Catégories:“小説以外”

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今までになく酷いうなされ方をしているダランベールを心配したレスピナッス嬢は、夜中看病しながら、その気違いじみた支離滅裂な話し振りのうわ言を書き留めます。そして朝になって呼んだ医者のボルドゥーに、その時に書き留めておいたことを話すことに。レスピナッス嬢が驚いたことに、ボルドゥーはそのうわ言のメモから意味を掴みレスピナッス嬢に解説、やがて2人はそれについて議論をし始めることに... という表題作「ダランベールの夢」他全5編。

ディドロは、18世紀フランスの啓蒙思想家であり作家である人物。18世紀を代表する書物「百科全書」の編纂・刊行に関わった百科全書派の中心的な人物です。(他にはダランベールやヴォルテール、ジャン=ジャック・ルソー、モンテスキューの名も) この「百科全書」は、当時の技術的・科学的な知識の最先端を集めて紹介しながら、同時に古い世界観を打ち破り、社会や宗教・哲学等への批判を行っているので、宗教界や特権階級から危険視されたんだそうで... そしてその購読者は、実際にフランス革命の推進派と重なっているのだそうで... やっぱり危険だったのか。(笑)

5編とも全て対話形式の作品となっています。訳者による「はしがき」に、ディドロの著作や18世紀の思想にまだあまり馴染みのない読者は、まず「肖像奇談」を読んで、次に「或哲学者とXXX元帥夫人との対談」、そして最後に3部作を順を追って読むのが読み易いと書かれていたので、今回その通りに読んでみました。実際「肖像奇談」は一番分かりやすいです。話として普通に面白い。最後のオチもいいですねえ。と言いつつ、以前どこかで読んだような気もしたのだけど。どこかのアンソロジーに入ってたのかな? 次の「或哲学者とXXX元帥夫人との対談」は、それよりもちょっと難しい... 難物というほどではないのだけど。そして3部作。最初の「ダランベールとディドロの対談」は面白かったー! 圧力を通じて現れる死力と場所の移動を通じて現れる活力、静止的感性と能動的感性、そして静止的感性から能動的感性への移行。一見小難しいんだけど、よく読んでみると案外分かりやすいです。ええと、こういうのが唯物論なんですかね?(すみません、よく分かってません) でも次の表題作「ダランベールの夢」では、話が一気に多岐に渡ってしまって、ついていけないー。対話形式だし、文章的には比較的読みやすいんだけど、何なんだ、これは??? で、3部作最後の「対談の続き」は、また少し分かりやすくなって。
ディドロという人は、ごく普通のこととかちっちゃいことをわざと大げさに言い立てて、相手の反応を見て楽しむようなところがあるんですかね? なぜ真っ直ぐ等身大に表現できない? なんて思ってしまったんですが、その反応、合ってるのでしょうか。(笑) で、驚いたのはその内容の新しさ。なんだか今の時代に書かれてると言われてもおかしくないようなことが色々と書かれていて、これが18世紀に書かれたということにびっくりです。これはきっと内容がきちんと分かればどれもすごく面白いんでしょうね。まあ、最初から1度読んですんなり理解できるようなものとは思ってなかったので、面白かった部分もあったということが大収穫。ゆっくりじっくり付き合っていきます。(岩波文庫)

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民衆の間で信仰されてきた小人や巨人、そして妖精たち。しかしそういった存在が息づいていた民間信仰は、人々の生活にキリスト教が入ってくるに従って邪教と見なされるようになり、徐々に人々の生活圏から排除されることになります。キリスト教が世界を席巻するに従って排除されていったのは、ギリシャ・ローマの神々たちも同様。それらの神々は、地上の古い神殿の廃墟や魔法の森の暗闇の中に生きる悪霊とされてしまうのです。...そんな風に追いやられ、呪われることになった神々や精霊たちに関するエッセイ。「流刑の神々」がギリシャ・ローマの神々に関して、「精霊物語」は民間信仰の小人や巨人、妖精たちについてです。

