Catégories:“文学(翻訳)”

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イヴがエデンの園の禁断の木の実を食べたのは、蛇のせいではなく、自分で食べようと決めたから。しかし繊維が多くもったりとした果肉、ぼんやりとした甘さはイヴを落胆させただけ。イチジクを食べたことによって空が落ちることはなく、神の怒りを示す雷鳴が鳴り響くこともなく、自分裸なのに気付いて恥ずかしくなることもないまま、イヴは夜になって顔を合わせたアダムにイチジクを食べたことを告白し、イヴを失いたくないアダムもまたイチジクの実を食べることに。そして翌朝、いい加減待ちくたびれた頃に4人の天使たちがやって来て、2人と蛇、そして動物たちをエデンの園から追い出します。

聖書の創世記、アダムとイヴの楽園追放の物語をイヴの視点から描いた作品。創世記を物語にしたといえば、ミルトンの「失楽園」(感想)もそうなんですけど、あちらは堕天使たちがやけにカッコいいとはいえ、かなり正統派ですしね。こちらはまた全然雰囲気が違っていて面白かったです~。
アダムの最初の妻・リリスがエデンの園にいるというのもすごいなあと思ったんですが、それ以上に面白かったのは蛇のこと。ここに出てくる蛇は、まだ今のような蛇ではなくて、人間のような姿。とても興味深いのです。エデンの園の世話をしているのも蛇ですしね。丁度現代の園芸用品みたいな様々な道具を使いこなして様々な果樹の世話をしてるし、そもそも蛇の家の文化的なレベルの高いこと! しかも蛇はイヴに、まだ起きていないノアの箱舟の話やバベルの塔の話を語って聞かせるんです。世界にはまだアダムとイヴとリリスしかいないというのに、いきなり大勢の人間の話なんてされても、イヴには想像もつかないんですが。(笑) その話の中には、イヴ自身の未来の物語も含まれています。そして蛇はイヴに生きていく上で必要な様々なことを教えるんです。来るべき楽園追放の日に備えるかのように。

この物語は、聖書よりももっと様々なエピソードが語られているユダヤの創造神話からできあがったのだそう。ということで、いくつかオススメの参考文献が書かれてたんですけど、これって全然日本語訳が出ていないのでは...。うわーん、読みたい、読んでみたい! 聖書だけじゃどうしても物足りないとは前から思ってたんですよね。でも私が読みたいのは「タルムード」(ユダヤ教の聖典)みたいなのじゃなくて、もっと神話そのもの。何かいい資料はないかしら。(トパーズプレス)

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あるひんやりした春の朝。海に近い森の中にきのこを探しに来ていたマルセルとココが見つけたのは、倒れている男。最初は生まれて始めて死人を見つけたと思い、わくわくしながらも逃げ出す2人でしたが、本当に死んでいるのか確かめるために戻ってみると、男は起き上がっていました。目はまっすぐ2人を見つめているのに、「だれだ、そこにいるのは?」と叫ぶ男。男の目は見えていなかったのです。男はとても若い外国人で、脱走兵。病気でもう長くはもたない弟のジョンに会うために、イギリスの自分の家に帰ろうとしているところだと話します。

全然名前も知らない作家さんだったんですが、先日ましろさんに教えていただきました。感謝♪

本筋の物語そのものもいいんですが、兵士が子供たちに話して聞かせるロバの出てくる4つの物語がとてもいいんですよね。キリスト生誕の時にマリアをベツレヘムへと運ぶロバの物語、旱魃に苦しむ世界を救うロバの物語、戦争で負傷者たちを助ける少年とロバの物語、そしてジョンが見つけた銀のロバの物語。
ロバって、日本ではあまり馴染みがないですよね。私が知ってるのは「くまのプーさん」のイーヨーぐらいだし... しかもこのイーヨー、どう見てもイマイチ冴えない地味な存在。でも本当はすごく素敵な動物だったんですね。気立てが良くて我慢強くて足が丈夫で、骨惜しみせずに働いてくれるロバ。小麦のような香ばしいにおいと、深く優しい目をしたロバ。頑固で愚かといわれながらも、どんな動物よりも気高いといわれるロバ。ロバにキスされた赤ん坊は、ロバと同じ性質をそなえた子になると言われているのだそうです。兵士の語る話は、どれも大きく圧倒的な力に振り回される小さな存在の物語なのですが、とてもすんなりと心に入り込んでくるようなものばかり。そしてそんな圧倒的な力に立ち向かうために必要な勇気と愛情を持っているのがロバ。ああ、ソーニャ・ハートネットにとって、ロバってこんなに身近な存在なんですね。そして一見とても小さな存在の方が実は純粋な勇気や愛情を持っている... というのはココやマルセルも同じ。

