Catégories:“小説以外”

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プロのピアニストでありドビュッシー研究家でもあるという青柳いづみこさんのエッセイ。「モノ書きピアニストはお尻が痛い」は、音楽雑誌などに掲載された文章を集めたもの。「ショパンに飽きたら、ミステリー」は、古今東西のミステリ作品に描かれた様々な音楽シーンを、鋭い視点で解説したもの。こちらは再読です。

以前読んだ「ショパンに飽きたら、ミステリー」がすごく面白かったので、「モノ書きピアニストはお尻が痛い」も楽しみにしてたんです。でも「ショパンに飽きたら~」が本を読みたくて堪らなくなる本だとすれば、「モノ書きピアニストは~」は音楽が聴きたくて堪らなくなる本かな。一番よく話がでるのはやっぱりドビュッシー。でもドビュッシーのピアノ曲っていったら、私は「2つのアラベスク」しか弾いたことないし、あんまりよく知らないのです。ちょっと勿体なかったかも。

面白いなと思った部分はいくつかあったんですが、読み終わってみて一番印象に残ってるのは、水の女の文学とその音楽の話や、ラヴェルとドビュッシーの話とか、その辺り。右に画像を出したのは書籍の「水の音楽」なんですが、これとセットでCDの「水の音楽 オンディーヌとメリザンド」も出てるんですよね。水をテーマにドビュッシー、リスト、ラヴェル、ショパン、フォーレを弾いたという1枚。青柳いづみこさんのピアノ、聴いてみたいなあ。「ピアノは、水に似ている」と書いてらっしゃるんですが、ピアノで水の音を表現できるのは、既にに相当練習を積んでる人だけですよね。「リストのダイナミックな水は、指のバネをきかせ、ひとつひとつの音の粒をきらめかせる。そこに手首の動きを加えると、ラヴェルの神秘的な水になる。対してドビュッシーの澱んだ水を弾くときは、指の腹を使い、すべての響きがないまぜになるように工夫する」そうですけど!
あ、↓の部分も面白いなと思ったところ。

楽器の奏者には、楽器特有の顔がある。小さいころからたくさんの音を操る訓練を受けてきたピアノ科は、頭脳明晰学力優秀で、なんでもてきぱきやっつける。いっぽう、ある程度の年齢になって始める管楽器科は、学校の勉強はイマイチかもしれないが、楽器に対する愛情は群を抜き、変に管理されていないのでその分人間的だ。その違いが、顔や態度に出る。(P.108)

あー、分かる気がする!(笑)

そして続けて「ショパンに飽きたらミステリー」も再読してしまいました。やっぱり面白い~。1年中実技レッスンや実技試験、コンクールやオーディションなどに神経を尖らせてる演奏科の学生にとって、ミステリは手軽で最上の気分転換で、クラシックの演奏家にはミステリファンが多いのだそう。言われてみると、私の周囲で声楽やピアノをやってる人にも、確かにミステリ好きが多いです。でもコンサート前のピアニストの気分はほとんど殺人者って...(笑)
一番好きなのは、ヴァン・ダインのシリーズ物の主人公ファイロ・ヴァンスのピアノの腕前に関する話。「カナリヤ殺人事件」ではブラームスの「カプリッチォ第一番」という曲を弾いているヴァンス。それを読んで「素人としてはよく弾けるほうだろう。私立のお嬢さん音大くらいには合格するかもしれない」と書いてます。でもこれには続きが。

...と思って「ドラゴン殺人事件」を読んだら、これがすごい!「未解決の知的問題に深くとらえられた」ヴァンスは、苦悩に満ちた様子で、夜中の三時に、かのベートーベン至高のソナタ第二十九番「ハンマークラヴィーア」の長大なアダージオを弾きはじめるのである。お嬢さん音大だなんて言って、ゴメンナサイ。(P.33)

こんな調子で進んでいくんですよ。楽しいです♪(文春文庫・創元ライブラリ)


+既読の青柳いづみこ作品の感想+
「モノ書きピアニストはお尻が痛い」「ショパンに飽きたら、ミステリー」青柳いづみこ
「水の音楽 オンディーヌとメリザンド」青柳いづみこ
「ボクたちクラシックつながり」青柳いづみこ
「ピアニストは指先で考える」青柳いづみこ
「指先から感じるドビュッシー」青柳いづみこ
「ピアニストが見たピアニスト」青柳いづみこ
「六本指のゴルトベルク」青柳いづみこ

