Catégories:“小説以外”

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これまで読んだ「一色一生」「語りかける花」「色を奏でる」は、基本的に糸を染める話だったはず。あとはその糸を織ったり、そういった仕事を通して出会った出来事や人々のエピソード。もちろん今回もそういう話が多いんです。志村ふくみさんが初めて織り上げた着物「秋霞」の話は何度か登場することもあってとても印象的だし、偶然巡り合ったみづね桜を染める時の色の霊力の話や、染める時は花が咲く前に幹全体に貯えた色をいただくという話、いつか日本の紫草で染めたいという話などもとても素敵。題名の「ちよう、はたり」も、遠くからかすかに聞こえてくる機の音。

でも今回は、海外へ行った時のエピソードや志村ふくみさん御自身が読まれた本の話など、話題がこれまでになく広がっていたように思います。例えば韓国で母娘の染織展を開くことになった話。例えば正倉院の染織のルーツを辿るためにイランを訪れる話。「私はかつて、世界で最も美しいものの降り注いだ国はペルシャだと思い定めていた」という言葉... これは私自身も思っていたことなんですけど! 写真や書物を通してしか知らないペルシャですが、あのモスク、美しいブルーのタイル、ペルシャ絨毯、アラビア文字... 私も実際行ってみたら「人は外国にいってはじめて故国のことがわかるものだ」とつくづく思うようになるのでしょうか。
本の話も興味深いですね。インドに持っていったグレアム・グリーン、トルコやイランに持っていったドストエフスキー。富本憲吉氏の「織の仕事はいやでも毎日する、何かほかのことをやりなさい、私は数学と建築の勉強だった。あなたは何か?」という問いに対する志村さんの答は「本を読むことです」。それを聞いた富本憲吉氏の「よし、きまった。それが栄養源だし、潤滑油なんだ」という言葉。とても印象に残ります。(ちくま文庫)


+既読の志村ふくみ作品の感想+
「語りかける花」志村ふくみ
「ちよう、はたり」志村ふくみ
Livreに「一色一生」「色を奏でる」の感想があります)

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英国ベタ誉めはもうたくさん!英語の喋れる祇園の元クラブホステスが渡英して、たまたま『エイリアン』で知られるリドリー・スコット監督の大邸宅のハウスキーパーとなって13年。その間に見聞した貴族や大富豪から一般大衆までの、イギリス人の赤裸々な姿を辛口とモーモアで綴った英国暮らし体験記。(「BOOK」データベースより)

感想はのちほど。(文春文庫)

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1817年8月29日。スコットランドの境界地方にあるセルカークという古めかしい小さな町に到着したアーヴィングはそこに1泊することに。アーヴィングがエディンバラからこの地にやって来た目的は、まずメルローズ寺院の遺跡とその周辺を訪れること、そして「北方の偉大な吟遊詩人」ウォルター・スコットに一目会うこと。翌朝、早い朝食を取ると、アーヴィングはメルローズ寺院に向かう途中でウォルター・スコットの住むアボッツフォード邸に寄り、都合を聞くだけのつもりだったはずのところを思いがけず暖かい歓待を受けることになります。