第一次大戦下のフランスの海辺の町が舞台。イギリス軍の脱走兵の話なので、本当はほのぼのなんてしようがないはずなんだけど、読んでいてすごく和む物語。心が洗われるようでした。マルセルとココを見てる限りでは、近くで戦争をやってることなんてまるで感じられなくて、それが逆にちょっと薄ら寒い気もするのだけど。
ロバではないんだけど、手のひらにすっぽり収まるサイズの銀の恐竜ならいくつか持ってます、私。本を読んでる間ずっとそのイメージでした。ちょっと光沢がなくなってきてるから磨いてあげようっと。そしてソーニャ・ハーネット作品、他のも読んでみようっと。(主婦の友社)

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オーストリアとボヘミアの両国が接する辺りに広がるボヘミアの森、そしてモルダウ川の近くにあるトイフェルスマウアーの峡谷に、かつて好んで森を訪ねることから「森ゆく人」というあだ名のついたゲオルグ老人が暮らしていました。彼は森番のライムント一家と親しくなると、森番の1人息子のジミを連れて森の中を歩き回り、読み書きを教えるようになります。

この物語の舞台は、シュティフターの故郷なんでしょうね。ボヘミアの情景がまるで風景画のように描写されていきます。でもそういう描写はいいんだけど、ちょっとばかり長すぎるのではないかしら... 物語そのものよりも、そちらに重点を置かれているように感じられるほどなんですもん。シュティフター自身の感傷? 20ページほど読んで、ようやく話の中心となる「森ゆく人」が登場。一時はどうなることかと思いました...。
この「森ゆく人」は、最初に登場した時には既に老人なんです。まるで隠者のような落ち着きを見せているので、いつものように穏やかな流れの物語となるのかと思ったのですが、そうではありませんでした。今回は自然の情景があくまでも美しいままで、その恐ろしさを見せなかったからなのかしら。そして後半は「森ゆく人」となるゲオルグの半生の物語。
この半生の物語がメインだと思うし、短い幸せの日々と大きな後悔の話はなかなかいいんだけど... でもどうなんだろう。なんだか全体にもう少し構成しなおした方がいいような。と思ってしまったのでありました。半生の物語に突っ込みを入れるのはその後で、という感じ。(松籟社)


+既読のシュティフター作品の感想+
「水晶 他三篇 石さまざま」シュティフター
「森の小道・二人の姉妹」シュティフター
「晩夏」上下 シュティフター
「ナレンブルク 運命に弄ばれた人々の城」A.シュティフター
「石さまざま」上下 アーダルベルト・シュティフター
「森ゆく人」アーダルベルト・シュティフター

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新聞でイタロ・カルヴィーノの新しい小説「冬の夜ひとりの旅人が」が出たのを知り、早速本屋で買ってきて読み始めようとしている「あなた」。しかし準備万端整えてじっくり読む体勢に入り、読み始めてしばらく経った時、妙なことに気付きます。製本のミスで、32ページから16ページに戻っていたのです。3箇所で32ページから16ページに戻るのをみつけた「あなた」は、翌日本屋で取り替えてもらおうとするのですが、本屋はその本はカルヴィーノの作品ではなく、実はポーランド人作家の小説だったと説明。続きを読みたい「あなた」は、その本をポーランド人作家の小説に取り替えてもらうのですが...。

