「ぼく、おかあさんのこと...」酒井駒子
「こりゃ まてまて」「ロンパーちゃんとふうせん」酒井駒子
「BとIとRとD」酒井駒子
「赤い蝋燭と人魚」小川未明文・酒井駒子絵
「くまとやまねこ」湯本香樹実文・酒井駒子絵
「金曜日の砂糖ちゃん」酒井駒子
「きかんぼのちいちゃいいもうと」1~3 ドロシー・エドワーズ

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現代人から「インフラの父」とさえ呼ばれているローマ人。インフラストラクチャー(社会資本、基礎設備、下部構造)ほど、それを成した民族の資質を表すものはない、というのが塩野七生さんの考え。ローマ人にとっては「人間が人間らしい生活をおくるために必要な大事業」であり、それらの全てを備えていないと都市とは認められていなかったいうインフラについて重点的に取り上げていく巻です。

次は五賢帝最後のマルクス・アウレリウス・アントニウスなのかな?と本を広げたら、違いました。今回はインフラのお話ばっかりで、ローマの皇帝たちは一休み。
ええと、インフラにもハードなものとソフトなものがあって、ローマ時代のハードなインフラと言えるのは、街道、橋、港湾、神殿、広場(フォールム)、公会堂(バジリカ)、円形闘技場、半円形劇場、競技場、公衆浴場、上下水道など。そしてソフトなインフラとは、安全保障、治安、税制、医療、教育、郵便、通貨制度などなど。この巻で主に取り上げられているのは、ハードなものとしては街道、橋、水道。ソフトなインフラとしては医療と教育。他のは改めて取り上げられたりはしてないんですが、これまでの巻でも随時触れられてきてますしね。

まず面白かったのが、ローマと支那という西と東の大帝国の対照的な姿。同じような技術力を持ちながらも、支那(まあ、基本的には秦のことだと思うんだけど)は万里の長城を築き、ローマは街道を築く。縦になってるか横になってるかの違いだけで、技術力はほぼ同じ。でも、人の往来を絶つ万里の長城を築いた支那人とは対照的に、ローマ人は自国内の人々の往来を促進するローマ街道を築くんですね。どちらの民族も作ろうと思えば壁でも道でも作れたはずなのに、自国の防衛のためにまるで正反対の行動を取っているというのがスゴイ。
あと、共和制時代は財務官(ケンソル)や執政官(コンスル)が、帝政となってからは皇帝が立案して、元老院(セナートウス)が決定を出した、というインフラ事業なんですが、その費用を国庫で賄うのは当然のこととしても、権力者や富裕者が私財を投じて建設し寄贈した公共財も多いというのも、すごいことですよね。日本の政治家は、自分の地元に高速道路や新幹線を通すことは考えるけど、私財なんてまず出さないでしょうし~。でもローマ人は、そんなこと当然のことのようにやってるわけで。その辺りの考え方の違いもすごいですよね。視野の大きさも全然違うし。そしてこれこそがローマ帝国の長寿の秘訣だったのでは。だからこそ、塩野七生さんも単行本の1巻分をまるまる割いてインフラを語りたいと考えたのでは。

「はじめに」で、この巻は歴史的にも地理的にも言及の範囲が広いから読むのが大変なはず、とさんざん書かれてるんですけど... 例えば「ハンニバル戦記」や「ユリウス・カエサル」のような面白さや快感は期待できないから覚悟して欲しいと散々脅されてるんですが、ふたを開けてみれば、すんごく面白かったです。ユリウス・カエサルはもちろんのこと、初のローマ街道・アッピア街道、初の水道・アッピア水道を作ったアッピウス・クラウディウスも素晴らしい。そしてこれらのインフラこそが、古代ローマを現代に繋げる架け橋と言えそう。地図や図面、写真が沢山見られるのも良かったです。(新潮文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ローマ人の物語 ローマは一日にして成らず」1・2 塩野七生
「ローマ人の物語 ハンニバル戦記」3~5 塩野七生
「ローマ人の物語 勝者の混迷」6・7 塩野七生
「ローマ人の物語」8~10 塩野七生 「ガリア戦記」カエサル
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前」8~10 塩野七生(再読)
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以降」11~13 塩野七生
「ローマ人の物語 パクス・ロマーナ」14~16 塩野七生
「ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち」17~20 塩野七生
「ローマ人の物語 危機と克服」21~23 塩野七生
「ローマ人の物語 賢帝の世紀」24~26 塩野七生
「ローマ人の物語 すべての道はローマに通ず」塩野七生

+既読の塩野七生作品の感想+
「コンスタンティノープルの陥落」「ロードス島攻防記」「レパントの海戦」塩野七生
「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」塩野七生

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昨日まではまだまだ残暑が厳しかったのに、あっと気づけば朝晩もすっかり涼しくなって、季節はもう秋。でも私自身はまだまだ夏の疲れが残ってて、未だ「読書の秋」到来とはなってません...。むしろ、集中力がなくなってて、同じところを何度も読み返していたり。こんな時は、目と心に優しいものを~と、酒井駒子さんの絵本を手に取ってみました。

まずは「よるくま」。ベッドの中の「ぼく」がママに話したのは、前の晩にやって来た可愛いお客さま・よるくまのこと。よるくまのおかあさんがいなくなってしまって、2人一緒におかあさんを探す冒険に出たのです...というお話。
なんでよるくまのお母さんは、よるくまを置いて出かけちゃったのかな、前もって説明しておけば、よるくまだってこんなに不安にならずに済んだはずなのに、なんて思ったりもするのだけど、よるくまの不安そうな表情、ここにもいない、あそこにもいない、そしてとうとうお母さんを見つけて泣き出しちゃう表情... どれも可愛くて、きゅーんとしてしまいます。お母さんの表情も、いかにも包容力のありそうな大きな笑顔でいいんですよねえ。そしてよるくまと一緒に寝ている時の「ぼく」の楽しそうな表情。寝入ってしまった時のあどけない顔。んんん~、可愛いっ。

そして「よるくま クリスマスのまえのよる」。こちらは、お友達になったよるくまが遊びに来たのは、クリスマスの前の夜のこと。サンタさんのことを知らないよるくまのために、「ぼく」はよるくまのサンタさんになってあげることに... というお話。
「ママにいっぱい叱られたから、サンタさんは来ないかも」「よるくまはまだ小さいから、いっぱいだっこしてもらえていいな」...そんな風に複雑な胸中になってる「ぼく」が可愛いのです。途中で小さい頃に戻ってる場面が好き~。ママが「ぼく」のことを怒るのは、「ぼく」が悪い子だからとか、ましてや嫌いだからじゃないんだよ、いつだって「ぼく」はママの宝物だから大丈夫なんだよって言ってあげたくなっちゃう。

そして今回、この2冊と一緒に「リコちゃんのおうち」というのも読んでみました。これは、おにいちゃんかいじゅうに邪魔されて遊べないリコちゃんのために、ママがリコちゃんだけのおうちを作ってくれるというお話。これは酒井駒子さんのデビュー作なのだそうです。「よるくま」は以前から読んでるけど、こちらは初めて。これが酒井駒子さんの絵なの...?という感じで、言われなければ気づかないほどの、とても普通な絵だなあと思うんですけど、それでもやっぱり話は可愛い。小さなダンボール箱で作ったおうちなんだけど、リコちゃんの中ではいくらでも楽しく豊かな空間に広がっていくんですよね。それがとても素敵だし、ああ、分かるなあって思っちゃう。

いい機会なので、酒井駒子さんの絵本を未読のものも既読のものも、少しずつ読んでいってみようかと。読み終わった頃には、夏の疲れもすっかり忘れてしまっているといいなあ~。


+既読の酒井駒子作品の感想+
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子
「よるくま」「よるくま クリスマスのまえのよる」酒井駒子(「リコちゃんのおうち」)
「ビロードのうさぎ」マージェリィ・W・ビアンコ文・酒井駒子絵訳
「きつねのかみさま」あまんきみこ文・酒井駒子絵
「絵本のつくりかた1」「Pooka+ 酒井駒子 小さな世界」
「ゆきがやんだら」「ぼく、おかあさんのこと...」酒井駒子
「こりゃ まてまて」「ロンパーちゃんとふうせん」酒井駒子
「BとIとRとD」酒井駒子
「赤い蝋燭と人魚」小川未明文・酒井駒子絵
「くまとやまねこ」湯本香樹実文・酒井駒子絵
「金曜日の砂糖ちゃん」酒井駒子
「きかんぼのちいちゃいいもうと」1~3 ドロシー・エドワーズ

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ピレネー山脈を仰ぎビスケー湾を臨むフランス西南部に広がるバスク地方。ここに古来より居住しているのは、バスク語を母国語に持つバスク民族。バスク民族は起源不明の神秘的な民族で、バスク語もまた、近隣のフランス語やスペイン語といったラテン語系の言語とは異なり、未だに世界のどの言語にも系統づけられていないものなのだそうです。そして、峻峰ピレネーの山なみに守られて、近隣の諸民族とはまた違う特異性を保ち続けているバスク地方に伝わるのは、女性的な魅力と妖怪の恐ろしさを合わせ持つ妖精・ラミナや、超人的な力を持ちながら無垢な子供にだまされる怪物タルタロといった自然が妖怪化したもの、熱心なカトリック信仰が土俗民話が結びついた、キリスト教の説話的なものや魔女たちの民話、そして動物と共存するバスク人らしい言葉を話す動物たちの民話など。これらの民話は、古くからバスク人たちの間で口承により伝えられてきたものなのです。

ラミナやタルタロの民話も、いかにも民話らしくて面白いんですが、この本でユニークだったのは断然「主キリストとペテロ聖人の奇跡」の章。既に知ってる民話の登場人物がキリストとペテロに入れ替わってるだけ、というのも多かったんですけど、今まで読んだことないパターンのも色々と。で、このキリストとペテロ、なんだか人格的に変なんです...。泊めてもらった家で翌日の麦打ちをやる約束をしておきながら、いつまで経ってもベッドから出ようとしなくて主人を怒らせてるし! 旅をしてる最中に女と悪魔が猛烈な口喧嘩をしているのを見て、ペテロはいきなり双方の頭を切り落としてしまってるし!(あとでまたくっつけるんですけど、間違えるんだな、これが) 石に躓いたり牛糞を踏んで滑って、ペテロが怒ってるし! ...ペテロはなんだか小ずるくて全然人間できてないし、キリストだって、ちょっとしたことで根に持ってペテロに仕返ししてるし、一体何なんでしょうね、この2人は。しかも、おなかがすいたペテロが麦の落穂を拾い始めて、それをキリストが見咎めるという話があるんですけど、この場面の挿絵が凄すぎる!(大笑)
バスク人たちは、こんなキリストとペテロでも信仰心が揺らがなかったんですかね? それとも逆に人間味を感じて親近感だったとか? 私だったら、こんな人たち信仰したくなくなっちゃいそうだけどなー。(笑)(現代教養文庫)

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今はもうない現代教養文庫は、こういう伝承民話集の本を色々と出してたんですよね。以前も「ケルト妖精民話集」「ケルト幻想民話集」「ケルト魔法民話集」(感想)、「ブルターニュ幻想 フランス民話」(感想)、「ジプシー民話集」(感想)なんていうのを読んだんですが、今回はフランスの民話集を3冊。「幻想」「妖精」「怪奇」です。

本題とは関係ないのだけど、こういう時に使われる「幻想」という言葉が、今ひとつ掴みきれていない私です。白水uブックスで「○○幻想小説傑作集」なんていうのが出てるのを何冊か読んだんですが(○○は国名)、これって「幻想」というより「怪奇」では? なんて思う作品が多かったんですよね。「幻想」って、現実から離れた空想的な... ええと、ファンタジックなものを指すんだと思ってたんですけど、違うんですかね? 純粋な言葉の意味としてはホラー味はあんまり関係ないと思うのだけど、文学的にはホラー味を含むのが常識なんでしょうか...?

今回読んだ「フランス幻想民話集」も、ちょぴり怖いお話が多かったです。全体的に死の影が濃くて、後味が良くなくて... 一種独特な陰鬱さ。「恋人たち」「悪魔」「領主」「求道者」「死者」「亡霊」の6章に分かれてるんですが、「悪魔」「死者」「亡霊」はともかく、「恋人」の章ですら結構スゴイ。美しい娘の心を得ようと、彼女が欲しがるもののために頑張る男が、最後にはとうとう失敗して心臓を失ってしまう話とか、実の母親に恋路を邪魔される人間と鳥の悲恋話とか、悪魔にたぶらかされる美しい娘の悲惨な話とか、女を誘惑しては捨てる浮気な男に、死んだ女性たちがこぞって仕返しをする話とか! 普通のハッピーエンドが1つもないじゃないですか。いやでもすごく面白いのだけど。あ、この本には「青ひげ」も入ってました。ペローの「青ひげ」とはまた違うけど、基本的なとこは一緒。
そして今度は「フランス妖精民話集」を読んでみると。こちらはうって変わってどこかで読んだ童話のような話が多かったです。グリムやペロー、北欧の民話に見られるような話もあれば、神話的なものもあって(実際に「プシュケ神話」の章もある)、基本的には美しく気立ての良い少女が、途中いささか苦労するにせよ、最後に幸せになる、あるいは醜い男がそのありのままを愛してくれる女性を見つけ、最後には素晴らしい王子さまになる、という物語が中心。「フランス幻想民話集」とは雰囲気が違いすぎてびっくり!
そして「フランス怪奇民話集」。ええと、怪奇ってこういうのなんですかね? 確かに死者が起き上がって復讐にやって来たり、生きている人間をむさぼり喰ったり。あるいは死者が世話になった人物に恩返しをしたり。悪魔に狙われたり。そういう風に書くと怖そうだし、実際、生と死の境目が曖昧になったような話が多いんですが... あんまり怖くないし、むしろ農民が悪魔をやっつけてしまったり、「イワンのばか」的なユーモアを感じるような? これなら「幻想民話集」の方が余程怖かったよ! あっちの方が「怪奇」だと思うんだけど、こっちが「怪奇」? そういうものなんでしょうか? うーん、よく分からん。

ということで、3冊の中では「フランス幻想民話集」がダントツで面白かったです。あと「フランス怪奇民話集」の解説の、死の通過儀礼、死と復活の儀式の話や、再生によって神性を得たとも考えられるモチーフの話も面白かった。こういう読み解き方を知ると、民話を読むのがぐんと面白くなるんですよね。以前読んだ中沢新一さんの「人類最古の哲学」(感想)にもそういうのがあってものすごく面白かったんだけど、他にもそういう読み解き方に関する本があったら読みたいなあ。
ご存知の方がいらしたら、ぜひ教えてくださーい。(現代教養文庫)

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トマス・カイトリーの著書「フェアリーの神話学」の解説部分と代表的な民話を収めたのが「妖精の誕生」。そちらに収めきれなかった民話を集めたのが、この「フェアリーのおくりもの」。スカンジナビア、ドイツ北部のリューゲン島、ドイツ、スイス、イギリス、ケルト人とウェールズ人という章に分けて民話67編を紹介していきます。

先日読んだ「妖精の誕生」とセットになるような本で、この2冊を読んで元々の著作「フェアリーの神話学」がほぼ網羅されることになります。ええと、トマス・カイトリーは妖精を「ロマンスの妖精」と「民間信仰の妖精」の2つに大別してるんですね。「ロマンスの妖精」は、アーサー王伝説やシャルルマーニュ伝説に登場するような妖精。その多くが魔法や様々な超能力を身につけた人間の女性で、ギリシア神話の運命の三女神・モイライの流れをひくもの。「民間信仰の妖精」は、自然力と人間の心の能力を人格化したもので、人間でも神でもない「妖精」。この「妖精のおくりもの」で紹介されているのは、その「民間信仰の妖精」の物語です。
カイトリーによると、「民間信仰の妖精」は、エルフ、小人、家の精、川や湖の精、そして海の精の大きく5つに分けられるとのこと。で、例えば同じエルフでも、「エッダ」に登場するのは「アルファル」、スウェーデンでは「エルフ」、デンマークでは「エルヴ」、ドイツでは「エルベ」、イギリスでは「エルフ」というように各地方によって呼び方が変わっていて、その性格も少しずつ違うんですね。やっぱり人と共に移動するにつれて、微妙に変化していったんだろうな。そして今回驚いたのは、アイルランドのイメージの強かった「取り替え子」の物語が、実はスカンジナビアにもあったこと。妖精だけでなくお話も移動してるのに何も不思議はないんですけど、やっぱりちょっとびっくりでした。こういう妖精やお話の発祥した場所とか移動したルートが分かればいいのに。面白いだろうな。(まあ、民族の移動を追っていけば、ある程度分かるんでしょうけど)

「妖精の誕生」では、ペルシアやアラビアといった東洋のフェアリーの話に始まっていたのに、こちらにはその辺りの民話がまったくなかったのが残念なんですが、収められている伝承のほとんどはカイトリー自身が採取しているようなので、さすがにペルシアやアラビアでの採取は無理だったということなんでしょうね。その代わりに、こちらには「妖精の誕生」では取り上げられていなかったリューゲン島やマン島、そしてスイスが取り上げられていたし、とてもバラエティ豊かな民話集になってました。国ごとの妖精譚を読むのも面白いですが、そういった物語や妖精の存在を体系的に捉えられるところがやっぱりこの人の著作の特徴でありいいところかと。(現代教養文庫)


+既読のトマス・カイトリー作品の感想+
「妖精の誕生 フェアリー神話学」トマス・カイトリー
「妖精のおくりもの 世界妖精民話集」トマス・カイトリー

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ある日クードレットが主から命じられたのは、その祖先にあたる人物や出来事などの史実を物語に編むこと。クードレットの主はポワトゥのさる大領主で、パルトゥネの殿様と呼ばれており、その一族は妖精の血を引いているといわれていました。それは気高いリュジニャン城を築城し、数々の町を築かせたメリュジーヌのこと。クードレットは早速妖精メリュジーヌとその伴侶となるレモンダンの泉のほとりでの運命の出会い、結婚、そして彼らの10人の息子たちの物語を書き始めます。

メリュジーヌ伝説は、元々はケルト的な妖精伝説。現存するテキストとしては、ジャン・ダラスによって1393年に書かれた散文の「メリュジーヌ物語」、そして1401年以降に書かれたクードレットによる韻文作品「妖精メリュジーヌ伝説」が最も古いようで、これはそのクードレットの方。でもその2つの作品以前から、メリュジーヌにまつわる口承伝承がフランス各地に存在していたようです。
この物語に登場するメリュジーヌは、上半身が美しい女性で下半身が蛇。普段は人間の女性の姿で過ごしてるんですが、実の母親の呪いによって、土曜日だけ下半身が蛇になってしまうんですね。だからメリュジーヌの夫は、土曜日のメリュジーヌがどこに行こうとも何をしていようともその秘密を探らないという約束なんです。でもこういう約束は必ず破られるもの。要するに、「鶴の恩返し」と同じ「見るな」のタブー。でもこの作品はそれだけではなく... ここに登場するリュジニャン一族は実在していて、その一族の歴史を語る物語でもあったのでした。そこにびっくり!
読んでいてとても強く感じたのは、キリスト教の影響。作中では登場人物たちが繰り返しキリスト教、特にカトリックの信者であることが強調されていて、それはメリュジーヌも同様なんです。最初の出会いの時から、神の御名を出してレモンダンの警戒を解こうとしてますし、実際結婚式はカトリックの司祭によって執り行われます。でも、その妖精たちの故郷は、アーサー王伝説で有名なアヴァロン! 文中には「トリスタンの一族の血を引いた者」や「魔法使いマーリンの弟子」という言葉も登場するし、キリスト教色が濃いとはいえ、原形がまだまだ残ってるんですねえ。

10人の子供がいようとも、いつも変わらず美しい恋人であり続けるメリュジーヌ。このメリュジーヌの存在は多くの詩人を引き付けたようで、色んな作品の中でメリュジーヌの存在が感じられるのだそう。例えばアンドレ・ブルトンの「ナジャ」や「秘法十七番」。ゲーテの「ウィルヘルム・マイスター」の中の挿話の題名は、「新メリュジーヌ物語」。あと、調べてたら、メリュジーヌは「メリサンド」とも呼ばれると分かって、それもびっくりです。メリサンドといえば、メーテルランクの「ペレアスとメリザンド」(感想)じゃないですか。そうか、これも水の女だったんだなー? 「ペレアスとメリザンド」でメリザンドが初めて現れたのは泉のほとりだし、こちらもそうですもんね。この「妖精メリュジーヌ伝説」は、訳が子供向けのような語り口であったこともあって、読みながらそれほど物語に入り込めなかったのが残念だったし、せっかく原文が韻文なのに散文に訳されてしまってるのが残念だったんですけど、他のメリュジーヌの物語やそれに触発された作品も読んでみたいな。(現代教養文庫)

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日本に帰化し、「小泉八雲」と名乗るほどに日本を愛していたラフカディオ・ハーン。彼が日本各地に伝わる伝説、幽霊話などを再話した、有名な「耳なし芳一のはなし」を始めとする17編の「怪談」と、「蝶」「蚊」「蟻」にまつわる3編のエッセイ「虫の研究」。

ラフカディオ・ハーンは、アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれて、アイルランド、フランス、イギリスで教育を受けた後にアメリカに渡ってジャーナリストになり、さらに紀行文を書くために来日したという人物。日本では高校や大学の英語教師をつとめ、小泉節子と結婚し、その後帰化。イザベラ・バードやアーネスト・フェノロサらと並ぶ日本紹介者として有名ですね。そのラフカディオ・ハーンが、妻である節子から聞いた怪談話をきっかけに、日本古来の文献や民間伝承に取材して創作したという短篇集です。原文は英語で書かれていて、これはそれを日本語に翻訳したもの。

「耳なし芳一」や「雪女」といった話は、もう本当に有名ですよね。最早ラフカディオ・ハーンの手を離れてるのではないかと思うほど、一般に浸透した昔話となっていますが、その他の話もよく知られているものが多いです。でも知っている物語でも、改めて読むと思っていたのとはまたちょっと違っていてびっくり。例えば「耳なし芳一」は、主人公の芳一は目が見えないので、基本的に視覚的な描写というのがないはずなんですが、これがものすごく映像的なんです。特に芳一が甲冑に身を固めた武者に連れられて「さるやんごとないお方」を訪れる場面。芳一の耳に聞こえてくる音からでも、情景が立ち上ってくるみたい。「雪女」も、子供用の絵本からはちょっと味わえない、しみじみとした哀切感と夢幻的な雰囲気があって素敵だったし...。可笑しかったのは「鏡と鐘」。「ちょっと言いかねる。」で終わってしまうところが絶妙なんですよね~。(これだけじゃあ意味が分からないと思うので、ぜひ読んでみて下さい♪) しみじみとした美しさのある「青柳ものがたり」もとても好きな作品。今回改めて読んでみて、純粋に物語としての面白さが楽しめたのはもちろんのこと、その端々から江戸~明治時代の時代背景を伺い知ることができたのも楽しかったです。そしてラフカディオ・ハーンの再話能力のすばらしさも。この「怪談」の日本的な部分があくまでも日本らしく描かれているのは、ラフカディオ・ハーンはキリスト教に対してそれほどの信頼を置いていなかったというのが大きく関係しているような気もするのですが... どうでしょう。
そして意外な収穫だったのが「虫の研究」。これは虫にまつわる3編のエッセイなんですが、ここでは生まれながらの日本人ではないラフカディオ・ハーンの視点から語られることが、単なる虫に関する意見だけでなく、文化論・文学論にも発展するようなものだけにとても興味深かったです。蟻社会を人間社会に重ね合わせた「蟻」も哲学的だし、どこか近未来小説みたいで(というのは私が「一九八四年」を読んだところだから?)面白かったです。(岩波文庫)

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ゼウスの一族がオリュンポスの神々としてこの世界の統治者となり、天も地も安定し始めた頃。平和が訪れた地上では動物たちも順調に増え続け、そんな動物たちを管理する種族を大地から作り出すことになります。そしてゼウスの意向を受けたプロメテウスが作ったのは、神々と同じような姿の生き物。しかしただ従順な、神々の意志を忠実に実行する知恵を持つだけの種族を作るはずだったのに、プロメテウスの親指から流れた神血のせいで、人間は自分の意志を持つことになってしまったのです。怒るゼウスはプロメテウスを逆さ吊り刑に処し、人間を滅ぼすための大洪水を起こします。しかしただ1人の人間がゼウスの心を変え...。そしてそれからさらに時が流れ、オリュンポスでは今、人間の歴史に神々が介入することの是非を問う会議が開かれていました。

ヘレネとパリス、メネラオスとヘレネ、テレマコスとナウシカア。人間の歴史への神々の介入をかけて行われた賭けは3つ。神々はその賭けに介入を許されていなくて、選び取るのは人間自身... なのですが。

神々同士の会話の場面では、読み始めこそ「あ、こんな話し方するんだ」とか、私自身が以前から持ってた神々のイメージとは少し違ってたりもしたんですが、その辺りはすぐに馴染みました。イメージが違っていているところが、逆に面白かったりもしましたしね。特にモイライ! 私の中ではもう白髪のおばあさんのようなイメージしかなかったので、これは意表を突かれました。可愛い! しかもあのペタペタ、素敵! 読み終えた頃にはすっかりこの世界に愛着がわいてしまっていましたよ。そして、テレマコスとナウシカアのことを書きたいと思ったのがこの作品が生まれるきっかけというだけあって、やっぱりこの3つ目の話が一番読み応えがあって楽しかったです。(「いにしえからの慣わしにしたがって三度」というのは全くの同感だし、最初の2人のエピソードも良かったですけどねっ) ええと、トロイア戦争絡みの1つ目2つ目のエピソードはともかくとして、この3つ目のテレマコスとナウシカアについては、全くのオリジナルですよね...? テレマコスとナウシカアの話ってあるのでしょうか。確かに同じ時代だし、繋がりはあるのに、結び付けて考えたことってなかったなあ。じれったい2人が可愛いったら。
そして読んでいて一番印象に残ったのは、生まれた神々がそれぞれに司るもの、自分に与えられた役割について探るというくだり。その辺りに関しては、実は全然考えたことがなかったんですが、「なるほど~、本当にこんな感じなのかもしれないなあ~」。そしてここで、密かに努力を重ねながらも、それをまったく表に見せないヘルメスがまたいいんですね。作品全体を通しても、特に印象に残ったのはヘルメスでした。光原百合さんご自身もあとがきで「おしゃべりでいたずら好きで気まぐれで、意地悪なところと情け深いところをあわせ持つ」と書いてらっしゃいますが、本当にその通りの様々な表情を見せてくれるヘルメスがとても素敵で、イメージぴったり。そして今まで良いイメージのなかったアレスもまた違った意味で印象的でした。粗野で乱暴で、脳みそが筋肉でできたような戦好きというイメージだったんですが、ヘルメスの思いを読むことによって、また違った視点から捉えられるようになったかも。アレス自身の努力によって変えられたはずの部分ではあるけれど、確かにそういった知恵を持っていないのはアレスの責任ではなく... 哀しい存在ですね。
構想20年、実際に書き始めてから9年、ということで、読んでいてもその意気込みがとても強く感じられる作品でした。楽しかったです♪ 私はギリシャ神話が大好きだからもちろんなんですけど、あまり詳しくない人でも、これはきっと楽しめると思います~。逆にその人の中でのギリシャ神話の基本となってしまうかもしれないですね。(中央公論新社)


+既読の光原百合作品の感想+
「ありがと。 あのころの宝もの十二話」ダ・ヴィンチ編集部編(「届いた絵本」)
オール讀物11月号(文藝春秋)(「扉守」)
小説NON 11月号(祥伝社)(「希望の形」)
小説推理・オール讀物・星星峡(「1-1=1」「クリスマスの夜に」「オー・シャンゼリゼ」)
「最後の願い」光原百合
光原百合ベスト3@My Best Books!
「尾道草紙」尾道大学 創作民話の会
「銀の犬」「親切な海賊」光原百合
オール讀物 2007年10月号(「写想家」)
「嘘つき。 やさしい嘘十話」ダ・ヴィンチ編集部編(「木漏れ陽色の酒」)
オール讀物 2008年11月号(「旅の編み人」)
「新・本格推理 不可能犯罪の饗宴」二階堂黎人編・オール讀物 2009年8月号(「ピアニシモより小さな祈り」「花散る夜に」)
「イオニアの風」光原百合
「扉守 潮ノ道の旅人」光原百合
Livreに、これ以前の作品の感想があります)

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世界がオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国に分裂した近未来の社会。真理省の記録局に勤める党員・ウィンストン・スミスの仕事は、<ビッグ・ブラザー>率いる党の方針転換や様々な出来事によって、次々に変更を余儀なくされる歴史を改竄し続けること。歴史は次から次へと改竄され、しかし改竄された証拠は何ひとつとして残らず、全ての嘘は歴史へと移行したとたんに永遠の昔からの真実とされてしまうのです。そんな体制に、ウィンストン自身、強い不満を抱いていました。そんなある日、ウィンストンに接触してきたのは黒髪の若い美女・ジュリア。ウィンストンはジュリアと恋に落ち、テレスクリーンによる監視や思想警察の目をかいくぐってジュリアと逢い引きを重ね、やがては伝説的な裏切り者が組織したという<ブラザー同盟>に加わることになるのですが...。

ええと、普通は村上春樹さんの「1Q84」からこちらにくる方が多いと思うし、そもそもこの本がハヤカワから新訳で出たのもその流れなんでしょうけど、私はこっちだけ。以前ブラッドベリの「華氏451度」(感想)を読んだ時に、この作品もシャレにならないぐらい怖いという話を聞いて興味を持っていたのでした。しかも現在読破中のハヤカワepi文庫だし!(嬉) その「華氏451度」は1953年に書かれた作品ですが、こちらは1949年に書かれた作品。こちらの方がほんの少し早いですね。典型的なディストピア小説です。
こういう作品を読むといつも思うんですけど... 発表された当時も世論を騒がせたんでしょうけど、実際に書かれた時よりも現代の管理社会の中で読んでこそ、この怖さが実感できるかもしれませんね。近未来として書かれていたことが、実は全然未来の話じゃないってことに気がつかされることが多いんですもん。恐ろしいほどの合致。本を読んだ人が、そこに書かれているものを作り出そうとしたわけでもないでしょうに。たとえば星新一さんの「声の網」(感想)を読んだ時も思ったんですけど、素晴らしいSF作家が書く作品って、未来を恐ろしいほど見通してますね。

この作品は、その「声の網」や「華氏451度」ほど、まさに「今」という感じではなかったのだけど... 実はそうでもないのかな。もう既に「ニュースピーク」とか「二重思考」が生活の中に入り込んでいるのかな。こういう思考的なものって、気がついたらすっかり支配されてるんだろうなと思うと怖いです。ちなみに「ニュースピーク」は、言葉をどんどん単純化・簡素化する新語法。それによって思考をどんどん単純化して、思想犯罪に走れないようにするもの。反政府的な思想を持っても、それを十分に書き表すことができなくなってしまうというわけです。そして「二重思考」は、「戦争は平和なり、自由は隷属なり、無知は力なり」という言葉に代表されるように、矛盾する2つの事柄を同時に等しく信じて受け入れることができるようになること。そもそも歴史を改竄し続ける「真理省」、戦争を生み出し続ける「平和省」、思想犯を拷問にかけて人間性を矯正する「愛情省」という各省の名称自体が二重思考の産物。そして考えてみると、確かにピンチョンが解説に書いているように、現代アメリカの「国防省」もまた、新たな戦争を作り出す省なんですよねえ。ああ、ウィンストンとジュリアの物語自体もまた、そうなのかも。まずこういった高度に思想的な物語の中にロマンスが存在すること自体、二重思考なのかもなんて思ったりもします...。そして「愛すること」の反対は、「無関心なこと」でしょうか。うーん。
来るべき社会の姿を含め、様々なことを考えさせられる作品です。(ハヤカワepi文庫)

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農民たちが啓けていくにつれて失われていく、その土地土地に伝わる数々の素朴な物語。しかし人類は長い間そういった物語を糧にして生きてきたのです。ここに収められているのは、19世紀半ばにジョルジュ・サンド自身がフランス中部ベリー地方の農村に伝わる民間伝承を採集したもの。息子のモーリス・サンドもフランス各地の言い伝えや民謡、伝説を集め、それらのために自ら挿絵を描いており、それらの絵もこの本に収められています。

フランスの代表的な伝説といえば、巨人のガルガンチュワに、下半身が蛇の姿の美しいメリジューヌ、そしてアーサー王伝説... でもここに収められているのは、そういった広く流布した物語でも英雄譚的な立派な物語でもなくて、もっと田園の農民たちが炉辺で語るような、ほんの小さな物語。巨石にまつわる物語や霧女、夜の洗濯女、化け犬、子鬼、森の妖火、狼使い、聖人による悪霊退散... こういうのは、ちょっとした目の錯覚や、聞き間違い、そんなところからも生まれてきたんでしょうね。フランスにおける「遠野物語」という言葉が書かれていましたが、まさにそうかもしれません。どれもごくごく短いあっさりした物語なんですが、それだけに生きた形で伝わってきたというのを強く感じさせます。そういった物語を通して、それらの物語が生まれた土地までもが見えてくるような気がします。素朴で単純だけれど、飽きさせない、噛み締めるほどに奥深い味わいがある、そんな魅力を持っていると思います。それに、特に強く感じさせられるのは田舎の夜の暗闇。やっぱり暗闇というのは、人間の想像力を色々な意味で刺激するものなのですね。そして、ジョルジュ・サンドの「愛の妖精」や「ばらいろの雲」といった作品の背景にもこのような物語が隠されていたんだなあと思うと、それもまた感慨深いものがありますねえ。(岩波文庫)


+既読のジョルジュ・サンド作品の感想+
「愛の妖精」「ばらいろの雲」ジョルジュ・サンド
「フランス田園伝説集」ジョルジュ・サンド

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弁護士のアタスン氏と遠縁のリチャード・エンフィールド氏が恒例の日曜日の散歩をしている時に出たのは、ロンドンの繁華街の裏通りにあるドアの話。それはエンフィールド氏が初めてハイド氏を見かけた場所。早足で歩いていたハイド氏は、懸命に走っていた少女と正面衝突し、倒れた少女の身体を平然と踏みつけたのです。悲鳴をあげている彼女をその場に置き去りして歩み去るハイド氏に、エンフィールド氏は思わずの小男の襟首をつかんで現場に引き立てることに。そして少女の家族とやがて現れた医者と共にハイド氏を非難するのですが...。このハイド氏は、相手に嫌悪感を抱かずにはいさせないタイプの小男でした。

作品を読んだことのない人でも、「ジキルとハイド」といえば知ってますよね。既に有名になりすぎていて、改めて読む気がしないという人も結構いそうです。結構スリリングなサスペンスですごく面白いので、ネタがあまりに有名になってしまってるのが勿体ないなーと思うのですが... ネタを全然知らずに読めば、どきどきワクワクしながら読めるはず。でも有名な作品になってしまうと、ネタばれなしに読むのってほんと難しいですね。という私は、ふと読みたくなって、久しぶりの再読です。中学か高校の時に読んで以来。まあ、その時もネタを知りつつ面白く読んだのですが、今回はさらに面白く読めました。
でも今回ちょっと意外だったのが、というか、すっかり忘れていたのが、ジキルとハイドの分かれ具合。なんとなくカルヴィーノの「まっぷたつの子爵」(感想)のような感じに思ってたんですけど、そうじゃなくて! ジキル博士は確かにいい人なんですけど、それでも若い頃には結構放埓な生活を送っていたという人。ハイド氏が登場した後も、その性格は基本的にまるで変わっていないようです。そもそも、最初に登場する時に「きれいに顔をそった五十歳の博士は、多少狡そうなところもあるが、知性と善意にあふれている」とあるんですね。ここの「多少狡そうなところもあるが」というのが気になるーーー。だってこの時点では既に、なんですもん。ハイド氏のおかげで、悪の部分が抜けきったわけじゃなかったんだ! となれば、そりゃハイド氏の方が純度が高い分(?)強いでしょう。ジキル博士は、世間一般が好人物だと考えている、普通の人間のままなんですもん。
そうか、そうだったのか。この辺り、色々と突っ込んで考えていくと面白そうです。スティーヴンスンは、その辺りのことはどう考えてたのかしら。あまり深く考えていなかったのか、それとも考えつくした結果がこの作品なのか。こういうのって卒論のテーマにもいいかもしれないですね?って卒論を書く予定なんて、実際には全然ないんですけど。(笑)(岩波文庫)


+既読のスティーヴンスン作品の感想+
「新アラビア夜話」スティーヴンスン
「ジーキル博士とハイド氏」スティーヴンスン

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現代、古代のゲルマニアのことについて知ることができる文献といえば、まずユリウス・カエサルの「ガリア戦記」、そしてタキトゥスの「ゲルマーニア」。これは帝政期ローマの歴史家であったタキトゥスによる「ゲルマーニア」です。西暦100年前後に書かれた作品。ゲルマニア地方の風土や、そこに住む様々なゲルマニア系民族の慣習・性質・社会制度・伝承などについて書かれているもの。

いやあ、面白かった! 塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読み進めているので、大体の流れがつかめてるというのが大きいと思うんですけど、ほんと楽しめました。岩波文庫の古典物は基本的に注釈が多いし、これもほんとに注釈のテンコ盛り。時には、注釈ページが章そのものの何倍もの長さの時もあるんですけど! 1章ずつがすごく短くて、その章ごとに注釈が入ってるので、1章読んで続けて注釈を読むと、まるでその章の解題みたいに読めたのも良かったです。
第1部は「ゲルマーニアの土地・習俗」、第2部は「ゲルマーニアの諸族」と分かれていて、「ゲルマーニアの境域」「ゲルマーニアの太古」「ゲルマーニアにおけるヘルクレースとウリクセース」「ゲルマーニーの体質」...などの章が、全部で46章。タキトゥスは実際にゲルマニアを訪れたことがなくて、ここに書かれていることは他者からの伝聞が主らしいし... だから信憑性も疑われていて、実際、ゲルマン民族といいながらケルト民族の話も混ざってたりするんですが、それでもタキトゥスの態度はとてもリベラルだと思うし、何より読み物として面白いから許しちゃう。(許すって)

面白かったのは、ゲルマン民族の金髪碧眼、そして立派な体躯をローマ人(タキトゥスも含めて)が羨んでいたようだということ。そうか、やっぱりそういうのって羨ましいものなんですねー。金髪のカツラなんかもあったみたいですよ! 他民族との婚姻がほとんどなくて、その特徴は純血主義的に保存されていたようです。(それが後の民族主義に繋がるのか、なんて思っちゃうけど) 当時既に爛熟していたローマ人社会とは対照的に、ゲルマン民族は全般的に品行方正な暮らしを営んでいて、不義密通なんかもほとんどなかったようです。破廉恥罪(!)を犯した人物は、頭から簀をかぶせられて泥沼に埋め込まれることに。処罰の執行を見せしめにするべき「犯行」と、隠蔽されるべき「恥行」が区別されてるところも面白いなあ。姦通した女性は、夫によって髪を切られて裸にされて、家を追い出され、鞭を持った夫に村中追い掛け回されたんだとか...。夫を失った女性が再婚ということも、まずなかったようです。でもゲルマン民族といえば、ドイツ人のあの勤勉なイメージが思い浮かぶんですけど、この頃はまだ全然みたい。ゲルマン人の1日は日没に始まって翌日の日没に終り(宴会がメインなのか)、成人男性が好きなのは狩、そして戦争。何もない時はひたすら惰眠をむさぼる生活。朝起きればまず沐浴して食事。ビールやワインを好み、タキトゥスも「彼等は渇き(飲酒)に対して節制がない。もしそれ、彼等の欲するだけを給することによって、その酒癖をほしいままにせしめるなら、彼等は武器によるより、はるかに容易に、その悪癖によって征服されるであろう」(P.108)なんて書いているほど。

巫女のウェレダのエピソードは、密偵ファルコシリーズにも登場してたので懐かしかったし、ゲルマン神話のヴォーダン(北欧神話のオーディン)が、風の神であり、飛業、疾行の神であり、死霊の軍を率いる神だからと、ローマ神話ではそれほど地位の高くない印象のメルクリウス(ギリシャ神話のヘルメス)になぞらえられているのも可笑しいし。(ヘルメスって一応十二神に入るけど、下っ端の使いっ走りのイメージなんだもん ←私は好きなんですけどね) それにオデュッセウスがその漂泊の間に北海やバルト海の方まで流されて、ゲルマーニアの土地を踏んだことがあるんだとか...。オデュッセウス自身の手によって神にささげられた神壇や、ギリシャ文字を彫りこんだ記念碑まで残っているとは、びっくりびっくり。タキトゥス自身は、「わたくしには、こういう事柄を、一々証拠をあげて立証るす気もなければ、敢えてまたこれを否認する心もない。要は人々、各々その性に従い、あるいは信を措き、あるいは措かなければよいのであろう」(P.36~37)と書いてるんですけどね。(この人のこういう態度が好きなんです)
それにしても感じるのは、ローマ人はゲルマン民族にいずれやられるだろうとタキトゥスが強い危惧を抱いていること。悲観的と言ってしまえばそれまでだけど、爛熟・腐敗したローマに対して、素朴な力強さのあるゲルマーニアを認め、賛美しているように感じられる時もありました。ゲルマン民族はタキトゥスにとって「高貴な野蛮人」だったんですね。 (岩波文庫)

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ある日、何か変わったことをやってみたい、新奇なものに接したい、大洋の果てにどんな人種がいるか調べてみたいという考えをおこした「私」は、50人の若者や最上等の舵取りを集め、食料や水、武器を揃え、「ヘラクレス」の柱を出発します... という「本当の話」他、全10編の短編集。

80編以上あるというルキアノスの短編のうち10編を収めた短編集。
この中でまず面白いのは、やっぱりまず表題作の「本当の話」! これはルキアノス本領発揮の対話式ではなくて、一人称の叙述で書かれている旅行記なんですが、もうほんとスバラシイー。元々は、この頃よく書かれてた突拍子もない旅行譚の上をいくパロディを書こうという意図のもとに書かれた作品なのだそうで... いやあ、ここからしてルキアノスらしいわ! この題名「本当の話」というのは、「この中には本当のことは何一つない」という文章を受けての「本当の話」ということなんです。ふふふ。
まるで「アルゴナウティカ」(感想)みたいに若者50人を連れて出立したルキアノス。「ヘラクレス及びデュオニュッソス神到来の地点」では、ぶどう酒の川や岩の上の巨大な足跡を見つけたり(ぶどう酒の川にいる魚の内臓には酒粕が詰まっていて、そのままでは酒気が強すぎて食べると酔っ払ってしまうらしい)、ダフネーのように半分木で半分人間の女性を見つけたり(そういう木に仲間が誘惑されて、その仲間も木になってしまう)、つむじ風に巻き込まれて船ごと月に行くことになって、月に味方をして太陽と戦争をしたり、ようやく地球に戻るものの、船ごと鯨に飲み込まれたり、鯨のおなかを脱出した後は、水平線の彼方の「神仙の島」に辿り着いたり。
まあ、ルキアノスよりも前にホメロスの「オデュッセイア」(感想)があるので、先駆者ってわけでもないんですけど、そういうのが好きな人には絶対オススメ。後世のシラノ・ド・ベルジュラックの「月世界旅行記」(感想)とか、スウィフトの「ガリバー旅行記」とか、「ほらふき男爵の冒険」とか... アリオストの「狂えるオルランド」(感想)とか、ダンテの「神曲」(感想)とか! そんな作品に多大な影響を与えているはず。実際、似たような場面もちらほらと~。きっとみんな愛読してたのね。(笑)
ホメロスといえば、ルキアノスが神仙の島でホメロスと出会って、本当の生国がどこなのか聞いたり、作品の真偽を疑われている部分を確かめたり、なんでイーリアスをアキレウスの憤怒から書き始めたのか質問したり(聞いてみたい気持ち、私にもよく分かるよ!)、そんな部分がまた面白いんです。作品の真偽に関しては、近代に言われ始めたことなのかと思ってたんですが、ルキアノスの時代にも既にそういう疑問はあったのか!