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パリ左岸の静かな地区に住む著者は、自分の住むアパルトマンの近所に「デフォルジュ・ピアノー工具と部品」という小さな店があるのに気付きます。毎朝子供を幼稚園に送り迎えする度に店の前を通り、ピアノの修理に使う工具や部品を眺め、時には店の正面にあるカフェから店を眺める著者。そのうち、もう一度自分のピアノが欲しいという思いがふくれあがります。そしてとうとう店の扉を叩くことに。店の主人に、中古ピアノはなかなか手に入らないと言われながらも、店に通う著者。そんなある日偶然目にしたのは、店の奥の光溢れる空間。そこは、ありとあらゆるピアノとその部品で埋め尽くされているアトリエでした。

この作品は再読。以前読んだのは丁度5年前、ブログを始める直前です。その後また読みたいなと思いつつ、なかなか通して読むところまではいかなかったんですが、ようやくじっくり読み返せました。
何度読んでも本当に素敵な作品。楽器を弾かない人にももちろん楽しめると思うんですけど、特に子供の頃にピアノが大好きだった人、大人になってからも弾きたいと思ったことがある人は、そのまま楽器屋さんに直行したくなっちゃうかもしれませんー。そしてまた先生について習いたくなっちゃうかも。という私は大学生になって上京する時にピアノをやめてしまったんですが、あそこでやめてなければ... って思っちゃう。ああ、細々とでも続けていれば...! そしてそして、ベビーグランドピアノが欲しいですーっ。そうでなくても、今通ってるサックス教室にグランドピアノがあって、触りたくて仕方ないのを毎週我慢してるというのに、ほんと酷な作品だわ。(笑)
リュックのアトリエにものすごーく行ってみたくなるけど、これは絶対無理。著者もそんなこと望んでないでしょうし。でもせめて、今からでもアンナみたいな先生にめぐり合えたらいいのにな。そしたら家の真ん中に可愛いベビー・グランドピアノを置いて、いつでも熱心に練習するのに。ああ、やっぱり無理かしら。(新潮クレストブックス)

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熊井明子さんといえば「ポプリの人」というイメージしかなかったんですが、やっぱりそのポプリのイメージそのままの本でした。少女だった頃の話から、映画監督の熊井啓氏と結婚したこと。そして結婚後のことなどが色々綴られていて、実際にはポプリの話はあまり出てこないんですけど、その土台はやっぱり「ポプリ=乙女」なイメージ。このエッセイが書かれた時、熊井明子さんはもう30台後半になってらしたはずなんですけど、まだまだ少女らしさを残してらしたんですねー。お好きな詩が沢山引用されてるところも一昔前の文学少女という感じだし... たとえば内藤ルネさんデザインのハンカチの話が出てくるところでは、以前読んだ田辺聖子さんのエッセイを思い出してしまいます。田辺聖子さんは中原淳一さんがお好きで、そのことを書いてらしたので、内藤ルネさんのお名前が出てきてたかどうかはさだかではないのですが...。随所で時代を感じさせるし、そもそも私自身が全然乙女系じゃなかったので、読んでてちょっとツラい部分もあったんですけど、それでも気がついたらするすると最後まで読んでしまいました。
読んだ後でちょっと調べてみたら、熊井明子さんのご主人の熊井啓氏は2007年に亡くなってたんですね。ということは1962年に結婚してらっしゃるので結局、40年目のルビー婚式... か、45年目のサファイア婚式までだったのかあ...(文中にそういう話が出てくるのです) でも1972年公開の「忍ぶ川」の前後で体の具合が相当悪くて生死の境をさまよったような話が出てくるので、「2007年に亡くなった」というよりも「2007年まで生きていた」という方が強いかも。最近まで生きてらしたと知って、なんだかちょっとほっとしてしまいました。(じゃこめいてい出版)

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高柳佐知子さんの家の庭の花壇は、春先から秋の終わりまで絶えず花が咲き続けているのだそう。季節ごとに咲いている花を買ってきて植えているのではなく、元々植えられている花が次から次へと咲くのです。そういった花壇や庭を手入れしているのは、庭仕事が大好きだという高柳佐知子さんのお母さん。そんなお母さんが世話している庭の一年間を、高柳佐知子さんが記録していきます。