ハイネによるエッセイ2編。両者の成立には17年という歳月の隔たりがあるそうですが、古代の自然信仰やギリシャ・ローマの神々に対する信仰が、キリスト教の浸透によって邪教として抹殺されていくことになったことということで、そのテーマは同じです。
新しいものに古いものが駆逐されるというのはよくあることだし、例えば日本にも、文明開化によって西洋の文化が入ってきた途端、日本古来の文化がないがしろにされるようになったという歴史がありますよね。でも西洋文化に流れてしまったのは国民性というのも大きかったはずだし、結局「和洋折衷」で、新しい物に負けそうになりながらも、古い物も残るところには残っています。そもそも日本は、古くから仏教と神道が両立してきた国。キリスト教が異教に対して行ったような徹底的な排除というのは経験してないんですねえ。でももし徳川幕府が鎖国してキリスト教を締め出さなかったら、今頃どうなってたのかしら?
キリスト教に限らず宗教というのは激しさを持ってることが多いのだけど(特に初期)、それでもキリスト教の激しさってすごいですね。隣人には寛容なはずのキリスト教も、異教徒に対しては驚くほど非寛容。あの徹底した排除っぷりは、ほんとすごいと思います。古来の信仰や、それにまつわる文化、その中に息づいていた異教の神々たちを完全に駆逐してしまおうとするんですもん。でもキリスト教がどれだけ網を張巡らしても、古代信仰の一部は、邪教や迷信と決め付けられ変容しながらも零れ落ちていくんですね。そしてあるものは伝説として残り、あるものは祭りなどの習俗に残り、抹殺されずに農民たちの間に残った物語はグリムによって採取されて本として残ることになるわけで。

「流刑の神々」は、若き日の柳田国男にも多大な影響を与えた作品なんだそうです。なるほど、こういうのを読んでいたのですね。ワーグナーの「タンホイザー」や「さまよえるオランダ人」「ローエングリン」といった作品群を思い起こさせる伝説も紹介されてたし、他にも色んな伝承に触れられたり、紹介されてるのが面白かったー。中でも興味深かったのは、シェイクスピアの「マクベス」の魔女は、その元ネタとなった古い伝説の中では、3人のヴァルキューレだったという話! そうだったんだ! 「流刑の神々」で紹介されてる、うさぎ島に住む老人がユピテル(ゼウスね)だったなんて話も面白かったし、牧童として暮らしていたアポロンや、今もまだ祭りを行っているバッカス... いつまででも読み続けていたくなっちゃいます。でもドイツの人なのに、ギリシャ神話を取り上げてる割に、ゲルマン(北欧)神話についてはあまり触れてないのが少し不思議。ハイネがユダヤ人だったということは... 関係あるのかしら?(岩波文庫)

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「紫式部日記」は、「源氏物語」を書いた紫式部の宮仕え回想録。自分が仕える彰子の初めての出産やそれにまつわる様々な出来事、彰子のこと、宮中でのこと、女房のあるべき姿などを語っていく作品です。森谷明子さんの「千年の黙」に、紫式部日記の内容的な場面が色々あったので、読みたいなと思ってたんですよねえ。
文庫だと岩波文庫と講談社学術文庫と、今回私が選んだ角川ソフィア文庫が現在入手可能。どれにするか迷ったんですけど、岩波文庫版はどうやらそっけないほどあっさりしてるようなのでボツ。講談社学術文庫版は「全訳注」で、上下巻だし多分詳細なんでしょうけど... 私が行った書店には置いてなくて残念。こちらの角川ソフィア文庫は、原文とその訳、そして解説が充実しているようだし、このシリーズは多少当たり外れがあるんだけど、こちらにしてみました。

結論としては。確かに面白かったし、解釈もとても充実してたし... 当時の時代的背景から宮中での様子から、分かりやすく詳しく説明されているし、長く宮中にいる間に、最初は「女房なんて」と思っていた紫式部の変わっていく様子が指摘されてて、これは本当にすごく面白かったですね。あと、紫式部がこの日記を書いてるのも、ただの個人的な日記というだけではなく、藤原道長側の記者として書いていたような部分とか。ただ、これは本当に一般的な解釈なのかしらと疑問に思った箇所があったのと、あとは現代語訳や解説文が私の好みよりもちょーっと軽かったのが... あ、でもこれは私が軽く感じてしまっただけで、同じ訳を現代的で素晴らしいと感じる方も必ずいるはずなので、一概にどうだとは言えないんですけどね。少なくとも、この本を最初に読んだら、これで紫式部像や彰子像が固定されてしまいそう的な充実度はありました。「千年の黙」に登場する紫式部や彰子とは、ちょっぴり雰囲気が違いますが~。
ここに収められているのは全文ではないので、いずれは講談社学術文庫版も読んでみたいな。あ、「紫式部日記」と合わせて「御堂関白記(藤原道長の日記)」を読んでみるのもいいかもしれないですねー。(角川ソフィア文庫)