他にも「空を飛ぶメニッポス」では天界、「メニッポス」では地獄への旅が再度登場するし... ソフォクレスの「オイディプス王」は世界初のミステリだと思ったけど、これはきっと世界初のSF作品ですね。その他の作品もそれぞれ面白いです。「哲学諸派の売立て」と「漁師」も2作セットで面白かったし。ただ、ギリシャの哲学者たちについての私の知識が浅くて、堪能しきれずに終わってしまった部分も... その辺りを勉強し直して、いずれ再読したいなー。(ちくま文庫)


+既読のルキアノス作品の感想+
「神々の対話」ルーキアーノス
「遊女の対話」ルーキアーノス
「本当の話」ルキアノス

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北海道登別市出身のアイヌ民族で、15歳の時に言語学者の金田一京助氏出会ったのがきっかけで、アイヌとしての自信と誇りに目覚めたという知里幸惠さん。その知里幸惠さんが、アイヌ民族の間で口伝えに謡い継がれてきたユーカラの中から神謡13篇を選び、元となるアイヌ語の謡をローマ字で表記、その日本語訳をつけて出したのが、この「アイヌ神謡集」。医者から絶対安静を言われていたにもかかわらず、病気をおして翻訳・編集・推敲作業を続けた知里幸惠さんは、完成したその日に、持病の心臓病のためにわずか19歳で亡くなったのだそうです。金田一京助氏、そして幸惠さん自身の弟で言語学者の知里真志保さんによる解説付き。

アイヌ文学には韻文の物語と散文の物語があり、そのうちの韻文の物語がユーカラ(詞曲)と呼ばれる叙事詩のこと。そしてそのユーカラはさらに、「神のユーカラ」(神謡)と「人間のユーカラ」(英雄詞曲)に分けられ、狭義の「神のユーカラ」は動物神や植物神、自然神が登場して自らの体験を語る「カムイユカル」、広義の「神のユーカラ」は、そこに文化神・オイナカムイが主人公として現れて自らの体験を語る「オイナ」が加わったもの。この本に収められているのは、狭義の「神のユーカラ」13篇。文字をもたないアイヌ民族の間では、口承で伝えられてきたものです。

もう、もう、最初の「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」という言葉から引き込まれました。なんて美しい...! こういった言葉が謡の中で何度も繰り返されて、そのリズムの良さもとても印象的です。アイヌ語で謡われても、きっととても美しいものなんでしょうね。この本は対訳となっているので、ローマ字表記のアイヌ語を自分で読み、その音を確かめることができるはずなのですが... これがなかなか難しく... やっぱり一度きちんとした朗読を聴いてみないとダメかも。ああ、聴いてみたいなあ。
そして内容的にもとても面白いのです。アイヌの神(カムイですね)というのは、神々の世界にいる時は人間と同じ姿をしてるのに、人間の世界に来る時は、それぞれに違う姿をまとうんですね。この本に収められた作品群では、ほとんど動物の姿になっています。神が宿っていても、だからとても強いというのはないようで、普通の動物と同じように時には捕らえられ、食料として調理されてしまうこと。そしてそんな時、神はその動物の耳と耳の間に存在して、自分の宿る動物の体が切り刻まれたり調理されていくのを見てるんです! 世界の民話でも、こういうのは珍しいんじゃないかしら。そして人々は、神々が宿っているという前提のもとに、その動物が自分たちのところに来てくれたと考えて、その体を丁寧に扱って、利用できるものは利用し、感謝して、神々の国に戻ってもらうことになります。(この辺りは、神話的社会によくありますね) もちろん、良い神々ばかりとは限りません。悪い心を起こしたためにその報いを受けて死後反省することになる神々もいます。(これはとっても民話っぽい)
でもどの謡も、読んでいると広い大自然を感じさせるのが共通点。アイヌたちが自分たちのあるがまま生きていた時代。自分たちの文化に誇りを持っていた時代。かつてアイヌたちが自由の天地で「天真爛漫な稚児の様に」楽しく幸せに生きていた時代を懐かしむ、知里幸惠さん自身による序もとても印象に残ります。

で、この「アイヌ神謡集」がとても良かったので、勢いにのって、以前購入していた「ユーカラ アイヌ叙事詩」も読んだんですが... こちらは動物神だけじゃなくて色んな神々の謡が18編収められているし、英雄のユーカラも。こちらにも金田一 京助氏が絡んでるので、「アイヌ神謡集」とは全然重なってなくて、それも良かったんですが... こちらの旧字旧仮名遣いが... よ、読めない...(涙)
一応全部読んだんですけど、理解できたとは言いがたく。平凡社ライブラリーから出てる「カムイ・ユーカラ アイヌ・ラッ・クル伝」でリベンジするべきなのかしらー。はああ。(岩波文庫)

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・セイレーン、マーメイド、魔性の女、異教のヴィーナス、誘惑する水界の魔女など、可憐で妖艶な水の女たちを集めた異色の画集。ラファエル前派や世紀末の画家たちが描いた、19世紀ロマン主義の官能と退廃。...「水の女 From the Deep Waters」
・真夏の光のもとで、永遠の眠りの魔に囚われる女。いばらの森で王子の目覚めの口づけを待つ眠り姫。恋に溶けたからだの微熱のなかでまどろむダナエ。夜の虚空に愛された「夢魔」の女。地と天を結ぶ一弦の糸に耳を澄まし、無力に哀切に目を閉じる少女。ウォーターハウス、クリムト、デルヴィル、フュスリ他、収録画多数。...「眠る女 Sleeping Beauty」
・19世紀末―爛熟した美と退廃の時代、現実に倦みはてた人々が生み出した、聖であり、邪でもあり、純真で残酷で、類い稀に美しい「黄泉の女」たちの多彩なイメージを、繊細に編み上げて、世紀末をあざやかに映し込めた異色の画集。ベルギー象徴派やラファエル前派の画家たちが描いた珠玉の44作品をフルカラーにて収録。...「黄泉の女 To the End of the World」

出版社の案内をそのまま引用してしまいましたが...
この3冊は以前リブロポートという出版社から「A Treville Book」シリーズの本として刊行されていた本。その後リブロポートが倒産、「水の女」だけは河出書房新社から3年ほど前に復刊されて私も買ってたんですよね。で、「眠る女」と「黄泉の女」もいずれ復刊されるだろうと思って待ってたんですが、全然その気配がなくて! 結局ネットで探して購入してしまいましたよー。定価以下では買ってるけど、でもやっぱりお財布はイタイ。でもでもその価値はありました。いや、もう本当に、美しい!!
特にラファエル前派はやっぱり素敵。大好き。

まず「水の女」は、「Sights of Water」「Water Nymphs」「From the Deep」「Water Blooms」の4章。主に題材となっているのは、「ハムレット」のオフィーリアや「テンペスト」のミランダ、アーサー王伝説のエレインや、マーリンが心を奪われるニムエ、ヘラクレスの従者のヒュラスを誘惑したり、オルフェウスの首を見つけるニンフたち。キルケー、ケルピー、マーメイド、セイレーンなどなど。オフィーリアだけでも7枚ありますしね。ここに収められていない絵もまだまだあるはず。文学作品が画家に与えるインスピレーションというのは、すごいものがあるんでしょうね。アーサー王伝説のエレインも4枚あるし。特にウォーターハウスの「シャロットの女」は素晴らしく、高宮利行さんによる解説も素晴らしいので、テニスンの「シャロット姫」はもちろんのこと、夏目漱石の「薤露行」(感想)も読み返したくなります。さらには、そういった文学作品から派生していない絵画ですら、どの絵からも物語が立ち上ってくるように感じられるのが素晴らしいです。
一番好きなのは、ポール・ドラローシュの「若き殉教者」。ウォーターハウスの「ヒュラスと妖精たち」も素敵。このニンフたちが本当に美しくて。(どのニンフを見ても、顎がジェーン・モリスに見えてしまうのだけど。笑)

「眠る女」は、「Flaming June」「Sleeping Princess」「The Nightmare」「Hope」の4章。こちらにも「Sleeping Princess」という章題からも想像できるように「いばら姫」「眠りの森の美女」といったモチーフはありますし、金色の雨を浴びながら眠るダナエや、「神曲」のパオロとフランチェスカもいるのですが、こちらでは、文学作品から触発された作品というのは、あまり多くなかったです。
山田登世子さんによる解説の最初に「《美しいもの》はすべて眠る」という、E.A.ポーの「眠る女」からの引用がありました。ここに描かれているのは、眠っている間に時を止められてしまった女性たち。永遠の眠りはたたただ甘美で... 彼女たちはそのまどろみの中で、その美しさを永遠に保つことになるのですね。「水の女」とはまた違い、絵から物語を感じるというよりも、絵の中に描かれている女性と一緒になって、その永遠の眠りの中をたゆとう存在となってしまいたくなる画集。この中で一番好きなのは、フレデリック・レイトン卿の「燃えあがる六月」。あと特に好きなのは、ジョン・エヴァレット・ミレイの「二度目のお説教」、フランク・カドガン・クーパーの「眠るタイターニア "真夏の夜の夢"より」辺り。

そして3冊目の「黄泉の女」は、「Love and Life」「Wounded Angel」「Punishment of Lust」「Night with her Train of Stars」の4章。こちらはまた、キューピッドとプシケーや、エンディミオン、オルフェウスとエウリュディケ、ペルセポネ、メデア、スフィンクスといったギリシャ神話系のモチーフが多いです。あと目につくのはエデンの園のイメージ。滝本誠さんの解説を読んで、ジョヴァンニ・セガンティーニの「よこしまの母たち」の読み解き方になるほど~。ここにはあと「淫蕩の罪」しかないけど、これもなんだか繋がった物語のように感じられるし、他の作品も色々と見てみたくなっちゃうなあ。
そしてこの本で一番好きなのは、ソフィー・アンダーソンの「ニンフの頭部」。あとは表紙にもなっているエドワード・ロバート・ヒューズ「夜と星の列車」もすごく素敵だし、フランク・カドガン・クーパーの「ラプンツェル」には意表を突かれました。この表情、すごいな。

3冊の中ではやっぱり「水の女」が一番好きでしょうかー。最初に入手したというのもあるでしょうし、「水の女」というのが今の私の隠しテーマ(別に隠してません)になってるので、それもあるでしょう。この本が一番、そのテーマに焦点が合ってると感じるというのも。でも「水」と「眠り」と「死」は、同じ事象に対するまた違う表現に過ぎないようにも思うし、結局のところは、切っても切り離せない存在かも。どれも何度も何度もめくっては、ため息をつきながら見入ってしまう画集です。(河出書房新社・リブロポート)


 
左は3冊一緒に撮ったところ。「水の女」だけは復刊されたものだけど、元々のデザインのままなので3冊揃えてもまるで違和感がありません。素敵でしょう?
右はポール・ドラローシュの「若き殉教者」。この人はラファエル前派じゃなくてロマン派。

 
左がフレデリック・レイトン卿の「燃えあがる六月」。このオレンジ色にノックアウト。
右はソフィー・アンダーソンの「ニンフの頭部」。タイトルがイマイチなんだけど...(笑)

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遊女たちによる15の会話「遊女の対話」他、全4編の短篇集。

んんー、先日読んだ「神々の対話」の方が断然面白かったなと思いつつ...
まあ、こちらも対話形式の表題作「遊女の対話」が、結構面白かったんですけどね。ええと、遊女とはいっても、古代ギリシャにおける遊女は、結構きちんと認められた存在だったようです。古代ギリシャ時代は、食料品の買い物ですら男性の仕事。一般女性はひたすら家の中にいて、つつましく家庭を守り夫を助けるべき存在。特に年頃の娘の顔などは何かの祭礼の折に垣間見るしかない! そのため、宴会などで場を取り持つのは、もっぱら遊女の仕事。でも男性と対等に会話を交わすためには、相当の才能と知恵と教養が必要となり、次第に男性顔負けの教養を身につけた才気溢れる遊女が登場することに... というと、なんだかまるで江戸時代の花魁みたいですね。で、職業柄卑しめられるどころか、むしろその美貌と才能によって自由に華やかに生きている女性として、もてはやされる存在だったんだとか。(うーん、「遊女」という言葉じゃない方が良かったような気もする...)
でもこの「遊女たちの会話」に登場しているのは、そこまでの高級遊女ではなくて、もっと一般的な遊女たち。遣り手婆にいいようにされてたり、男どもの甘言に惑わされながらも、逞しく生きていく女性たち。時にはそんな彼女たちを一途に愛する男性もいるんですが、大抵の男たちは彼女たちの手練手管に鼻の下を伸ばし、都合のいいことばかりを言ってるんですね。まあ、女性たちだって、あの手この手で男性をしっかりつかまえておこうとするんだけど。国が違っても、時代が違っても、男女の間のやりとりは同じなんだなあ。心変わりや嫉妬、取った取られた結婚するしないなんて騒ぎとか、自分を魅力的に見せるテクニックや、恋を成就させるためのおまじない。その辺りが可笑しいです。やっぱりルキアノスって、ショートコントの才能があったと思うわー。
でもあとの3編は... 「嘘好き、または懐疑者」はまだしも、「偽予言者アレクサンドロス」「ペレグリーノスの昇天」は今ひとつ。どちらも実在の人物だそうなんですけどね。私にはその面白みがあんまりよく分からなくて、残念でした。(岩波文庫)


+既読のルキアノス作品の感想+
「神々の対話」ルーキアーノス
「遊女の対話」ルーキアーノス
「本当の話 ルキアノス短篇集」ルキアノス

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江戸時代。旗本・飯島平左衛門の邸では、正妻亡き後、妾のお国が幅を利かせるようになり、お国と正妻腹の娘・お露との仲は険悪に。そのためお露は女中のお米と共に邸を出て、平左衛門が購入した寮に別居することになります。そして、そんな2人をある日訪れたのは、顔馴染みの医者・山本志丈と、志丈に連れられて来た浪人の萩原新三郎。現在21歳でまだ妻帯していない新三郎はすこぶる美男。お露は新三郎に、新三郎もお露に心を奪われます。しかしなかなか会う機会もないまま、お露は新三郎に焦れ死。お露が亡くなったと聞いて、嘆き悲しむ新三郎。しかしそれから間もなく、新三郎はお米に再会。2人とも元気だったと知り、喜びます。そしてお露は女中のお米と共に、牡丹灯籠を手に毎晩のように通うようになり...。しかし新三郎の世話をしている関口屋伴蔵がこっそり蚊帳を覗くと、そこにいたのは幽霊としか思えない女を抱く新三郎の姿。このままでは命がないと知った新三郎は、良石和尚から金無垢の海音如来をもらい首にかけ、家には魔除けの札を張るのですが...。

人情噺や怪談噺が得意だったという初代三遊亭円朝による創作落語。これは中国明代の小説集「剪灯新話」に収録されている「牡丹燈記」が、落語の演目のために翻案されたもの。でも本来の「牡丹燈記」に由来する部分は全体から見るとほんの僅かなんですね。そのほとんどは円朝自身が作り上げた物語。今や「四谷怪談」や「皿屋敷」と並んで、日本三大怪談とされているんだそうなんですが。
実際に演じられた落語の速記をとって、それを本に仕立てたというものだという説明が序にあるんですが、落語ならではのテンポの良い台詞回しや滑らかな物語の展開がまず見事。怪談としての本筋と言えるお露と新三郎の物語に、飯島家のお家騒動や敵討ち、供蔵とその女房・お峰の因果噺が絡んで、物語は重層的に展開していきます。これほどまでに分厚い物語だったとはびっくりー。私はてっきり怪談部分だけなのかと思ってましたよ。でもその主役のはずの怪談自体は、正直それほど怖くなくて... やっぱり生きている人間の方がよっぽど怖いですね。男と女の色と欲、忠義と裏切り、そして殺人。1つの物語にこれだけのものが盛り込まれて、それでいて最後には綺麗にまとまるというのもすごいなー。これこそが名人の語り口というものでしょうか。落語にしては相当長い話なんじゃないかなと思うんですけど、きっと聞いてた人はもう本当に聞き入ってしまったでしょうね。実際に演じられた高座が見てみたくなるし、今はもう円朝自身による語りが見られないのがとっても残念。いや、他の落語家さんの語りでもいいんですけどね。今度やってるのをみつけたら、ぜひ聞いてみなくては!(岩波文庫)

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くさいろの童話集

Amazonで購入
書評/SF&ファンタジー

東京創元社で刊行中のラング童話集の11冊目。今回も献本で頂きました。感謝。

今回多かったのは、西アジアのお話。全20編のうち、トルコが3つ、パンジャブが3つ、アルメニアが4つ。トルコはギリシャの右隣、アジアの始まりと言ってもいい位置だし、アルメニアはそのまた右隣。そしてパンジャブという国は今はありませんが、インドの北西でパキスタンの北東... これは西アジアとは言えないかもしれませんが、それほど離れているわけでもないですよね。あと出典が不詳とはなっていても、明らかにこの辺りのお話だというのもいくつか。ラクダが出てきたり、街中に出たのがジャッカルなのかトラなのか言い争っていたり、まさにインドが舞台となっていたり。
それでもやっぱりどこかで読んだことがあるようなお話が多くて... 核となるお話は一緒でも、それぞれの地域や国の特色がでてるのがまた楽しいところなんですが、こういう民間に伝わってきた昔話は、ほんと世界中共通してるんだなと再認識しますね。アンドルー・ラング自身は神話や伝説、民話の研究で有名な民俗学者だったそうなんですけど、そういった民話の世界的な流れなんかは研究しなかったのかしら。この12色の童話集に関しても、結局のところは採取して紹介しただけなのかな? でも先日読んだ「妖精の誕生」も、当時としては国境を越えた妖精の研究というのがとても珍しかったそうなので、こちらも全世界にわたる民話の採取という時点で、本当に貴重だったんでしょうね、きっと。

今回ちょっと気になったのは、トルコの昔話だという「物言わぬ王女」。ここに登場する王女さまは、美しすぎて常に7枚のベールで顔をかくし、一言も口をきかない王女さま。この王女に口をきかせることができれば、王女と結婚できるけれど、失敗したら命がない、という危ない話。結局王子が人間の言葉を話すナイチンゲールの助けを借りて、3度王女に口をきかせることに成功するんですけど... 1回口をきくたびに、どうやらベールが破れるらしくて、王女は口をきいてしまった自分に怒り狂うんですね。この「口をきかない」というのは、王女の意地だったのかしら? それとも何かの呪い? そして7枚のベールの意味は? 7枚のベールをしていても王女の頬と唇の色が漏れ出して、歩いて3ヶ月半もかかる山肌に美しい赤みがさしてるほどなんですけど、そんなキョーレツな美貌を隠すベールがはがれた時、王子さまの目は大丈夫だったんでしょうか?(笑) この話もとても面白かったんだけど、きっとかなり省略されちゃってるんだろうなあ。ここには書かれていない部分がものすごーく気になります。

この「くさいろの童話集」、原題は「TALES FROM THE OLIVE FAIRY BOOK」。草じゃなくて、オリーブ!(笑)
ちなみにここまでは「あお」「あか」「みどり」「きいろ」「ももいろ」「はいいろ」「むらさき」「べにいろ」「ちゃいろ」「だいだいいろ」「くさいろ」で、原題はそれぞれ「BLUE」「RED」「GREEN」「YELLOW」「PINK」「GRAY」「VIOLET」「CRIMSON」「BROWN」「ORANGE」「OLIVE」。まあ、大抵はそのままなんですけどね。さて最後の12冊目は「ふじいろ」で、原題は「LILAC」。全12巻なんて、読む前は気が遠くなりそうだったけど、案外早かったかも。残すところ、あと1冊だけなんですものねえ。(東京創元社)


+シリーズ既刊の感想+(東京創元社版)
「あおいろの童話集」「あかいろの童話集」アンドルー・ラング編
「みどりいろの童話集」アンドルー・ラング編
「きいろの童話集」アンドルー・ラング編
「ももいろの童話集」アンドルー・ラング編
「はいいろの童話集」アンドルー・ラング編
「むらさきいろの童話集」アンドルー・ラング編
「べにいろの童話集」アンドルー・ラング編
「ちゃいろの童話集」アンドルー・ラング編
「だいだいいろの童話集」アンドルー・ラング編
「くさいろの童話集」アンドルー・ラング編

+シリーズ既刊の感想+(偕成社文庫版)
「みどりいろの童話集」「ばらいろの童話集」アンドルー・ラング

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丁度春になろうとしているベネチア。カフェバンドも一週間前から戸外で演奏するようになっていたある朝、ヤネクは観光客に混じって座っているトニー・ガードナーを見かけます。トニー・ガードナーはヤネクの母が大好きだった歌手。共産圏の国でレコードの入手が難しかったにもかかわらず、ほぼ全てのLPを持っていたほどだったのです... という「老歌手」他、全5編の短編集

カズオ・イシグロ初の短編集。でも短編集とは言っても、その主題はどれも同じ。カズオ・イシグロは、本書全体を五楽章からなる一曲として味わってもらうために、これらの5作品を全て書き下ろしたのだそうです。「ぜひ五篇を一つのものとして味わってほしい」とのこと。
確かにこれは、主題が繰り返し変奏され続けていく一編の音楽のような作品ですね。男と女の間にあるもの、そして人生の黄昏。副題に「音楽と夕暮れをめぐる~」とありますけど、ここでの「夕暮れ」は、一日のうちの時間的なものももちろんあるんですが、むしろ人生そのものにおける「夕暮れ」を意味しているのでしょうし... そして登場人物たちは文字通り音楽を演奏したり聴くことを好んでるんですが、ここでの「音楽」とは、この作品そのものなんでしょう。ジャズでもクラシックでも、1つのテーマが形を変えながら何度も登場すること、ありますよね。まさにあれです。
5編のうち、一番印象に残ったのは最初の「老歌手」。始まりはどうだったであれ、今は深く愛し合っている彼らの姿に人生を感じます。甘やかなほろ苦さと、ふとよぎる切ない哀しさ。そしてこの「老歌手」に登場するリンディ・ガードナーは、表題作「夜想曲」に再登場。どれもそれぞれに良かったんだけど、この2編が一番好きだったな。(早川書房)


+既読のカズオ・イシグロ作品の感想+
「日の名残り」カズオ・イシグロ
「遠い山なみの光」カズオ・イシグロ
「わたしたちが孤児だったころ」カズオ・イシグロ
「浮世の画家」カズオ・イシグロ
「私を離さないで」カズオ・イシグロ
「充たされざる者」カズオ・イシグロ
「夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」カズオ・イシグロ

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美味しいものを食べるのが大好きで、美味しそうな食べ物が出てくる場面を書くのも読むのも大好きだという上橋菜穂子さん。子供の頃から大好きな物語にどんな食べ物が登場したか話し始めたら止まらないぐらいだといいます。そんな上橋さんでも、守り人シリーズや「狐笛のかなた」「獣の奏者」の料理本を作ろうと言われた時は、戸惑ったのだそう。なぜなら、それらの料理は異世界の料理。材料となる魚も肉も実も香辛料もこの世にはないのです。しかし創意工夫が得意な料理人たちによる「チーム北海道」が結成され、物語世界の料理の実現へと動き出します。簡単に手に入る材料を使いながらも創意工夫によって生み出された料理は、きっと物語の中に登場した料理の味に近いはず。そんな数々の料理をレシピ付きで紹介していく本です。

「これがなくっちゃ」「ガッツリいきたい」「ちょいと一口」「心温まる一品」「旅のお供に」「甘いお楽しみ」の6章で紹介される料理は30品目以上。題名こそ「バルサの食卓」ですが、「守り人」シリーズだけでなく、「孤笛のかなた」や「獣の奏者」の食事のシーンも取り上げられています。
物語の一節の引用があって、そして上橋菜穂子さんのエッセイ。子供の頃の思い出からフィールドワークに出ている時の体験談、世界各地を旅した時のエピソード、作品を執筆していた時の思い出。そもそも私はあまり便乗本というのは好きではないし、美味しいものへの欲求もそれほど強くないし、そもそも料理本を作ろうなんて、いかにも~な企画じゃないですか。(失礼な物言いですが) でも、これは思ってた以上に良かったです。料理の写真もとてもいいと思うし、料理そのものも、素朴な物語の世界観をきちんと反映していると思いますね。異世界の料理の割に、どこの家庭にでもありそうな身近な和風素材を使ってるのがアレなんですが... 例えば、もっと東南アジア系の香辛料とか使っても良かったと思うんですが、まあ、身近な素材を使って作る異世界料理というのもアリなんだろうな。その分、レシピとして活用しやすいですしね。それに上橋菜穂子さんのエッセイ部分が、それほど長くはないんだけど、読んでいると物語世界の奥行きをさらに広げてくれるようで良かったです。便乗本であることは確かだとしても、きちんと地に足がついた便乗本というか。(やっぱり失礼な物言いかしら) 正直半信半疑で手に取った本だったんですけど、ちょっとほっとしました。
そして一番食べてみたくなったのは「ノギ屋の鳥飯」と「タンダの山菜鍋」! やっぱり作品の影響か、素朴なものに惹かれます。これなら気軽に作れそう。(ということは、やっぱり身近な素材というのが大きいんだな)(新潮文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「精霊の守り人」「闇の守り人」「夢の守り人」......ブログには感想がないので、よろしければLivreへどうぞ
「虚空の旅人」「神の守り人 来訪編」「神の守り人 帰還編」「蒼路の旅人」上橋菜穂子
「天と地の守り人」1~3 上橋菜穂子
「流れ行く者 守り人短編集」上橋菜穂子
「バルサの食卓」上橋菜穂子・チーム北海道

+既読の上橋菜穂子作品の感想+
「獣の奏者」1・2 上橋菜穂子
Livreに「狐笛のかなた」の感想があります

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日々身の回りでおきる様々な現象や出来事を見ると、何か知性のある存在の仕業と思い込みたくなるのが人間の常。深遠な哲学者がその原因と結果の連鎖を果てしなく辿っていくと、最後には「神」とも呼ばれるもっとも偉大な知性にまでさかのぼることになりますが、大抵は、先祖代々受け継いできた信仰が存在を認めているものを直接の原因とみなすことになります。そしてその「先祖代々受け継いできた信仰が存在を認めているもの」こそが、人間と共にこの大地に住む存在であるフェアリー。フェアリーという概念やその言葉の起源、そしてフェアリーの物語がどのようにして生まれ、伝わっていったか。ペルシアやアラビアといった東洋のフェアリー物語に始まり、ヨーロッパのほとんど全土のフェアリーの特徴が国別・地域別に、伝説や民話の紹介を交えて紹介していく本です。

ヤコブ・グリムやゲーテも賞賛したというこの本は、19世紀に書かれた本。オクトパス・ブック社の「魔術と迷信の百科」のフェアリーの項にも「世界中のフェアリーの特徴を調べたい人は、トマス・カイトリーが書いた『フェアリーの神話学』を読むことからはじめるのがいちばんよい。これは百年以上も前に書かれたが、今なおきわめて価値の高い本である」なんて書かれているのだそう。もちろんその本が出版されてから相当時間が経ってると思うんですが、それでも今なお入門書として相応しい本かも。今でこそ、世界各地の妖精に関してまとめてる本が簡単に手に入るけど、19世紀にこういった本があったというのはやっぱり驚きだし... 日本人は割と総括的な本を好むから、井村君江さん辺りがまとめてくれるけど、外国ではもしかしたら今でも全世界のフェアリーを包括的に見る本ってそれほど多くないのでは、なんて思うんですが... どうでしょう。

トマス・カイトリーのフェアリー論で面白いのは、フェアリーを大きく2つに分けていること。それは「ロマンスのフェアリー」と「民間信仰のフェアリー」。
「ロマンスのフェアリー」として紹介されているのは、ペルシアやアラビアといった東洋のロマンス、そしてそれらの東洋のロマンスが伝わったのではないかと考えられるヨーロッパのロマンス。ロマンスと言うと分かりにくいけど、要するに文学の中に見るフェアリーですね。ヨーロッパのロマンスにはギリシャ・ローマの古典や東洋的なフェアリーのほかに、ケルト神話に見られるようなフェアリーも加わって、アーサー王と円卓の騎士、シャルルマーニュと十二勇士、そしてスペインに流布したアマディスとパルメリンもののような中世の騎士道ロマンスが登場します。そしてスペンサーによる「妖精の女王」。こちらのフェアリーは、ほとんど人間と同じ。超人的能力を授けられてはいるものの、結局のところは死すべき人間に過ぎない存在。
そして「民間信仰のフェアリー」は、森、野原、山、洞穴など自然の中に住む精霊や、人間の家に住みつく精霊。「日々身の回りでおきる様々な現象や出来事を見ると、何か知性のある存在の仕業と思い込みたくなる」... というまさにその作用から生まれた存在ですね。妖精を現在のような可愛らしい姿に変えてしまったのはシェイクスピアだ、ということは以前読んだ覚えがあるんですが、ここでも、そんな可愛らしいだけではない妖精の姿が色々と描き出されていきます。

今となってしまっては、それほど目新しいことが書かれているわけではなかったんだけど、なんだかギリシャ人の想像力の豊かさを再認識させられますね。例えば薔薇について。イスラムの教授たちは、予言者マホメットの聖なる肉体から発散した湿気から生まれたとしているようなんですが、ギリシャ神話では、ヴィーナスが裸足で森や草地を走った時に流れた血に染まって赤い薔薇が生まれたとしてるんですよね。ノルウェーやスウェーデンでは人間の声を真似てからかう小人の仕業とされる木霊は、ギリシャ神話では恋に憧れるニンフによるもの。ロマンティックな想像力がたっぷり。
この「妖精の誕生」は、同じく現代教養文庫の「フェアリーのおくりもの」とセットで1冊みたいですね。その2冊でトマス・カイトリーの「フェアリーの神話学」のほぼ全訳となるようです。そちらも読んでみなくてはー。(現代教養文庫)


+既読のトマス・カイトリー作品の感想+
「妖精の誕生 フェアリー神話学」トマス・カイトリー
「妖精のおくりもの 世界妖精民話集」トマス・カイトリー

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「子どものころに読んだあの絵本から 大人の心に響く名作絵本まで 今だから読みたい100冊」ということで、「晴れた日に」「つまずいた日に」「泣きたい日に」という3章に分けて100冊の絵本を紹介していく本。

先日書店をうろうろしていた時に目に留まって、あまりの可愛らしさに思わず買ってしまいましたー。(値段はそれほど可愛くないんだけど・笑) だってsalvia っぽい色合いの本のデザインといい、紹介されてる絵本といい... 「晴れた日に」の章からして、「ぐりとぐら」「そらいろのたね」「ももいろのきりん」「まりーちゃんとひつじ」に始まって、「こねこのぴっち」とか「あおい目のこねこ」とか、私自身が子供の頃から大好きだった絵本がいっぱい! そして大人になってから知った「ふたりはともだち」とか「バムとケロのおかいもの」とか「オリビア」とか! すごーくすごーく気になってるのに、まだ実物を手にしていない「郵便屋さんの話」とか! そしてバーバラ・クーニーやレオ=レオニの絵本は「つまづいた日に」に紹介されてました「ちいさいおうち」もそう。「ルリユールおじさん」や「ピアノ調律師」も。酒井駒子さんやエリック・カールの絵本は「泣きたい日に」。
しかもこの本、本の表紙だけでなく、ページを開いたとこもカラーで載ってるのが嬉しいんですよね。うひゃーん、未読の絵本も、あれもこれも読んでみたくなっちゃう! 柳田邦男さんの「砂漠でみつけた一冊の絵本」(感想)を読んだ時にも色々と読みたい絵本が出てきたのに、そういえばまだそのうち半分ぐらいしか読んでなかったのでした... 今度こそ読まねば~。
そして東京にある絵本専門のお店も5軒紹介されていて、どのお店もそれぞれに素敵。特に惹かれたのは、「えほんや るすばんばんするかいしゃ」と「cafe SEE MORE GLASS」かな。でも東京に行く機会がなかなかない... 気軽に行けない距離なのが残念です。(エンターブレイン)

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ボルヘスによる、古今東西の幻獣案内。キリンやライオンの住む現実の動物園ではなく、スフィンクスやグリュプス、ケンタウロスの住む神話伝説の動物園。