カルヴィーノの作品を読んでいると思っていたら、それは実はポーランド作家の作品だった? そしてポーランド小説の続きを読もうと思ったら、その本は全然続きなどではなくて、チンメリア文学だった...? と、迷路の中にぐるぐると迷い込んでいくような、蜘蛛の巣に絡め取られていくような、蟻地獄に落ち込んでいくような感覚の作品。作中作がなんと10作! どんどん出てきて、でもどれも丁度話の中に入り込んだ頃に途切れちゃう。でもそれの作中作がまた面白いんですよねえ。どの話も続きを読みたくなっちゃうんですもん。

でも一番面白かったのは、終盤で何人かの読者たちが語ってる言葉。私はこれに一番近いかも。

私が読む新しい本のひとつひとつが私がそれまでに読んだいろんな本の総計からなる総体的な統一的な本の一部に組み込まれるのです。でも安易にはそうなりません、その総括的な本を合成するには、個々の本がそれぞれ変容され、それに先立って呼んだいろんな本と関連づけられ、それらの本の必然的帰結、あるいは展開、あるいは反駁、あるいは注釈、あるいは参考文献とならねばならないのです。何年来私はこの図書館に通って来て、本から本へと、書棚から書棚へと渉猟しているのですが、でも私は唯ひとつの本の読書を押し進める以外のことはしていなかったと言えましょう。(P.344-355)

ちょっと訳が如何なものかという感じもしますが...
これだけじゃないですけどね。前の読者が言ってるように再読で新たな発見をするというのもほんと分かるし。でも私の基本は、次の読者が言っているような記憶の彼方にかすかに残る「唯ひとつの本」を目指して、総括的な本を作り続けているような感じかな。(ちくま文庫)


+既読のイタロ・カルヴィーノ作品の感想+
「宿命の交わる城」イタロ・カルヴィーノ
「不在の騎士」イタロ・カルヴィーノ
「レ・コスミコミケ」イタロ・カルヴィーノ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「まっぷたつの子爵」「木のぼり男爵」イタロ・カルヴィーノ
「イタリア民話集」上下 カルヴィーノ
「魔法の庭」イタロ・カルヴィーノ
「見えない都市」イタロ・カルヴィーノ
「マルコヴァルドさんの四季」カルヴィーノ
「冬の夜ひとりの旅人が」イタロ・カルヴィーノ

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10世紀に実在した人物・ギスリのサガ。ノルウェーで騒ぎを起こしてアイスランドに殖民することとなり、やがて義兄弟の敵討ちのための殺人のかどで追放刑になりながらも10年以上生き延びたギスリの生涯の物語です。
このギスリのサガに関しては、以前「アイスランド・サガ スールの子ギースリの物語」で読んでるんですが(感想)、そちらを読んだ時の方が面白く読めたような気も...。父の名前を子にもつけたりと、同名の登場人物がものすごく多いのでヤヤコシイのは相変わらずなんですが、以前読んだ時にすごく印象に残った判官贔屓のような哀愁が、こちらでは感じられなかったんですよねえ。文章中に長い訳注が入っていて読みにくかったのも大きいのかも。ほんの一言の注釈が文章中に括弧にくくられて書かれてるんなら分かりやすいし、実際「ヘイムスクリングラ」ではその辺りが読みやすかったんですけど、こちらでは1ページの半分が注釈になってる、なんてところもあったので...。
でも新しい発見もありました。サガ文学のサガって、英語の「say」と語源が一緒なんですって。知らなかった! 「物語る」とか「歴史」という意味なんだそうです。それに「王のサガ」「伝説のサガ」「アイスランド人のサガ」「ストゥルルンガサガ」というサガ文学の4つの括りは知っていたけど、具体的な作品名はあまり知らなかったので、その辺りはとても勉強になりました。こういう基本的な情報が意外となかなか得られなかったりするんですよね。ありがたいです。(北欧文化通信社)


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スノッリ・ストゥルルソンの書いた北欧王朝史「ヘイムスクリングラ」。この中には「ユングリングサガ」「ハルヴダン黒髪王のサガ」「ハラルド美髪王のサガ」「ハーコン善王のサガ」「灰色マントのハラルド王のサガ」が収められています。

先日森山さんに、こんな本が出てました!と教えていただいた本。スノッリ・ストゥルルソンといえば、私は「古エッダ」(要するに北欧神話です... 記事)しか読んだことがありませんでしたが13世紀にアイスランドの詩人で、この「ヘイムスクリングラ」が「古エッダ」と共に代表作となっています。そして訳者は北欧研究の第一人者の谷口氏。とくれば、そりゃもう読まずにはいられないでしょう!