+既読の「源氏物語」の感想+
「源氏物語」+「まろ、ん?」小泉吉宏(与謝野晶子訳)
「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治

+既読の「源氏物語」関連作品の感想+
「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「源氏供養」上下 橋本治
「輝く日の宮」丸谷才一
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「七姫幻想」森谷明子
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

+関連シリーズ作品の感想+
「論語 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」加地伸行
「陶淵明 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」釜谷武志
「李白 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」筧久美子
「老子・荘子 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」野村茂夫
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

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世界の名ピアニストを論評して欲しいと言われ、はじめは戸惑いを覚えたという青柳いづみこさん。しかし資料を読み込むうちに、雲の上の存在のようなピアニストたちもまた、同じようにステージ演奏家に特有の苦悩に直面していたと分かり、気持ちが変わったのだそうです。ここで取り上げるのは、スビャトスラフ・リヒテル、ベネデッティ=ミケランジェリ、マルタ・アルゲリッチ、サンソン・フランソワ、ピエール・バルビゼ、エリック・ハイドシェックの6人。この6人を論じ、そのことを通して、20世紀後半以降のクラシック音楽を取り巻く環境の問題、商業主義の弊害や、何度も繰り返す演奏行為そのものの難しさなども炙り出していきます。

バルビゼはかつての青柳さんの師だし、ハイドシェックは青柳さんご本人が親しい仲。よくご存知なんですね。でも直接知らなかったとしても、本人と直接関わり合った人々の話を聞いたり資料を読んだり... そのピアニストの音楽的生い立ちや音楽性を知るのはもちろんのこと、音楽を聴いて映像を見て、具体的な演奏技術や、演奏時の精神的な状態にまで触れて、単なる批評家にはなかなか踏み込めない領域まで踏み込んで書いているのが、とても面白いし興味深いところ。
この中でアルゲリッチだけはある程度知ってたんですが、他はほとんど知らなくて、すごく面白かったし興味深かったです。特にリヒテル。正規の音楽教育を全然受けないで育った人だったんですか! チェルニーなんて弾いたことがなくて、最初に弾いたのがショパンのノクターンの第1番って...! ワーグナーやヴェルディ、プッチーニのオペラのピアノ用編曲を片っ端から弾いて、早く寝ろとお母さんに怒られたんですって。ピアニストって小さい頃から猛特訓を受けてるイメージなんですけど、全然ちがいますね。やっぱり天才だったのか。「君はピアノが好きじゃないね」と言われたリヒテルが「私は音楽の方が好きなんです」と答えたというエピソードもとても印象深いです。
そしてハイドシェックの章では、ピアニストがピアニストであり続けることの難しさを目の当たりにさせられることに。訴訟問題でディスクが長い間出ないうちに、すっかり最新流行のピアニストではなくなってしまったことに気づくハイドシェック。新しいディスクがリリースされないと、雑誌のインタビューもラジオの出演依頼もなく、批評家も演奏会に来てくれなくなり、新聞や雑誌の批評も出なくなるんですって。そして左腕の故障。演奏会腕や手の故障の噂が業界に広まると仕事が来なくなると誰にも相談できずにじっと耐えるなんて... 痛々しすぎる。
そう思って読み返してみると、どのピアニストもそれぞれに転換期というものがあるんですよね。リヒテルは暗譜するのをやめ、ミケランジェリは弾き方が変わり、アルゲリッチはソロで弾かなくなる。その意味で一番印象に残ったのはミケランジェリ。まさに楽譜通りでミスタッチなど1つもない完成度を誇る非の打ち所のない演奏で知られるミケランジェリも、若い頃はイタリアのオペラ歌手のように時には熱く目にも留まらぬ速さで、時にはしっとりと歌いまくるピアノを弾いていたんだとか。でもその彼が、第二次世界大戦で変貌してしまうんですね。自分自身の体の変調だって本人にとって辛いのはとても分かるんだけど、それはまだ仕方ないのないこと。そういった外的で暴力的な影響によって人格まで変わってしまうような体験って...。

最後にそれぞれのピアニストの青柳さんの推薦盤紹介みたいなのがあれば良かったんだけど... アマゾンのレビューには「巻末にはそれぞれのピアニストのお勧めCDリスト付き」なんて書いてあるんだけど、どこだろう? ページが抜けてるのかしら? 巻末には参考文献とあとがきしかないんだけど! 書店で他の本もチェックしてみなくてはー。でもバルビゼとフェラスのデュオや、ハイドシェックのベートーベン全集をぜひ聴いてみたくなったし、ミケランジェリの「幻の高次倍音」や「重たいのに透明。濃淡が刻々と変化する」音を体感してみたくなりました。(白水社)