世界中の神話や伝説に語られている幻獣を集めた本。とは言っても、もちろん全てを網羅しているのではなく、そのうちの120ほどが紹介されているに過ぎないのですが... でもボルヘスが編んだというだけあって、私にとってはそのフィルターがとても面白かった本でした。ボルヘス自身が好きな本とか読んでる本まで見えてくるようなんですよね。(というのは、ボルヘスの他の作品でも同じなんだけど) 世界各地の神話や聖書、ヘシオドスの「神統記」やオウィディウスの「変身物語」、ホメロス「オデュッセイアー」、プリニウス「博物誌」、ダンテ「神曲」、アリオスト「狂えるオルランド」、シェイクスピア、「千夜一夜物語」などなどなど。原資料にも私が好きなのがいっぱいあるから、尚更楽しいというわけですが~。そしてこの本の大きな特徴としては、例えばサラマンドラやセイレーン、バジリスク、ミノタウロスといった一般的な幻獣だけでなくて、例えば「カフカの想像した動物」「ルイスの想像した動物」「ポオの想像した動物」なんて、特定の作家が想像して描き出した動物まで載ってること。ルイスの場合、ナルニアシリーズに出てくる「のうなしあんよ」みたいなのじゃなくて、「マラカンドラ」や「ベレランドラ」のシリーズの方から採られてるというのがまた渋い。(笑)
「引用した資料はすべて原典にあたり、それを言語ーー中世ラテン語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語ーーから訳出すべく、われわれは最善を尽くした」というのが素晴らしいですー。さすがに中国語や日本語は、原典にまではあたってないようですが。日本からは八岐大蛇が登場。そして中国からは竜や鳳凰、亀、一角獣といった四種の瑞獣を始め、饕餮(トウテツ)なんかも登場。「山海経」と思われる文章も。

いわゆる「辞典」として活用するには紹介されてる幻獣の数もそれほど多くないし(古今東西の幻獣って一体どのぐらいいるんだろう??)、ボルヘスのフィルターがかかりすぎてるでしょうし、もっと流通している、例えば「世界の幻獣が分かる本」的な本の方がいいでしょうけど、こちらはそういった本とはまた全然違う付加価値がありますね。 1969年の序に「誰しも知るように、むだで横道にそれた知識には一種のけだるい喜びがある」とありましたが、まさにその通りの書でした。楽しかった!(晶文社)


+既読のホルヘ・ルイス・ボルヘス作品の感想+
「創造者」J.L.ボルヘス
「エル・アレフ」「伝奇集」ホルヘ・ルイス・ボルヘス
「幻獣辞典」ホルヘ・ルイス・ボルヘス、マルガリータ・ゲレロ

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この巻で取り上げるのは、紀元98年から161年まで、トライアヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウスの3人の皇帝の時代。20年の治世であらゆる分野で多大な業績をあげたトライアヌス帝ですが、同時代のタキトゥスは「まれなる幸福な時代」という一行を残したのみ。同じくこの時代を生きたスヴェトニウスも何も書かず、しかし同時代のローマ人も「黄金の世紀」と呼び、後世「五賢帝時代」と呼ばれるようになったこの時代。賢帝とは何であったのか、どのような理由でローマ人は賢帝と賞賛したのか、ということを見ていく巻です。

これまでタキトゥスの「歴史」「年代記」「アグリコラ」「同時代史」を元に自分なりの解釈をしつつ書き進めてきた塩野七生さんですが、ここにきてタキトゥスが何も書いていないので、相当戸惑ったようです。タキトゥスの没年は120年とされているので、117年までのトライアヌス帝の治世についても書こうと思えば書けたはずなのに、実際に書いているのはドミティアヌス帝の暗殺まで。同時代人のスヴェトニウスも「皇帝伝」でドミティアヌス帝までしか触れていないし、200年後にその続編を書こうとした6人の歴史家たちが書いた本も、書き始めはハドリアヌス帝から。1 年半ほどの治世しかなかったネルヴァはともかく、あらゆる分野で多大な業績をあげているはずのトライアヌスが全然書き残されていないなんて!
でもそんなトライアヌス像が、塩野七生さんによって鮮やかに描き出されていきます。ここに描かれているのは、初めての属州出身の皇帝だからと、黙々と人並み以上にがんばってしまったトライアヌスの姿。賢帝と言うにはあまり華がないように思えるトライアヌス帝なんですが、それでもトライアヌス円柱と呼ばれる戦勝記念碑に刻まれた浮き彫りに見るダキア戦記や(この円柱の全貌を見てみたい!)、当時建設されたという橋の図面からも、その有能さが分かります。
そしてトライアヌスの次は、トライアヌスが代父となっていたハドリアヌス。この人物の治世は21年。でもその21年のうち、本国イタリアにいたのは7年だけなんですね。皇帝の位についた当初こそローマに留まっていたものの、45歳から58歳までの13年間のほとんどを視察の旅で属州を巡行。常に皇帝としての義務を果たしつつ、トライアヌスが拡大した帝国内をくまなく巡察し、既存の公共施設を修理、国境の防衛線を強化、地域ごとの問題を解決、さらには徹底した法の整備まで。疲れを知らないその働きぶりに、即位直後の危険分子との粛清というマイナスイメージもいつしか払拭されることに...。この巻で興味深いのは、ハドリアヌス帝後半でかなりのページが割かれているローマ人とユダヤ人の意識の違いについて。ユダヤ人についてもある程度は知っているつもりでしたが、まだまだでした。これほどの意識の差があったとは正直びっくり。
そして取り上げられている3人の賢帝のうちの最後は、アントニヌス・ピウス。晩年首をかしげられるような行動が多かったハドリアヌスの神格化を1人訴えていたことから、ピウス(慈悲深い)という名前がつけられたというこの人物は、様々なことに目を配りつつも現状維持で賢帝となった人物。何もしていないので、あまり書くべきことも多くなくて、割かれているページも50ページ足らずなんですが、それでもその人柄の良さと頭の良さは十分伝わります。しかし逆に大改革を推し進めるためには、アントニヌス・ピウスではなくて、ハドリアヌスのような性格が必要だったということもよく分かります。

今回一番印象に残ったのは「ローマの皇帝たちの治世は殺されなくても二十年前後しかもっていないが、それも激務によるのかもしれない」(24巻P.248)という言葉。確かに長くても大体20年前後ですね。やっぱりそれだけローマ帝国の統治は大変だったんだなあー。と、納得。(新潮文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ローマ人の物語 ローマは一日にして成らず」1・2 塩野七生
「ローマ人の物語 ハンニバル戦記」3~5 塩野七生
「ローマ人の物語 勝者の混迷」6・7 塩野七生
「ローマ人の物語」8~10 塩野七生 「ガリア戦記」カエサル
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前」8~10 塩野七生(再読)
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以降」11~13 塩野七生
「ローマ人の物語 パクス・ロマーナ」14~16 塩野七生
「ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち」17~20 塩野七生
「ローマ人の物語 危機と克服」21~23 塩野七生
「ローマ人の物語 賢帝の世紀」24~26 塩野七生
「ローマ人の物語 すべての道はローマに通ず」塩野七生

+既読の塩野七生作品の感想+
「コンスタンティノープルの陥落」「ロードス島攻防記」「レパントの海戦」塩野七生
「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」塩野七生

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皇帝ネロンが寝ている部屋の戸口で番をするかのように待っていたのは、ネロンの母・アグリピーヌ。自室に戻るように言われたアグリピーヌは、自分が日一日と邪魔者にされつつあること、ネロンがとうとうブリタニキュスに向かって牙をむいたこと、そしてブリタニキュスの恋人・ジュニーをかどわかしたことを、腹心の侍女に向かって訴えます... という「ブリタニキュス」。
ベレニスに密かい会いにきたのは、コマジェーヌの王・アンティオキュス。彼は以前からベレニスを愛しており、しかしベレニスと皇帝ティチュスが相思相愛のため、口を閉ざしたまま、この5年間ローマに滞在していました。しかしティチュスが皇帝に即位し、とうとうベレニスを妃にするつもりだということを聞き、ベレニスに別れを告げに来たのです... という「ベレニス」。

ラシーヌの、古代ローマを舞台にした悲劇2つ。「ブリタニキュス」では、皇帝「ネロン」なんて名前になってますけど、これはネロのことです。それまでは一応善政を敷いていたネロが暴虐と狂気の道へと突き進むターニングポイントとなった物語、でいいのかな? 既に実の母・アグリピーヌの存在を疎ましく思ってるし、妻・オクタヴィーとは上手くいってないし、義弟のブリタニキュスとジェニーと仲を妬んでるんですね。で、ジュニーをかどわかすんですけど、このジュニーにすっかり心を奪われてしまって...。ネロンがジュニーに惹かれたのは、ただ単にブリタニキュスとジュニーの関係への羨ましさからなんですよね、きっと。もしジュニーの心が手に入ったら、その途端、どうでも良くなっちゃったんじゃないかなあー。ここに描かれてるネロって、なんだかただ単に愛情不足で育ってしまった子供みたい。やっぱりあのお母さんが普通のお母さんじゃなかったというのが不幸の始まりかも。帝王教育はしてくれても、何かあった時にぎゅっと抱きしめてくれるようなお母さんじゃないですものね。(と勝手にイメージしてますが)

そして「ベレニス」は、ローマ市民が異国の女王であるベレニスの存在を認めないという理由から、相思相愛であるベレニスとティチュスが別れなければならなくなるという悲劇。物語の中心となるのはこの2人なんですが、キーパーソンとなるのは、ベレニスに密かに思いを寄せ続けていて、しかもティチュスからの信頼は厚いアンティオキュス。
ベレニスが愛しているのは、ティチュスという1人の男性。相手が栄えあるローマ帝国の皇帝であるということは、彼女にとっては二次的な問題でしかないんですが、ティチュスは彼女を愛しながらも、ローマ帝国のことを頭から振り払うことができないんですね。そういう誠実な男性だったからこそ、彼女も惹かれたというのはあるんでしょうけど...。ただ愛し愛されることだけを望んできたベレニスにとって、自分がローマ帝国と天秤にかけられることはその誇りが許さなくて。そして相思相愛の2人の前に今まで沈黙を守ってきたアンティオキュスは、動揺する2人を前にとうとう心情を吐露してしまうことに。
3人が3人ともそれぞれに相手のことを誠実に真っ直ぐに愛しているのに、一旦その愛情が捩れて絡まり合ってしまうと、結局は苦悩しか生み出さないんですねえ。3人の思いがそれぞれ切々と迫ってきます。そしてティチュスの「ああ、父上がただ、生きていて下さったなら!」という言葉。ラシーヌの悲劇は4つ読みましたが、これがダントツで好き。緊迫感たっぷりで、素晴らしいー。おそらく実際に演じられる舞台でも観客を呑み込まずにはいられなかったのでは。そして、この作品を読んで、とても読みたくなったのが「ローマ人の物語」のティトゥス部分。思わず「危機と克服」の巻を読み返してしまいましたよ。テイトゥスとベレニケのことについてはほとんど何も書かれてなくて残念なんだけど、そのお父さんのヴェスパシアヌスは、やっぱりかなり好き♪(岩波文庫)


+既読のラシーヌ作品の感想+
「フェードル/アンドロマック」ラシーヌ
「ブリタニキュス/ベレニス」ラシーヌ

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ノールウェイ王の不意打ちに、スコットランドのダンカン王のもとで獅子奮迅の働きを見せるマクベス。戦いが終わり、マクベスとバンクォーが通りがかった荒地に現れたのは、3人の魔女でした。魔女たちは口々に「グラミスの領主様」「コーダの領主様」「いずれは王ともなられるお方」と呼びかけます。確かにマクベスは現在グラミスの領主。しかしコーダの領主はまだまだ元気で勢いが盛んであり、王も同様。不思議に思うと同時に困惑する2人。しかし2人を王宮で出迎えたロスとアンガスは、マクベスにコーダの領主と呼びかけます。ノールウェイ王を密かに援けていた裏切り者のコーダの領主は処刑が決定し、その地位は今やマクベスのものだというのです。

シェイクスピアの四大悲劇の1つ。四大悲劇の中では一番好きな作品。一番短いんですけど、シンプルながらもエッセンスのように凝縮している作品だと思います。戯曲という形式上、小説のような説明とか描写がないというのは当然なんですが、1つ1つの台詞が実はすごく色んなことを含んでるんですよね。それでも、説明不足としか思えない部分があるのですが...。と、感じていたら、当初書かれた作品から多くの場面が割愛されているとも考えられているのだそうです。なるほど、そうだったのかー。
野心はあるにしても、心は正しかったはずのマクベスが、魔女の予言をきっかけに大それた罪を犯し、幻影に悩まされ、自滅していくという悲劇。小心者と言われるマクベスも強気のマクベス夫人も、結局のところ、魔女の手の平で遊ばされていたようなものなんですねえ。悪人にはなりきれない、ごく平凡な人間にしか過ぎなかったというわけで。魔女の予言は、きっとマクベスの性格も見越してのことだと思うんですが、もしマクベスが自分の良心に負けなければ、結末を急がなければ、一体どうなっていたんでしょうね? コーダの領主の地位だって何もせずに手に入ったんだから、王位もそうなるはずだとは思わなかったのかな? そういうことを考えること自体、最早無意味なのかな? マクベスの人生は、魔女によって破滅させられたようなもの。元々そういった資質があったとはいえ、やっぱり魔女の言葉さえなければ、と思ってしまうのですが... 第1幕第1場の「きれいは穢ない。穢ないはきれい」という魔女の台詞が暗示的。そしてこれらの魔女は、先日読んだハインリヒ・ハイネの「精霊物語」によると、元々の伝説の中では3人のワルキューレだったんだそうです。戦死者を選ぶ役割を持つワルキューレにとって、マクベスへのこの予言はなんと相応しい役回り!
子供の頃に読んだ時は、「マクベスを倒す者はいないのだ、女の生み落とした者のなかには。」という部分には正直あまり感心しなかったんですが... なんかこじつけっぽくて。でも「マクベスは滅びはしない、あのバーナムの大森林がダンシネインの丘に攻めのぼって来ぬかぎりは。」の方は、実際に森が攻め上ってくるという絵画的な場面描写と相まって、とてもインパクトが強かった覚えがあります。ちなみに実在したスコットランド王としてのマクベスは、従兄のダンカン1世を殺害して王位を奪い、自分の王位を脅かす者を次々と抹殺したのは事実としても、善王だったようですね。...それだけ殺しておいて善王と言えるのかどうかは分かりませんが。(笑)(新潮文庫)


+既読のシェイクスピア作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「ジョン王」ウィリアム・シェイクスピア
「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」シェイクスピア
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治
「マクベス」シェイクスピア
「トロイラスとクレシダ」ウィリアム・シェイクスピア

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山の中に住む魔女に育てられた妖精のラウテンデラインの前に現れたのは、30歳の鋳鐘師・ハインリッヒ。湖の中に転がり落ちた鐘と一緒にハインリッヒも谷底に転げ落ちたのです。瀕死のハインリッヒは、自分を世話してくれるラウテンデラインを一目見て心を奪われます。しかしそこにハインリッヒを探しに来た牧師や教師、理髪師がやってきて、ハインリッヒを取り戻し、妻のマグダ夫人や子供たちのところに連れて帰ることに。

5幕物の戯曲で、オットリーノ・レスピーギが歌劇にも仕立てている作品。泉鏡花の「夜叉ヶ池」「海神別荘」「天守物語」、特に「夜叉ヶ池」にも大きく影響を与えているのだそうです。そして野溝七生子は、この作品のヒロイン・ラウテンデラインに因んで「ラウ」と呼ばれていたのだそう。

一読して驚いたのは、まるでフーケーの「ウンディーネ」(感想)みたいだということ。ラウテンデラインは、実際にはウンディーネのような水の精ではないはずなんですけど、でもその造形がすごくよく似ています。ただその日その日を楽しく暮らしていたラウテンデラインは、ハインリッヒを知ることによって初めて泣くことを知るんですね。ここで「泣く」というのは、ウンディーネが愛によって魂を得たのと同じようなこと。ラウテンデラインの場合は、ウンディーネほどの極端な変わりぶりではないのですが。それに作品全体の雰囲気もよく似てます。ハインリッヒに夢中になるラウテンデラインのことを周囲の精霊たちが面白く思わないのも同じだし、水が重要ポイントになるところも。ラウテンデラインは本当は水の精じゃないはずなのに、これじゃあまさに水の精。そして3杯の酒による結末も。魂を失って、愛を忘れてしまうところも。ああ、ここにも「水の女」がいたのか!と思いつつ。
2人の子供と妻の涙の壷、そして響き渡る鐘の音。ラウテンデラインの腕の中にはハインリッヒ。ああ、なんて美しい。水の魔物・ニッケルマンや牧神風の森の魔、そしてゲルマン神話の神々の名前もまた、異教的で幻想的な雰囲気を盛り上げていました。

ウンディーネは魂を持たない存在だけど、人間の男性に愛されて妻になると魂を得るという設定は、元々パラケルススによるものなんですね。水辺や水上で夫に罵られると、水の世界に戻らなくてはならないというのと、夫が他の女を娶れば命を奪うというのも。その辺りのパラケルスス関連の本も読んでみたいな。(岩波文庫)

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かつてウェストファリア地方のトゥンダー=テン=トロンク男爵の城館にいたのは、生まれつき品行が穏やかで無邪気なカンディードという青年。しかしある日のこと、カンディードと美しい男爵令嬢のキュネゴンドが接吻しているところを男爵が発見し、カンディードは城館から追い出されてしまうことに... という表題作「カンディードまたは最善説(オプテイミズム)」他、全6編。

18世紀フランスの啓蒙思想家・ヴォルテールによる哲学コント6編。コントというのはフランス語で、短い物語のこと。要するに哲学的な主題を持つ短い物語のことですね。ヴォルテールは、悲劇や喜劇や叙事詩といった前世紀の古典主義を終生信奉しながらも、人間の不幸や挫折、幸福の探求とといった主題はもっと現実的で真実味のある形(つまり小説や哲学コント)で扱うのがふさわしいと考えていたようです。そして、あからさまに告白したり感傷に浸ることを嫌って、自身の抱える問題や懐疑、苦悩をコントの主人公の青年の姿を借りて表現し、重大で深刻な時ほど照れ隠しのように茶化してみせたのだそう。
SF的設定の「ミクロメガス 哲学的物語」、ペルシャになぞらえながらも実はフランスの実態を描いている「この世は成り行き任せ バブーク自ら記した幻覚」、バビロン時代の賢者の中の賢者をめぐる寓話「ザディーグもしくは運命 東洋の物語」、完全な賢人を目指しながらも、早くも美しい女にたぶらかされて、とんでもない結末を迎えることになる1日を描いた「メムノン または人間の知恵」、ライプニッツの最善説への懐疑が徐々に大きくなってきている「スカルマンタドの旅物語 彼自身による手稿」、そしてとうとう最善説を風刺するところまでたどり着いてしまう表題作。作品は書かれた年代順に並べられているので、ヴォルテール自身の人生を知ると、その実体験が全てその哲学コントに登場してるのが分かって、その変遷がすごく興味深いです。
どれも面白かったんだけど、私が一番楽しく読めたのは「ザディーグ」。でも、これは絶対以前読んだことがあるんだけど! どこで読んだんだろう? その時はヴォルテール名義ではなくて、童話集みたいなのに登場してたような気がするんですが... それも前半の半分か3分の1だけ。どこで読んだんだか、今パッとは思い出せません。ああ、気になるー。この「ザディーグ」、古代バビロンが舞台で「千一夜物語」のように楽しく読める物語なんですけど、その主題は人間の幸福や人生について考えるとても深いもの。本来なら「カンディード」が一番評価されてる作品なんでしょうけど... この2作品は分量もかなりあって同じぐらいの読み応えがあるんですけど、私としては風刺色の強い「カンディード」よりも、もっと正面から素直に書いてるような「ザディーグ」の方が好みでした。(岩波文庫)


+既読のヴォルテール作品の感想+
「バビロンの王女・アマベッドの手紙」ヴォルテール
「カンディード」ヴォルテール

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ハンニバル・レクター博士が聞いていたグレン・グールドの「ゴルトベルク変奏曲」は、果たして1955年盤なのか、1981年盤なのか。左手が多指症で6本の指があったというレクター博士、左手だけで中指が2本ある指で演奏するというのは、一体どのような感覚なのか。そしてそのトマス・ハリスのレクター博士の三部作とリンクしているような気がしてならないのは、ジョン・フランクリン・バーディン「悪魔に食われろ青尾蝿」。こちらに登場するのは、ハープシコードで「ゴルトベルク変奏曲」を弾くヒロインのエレン。精神病院を退院したエレンが、頭の中で家に着いた自分が「ゴルトベルク変奏曲」を弾くところを思い描く場面は、まさに演奏家としての思念の動きと言えるリアルなものなのです。...古今東西の純文学やミステリーの中から音楽や音楽家を扱った作品を取り上げて、音楽とのかかわりを主軸に読み解き、それによって音楽や音楽家の神秘を垣間見ようとする1冊です。

青柳いづみこさんの音楽と小説の本といえば「ショパンに飽きたらミステリー」もありますが、そちらとはまた違った音楽のシーンを楽しめました。今回一番印象に残ったのは、「シャープとフラット」の章に紹介されているアンドレイ・マキーヌの「ある人生の音楽」に登場するピアニストについてのエピソードかな。その後に待つものが分かっていても、それでも弾きたいピアニストの思い。それが青柳いづみこさんの文章に重なって、じんじんと伝わってきます。そうだよね、弾きたいよね! 弾いてしまうよね...!
そして「音楽のもたらすもの」の章で紹介されるトルストイの「クロイツェル・ソナタ」では、この言葉が印象的。

普通の人間関係は、言葉を介して築かれる。見ず知らずの他人からスタートし、言葉をかわし、お互いの共通点を発見し、共感しあい、しかるのちに恋愛に至り、しばらくたつとやがて言葉がいらなくなり... というコースをたどるのだが、音楽はすべての手順をすっとばし、二人の男女をいきなり「言葉がいらなくなった状態」に置く。(P.172)

ああー、ものすごく分かる気がする...。音楽だけではないんでしょうけど、音楽にはこういう面が確かにあると思います。この作品は、ぜひとも実際にベートーベンの「クロイツェル・ソナタ」を聴きながら読んでみたい! そしてこのトルストイの作品にインスパイアされて書かれたという、ヤナーチェクの「クロイツェル・ソナタ」もぜひ聴いてみたい。

ここのところ私の中で音楽の比重がすごく大きくなってるので、比較的最近読んだ本はかなり音楽的な部分にも注目して読んでるんですけど... 例えばアンジェラ・カーターの「血染めの部屋」のバッハの平均律とかね。私は青柳さんとは逆にバッハを弾くのが大好きなので、バッハで気持ちを落ち着かせるというのは、ものすごく分かる気がします。私の場合、平均律全曲なんてとても弾けないどころか、弾けるのはまだほんの数曲なんですけど。(笑) 奥泉光さんの「鳥類学者のファンタジア」や山之口洋さんの「オルガニスト」は、音楽を無視しては読めないし、例えば皆川博子さんの「死の泉」のカストラートのインパクトは強烈だったんですけど...! あまり音楽を意識しないで読んだ本は、ぜひともその辺りに注目して読み返したくなりますねえ。今読んだらまた違う印象を持つんだろうな。それに未読の本もいっぱい紹介されてたんですよね。どれも読んでみたい! その時はもちろん、その作品で取り上げられている音楽を聴きながら読みたいものです。(岩波書店)


+既読の青柳いづみこ作品の感想+
「モノ書きピアニストはお尻が痛い」「ショパンに飽きたら、ミステリー」青柳いづみこ
「水の音楽 オンディーヌとメリザンド」青柳いづみこ
「ボクたちクラシックつながり」青柳いづみこ
「ピアニストは指先で考える」青柳いづみこ
「指先から感じるドビュッシー」青柳いづみこ
「ピアニストが見たピアニスト」青柳いづみこ
「六本指のゴルトベルク」青柳いづみこ

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今までになく酷いうなされ方をしているダランベールを心配したレスピナッス嬢は、夜中看病しながら、その気違いじみた支離滅裂な話し振りのうわ言を書き留めます。そして朝になって呼んだ医者のボルドゥーに、その時に書き留めておいたことを話すことに。レスピナッス嬢が驚いたことに、ボルドゥーはそのうわ言のメモから意味を掴みレスピナッス嬢に解説、やがて2人はそれについて議論をし始めることに... という表題作「ダランベールの夢」他全5編。

ディドロは、18世紀フランスの啓蒙思想家であり作家である人物。18世紀を代表する書物「百科全書」の編纂・刊行に関わった百科全書派の中心的な人物です。(他にはダランベールやヴォルテール、ジャン=ジャック・ルソー、モンテスキューの名も) この「百科全書」は、当時の技術的・科学的な知識の最先端を集めて紹介しながら、同時に古い世界観を打ち破り、社会や宗教・哲学等への批判を行っているので、宗教界や特権階級から危険視されたんだそうで... そしてその購読者は、実際にフランス革命の推進派と重なっているのだそうで... やっぱり危険だったのか。(笑)

5編とも全て対話形式の作品となっています。訳者による「はしがき」に、ディドロの著作や18世紀の思想にまだあまり馴染みのない読者は、まず「肖像奇談」を読んで、次に「或哲学者とXXX元帥夫人との対談」、そして最後に3部作を順を追って読むのが読み易いと書かれていたので、今回その通りに読んでみました。実際「肖像奇談」は一番分かりやすいです。話として普通に面白い。最後のオチもいいですねえ。と言いつつ、以前どこかで読んだような気もしたのだけど。どこかのアンソロジーに入ってたのかな? 次の「或哲学者とXXX元帥夫人との対談」は、それよりもちょっと難しい... 難物というほどではないのだけど。そして3部作。最初の「ダランベールとディドロの対談」は面白かったー! 圧力を通じて現れる死力と場所の移動を通じて現れる活力、静止的感性と能動的感性、そして静止的感性から能動的感性への移行。一見小難しいんだけど、よく読んでみると案外分かりやすいです。ええと、こういうのが唯物論なんですかね?(すみません、よく分かってません) でも次の表題作「ダランベールの夢」では、話が一気に多岐に渡ってしまって、ついていけないー。対話形式だし、文章的には比較的読みやすいんだけど、何なんだ、これは??? で、3部作最後の「対談の続き」は、また少し分かりやすくなって。
ディドロという人は、ごく普通のこととかちっちゃいことをわざと大げさに言い立てて、相手の反応を見て楽しむようなところがあるんですかね? なぜ真っ直ぐ等身大に表現できない? なんて思ってしまったんですが、その反応、合ってるのでしょうか。(笑) で、驚いたのはその内容の新しさ。なんだか今の時代に書かれてると言われてもおかしくないようなことが色々と書かれていて、これが18世紀に書かれたということにびっくりです。これはきっと内容がきちんと分かればどれもすごく面白いんでしょうね。まあ、最初から1度読んですんなり理解できるようなものとは思ってなかったので、面白かった部分もあったということが大収穫。ゆっくりじっくり付き合っていきます。(岩波文庫)

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デンマークのエルシノア。ハムレット王が亡くなって2ヶ月足らずだというのに、ガートルード王妃は、王位を継いだ亡き王の弟・クローディアスと再婚。そんな時、エルシノア城の銃眼胸壁の上の狭い歩廊に、今は亡きハムレット王の亡霊が現れます。甲冑に身を固め元帥杖を手に見張りの目の前を何も言わずに通り過ぎる亡霊。その話を聞いたホレイショーは自分も亡霊の姿を目にすると、早速ハムレット王子に告げることに。そして亡霊と対峙したハムレット王子は、父の死の顛末を聞かされることになるのです... という本家本元の「ハムレット」。
そしてシェイクスピアの「ハムレット」から登場人物の名前と大体の環境を借りて書き上げた、2つの不幸な家庭の3日間の物語だという、太宰治の「新ハムレット」。

いわずと知れた、シェイクスピアの四大悲劇の1つ「ハムレット」。私はシェイクスピアはあまり好きじゃないし、色んな版で何度か読んでる割にその偉大さも今ひとつ理解できないんですが、四大悲劇は結構好き。特に「マクベス」。
ええと、今ひとつ感心しない理由の1つは、シェイクスピアのどの作品にも元となる話があって、あまりオリジナリティがないということなんですけど... まあ、それはあんまり説得力がないというのは、自分でも分かってます。(笑) でもこの「ハムレット」が書き上げられる数年前に、よく似た戯曲がロンドンで上演されていたのだそうで、そんなことを知ってしまうと、益々...。(笑) まあ、それ以前に明らかな元ネタ本があるので、その同時代の劇作家もそちらから取ったんでしょうけどね。でも今回訳者による解題を読んで、「エッダ」や「ベオウルフ」にもハムレットの原型が存在するとされていると知ってびっくりです。そう言われてみると、似てるなあ、なんて思いながら読んでた話もあったような...。(←ダメダメな記憶力)
「ハムレット」自体には改めてあまり感想はないんですが、この福田恆存氏による解題が良かったです! 福田恆存氏は訳も素晴らしいけど、この解題が本当に素晴らしいー。特に「ハムレットの最大の魅力は、彼が自分の人生を激しく演戯していることにある」という言葉。「ハムレットの演戯法はハムレットに教わることだ。シェイクスピア劇の演戯法はシェイクスピアに教わることだ。そのハムレットは演戯をし、演戯しながらそれを楽しんでいる。そういうハムレットを役者は演戯すればいい。演戯ということが既に二重の生であるがゆえに、そこには二重の演戯がある」ですって。なるほどね。そういうところを楽しむべき作品なんですね。やっぱり本で読んでどうこう言うのではなくて、演じられている「ハムレット」を観るべきなんでしょうね。シェイクスピアだって座付き脚本家として、演じられるための作品を書いてたんですものね。

そしてその「ハムレット」を読んだので読んでみたくなったのが、太宰治「新ハムレット」。太宰治自身、「人物の名前と、だいたいの環境だけを、沙翁の「ハムレットから拝借して、ひとつの不幸な家庭を書いた。それ以上の、学問的、または政治的な意味はみじんもない。狭い、心理の実験である」としている通りの作品。
大きな流れは同じなんですが、細かい部分は結構違います。「新ハムレット」のハムレットは、叔父とそれほど不仲ではないですし、以前は懐いていたのに、母親をとられた寂しさや戸惑いから反抗しているみたい。先王の幽霊騒ぎは、ここでは単なる噂話。そしてハムレットは結婚する気満々です! ここでのオフィーリアの造形が、まるで今時の女の子みたいでびっくりですよ。それに作品そのものもとても現代的。書かれた当時は、きっととても斬新だったんでしょうね。太宰治といえば一昔前の人、というイメージだったんですけど、そうではなかったようで...(笑)
行間から登場人物たちの気持ちを推し量らなければならない原作とは違って、こちらでは登場人物が滔々と雄弁に自分の気持ちを語ってるのが面白いし、ハムレットを初めて日本に紹介した坪内逍遥の訳をからかってるようなところも楽しいし...(「アリマス、アリマセン、アレワナンデスカ」というのは、確か「はいからさんが通る」に出てきてたから知ってたけど、「すまいとばし思うて?」は知らなかったよ)、ポローニヤスから息子・レアティーズへの細かすぎるほど細かい遊学の心得も可笑しいし~。太宰治自身も同じことを言われたのかな? それとも自分自身の経験を踏まえた言葉? 人は死ぬんですけど、むしろ喜劇に変わってしまったような印象さえありました。とは言っても、このハムレットは、やっぱり太宰治自身なんでしょうね。ハムレットの台詞の端々に、太宰治自身が見え隠れしているようです。

「みんな、みんな可哀想だ。僕には昔から、軽蔑感も憎悪も、怒りも嫉妬も何も無かった。人の真似をして、憎むの軽蔑するのと騒ぎ立てていただけなんだ。実感としては、何も分からない。人を憎むとは、どういう気持ちのものか、人を軽蔑する、嫉妬するとは、どんな感じか、何もわからない。ただ一つ、僕が実感として、此の胸が浪打つほどによく分る情緒は、おう可哀想という思いだけだ。僕は、この感情一つだけで、二十三年間を生きて来たんだ。」(P.294)

「新ハムレット」には5編が収められているんですけど、表題作以外もそれぞれに良かったです。私が一番気に入ったのは「古典風」。取り立てて大きな出来事が起きるわけでもないのに、読ませてくれるんですよねえ。間に挿入されている手帳のメモ書きや、主人公が書くネロの伝記なんかも面白かったし。この作品、副題が「ーーこんな小説も、私は読みたい。(作者)」なんです。私だって読みたいよ!(笑)(新潮文庫)


+既読のシェイクスピア作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「ジョン王」ウィリアム・シェイクスピア
「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」シェイクスピア
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治
「マクベス」シェイクスピア
「トロイラスとクレシダ」ウィリアム・シェイクスピア

+既読の太宰治作品の感想+
「惜別」太宰治
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治

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冥土の王様から1日だけ暇をもらって浮世を見に来たというカロオンは、丁度出会ったヘルメスに、ぜひ地上を案内して欲しいと頼み込みます。ヅェウスの用で忙しいヘルメスですが、カロオンには日頃世話になっていることもあり、オリュンポスやオッサ、ペーリオン、オイテー、パルナッソスといった山々を積み上げてその上に座り、2人で下界の人々の様子を見ることに... という「カロオン」他、全7編の作品集。

「本当の話」が読みたかったルキアーノス、この本が復刊した時に一応買ってたんですが、旧字旧仮名遣いで訳が古いままだし(だって「ゼウス」が「ヅェウス」ですよ!)、活字もすっかり潰れてて読みにくそうなので、しばらく放置してしまったんですよねえ。でもいざ読んでみたら。これが面白いのなんのって! ギリシャ神話好きには堪らない、風刺の効いた短篇集でした。読んで良かったーー。
特に面白かったのは、上にもあらすじを書いた「カロオン」と、表題作の「神々の対話」。「カロオン」というのは、冥府の河ステュクスの渡し守のカロンのことです。闇の神・エレボスと夜の女神・ニュクスの息子であるカロンは、生まれてこの方ずっと冥府に暮らしてるんですね。地上に出てくるのは、今回が初めて。仕事で時々冥府を訪れるヘルメスとは顔馴染みなので、その関係でヘルメスに地上を見せてまわってくれと頼むんですが... このヘルメスとカロン、そして彼らが覗き見る人間たちの会話に風刺がたっぷり効いていて可笑しいし楽しいし。ギリシャ神話に語られているエピソードが、将来起きる出来事として予言されていたり。もうニヤリとさせられっぱなしです。
そして表題作の「神々の対話」は、様々な神々たちの素顔を覗き見るような楽しさのある作品。自由と引き換えにテティスにまつわる秘密をゼウスに話すプロメテウスとか、ヒュアキントスの死を嘆くアポロンなんかは、普通に神話のエピソードをそのままなぞったものなんですけど、自分の浮気癖を棚に上げて、もっと優美な姿で女性に近づきたいとエロスに文句を言うゼウスとか(いつも牛とか金色の雨とかだからね)、まさにガニュメデスを口説いている最中のゼウスとか(好色親爺めッ)、ヘルメスの手の早さや音楽の才能に目を細めているようなアポロンとか(まるで父親みたいだ)、ヘラとレト(アポロンとアルテミスのお母さんね)の我が子自慢と嫌味の応酬とか(コワイコワイ)、使い走りばかりさせられて愚痴ってるヘルメスとか、可笑しい会話がいっぱい。トロイア戦争の元となった金の林檎のエピソードで、アプロディテがパリスを買収する場面なんて、現実感ありまくり。まるでギリシャ神話版ショートコント。これは今の時代でも笑えるセンスですね。素晴らしいー。
金持ちにあこがれる靴直しの青年をうまく言いくるめてしまう鶏の話「にわとり」も面白かったし... この鶏は、前世で様々な人生を体験していて、そのうちの1人は哲学者のピュタゴラスなんですよ! あと「無学なる書籍蒐集家に与う」は本当に皮肉たっぷりで~ ローマ時代にも応接間に全集を飾って悦に入るような人たちがいっぱいいたんですね。積読本が多い読者には、ちょっぴり耳が痛い話かも。(笑)(岩波文庫)


+既読のルキアノス作品の感想+
「神々の対話」ルーキアーノス
「遊女の対話」ルーキアーノス
「本当の話 ルキアノス短篇集」ルキアノス

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民衆の間で信仰されてきた小人や巨人、そして妖精たち。しかしそういった存在が息づいていた民間信仰は、人々の生活にキリスト教が入ってくるに従って邪教と見なされるようになり、徐々に人々の生活圏から排除されることになります。キリスト教が世界を席巻するに従って排除されていったのは、ギリシャ・ローマの神々たちも同様。それらの神々は、地上の古い神殿の廃墟や魔法の森の暗闇の中に生きる悪霊とされてしまうのです。...そんな風に追いやられ、呪われることになった神々や精霊たちに関するエッセイ。「流刑の神々」がギリシャ・ローマの神々に関して、「精霊物語」は民間信仰の小人や巨人、妖精たちについてです。

ハイネによるエッセイ2編。両者の成立には17年という歳月の隔たりがあるそうですが、古代の自然信仰やギリシャ・ローマの神々に対する信仰が、キリスト教の浸透によって邪教として抹殺されていくことになったことということで、そのテーマは同じです。
新しいものに古いものが駆逐されるというのはよくあることだし、例えば日本にも、文明開化によって西洋の文化が入ってきた途端、日本古来の文化がないがしろにされるようになったという歴史がありますよね。でも西洋文化に流れてしまったのは国民性というのも大きかったはずだし、結局「和洋折衷」で、新しい物に負けそうになりながらも、古い物も残るところには残っています。そもそも日本は、古くから仏教と神道が両立してきた国。キリスト教が異教に対して行ったような徹底的な排除というのは経験してないんですねえ。でももし徳川幕府が鎖国してキリスト教を締め出さなかったら、今頃どうなってたのかしら?
キリスト教に限らず宗教というのは激しさを持ってることが多いのだけど(特に初期)、それでもキリスト教の激しさってすごいですね。隣人には寛容なはずのキリスト教も、異教徒に対しては驚くほど非寛容。あの徹底した排除っぷりは、ほんとすごいと思います。古来の信仰や、それにまつわる文化、その中に息づいていた異教の神々たちを完全に駆逐してしまおうとするんですもん。でもキリスト教がどれだけ網を張巡らしても、古代信仰の一部は、邪教や迷信と決め付けられ変容しながらも零れ落ちていくんですね。そしてあるものは伝説として残り、あるものは祭りなどの習俗に残り、抹殺されずに農民たちの間に残った物語はグリムによって採取されて本として残ることになるわけで。

「流刑の神々」は、若き日の柳田国男にも多大な影響を与えた作品なんだそうです。なるほど、こういうのを読んでいたのですね。ワーグナーの「タンホイザー」や「さまよえるオランダ人」「ローエングリン」といった作品群を思い起こさせる伝説も紹介されてたし、他にも色んな伝承に触れられたり、紹介されてるのが面白かったー。中でも興味深かったのは、シェイクスピアの「マクベス」の魔女は、その元ネタとなった古い伝説の中では、3人のヴァルキューレだったという話! そうだったんだ! 「流刑の神々」で紹介されてる、うさぎ島に住む老人がユピテル(ゼウスね)だったなんて話も面白かったし、牧童として暮らしていたアポロンや、今もまだ祭りを行っているバッカス... いつまででも読み続けていたくなっちゃいます。でもドイツの人なのに、ギリシャ神話を取り上げてる割に、ゲルマン(北欧)神話についてはあまり触れてないのが少し不思議。ハイネがユダヤ人だったということは... 関係あるのかしら?(岩波文庫)