驚いたのは、この本では北欧の民族の起源をアジアとしていること。そして北欧神話の主神オーディンを実在の英雄として捉えていること! アジアの東の地にアーサランドあるいはアーサヘルムと呼ばれる国があり、その首都がアースガルズ、支配者がオーディンだったんですって。アースガルズは北欧ではなかったのか...! そしてそのオーディンが後に人々を北欧まで導くことになったんですね。このオーディンは常勝の偉大な戦士。その祝福を受けると人々は無事に旅ができるし、窮地に陥った時にその名を呼ぶとオーディンの救いが得られるものとされていたんだそうです。そこから信仰の対象となっていったというわけですね。オーディンの妻はフリッダ、フレイとフレイヤがアースガルズに来ることになったことも、ミーミルの首から様々なことを聞き出したことも、フレイがゲルズと結婚したことも、史実として語られているのが面白いです。
とは言え、神話と共通する部分は最初の方だけ。その後は名前も知らない王の話が続いて、エピソードもそれほど豊富ではないし、正直それほど面白くないです。書き残すといことのが大切だったのだろうと思うので、それはそれで構わないのですが。でも例えば「アイスランド・サガ スールの子ギースリの物語」(感想)や「アイスランドサガ」(感想)でも出てきたハロルド美髪王の時代になると、そちらの話と繋がってまた面白くなります。...要は、面白くない部分は、ひとえに自分の知識不足のせいだったというわけなのね。(苦笑)

この本1冊で、「ヘイムスクリングラ」のまだ4分の1なのだそう。順次刊行されるそうなので、ぜひ追いかけたいと思います。「スノッリのエッダ」の全訳も読みたいな。北欧文化通信社で出してくれないかな。(北欧文化通信社)


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「互いにベージュ色の高価なレインコートに身を包んで出会いましょう。豆スープのようにどんよりした霧の夜に。まるで探偵映画もどきに。」という文章で始まる「別の女になる方法」他、「離婚家庭の子供のためのガイド」「母親と対話する方法」「作家になる方法」など全9編。

これはハウツー本の文体で書かれた小説、ということでいいのかな。どれも内容的には結構スゴイことが書かれてるのに、文章がとにかく淡々としてるので、なんだかまるでごく普通の事務的な説明を受けているだけのような錯覚に陥ってしまうという、とっても不思議な作品です。
とにかく淡々... たとえば「作家になる方法」の冒頭はこんな感じ。

作家になるためには、まず最初に、作家以外のものになろうとしてみることです。どんなに途方もないものでもいいのです。映画スターと(か)宇宙飛行士。映画スターと(か)宣教師。映画スターと(か)幼稚園の先生。世界大統領、大いに結構。そしてミジメな挫折を味わうことです。早ければ早いほどいいのです。十四歳で挫折を知るなんて理想的。早いうちに決定的に幻滅することが、くじけた夢に関する長い俳句を十五歳でひねり出すのに必要な条件なのです。

ちょっと面白いでしょう? ハウツー物を小説にしてしまうなんて、アイディアですよねえ。全編こんな感じで物語が始まるんです。
表面に現れてるのは、シニカルなユーモアセンス。でも基本的に不倫とか離婚とか挫折とか死がテーマになっているので、奥底から寂しさや絶望感が滲み出てくる感じ。でも面白いとは思うんだけど、純粋に好みかと言えば、あまり好みではなかったかも。例えばアメリカ人が読むと、私が今読んでいるよりももっとすごく面白く感じるんだろうな、なんて思っちゃうんですよね。そんな、いかにもアメリカ~なユーモアセンス。そうでなくてもユーモア物って難しいのに。その時の自分自身との波長が合うかどうかというのも、かなり重要ポイントになってきますしね。日本物のユーモアだって合う合わないが激しいのに、ましてや外国物ときた日には、って感じかな。(白水uブックス)

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