+既読の青柳いづみこ作品の感想+
「モノ書きピアニストはお尻が痛い」「ショパンに飽きたら、ミステリー」青柳いづみこ
「水の音楽 オンディーヌとメリザンド」青柳いづみこ
「ボクたちクラシックつながり」青柳いづみこ
「ピアニストは指先で考える」青柳いづみこ
「指先から感じるドビュッシー」青柳いづみこ
「ピアニストが見たピアニスト」青柳いづみこ
「六本指のゴルトベルク」青柳いづみこ

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コンピューター・グラフィックスを駆使して制作された映画「シュレック」は、実はヨーロッパ中世文明がはぐくんだ色のイメージを見事に使っている映画なのだそうです。シュレックの醜さを強調しているのは、やや黄色味を帯びた緑の顔の色であり、夜になると醜く変身してしまうフィオナ姫も同様。しかし昼間の美しいフィオナ姫は、深く落ち着いた緑色のドレス姿。このように相反する美醜をいずれも緑で表現しているのが、中世ならではの色の世界。中世の緑色は、春の自然の美しさを表し、青春と恋愛を示す色であると同時に、混乱と破壊を示す悪魔の色。こういった中世ヨーロッパの人間が共有した色彩に対するイメージや、それぞれの色に付加された意味合いを知ることを通して、中世の人々の心の世界と社会のありかたを探っていく本。

本来中世とは西ローマ帝国が滅亡した5世紀後半からビザンティン帝国が滅びる15世紀半ばまでを示す言葉ですが、本書が対象としているのは12世紀から15世紀まで。ロマネスク様式からゴシック様式となった聖堂に色鮮やかなステンドグラスが作られ、美しい写本が次々と制作され始めたのが12世紀後半で、その頃から世俗の文学作品や造形芸術の創作にも色が登場してきたんですね。
中世で最も美しく鮮やかと考えられていたのは赤であり、最も汚い色は黄褐色。最も目立たない色は淡紅色。白や赤、青の色のイメージがいいのは分かるけど、緑や黄色は負のイメージが強い、というのは意外でした。確かに黄色には「嫉妬深い」なんて意味もあるし、まだなんとなく分かる気もしますが... 実は犯罪者の烙印の色であり、人を蔑視する色であり、ユダヤ人を区別する色でもあり。ヨーロッパでは長い間忌み嫌われてきた色なんだそうです。黄色は金色に通じるかと思ってたんですが、銀が白に通じても、黄色と金色が同一視されることはないのだとか。でもでも、緑は新緑の色じゃないですか! そりゃあ「green」にだって嫉妬とかそういう負の意味はあるし、他にもアーサー王伝説に登場する緑の騎士とか、妖精関係とか、ちょこちょことありますけどね。でも五月祭や聖パトリックの祝日なんて緑の日じゃないですか。ロビン・フッドとその一味だって緑の服が定番だし! でも陽気な青春の色であり、恋と結婚の色であり、生命の誕生と再生の色である緑ではあっても、同時に移ろいやすい未熟な色であり、混乱と破壊、淫乱と怠惰の色でもあるのだそうです。しいては悪魔の色。(そこまでとはね) まあ、染色で緑色を出す難しさも絡んでいたようなんですけどね。青に染めて次に黄色で染める、という二重の工程が必要なので高価だったというのもあって。(自然の色から、すんなりと緑を染めることができないというのは、志村ふくみさんの本にもありました)