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トロイア戦争でヘクトールはギリシャのアキレウスに倒され、トロイア落城後、ヘクトールの妻のアンドロマックはアキレウスの息子・ピリュスの奴隷となることに。ピリュスの婚約者のエルミオーヌは、ヘクトールの忘れ形見・アスチアナクスの殺害を要求し、アンドロマックに心を奪われたピリュスは、そんなエルミオーヌを疎ましく思います。そこにエルミオーヌを愛するオレストが登場して... という「アンドロマック」。
アテネの王・テゼーとアマゾーンの女王・アンチオープとの子・イポリットは、この6ヶ月というものテゼーが行方不明であることに居ても立ってもいられない不安を覚え、父を探す旅に出ると言い出して... という「フェードル」。

フランスの劇作家・ラシーヌによる悲劇2作。どちらも古代ギリシャの3大悲劇詩人の1人・エウリピデスの悲劇作品が元になってます。こんなところでギリシャ神話絡みの作品が読めるとは迂闊にも知らなかったんですけど! 名前の訳が違いすぎて、話に入り込みにくくて困りました...。だってアンドロマックというのは、ギリシャ読みだとアンドロマケーのこと。ピリュスはネオプトレモスだし、フェードルはパイドラのことで、テゼーはテーセウス。イポリットはヒュッポリュトスのことで、アンチオープはアンティオペー。アルファベットで見たらそれほど変わらないでしょうけど(ギリシャ文字はアルファベットとはまた少し違うけど)、カタカナ表記では違いすぎですよぅ。従来のギリシャ読みを採用してくれたら、もっとずっと読みやすくなったはずなのに。

「アンドロマック」は、エウリピデスの「アンドロマケー」がモチーフとなっている作品なんですけど、元話とは結構違っていてモチーフを借りてきただけ。それだけにラシーヌらしさというのもあるのかな? オレストはエルミオーヌに、エルミオーヌはピリュスに、ピリュスはアンドロマックに、しかしアンドロマックはヘクトールを思い続けて... という片思いの連鎖が繰り広げる物語は、これはこれで結構面白いです。こんなにみんな前言を翻してばかりでいいのかしら?なんて思ったりもするのだけど。(笑)
「フェードル」は、やっぱりエウリピデスの「ヒュッポリトス」に題材を取っている作品ですが、こちらの方は元の作品にかなり忠実。これは元々それほど好きな話ではないし、比べてしまうと元話には見劣りするかな... 元話ではヒュッポリトスがアプロディテをないがしろにするところで悲劇が起きるんですけど、こちらはそんな神懸りではなくて、もっと人間ドラマになってるんですね。それがちょっと物足りなかったりして。
結局「アンドロマック」の方が面白かったんですが... でも結論から言えば、私はやっぱりエウリピデスの作品の方が好きだなあ。というのは、やっぱり名前の訳の問題も大きいのかなあ。でもラシーヌにはローマ時代を舞台にした「ブリタニキュス/ベレニス」というのもあるそうなので、そちらも読んでみようと思います。「ブリタニキュス」は皇帝ネロ、「ベレニス」は皇帝ティトゥスとベレニケの話ですって。どんな感じなのかしら~。(岩波文庫)


+既読のラシーヌ作品の感想+
「フェードル/アンドロマック」ラシーヌ
「ブリタニキュス/ベレニス」ラシーヌ

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遙か昔、ギリシャで栄華を極めていたオリュンポスの神々も、キリストが生まれてからというもの、その権威は地に墜ち、今はロンドンで困窮に喘いでいました。神々がロンドンに移住したのは1665年のこと。丁度大流行中だったペストの影響でロンドンの不動産価格が底値を記録していた頃で、知恵の女神・アテナによる財テク工作の一環として計画されたのです。しかし一旦ゼウスの名前を家の名義人に記した途端、一族はその地に縛り付けられることになり、300年以上も同じ家に住みながら、倒壊寸前の家をヘパイトスの改築・修繕に頼って暮らしていくことに...。神々は今やその力を失い、僅かずつではあるものの、老い始めていたのです。

ギリシャ神話の神々が現代のロンドンに住んでるとあれば、それは読まなくちゃと思ったんですけどーーー。これがもうほんと一体何なんだか!という出だしで、やっぱり読むのやめようかと思いました...。何がどうだって、序盤がとにかくお下劣なんです。最初、犬の散歩中のアルテミスが木になってしまった女性に出会うところはいいんですけど(アポロンとダフネのエピソードの再来ですね)、その後が...! アポロンとアプロディテが何をしようと勝手ですけど、ここまで書く必要はあったのかしら?
ということで、犬の散歩のバイトで日銭を稼ぐアルテミスに、携帯電話でテレフォン・セックスのバイトに勤しむアプロディテ。英知に優れてはいてもコミュニケーション能力が限りなくゼロに近いアテナ。アポロンはいんちき霊能者としてテレビに出演してるし、エロスは今や敬虔なキリスト教徒。ギリシャ神話でお馴染みの神々がこれでもかというほど情けない姿を曝け出してます。「抱腹絶倒」とは書かれていても、もう全然そんな感じじゃないしーー。というか、この手のユーモアセンスは、私にはイマイチなのよーー。...それでもギリシャ神話だし!とかなり我慢しつつ読み進めていたら、世界が滅亡へと進み始めた頃から面白くなりました。
結論としてはそれほど目新しくもないし、特にオススメ作品とも思わないんですが、それでも終わりよければ全て良しですかね? なかなか可愛らしく収まっていたと思います。下品ながらも可愛らしい神々、と思えるようになったのがスバラシイ。話に全く要領を得ないアテナにはがっかりなんですが(もっと素敵なイメージを持ってたのにー)、その分、アルテミスやヘルメスがなかなかいい味を出していて良かったです。(早川書房)

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ワルシャワのゲットーとも言えそうなクロホマルナ通りにラビの息子として生まれ、ヘブライ語、アラム語、イディッシュ語とタルムードによって育てられたアーロン。一番仲が良かったのは、天才児と言われたアーロンとは対照的に、周囲から知恵遅れと思われていた少女・ショーシャ。ショーシャは9歳になっても6歳のような話し振り、2学年遅れて通っていた公立学校からも、もう通わなくていいと言われてしまうほど。それでもショーシャと遊ぶ時だけは、アーロンは他の誰にも言えないようなこと、空想や白昼夢のことまで全部言うことができたのです。しかし1914年に第一次大戦が始まり、アーロンの一家もやがてワルシャワを去ることに。

アイザック・シンガーの自伝的小説。アイザック・シンガー自身、ポーランドのユダヤ人家庭に生まれているし、アーロンと年齢的にもほぼ同じなら、住んでた場所も経歴も家族のこともかなり重なってるみたいです。大きく違うのは、ショーシャのことだけ。この作品ではアーロンはショーシャに20年ぶりに再会することになるんですが、現実でアイザック・シンガーが再会できたのはショーシャではなく、ショーシャの娘だったんだとか。そう考えると、この作品はアイザック・シンガーが送りたかった人生というか、失われた人生というか、そんな感じがしてきます。

もうこのショーシャがとにかく可愛らしくて! 第一部では知恵遅れのイメージが強いんですけど、第二部のショーシャは1人の恋する女の子。もうこれは反則でしょ!ってぐらい可愛い。そして主人公も、そんなショーシャを大切に愛してます。ただ、それだけに、そのまま済むはずがないだろう、なんて思ってしまったりもするのだけど...。
でもそんなショーシャの可愛らしさに比べて、アーロンの魅力がイマイチだったかな。主人公に作者自身が色濃く反映されているせいで、妙なとこで謙虚だった? アーロンは女性にも不自由してないし、年上の友人たちにも可愛がられてるし、アメリカから来た女優のベティとその情人のサム・ドレイマンにも初対面でとても気に入られるんですよね。で、とんとん拍子に芝居の脚本を書くことが決まっちゃう。本当なら、かなり魅力的な才能溢れる青年のはずなんですけど、何なんでしょうね、この冴えなさは...。文才についても最後までよく分からないままで、でも最終的には世界的な作家になってたようだし、なんかこの辺りがどうもね。自伝的ではあっても小説として書くのであれば、もう少し書き込んで欲しかったところです。でも同じ書かれていないといえば、ナチスによるホロコーストも同様なんですが、こちらは書かれていないのが逆に良かったんですけどね。登場人物たちは第一次世界大戦も第二次世界大戦も体験してるし、ヒトラーの名前は何度も登場するし、戦争の犠牲になった人もいるのに、まるで戦時中という感じがしなくって、私にはそれがとても読みやすかったです。

作中で登場する「世界の本」というのが素敵。こういう本が存在すると思っただけで、いいことも悪いことも、全てが受け入れられそうな気がします。 実際には再会することのなかったショーシャもまた、この本の中にいるんですね。そうか、この作品はシンガーにとって「世界の本」そのものだったのかも。だからこそ、悲惨な戦争の描写もほとんどなかったのかもしれないなあ。(吉夏社)


+既読のアイザック・B・シンガー作品の感想+
「お話を運んだ馬」「まぬけなワルシャワ旅行」I.B.シンガー
「やぎと少年」アイザック・B・シンガー
「ショーシャ」アイザック・B・シンガー

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「紫式部日記」は、「源氏物語」を書いた紫式部の宮仕え回想録。自分が仕える彰子の初めての出産やそれにまつわる様々な出来事、彰子のこと、宮中でのこと、女房のあるべき姿などを語っていく作品です。森谷明子さんの「千年の黙」に、紫式部日記の内容的な場面が色々あったので、読みたいなと思ってたんですよねえ。
文庫だと岩波文庫と講談社学術文庫と、今回私が選んだ角川ソフィア文庫が現在入手可能。どれにするか迷ったんですけど、岩波文庫版はどうやらそっけないほどあっさりしてるようなのでボツ。講談社学術文庫版は「全訳注」で、上下巻だし多分詳細なんでしょうけど... 私が行った書店には置いてなくて残念。こちらの角川ソフィア文庫は、原文とその訳、そして解説が充実しているようだし、このシリーズは多少当たり外れがあるんだけど、こちらにしてみました。

結論としては。確かに面白かったし、解釈もとても充実してたし... 当時の時代的背景から宮中での様子から、分かりやすく詳しく説明されているし、長く宮中にいる間に、最初は「女房なんて」と思っていた紫式部の変わっていく様子が指摘されてて、これは本当にすごく面白かったですね。あと、紫式部がこの日記を書いてるのも、ただの個人的な日記というだけではなく、藤原道長側の記者として書いていたような部分とか。ただ、これは本当に一般的な解釈なのかしらと疑問に思った箇所があったのと、あとは現代語訳や解説文が私の好みよりもちょーっと軽かったのが... あ、でもこれは私が軽く感じてしまっただけで、同じ訳を現代的で素晴らしいと感じる方も必ずいるはずなので、一概にどうだとは言えないんですけどね。少なくとも、この本を最初に読んだら、これで紫式部像や彰子像が固定されてしまいそう的な充実度はありました。「千年の黙」に登場する紫式部や彰子とは、ちょっぴり雰囲気が違いますが~。
ここに収められているのは全文ではないので、いずれは講談社学術文庫版も読んでみたいな。あ、「紫式部日記」と合わせて「御堂関白記(藤原道長の日記)」を読んでみるのもいいかもしれないですねー。(角川ソフィア文庫)


+既読の「源氏物語」の感想+
「源氏物語」+「まろ、ん?」小泉吉宏(与謝野晶子訳)
「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治

+既読の「源氏物語」関連作品の感想+
「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「源氏供養」上下 橋本治
「輝く日の宮」丸谷才一
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「七姫幻想」森谷明子
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

+関連シリーズ作品の感想+
「論語 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」加地伸行
「陶淵明 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」釜谷武志
「李白 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」筧久美子
「老子・荘子 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」野村茂夫
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

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暮れなずむ夏の日々の、遠い大聖堂の塔が沈みゆく陽に茜色に染まる頃。幼いオデット・ダントルヴェルヌは灰色の古城をこっそり抜け出しては、翳りゆく庭園にじっと佇み、小鳥たちの声に耳を傾けていました。蝋燭の灯りのともる仄暗い居間に戻ると、レースの祭壇布に刺繍している叔母のヴァレリに「どこに行っていて?」と聞かれ、「小鳥さんたちが夜のお祈りをするのを聞きに行っていたの」と答えるオデット。かつてインドから帰る途中の船が沈んで両親を失ったオデットは、預けられていたパリの聖鳩修道院から、夫を失った叔母に引き取られたのです。ある8月の美しい晩、幼いオデットは自分も司祭に聞いた少女ベルナデットのように、聖母マリアを探しに行こうと思い立ちます。

山本容子さんの繊細な銅版画がとても美しくて手に取った本です。原題の副題は「けだるい大人のためのおとぎ話」。作者のロナルド・ファーバンクは、20世紀初頭にロンドンの裕福なアッパーミドルの家に生まれた作家で、ガラス細工のような文体、極端なはにかみ性、飲酒癖、奇癖などで当時のロンドンのインテリの間ではいわば伝説的な人物だったのだそう。
この物語の少女オデットは作者と同じく、もしくはそれ以上に裕福な家に生まれ育った少女。幼い頃に両親を失うものの、引き取ってくれた叔母に大切に育てられています。世の中に存在する醜いものを何も知らないまま、素直に純粋に真っ直ぐ育つ少女。...司祭の話す聖母マリアと少女ベルナデットの物語に感動し憧れて、自分も聖母マリアと会いたいと願っていたその時までは。
実際に少女が出会ったのは、聖母マリアとは程遠い女性。いわゆる「世界最古の職業」の女性ですね。でもオデットにとっては、彼女もまた外の世界の真実を教えてくれる聖母マリアのような存在だったのかも。この一晩の経験で、人生は美しい夢だけではないと知るオデットなんですが、そのことを受け入れつつ、自分に与えられた役割を見事に果たしつつ、オデットは大人への第一歩を踏み出すのですねえ。オデットが夜の庭園で摘んでいた深紅の薔薇が、朝の陽光の中、道端に散らばっている場面が暗示的。でもこの出会いは、おそらく2人ともにとって幸せなものとなったと思うんですが... 果たして作者のロナルド・ファーバンクが初めて世間を知った時はどうだったんだろう?

帯には「小川洋子さん推薦!」で「いたいけな少女が聖母の遣いとなる秘密の一夜は、銀の十字架のように清らかで枯れた薔薇のように妖しい。」という言葉があります。うわあ、まさにまさにまさに。やっぱりすごいな、小川洋子さんは。(講談社)

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家で子供を生むのが普通だった1860年代、病院での出産を決めた若き日のロジャー・バトン夫妻。夫妻は南北戦争後のボルチモアで社会的にも経済的にも恵まれた地位にあったのです。9月の早朝、赤ん坊がもう生まれたかどうかを確かめるために病院に急いでいたバトン氏が見つけたのは、かかりつけのキーン先生。しかし医師や看護婦たちの奇妙な態度に、バトン氏は恐れを抱き...。

今まで「グレート・ギャツビー 」しか知らなかったスコット・フィッツジェラルド。(とは言っても、私が読んだ時は「華麗なるギャツビー」だったんですが) この「ベンジャミン・バトン」は、今まで未訳だった短編が、映画化を期に翻訳されたということのようです。金目当てで沢山の短編を書いてるフィッツジェラルド、いいものはいいけど悪いものはとことん悪いのだそう。名作とされている物以外読む必要がなくて、翻訳する必要さえないというのが日米双方の研究者の間で共通了解となっているのだとか。そうだったのか...!

で、この作品。どこまで書いてしまっていいものなのか、正直迷ってしまうのだけど... でも既に色んなところで普通に書かれているようなので書いてしまうと、要するに、生まれた時に70歳ぐらいの老人の姿だったベンジャミン・バトンが、生きていくうちに徐々に若返っていくというSF的設定の話です。生まれた時は、まばらな髪はほぼ真っ白、あごからは煙色の長いひげが垂れています。当然実の親よりも遥かに年上。でもその実の父親は、現実を直視しようとしません。息子のひげを剃ったり、髪を切って黒く染めたり、全然似合いもしない子供らしい格好をさせたり。普通の赤ん坊のような行動を期待して、無理矢理1日中ガラガラで遊ばせたり。(実のお母さんがどう感じていたかなんていうのは全然ないんですが、これはどういう意図なんだろう?)
70歳の姿で生まれたとすれば、予め人生が70歳に設定されているようなものですよね。70年も生きられれば十分だとでも言うつもりなのか、それについては誰も触れていないのだけど...。
最初は楽しく読み始めたんですけど、途中からはちょっと痛すぎました。まるで指の間から零れ落ちていく砂みたいに、掴み取った幸せが零れ落ちていってしまうベンジャミン・バトン。幸せな時期って、本当に一瞬なんですね。普通の人間として生きていても、実際には一瞬のことなのかもしれないけど、それでも人生の流れの中で余韻もあるし、なんとなくそのままいったりもするはず。でもベンジャミン・バトンの場合は、本当に一瞬だということを直視させられることになるのが辛いところ。日本人は団体行動は得意だけど個性が足りなくて、なんて言われることも多いけど、個性というのも他人と同じ流れを生きているという土台があってこそのことですね。これじゃあどうしようもないです。...それでも精神年齢の流れが逆じゃなくて良かった、ってところかなあ。これが逆だったら本当に悲惨すぎるもの。少なくとも最後はね。それが唯一の救いだったように思います。(イースト・プレス)

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実朝が殺されて、かれこれ20年。当時20歳を越えたばかりだった「私」も御家人たちと共に出家し、鎌倉時代も今や遠い過去。しかし実朝のことだけは懐かしくてならず... と、「私」が実朝の思い出を語る「右大臣実朝」。
そして東北帝大医学部の前身・仙台医専を卒業した老医師は、周樹人ことその後の魯迅と同級生。魯迅の「藤野先生」を読んでやって来た記者相手に、当時の思い出話を語ります... という「惜別」。

「右大臣実朝」の実朝は、もちろん鎌倉幕府の3代目の将軍だった源実朝。鎌倉幕府を開いた源頼朝の子であり、兄の頼家が追放された12歳の時に将軍となるものの、26歳で甥(頼家の子)の公暁に襲われて落命。その源実朝の人物像を、吾妻鏡からの引用と共に、12歳の頃から側近として勤めてきた人物の目を通して描き出していきます。
中盤まではすごく読みにくかったんですけど、途中、実朝に太宰治自身が見えるような気がしてからどんどん面白くなりました。具体的には「何事モ十年デス。アトハ、余生ト言ッテヨイ」という台詞からだったかなあ。他にも色々と印象深い台詞があるんですよね。「平家ハ、アカルイ」「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ」とか。全部読んだあとに最初の方に戻ってみると、「都ハ、アカルクテヨイ」なんて言葉もあって... 読んでる時はそのまま受け止めていたけど、「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ」なんて台詞を読んだ後に改めてこの言葉を見ると、また印象が全然違ってきますね。公暁の言う、実朝自身の都に対する思いのこともあるし、色々と考えさせられます。実朝自身の一種清涼な明るさもまた「ホロビノ姿」だったのかしら。
話し手が実朝を無条件に崇拝してるので、実朝の負の部分はほとんど見えてこなくて、ひたすら賢さと典雅さを兼ね備えた青年として語られることになるんですが、その光が当たった実朝と対照的な存在なのが、影の存在である公暁。まるでこの作品で実朝に欠落してしまった人間らしさを一手に引き受けているみたい。一見裏腹な存在に見える実朝と公暁が、実は太宰治自身の二面性なのかな?

「惜別」で描かれているのは、若き日の魯迅。魯迅の「藤野先生」(感想)と呼応するような作品です。その「藤野先生」が印象深い作品だったこともあり、とても興味深く読みました。でも、描かれているのは確かに魯迅のはずなんだけど、やっぱりこの魯迅は魯迅自身が描いた魯迅とはまたちょっと違いますね。「藤野先生」に描かれていた魯迅の方が、大陸的な大きさを持っていたような気がします。ということは、やっぱりこちらに描き出されているのは太宰治自身の姿ということなんでしょう。1人孤独を噛み締めていたとしても、本人にそのつもりが全然なかったとしても、「周さん」を中心としてみんなが磁石のように吸い寄せられてるように見えるのがとても印象的でした。お節介焼きな津田憲治だって、本当は悪い人じゃないんだもんな。なんか可愛いな。
そして読み終えた直後は「惜別」の方が私の中では存在感が大きかったのに、少し時間が経ってみると「右大臣実朝」の方がどんどん存在感を増しているような... 今は「右大臣実朝」の方がむしろ好きですね。この印象の変わりっぷりは、我ながらなんだか不思議になってしまうほどです。(新潮文庫)


+既読の太宰治作品の感想+
「惜別」太宰治
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治

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昔、ヨーロッパはほとんど全部森で覆われており、人間も動物も森で暮らしていました。人々が生きていく上で、森は畑や牧草地以上に大切な存在。スウェーデンの人々も大きな森に囲まれた小さな村に住み、森の木で様々な道具を作り、食べ物を探し、家畜に緑の草を食べさせてたのです。しかし昔の森は、いつも緊張して身構えていなければならない場所。山賊が潜んでいたり、トロルやクーグスローンやヴィットロールなど姿の見えない魔物がいる所。森の中では思いもかけない不思議なことがよく起こり、人々はそんな話を暗い冬の夜長に語り合い、そして昔話や伝説ができていきます。この本に収められているのは、そんなスウェーデンに古くから伝わる、12の森のお話です。

スウェーデンの民話の本を改めて読むというのは初めてだと思うんですけど、さすが北欧繋がり、アスビョルンセン編のノルウェーの民話集「太陽の東 月の西」で読んだような話が多かったです。「バターぼうや」は「ちびのふとっちょ」だし、「トロルの心臓」は「心臓が、からだのなかにない巨人」。「仕事を取りかえたおやじさん」は「家事をすることになっただんなさん」。でもそれだけじゃなくて、それ以外の民話に似ているものもありました。「ティッテリチェーレ」は「トム・ティット・トット」や「ルンペルシュティルツキン」みたいだし、「親指小僧」は「ヘンゼルとグレーテル」のバリエーション。「トロルと雄山羊」「小便小僧のピンケル」も、出所が思い出せませんが、よく似た物語を読みましたよ。何だっけ? でももちろん、読んだことのないタイプのお話もありましたよ!
きっとお母さんが小さな子供と一緒に楽しむ本なんでしょうね。挿絵も可愛いし、お話の中に出てくる昔の道具や当時の生活習慣の簡単な説明が巻末にあるのが分かりやすいし、面白いです。ただ、ちょっと気になった部分も。この本に収めるために元のお話を簡略化しるんだろうと思うんですけど、それで話がおかしくなってる部分があるんですよね。「トロルの心臓」では、地主の娘を助けに来た小作人の息子が、娘に3つのことをトロルに聞くように指示するんですけど、その3つの質問のうちの2つ意図が分かりません。きっと元の話には関係するエピソードがきちんとあったのに、省略されてしまったんだろうと思うんですが...。いくら昔話では「3」が基本だからといって、そんなところだけ律儀に残しても。それに「王女と大きな馬」なんかは、ここからさらに冒険が始まる、というところで終わってしまっているような...。せっかくロシア民話のイワンのお話みたいになりそうだったのに。

まあ、それはともかくとして。

この中で凄かったのは「ふくろうの赤ちゃん」という話。

むかし、子どもがほしいと思いながら、なかなか授からない夫婦がいました。

ここまでは普通ですね。でも。

ある朝、おやじさんは仕事にでかけるとき、おかみさんにいいました。
「いいか、夕方帰ってきたとき、子どもが生まれていなかったら、命がないと思え」

そ、そんな無茶なーーー!!(笑)
この話、3ページぐらいしかない短い話なんですけど、もう最後まで可笑しいです。おかみさんもなかなかやるし、その後のおやじさんの台詞がまた最高。ああ、オチまで書いてしまいたいぐらい~。(ラトルズ)

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ボルヘス2冊。「伝奇集」は以前読もうとしてなかなか読みきれなくて、随分長い間放置してあったもの。本当に日本語で書かれてるのかと疑ってしまうほど、読んでも読んでも意味分からん、という状態で。でも先日、なんとなく「創造者」を買ってしまって(なんで買ったのかな、私)、試しに読んでみたら予想外の面白さ。思わず「エル・アレフ」まで買ってしまって(だからなんで買うかな、私)、「伝奇集」と一緒に読むことに。

どちらも読めました!(ほっ)
しかも面白かったよ!(すごいっ)

以前読んだ時に何が悪かったのかといえば、多分私の読む姿勢... というか頭の切り替えですね。小説なのかエッセイなのかよく分からなくて、自分の立ち位置がうまく確保できなくて、って感じだったと思うんですけど、今回は大丈夫でした。まるで真実の体験を伝えてるように書かれてるけど、色んな人名が登場してるし色んな文献からいっぱい引用されてるけど、例えばまるで本当に存在する本のように書評が書かれてるけど、これは全部、大真面目なほら話だったんですねーーー。そう思ってみると、突然面白く読めるようになりました。そうか、そういうことだったのか。私ってば頭が固かったんだなあ。

どちらも短編集で、でも「創造者」ほど短い作品ではなくて、でも長くても1編が30ページほど。どれも膨らせ方次第では、いくらでも長編になりそうなのに、敢えてこの書き方でこの長さなんですね。そういうのも多分、以前戸惑った一因だったと思うんだけど。真実と虚構のあわいをゆらゆらと。そしてどの作品にもボルヘス的宇宙が濃厚にそして無限に広がっていて。そして迷宮。...まあ、全部きちんと理解しきれたわけじゃないですけど、こういうのはするめみたいに何度も読んで噛み締めればいいわけですね。読むたびに新しい発見もありそうだし。その時々で気に入る作品も違うかもしれないな。という私が今回気に入ったのは、「エル・アレフ」では「神の書き残された言葉」。「不死の人」や表題作「エル・アレフ」ももちろんいいんだけど、今回はこれが一番すとんときました。「伝奇集」では「円環の廃墟」「バベルの図書館」。初読の時はとっつきが悪かった「トレーン、ウクバール、オリビス・テルティウス」も、やっぱり面白かったなあ。


+既読のホルヘ・ルイス・ボルヘス作品の感想+
「創造者」J.L.ボルヘス
「エル・アレフ」「伝奇集」ホルヘ・ルイス・ボルヘス
「幻獣辞典」ホルヘ・ルイス・ボルヘス、マルガリータ・ゲレロ

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ある精神病院の患者第23号が誰にでも話す話。彼は、3年前に1人で上高地の温泉宿から穂高山に登ろうとした時に、河童の世界に転がり込んでしまったというのです... という「河童」他、「蜃気楼」「三つの窓」の全3編。

中学の頃以来の再読。「河童」という作品は、一種のユートピア小説に分類されるようです。日本の昔話では「浦島太郎」とか「海幸彦山幸彦」なんかがお馴染みですね。陶淵明の「桃花源記」なんかもそう。芥川龍之介が東大英文学科の卒業論文で取り上げたというウィリアム・モリスも、「ユートピアだより」(感想)なんてユートピア小説を書いてます。でも「河童」は、そういった理想の世界を描き出す作品ではなくて、例えば「ガリヴァー旅行記」のように、現実に対する風刺を中心とする作品。
河童の国では、人間が真面目に思うことを可笑しがり、可笑しがることを真面目に思うんですね。正義とか人道といったことを聞くと河童は腹をかかえて笑い出すし、産児制限についての話も笑いの種となるんです。河童の赤ん坊は、この世に生まれたいかどうか自ら選ぶことができます。生まれる前から、ものすごくしっかりしてる河童の赤ちゃん。芥川龍之介は、自分も生まれるかどうか選びたかったと思ってたのかな...。あと、生まれた最初はとても年を取っていたのに、だんだんと若返っていく河童の話もあったなあー。ミヒャエル・ゾーヴァとアクセル・ハッケの「ちいさなちいさな王様」みたいに。
河童の国での様々なことが語られるんですけど、その中でも特に強烈だったのは、製本工場の話。本を造るのに、ただ機械の漏斗型の口に紙とインクと灰色の粉末を入れるだけで、無数の本が製造されて出てくるというもの。しかもその灰色の粉末というのは、驢馬の脳髄を乾燥させたもので、ものすごく安価なものなんです。芥川龍之介は自身の書いた作品にも、その程度の価値しか認めていなかったのかしら...。
芥川龍之介が自殺したのは、「河童」を書き上げた5ヵ月後。私にはこの「河童」はユートピア小説ではなかったです。現実に対する風刺というより、もうこれはそのまま芥川龍之介自身のことなのでは? 上に書いたことだけでなく、どのエピソードも芥川龍之介自身と重なるようで、読みながらもうなんだか痛々しく哀しくて仕方ありませんでした...。そう思って読むと、「蜃気楼」や「三つの窓」にも不吉に感じられるモチーフが散りばめられていますしね。これは芥川龍之介の叫びだったのでは?(岩波文庫)

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ウィンダミア卿邸を訪れたのは、ダーリントン卿。ちょうど花瓶にバラの花を入れていたウィンダミア卿夫人は早速通すように言いつけます。居間に入った途端に、テーブルの上に置かれた扇に目をつけるダーリントン卿。それはウィンダミア卿からの誕生祝い。その日はウィンダミア卿夫人の誕生日で、パーティが開かれることになっているのです。しかしそこにベリック夫人が現れて、ウィンダミア卿に関するいかがわしい噂を吹き込みます。

オスカー・ワイルド自身が生きていた19世紀末、ヴィクトリア朝末期のイギリス上流社会を描いた戯曲。中心となるのは、仲睦まじい夫婦に投げかけられた波紋の真相。夫婦の前に突如として現れたアーリン夫人は、美しくて才気溢れる女性なんですが、これを機会に金持ちの男性を捕まえようとしているのが見え見えなんですね。ウィンダミア卿夫人はもう冷静に話を聞けるような状態じゃないし、ウィンダミア卿にも何か理由があるんだろうとは思うんだけど、なかなかその事情は見えてこないし、まあ、今となってはあまり珍しくない展開ではあるんですけど、それでも面白かったです。アーリン夫人に関してウィンダミア卿が知っている真実とウィンダミア卿夫人が見た現実が平行線をたどりつつ幕、というのが面白いですねえ。からりとしていて、なかなか楽しめる戯曲でした。

「私たちはみんな同じ世界に住んでいますのよ。善も悪も、罪悪も純潔も、みな同じように手に手をつないでその世界を通っていますのよ。安全に暮らそうと思って、わざと目をつぶって人生の半面を見ないようにするのは、ちょうど、落とし穴や断崖のあるところを、もっと安全に歩いてゆこうと思って、わざと目隠しするようなものですわ」(P.113 )

ウィンダミア卿夫人、世間知らずで可愛いだけじゃなかったのね。(笑)
そして当時の貴族たちのやり取りも、いかにも~な感じで楽しめます。...調子いいよなあ。(笑) (岩波文庫)


+既読のオスカー・ワイルド作品の感想+
「サロメ」ワイルド
「幸福な王子」「ドリアン・グレイの肖像」ワイルド
「ウィンダミア卿夫人の扇」ワイルド

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光原百合さんの作品2つ。
その日「マノミの木」目当てに茉莉花村にやって来たのは、馬で10日ばかり行った先にある耀海(かぐみ)の若き領主夫妻。奥方の水澄が重い病にかかり、どんな病でも治すマノミにすがるしかないとやって来たのです。しかしマノミは魔の実。マノミ酒を飲んで命が助かれば、その代わりに最愛の人の記憶を失うのです... という「花散る夜に」。(新・本格推理 不可能犯罪の饗宴)
大学を卒業後、地元の尾道に戻った静音は、ひょんなことから神埼零というピアニストのコンサートに行くことに。音楽にはあまり詳しくないながらも鳥肌が立つような感動を覚えた静音は、それ以来、地元で演奏がある時は事務方スタッフとして手伝うようになり、いまや神崎零とも調律師兼マネージャーの木戸柊ともお馴染み。そして今回の演奏会が終わった後、静音は自宅にあるピアノのことを相談します。静音の家のピアノは音が出ないピアノ。相変わらず応接間に置かれているものの、静音の家ではみな諦めていたのです... という「ピアニシモより小さな祈り」。(オール讀物)

「花散る夜に」は、「嘘つき。やさしい嘘十話」に収録されていた「木漏れ陽色の酒」の続編。「最愛の人の記憶を失ってしまう」というのは、やっぱり何度考えてもキツい設定だわーと思いつつ。それだけだと話の範囲がどうしても狭まってしまいそうな気もするんですが、それは素人考えでした。ああ、なんて素敵なエンディング。
淡い金緑色のマノミの酒もなんですが、今回のマノミの花の散る場面の美しいことったら。この花びらの辺りで、ああこの作品はミステリなんだなあ、なんて改めて思ったりしてました。そして、ふと気づいてみれば。今回の領主夫妻の名前は「蒼波」「水澄」、前回は「水際」と「沙斗」。いずれも水に関係する名前なんですね。あの世とこの世の間にいる人々に、マノミの酒が効かなければもう助からない人々に、とても相応しい気がします。

「ピアニシモより小さな祈り」は、大好きな潮の道幻想譚シリーズ。これは尾道の街を舞台にした、ちょっぴり不思議なファンタジー。今回はピアノのお話。読んでいる後ろから、澄んだピアノの音が流れてくるような気がします。音と共に光の波が広がっていき、金色のオーロラに包まれるようなピアノの演奏、私も体験してみたい。でもそんな美しいピアノの音とは対照的な、切なくて哀しくてやるせない想いも存在して。最後の「ピアニシモより小さい音でしかなくとも...」という言葉がすごく良かったです~。そして和尚さんは相変わらずだし、静音は気が強い中に可愛いらしさがあって素敵だし、自分の魅力を知ってる人も、自分の魅力にまるで気づいてない人も、どちらも魅力的でした。私としては... 自分の魅力にまるで気づいてない人の方が好みかも。(笑)


そして光原百合さん情報です。
ギリシャ神話系ファンタジー「イオニアの風」の発売が決定になったそうです。発売日は8月25日。中央公論新社から。光原さんの本は装丁が素敵な本が多いのですが、今回も素敵な本になったそうで~。とっても楽しみ。
それと潮の道幻想譚シリーズは、これで単行本1冊分の短編が出揃って、これから単行本に向けた作業に入るとのこと! 最初の方のお話の記憶が朧になってるので、改めて最初から読み返すのがとても楽しみです。
あと、今刊行中の「詩とファンタジー」に光原百合さんの「夏の終わりのその向こう」が掲載されてるんですけど、それには「星月夜の夢がたり」で挿絵を担当された鯰江光二さんが絵をつけてらっしゃるんですね。その作品は、来年刊行予定の絵本に収録されることになるんだとか。内容は、ギロックの叙情小曲集の全曲をモチーフにしたファンタジーで(絵はもちろん鯰江光二さん)、小原孝さん演奏によるCDも付くんだそうです。光原百合さんは、尾道学園の創立50周年記念で校歌をご一緒に作られた時からの小原孝さんのファン。それ以来、すっかりピアノに開眼されて、小原さんが弾かれるギロックに魅了されて... 今回の「ピアニシモより小さな祈り」も、そうやって書かれることになったのですねえ。
ああ、どれも楽しみー!!(文藝春秋・光文社)


+既読の光原百合作品の感想+
「ありがと。 あのころの宝もの十二話」ダ・ヴィンチ編集部編(「届いた絵本」)
オール讀物11月号(文藝春秋)(「扉守」)
小説NON 11月号(祥伝社)(「希望の形」)
小説推理・オール讀物・星星峡(「1-1=1」「クリスマスの夜に」「オー・シャンゼリゼ」)
「最後の願い」光原百合
光原百合ベスト3@My Best Books!
「尾道草紙」尾道大学 創作民話の会
「銀の犬」「親切な海賊」光原百合
オール讀物 2007年10月号(「写想家」)
「嘘つき。 やさしい嘘十話」ダ・ヴィンチ編集部編(「木漏れ陽色の酒」)
オール讀物 2008年11月号(「旅の編み人」)
「新・本格推理 不可能犯罪の饗宴」二階堂黎人編・オール讀物 2009年8月号(「ピアニシモより小さな祈り」「花散る夜に」)
「イオニアの風」光原百合
「扉守 潮ノ道の旅人」光原百合
Livreに、これ以前の作品の感想があります)

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1954年から59年にかけて散文や詩の小品を書き、雑誌に発表していたボルヘス。ある日エメセー書店の編集者が訪れて全集の9巻として加えるべき原稿を求められ、その時は用意がないと断るものの、執拗に粘られて、已む無く書斎の棚や机の引き出しをかきまわして原稿を寄せ集めることになったのだとか。そして出版されたのがこの「創造者」。ボルヘス自身が最も気に入っていたという作品集です。

読み始めてまず驚いたのは、何よりも読みやすいということ。「伝奇集」が途中で止まったままだというのに、こちらは一旦読み始めたら、もう止まりませんでした。うわーん、面白かったーー。確かに、ここ数年でダンテの「神曲」も、アリオストの「狂えるオルランド」も読んだし、北欧神話関連も本が入手できる限り読んでいるし、ギリシャ神話関連もそう。ギリシャ悲劇だって、今の時代に読める作品は全部読んだし。ホメロス「イーリアス」「オデュッセイア」も再読したし、ミルトン「失楽園」も... って関係あるかな? 以前よりも理解できる素地が少しは整ってきているのかとも思うのですが。訳者解説を読むと、「伝奇集」や「不死の人」「審問」などの作品には、ボルヘスの個人的な感情の発露がほとんど見られないのに、こちらでは肉声めいたものを聞くことすらできる、とのこと。やっぱりそういうのも関係もあるんでしょうね。
ボルヘス自身、とても気に入っている本なのだそう。「驚くべきことに、書いたというよりは蓄積したというべきこの本が、わたしには最も個性的に思われ、わたしの好みからいえば、おそらく最上の作品なのである。その理由は至極簡単、『創造者』のどのページにも埋草がないということである。短い詩文の一篇、一篇がそれ自体のために、内的必然にかられて書かれている」...ボルヘス自身、全ての作品をできれば5、6ページ程度に縮めたいと語っていたそうです。確かにここに収録されている作品は、それぞれにエッセンス的な濃密さを感じさせますね。カルヴィーノの文学論とはまた違うものだとは分かっていても、どこか通じるような気がしてきたり。
読んでいて一番好きだったのは