ワシントン・アーヴィングというのは「リップ・ヴァン・ウィンクル」や「スリーピー・ホロウ」を書いた人。「スリーピー・ホロウ」は、ジョニー・デップ主演でティム・バートンが映画化してますよね。そのアーヴィングの才能が花開く転機となったと言われているのが、このスコットランドへの旅なのだそうです。
最初は紹介状を持参でほんの短い時間だけ訪問をするつもりだったアーヴィングなんですが、ウォルター・スコット自身に会った途端、その計画は簡単に崩れ去ってしまいます。既に朝食を食べていたにも関わらず、スコット邸で2度目の朝食を食べることになり... 「スコットランドの丘陵の朝の澄み切った美味い空気を吸いながら馬車を走らせて来たのなら、もう一度朝食をとるぐらい、なんでもないはずだ」(by ウォルター・スコット)ですって!(笑) そして朝食の後は、ウォルター・スコットの長男の案内でメルローズ寺院へ、それが終わればウォルター・スコットの案内で周辺の散歩、翌日はヤロー川にまで足を伸ばしての散策、次の日は馬車でドライバラ寺院へ、とすっかり計画が立てられてしまうんです。そんなアーヴィングがスコット邸に滞在した数日間が描かれているのがこの本です。
私はウォルター・スコットの作品が大好きだし、スコットランドにも興味があるので、すっごく楽しめました。やっぱり民族の歴史や地方の伝説に対して深い造詣があった人なんですねえ。アーヴィングとの会話のはしばしに、土地の伝説や物語が織り込まれているのも楽しいし、特に詩人トマスが妖精の女王に会った場所が本当にあるなんて、行ってみたくなっちゃいます。それに、そんな物語や伝説の残るスコットランドの地やその自然をこよなく愛して、そこに暮らす毎日を楽しんでいる様子がすごく伝わってきます。しかも、その当時既に巨匠とされていたウォルター・スコットなのに、土地の人たちと気軽につきあう気さくな人柄が素敵。周囲の人々もウォルター・スコットを敬愛してますしね。もちろんアーヴィング自身も。でも黙って想いを胸にしまっておけない性分だというアーヴィング、実際に目にした境界地方にまるで樹木がないことに失望して、そのことをウォルター・スコットに伝えたり、ここ数年スコットランドに溢れているイングランド人観光客たちについてこぼすウォルター・スコットに対しては、それはロマンティックなイメージを描き出したウォルター・スコットにもかなりの責任があるのではないかと言ったりしてます。そんなアーヴィングの率直なところも好印象な作品です。
元々ウォルター・スコットの作品は全部読みたいと思ってましたが、その思いがますます強くなっちゃいました。未訳の「ロブ・ロイ」も、ぜひ日本語に訳していただきたい~。それに「マーミオン」みたいな絶版の本も、ぜひ復刊していただきたいです~。(岩波文庫)


+既読のワシントン・アーヴィング作品の感想+
「ウォルター・スコット邸訪問記」ワシントン・アーヴィング
「スケッチ・ブック」ワシントン・アーヴィング

+既読のウォルター・スコット作品の感想+
「アイヴァンホー」上下 スコット
「湖の麗人」スコット
「最後の吟遊詩人の歌」ウォルター・スコット
「マーミオン」ウォルター・スコット

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1949年10月。19歳のフランク・マコートは船で単身ニューヨークへと向かいます。船の食堂で隣席に座った司祭は、アイルランド出身ながらもロサンゼルスの教区に長いため、アイルランド訛りがほとんど消えているような人物。その司祭に、同じ船に乗り合わせているケンタッキーのプロテスタントの老夫婦はとてもお金持ちなので、愛想良くしておいた方がいいと言われるフランク。しかし顔はにきびだらけで目は爛れており、歯は虫歯でぼろぼろのフランクには、司祭とも満足に話せない状態なのに、老夫婦の前でどうやって振舞ったらいいのかまるで分からないのです。

「アンジェラの灰」の続編。アイルランドから憧れの地・アメリカに脱出しても、なかなか簡単には上手くいかないのは予想通り。しかしアイルランドのリムリックにいる家族は、フランクがアメリカでそこまで苦労しているなんて夢にも思わず、その送金をすっかり当てにしているというのも予想通り。アンジェラ自身、アメリカで上手くいかずに結局アイルランドに戻る羽目になったはずなのに、覚えてないのかな... きちんきちんと送金してるのにそれ以上要求されるとことか、ちょっといやーん。
でもこの「アンジェラの祈り」は、「アンジェラの灰」のように不幸が雪だるま式に膨らんでいく話というわけじゃないんですね。フランクはちゃんと仕送りしてるし、空腹でも何があっても、行き倒れになるわけじゃないんですよね。すっかり不幸な話を読んでるつもりになってたら、リムリックでは新しい服や靴を買うことができてるどころか、新しい家に移ることになってびっくり。そ、そうだったのか。フランクの暮らしも、ほんの少しずつではあっても上向きになっていきます。金持ちにはほど遠くても、きちんきちんと食べていくことのできる暮らし。もちろん、実際には並大抵の苦労ではなかったんでしょうけど... しかも別に私は不幸な話を読みたいわけではないんだけど(むしろそういう話は苦手だし)、なんだか釈然としないものを感じてしまいました...。自分のアイルランド訛りや爛れた目、ぼろぼろの歯にコンプレックスがあって、この世の中で一番不幸そうに振舞っているフランクでも、大学に行くこともできれば、美しい女の子と恋愛することもできるようになるんですもん。いずれにせよ、「アンジェラの灰」の時のようなどうしようもない、出口のないやるせなさはありません。まあ、この人生が最終的にハッピーエンドで終わるのかどうかは、まだまだこれからのフランク次第なんですけどね。
「アンジェラの灰」の灰の意味も、この作品で分かります。でも、そういう意味でも書かれるべき作品だったんでしょうけど、前作の方が力強くて惹きこまれたかも...。前作はそれだけで光ってたけど、こちらは前作あってこその作品なんですよね。(新潮クレストブックス)