色のイメージを知ることによってその暗示するところを知るという部分では、たとえばアーサー王伝説のうちの1つ、トリスタンとイズーの物語には、「金髪のイズー」と「白い手のイズー」が登場するんですけど、金色はそれだけで美しく高貴な人物であることを示すもの。でも「白い手のイズー」の白は、その美しさと同時に、形ばかりの妻という「白い結婚」を示唆するものでもあり... そういうのもすごく興味深かったですし。あと、色の組み合わせも。たとえば黄色と緑はどちらも負のイメージが強い色で、その2つを組み合わせると否定的な意味は一層強力になるんですが、たとえば物語や絵画に登場する騎士が黄色と緑の紋章を使っていたら、それは常軌を逸する人物だという暗示。そして黄色と緑の衣服といえば、道化服のミ・パルディ。ミ・パルディというのは、たとえば右半身が緑で左半身が黄色、というような全く違う2色使いをした服のことで、これは道化師の服の定番なんですが、道化が着るだけでなくて、一般の人々も政治的な意図で着用することがあったようなんです。たとえばシャルル6世妃となるイザボー・ド・バヴィエールをパリ市に迎え入れる時、市民はみんな赤と緑のミ・パルディを着たのだそうです。赤と緑はクリスマス... じゃなくてシャルル6世の色であり、王への恭順と王妃への歓迎を表すもの。即位式の時なんかも、王の色を2色身にまとうことによって王への恭順の意を示したんだそうです。でも他国の権力者を迎え入れる時は、パリ市の紋章の色を身につけて歓迎の意を示したり。
なぜ2色かといえば、2色使いが流行ってたかららしいんですが(笑)、そもそも沢山の色を使うことは気紛れを表すことで、よくないんですって。品も良くないし、人格も疑われるんだとか。そして同じ2色使いでも縞柄になってるとまた大変。これは娼婦のしるしとなり、身持ちの悪さを表してしまうのだそうで...。

そんな話が満載の本で、すごく面白くてメモを取りまくってしまいました。こういった知識があれば、中世の文学作品だけでなく、絵画作品も一段深く理解し楽しむことができますね。というかそういう作品に触れる時にはこういう知識も必須なんだなあ。読んで良かった!(講談社選書メチエ)

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「印象主義音楽の創始者」「音の画家」などと言われ、その境界線が曖昧な雰囲気が、西洋音楽史では印象派的な扱いを受ける原因となっているドビュッシー。しかし彼の曲は、目で見た風景を切り取ってその印象を素早く描きとめる印象派とは違い、いったん自分の中に取り入れて熟成し、その後再び外に出て音となるというもの。出来上がったものは似ていても、その精神は違うのです。...この本ではドビュッシーの曲を弾くための土台作りとなるレッスン方法を紹介し、ドビュッシーの代表的な曲をとりあげて、その曲の解釈や基本的な奏法を紹介していきます。

ピアノの曲を弾くというのは、ただ譜面だけ追えばいいというものではないんですね。作曲家のことを知り、その曲の背景を知ることによって、より深い演奏ができるはず。ということで、ドビュッシーの人生をたどりながら、その人となりや生きた時代を知り、作品にこめられた思いを感じ取り、それをそのままピアノの音として表現しよう、という本です。実践的なピアノ奏法だけでなく、ドビュッシーを弾くために必要な基礎的レッスンのやり方も紹介されてて、実際にピアノに向かった時の手の形の写真や、楽譜への詳細な書き込みなんかもあったりして、青柳いづみこさんの行うレッスンをそのまま紙上に移し変えたような感じ。まず巻頭には、ドビュッシーが好きだった名画がカラーで掲載されていますしね。この絵からあの曲が生まれた、なんていうのもすごく興味深いですね。ドビュッシーのピアノ曲を弾きたいと思っている人にとっては、すごく勉強になる本のはず。そしてここに書かれてることは、ドビュッシー以外にも通じるはず。
という私自身は、中学生の頃にアラベスクの1番と2番を弾いたことがあるだけで、ドビュッシーなんて全然弾けないんですが...。でもその1番と2番でも、たとえば伸ばした指で弾くのが向いている1番に、曲げた指で弾くのが向いている2番、なんてことも知らなかったし! 1番の対位法的な部分にはバッハの影響が色濃く感じられることも、2番にはオーケストラ的な書法が多く見られるということも知らなかったし! オーケストラ的な書法が見られる部分では、それに即した様々なタッチ、例えばフルートなら指を平らにして指先にあまり力を入れないで弾き、オーボエは指先を立てて力を集中させてよく通る音を出す、ファゴットはゆっくりとしたタッチであたたかい素朴な音を出すといいんですって。そうなのか~。
ドビュッシーが1つのタイトルに持たせた二重の意味については、もうちょっと知りたかったんだけど、上にも書いたような様々な楽器の音の表現とか、あとたとえば星のようにキラキラ光る音とかオパールのような神秘的な音の出し方なんかも面白かったし、あとはやはりドビュッシーが好んだ絵画や文学の話が興味深かったですね。メーテルリンクの原作をドビュッシーがオペラにした「ペレアスとメリザンド」もちょっと前に読んだし、アンデルセンの「パラダイス」は先日読んだばかり! アーサー・ラッカムやが挿絵を描いた「真夏の夜の夢」「ケンジントン公園のピーターパン」「ウンディーネ」、エドマンド・デュラックの「人魚姫」も、まとめて読みましたよ~。そうか、ドビュッシーはラッカムが好きだったのね~。あと海の下に沈んだイスの町の伝説なんて、私の大好物! その辺りも楽しかったです。(春秋社)