文学の始まりには神話があり、同様に、終わりにもそれがあるのだ。(P.67)

この言葉。
ああ、この夏のうちに「伝奇集」を読んでしまおうっと!(岩波文庫)


+既読のホルヘ・ルイス・ボルヘス作品の感想+
「創造者」J.L.ボルヘス
「エル・アレフ」「伝奇集」ホルヘ・ルイス・ボルヘス
「幻獣辞典」ホルヘ・ルイス・ボルヘス、マルガリータ・ゲレロ

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険しい丘と広く深いトゥイードの川、さびしげなチェヴィオットの山並みにかかるように建てられているノーラムの城の高い見張り塔に立つ戦士たちは、遠くの馬のひずめの音を耳にし、ホーンクリフ・ヒルを越えて槍を持った一群の騎馬武者たちが近づいてくるのを目にします。それはイングランド中の騎士の華・マーミオン卿の率いる騎士たち。一行は早速城に迎え入れられます。マーミオンはヘンリー8世の命令でスコットランド王・ジェイムズ4世のもとへと赴く途中なのです。マーミオンはここで道案内を得ると、翌朝早速出発することに。

ヘンリー8世の寵臣・マーミオンが主人公の叙事詩。ちゃんと叙事詩の形で訳されてるのはすごく嬉しいのですがーーー。ウォルター・スコットにしては今ひとつ楽しめなかったかも...。訳者の佐藤猛郎さんも、長い間この作品を好きになれなかったそうなので、私だけではないというのが心強いんですけどね...。でも「そこで私はこの難解な『マーミオン』にじっくり取り組んでみたら、少しはこの作品が好きになれるのではないかと思い、『マーミオン』関係の資料を集めることにした」というのが私とは違うところ! なんて素晴らしい。

主人公のマーミオン卿は、尼僧のコンスタンスを誘惑して修道院から脱走させて愛人にしてるけれど、今度は広大な土地を所有する貴族の跡取り娘・クレアに目をつけ結婚しようとする... という面もあれば、戦いにおいては勇敢で誇り高い騎士という面もある人物。スコットランド対イギリスという大きな背景の中で、マーミオンのスコットランド行きやコンスタンスの裁判、今は尼僧見習いとなっているクレアのことなどが語られていきます。
この作品で難点なのは、やっぱりこの構成でしょうね。全6曲で、その曲は純粋にマーミオンの物語詩となってるんですが、それぞれに序詩がつけられていて、その序詩は舞台となる土地のことやウォルター・スコットのことを語る、本筋とは関係ないものなんです。これを読むたびに、本編の物語詩が分断されてしまうという弊害が...。結局、本編と序詩を別々に読むことになってしまいましたよ。実際の吟遊詩人の語りならば、そんなことにはならないでしょうし、そうやって緩急をつけることによって聞き手を飽きさせない効果があるんだろうと思うんですが... この作品に限っては逆効果じゃないかしら。やっぱり文字で読む詩と、語りで聞く詩の違いかなあ。ウォルター・スコットの傑作とされている長編詩3作品のうち、「湖の麗人」や「最後の吟遊詩人の歌」は大好きなのに。その3作品にこの「マーミオン」も入ってるということは、一般的には高く評価されてるということなのに。その良さがあまり分からなくて残念です。(成美堂)


+既読のウォルター・スコット作品の感想+
「アイヴァンホー」上下 スコット
「湖の麗人」スコット
「最後の吟遊詩人の歌」ウォルター・スコット
「マーミオン」ウォルター・スコット

+既読のウォルター・スコット関連作品の感想+
「ウォルター・スコット邸訪問記」ワシントン・アーヴィング

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6月。ムーミン谷近くの山が噴火して大きな地震が起こり、遠くから海の水が押し寄せてきます。洪水のせいでムーミン谷はすっかり水浸し。避難しなくてはならなくなったムーミントロールたちの前に流れてきたのは、ムーミン一家よりももっと人数の多い家族が一緒に乗れるぐらいの大きな家でした。一家は早速その家に引越しをすることに... という「ムーミン谷の夏まつり」。
11月から4月までは冬眠するムーミンたち。しかし新年を少し過ぎた頃。ムーミントロールはふと目を覚まし、それきり眠れなくなってしまったのです。家の中は夏と一緒でも、妙に静かで寂しくて... ムーミンママの布団の上で丸まって長い冬の夜を過ごしたムーミンは、朝になると外に出てみることに。スナフキンに会いに南へ行こうと思ったのです... という「ムーミン谷の冬」。

ムーミンシリーズの4作目と5作目。
「ムーミン谷の夏まつり」は、1作目の以来の危機勃発の物語。でも彗星が地球にぶつかるというあの時にもまるで動じなかったムーミン一家が、洪水ごときでうろたえるわけもなく。(笑) 避難というよりも、もうほんと普通にお引越しですね。ピクニックのような和やかさ。みんなが新しい家に落ち着いた後でも、ムーミントロールとスノークのおじょうさんが木の上に置き去りにされるという事件が起きるんですが、ムーミンパパもムーミンママもあまり心配してないし~。はぐれたと分かった最初こそ嘆き悲しむムーミンママなんですけど、「ほんとに、あの子たちのことが、そんなにかなしいのかい」と言われて、「いいえ、ちょっとだけよ。だけど、こんなにないてもいい理由があるときには、いちどきにないておくの」ですもん。そこで一しきり泣いたら、後は希望のみ。なんて前向きなんだ!(笑)
今回は、ムーミントロールの気障な台詞にひっくり返りましたよ。「わたしがすごくきれいで、あんたがわたしをさらってしまうというあそびをしない?」というスノークのおじょうさんに対して、ムーミントロールの答えは「きみがすごくきれいだ、なんてことは、あそびにしなくていいんだよ。きみは、いまだって、ちゃんときれいなんだもの。ぼく、たいていきみをさらっちゃうよ。あしただけどさ」ですよ! それと、いつも孤高な人生を歩んでいるスナフキンが、公園の「べからず」立て札を片端から引き抜いてやろうと、ニョロニョロの種を蒔いたり、一緒に逃げ出した24人の子供たちの世話をしたりとなかなか楽しい展開です。

「ムーミン谷の冬」は、シリーズ初の冬の物語です。目を覚ましてしまうのはムーミンとちびのミイ。
冬眠中の11月から4月までの期間というのは、ムーミンたちにとって存在しないも同じ時間。北欧が舞台なのに、ムーミンが雪を見たこともなかったというのが驚きなんですが、ここに描かれているのは、まさに北欧の冬。夏とは全然雰囲気が違います。死んだように静まり返った雪の世界。「夜が明ける」とはいっても、半年は夜となる北欧は、白夜の反対の極夜の状態。1日中、薄闇のモノトーンの世界なんでしょうね。家の中にも外にも、寂寞としたイメージが漂っています。雪は音を吸収するでしょうから、一層不気味だったのでは。
「ここは、うちの水あび小屋だぜ」と言うムーミンに対して、「あんたのいうとおりかもしれないけど、それがまちがいかもしれなくてよ。そりゃ、夏にはなるほどこの小屋は、あんたのパパのものでしょうさ。でも、冬にはこのおしゃまのものですからね」と返すおしゃまさん。そう言われてしまうと一言もありませんね。よく知っている場所のはずなのに、ここは既に異世界。夏と冬でこれほど世界が変わるというのがすごいです。北欧に住む人々にとっては普通なのかもしれませんが、とてもインパクトがありました。
そしてそれだけに、春の到来がとても素敵。まだまだ雪が厚く積もり、氷も厚くはって寒いながらも、やがて水平線にお日さまが最初は糸のように細く顔を出し、それから少しずつ高く上るようになり、やがてムーミン谷にも弱い日ざしが差し込むようになります。そして雪嵐。こんな風に北欧の人々は春を迎えるんですね。目が覚めたムーミンママの「わかってますよ」という言葉がとても温かいです。ああ、特に大事件はおきない話なんだけど、シリーズ5冊読んだ中でこの作品が一番好き!(講談社文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ムーミン谷の彗星」トーベ・ヤンソン
「たのしいムーミン一家」トーベ・ヤンソン
「ムーミンパパの思い出」トーベ・ヤンソン
「ムーミン谷の夏まつり」「ムーミン谷の冬」トーベ・ヤンソン

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七日の間誰も出て来ず、しかも何の応答もなくなった館。大后はたまりかねて白い糸の標を破って踏み込みます。そこにいたのは大王と衣通姫(そとおりひめ)。しかし大王は既に亡くなっていました。大后は衣通姫が大王の命を奪ったのだろうを弾劾するのですが、衣通姫は何とも答えようとせず... という「ささがにの泉」他、全7編。

オムニバス形式の七夕の姫の物語7編。神話の時代の衣通姫は「使い神」に守られた姫。姫の身体には地霊の力が満ち、国つ神の霊力を備えています。そしてその姫による機織は、まさに神事と言えるもの。「秋去衣」の軽大郎女(かるのおおいらつめ)にとっての機織も同様ですね。でも徐々に時代が下がるに従って、社会は変わり、霊力も失われ、機織は日常の仕事となってしまうのです。都ほどではないにせよ、変化に晒されることになるのは泉の地に住む一族も同様。それでもここに登場する姫たちは、みなそれぞれに様々な状況的な制約の中にありつつも、精一杯生きている女性たちなんですが... 「糸織草子」の姫なんて、読んでいて痛々しくなってしまうほどだったなあ...。
この7編の中で私が特に好きなのは、「ささがにの泉」と「朝顔斎王」。「ささがにの泉」は神話時代を感じられる独特の雰囲気が大好き。そして「朝顔斎王」は「源氏物語」の朝顔の斎院と重ね合わせられている、とても可愛らしい作品。

7つの題名は、それぞれに織姫の別名によるもの。(ささがに姫・秋去姫・薫物姫・朝顔姫・梶の葉姫・百子姫・糸織姫) 千街晶之さんの解説によると、折口信夫の論文「水の女」が発想源の1つであることは、ほぼ間違いないだろうとのこと。藤原氏は元々聖なる水を扱う家柄だったという説もあるのだそうです。そちらも読んでみたい! 確かに常に泉の地に住む一族が見え隠れしていますし、例えば「美都波」「瑞葉」「椎葉」「水都刃」...と「みづは」という名前が繰り返し登場するところなんかも暗示的。おそらく他にも様々な暗示的な意味合いが籠められているのでしょうね。そして、そこここに散らばるヒントを元に歴史上の人物のことを推理するのも楽しいところ。私も色々調べまくってしまいました。(その甲斐あって主要人物についてはほぼ全て分かったかな) 日本史に詳しい人ほど、一層楽しめそうです。でもそんなことは考えずに、ただストーリーを追って読んでも、十分ここに流れる空気は堪能できそうです。物語そのものも幻想的な美しさだし、物語の最後にゆかりの和歌が添えられているのも雅な美しさ。とっても味わい深い作品でした。(双葉文庫)


+既読の森谷明子作品の感想+
「れんげ野原のまんなかで」森谷明子
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「七姫幻想」森谷明子

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バーバ・ヤーガは、スラヴ系の民話に登場する魔女。元々はスラヴ神話における「冬」の象徴だったのに、キリスト教が入ってきて、すっかり悪い魔女になってしまったみたいです。元々は悪い存在じゃなかったので、時には良い人間を助けてくれる親切な老婆として登場したりもするんですけどね。そして、そのバーバ・ヤーガの住む家というのがとてもユニーク。鶏の足が生えた家なんです。その足でとことこ歩いて家が移動したり、ぐるぐる回ってる時も。

ムソルグスキーの「展覧会の絵」にも「鶏の足の上に立つバーバ・ヤーガの小屋」があるし、あちらの方にはかなり馴染み深い存在のようなんですけど、なかなかバーバ・ヤーガの登場する物語にめぐり合えないんです。アファナーシェフの「ロシア民話集」(感想)でもいくつか読めたし、スーザン・プライスの「ゴースト・ドラム」(感想)は素晴らしかったのだけど...! でも、ふと気がついたら。バーバ・ヤーガのお話の絵本が図書館にいくつかあるじゃないですか。早速ありったけを借りてきました。

今回読んだ5冊の中では、「まほうつかいバーバ・ヤガー」(松谷さやか再話・ナタリー・パラン絵)と「バーバ・ヤガーとままむすめ」(渡辺節子文・井上洋介絵)がほぼ同じ話で、「ロシア民話集」収録の「ヤガーばあさん」と同じ。そして「マーシャとババヤガーのおおきなとり」(宮川やすえ文・太田大八絵)が、同じく「ロシア民話集」収録の「鵞鳥白鳥」と、「おばけのババヤガー」(カロリコフ再話・カバリョーフ絵)が「りりしい鷹フィニストの羽」と同じ。オリジナルなのかな?というのは「バーバ・ヤガー」だけ。(私がオリジナルを知らないだけかも)
でも既に知ってる話でも、絵本で改めて読むと面白いー。以前読んだ時は挿絵も何もない状態でしたしね。「まほうつかいバーバ・ヤガー」は、バーバ・ヤーガの家が普通の木の小屋で足が生えてないのが難点なんだけど、ぐるっと周りを回っても入り口が見つからない家に「こやよ こやよ、森のほうには うしろむき、わたしのほうには まえむきに なあれ!」って言うところが面白かったし、部分的に切り紙細工のような絵が可愛かったし... 「バーバ・ヤガーとままむすめ」の絵はあまり好みではなかったんだけど、ちゃんとバーバ・ヤガーの小屋に鶏の足がついてくるりくるりと回っているのが良かったし。「マーシャとババヤガーのおおきなとり」に登場する小屋も、回ってはいないものの鶏の足付き。そして「おばけのババヤガー」の幻想的な絵の素晴らしいことったら...! 人物の絵はあまり好きではないんですけど、バーバ・ヤガーの小屋(鶏の足付き)や、魔法使いの女王の城の絵が特に素敵~。
唯一のオリジナル(?)の「バーバ・ヤガー」(アーネスト・スモール文、ブレア・レント絵)は、お母さんに言われてカブを買いに出たものの途中でお金を落としてしまったマルーシャが、森にカブが生えてないか探していると、やがて鶏の足の生えたバーバ・ヤガーの小屋が現れて... というお話。「白い騎士」と「黒い騎士」というのが素敵だったし、悪い子じゃないと食べないというバーバ・ヤガーがユニーク。恐ろしいながらもどこか抜けている魔女相手に、マルーシャは自分の力でで夕食になることを免れるんですよ! 面白いなあ。こういうのを読んでると、「いい子にしないとバーバ・ヤーガに食べられてしまうよ!」なーんて子供をたしなめるお母さんの声が聞こえてきそう。版画風の挿絵も素敵でした。あ、小屋にはちゃんと鶏の足がついてます。一番左に画像が出てる絵本の表紙の通りです。(童話館出版・福音館書店・ほるぷ出版・岩崎書店・ひさかたチャイルド)

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世界の名ピアニストを論評して欲しいと言われ、はじめは戸惑いを覚えたという青柳いづみこさん。しかし資料を読み込むうちに、雲の上の存在のようなピアニストたちもまた、同じようにステージ演奏家に特有の苦悩に直面していたと分かり、気持ちが変わったのだそうです。ここで取り上げるのは、スビャトスラフ・リヒテル、ベネデッティ=ミケランジェリ、マルタ・アルゲリッチ、サンソン・フランソワ、ピエール・バルビゼ、エリック・ハイドシェックの6人。この6人を論じ、そのことを通して、20世紀後半以降のクラシック音楽を取り巻く環境の問題、商業主義の弊害や、何度も繰り返す演奏行為そのものの難しさなども炙り出していきます。

バルビゼはかつての青柳さんの師だし、ハイドシェックは青柳さんご本人が親しい仲。よくご存知なんですね。でも直接知らなかったとしても、本人と直接関わり合った人々の話を聞いたり資料を読んだり... そのピアニストの音楽的生い立ちや音楽性を知るのはもちろんのこと、音楽を聴いて映像を見て、具体的な演奏技術や、演奏時の精神的な状態にまで触れて、単なる批評家にはなかなか踏み込めない領域まで踏み込んで書いているのが、とても面白いし興味深いところ。
この中でアルゲリッチだけはある程度知ってたんですが、他はほとんど知らなくて、すごく面白かったし興味深かったです。特にリヒテル。正規の音楽教育を全然受けないで育った人だったんですか! チェルニーなんて弾いたことがなくて、最初に弾いたのがショパンのノクターンの第1番って...! ワーグナーやヴェルディ、プッチーニのオペラのピアノ用編曲を片っ端から弾いて、早く寝ろとお母さんに怒られたんですって。ピアニストって小さい頃から猛特訓を受けてるイメージなんですけど、全然ちがいますね。やっぱり天才だったのか。「君はピアノが好きじゃないね」と言われたリヒテルが「私は音楽の方が好きなんです」と答えたというエピソードもとても印象深いです。
そしてハイドシェックの章では、ピアニストがピアニストであり続けることの難しさを目の当たりにさせられることに。訴訟問題でディスクが長い間出ないうちに、すっかり最新流行のピアニストではなくなってしまったことに気づくハイドシェック。新しいディスクがリリースされないと、雑誌のインタビューもラジオの出演依頼もなく、批評家も演奏会に来てくれなくなり、新聞や雑誌の批評も出なくなるんですって。そして左腕の故障。演奏会腕や手の故障の噂が業界に広まると仕事が来なくなると誰にも相談できずにじっと耐えるなんて... 痛々しすぎる。
そう思って読み返してみると、どのピアニストもそれぞれに転換期というものがあるんですよね。リヒテルは暗譜するのをやめ、ミケランジェリは弾き方が変わり、アルゲリッチはソロで弾かなくなる。その意味で一番印象に残ったのはミケランジェリ。まさに楽譜通りでミスタッチなど1つもない完成度を誇る非の打ち所のない演奏で知られるミケランジェリも、若い頃はイタリアのオペラ歌手のように時には熱く目にも留まらぬ速さで、時にはしっとりと歌いまくるピアノを弾いていたんだとか。でもその彼が、第二次世界大戦で変貌してしまうんですね。自分自身の体の変調だって本人にとって辛いのはとても分かるんだけど、それはまだ仕方ないのないこと。そういった外的で暴力的な影響によって人格まで変わってしまうような体験って...。

最後にそれぞれのピアニストの青柳さんの推薦盤紹介みたいなのがあれば良かったんだけど... アマゾンのレビューには「巻末にはそれぞれのピアニストのお勧めCDリスト付き」なんて書いてあるんだけど、どこだろう? ページが抜けてるのかしら? 巻末には参考文献とあとがきしかないんだけど! 書店で他の本もチェックしてみなくてはー。でもバルビゼとフェラスのデュオや、ハイドシェックのベートーベン全集をぜひ聴いてみたくなったし、ミケランジェリの「幻の高次倍音」や「重たいのに透明。濃淡が刻々と変化する」音を体感してみたくなりました。(白水社)


+既読の青柳いづみこ作品の感想+
「モノ書きピアニストはお尻が痛い」「ショパンに飽きたら、ミステリー」青柳いづみこ
「水の音楽 オンディーヌとメリザンド」青柳いづみこ
「ボクたちクラシックつながり」青柳いづみこ
「ピアニストは指先で考える」青柳いづみこ
「指先から感じるドビュッシー」青柳いづみこ
「ピアニストが見たピアニスト」青柳いづみこ
「六本指のゴルトベルク」青柳いづみこ

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女童のあてきがお仕えしているのは、藤原宣孝と結婚して2年目の藤原香子。香子は既に「源氏物語」の執筆に取り掛かっており、作品を読んだ左大臣・藤原道長から、娘の彰子の入内に当たって女房として仕えるよう何度も熱心な誘いがかけられていました。その頃、出産のために宮中を退出する中宮定子に同行した猫が繋いでおいた紐ごと失踪し、大騒ぎとなって... という「上にさぶらふ御猫」、そして失われた1帖の謎を探る「かかやく日の宮」、その後日談となる「雲隠」の3編。

鮎川哲也賞受賞の、森谷明子さんのデビュー作。先日読んだ倉橋由美子さんの「夢の通い路」(感想)にも紫式部や道長が出てきたとこだし、丸谷才一さんの「輝く日の宮」は、この作品と合わせて読んだんですけど、またちょっと源氏物語が自分の中で大きく浮上してきてます。
というこの「千年の黙」は、平安時代を舞台に、繋いでおいた猫が失踪した事件と、「かかやく日の宮」が失われた理由を探るミステリ作品です。探偵役は紫式部。猫の事件の方は日常の謎系なんですが、失われた章の理由を探る「かかやく日の宮」は、立派な新仮説。丸谷才一の「輝く日の宮」で書かれていた解釈ほどの大胆な仮説ではないものの... うーん、比べてしまうとやっぱりちょっぴり小粒かしら。でもこちらはこちらで1つの立派な仮説となっています。なるほどね~。そして「雲隠」の章での、紫式部と道長のやりとりにニヤリとさせられて。
紫式部はもちろんのこと、その夫の藤原宣孝やその上司に当たる藤原道長、道長の娘の彰子中宮といった歴史上の人物も登場するし、阿手木やその夫となる義清、阿手木の親しい友達となる小侍従も賑やかに動き回っていて、こちらは物語として面白かったです。平安時代という舞台の雰囲気が楽しかった~。そして紫式部の「物語を書くこと」に対する思いは、そのまま森谷明子さんの思いでもあるのでしょうね。作者は自分の心を偽らないように書く、しかし一度作者の手を離れてしまえば、それはもう読者に託すしかない... 全編を通して「物語」に関する印象的な台詞が多かったです。例えばこんなの。

「物語というものは、書いた者の手を離れたら、ひとりで歩いていくものです。わたくしのうかがいしれぬところで、どんなふうに読まれてもしかたがない。うっかり筆をすべらせたら、後の世の人がどんなにそしることかと思うと、こわくて身がすくむこともあります」
「そう、むずかしいのね。あたしはそんなことは考えない。後の世のことは、神仏でもない身にはわからないもの。ただね、自分の心はいつわらぬようにしよう。あとは自分に子どもが生まれたら、その子にだけは誇ってもらえるようにしよう、と。そしてほかの人にはどう見られようと、かまわないでいようと」(P.215)

これは入内する前の彰子との会話。こういう言葉って、デビューして色んなところで色々なことを書かれた作家が書きそうなイメージがあるのだけど... 森谷さんはデビュー作で書いていたのですね。(創元推理文庫)


+既読の森谷明子作品の感想+
「れんげ野原のまんなかで」森谷明子
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子

+既読の「源氏物語」の感想+
「源氏物語」+「まろ、ん?」小泉吉宏(与謝野晶子訳)
「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治

+既読の「源氏物語」関連作品の感想+
「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「源氏供養」上下 橋本治
「輝く日の宮」丸谷才一
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「七姫幻想」森谷明子
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

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母校である女子大の日本文学科専任講師を務める杉安佐子は、ロンドンに駐在している兄のもとに遊びに行く時に知り合った長良豊と、京都の学会に行くために乗った新幹線で再会。京都で行きたい場所がある安佐子は、それが「源氏物語」の藤壺のいた辺りだということを長良に説明し、かつて源氏物語にあったといわれる「輝く日の宮」という巻のことを語ります。

森谷明子さんの「千年の黙」が文庫になったので、それを読もうと思ったんですが、それなら合わせてこちらも読むのがお勧めと七生子さんに教えていただいて~。こちらを先に読んでみました。「輝く日の宮」というのは、「源氏物語」にかつてあったとも言われる幻の章。まだそういう学説があるというだけに過ぎなくて、存在が証明されてるわけではないようですが、「桐壺」と「帚木」の間にあったと言われてるんですね。確かに現在読める「源氏物語」には、藤壺の宮との一度目の逢瀬のことは何も書かれてないし! その後の六条御息所の登場も、もひとつ後の朝顔の姫のことも唐突だし! 特に六条御息所とは、初めて名前が登場した時にすっかり馴染んだ仲として描かれていたので、いつの間に?!と読みながら戸惑ったものです。大切な説明がすっぽりと抜け落ちているという印象。で、「輝く日の宮」という章があったという説があると聞いて納得したのですが... まさかその章が失われた理由がこういうことだったとは! うわあ、これは大胆な仮説ですね。でも驚いたけど、とても説得力がありました。
でもね、この作品で本筋の源氏物語の話になるのは、物語が始まって150ページほども過ぎてからなんです。それまでは安佐子が中学3年の頃に書いた短編のこととか、元禄文学学会で発表した「芭蕉はなぜ東北へ行ったのか」のこと、「日本の幽霊シンポジウム」など他の部分が詳細に描かれていて、その合間には為永春水と徳田秋声の「春水-秋声的時間」のことや、父・玄太郎の生活史研究のことも挟まれていて、そのそれぞれが色んな手法で書かれてるのが面白かったものの、いつになったら本筋になるんだ?って感じだったんです。でもこれが実は実は実は... 私がその意図を本当に理解したのは、本文を読み終えて解説を読んでからでした。うわー、なるほど、そういうことだったのですね! これには全く気づかなかった... というか、読みながら気づくのは私には到底無理なんだけど...(笑) なるほどぉ。どの部分も、実はそれぞれ実は深い意味があって存在してたんですねー。
これは安佐子の成長物語であり、恋愛物語でもあり、そして大きく昭和の時代を追う小説でもあり、「輝く日の宮」が存在したことを証明する小説形式の論文でもあり(松尾芭蕉論、泉鏡花論、そして宮本武蔵論も)... ああ、こういうのって面白いなあ。安佐子とか他の女性の造形が一昔前の女性のようで、あまり魅力が感じられなかったのが残念なんですが... それにかなり現代に近づいてもまだ旧仮名遣いというのはなぜ? と違和感も感じてしまったんですが... でも旧仮名遣いだからこそ、最後の章が違和感なく読めるのかもしれないですね。いや、面白い趣向でした。これは日本文学好きには堪らない作品かも~。私としても「輝く日の宮」の仮説が読めて良かった! 面白かったです。(講談社文庫)


+既読の「源氏物語」の感想+
「源氏物語」+「まろ、ん?」小泉吉宏(与謝野晶子訳)
「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治

+既読の「源氏物語」関連作品の感想+
「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「源氏供養」上下 橋本治
「輝く日の宮」丸谷才一
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

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グリム姉妹の事件簿1

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書評/ミステリ・サスペンス


11歳のサブリナと7歳のダフネのグリム姉妹は、2年前に両親が失踪して以来孤児院暮らし。孤児院のミズ・スミートはグリム姉妹のことを毛嫌いしており、2人を孤児院から引き取ってくれる家庭を見つけることが、今や彼女の一大使命となっていました。今もまた、祖母だと名乗る人物のところに連れて行かれるところ。しかしこれまで2人を送り込んだ先の人々は大抵意地悪で、時には頭がおかしいこともあり、2人をメイドや子守りとしてこきつかうか、ただ無視するばかり。その上、今回連れて行かれる先は、両親にずっと死んだと聞かされていた祖母のところなのです。サブリナはその「祖母」の偽者の家からもすぐ脱走する心づもりにしていました。しかしダフネはすぐに「レルダおばあちゃん」に懐いてしまい...。

東京創元社の創元ブックランドの新刊。今回は献本で頂きました。感謝。
本の案内に、かのグリム童話をまとめたグリム兄弟の子孫が、今はおとぎばなしの登場人物たちの見張りをしつつ、代々探偵業を営んでいるとあり、この時点で既に興味津々だったのですが、帯にはさらにジェイン・ヨーレンの「どうしてわたし自身で考えつかなかったんだろう! すっごいアイディア」という言葉が。ジェイン・ヨーレンにそんなことを言わせるとは、と読む前から期待が膨らみます。
そして実際に読んでみて。確かにこの設定は面白い~。そもそもグリム兄弟がおとぎばなしを書き留めたのは、おとぎばなしの時代の終わりが近づいたことを悟ったから。昔々はおとぎばなしに出てくる生き物たち(エヴァーアフター)と人間は共に暮らしていて、不思議なことも日常的に存在していたのに、両者は徐々にぶつかり合うようになってしまったんですね。魔法が禁止され、エヴァーアフターたちが迫害され始めたのを見たグリムは、できる限り沢山の物語を書き留め、親しくなったエヴァーアフターたちがアメリカ移住するのを手伝います。船を世話し、ハドソン川のほとりに土地を買って、エヴァーアフターたちがその土地に町を築くのを手伝うんです。でも新大陸にも徐々に人間は増えて、エヴァーアフターたちの身に再び危険が迫ります。バーバ・ヤーガに魔法をかけてもらうことによって、今の状態に落ち着くことになったんですが...。
その話がレルダおばあちゃんから出た時は、グリム一族がエヴァーアフターの後見人のような役割なのかなあと思っていたのですが、舞踏会での会話を聞いている限りでは、エヴァーアフター側にも様々な思いがあるようで! その辺りは、読んでいてちょっと複雑になってしまったんですけど... でもいずれにせよ、どちらか一辺倒の態度だけってわけじゃないのが良かったです。それに昔ながらの物語やファンタジー系の作品の登場人物が所狭しと歩き回っているのには、やっぱりわくわくしてしまいます。彼らの裏の素顔を覗き見るような楽しさ~。そして一番魅力的だったのは、レルダおばあちゃんの言う「世界一大きなウォークイン・クローゼット」! これはすごいです! この中、入ってみたい!!

今回だけで解決することと、また次回以降に続くことと。まだまだ小手調べといった感じもあるし、これでようやく登場人物たちが落ち着くところに落ち着いたので、今後ますます面白くなりそうな予感。次作も楽しみに待ちたいと思います。そして創元ブックランドの本は毎回挿絵も楽しみなのですが、今回は後藤啓介さんによる影絵調の挿絵で、これも物語の雰囲気によく似合っていて素敵です。(創元ブックランド)

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夜が更けて夫も子供たちも犬も寝静まった頃。化粧を直して人と会う用意をする桂子さん。鏡を見ると、そこに映っているのは、夜の化粧のせいで妖しい燐光を放つ「あちらの世界」の顔。外に来ている人の気配を感じた桂子さんは、家を抜け出します。そこにいたのは佐藤さん。しかし佐藤義清という名前の長身痩躯の紳士は、実は西行なのです。

桂子さんシリーズの外伝的作品... でいいのかな。魅惑的な「あちらの世界」の面々と交歓する桂子さんの物語。桂子さんと出会うのは西行、二条、後深草院、藤原定家、式子内親王、六条御息所、光源氏、藤原道長、紫式部、和泉式部、エルゼベート・バートリー、メーディア、則天武后、かぐや姫etcetc...という、虚実取り混ぜた豪華絢爛な面々。でもどんな人々と共にあっても、桂子さんの女神ぶりは相変わらずで~。相手に合わせて、しなやかに上品に踊っていますね。本当はとてもエロティックなはずなのに、そこには獣の生々しさは全くなくて、どこか植物的なんですが... ここで私が感じたのは、植物というよりも水。さらさらと流れる水のようなエロティシズムのような気がしました。現実と異界との転換点としても、水というのはとても相応しいのではないかと思うのですが~。
古今東西の様々な人物が登場するだけに、他の倉橋作品以上に様々な素養が現れていて、それもとても面白かったです。登場する面々の中でも特に印象深かったのは、処女の血を搾り取ったというエルゼベート・バートリ伯爵夫人、そしてエウリピデスの描いた物語は真相とは違うと語るメーディア。ここに描かれる血のお風呂や血のワインの魅惑的なことったら。さらに桂子さんが二条と語る、トリスタンと金髪のイズーの物語の話も面白かった! トリスタンとイズーが秘薬を飲んだ理由に、これ以上説得力のある回答は思い浮かばないな。(講談社文庫)


+桂子さんシリーズの感想+
「ポポイ」倉橋由美子
「夢の浮橋」倉橋由美子
「城の中の城」倉橋由美子
「交歓」倉橋由美子
「夢の通い路」倉橋由美子
「よもつひらさか往還」倉橋由美子

+既読の倉橋由美子作品の感想+
「偏愛文学館」倉橋由美子

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コンピューター・グラフィックスを駆使して制作された映画「シュレック」は、実はヨーロッパ中世文明がはぐくんだ色のイメージを見事に使っている映画なのだそうです。シュレックの醜さを強調しているのは、やや黄色味を帯びた緑の顔の色であり、夜になると醜く変身してしまうフィオナ姫も同様。しかし昼間の美しいフィオナ姫は、深く落ち着いた緑色のドレス姿。このように相反する美醜をいずれも緑で表現しているのが、中世ならではの色の世界。中世の緑色は、春の自然の美しさを表し、青春と恋愛を示す色であると同時に、混乱と破壊を示す悪魔の色。こういった中世ヨーロッパの人間が共有した色彩に対するイメージや、それぞれの色に付加された意味合いを知ることを通して、中世の人々の心の世界と社会のありかたを探っていく本。

本来中世とは西ローマ帝国が滅亡した5世紀後半からビザンティン帝国が滅びる15世紀半ばまでを示す言葉ですが、本書が対象としているのは12世紀から15世紀まで。ロマネスク様式からゴシック様式となった聖堂に色鮮やかなステンドグラスが作られ、美しい写本が次々と制作され始めたのが12世紀後半で、その頃から世俗の文学作品や造形芸術の創作にも色が登場してきたんですね。
中世で最も美しく鮮やかと考えられていたのは赤であり、最も汚い色は黄褐色。最も目立たない色は淡紅色。白や赤、青の色のイメージがいいのは分かるけど、緑や黄色は負のイメージが強い、というのは意外でした。確かに黄色には「嫉妬深い」なんて意味もあるし、まだなんとなく分かる気もしますが... 実は犯罪者の烙印の色であり、人を蔑視する色であり、ユダヤ人を区別する色でもあり。ヨーロッパでは長い間忌み嫌われてきた色なんだそうです。黄色は金色に通じるかと思ってたんですが、銀が白に通じても、黄色と金色が同一視されることはないのだとか。でもでも、緑は新緑の色じゃないですか! そりゃあ「green」にだって嫉妬とかそういう負の意味はあるし、他にもアーサー王伝説に登場する緑の騎士とか、妖精関係とか、ちょこちょことありますけどね。でも五月祭や聖パトリックの祝日なんて緑の日じゃないですか。ロビン・フッドとその一味だって緑の服が定番だし! でも陽気な青春の色であり、恋と結婚の色であり、生命の誕生と再生の色である緑ではあっても、同時に移ろいやすい未熟な色であり、混乱と破壊、淫乱と怠惰の色でもあるのだそうです。しいては悪魔の色。(そこまでとはね) まあ、染色で緑色を出す難しさも絡んでいたようなんですけどね。青に染めて次に黄色で染める、という二重の工程が必要なので高価だったというのもあって。(自然の色から、すんなりと緑を染めることができないというのは、志村ふくみさんの本にもありました)

色のイメージを知ることによってその暗示するところを知るという部分では、たとえばアーサー王伝説のうちの1つ、トリスタンとイズーの物語には、「金髪のイズー」と「白い手のイズー」が登場するんですけど、金色はそれだけで美しく高貴な人物であることを示すもの。でも「白い手のイズー」の白は、その美しさと同時に、形ばかりの妻という「白い結婚」を示唆するものでもあり... そういうのもすごく興味深かったですし。あと、色の組み合わせも。たとえば黄色と緑はどちらも負のイメージが強い色で、その2つを組み合わせると否定的な意味は一層強力になるんですが、たとえば物語や絵画に登場する騎士が黄色と緑の紋章を使っていたら、それは常軌を逸する人物だという暗示。そして黄色と緑の衣服といえば、道化服のミ・パルディ。ミ・パルディというのは、たとえば右半身が緑で左半身が黄色、というような全く違う2色使いをした服のことで、これは道化師の服の定番なんですが、道化が着るだけでなくて、一般の人々も政治的な意図で着用することがあったようなんです。たとえばシャルル6世妃となるイザボー・ド・バヴィエールをパリ市に迎え入れる時、市民はみんな赤と緑のミ・パルディを着たのだそうです。赤と緑はクリスマス... じゃなくてシャルル6世の色であり、王への恭順と王妃への歓迎を表すもの。即位式の時なんかも、王の色を2色身にまとうことによって王への恭順の意を示したんだそうです。でも他国の権力者を迎え入れる時は、パリ市の紋章の色を身につけて歓迎の意を示したり。
なぜ2色かといえば、2色使いが流行ってたかららしいんですが(笑)、そもそも沢山の色を使うことは気紛れを表すことで、よくないんですって。品も良くないし、人格も疑われるんだとか。そして同じ2色使いでも縞柄になってるとまた大変。これは娼婦のしるしとなり、身持ちの悪さを表してしまうのだそうで...。

そんな話が満載の本で、すごく面白くてメモを取りまくってしまいました。こういった知識があれば、中世の文学作品だけでなく、絵画作品も一段深く理解し楽しむことができますね。というかそういう作品に触れる時にはこういう知識も必須なんだなあ。読んで良かった!(講談社選書メチエ)

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伊勢英子さんによる宮沢賢治作品の絵本を一挙に4冊。
ざしき童子(ぼっこ)は、東北地方、特に岩手県に伝わる伝説の存在。特定の家に居つき、ざしき童子がいる家は栄え、去られてしまった家は傾くという... そんなざしき童子のお話を4つ集めた「ざしき童子のおはなし」。
姿が醜いため、他の鳥たちに顔を見たくないとまで言われてしまうよだか。みんなに嫌われていることを悲しんだよだかは、弟のかわせみに別れを告げ、太陽の方へと飛んでいきます... という「よだかの星」。
谷川の岸にある小さな小学校に新しく来たのは、赤い髪に変てこな洋装をしたおかしな子供。父親の仕事の都合で、北海道の学校から転校して来たのです... という「風の又三郎」。
しきりにカルメラのことを考えながら、赤い毛布(けっと)にくるまって雪丘の裾を家に急ぐ子供。しかしその日は水仙月の四日。じきに風が出て、乾いた細かな雪が降り始め、あたり一面は真っ暗に.. という「水仙月の四日」。

やっぱり「ルリユールおじさん」や「大きな木のような人」、「にいさん」のような絵本とは違っていて、こちらはやっぱり子供向けだなあという感じでしたが、それでもどれも伊勢英子さんの絵が堪能できる絵本ばかり。「ざしき童子のおはなし」は、昼下がりの穏やかな光、夕暮れの柔らかい光、残暑の頃の明るい光、そして眩しいほどの月の光... と、どの絵も光がとても印象的だったし、「よだかの星」は後半の色の深みと美しさが素晴らしいと思ったし、「風の又三郎」はどれも吹き渡る風を感じるような絵。「水仙月の四日」は、青と白が美しくて、その中の子供の毛布や、雪狼の舌の赤がとても鮮烈。