+既読のフランク・マコート作品の感想+
「アンジェラの灰」上下 フランク・マコート
「アンジェラの祈り」フランク・マコート

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大正時代の歌人であり、松村みね子名義で戦前のアイルランド文学の翻訳をしていた片山廣子さんのエッセイ。
以前フィオナ・マクラウドの「かなしき女王 ケルト幻想作品集」でこの方の文章に触れて、もっと読んでみたいと思ってたんですよねえ。その「かなしき女王」は現代の日本語となってしまってるんですが、こちらの「新編 燈火節」は本来の旧字・旧仮名遣いのまま。

ミッション系の東洋英和女学院を卒業後、歌人・佐佐木信綱に師事し、独身時代は深窓の令嬢、結婚後は良妻賢母の鏡のような令夫人と謳われたという片山廣子さん。ここに描かれていくのは、少女時代の暮らしぶりや結婚してからの日々のこと、短歌のこと、そしてアイルランド文学のこと。戦争を挟んでいるので、時にはかなり苦しい暮らしぶりが伺えるのですが、生来の上品さを失わずに持ち続けているのが印象に残ります。その文章の静謐さ、凛とした姿勢、そして歌人ならではの柔らかな感性がとても素敵。この感覚は、須賀敦子さんの文章を読んだ時に感じるものに近いかも。
昔の短歌の方が色が柔らかかったこととか、お好きなアイルランド文学に関してとか、色々と印象に残る文章がありましたが、その中でも私が特に惹かれたのはアーサー王伝説について語る「北極星」の章。大王ペンドラゴンのひとり子の金髪の少年「スノーバアド(雪鳥)」が山の静寂の中で天の使命を受け、「スノーバアド」から「アースアール(大いなる熊)」になったと宣言、「アーサア」と呼ばれるようになったという物語。このアーサーが天上の夢を見る場面がこの上なく美しいのです。松村みね子訳のアーサー王伝説というのも読んでみたかったなあ。その時はぜひとも旧字・旧仮名遣いで。そして旧字・旧仮名遣いといえば、フィオナ・マクラウドの訳も原文のままが読んでみたい...。松村みね子名義で訳されてるシングの「アラン島」や「ダンセイニ戯曲集」はまだ読んでないんですけど、こちらはどうなのかしら? 今度ぜひ読んでみようと思います。(月曜社)


+既読の片山廣子翻訳作品の感想+
「かなしき女王 ケルト幻想作品集」フィオナ・マクラウド
「ダンセイニ戯曲集」ロード・ダンセイニ
「シング戯曲全集」ジョン・M・シング

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1971年からイランの大学で教鞭をとってきたアーザル・ナフィーシーは、1995年の秋、最後の大学を辞めた時にかねてからの夢を実現する決意をします。そして教え子の中から最も優秀で勉強熱心な7人を選び、毎週木曜日の朝に自宅で文学について話し合うということ。そして集まったのは詩人のマーナー、「お嬢さま」のマフシード、コメディアンのヤーシー、「問題児」アージーン、物静かな画家・ミートラー、自立したいという欲求と認められたいという欲求の狭間で揺れ動いていたサーナーズ、そして「チェシャ猫」ナスリーン。ナスリーンは最後まで一緒にいられなかったものの、彼らは2年近くの間、ほぼ毎週木曜日になるとアーザルの家にやってきて、ヴェールとコートを脱ぎ捨て、小説と現実の関係について話し合うことに。