+既読の青柳いづみこ作品の感想+
「モノ書きピアニストはお尻が痛い」「ショパンに飽きたら、ミステリー」青柳いづみこ
「水の音楽 オンディーヌとメリザンド」青柳いづみこ
「ボクたちクラシックつながり」青柳いづみこ
「ピアニストは指先で考える」青柳いづみこ
「指先から感じるドビュッシー」青柳いづみこ
「ピアニストが見たピアニスト」青柳いづみこ
「六本指のゴルトベルク」青柳いづみこ

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ピアニストの思考の流れを、例えば右手や左手、足、肘、鍵盤、ペダル、椅子、眼、耳、ステージ、衣装、メイク、調律、アンコール、プログラムといったテーマごとに読みきりエッセイを書いてはどうかと提案され、その項目を見た途端に思考がすさまじい勢いで回転し始めたという青柳いづみこさん。30代の女性ピアノレスナー(ピアノの先生ってことみたいですね)を対象に、ムジカノーヴァに連載していたエッセイです。

いやあ、面白かった。音楽と本を結びつけるエッセイが多い青柳いづみこさんですが、これはほぼ純粋に音楽の話ばかり。30代の女性ピアノレスナーが対象だというのはあとがきを読むまで知らなかったんですが、最初の「曲げた指、のばした指」からして、もうほんと私にとってはタイムリーな話題で! だって私は子供の頃に「曲げた指」で習ってたのに、今は「のばした指」でも弾けるようになろうとしてるとこなんですもん。たとえばバッハなら「曲げた指」でもいいと思うんだけど、ショパンとかシューマンみたいなロマン派を弾こうと思ったらやっぱり「のばした指」の方が綺麗な音色で弾けると思うし、実際ショパンのエチュードなんかは「のばした指」じゃないと技術的に難しい部分もあるみたいですね。あと脱力の概念なんかも、私が子供の頃は全然なかったんですよねえ。そして、ここに書かれてる「さかだち体操」や「タイの練習」は青柳さんオリジナル? もっと詳しく知りたい! 一応本には図も載ってるんだけど、これだけではちょっと分かりづらいし、やってみても合ってるのかどうか謎なんです。だって、たとえば「小指をさかだちさせたままの状態で薬指を根元から動かしてみる。たいてい、ガチンガチンに固まっていてうまく動かせない」とあるんですけど、薬指、簡単に動いちゃいます。脱力できてるってことならいいんだけど、どっちかといえば、やり方が違うような気もするー。いやーん、実地に指導していただきたくなってしまうー。

前半は、実際に自分でもピアノを弾く人向けかもしれないですね。でも後半は、ピアノを弾かない人でも楽しめるようなエピソードも満載です。例えば色んなピアニストのこととか。ポリーニは大抵の曲は1回弾けば覚えられたとか(完璧に弾きこなすだけでなく、そんなことまでできたとは、びっくり!)、アルゲリッチが、プロコフィエフの「協奏曲第3番」を一度も弾いたことがなかったのに、寝てる間に練習してるのが聞こえてきていただけで覚えてしまって、弾けるようになってしまったとか。寝てる間に聞いた曲が弾けるって、一体...?! それってすごすぎでしょう! 人間技とは思えないー。
いや、ほんと勉強になりました。図書館で借りて読んだんだけど、手元に欲しいぐらい。「指先から感じるドビュッシー」にも技術的なことが載ってるそうなので、そちらも読んでみようと思います。...でも本もいいけど、やっぱりそれより一度実地にレッスンを受けてみたい。私の場合、どう考えても青柳いづみこさんのお弟子さんたちのレベルには程遠いので、到底無理なのだけど。ああー、うまくなりたいなー。(中央公論新社)


+既読の青柳いづみこ作品の感想+
「モノ書きピアニストはお尻が痛い」「ショパンに飽きたら、ミステリー」青柳いづみこ
「水の音楽 オンディーヌとメリザンド」青柳いづみこ
「ボクたちクラシックつながり」青柳いづみこ
「ピアニストは指先で考える」青柳いづみこ
「指先から感じるドビュッシー」青柳いづみこ
「ピアニストが見たピアニスト」青柳いづみこ
「六本指のゴルトベルク」青柳いづみこ

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