最初読んだ印象では、「水仙月の四日」が一番好きかなあと思ったんですが... 文章だけで読んだ時もとても印象深い作品だったし、伊勢英子さんらしい青を楽しめますしね。でも読んでから少し時間が経った今は「よだかの星」の印象の方が鮮烈に残ってるということに気がつきました。この絵本、最初の何枚かの絵が、あまり私好みの色彩じゃないんです。どこか民話調の赤の使い方というか、あまり色にも深みがなくて、なんでこういう色使いをするんだろう、とどうも違和感があったんです。でも、後半の色の深みが素晴らしい! なんて美しいんでしょう... もしかしたら、前半の絵は表面上の美醜しか捉えようとしないほかの鳥たちの浅さを表現してるのかしら。そして後半の深みのある広がりのある色彩は、よだかの内面を表しているのかなあ、と思ったのでした。...ただ単に前半の絵の美しさを、私が感じ取れなかっただけなのかもしれないんですが。(笑)(講談社・くもん出版・偕成社)


+既読の宮沢賢治作品の感想+
「宮澤賢治のレストラン」中野由貴 「銀河鉄道の夜」宮沢賢治
「注文の多い料理店」「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」宮沢賢治
「よだかの星」「ざしき童子のはなし」「風の又三郎」「水仙月の四日」宮沢賢治・伊勢英子

+既読の伊勢英子作品の感想+
「ルリユールおじさん」「絵描き」いせひでこ
「旅する絵描き パリからの手紙」伊勢英子
「グレイがまってるから」「気分はおすわりの日」伊勢英子
「マキちゃんの絵にっき」「ぶう」伊勢英子
「カザルスへの旅」伊勢英子
「はじまりの記憶」柳田邦男・伊勢英子
「1000の風 1000のチェロ」「雲のてんらん会」いせひでこ
「空のひきだし」いせひでこ
「むぎわらぼうし」竹下文子・いせひでこ
「大きな木のような人」「ルリユールおじさん」いせひでこ
「にいさん」いせひでこ
「よだかの星」「ざしき童子のはなし」「風の又三郎」「水仙月の四日」宮沢賢治・伊勢英子

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オランダの貧しい牧師の息子として生まれたヴィンセント・ヴァン・ゴッホとその弟のテオ。「とうさんのような人になりたい」と語る兄と、にいさんのような人になりたいと思う弟。学校を出た兄は画廊に勤め、絵に囲まれて働く喜びがあふれる兄の手紙に、弟も16歳になると迷わず画廊に就職。しかし牧師である父のようになりたいという思いも捨てきれなかったのです。兄はやがて解雇され、様々な職につくもののうまくいかず何度も挫折を経た後、やがて絵描きになる決意を固めます。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホとその弟のテオの物語。まずこの絵本で目を奪われるのはその色彩。表紙の黄色も印象的ですが、中はもっとすごいです。これほどまでに深みのある青とそして鮮烈な黄色の対比とは...。
伊勢英子さんは1990年からずっとゴッホの足跡をたどる旅を続けているのだそうで、エッセイ「ふたりのゴッホ」、絵本「絵描き」、実の妹さんと共訳したという「テオ もうひとりのゴッホ」を経て、どうしても描きたかった物語がこの絵本として結実したとのこと。その思いがすごく伝わってくる絵本です。ゴッホから弟に宛てた700通近い手紙から伊勢さんが感じたという「誠実に生きようとすればするほど、節度のない過剰な人間と見なされて居場所を失っていった彼の生きづらさと、白い画布以外に自分らしく生きられる場所がないという痛切な叫び」が、こちらにまで痛いほど伝わってきます。天才肌の芸術家と一緒に暮らすというのは、本当にものすごく大変なんでしょうね。しかもそれが実の兄ときた日には... 兄を愛しながらも困惑し続けたであろうテオ。テオの送る金でゴッホは旅を続け、パリのテオのアパートに押しかけて、アパートを絵の具だらけにしながら習作で埋め尽くし、客が来れば誰彼構わず議論をふっかけて、テオの生活をめちゃくちゃにしてしまいます。そしてアパートを出てからも、金や絵の具や筆、キャンバスを無心し、借りた金を自分の描いた絵で返すという身勝手さ。しかしその絵は決して売れることがないのです。自分の欲求に素直に生きることしかできない兄に対して、「ぼくはきみのエゴイストぶりにあこがれながら、そのすさまじさをにくんだ」という文章が心に突き刺さるようです。
この青や黄色の色の強さは素晴らしいですね。命がこもってるようです。私が見ているのはあくまでも絵本であって、原画ではないのに、それでも魂を吸い取られるような気がしたし、物語の中にも引きずり込まれました。これで原画だったらどうなってしまうんだろう? 強烈に伝わってくるものがある絵本です。(偕成社)


+既読の伊勢英子作品の感想+
「ルリユールおじさん」「絵描き」いせひでこ
「旅する絵描き パリからの手紙」伊勢英子
「グレイがまってるから」「気分はおすわりの日」伊勢英子
「マキちゃんの絵にっき」「ぶう」伊勢英子
「カザルスへの旅」伊勢英子
「はじまりの記憶」柳田邦男・伊勢英子
「1000の風 1000のチェロ」「雲のてんらん会」いせひでこ
「空のひきだし」いせひでこ
「むぎわらぼうし」竹下文子・いせひでこ
「大きな木のような人」「ルリユールおじさん」いせひでこ
「にいさん」いせひでこ
「ざしき童子のはなし」「よだかの星」「風の又三郎」「水仙月の四日」宮沢賢治・伊勢英子

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暇があると古文書調べをするのが好きなルイ。夏になると七都地方を巡っては古い要塞城やドミニコ修道院、打ち捨てられたジェズイット派の学寮を見てまわり、バロックの大修道院に長居して、昔の図書館の残骸から貴重な文献や手稿を発見するのです。そして、その時ルイが古くからの友人に案内されたのは、シェスブルグのとある学院蔵書が保存されている穀物倉。何千冊もの本が、版型にしたがってむくの本棚に並べられていました。これはあるドミニコ会修道院付属の図書館が起源となる蔵書で、最も貴重な部分は、数学と天文学の教授であるアロイシウス・カスパールによって集められたもの。そしてこのアロイシウスという人物は、当時ハノーヴァー王立図書館の稀覯書担当司書をしていた、哲学者のライプニッツと親しかったのです。

この物語には1章に1つずつ架空の書物が登場します。アロイシウス・ガスパールによる「ライプニッツの形而上学序説への批判的注釈」、ミゲル=アルバル・ツサニーによる「異端審問教程」、ジュゼッペという若者による「饗宴」、グロスの韻文五幕の悲劇「エル・マハディ」、そしてルイ自身による「ペルシャの鏡」。5つの章全てにおいて、書物の存在がとても大きいのです。読み進めるうちに、いきなり書物の中に引きずり込まれ、しかもその中にも他の章と同じように書物が存在して、という状態になってみたり...。途中でちらりちらりと登場する鏡も印象的。訳者解説によると、ライプニッツは「モナドは宇宙を映す永遠の生きた鏡である」と述べているのだそうで、これは作中の「ひとりひとりの魂が宇宙を総体として映しだす力を持っている」というライプニッツの言葉に通じるのでしょうね。「各実体は宇宙に対する神のあるひとつの見方を示しているのであって、同一の宇宙を見ているといっても、その見方は次々と変わっていくのだよ。そう、ちょうどひとりの散歩者にとって同じ街が観る場所によって様々に異なって見えるように」... これこそがこの作品の本質を示す言葉なのかもしれません。現実と書物が、実体と鏡に映し出された鏡像のような関係になっているようで、まるでエッシャーのだまし絵みたい。
訳者あとがきに、「ライプニッツの「可能的世界」を幻想図書と鏡で幾重にも多重化した入れ子構造の世界」とありました。でもね、そもそもライプニッツのその「可能的社会」がよく分からないのです。それがすごく要になっているはずなのに! だから作品そのものも理解しきれず... うわーん、勉強不足が悔しいです。(工作舎)

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「印象主義音楽の創始者」「音の画家」などと言われ、その境界線が曖昧な雰囲気が、西洋音楽史では印象派的な扱いを受ける原因となっているドビュッシー。しかし彼の曲は、目で見た風景を切り取ってその印象を素早く描きとめる印象派とは違い、いったん自分の中に取り入れて熟成し、その後再び外に出て音となるというもの。出来上がったものは似ていても、その精神は違うのです。...この本ではドビュッシーの曲を弾くための土台作りとなるレッスン方法を紹介し、ドビュッシーの代表的な曲をとりあげて、その曲の解釈や基本的な奏法を紹介していきます。

ピアノの曲を弾くというのは、ただ譜面だけ追えばいいというものではないんですね。作曲家のことを知り、その曲の背景を知ることによって、より深い演奏ができるはず。ということで、ドビュッシーの人生をたどりながら、その人となりや生きた時代を知り、作品にこめられた思いを感じ取り、それをそのままピアノの音として表現しよう、という本です。実践的なピアノ奏法だけでなく、ドビュッシーを弾くために必要な基礎的レッスンのやり方も紹介されてて、実際にピアノに向かった時の手の形の写真や、楽譜への詳細な書き込みなんかもあったりして、青柳いづみこさんの行うレッスンをそのまま紙上に移し変えたような感じ。まず巻頭には、ドビュッシーが好きだった名画がカラーで掲載されていますしね。この絵からあの曲が生まれた、なんていうのもすごく興味深いですね。ドビュッシーのピアノ曲を弾きたいと思っている人にとっては、すごく勉強になる本のはず。そしてここに書かれてることは、ドビュッシー以外にも通じるはず。
という私自身は、中学生の頃にアラベスクの1番と2番を弾いたことがあるだけで、ドビュッシーなんて全然弾けないんですが...。でもその1番と2番でも、たとえば伸ばした指で弾くのが向いている1番に、曲げた指で弾くのが向いている2番、なんてことも知らなかったし! 1番の対位法的な部分にはバッハの影響が色濃く感じられることも、2番にはオーケストラ的な書法が多く見られるということも知らなかったし! オーケストラ的な書法が見られる部分では、それに即した様々なタッチ、例えばフルートなら指を平らにして指先にあまり力を入れないで弾き、オーボエは指先を立てて力を集中させてよく通る音を出す、ファゴットはゆっくりとしたタッチであたたかい素朴な音を出すといいんですって。そうなのか~。
ドビュッシーが1つのタイトルに持たせた二重の意味については、もうちょっと知りたかったんだけど、上にも書いたような様々な楽器の音の表現とか、あとたとえば星のようにキラキラ光る音とかオパールのような神秘的な音の出し方なんかも面白かったし、あとはやはりドビュッシーが好んだ絵画や文学の話が興味深かったですね。メーテルリンクの原作をドビュッシーがオペラにした「ペレアスとメリザンド」もちょっと前に読んだし、アンデルセンの「パラダイス」は先日読んだばかり! アーサー・ラッカムやが挿絵を描いた「真夏の夜の夢」「ケンジントン公園のピーターパン」「ウンディーネ」、エドマンド・デュラックの「人魚姫」も、まとめて読みましたよ~。そうか、ドビュッシーはラッカムが好きだったのね~。あと海の下に沈んだイスの町の伝説なんて、私の大好物! その辺りも楽しかったです。(春秋社)


+既読の青柳いづみこ作品の感想+
「モノ書きピアニストはお尻が痛い」「ショパンに飽きたら、ミステリー」青柳いづみこ
「水の音楽 オンディーヌとメリザンド」青柳いづみこ
「ボクたちクラシックつながり」青柳いづみこ
「ピアニストは指先で考える」青柳いづみこ
「指先から感じるドビュッシー」青柳いづみこ
「ピアニストが見たピアニスト」青柳いづみこ
「六本指のゴルトベルク」青柳いづみこ

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7歳の時に実の母を亡くし、13歳の時に父も亡くしたシンシンは、今は義母と半分だけ血の繋がった姉・ウェイピンとの3人暮らし。シンシンは腕のいい陶工だった父から絵と詩と書の三芸を習い、特に習字が上手でした。しかしこの1年間のシンシンの呼び名は「役立たず」。シンシンは、家の仕事を一手に引き受ける日々を送っていたのです。しかしシンシンは毎日泉にいる美しいコイに亡き母の魂を見て心を和ませていました。

ドナ・ジョー・ナポリ版「シンデレラ」。「シンデレラ」の物語は世界中に広がっていますが、その原形は中国にあったと言われていて、ドナ・ジョー・ナポリが今回の物語の舞台に選んだのも中国。ドナ・ジョー・ナポリ自身、1997年の夏に北京師範大学で創作を教えていて、その時に中国のシンデレラの物語を読むことにもなったようですね。でも舞台となっている時代はそれほど古くなくて、明代初代の皇帝・洪武帝の頃です。

この物語のシンデレラは、シンシン。でもシンシンは、欧米のシンデレラほどあからさまに義母や義姉に扱いを受けているのではないんです。もちろん日々の家の仕事は全部シンシンの仕事だし、それが不公平だというのは当然なんですが... 義姉のウェイピンは1年前から纏足をしていて、それが痛くて辛くて住んでる洞穴からも外に出られない状態。家の仕事なんてとんでもないし、足が痛いから、ついついきつい言葉を吐いてしまうんですね。それに義母の足だって纏足をした足だから、働くのに向いてないし。一家の大黒柱を亡くした家族に、奴婢を雇う余裕があるはずもなく。
もちろん義母がウェイピンに纏足をさせたのはいい結婚をさせるためで、シンシンにはさせないという時点で既に扱いの違いが出てるわけなんですが、シンシンの足は纏足をしなくても十分小さな足なんです。それもポイントですね。だって顔立ちが不細工で、足も大きいウェイピンに、シンシンは優越感を抱いてるんですもん。それにウェイピンが実の母親に可愛がられるようになったのは、父親が亡くなってから。母親は息子を産む気満々だったから、娘なんて全然眼中になくて、息子が産めないとなって初めて、母の目がウェイピンの方を向いたんです。やっと得た母の愛と価値観に囚われて、纏足をしさえすればいい結婚ができると信じてるウェイピン、なんだか可哀想です。
そんな状態だから、本家のシンデレラほど「シンデレラ vs 義母+義姉」の対比が鮮やかではないし、最終的に立場が逆転して胸がすくような展開というわけでもありません。何も知らなかったシンシンが徐々に成長して世界を知り、最後には1人の女性として自分の進むべき道を選び取るというのはいいんですけど... それでウェイピンはどうなるんでしょう? 結果的に義母と義姉を踏み台にしたようなシンシンよりも、どうしてもウェイピンの方が気になってしまいます。なんだかすっきりしないぞー。(あかね書房)


+既読のドナ・ジョー・ナポリ作品の感想+
「逃れの森の魔女」ドナ・ジョー・ナポリ
「クレイジー・ジャック」ドナ・ジョー・ナポリ
「バウンド 纏足」ドナ・ジョー・ナポリ

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3度目の卒中でとうとうフリン神父が亡くなったと聞いた「僕」は、翌日の朝食の後に、フリン神父が住んでいたグレイトブリテン通りの小さな家を見に行きます... という「姉妹」他、全15編の短編集。

「ダブリン市民」「ダブリンの人びと」といった題名で知られている作品の新訳。解説を見ると、「ダブリナーズ」と訳したのは「横文字をカタカナにして事足れりとする昨今の風潮に流されたのではない。タイトルのDublinersという音をそのまま残したいというこだわりから、ようやく行き着いた訳語だ」とありました。確かに都市名に-erをつけて出生者であり居住者であることを示す言葉は、ごく限られてるんでしょうけど...(Berliner、Londoner、Montrealer、New Yorker、Zuricherぐらいらしい) そしてその言葉に特別と言っていいニュアンスがあるのも分かるんですけど... 日本で認知されているのは New Yorker ぐらいですよね。Londoner だって「ロンドンっ子」なんて訳される方が一般的なんだもの。「ダブリナーズ」ですか。うーん、どうなんだろう??
なんて考えてしまう題名が象徴するように、訳者の意気込みがとても強く感じられる訳でした。一読して感じたのは、とても賑やかな訳だということ。リズムを刻むような訳。と思っていたら、音をかなり大切にした訳だということが、解説に書かれていました。この作品そのものが元々音楽的に書かれているので、その音楽を可能な限り「奏出」することを心がけたのだそうです。例えば「執達吏」と言う言葉に「ひったくり」というルビがふられてるし... 確かに言いたいことはすごくよく分かります。分かるんですけどね。でも実際のところ、どうなんでしょう。訳者の思っているほどの効果が上がっているのかな? 私としては、むしろ他の訳がとても読んでみたくなってしまったんですけどー。うーん、やっぱり私には「新訳」は全般的に相性が悪いような気がしますー。
肝心の作品の中身としては、ダブリンを舞台にした群像劇といったところ。繋がりがあるのかないのか曖昧な感じで進んでいきます。1つ1つはとても普通の物語。ジェイムズ・ジョイスという作家から想像したものとは、対極と言っていいほどの普通さ。さらりと読めすぎてしまって、逆に戸惑ってしまうようなところも...。それでも、これこそが人間の営みであり、人生なのだと、これがダブリンなのだという感じ。ジョイスはダブリンのことを愛していたのかしら。私としては、決して愛してはいないけれど、「愛憎半ばする」なんて強い感情があるわけではないけれど、それでもどうしてもそこから離れられないという存在だったような気がします。要するに腐れ縁?(笑)(新潮文庫)

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5月のはじめ、かなり遠くまで散歩に出かけた初老の作家・グスタアフ・フォン・アッシェンバッハは、ふいの旅行欲におそわれて、ヴェニスに向かうことに。そしてヴェニスで出会ったのは、ポーランドの上流階級らしき一家。その中でも14歳ぐらいの美しい少年に,アッシェンバッハは目を奪われます。蒼白な肌に蜜色の巻き毛、まっすぐとおった鼻とかわいい口、やさしい神々しいまじめさを浮かべている顔... アッシェンバッハはじきに彼の姿を目で追い求めるようになり、そのうち少年の後を追い、つけまわすようになります。

最初は、気軽に読み解かれるのを拒否するかのような長い文章が続いていきます。でもそれが第3章でヴェニスに到着した頃から、徐々に変わり始めるんですね。長く装飾的だったはずの文章は短くなり、歯切れが良くなり、みるみるうちに読みやすくなって...。これはきっと、アッシェンバッハの精神的な変化を表したものでもあるんでしょうね。そして素晴らしいのは、やっぱりヴェニスに到着した後の物語。
物語の展開としては、比較的単純なんです。老作家がタッジオと呼ばれる美少年に出会い、その美しさや存在に心を奪われ、次第に夢中になっていくというだけのもの。アッシェンバッハは美少年を付け回してはいるんですが、2人の間に具体的な接触はありません。美少年に付きまとう執拗な視線だけ。でもこの出会いによって、老作家の世界がどれほど変わったことか。既に老醜の域に入っているアッシェンバッハの執拗な視線は、少年に薄気味悪さを感じさせたでしょうし、周囲にいる人間にとっても、滑稽で奇異な光景だったはず。そうでなくても、辺りには不穏な空気が流れていて、ものすごく不安を掻き立てるような空気。足場のバランスが悪すぎて、まっすぐ立っていられないような感覚。でもその中で、アッシェンバッハの心だけはこの恋によって純化して、非常に美しいものへと昇華していくんですね。
そして結果的にこの恋が連れてきたのは死なんですが... でもたとえ少年が死の天使だったとしても(私のイメージとしては、ギリシャ神話で神々に不死の酒ネクタルを給仕するガニュメデスなんですが)、老作家の旅が結果的に死の天使に搦めとられるためだけのようなものだったとしても、それは彼にとって最高に美しく幸せな日々だったはず。そんな純粋な日々が、愛おしく感じられてしまうのです。

ただ、この作品気になってしまったのは訳。解説に訳の素晴らしさについて触れられてたんですが、元々は旧字・旧仮名遣いの訳だったんでしょうし、そういう形で読まないと、その素晴らしさは堪能しきれないのではないかと... なんだかもったいなかったような気がしてしまいます。

そして「ヴェニスに死す」といえば、やっぱりヴィスコンティの映画! と思って右にDVDの画像をはりつけてみましたが... うーん、私が知ってるものとはちょっと違うなあ。この映画での老作家は、確かマーラーがイメージになってるんですよね。老作家ではなくて老作曲家で。私は気になりつつ観てなかったんですが。ああ、今こそ観てみたいぞ!(岩波文庫)

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ピアニストの思考の流れを、例えば右手や左手、足、肘、鍵盤、ペダル、椅子、眼、耳、ステージ、衣装、メイク、調律、アンコール、プログラムといったテーマごとに読みきりエッセイを書いてはどうかと提案され、その項目を見た途端に思考がすさまじい勢いで回転し始めたという青柳いづみこさん。30代の女性ピアノレスナー(ピアノの先生ってことみたいですね)を対象に、ムジカノーヴァに連載していたエッセイです。

いやあ、面白かった。音楽と本を結びつけるエッセイが多い青柳いづみこさんですが、これはほぼ純粋に音楽の話ばかり。30代の女性ピアノレスナーが対象だというのはあとがきを読むまで知らなかったんですが、最初の「曲げた指、のばした指」からして、もうほんと私にとってはタイムリーな話題で! だって私は子供の頃に「曲げた指」で習ってたのに、今は「のばした指」でも弾けるようになろうとしてるとこなんですもん。たとえばバッハなら「曲げた指」でもいいと思うんだけど、ショパンとかシューマンみたいなロマン派を弾こうと思ったらやっぱり「のばした指」の方が綺麗な音色で弾けると思うし、実際ショパンのエチュードなんかは「のばした指」じゃないと技術的に難しい部分もあるみたいですね。あと脱力の概念なんかも、私が子供の頃は全然なかったんですよねえ。そして、ここに書かれてる「さかだち体操」や「タイの練習」は青柳さんオリジナル? もっと詳しく知りたい! 一応本には図も載ってるんだけど、これだけではちょっと分かりづらいし、やってみても合ってるのかどうか謎なんです。だって、たとえば「小指をさかだちさせたままの状態で薬指を根元から動かしてみる。たいてい、ガチンガチンに固まっていてうまく動かせない」とあるんですけど、薬指、簡単に動いちゃいます。脱力できてるってことならいいんだけど、どっちかといえば、やり方が違うような気もするー。いやーん、実地に指導していただきたくなってしまうー。

前半は、実際に自分でもピアノを弾く人向けかもしれないですね。でも後半は、ピアノを弾かない人でも楽しめるようなエピソードも満載です。例えば色んなピアニストのこととか。ポリーニは大抵の曲は1回弾けば覚えられたとか(完璧に弾きこなすだけでなく、そんなことまでできたとは、びっくり!)、アルゲリッチが、プロコフィエフの「協奏曲第3番」を一度も弾いたことがなかったのに、寝てる間に練習してるのが聞こえてきていただけで覚えてしまって、弾けるようになってしまったとか。寝てる間に聞いた曲が弾けるって、一体...?! それってすごすぎでしょう! 人間技とは思えないー。
いや、ほんと勉強になりました。図書館で借りて読んだんだけど、手元に欲しいぐらい。「指先から感じるドビュッシー」にも技術的なことが載ってるそうなので、そちらも読んでみようと思います。...でも本もいいけど、やっぱりそれより一度実地にレッスンを受けてみたい。私の場合、どう考えても青柳いづみこさんのお弟子さんたちのレベルには程遠いので、到底無理なのだけど。ああー、うまくなりたいなー。(中央公論新社)


+既読の青柳いづみこ作品の感想+
「モノ書きピアニストはお尻が痛い」「ショパンに飽きたら、ミステリー」青柳いづみこ
「水の音楽 オンディーヌとメリザンド」青柳いづみこ
「ボクたちクラシックつながり」青柳いづみこ
「ピアニストは指先で考える」青柳いづみこ
「指先から感じるドビュッシー」青柳いづみこ
「ピアニストが見たピアニスト」青柳いづみこ
「六本指のゴルトベルク」青柳いづみこ

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ケーバーン山のふもとのグラインド村に生まれたエルシー・ピドックは、生まれながらのなわとび上手。3歳の時になわとびのつなを作ってもらって以来、一日中なわとびばかり。5つになった頃には誰にも負けないほどになり、6つの時にはエルシー・ピドックの名前はその州に知れ渡り、7つになった頃にはケーバーン山に住む妖精でさえエルシーの名前を知っていました... という「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」。
そして、どんなとこでも寝てしまうネコ。ピアノの上でも窓の棚でも、部屋の真ん中でも、ブランコの上でも、部屋の真ん中でも、ブランコの上でも... という「ねんねんネコのねるとこは」。

ファージョンの絵本2冊。
「エルシー・ピドック~」の方は、「ヒナギク野のマーティン・ピピン」でマーティン・ピピンがシルビアのために語ったお話だけを取り出して絵本にしたものです。このお話そのものも元々大好きなんですが、そのお話にシャーロット・ヴォーグの絵の柔らかい線、淡い緑を基調にした色合いがとてもよく似合っていて素敵~。夢がたっぷり~。で、お話そのものも素敵なんですけど、やっぱり石井桃子さんの訳もとてもいいんですよね。中でも「アンディ・スパンディ、さとうのキャンディ、アマンド入りのあめんぼう! おまえのおっかさんのつくってる晩ごはんは、パンとバターのそれっきり!」というなわとび歌が、子供の頃から大好きなんです。

「ねんねんネコのねるとこは」は、ファージョンの言葉にアン・モーティマーの絵がつけられた絵本。短い言葉に可愛いネコ。どのページにも気持ち良さそうに寝てるネコがいて、その表情が可愛くて、思わず撫でたくなってしまう~。ネコってほんと、いつ見ても幸せそうに寝てますものねえ。そして見開きの左ページと右ページのさりげない繋がりも楽しいのです。すぐ読み終えてしまうような絵本ですが、ネコが大好きというのが伝わってきて楽しい絵本です。(岩波書店・評論社)


+既読のファージョン作品の感想+
「ムギと王さま」「天国を出ていく」ファージョン
「年とったばあやのお話かご」「イタリアののぞきめがね」ファージョン
「町かどのジム」エリノア・ファージョン
「リンゴ畑のマーティン・ピピン」「ヒナギク野のマーティン・ピピン」ファージョン
「銀のシギ」エリナー・ファージョン
「マローンおばさん」エリナー・ファージョン
「ガラスのくつ」エリナー・ファージョン
「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」「ねんねんネコのねるとこは」エリナー・ファージョン

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トムは腹を立てていました。夏休みは弟のピーターと庭のリンゴの木の枝と枝の間に家を作ろうと前々から計画していたのに、ピーターははしかにかかり、トムはうつらないようにするために、アランおじさんとグウェンおばさんの家に行かなければならなくなったのです。アランおじさんたちが住んでるのは、庭のないアパート。万が一はしかにうつっていた時のために外に出ることもできず、友達もおらず、トムは日々退屈しきっていました。運動不足で夜も寝られなくなってしまったトムは、毎晩のように時計の打つ音を数えるのが習慣となります。古い置時計は、打つ音の数を間違えてばかり。しかしそんなある晩、夜中の1時に時計が13回打ったのです。夜の静けさに何かを感じたトムは、こっそりベッドから抜け出します... という「トムは真夜中の庭で」。
隣の家に住んでいたのは、"よごれディック"。数年前に奥さんに逃げられて以来、ディックは一人暮らしで、母さんに言わせると、ブタ小屋のブタのような暮らしぶり。運転はできないのに2台の車を持ち、1台ではウサギを、もう1台ではメンドリを飼い、卵を売って暮らしていました... という「汚れディック」他、全8編の短編集

古時計が13回打った時にだけ現れる庭園とハティという名の少女。昼間はがらくたばかりが置かれている狭苦しい汚い裏庭があるだけの場所に、広い芝生と花壇、木々や温室のある庭園が広がっていて...! 退屈だったはずの夏休みが、わくわくする真夜中の冒険に一変してしまいます。子供の頃に何度も読み返した作品なんですが、中学以降は読んでなかったかも... ものすごく久しぶりの再読なんですが、これがやっぱり良くて! 大人になって読んでも全然色褪せていないし、それどころかさらに一層楽しめるというのが素晴らしい。
でも楽しい冒険も徐々に終わりに近づいて...。小さかったハティがいつしかすっかり大きくなっていたと気づくところは切ないです。しかもそれに気付かされるのが、他人の目を通してなんですから! でも最後に彼女の名前を叫んだ時、きちんとその声が届いたというのがなんとも嬉しいところ。年齢差を越えた2人の邂逅には胸が温まります。
この作品、子供の頃読んでた時はやっぱりトム視点で読んでたと思うんですけど、大人になった今読むと、もちろんトム視点が基本なんですけど、ハティもかなり入ってたかも。読む年齢に応じて、その経験値に応じて、新たな感動をくれる本なんですね。あー、こういう子供の頃に大好きだった本を読み返すたびに、本棚に入れておいてくれた父に改めて感謝してしまうなあ。

そして「真夜中のパーティー」の方は、今回初めてです。どれもごく普通の日常から始まる物語。特に不思議なことが起きるわけでもないし、日常のちょっとした出来事と一緒に子供たちの思いが描かれているだけ。でもそれがとても鮮やかなんですね。真夜中のパーティーが親にばれないように工夫する姉弟たち、ついついニレの木を倒してしまった少年たち、貴重なイシガイを川に隠す少年たち、せっかく摘んだキイチゴを無駄にしてしまい、怒る父親から逃げ出す少女、池の底からレンガの代わりにブリキの箱を拾った少年...。特に印象に残ったのは、川の底に潜りこもうとするイシガイを見ながら密かに逡巡するダンの姿かな。これは本当にドキドキしました。兄のようなパットが大人たちに糾弾されるのに憤慨した小さなルーシーの反撃も良かったなあ。溜飲が下がります。あと、間違えてブリキの箱を拾ってきた少年のあの達成感・充実感ときたら! 読んでいるその時には、それほど大した物語には思えないのですが、後から考えると印象的な場面がとても多かったことに気づかされるような、深みのある短編集でした。(岩波少年文庫)

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17歳になっていたキャサリン・モーランドは、近隣で一番の財産家・アレン氏が通風の持病を治すためにバースに行く時に、誘われて一緒にバースに行くことに。ずっと田舎で暮らしてきた彼女は、華やかなバースの生活に夢中になります。バースにある社交場の1つロウアー・ルームズでは魅力的な青年・ティルニーを紹介されて好意を抱き、鉱泉室ではアレン夫人が旧友のソープ夫人に再会したことによって、ソープ夫人の長女のイザベラとすっかり親しくなるキャサリン。しかもソープ一家は、キャサリンの兄のジェイムズのことを知っており、既に親しくしていたのです。

この作品が出版されたのは書かれてから13年後、「分別と多感」や「自負と偏見」「エマ」より後とかなり遅くなったものの、ジェーン・オースティンが23歳の時に書かれたという初期の作品。作中でアン・ラドクリッフの「ユードルフォの謎」という作品が何度も引き合いに出されてるんですが、訳者あとがきによれば、そういった当時流行のゴシック小説の人気の過熱ぶりを皮肉って、パロディとして書かれた面もあるとのこと。13年経つうちに、小説の流行もバースの街の雰囲気もすっかり移り変わって時代遅れになってしまったため、わざわざその辺りのことを序文で説明しているほどです。21世紀の今読む分には、13年程度のずれなんて何ほどのものでもないんですが。(笑)

ゴシック小説のパロディと知ってみれば、「キャサリン・モーランドを子供時代に見かけたことのある人なら、誰も彼女がヒロインになるために生まれた人だなどとは思わなかっただろう」という書き出しからして可笑しいですし、その他にもヒロインらしからぬ部分が一々指摘されて、期待されるような波乱に満ちた展開にはならなかったことがわざわざ書かれているのが楽しいです。でもそれはあくまでもお楽しみの部分。物語の中心となるのはキャサリンとジェイムズのモーランド兄妹、イザベラとジョンのソープ兄妹、ヘンリーとエリナーのティルニー兄妹のこと。3組の兄妹たちの姿を通して当時の生活ぶりが見えてくるのが楽しいのも、世間ずれしていない可愛らしいお嬢さんのキャサリンがソープ兄妹に振り回されて、今でも決して古びることのない人間関係の面白さが味わえるのも、他のオースティン作品と同様ですね。今回特に印象に残ったのは、気軽に流行語を使うソープ兄妹、それに感化されて何の気なしに軽い言葉を使うようになったキャサリンをからかうヘンリー・ティルニー、と言葉遣いの違いによって3兄妹の違いが際立っていたことでしょうか。あまり意外な展開もなく、一応波乱はあるものの取ってつけたような波乱ですし、予想通りの結末へと真っ直ぐ進んでいくので、他の作品ほどの評価は得にくいかもしれないですが... でも十分楽しかったです♪

ジェーン・オースティンの長編作品では、これだけが文庫になってないんですよね。なので読むのが遅くなっちゃいましたが、これで長編はコンプリート。あとは「美しきカサンドラ」と「サンディトン」という2つの作品集を残すだけみたいなんですが... 短編作品もあるものの、未完のものだったり断片だったりというのも混ざってるようで、読むかどうかちょっと迷うとこだなあ。(キネマ旬報社)


+既読のジェイン・オースティン作品の感想+
「自負と偏見」オースチン
「エマ」上下 ジェイン・オースティン
「分別と多感」ジェイン・オースティン
「マンスフィールド・パーク」ジェイン・オースティン
「ジェイン・オースティンの手紙」ジェイン・オースティン
「説きふせられて」ジェーン・オースティン
「ノーサンガー・アベイ」ジェーン・オースティン

+既読のジェイン・オースティン関連作品の感想+
「ジェイン・オースティンの読書会」カレン・ジョイ・ファウラー

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王さまとお妃さまに待望の赤ちゃんが生まれ、小さなお姫さまのために洗礼式が盛大に執り行われることになります。名付け親として招かれたのは、国中で見つかった7人の妖精たち。妖精たち1人1人から贈り物をしてもらい、想像できる限り最高のお姫さまになるようにするのが、当時の習慣だったのです。しかし宴の席に8人目の妖精が現れます。その妖精は50年以上も前から塔の外に出ておらず、生きているのかどうかすら分からなかったため、招かれていなかったのです。妖精用のどっしりした黄金のケースに入った純金のスプーンとフォークとナイフは7つしか作っておらず、その妖精の前に出されたのは普通の食卓道具。ばかにされたと思い込んだ年取った妖精は、口の中でぶつぶつと脅しの文句を呟きます... という「眠りの森の美女」他、全10編の童話集。

アンジェラ・カーターの「血染めの部屋」(感想)を読んだ時も、「青髭」を改めて読んでみたいなあと思ってたんですけど、先日ファージョンの「ガラスのくつ」(感想)を読んで、今度読みたくなったのは「シンデレラ」! いい機会なので、ペロー童話集を読むことに。これも岩波文庫版や白水社uブックス、河出文庫版(澁澤龍彦訳)、ちくま文庫版(巖谷國士)など、色んなバージョンがあって、読み比べてみたくなっちゃうんですが~。今回手に取ったのは天沢退二郎訳の岩波少年文庫版。本の挿絵はマリ林(Marie Lyn)さんという方で、これがまたとても素敵。この方、天沢退二郎氏の奥様なんですね!

「そして2人は幸せに暮らしました...」の後の話まできちんとついている「眠りの森の美女」や、狼に食べられたきりで終わってしまう「赤頭巾ちゃん」。そうか、この結末はペローだったのか。「眠りの森の美女」の後日譚がついてる絵本を子供の頃に読んで、それがものすごく強烈だったのに(特にたまねぎのソースが...)、それっきり見かけなくて一体どこで読んだんだろうと思ってたんです。そうか、ペローだったのか...。その他も、大体は知ってる通りのお話だったんですけど、10編のうち「巻き毛のリケ」というお話だけは全然知らなくて、ちょっとびっくり。訳者あとがきによると、この作品だけはグリムにもバジーレにもヨーロッパ各地の民話・説話には明らかな類話が見当たらないお話なんだそうです。道理で!
でも伝承に忠実なグリムに対して、同じく伝承を採取しながらルイ14世の宮廷で語るために洗練させたペロー、というイメージがすごく強いのに、訳者あとがきによると「赤頭巾ちゃん」なんかは、ペローの方が古い伝承に忠実なんですって。グリムの「いばら姫」では「眠りの森の美女」の後日譚はカットされ、「赤頭巾ちゃん」には新たな結末が付け加えられたというわけですね。でも洗練される過程で、少し変わってしまったのが、ペロー版のシンデレラ「サンドリヨン」。伝承特有の「3度の繰り返し」がなくて、舞踏会に行くのが2回なんですよ!(驚) でも変わってしまっているとしても、やっぱり物語として洗練されてて面白いです。それにそのそれぞれのお話の終わりに「教訓」や、時には「もう一つの教訓」が付けられてるのが楽しいのです。(ケストナーの「教訓」は、もしやここから?)