主にナボコフ「ロリータ」、フィッツジェラルド「華麗なるギャツビー」、ジェイムズ「デイジー・ミラー」、オースティン「高慢と偏見」を通して、筆者が大学で教えていた数年間、そして木曜日の秘密の授業をしていた2年足らずのイランの状況を描き出していくという作品。イラン革命の後のイランでは、頽廃的な西洋文化は全て悪とされていて、これらの小説も本屋の棚からどんどん消えていってるような状態なんですね。普通の人々もちょっとしたことで何年間も投獄されたり、簡単に殺されたりというかなり厳しい状況。男性にももちろん厳しいんですが、ほとんど人格を認められていない女性に対する厳しさはそれを遥かに上回るもの。そんな状況の中で生きている女性たちの思いを吐露していきます。
もちろん「テヘラン」で「ロリータ」を読むというそのイメージのギャップはとても面白いと思うし、授業で「華麗なるギャツビー」をめぐる裁判を開いたりといった事柄はそれぞれにとても興味深かったんですが... あまり私には伝わってきませんでした。同じ時代のことを書いている新藤悦子さんの「チャドルの下から見たホメイニの国」(感想)を夢中になって読んだのとは対照的。どこがどう違うのか今ひとつ分からないのですが... いや、本当は感覚的には分かってるんですが...
その中の1つの要因は、本の解釈にそれほど感銘を受けなかったってことですね。私が未読の本も沢山登場してましたが、少なくとも「ロリータ」「華麗なるギャツビー」「デイジー・ミラー」「高慢と偏見」は既読。オースティンの長編だって全部読んでるし。でも例えば「ロリータ」での、「ハンバートは自分が求めるロリータをつくりだし、そのイメージに固執した」という読み方、そしてそれをイランの男女関係に重ねていく部分には「なるほど」と思うんですけど、正直もっとイラン人ならではという読み方を期待してたので... 結局のところ、それが一番大きかったんだろうなと思います。もちろんそれは、私自身が「自分が求める彼女たちをつくりだし、そのイメージに固執した」とも言えるのかもしれませんが...(白水社)

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体調を崩していたにもかかわらず、アイオワ・シティで行われるIWP(International Writing Program)という長期プログラムに参加した水村美苗さん。そのプログラムに参加している作家は総勢20名以上。日本人は水村美苗さんのみで、中国、韓国、ヴェトナム、ビルマ、モンゴル、ボツワナ、イスラエル、ポーランド、ルーマニア、ハンガリー、ウクライナ、リトアニア、ボスニア、イギリス、アイルランド、ドイツ、ノルウェー、チリ、アルゼンチンの詩人や小説家という多彩な顔ぶれとなります。そしてこの時水村美苗さんは、地球のありとあらゆるところで、金持ちの国でも貧乏人の国でも様々な政治状況のもとで、様々な言語によって人は書いている、と実感することに。

日本語と日本語の文学に対する危機感について論じる作品。「日本文学が「文学」という名に値したころの日本語さえもっと読まれていたらと、絶望と諦念が錯綜するなかで、ため息まじりに思っている人たちに向けて書かれているのである」として、「普遍語」「現地語」「国語」の3つの概念から言語について考えていきます。
まず、この「普遍語」「現地語」「国語」の概念が面白いんです。それに日本語における漢字・ひらがな・カタカナのことについても漠然としか知らなかったので、すごく興味深く読みました。漢文の返り点って、平安時代からつけられていたんですね! 漢文を読みやすくするために、平安時代の人々は漢文の横に返り点をつけ、助詞や語尾を書き添えるようになったのだとか。最初は漢字をそのための表音文字として使ってたそうなんですけど(真仮名)、やがてその文字が省略されカタカナとひらがなが生まれることになったのだそう。その頃の日本における「普遍語」は漢文。
でも、かつてはギリシャ語やラテン語、その他聖典や教義書を書く言葉だった「普遍語」が長い年月を経た今、英語の一人勝ちになってるというんですね。

多少冗長に感じられた部分もあったし、近代日本文学に対する個人的な感傷も感じたし、最終的な結論も少し急ぎすぎているような気がします。それでも1章のアイオワ大学での話、パリでの講演から続いて自然に展開していく論はとても面白かったし、興味深く読みました。ただ、確かに1人1人が日本語を大切にしていかないと日本語の存続も危ぶまれる状況にはなるのかもしれないし、既に「美しい日本語」が失われつつあるというのは日々感じてるのだけど、やっぱり日本語とその文学が亡びることはないと思いますね。たとえ全てが英語に置き換えられてしまっても、ギリシャ・ローマ文学といった過去の言葉で書かれた文学を読み、その原典を参考にする人間は決していなくならないのとは同じように。そもそも第1章で、自分の言葉で書き続けている作家たちのエピソードがあったではないですか。もちろん、そのためにはそれぞれが意識を持つことがとても重要なのだけど。

「私小説From Left to Right」を唯一訳すことのできない言語は英語... ほんとだ、確かにその通りですね! いや、これは盲点でした。(笑)(筑摩書房)


+既読の水村美苗作品の感想+
「本格小説」上下 水村美苗
「私小説 from left to right」水村美苗
「手紙、栞を添えて」辻邦生・水村美苗
「明暗」夏目漱石・「続明暗」水村美苗
「日本語が亡びるとき」水村美苗

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