そして勢いづいて、以前読んだ「人類最古の哲学」(中沢新一)を再読。これ、2年ほど前にも読んでいて(感想)、その時も沢山メモを取りつつ読んだんですけど、既にかなり忘れてしまってるので... いやあ、やっぱり面白いです。5冊シリーズの1冊目は、世界中に散らばるシンデレラ伝説を通して神話について考えていく本。伝承・神話系の物語って、実はきちんとそれぞれの形式があって、それぞれの場面や行動にきちんと意味があってそういう決まりごとにのっとって作られてるんですよね。シンデレラといえば、日本ではまずペローやグリムが有名ですけど、もっと神話の作法に則ったシンデレラ物語が世界中に残っているわけです。そしてその物語を聞いた北米のミクマクインディアンが作り出したシンデレラの興味深いことといったら...! ええと、近々ドナ・ジョー・ナポリの「バウンド」を読むつもりにしてるので、そちらの予習も兼ねてます。(岩波少年文庫)

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町の高い円柱のうえに立っていたのは幸福な王子の像。全身うすい純金の箔がきせられ、目には2つのサファイア、刀の柄には大きな赤いルビーがはめられ、非常な賞賛の的。そんなある夜、一羽のツバメがエジプトに向かう途中、幸福の王子のいる町を通りかかります... という「幸福な王子」他、全9編を収めた短編集。と、
画家のバジル・ホールウォードのモデルとなっていたのは、美貌の青年・ドリアン・グレイ。彼は、ちょうどアトリエを訪ねて来たヘンリー卿に自分の美しさを改めて教えられ、同時に美しさを失うことへの恐怖をも植えつけられ、そして快楽主義者であるヘンリー卿の感化で、背徳の生活へと踏み出すことに。しかしその生活による外面的な変化は全て肖像画に表れ、ドリアン・グレイ自身はいつまで経っても若い美青年のままだったのです... という「ドリアン・グレイの肖像」。

先日再読した「サロメ」が思いのほか素晴らしかったので、そちらを訳している福田恆存さんの訳で読みたかったんですけど、「幸福の王子」はどうやら訳してらっしゃらないようですね... 残念。「ドリアン・グレイの肖像」は福田恆存さんの訳なのですが。

「幸福の王子」は、実は子供の頃に大嫌いだった作品なんです。ワースト3に入ってました。何が嫌いって、幸福の王子の偽善的なところ。自分は貧しい人々を助けて満足かもしれないけど、そのために死んでしまったツバメはどうするの...?ですね。王子の思いやりが素晴らしい、なんて思わなかったし~。で、大人になった今読み返してみても、やっぱり凄い話でした。確かにツバメも納得してやってることではあるんだけど... しかも大人になってから読むと、さらに気になることがいっぱい。宝石や金箔を届けられた人は、その場は有難かったでしょうけど、金箔はともかく、立派なサファイアやルビーはどこから取ってきたのか一目瞭然のはず。疑われることにならなかったのかしら? もしそんなことにならなかったとしても、貧しくても正しく生きてきた生活がそれで一気に崩れてしまったりしなかったのかしら? 幸福の王子は、自分の目に見える範囲のほんの数人を助けたけど、その他の可哀想な人々はどうなるの? 全てに責任が取れないのなら、中途半端に手を出さない方がいいのでは?(千と千尋だね!) やっぱり幸福の王子の行動は自己中心的なものとしか映らないなあー。
そして今、他の作品を読んでみてもそういう物語ばかりでびっくりです。美しい言葉で飾られてはいるけれど、自己中心的な人々が純情な正直者を傷つける物語ばかり。赤いばらを欲しがった学生のために無意味に死んでいったナイチンゲールや、粉屋に利用されるだけ利用された正直者のハンス。死んでしまってなお、酷い言葉を投げかけられる侏儒。そんな物語も、オスカー・ワイルドの手にかかるとあまりに美しいのだけど...。オスカー・ワイルドはどんな気持ちでこういった作品を書いたのかしら。多分これが「童話集」でなければ、私も別にそこまで引っかからなかったんじゃないかと思うんですが...。(笑)

そして「ドリアン・グレイの肖像」は、肖像画がその罪を一手に引き受けてくれるという、今読んでも斬新な設定が楽しい作品。画家のバジルは画家ならではの鋭い目で「ひとりの哀れな人間に罪があるとすれば、その罪は、かれの口の線、瞼のたれさがり、あるいは手の形にさえ現れるのだ」と言うんですけど、ドリアン・グレイがいくら悪行を繰り返しても、外見は18年前に肖像画が描かれた時と同じ。顔つきは純真無垢で明るく、穢れをつけない若さのまま。
美貌の青年にとって、その美貌をなくすことは何よりも耐え難いことなんですけど、そのきっかけを作ったのはヘンリー卿。「美には天与の主権があるのだ。そして美を所有する人間は王者になれる」と言いながら、続けて「あなたが真の人生、完全にして充実した人生を送りうるのも、もうあと数年のことですよ。若さが消えされば、美しさもともに去ってしまう、そのとき、あなたは自分にはもはや勝利がなにひとつ残ってないということに突然気づくーー」なんて言うんですね。このヘンリー卿の言葉がどれも面白いし、その印象も強烈。やっぱりヘンリー卿には、オスカー・ワイルド自身が投影されてるのかしら。彼がドリアン・グレイの悪行にまるで気づいていないのが不思議ではあるんですが... 影響を与えた彼自身は快楽主義者としてではあっても、一般的な社会生活からは逸脱してませんしね。うーん、彼こそが本物だったということなのかもしれないな。あと、彼がドリアン・グレイに貸した本が背徳のきっかけになるんですけど、あれは何の本だったんだろう! 例えばマルキ・ド・サドとか?(笑)
そしてこの作品で特筆すべきなのは美へのこだわり。ドリアン・グレイ自身も美しい物が大好きで色々と収集してるんですけど、彼の存在自体がもう美しく感じられますしね。そして作品そのものもあまりに美しい...。とは言っても、その美しさは天上の美しさではなくて、堕天使の魅力なのですが。オスカー・ワイルドの美意識が全開の作品だと思います。(新潮文庫)


+既読のオスカー・ワイルド作品の感想+
「サロメ」ワイルド
「幸福な王子」「ドリアン・グレイの肖像」ワイルド
「ウィンダミア卿夫人の扇」ワイルド

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外で雄鶏が「コケコッコー!」と鳴き、地価の大きな暗い石造りのお勝手のせまいベッドの中で目を覚ましたのはエラ。以前は2階の綺麗な部屋で暮らしていたのに、エラの本当のお母さんは既に亡くなり、娘を2人連れた婦人がお父さんと結婚してからというもの、エラは穴倉のようなこの部屋に追いやられ、家の仕事を一手に引き受けさせられていたのです。鳴き続ける雄鶏、そして早く起きることを催促する道具たちに、エラは渋々起き上がります。しかしその時、馬具につけた鈴の音と馬のひづめが鳴る音が聞こえてきます。1ヶ月もの間留守にしていたお父さんがとうとう帰ってきたのです。

先日読んだ「銀のシギ」と同様、元は舞台のための脚本として書かれたものを小説に書き直したという作品。こちらもやはりファージョンらしい味付けがされて、元となっている「シンデレラ」の物語が楽しく膨らまされています。こちらの方が「銀のシギ」よりも賑やかですね。雪の季節の物語だし、まるでクリスマスのための贈り物みたい... なのに、こんな暑い時期に読んでしまってるんですが。(汗)
ペロー版の「シンデレラ」と違うのは、まず主人公のシンデレラに「エラ」という名前がつけられていること。でも以前読んだアーサー・ラッカムの「シンデレラ」(これはペロー版を元にC.S.エヴァンスが再話したもの)でも、同じようにエラという名前がつけられてたんですよね。やっぱり「Cinderella」という名前が「Cinder(灰)+Ella」ということだからなんだろうな、と思いつつ... 日本語のシンデレラの童話を読んでる限りでは、名前が出てきたような覚えがなかったんだけど(全然出てこなかったとも言い切れないのが微妙なとこなんだけど)、「灰かぶりのエラ」は基本なんですかね? それともファージョンか誰かが創作したものなのかな?(C.S.エヴァンスが再話したのは、ファージョンよりも後のことなので) あ、でももし基本だとしても、これは英語圏の人にとって、ですよね。ペローはフランス人だし、フランス語のシンデレラは「サンドリヨン(Cendrillon)」だから、また違うでしょうし。(この場合「Cendre」が灰)うーん、よく分からない!

ま、それはともかくとして。このエラがとても前向きな明るさを持つ女の子なのです。元話と同じく惨めな生活を送ってるはずなのに、その辛さを感じさせないほど。それも前向きになろうと頑張ってるんじゃなくて、ほんと自然体なんですよねえ。その自然体な部分は王子と会った時も変わることがありません。(その場面の会話のちぐはぐで可愛いことったら) そして子供の頃に「シンデレラ」を読んだ時、なんでお父さんは何もしてくれないんだろうと思ってたんですけど、その辺りもちゃんと織り込まれてました。お父さんは優しくて、でも優しすぎる人だったのですねー。しかも仕事で家をたびたび長いこと留守にしてるようだし。もちろん2番目の妻を離婚するなり、エラを信頼できる人間に預けるなり、何とかしようはあったとは思うんですが。(あ、でも離婚はできないのか、宗教的に)
エラのいる台所の道具が話し出すし、継母が実は○○だった、とか(笑)、頭が悪くて欲張りで太っているアレスーザと、怒りっぽくてずるくて痩せっぽちのアラミンタという2人の姉たちの対照的な姿も喜劇的だし、読んでるとやっぱり舞台向きに書かれた話だなあって思います。妖精のおばあさんは、あまり気のいい親切な妖精のゴッドマザーという雰囲気ではなくて、むしろちょっぴり怖そうな雰囲気なんですけどね。「チューイチュイ」という小鳥への呼びかけの声がとても印象的。そしておとぎ話で夢をみるのは普通はお姫さまと相場が決まっていますが、この作品では王子さま。ハート型の純金の額縁を眺めながら、運命の女性を夢見ている王子さまって一体?! でも一番良かったのは道化かな。王子の代わりに怒ったり喜んだり悲しんだりする道化。彼の意外な洞察力と、エラの父親との場面が素敵でした。賑やかでありながらほんのりと心が暖まる、この作品にぴったりの存在だと思います。(岩波書店)


+既読のファージョン作品の感想+
「ムギと王さま」「天国を出ていく」ファージョン
「年とったばあやのお話かご」「イタリアののぞきめがね」ファージョン
「町かどのジム」エリノア・ファージョン
「リンゴ畑のマーティン・ピピン」「ヒナギク野のマーティン・ピピン」ファージョン
「銀のシギ」エリナー・ファージョン
「マローンおばさん」エリナー・ファージョン
「ガラスのくつ」エリナー・ファージョン
「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」「ねんねんネコのねるとこは」エリナー・ファージョン

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とても貧しい絵描きの卵の「わたし」が住んでいるのは、とても狭い路に面した建物の小さな部屋。光がさしてこないということはなく、高いところにある部屋からは、周りの屋根越しにずっと遠くの方まで見渡すことができました。引っ越してきたばかりのある晩、まだ友達もおらず、あいさつの声をかえてくれるような顔なじみもおらず、とても悲しい気持ちで窓のそばに立っていた「わたし」は、そこに良く知っている丸い懐かしい顔を発見します。それは昔ながらの月でした。月はまっすぐ「わたし」の部屋に差込み、これから外に出かけるときは毎晩「わたし」のところを覗きこむ約束をしてくれたのです。そして、わずかな時間ではあるものの、来るたびに空から見た色々なことを話してくれるようになります。

全部で33の月の小さな物語。夏目漱石の「夢十夜」か稲垣足穂の「一千一秒物語」か、はたまた「千一夜物語」かといった感じで、月が自分の見た情景を語っていきます。月は毎晩「わたし」の部屋に来られるわけじゃないし、来られたとしてもいられるのは、ほんのわずかな時間だけ。なので1つ1つのお話はどれも2~3ページと短いのです。でもこれがなんと美しい...!
恋人の安否を占うためにインドのガンジス川で明かりを流す美しいインド娘のこと、11羽のひなどりと一緒に寝ているめんどりの周りで跳ね回っている綺麗な女の子のこと、16年ぶりに見かけた、かつては美しい少女だった女性のこと... 様々な時代の様々な場所での出来事が語られていきます。その眼差しは、全てを静かに見守る母のような暖かさ。そして1つ1つの物語は短くても、その映像喚起力が素晴らしいんですよね。挿絵がなくても、どれも目の前に鮮やかに情景が浮かんできます。そして読み進めるほどにさらに鮮やかな情景が夢のように浮かんできて、それらが一幅の美しい絵となっているような...。「絵のない絵本」という題名も素晴らしいですね。この本って、きっと読者自身の想像力で仕上げをする絵本なんですね。
おそらくこの画家の卵は、アンデルセン自身なんでしょうね。訳者解説によると、この作品にはアンデルセン自身が様々な都市に滞在した時の情景が描き出されているのだそうです。そして、北欧生まれのアンデルセンは明るい南の国イタリアに憧れてやまなかったとのこと。童話集を読んだ時に感じたイタリアへの憧憬は、やっぱり本物だったんですね! この33編、どれも素敵でしたが~。その中でも特に印象に残ったのは、第16夜の道化役者の恋の物語。切なくて、でも暖かくて... 大切に読み続けていきたい本です。^^ (岩波書店)


+既読のアンデルセン作品の感想+
「アンデルセン童話集」1~3 アンデルセン
「絵のない絵本」アンデルセン

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森のそばで1人貧しく暮らしていたマローンおばさん。誰もおばさんの様子を尋ねる人も心にかける人もなく、1人放っておかれていました。しかし雪が深く降り積もったある冬の月曜日、窓の外にいたのは1羽のスズメ。みすぼらしく弱り果て、まぶたは半分ふさがってくちばしも凍り付いていたスズメを、マローンおばさんはすぐに中に入れてやります。

スズメ、ネコ、キツネ、ロバ、クマ... 来る動物たちを全て快く迎え入れ、乏しい食べ物も持ち物も何もかも分け与えたマローンおばさん。そのマローンおばさんが主人公となった短い詩の物語です。本当に短い物語で、あっという間に読めてしまうほどなんですけど、最後の「あなたの居場所が ここにはありますよ、マローンおばさん」という言葉が本当に素敵で~。読んでいて嬉しくなってしまいます。
挿絵は、ファージョンときたらやっぱりこの人!のエドワード・アーディゾーニで、物語も絵もとても美しい1冊。巻末に英詩も掲載されているのが嬉しいんですよね。日本語訳と照らし合わせながら読んで、1冊で2度美味しい読書♪ これは手元に置いておきたくなる1冊です。(岩波書店)


+既読のファージョン作品の感想+
「ムギと王さま」「天国を出ていく」ファージョン
「年とったばあやのお話かご」「イタリアののぞきめがね」ファージョン
「町かどのジム」エリノア・ファージョン
「リンゴ畑のマーティン・ピピン」「ヒナギク野のマーティン・ピピン」ファージョン
「銀のシギ」エリナー・ファージョン
「マローンおばさん」エリナー・ファージョン
「ガラスのくつ」エリナー・ファージョン
「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」「ねんねんネコのねるとこは」エリナー・ファージョン

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おつかいの帰り道に雨が急に激しく降り出して、ルウ子は慌てて近くの市立図書館に飛び込みます。ルウ子が買ったのは、おかあさんと妹のサラのためのプリンと、自分のための青いゼリー。まだ小さくて病気がちで、いつもお母さんを独り占めしているサラと同じものなんて、ルウ子は食べたくなかったのです。ルウ子はサラにいじわるをしてやるつもりで、道で見つけたカタツムリをポケットにしのばせていました。雨がやむのを待ちながら、図書館の中をのろのろと歩き回るルウ子。以前は寝る前のお話も大好きだったのに、今のルウ子は本も大嫌い。しかしその時、ポケットに入れていたはずのカタツムリが足元に落ち、拾おうとするとすごいスピードで逃げ出したのです。気づけばそこは見覚えのない巨大な本棚が並んだ場所。そしてルウ子はかたつむりに連れられて「雨ふる本屋」へ。

本屋に雨が降るなんて!と、その時点で既に衝撃的(笑)な作品。本には水が大敵じゃないですか! 雨の日は本を買わない、という方も結構いらっしゃるのでは? この題名だけで気になってしまう本好きさんも多いだろうなと思います。表紙絵もとっても可愛いし!(でも、絵の中の女の子の後ろの水色の部分が、滝のように流れる水だと思ってたのは内緒... 実際には本屋さんの壁でした・笑)
さて「雨ふる本屋」というのは古本屋。店主はドードー鳥のフルホンさんで、助手は妖精使いの舞々子さん、本を選んでくれるのは、妖精のシオリとセビョーシ。まあ私の場合、図書館とか本屋が出てくる時点ですっかり点数が甘くなってしまうし~。しかもいつも行けるとは限らない(はずの)状況が好み。しかもその古本屋に置かれてる本は普通の本じゃないんです。その本の成り立ちがまたユニーク~。そして最近どうも本がおかしい、と、本の問題をめぐってルウ子が冒険する物語と、ルウ子自身の心の問題とが二重写しにされてるのもいいんですが... うーん、でも期待したほどではなかったなあ。なんだか読んでるとずっと書き手である「大人」の存在が始終透けて見えてしまって、気になって仕方なくなってしまって...。多分ちょっとした言葉の選び方も大きいと思うんですけどね。物語としても、まだまだこなれてないのかな。本当はとっても可愛らしいお話のはずなんだけど、物語の背後にあるものが気になって仕方なくなってしまって、結局あまり楽しめませんでした。こんな風に思ってしまうのって、私が年を取ってしまったということなんでしょうかー。いやーん。(童心社)

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以前読んだ「囚われちゃったお姫さま」の原書です。この作品があんまり楽しかったもので! 続きが早く読みたくて、先月 "The Enchanted Forest Chronicles(魔法の森年代記)" 4冊セットを買ってしまったんです。でも、一旦買ってしまうと安心して積んでしまうのは、世の常(笑)ですね。これもあやうく積まれたままの運命をたどりそうになってましたが、同じくこのシリーズがお好きだというきゃろるさんも同じ4冊セットを購入されて、しかも2冊目まで読了されてたので、背中を押されるようにしてようやく1冊目を読み終えましたー。
いやあ、やっぱり面白かった。洋書読みは、大学時代はなんとか頑張ってたんですが(英文科)、卒業以来はもうほんとたまーーーに読む程度なので時間がかかって仕方ありません。それでもこの作品は英語自体がそれほど難しくないので、比較的するすると読めました。あ、話が分かってるというのも大きいですね。1冊目は英語に慣れるために読んだので、2冊目からが本番だったのでした...。本当は2冊目を読んでから記事を書こうと思ってたのに。無事読了できて嬉しかったので思わず書いてしまう私ってば。(笑)
その2冊目の "Searching For Dragons" は、8月に「消えちゃったドラゴン」という題名で翻訳が出る予定。ということで、7月のうちには読もうと思います。頑張るぞーー。(Sandpiper)


+シリーズ既刊の感想+
「囚われちゃったお姫さま」パトリシア・C・リーデ
「Dealing with Dragons」Patricia C. Wrede
「消えちゃったドラゴン」パトリシア・C・リーデ

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ナポレオン戦争時代のセルビア。トリエステの船主でもあり劇団の所有者でもあり、フランス軍騎兵隊の大尉でもあるハラランピエ・オプイッチと、ギリシャ系の母・パラスケヴァの息子として生まれたソフロニエも、今やナポレオン軍騎兵隊の中尉。幼い頃から大いなる秘密を心に抱き、自分を変えたいと強く願ってきたため、彼の中にはいつしか密かで強力なものが芽生え、若きオプイッチの体には変化が現れます...。

22 枚の大アルカナカードと56枚の小アルカナカードから成るタロットカード。この本はそのタロットカードの、大アルカナカードをなぞらえた物語。カードと同じく全部で22の章に分かれていて、最初から順番に読むこともできれば、タロット占いをしながらそれぞれのカードに対応する章を読んでいくことも出来るという趣向。パヴィッチはこれまでも色んな趣向の作品を書いていて、小説の構造や形態で遊びながら、読者を巻き込むタイプの作家さんみたいですね。巻末には実際にタロットカードがついていて、切り取れば占いに使えるようになってるんです。その図柄はミロラド・パヴィッチの息子のイヴァン・パヴィッチが描いたもの。まあ、私には本を切り取るなんてことはできませんが...。(笑)

タロットカードといえば、真っ先に思い浮かぶのがカルヴィーノの「宿命の交わる城」(感想)。それとどんな風に違うんだろう? それにどこから読んでも大丈夫って一体どういうこと? なんて思ってたんですが、やっぱり全然違いますね。まず、巻頭の「本書におけるWho's who 登場人物の系譜と一覧」に、この作品の登場人物に関するデータが揃っていました。ここで書かれている人間関係は結構入り組んでいて、飲み込むのがなかなか大変なんですけど、この5ページさえしっかり読んでおけば、あとはまず困らないでしょうね。なるほど、そういうことだったのか!
私は、まずは最初から通して読んだんですけど、これでもとても面白かったです。1枚1枚のカードに沿った物語は、正位置にも逆位置にも対応しているようだし、最初の「愚者」のカードから22番目の「世界」のカードまで順番通りに通して読んでも、きちんと筋の通る小説となってるのがすごい。最初のスタート地点にいる愚者は、21の通過儀礼を通り抜け、世界を知るというわけなんですね。もちろん、元々のタロットカードの順番そのものがよく出来てるというのもあるでしょうけど、でもやっぱりすごいな。しかもこの文章というか世界観というか、もう遊び心が満載で楽しいんですよー。読んでいて嬉しくなってしまうような、大人のお遊び。今回は最初から通して読んだけど、次はランダムな順番でも読んでみたいな。あー、カルヴィーノも再読したくなってきた。

これは、先月出た松籟社の「東欧の想像力」の4冊目。3冊目の「ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし」も早く読まなくちゃです。(松籟社)


+既読のミロラド・パヴィチ作品の感想+
「帝都最後の恋 占いのための手引き書」ミロラド・パヴィッチ
「風の裏側 ヘーローとレアンドロスの物語」ミロラド・パヴィチ

+シリーズ既刊の感想+
「あまりにも騒がしい孤独」ボフミル・フラバル
「砂時計」ダニロ・キシュ
「帝都最後の恋」ミロラド・パヴィッチ

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夜中の11時にRに到着した「私」は、そのままホテルへ。翌朝、「私」はカスパール氏に連れられて行った集会場所で、褐色と黒色の斑模様の毛の長い大きな猫に出会います。膝の上に飛び乗った猫は、しばらくすると離れ、10メートルほど行ったところで立ち止まってこちらを振り返り、地面に3度でんぐり返し。以前から不意をつかれる動作、特に動物の示す思いがけない動作には重要な意味があると考えていた「私」は、その日の7時の汽車に乗ることにしていたにも関わらず、ホテルに滞在し続けることに。

以前から気になっていた本です。読みたい読みたいと思いつつなかなかだったんですが、先日レメディオス・バロの「夢魔のレシピ」(感想)とレオノーラ・キャリントンの「耳ラッパ」「恐怖の館」(感想)を読んだ時に、今度こそ!と思って、ようやく読めましたー。レオノール・フィニも、レメディオス・バロやレオノーラ・キャリントンと同じくシュールレアリスムの画家。他の2人と同様、小説も書いてるし、映画や舞台の衣装も手がけ、デザインしたスキャパレッリの香水瓶は大人気だったとか。レオノール・フィニ自身、好んで猫の絵を描いていて、一時期は23匹の猫を飼っていたこともあるという相当の猫好きさん。
そしてこの物語も猫の物語。「私」の前に現れた黒と褐色の大きな猫は、「私は夢先案内人(オネイロポンプ)だ」と名乗り、ホテルの中庭にある玄武岩でできた顔像を盗むよう「私」に指示します。猫が現れる前から現実と幻想が入り混じり始めていた物語は、ここではっきりと幻想へと一歩踏み出すことに。これは夜見る夢のようでもあり、白昼夢のようでもあり... 幻想、幻想、そしてまた幻想。汽車の中で出会った不思議な年齢不詳の婦人、彼女に誘われて訪れたマルカデ街の「潜水夫」館、ヴェスペルティリアという名前との再会。猫と一緒に訪れた、パリでも老朽化した界隈にあるとある家、etcetc。...やっぱりあの美術館となっている家での場面が圧巻だったな。絵画の猫たちの場面。知らない画家が多かったので、それがちょっと残念だったのですが、思いっきり検索しまくりましたよ。こういう時、ネットってつくづく便利~。
不思議な幻想物語。全部理解したとは言いがたいんですけど、レオノーラ・フィニの描く猫の絵を眺めながら読んでいると、頭の中で1つの世界が見る見るうちに構築されていくのが感じられるようで、素敵でした。(工作舎)

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ノーフォークの海辺の風車小屋に住んでいるコドリングかあちゃんの子供は、全部で6人。息子はエイブにシッドにデイブにハルの4人で、それぞれに頑丈で大食漢で働き者。娘は18歳のドルと12歳のポル。ドルは丸ぽちゃの可愛い娘で、気性も素直で優しいのですが、怠け者なところが玉に瑕。12歳のポルは、ドルとは全くタイプが違い、子猫のように知りたがり屋の利口者。ある日、1ダースのダンプリングが焼けるのを待って白昼夢にふけっていたドルは、コドリングかあちゃんの「ダンプリングは、かならず三十分でもどってくる」という言葉に、今そこにあるダンプリングを食べてしまっても大丈夫だろうと考えます。

グリムの「ルンペルシュティルツキン」と同系の「トム・ティット・トット」の伝説を元にしたファージョンの創作物語。元となった伝説も巻末に収められているのが嬉しいところです。読み比べてみると、ファージョンがいかに元の話を膨らましたのかがよく分かります。この話、子供の頃も楽しく読んでたんですけど、大人になった今また読んでみると、見事に換骨奪胎されていて、改めてすごい!
まず、元の物語には女の子は1人しか出てこないのですが、こちらに登場するのはドルとポルの姉妹。王様と結婚するのはドルです。彼女は色白で金髪碧眼。とても美しく気立てもいいんですが、とにかく怠け者。そしてそのドルとは対照的なのが妹のポル。ポルは、よく日に焼けてて活動的。色んなことに鼻をつっこむし、やらなければならないことは、きびきびとこなします。外見も中身も正反対。...昔ながらのおとぎ話のヒロインに相応しいのは、やっぱりドルですよね。王さまもドルを見た途端、その美しさに惹かれてるし、のんびりしたドルのおかげで王さまは癇癪を半分に抑えることができるようになるし、あんなに怠け者なのに母性愛はたっぷりだし、ドルにはドルの良さがあります。でも冒険に相応しいのは、やっぱり聡明で活動的で勇敢なポル。元話では偶然名前が分かって、まあそれもおとぎ話としてはいいんですけど、今の物語としては詰めが甘いですよね。ポルが活躍するこの展開には、とても説得力があります。石井桃子さんが訳者あとがきで、ドルがポルを待つ場面は青髭みたいだと書いてらっしゃるんですが、本当にそうだなあ~。
それに謎めいたチャーリー・ルーンや銀のシギといった存在もいいんですよね。幻想的な月の男と月の姫の伝説も絡んで、この辺りもとても好き。あとの登場人物たちも楽しい人たちばっかりで! 二重人格な子供っぽいノルケンス王とかその乳母のナン夫人とか、どんと大きく構えたコドリングかあちゃんや単純な魅力の4人の兄さんたち... 若い小間使いのジェンも、家令のジョンも、コックのクッキーも、乳しぼりむすめのメグスも、庭師のジャックも! この作品は元々は舞台のために書かれた作品なんだそうです。そう考えてみると、4人の兄たちが食べたいものを並べ上げながら登場する場面とか、案外いいコンビのノルケンス王とポルの口喧嘩とか、楽しい場面がいっぱいです。(岩波書店)


+既読のファージョン作品の感想+
「ムギと王さま」「天国を出ていく」ファージョン
「年とったばあやのお話かご」「イタリアののぞきめがね」ファージョン
「町かどのジム」エリノア・ファージョン
「リンゴ畑のマーティン・ピピン」「ヒナギク野のマーティン・ピピン」ファージョン
「銀のシギ」エリナー・ファージョン
「マローンおばさん」エリナー・ファージョン
「ガラスのくつ」エリナー・ファージョン
「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」「ねんねんネコのねるとこは」エリナー・ファージョン

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岩波少年文庫版の宮沢賢治3冊。今までいくつかの本を手に取ったことがありますが、岩波少年文庫で読むのは今回が初めて。3冊で童話が26編と詩が11編収められています。

今回改めて読んでみて特に印象に残ったのは、宮沢賢治の生前に唯一刊行された「注文の多い料理店」につけられている「序」。これ、素晴らしいですね。「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます」...宮沢賢治にとって、生きるために必要なのは単なる食物の摂取ではなくて、自然から得る精神的な栄養がとても大きかったというのが、よく分かります。身体の維持のためには食物の摂取がどうしても必要ですけど、彼にとっては精神を生かすための栄養の方がずっと大切だったんでしょう。そして、そんな宮沢賢治の書いた童話は、実際に身の回りの自然から栄養を得て書かれた物語ばかり。序にも「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです」とあります。確かに空とか星とか風とか雪とか水とか、野山の動物とか、自然のものが沢山。もうほんと好きにならずにはいられないモチーフが満載なんですけど、でもそんなモチーフが使われているからといって、作品が大好きになるとは限らなくて...。素直に自然と一体化して、その素晴らしさを全身に感じて溶け合ってるからこそ、ですね。やっぱり宮沢賢治の感性って得がたいものだったんだなあ、なんて改めて感じてみたり。そしてこの序の最後の言葉は、「わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません」。たとえ読者が自然からほんとうの栄養を得られるような感性の持ち主でなかったとしても大丈夫なんですね。その作品を読むことによって、その栄養を得ることができるんですもの。まあ、それを自分の中でどう生かすかは、読者次第ではありますが...。
それにしても「イーハトーヴ」という言葉、いいなあ。「注文の多い料理店」には「イーハトーヴ童話集」という副題がつけられていて、エスペラント語の「岩手」のことなんですけど、これがまるで異界へ行くための呪文みたい。登場人物たちが岩手の方言で話していても、そこに描かれているのがごく普通の農村の情景ではあっても、この「イーハトーヴ」という言葉だけで簡単に異世界に連れて行ってもらえるんですもん。

特に好きな作品としては、「ふたごの星」と「やまなし」と「銀河鉄道の夜」かな。やっぱり「銀河鉄道の夜」は何度読んでも素敵。幻想的に美しくて、懐かしくて暖かくて、でもとっても切なくて。で、以前「宮澤賢治のレストラン」という本がとても楽しかったので、今回再読したかったのですが~。ちょっと手元には間に合わなかったので、そちらはまた日を改めて。(岩波少年文庫)


+既読の宮澤賢治作品の感想+
「宮澤賢治のレストラン」中野由貴 「銀河鉄道の夜」宮沢賢治
「注文の多い料理店」「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」宮沢賢治
「ざしき童子のはなし」「よだかの星」「風の又三郎」「水仙月の四日」宮沢賢治・伊勢英子

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ムーミントロールがまだ小さかった頃のお話。夏の一番暑いさかりに風邪をひいてしまったムーミンパパは、ふと、広間のたんすの上に飾っている海泡石の電車に、皆があまりあまり関心を持っていないことに不満を持ちます。それはムーミンパパの青春時代に大きな役割を演じたものなのです。それを聞いたムーミンママは、ムーミンパパに自分のこれまでの一生について書くことを薦めます。風邪を引いて外に出られない今は、思い出の記を書き始めるのにぴったり。しかも物置から大きなノートが1冊出てきたところだったのです。

ムーミンシリーズの3作目。ムーミンパパが、若い頃の物語をムーミントロールやスニフ、スナフキンに語り聞かせるという形で物語は進みます。がんじがらめの規則に縛られ、色々と疑問を持ちながらも何も答えてもらえなかった孤独なムーミンホーム時代。そしてそこからの脱出。発明家のフレドリクソンや彼の甥のロッドユール、立ち入り禁止の操舵室に入り込んでいたヨクサルとの出会いと、「海のオーケストラ号」での冒険の旅。
ムーミンパパの思い出の記は、冒険物語なんですけど、なんだかとても哲学的ですね。みんな結構色んなことを言ってて、その中でも一番印象に残ったのは、ヨクサルの「有名になるなんて、つまらないことさ。はじめはきっとおもしろいだろう。でも、だんだんなれっこになって、しまいにはいやになるだけだろうね。メリーゴーラウンドにのるようなものじゃないか」という言葉。このヨクサルというのは、スナフキンのお父さんなんです。道理で!ですよね。ついでにいえば、ロッドユールはスニフの父親。ミイもここで初登場です。若き日のムーミンママとの出会いの場面も。今は良き妻・良き母というイメージのムーミンママも、この頃はまだまだスノークのお嬢さんみたい~。スナフキンは「ムーミン谷の彗星」で初対面だったはずなのに、なんで小さい頃のムーミントロールと一緒にムーミンパパの話を聞いてるのかなー。なんてことは言いっこなし?(笑) スナフキンとミイの関係についてだけは余計だったような気がしますが(なんでそんなことをわざわざ!)、楽しいながらもなかなか奥の深い物語でした。(講談社文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ムーミン谷の彗星」トーベ・ヤンソン
「たのしいムーミン一家」トーベ・ヤンソン
「ムーミンパパの思い出」トーベ・ヤンソン
「ムーミン谷の夏まつり」「ムーミン谷の冬」トーベ・ヤンソン

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「おやゆび姫」「皇帝の新しい着物(はだかの王さま)」「みにくいアヒルの子」「人魚姫」「赤いくつ」「雪の女王」など、数々の美しい童話を書き残したアンデルセン。この3冊には全33編が収められています。

ムーミンを読んでたら、北欧繋がりでなんだか妙に読みたくなりました。アンデルセンって実は子供の頃はあんまり好きじゃなかったんですよね。有名な作品は一通り読んでたと思うし、去年もエロール・ル・カインの「雪の女王」の絵本を読んだし、荒俣宏編訳「新編魔法のお店」に「マッチ売りの少女」が載ってたり、「ももいろの童話集」にもアンデルセンの「小さな妖精と食料品屋」が収録されていたりと、それほど離れてたわけでもないんですが、今まで改めて手に取る気にはならなかったのに... と我ながらちょっとびっくり。でもいい機会! 本当はハリー・クラークの挿絵が楽しめる新書館版がいいかなと思ったんですが(右のヤツね)、これは結構分厚くて重いので... 結局手に取ったのは、かねてから読破計画を進めたいと思っていた岩波少年文庫版です。

改めて読んでみて真っ先に感じたのは、暖かな南の国への憧れ。「おやゆび姫」でも「コウノトリ」でも、ツバメやコウノトリが、寒い冬の訪れの前に、太陽が明るく照り綺麗な花が年中咲いているという「あたたかな国」(エジプト)へと旅立つし、「年の話」でもみんなが春の訪れを待ち焦がれてるんです。珍しくイタリアが舞台となっている「青銅のイノシシ」ではこんな感じ。

イタリアの月の光は、北欧の冬の曇り日ぐらいのあかるさがあります。いえ、もっとあかるいでしょう。なぜなら、ここでは空気までが光り、かるく上にのぼっていくからです。それにひきかえ、北欧ではつめたい灰色のナマリぶきの屋根がわたしたちを地面におさえつけます。いつかはわたしたちの棺をおさえつける、このつめたいしめっぽい土へおしつけるのです。

やっぱり北欧の人にとって冬の存在というのは、ものすごく大きいんでしょうね。白夜だし...。日本人が考える冬とはまた全然別物なのかも。(しかも私が住んでる地方は冬が緩いですから) とはいえ、そういう南の国の明るさとは対照的な「雪の女王」の美しさも格別なんですけどね。雪というイメージがアンデルセンの中でこれほど美しく花開いている作品は、他にはないかもしれないなあ。「雪の女王」は、アンデルセンの中でも後期の作品なんじゃないかな、とふと思ってみたり。
そして同じように印象に残ったのは、天国の情景。それと共に、死を強く意識させられる作品がとても多いことに驚かされました。アンデルセンは人一倍「死」を身近に感じていたのでしょうか。「貧しさ」と「死」、「心の美しさ」や「悔い改め」といったものが、多分子供の頃の私には大上段すぎて、苦手意識を持つ原因になったんじゃないかと思うんですけが、今改めて読むと、それも含めて本当に暖かくて美しい作品群だなあと思いますね。

私がこの3冊の中で特に好きだったのは、小さい頃におばあさまにエデンの園のお話を聞いて憧れて育った王子が実際にそこを訪れることになる「パラダイスの園」という作品。とてもキリスト教色の強い物語ではあるんですけど、北風、南風、東風、西風が集まる「風穴」のように、どこかギリシャ神話的な雰囲気もあってとても好き。あとは1粒のエンドウ豆のせいで眠れなかった「エンドウ豆の上のお姫さま」や、中国の皇帝のために歌うナイチンゲールのお話「ナイチンゲール」、白鳥にされた11人の兄たちのためにイラクサのくさりかたびらを編むエリザの「野の白鳥」なんかは、子供の頃から好きだし、今もとても好き。でも逆に、子供の時に読んでも楽しめるでしょうけど、大人になって改めて読んだ方が理解が深まるだろうなという作品も多かったですね。思いの他、大人向けの物語が多かったように思います。

第2巻の訳者あとがきに、アンデルセンも最初は創作童話を書くつもりがなくて、例えば「大クラウスと小クラウス」「火打ち箱」といった作品は、アンデルセンが子供の頃に祖母から聞いた民話を元にしたものだという話が書かれていました。確かに第1巻を読んだ時に、他の作品とはちょっと雰囲気の違う「大クラウスと小クラウス」には違和感を感じてたんですが、そういうことだったんですねー。やっぱり明らかに創作といった物語とは、方向性が全然違いますもん。(岩波少年文庫)


+既読のアンデルセン作品の感想+
「アンデルセン童話集」1~3 アンデルセン
「絵のない絵本」アンデルセン

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春の朝、冬眠から醒めたムーミントロールは、同じ部屋で寝ていたはずのスナフキンが既に外に出ているのに気づいて、慌てて外へ。外はとてもいい天気で、お日さまが眩しく光っていました。ムーミントロールはスニフを起こすと3人で山を登り始めます。そしてスニフが山の頂上で見つけたのは、真っ黒いシルクハット。スナフキンは自分の緑色の帽子を気に入っていたため、3人はムーミンパパのために家に持って帰ることに。

ムーミンシリーズの2作目。冬の始めに冬眠に入ってから、4月に目が覚めてシルクハットを見つけて、それにまつわる色々があって、夏の終わりにそのシルクハットの持ち主だという噂だった飛行おにがやって来て... というほぼ1年を通してのお話となっています。ということで、今回の話の中心となるのは、不思議な真っ黒いシルクハット。ええと私、シルクハットはムーミンパパのトレードマークかと思い込んでたんですが、違ったんですねー。この作品では、たったの1度、それもほんの短い時間かぶるだけ。ムーミンママに、帽子をかぶらないない方が「おもみがある」なんて言われて脱いでます。スナフキンは自分の緑色の帽子がお気に入りだし、引き取り手のなくなった帽子は、あっさり紙くずかごになってしまうことに。(それもすごい話だよね)

あれだけ大騒ぎして帽子を捨てた割に、島への冒険から帰ってきた後で、なんでまた家に持ち帰って大切に扱うことにしたのかよく分からなかったし... 中に入れた水が木苺のジュースになるから?(笑) まあ、最終的には役に立ったから良かったんですけど、今回はいくつかの点でちょっぴりもやもや、と。読み終えてみれば、最後に飛行おにがやって来てきれいに輪が閉じたとも言えるんですが、途中で焦点がちょっとぼけてて、それが残念だったかな。いずれにせよ、1作目に比べるととても無邪気な作品になってて、そのことにびっくりです。そりゃあ、彗星が衝突するぞ!なんて話に比べたら、どんな話を無邪気に感じられてしまいそうですが~(笑)まあ、童話らしく可愛らしくなったとも言えそう。本当はこっちから入る方が正解なのかもしれないな。(講談社文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ムーミン谷の彗星」トーベ・ヤンソン
「たのしいムーミン一家」トーベ・ヤンソン
「ムーミンパパの思い出」トーベ・ヤンソン
「ムーミン谷の夏まつり」「ムーミン谷の冬」トーベ・ヤンソン

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そりがお気に入りのウィリー。丘にどっさり雪が降り、ウィリーはそりで勢いよく丘を下り始めるのですが... という「ウィリーのそりのものがたり」。
そして前書き代わりのような「非いま」、アントン・イサアコヴィチが恋人のナターリア・ボリーソヴナに、「もうこれ以上、アントンでいることに耐えられない、アダムになりたいんだ。ナターリア、きみはイヴになれよ」と唐突に言い出す「アダムとイヴ」他、全23編の作品を収めた「ハルムスの小さな船」。

先日読んだ「昨日のように遠い日 少女少年小説選」 (感想)で気に入ったダニイル・ハルムスの本2冊。ダニイル・ハルムスは、ロシアの不条理文学の先駆者といわれる作家なのだそう。

「ウィリーのそりのものがたり」は、ダニイル・ハルムス文、ウラジーミル・ラドゥンスキー絵の絵本。どんどん滑って、どんどんぶつかって、最後はみんなでどっかーん!! なんて楽しい絵本なんでしょう。一瞬の出来事なんですけど、スピード感もたっぷりだし、相手の驚いた顔が目玉に映ってるのがまた楽しいのです♪

そしてこの絵本よりももっと「昨日のように遠い日」に近いのは「ハルムスの小さな船」の方でしょうね。詩のような物語のような楽しい作品集。たとえば「非いま」は詩のようだし、「アダムとイヴ」は4幕物のお芝居風、次の「夢」は不条理系の超短編... といった具合。この中で私が特に気に入ったのは、「誰が一番速いか」。
これはライオンと象、キリン、鹿、だちょう、へらじか、野生の馬、犬のうちで誰が一番速く走れるかと口論になって、実際に湖の周りを走って競争する話。イソップ辺りにありそうな話なんですが、これが本当に楽しいのです~。途中の「立ち止まって、大笑い!」辺りも爆笑物だし、決着がついた後がまた可笑しいんですよねえ。って言っても、ここに書いたこの文章からは、絶対伝わらないだろうな。ぜひ一度見てみて欲しいですー。楽しくて、でもハルムスならではの不思議な雰囲気もあって素敵。
本に使われているフォントも凝ってますし、それぞれの物語には西岡千晶さんの挿絵がたっぷり添えられていて、こちらもとても素敵。この挿絵は、もうこの作品とは切り離しては考えられないほどぴったりの雰囲気ですね。作品としては「アダムとイヴ」なんかも大好きなんですけど、この挿絵を抜きに本文だけ読んだら、果たしてどうだったんだろう?なんて思っちゃうほど。西岡千晶さんご自身が1990年にハルムスの作品に出会って影響を受けてらっしゃるというだけあって、もうほんと見事に一体化しちゃってます。(セーラー出版・長崎出版)

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東方遠征中のアレクサンドロス大王が師匠であるアリストテレスにインドの様子を書き送った「アレクサンドロス大王からアリストテレス宛の手紙」と、広大なキリスト教王国を治めているという司祭ヨハネから西欧の君主に宛てた2種類の「司祭ヨハネの手紙」という、中世ヨーロッパに広く伝わっていた「東方の驚異」のうち代表的な3編を収めたという本。

「アレクサンドロス大王からアリストテレス宛の手紙」は、7世紀頃に成立したと言われるもの。アレクサンドロス大王の東方遠征にまつわる話は、ギリシャ語やラテン語や各国の言葉で語られ書き継がれ、12世紀末以降には「アレクサンドロスもの」としてその奇譚ぶりを大いに発揮することになったのだそうです。実際のアレキサンダー大王は、紀元前4世紀の人ですけど、色々と想像が膨らんだんでしょうね~。逸話が逸話を呼んで、真実の東方遠征とはかなりかけ離れたものになっちゃってるんでしょうけど、それがまた面白いです。インドの王宮の豪華さなんかは予想範囲内なんですが、ここで注目したいのが様々な怪物たち。象よりも巨大な河馬が現れたなんていうのはまだ序の口で、三つの頭にとさかをつけた巨大なインド蛇とか、鰐の皮に覆われた蟹の大群、雄牛のように巨大な白ライオン、人間のような歯で噛み付いてくる蝙蝠の大群、額に三本の角を持った象より大きな獣に次々に襲われてもう大変。さらに奥地に行くともっと奇妙な生き物がどんどん登場して、まるで西欧版「山海経」って雰囲気です。しかも一番奥では、ギリシャ語とインド語で予言を語る2本の聖樹がアレクサンドロス大王の運命を予言します。

そして「司祭ヨハネの手紙」は、伝説的な東方キリスト教国家の君主・プレスター・ジョン(ジョン=ヨハネ)からの手紙。この司祭ヨハネは、東方の三博士の子孫で「インド」の王という設定。まあ、この当時「インド」と一言で言っても範囲がとても広くて、現在のインドやその辺りのアジア一帯はもちろんのこと、中近東やエチオピア辺りまで含んでいたそうですが。「アレクサンドロス大王からアリストテレス宛の手紙」の影響を多々受けて成立したというのが定説なんだそうです。
これは12世紀のヨーロッパの人々に夢と希望を与えて熱狂させた文献なんですって。こういうのを読んで、マルコ・ポーロみたいな旅行家たちが、幻のキリスト教王国を求めて東方に旅立ったんですね~。でもすごいです、この豪華っぷり。半端じゃありません。黄金の国ジパングの伝説なんて、もうすっかり薄れてしまうほどの絢爛ぶり。とてもじゃないけど、キリストの教えに適うものとは思えません~。(笑)(講談社学術文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「西洋中世奇譚集成 皇帝の閑暇」ティルベリのゲルウァシウス
「西洋中世奇譚集成 東方の驚異」逸名作家

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イギリス・アルプスの山中にあるストチェスターの町に住むコンラッド。コンラッドの叔父のアルフレッドは書店を経営しており、コンラッドやコンラッドの姉のアンシア、そして自分の姉である母さんを養っていました。しかしまずアンシアが大学に行くために家を出て、コンラッドも12歳で学校を卒業すると、上の学校に進学するのではなく、ストーラリー館で働くために家を出ることに。アルフレッド叔父さんが言うには、コンラッドはとても悪い業を背負っており、ストーラリー館にいる誰かを始末しない限り、今年中に死ぬ運命だというのです。

大魔法使いクレストマンシーシリーズの5作目。ダイアナ・ウィン・ジョーンズの作品では、このクレストマンシーシリーズが一番好きです。時系列的には「クリストファーの魔法の旅」の数年後。
クレストマンシーシリーズのこの世界には異世界がいっぱい。関連の世界だけでも12の系列に分けられていて、各系列に原則として9つずつ異世界があるんです。同じ系列の世界は地形が同じ。例えば私たちのこの世界は第12系列の世界Bなんですけど、第12系列の世界Aと違うのは、Aは魔法がごく身近な存在だけど、Bには魔法がほとんどないということだけ。あとはほとんど一緒。そしてそれらの世界での魔法の使われ方を監督するのが、大魔法使いクレストマンシー。この「クレストマンシー」というのは個人名ではなくて役職名なので、その時代のクレストマンシーが、次のクレストマンシーを選んで教育するという仕組みなんですね。
で、今回のお話は第7系列の世界が舞台の物語。とは言っても、今回は異世界同士を行き来するわけではないので(他の異世界から来る人は多々いるんだけど)、あんまり関係ないかな。イギリスのパラレルワールド程度の雰囲気です。

内容は、まあいつものような感じで、意地悪な大人とか根性悪な大人とか。(笑)
その中でコンラッドが頑張ることになるんですけど、その相棒になるのが、以前からこのシリーズでお馴染みのクリストファー。「クリストファー の魔法の旅」で出てきた時のクリストファーはほんの少年だったんですが、こちらでは大体15歳ぐらい。すっかりお洒落な青年となっています。今はまだ修行中の身で、コンラッドと一緒にストーラリー館でこき使われてるのが、まず楽しい~。微妙に性格悪いとこも楽しい~。そして毎日朝早くから夜遅くまで仕事をしながら、2人はそれぞれに自分の本来の目的を果たそうとするんですが、これが異世界が絡み合ってる場所なので、なかなか大変。まあ予想通りなんですけどね。クリストファーが少年の頃ともその後のクリストファーとも違うところが面白いんですが、他の作品を読んでかなり経つので、すっかり忘れちゃってるのが悔しいー。再読したいー。
この作品の15年ほど後の話が「魔女と暮らせば」。私が一番好きな「トニーノの歌う魔法」はその後。考えてみたら、ほとんどの作品にクリストファーが出てくるわけですね。そうか、クリストファーがシリーズを通しての主人公だったのか!(←今頃言ってる)私が読んだのは刊行順なので、シリーズが完結した時は、ぜひ時系列順に読み返してみたいな。(徳間書店)


+シリーズ既刊の感想+
「魔法使いはだれだ」「クリストファーの魔法の旅」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「魔女と暮らせば」「トニーノの歌う魔法」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「魔法がいっぱい」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「魔法の館にやとわれて」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「キャットと魔法の卵」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ

+既読のダイアナ・ウィン・ジョーンズ作品の感想+
「魔法使いハウルと火の悪魔」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「アブダラの空飛ぶ絨毯」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「デイルマーク王国史」1~4 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「わたしが幽霊だった時」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
留守中に読んだ本(18冊)(「マライアおばさん」「七人の魔法使い」「時の町の伝説」の感想)
「呪われた首環の物語」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「花の魔法、白のドラゴン」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「いたずらロバート」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「ダイアナ・ウィン・ジョーンズのファンタジーランド観光ガイド」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「バウンダーズ」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「星空から来た犬」「魔空の森ヘックスウッド」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「バビロンまでは何マイル」上下 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「ウィルキンズの歯と呪いの魔法」「海駆ける騎士の伝説」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「うちの一階には鬼がいる!」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「魔法!魔法!魔法!」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「ぼくとルークの一週間と一日」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「牢の中の貴婦人」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
Livreに「ダークホルムの闇の君」「グリフィンの年」「九年目の魔法」の感想があります)

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カンザス州フラワーズの町のメイン・ストリートにあるヴァン・ゴッホ・カフェ。このカフェに魔法がつきまとうことになったのは、昔、劇場だった建物の片隅にあったせいなのかもしれません。魔法はカフェの壁にしみこんでおり、ときたまひとりでに目を覚まし、人々や動物、置物や食べ物などに影響を及ぼします。マークがこのカフェを買い取ったのは7年前のこと。やがて、まるで夢のような、ミステリーのような、素晴らしい油絵のようなカフェがあるといううわさが広がります。

ヴァン・ゴッホ・カフェでおきる、ささやかな魔法の物語。それは魔法使いや魔女が出てくるようなお話ではなくて、もっとさりげない魔法。ちょっとした奇跡のような、そんな魔法です。
...というのは、実は私の願望。実際には、もっと本当に魔法のような出来事も、結構沢山あったりします。すごく素敵なお話になりそうな始まり方だったのに、なんでこんな風に魔法を入れてしまったのかな? そういうのがない方が、むしろ良かったんじゃないかしら? なんて思ってしまいます。なぜか明るく前向きな気分になれるカフェで時間を素敵な時間を過ごしているうちに、その明るさ前向きさが、物事がいい方に向かうのを助ける... もしくはちょっとした人と人との出会いが、思いがけないものを生む... なんて感じで十分だったと思うんだけど。そうでなかったとしても、もっと魔法と現実との境目が曖昧なら良かったんだけど。ということで、私の好みからは、ちょっぴりずれていた本だったのですが。
それでも、古い友達と会うためにヴァン・ゴッホ・カフェにやって来た「スター」の話や、作家になりたくて、でもほとんど諦めかけていた作家志望の男が、自分の作品を見つける話は好きでした。うんうん、こういうのを期待してたよね、きっと。私は。(偕成社)

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「賭けをした男が牛の体内にもぐり込む。もぐり込んでみて、結局そこに居すわることにする。牛の内部は暖かく柔らかだ。とても暗いけれど、皮膚を通って入ってくるわずかな光で何とかやって行ける。食べ物は問題ないーー牛乳ならいくらでもあるのだ。「絞りたてよりなお新鮮」と男は一人でジョークを言ってくすくす笑い、靴下を脱ぐ。べつに服なんか必要ないのだから。服を丸めてしかるべきへこみに押し込む。服の運命やいかに、と男は考える...」こんな文章で始まる「牛乳」他、全149編の超短編集。

とんでもない話が次から次へと展開されていく、まるで悪夢を書き連ねたような短編集。どれもまるで実際に夢の話を聞いているような感じで、脈絡がなくて非論理的。小説としてはまるで筋が通っていません。でもこれがとっても面白いのです~。そもそも夜にみた夢の話というのは、余程話すのがうまい人間ではないと、なかなか他人に面白く感じさせられないもの。それだけ夢の中の空気感を客観的に伝えるというのは難しいものだと思うんですが、バリー・ユアグローの場合は違いますね。もし本当に夜にみた夢の話をしても、きっと面白可笑しく語ってくれるのではないでしょうか。ここに収められている作品はどれもとても映像喚起力が強くて、しかもリズムがいいので、どんどん読み進めてしまいますし、文字として書いてあること以上にいろいろ想像してしまいます。トーキング・ヘッズのデイヴィッド・バーンは「デューク・エリントンの曲のなかでも僕がとりわけ気に入っている一連の歌のように、そこでは崇高と滑稽が合体している」「自分の夢をどうしても覚えていられない僕にとって、ユアグローの小説は格好の代用品である」と語り、出版社は「フランツ・カフカとモーリス・センダックとモンティ・パイソンが同時に夢を見てるような」という宣伝文句を使っているそうですが、その言葉がまさにぴったり。意外とブラックな笑いなのに、読んでいる間はそのブラックさにあまり気づかず、無邪気に笑っていられるような感じです。(デューク・エリントンのお気に入りの一連の曲って何だろう??)

ただ、149作品がどれも同じように「変」な話ばかり。1~2ページと短い作品ばかりだし、それらの作品は互いに関連性もないので、全部続けて読むのは少ししんどいかもしれません。バリー・ユアグローの2作目「一人の男が飛行機から飛び降りる」と3作目「父の頭をかぶって」がイギリスで2冊合本のお買い得版として出版されたことから、今回の日本語訳もそのように出版されたようなんですが、これは1冊ずつでも十分だったような気が...。枕元に置いておいて、その晩開いたところをいくつか読む、というのがこの本の楽しみ方としては一番正解のような気がします。(新潮文庫)

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去年、演劇研究所の招きでスウェーデンを訪れた時のこと。その晩、案内役のヨハンソン夫人に連れて行かれたのは王立図書館でした。夜の11時頃に図書館に入った「私」は、その一晩を一人っきりで図書館の中で過ごすことになります。そして、その図書館で私が見つけたのは、かの有名な「死者の百科事典」。「私」は2ヶ月前に亡くなった父に関すること全てが書かれている本を見つけ、読みふけることに... という表題作「死者の百科事典」他、全9編の短篇集。

先日読んだ、同じくダニロ・キシュの「砂時計」は、実はとても読みにくくて、もうどうしようかと思ったほどだったんですけど(挫折寸前でした)、でも読み終えてみればすごく印象に残る作品だったんですよね。こちらも全てを理解したとは言いがたいし、短編は苦手なので途中で集中力が途切れてしまったりはしたのだけど、逆に短編のせいか「砂時計」の時のような読みにくさは感じなかったです。全体的にとても濃厚な味わいの、愛と死をテーマにした幻想的な作品群。

9編の中で気に入ったのは「魔術師シモン」「死後の栄誉」、そして「祖国のために死ぬことは名誉」かな。表題作も良かったです。死者の百科事典というのは、無名の人々の生涯が事細かに書き綴られている百科事典。「私」が見つけて読むことになるのは、亡くなった父に関する部分なんですけど、その出生から生い立ち、起きた出来事、出会いや交友関係などが正確に細々と書き綴られています。そんなのが全て一々書かれていたら、到底一晩で読みきれるような量じゃないでしょう、なんて突っ込みはナシの方向で、なんですが(笑)、この本文を追っていく作業もいいんです。読んでるはしから、父親像が色鮮やかに形作られていく感じ。でもそれだけなら、ただ追憶に浸る物語となってしまうところなんですが、それが最終的には思いがけない方向へいくのがいいんですよね。これがとても圧倒的。そして視覚的にも鮮やかで。

「魔術師シモン」は伝説、「死後の栄誉」は回想、「死者の百科事典」は娘が語る父の生涯、「眠れる者たちの伝説」はコーランのような聖典風、「未知を映す鏡」は幻想小説、「師匠と弟子」は文学論、「祖国のために死ぬことは名誉」は歴史書、「王と愚者の諸」は推理小説、「赤いレーニン切手」は書簡、「ポスト・スクリプトゥム」はメタ・テキストと、それぞれに形式が違うのは、レーモン・クノーの「文体練習」(感想)によるところも多いとのこと。キシュ自身、「文体練習」をセルビア語に翻訳してるんだそうです。とってもとっても感想が書きづらくて、今まさに困ってるんですが(笑)、でも確かに「文体練習」みたいな万華鏡的な味わいのある作品集だったな、なんて思いますね。(東京創元社)


+既読のダニロ・キシュ作品の感想+
「砂時計」ダニロ・キシュ
「死者の百科事典」ダニロ・キシュ

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昔々、バーナビーという名の少年が、1人っきりで旅から旅へと曲芸をして歩いていました。母親は生まれた時に亡くなり、バーナビーはやはり曲芸師だった父親と一緒に各地を歩いて回っていたものの、その父親も10歳の時に亡くなっていたのです。芸の上手なバーナビーはみんなに気に入られ、どこに行ってもうまくいっていました。しかし寒い冬になってくると、広場でバーナビーの芸を見てくれるお客さんはどんどん減っていきます。雪が降ってきた日、ある修道士がバーナビーを見て、家がないのを知ると修道院へと連れて帰ることに。

この本は、フランスで何百年もの間語り継がれてきた「聖母マリアの曲芸師」というお話をバーバラ・クーニーが新たな視点から解釈して、絵を添えたもの。初めてこの話をラジオで聞いた時にとても気に入って、息子が生まれたらバーナビーという名をつけようと思ったほどだっていうんですから、その感銘ぶりが分かりますね。
そしてアナトール・フランスも、この話を元に短編を書いてるそうです。何だろう? と調べていたら、岩波文庫で「聖母と軽業師」という短篇集が出てたみたい。これかな? あとアマゾンにはデータがありませんが、世界文化社・ワンダーおはなし館の「かるわざし」(谷市郎訳)とか、書肆山田の「聖母の曲芸師」(堀口大學訳)とかもあったようですね。岩波文庫版も含め、どれも絶版のようですが...。あ、白水社からアナトール・フランス小説集が出てるんですけど、その7巻にも入ってるようです。そのアナトール・フランスが書いた作品を、作曲家のマスネーがオペラにしたのだとか。

それにしてもなんて美しいお話なんでしょう! 映画の「汚れなき悪戯」を思い出しちゃいました。
今まで見たバーバラ・クーニーの絵本とは絵のタッチが全然違っていて驚いたのだけど... 白と黒が基調で、色がついているのも朱色と青と緑色だけですしね。でもそれがまた中世の雰囲気をよく表していて素敵。なんだかまるでステンドグラスの絵物語を見ているみたい。おごそかで美しくて、そして暖かくて優しくて。絵もとても細かく描きこんであって、広場にいる代書屋(?)とか修道院での写本の風景とか、その辺りが特に気になってしまってじーっと眺めてしまったわ! 何も知らないで今の時期に読んでしまったんだけど、これはクリスマスの前に読むのが良かったかもしれないですね。バーバラ・クーニー自身もクリスマスの贈り物のために描いた本のようですし~。クリスマスプレゼントにも最適の本かと♪(すえもりブックス)


+既読のバーバラ・クーニー作品の感想+
「北の魔女ロウヒ」トニ・デ・ゲレツ文 バーバラ・クーニー絵
「ちいさな曲芸師バーナビー」バーバラ・クーニー

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アウグストゥスの死後、皇帝となったのはティベリウス。常に若く元気な部下に囲まれていたユリウス・カエサル、決断の際には常にアグリッパとマエケナスに相談することのできたアウグストゥスとは対照的に、ティベリウスは孤愁を感じさせる男。背が高くがっちりとした体格で、貧相という言葉とは無縁だったティベリウスですが、その背は人の想いを拒絶するかのように厳しいのです。そんなティベリウスと彼に続くカリグラ、クラウディウス、ネロといった、歴史的にあまり評価の高くない皇帝たちを取り上げる巻。

ローマ皇帝の中でも、カリグラとネロは飛びぬけて有名ですね。有名とは言ってももちろん悪い方でですが。カリグラはものすごいはじけっぷりだし、ネロは母親殺しと妻殺し、そしてキリスト教徒迫害。ローマ市内に放火。そんな2人と並んでいるところからして、ティベリウスやクラウディウスはどんな酷い皇帝だったんだろうって思ってしまうところなんですが~。
これが全然なんです。確かにそれぞれに悪かった点はあります。社交性に欠けていたティベリウスはそもそも人心を掴む努力を全然してないし、最後の10年はカプリの別荘に隠遁してしまったから、そのせいでローマっ子たちは見捨てられたと思ってしまうし... クラウディウスはすっかり自分の奥さんの言いなりになってしまうという情けなさ。再婚して奥さんが変わっても全然ダメ。でも、塩野さんの筆にかかると、それぞれなりに最善を尽くしたという感じになってしまうんですね。ティベリウスはローマ市民が大好きな催しを全然しなかったから人気は低迷してたけど、その分アウグスティヌスから受け継いだローマ帝国を健全な形に保つことには十分実力を発揮していたし、クラウディウスは元々歴史家だっただけに、皇帝という地位とその重責をよく分かっていて、カリグラが破綻させた財政をきちんと立て直してます。とてもじゃないけど、愚帝という感じじゃありません。
そして単なる愚帝と思わせないのは、カリグラとネロの場合も同様。まあ、黒字財政をたった4年で破綻させたカリグラの浪費っぷりとか、神に成り代わろうとするとこはさすがにどうかと思いますけど(笑)、カリグラの場合は、軍隊のマスコットボーイだった時代から描かれてますしね(カリグラというのは「小さな軍靴」という意味の愛称)、あの可愛かった少年が~!って感じで哀れだし、切ないんです。それにネロだって、いいことだっていっぱいしてるのに、ちょっとした失敗や時機を逸したことが大きく響いて、結局雪だるま式になっちゃったのね... という感じで、十分同情の余地あり。
普通の小説の悪役だって、実はそんなに悪い人間じゃなくて、むしろ主人公よりも人間的に深みを感じさせることだってあるし、それでも構わないんですけどね。評判の悪い皇帝たちのダメな部分を強調するだけでなく、人間的な部分をここまで描き出したというのはすごいと思います。でもね、暗殺されてその治世が終わるからには、後世までその悪名が轟いているからには、もっと憎々しい悪役の魅力というのも読んでみたかったなあ、なんて思ってしまったりするんですよね。ないものねだりなのは分かってるんですが。(笑)(新潮文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ローマ人の物語 ローマは一日にして成らず」1・2 塩野七生
「ローマ人の物語 ハンニバル戦記」3~5 塩野七生
「ローマ人の物語 勝者の混迷」6・7 塩野七生
「ローマ人の物語」8~10 塩野七生 「ガリア戦記」カエサル
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前」8~10 塩野七生(再読)
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以降」11~13 塩野七生
「ローマ人の物語 パクス・ロマーナ」14~16 塩野七生
「ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち」17~20 塩野七生
「ローマ人の物語 危機と克服」21~23 塩野七生
「ローマ人の物語 賢帝の世紀」24~26 塩野七生
「ローマ人の物語 すべての道はローマに通ず」塩野七生

+既読の塩野七生作品の感想+
「コンスタンティノープルの陥落」「ロードス島攻防記」「レパントの海戦」塩野七生
「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」塩野七生

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4月のある朝、アドバセン近くの牧草地を歩いていたマーティン・ピピンは、道端の畑でカラス麦の種をまいている若い男を見かけます。一握りの種をまくごとに、種と同じほどの涙の粒をこぼし、時折種まきを全くやめると、激しくむせび泣く男の名前はロビン・ルー。彼は美しいジリアンに恋焦がれていました。しかしジリアンは父親の井戸屋形に閉じ込められ、男嫌いで嫁にいかぬと誓った6人の娘たちが、屋形の6つの鍵を持ってジリアンを見張っているというのです。マーティン・ピピンはロビン・ルーの望み通り、ロビンの持つプリムラの花をジリアンに届け、代わりにジリアンが髪にさしている花を持ってくるという約束をします... という「リンゴ畑のマーティン・ピピン」。
空が緑に変わりかけ、月や星が出始めた頃。ヒナギク野にいたのは、ヒナギクでくさりを編んでいる6人の女の子と1人の赤ん坊。そこにやって来たのはマーティン・ピピン。自分の子供をベッドに連れに行くためにやって来たマーティンは、6人の女の子たちのために寝る前のお話と歌を1つずつ、そしてそれぞれの子供たちの親を当てることになります... という「ヒナギク野のマーティン・ピピン」

ファージョン再読祭り、ゆるゆると開催中です。今回読んだのは旅の歌い手・マーティン・ピピンの本2冊。2冊合わせて1000ページを超えるという児童書とは思えないボリュームなんですが、読み始めたらもう止まらない! いやあ、もう本当に懐かしくて懐かしくて... 夢中になって読んでいたのは、もっぱら小学校の頃ですしね。本当に久しぶりです。

「リンゴ畑のマーティン・ピピン」は、サセックス州に伝わる「若葉おとめ」という遊戯の元となる物語を語ったという形式の作品。この遊戯は、囚われの姫を助けにきた旅の歌い手とおとめたちのストーリー。古風な歌の歌詞もとても典雅だし、三部構成で、第一部では若葉のもえぎ色、第二部では白と紅、第三部では黄色い服になるという視覚的にもとても美しい遊戯なんです。でもこれ、実はファージョンの創作。
恋わずらいのジリアンを正気に戻すためには、誰も聞いたことのない恋物語を聞かせるのが一番ということで、マーティン・ピピンが6つの物語を語ることになるんですが、この話が本当に大人っぽいんですよね。子供の頃もドキドキしながら読んでたんですが、大人になって再読しても、やっぱりドキドキしてしまうーっ。これはやっぱり子供向けの作品じゃないでしょ... と思いながら読んでいたら、やっぱり違いました。訳者あとがきによると、30歳の男性のために書かれた物語なんだそうです。女性向けではなく男性向けだったというのが意外ですが、確かにこれは30歳の男性でも十分楽しめる物語かと。6つのお話の中で特に好きなのは「王さまの納屋」と「若ジェラード」。そして「オープン・ウィンキンズ」。って、子供の時と変わらないんですけど! そんなに進歩してないのか、私!
お話とお話の間の「間奏曲」では、イギリスの娘たちが楽しむ素朴な遊びや占いの場面もありますし、それぞれのお話の後にはそれぞれの乳搾りの娘と彼氏(なんて言葉じゃ軽すぎる... やっぱり「若衆」でしょうか!)との諍いの原因も告白されたりして、枠の部分も十分楽しめます。

そして「ヒナギク野のマーティン・ピピン」は、その次世代の物語。なんとこちらの聞き手は、「リンゴ畑」の6人の乳搾りの娘たちの子供たちなんです。暗くなってきてもなかなか寝に行きたがらない女の子たちのためのお話と、それぞれの女の子たちの親当てゲーム。「リンゴ畑」では6人の外見の説明がほとんどないせいか、全員の性格の違いを掴むとこまではいかないんですが、こちらは6人が6人とも全然違ってるので、この子の親は誰?というのを通して「リンゴ畑」の6人を改めて知ることができます。
こっちのお話で特に好きなのは、これまた子供の頃と変わらず「エルシー・ピドック夢で縄跳びをする」と「トム・コブルとウーニー」。あーでも「タントニーのブタ」や「ウィルミントンの背高男」「ライの町の人魚」も捨てがたいー。なんて言ってたら全部になってしまうんだけど。エルシー・ピドックのお話は、これだけで独立した絵本にもなってますね。
そして「リンゴ畑」と同じく、間奏曲がまた楽しいんです。子供たちはみんな、マーティンに親を当てられてしまうのではないかとドキドキ。当てられないための駆け引きもそれぞれなら、当てられそうになった時や、大丈夫だと分かった時の反応もそれぞれ。マーティンは結局子供たちの涙に負け続けてしまうんですけどね。間違えたマーティンを容赦なくいじめる方が子供らしい反応かもしれませんが、私としては間違えたマーティンを慰めるような反応の方が子供の頃も好きだったし、今でもそう。って、やっぱり進歩してない私ってば。(笑)(岩波書店・岩波少年文庫)


+既読のファージョン作品の感想+
「ムギと王さま」「天国を出ていく」ファージョン
「年とったばあやのお話かご」「イタリアののぞきめがね」ファージョン
「町かどのジム」エリノア・ファージョン
「リンゴ畑のマーティン・ピピン」「ヒナギク野のマーティン・ピピン」ファージョン
「銀のシギ」エリナー・ファージョン
「マローンおばさん」エリナー・ファージョン
「ガラスのくつ」エリナー・ファージョン
「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」「ねんねんネコのねるとこは」エリナー・ファージョン

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赤ちゃんの時に両親を亡くし、今はハリエット大おばさんやフランシスおばさんと一緒に暮らしている9歳のベッツィー。大おばさんもフランシスおばさんもベッツィーをとても大切に思っていて、いつも甲斐甲斐しく面倒をみてくれます。特にフランシスおばさんは、いつもベッツィーの気持ちを一番分かってくれる人なのです。しかしそんなある日、ベッツィーの生活が一変します。ハリエット大おばさんの具合が悪いため転地療養しなければならなくなり、フランシスおばさんも同行することになったのです。でもベッツィーまでは一緒に連れて行けないので、ベッツィーは他の親戚に預けられることになるのですが...。

都会で大切に大切に育てられていたベッツィーが、それまで一緒に暮らしていた家族と離れて、田舎の農場に行く物語。最近出た本なんですけど、アメリカでは1917年に出版されたという作品。読んでるともう「赤毛のアン」や「大草原の小さな家」を思い出して仕方ない~。時代的にも同じぐらいですしね、まさにそんな雰囲気のお話です。

ベッツィーの最初の9年間は都会での生活。フランシスおばさんもハリエット大おばさんも、ベッツィーを大切に思うあまりに真綿に包むように大事に大事に育ててるんですが、これがいかんせん過保護すぎて... まるでベッツィーで人形遊びをしているように見えてきちゃうぐらい。愛情はたっぷりだし、悪気は全然ないのだけど。でもベッツィーに1人の人間としての人格を認めてなくて。
その都会での生活とは対照的なのが、パットニー農場での生活。ここの人々は、ベッツィーを全然甘やかしません。日々の暮らしに忙しいというのもあると思うんですが、必要以上に手をかけないんですね。最初からベッツィーを子供としてではなく1人の人間として扱って、正面から向き合っています。ヘンリー大おじさんは、初対面のベッツィーにいきなり馬車の手綱を預けて自分は計算に夢中になってますし、アンおばさんもアビゲイル大おばさんも殊更に労わるような言葉を口にしないし、細々と世話を焼いたりもしません。今までみたいに常に構ってもらえなくなったベッツィーは内心大いに不満。でもそんな日々を送ることによって、ベッツィーは自分の頭で考えることを知るし、自分のことは自分でやることを覚えるし、何か不測の事態が起きた時は自分で考えて対処できるようになるんですね。そして自分の力で何かができるということはベッツィーの自信に繋がって、ベッツィーはどんどん生き生きとした少女に変貌していきます。

まあ、よくあるパターンと言ってしまえばそれまでなんですが、それがすんごくいいんです! パットニー農場の人たちは、必要ないことは口にしないけど、見るべきところはちゃんと見てるんですね。きっと甘ったれて依存心の強いベッツィーのことも、最初から見抜いてたと思うんだけど、もちろんそんなことも口にしません。黙って見守ることの大切さ、ですね。そしてそれがベッツィーにすごくいい影響を及ぼしていて、読んでいて素直にベッツィーの成長ぶりが嬉しくなってしまいます。こういう感覚、いまどきの児童書ではなかなか感じられないものかも。やっぱり子供時代はこういう作品を読んで育ちたいものだわ~って思ってしまいます。(もちろんアンでもローラでもいいんですけどね)
そして本当に良かったなと思ったのは、フランシスおばさんたちの愛情は、方向性こそ多少間違っていたと思うんですけど、それでも愛されて育つというのはとても大切なことだなあ、と思えたこと。スポイルされきっていたベッツィーですけど、彼女が折々に見せてくれる人を思いやる心は、確かにフランシスおばさんとハリエット大おばさんに育まれたものなんですもん。それが暖かい結末を呼び込んだ一番の要因かと。

そしてこの本、美味しそうな場面がものすごーーーくいっぱいあるんです。バター作りやアップルソース作り、壁に吊るしてある黄色いトウモロコシで作るポップコーン、そして雪の上に垂らして固めたメイプルシロップのキャンディー。メイプルシロップのキャンディといえば、「大草原の小さな家」のローラと後に結婚することになるアルマンゾの「農場の少年」を思い出します~。子供の頃、もうほんと食べてみたくて、すっごく憧れたんですよね。実は「大草原の小さな家」のシリーズはそれほど好きではなかったのだけど、「農場の少年」だけは、もう数え切れないぐらい何度も読んでたぐらい。メイプルシロップはもちろんのこと、お母さんの作るドーナッツやベイクドビーンズの美味しそうだったことったら~。日々の生活に必要なものは基本的に全て手作りで、そういう描写もすごく楽しかったんですよね。1年に1度靴屋さんが回ってきて子供たちに靴を作ってくれるから、そのための皮を用意しておくのとかね、今でもはっきり覚えてます。(徳間書店)

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優しくて賢くて逞しいハヌシ王子は、7つの山と7つの川を越えた向こうに世界で一番美しい姫がいると聞き、早速求婚に向かいます。しかしハンナ姫は気位の高い姫。世界中の王子が求婚に訪れても顔をちらりと見るだけで、誰も気に入らずに追い返してばかりだったのです... という「美しいハンナ姫」他、全6編。

ポーランドに古くから伝わる民話をモチーフにしたという物語。民話を元にしてるだけあって、どこかで読んだようなお話が多いんですが、どれも神を信じて地道に正直に日々働く人間が最後に幸せになるというところで共通しています。そして生まれ持った性質や育ちがどうであれ、そういった人間に生まれ変わることは可能ということも。美しいけどわがままなハンナ姫もそうだし(この話はグリムの「つぐみのひげの王さま」に似た展開)、いくらみんなに言われても全然働こうとせず、自分の馬に餌をやることも知らなかった男もそう。若い頃に遊ぶことしか知らなかった女は、すっかり年を取ってしまった後に若い頃の怠け者の自分を目の当たりにさせられることになります。「ヘイ、若かったわたしは ヘイ、どこへ行った? ヘイ、川の向こうか、ヘイ、森にかくれてしまったか?」という歌が、楽しそうでもあり、物悲しくもあり...。
面白かったのは、正直に日々働きたい男が極貧のために子供たちに食べさせることができなくて、でもぎりぎりまで盗人になることに抵抗するにもかかわらず、結局盗人になることによって王さまや国を助けることになるという「盗人のクーバ」。そして怖かったのは、生まれた時に、怪しげな男から宝石の詰まった手箱をもらい、日々それで遊びながら成長する王女さまの話「王女さまの手箱」。美しい宝石に夢中になるのはよくあることなんですけど、宝石を所有するのはあくまでも人間のはず。完全に宝石に所有され、支配されている姫の姿が恐ろしいです。この話もなんだけど、全体的にどこかトルストイっぽかったな。(岩波少年文庫)

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珍しく暖かな冬。毛皮職人のロイベンは迷った挙句、やぎのズラテーを思い切って売りに出すことに。家族みんなに愛されているズラテーでしたが、その代金8グルデンでハヌカのお祭りために必要な品物が買い揃えられるのです。しかし息子のアーロンがズラテーを連れて村を出た時には晴れていたのに、町に向かううちに空模様がにわかに変わり始め、とうとう吹雪になってしまい... という「やぎのズラテー」他、全7編。

ポーランド生まれのユダヤ人作家・アイザック・B・シンガーが、若者のために初めて書いたという本。他の2冊もそうだったんですが、シンガーの本は、まえがきもすごくいいんですよねえ。今回もぐっときちゃいました。

わたしたちのきのうという日、楽しかったこと、哀しかったこともふくめて、その日はどこにあるのか。過去とそれにまつわるさまざまな気持ちを思い出すうえに役立ってくれるもの、それが文学です。物語をする人にとって、きのうという日は、いつも身近にあります。それは過ぎ去った年月、何十年という時間にしても同じです。物語のなかでは、時間は消えない。人間たちも、動物たちも消えない。書く人にとっても、読む人にとっても、物語のなかの生きものは、いつまでも生きつづける。遠い昔におこったことは、いまもほんとうに存在する。(P.9)

本当は全文ここに載せたいぐらいですけど...! これだけじゃあ、ちゃんと伝わらないかもしれないんですけど...! でも我慢します。(笑)
シンガーは、子供時代を懐かしむかのようにワルシャワを舞台にした作品を沢山書いてるのに、実は彼の作品はポーランドでは1冊の本にもなっていないと訳者あとがきに書かれていて、びっくりです。1978年にノーベル文学賞を受賞してるんですが、その時もポーランドの新聞では「イディシ語で書く無名のアメリカ作家が受賞」と伝えられただけなんですって。その大きな原因の1つは、300万人以上いたはずのポーランドに住むユダヤ人が、ナチスの手によって殺され尽くしてしまったこと。シンガーが生まれ育ったワルシャワは、もうないんですね。そしてその結果、東ヨーロッパに住むユダヤ人たちの共通語であるイディシ語も死に絶えようとしているのだとか。そう知ってみると、一見「物語があれば、過去のこともいつも身近に感じられる」という前向きな言葉