まえがきに「私のうちの小さな庭の小さな花壇」とあるんですが、全然小さくなんてありません。全体図もあって、植わっている木の名前が書かれてるんですけど、もう数えるのが大変なほど沢山あって! これで「小さな庭」だなんてどこが!?です。これってまるで、全然太ってないむしろ痩せてる女の子が「今度こそダイエットしないとヤバイ~」なんて言ってるようなものなのでは。(笑)
読んでいたら、私もこんな庭が欲しいー!!と悶えてしまいそう。でもここまで広かったら、私には世話ができないな。うちの母は植物を枯らす名人なので、高柳佐知子さんのお母さんみたいなことは期待できないし...。この4分の1ほどの広さでいいや。それでも十分広そうですもん。って、それも今の状態ではまず無理なんだけど。(笑)(河出書房新社)


+既読の高柳佐知子作品+
「エルフさんの店」高柳佐知子
「ティスの魔女読本」高柳佐知子
「イギリス湖水地方を訪ねて」「風のまにまにイギリスの村へ」高柳佐知子
「ハイウィロウ村スケッチブック」高柳佐知子
「ケルトの国に妖精を探しに」高柳佐知子
「アリゼの村の贈り物」高柳佐知子
「ナチュラル暮らしの手作り工房へ、ようこそ」高柳佐知子
「庭が仕事場」高柳佐知子
「不思議の村のハロウィーン」高柳佐知子

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翻訳家の青山南さんの奥様はフリーのライター。2人のお子さんが出来て、翻訳家という比較的時間が自由になる仕事の青山南さんも子育てに本格的に参戦して... という子育てエッセイ。

プロローグの「夕日をながめるぜいたく」が、まず面白いです~。「ひとりの男とひとりの女がひっそりと暮らしている空間に赤んぼが出現したらどういうことになるか?」という文章から始まるんですが、もうほんと実感がこもってます。
まず部屋が狭くなる... 赤んぼの寝る布団を家の中の一番良い場所に置くために、狭い部屋はますます狭くなり、赤んぼを踏んじゃいけないので、部屋の中が自由に歩けなくなる... 数ヶ月過ぎてそれにも慣れた頃、赤んぼは右に左に動きだして部屋は一層狭くなる... しかし狭い部屋にも既に慣れてきているので、さらに狭くなったことに気がつかない... そして寝返りという、これまた部屋がどんどん狭くする行動を心待ちにするようにさえなる...。
世の中、主夫も徐々に増えているようですが、やっぱり一般的な会社勤めをしている男性に子育てはなかなかできないですよね。ちょっぴり奥さんの手伝いをしたり、休日に子供の相手をした程度で、子育てに積極的に参加してると思ってる男性も多いかも?(世間一般の実態はよく知りませんが) でも青山南さんは正真正銘、子育てに参加してるなあって思っちゃう。しかもいいお父さんなんだなあ、これが。ご本人はすぐヒステリーを起こすようなことを書かれていますが、きっと娘さんたちの自慢のお父さんなんでしょうね。

+既読の青山南作品の感想+
「翻訳家という楽天家たち」青山南
「ピーターとペーターの狭間で」青山南
「眺めたり触ったり」青山南
「外人のTOKYO暮らし」青山南
「英語になったニッポン小説」青山南
「気になる言葉、気が散る日々」青山南
「小説はゴシップが楽しい」青山南
「大事なことは、ぜーんぶ娘たちに教わった」青山南

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「小説そのものも楽しいが、その周辺のことを知るともっと楽しい」という青山南さん。ゴシップというと下世話な噂話を想像してしまうんですが、そういった興味本位の噂話の本ではありません。ここで言うゴシップとは、作品や作家、出版業界の周囲の様々な話題のこと。

ええと、文章を書いてるのが青山南さんですしね、エッセイとしては読みやすいんですけど... 他のエッセイほど楽しめなかったのは、やっぱり私があんまりアメリカ小説を読んでいないからなんだろうなあ... もちろん知らなくても面白く読める部分もあるんですけど、たとえばポール・オースターの章は他の作家さんの章よりずっと楽しく読めたことを考えると、もっと知っていればきっともっと楽しめたんでしょう。
そんな私にとって一番面白かったのは、コラムに関する章。「それにしても、あれはどうにかならないものか。読んだコラムがおもしろかったときにそれをたたえるためにつかう、「良質の短篇小説でも読むような」とか「一級品の掌編にでもめぐりあったような」という常套句。あれはよそうよ。」という文章にはドキッ。確かにここで短編小説を引き合いに出す必要なんて全然ないですよねえ。でも私もそういうことを書きたくなっちゃうことがあるからなあ。青山南さんが書いてらっしゃるように「コラムは、うまくいった場合でも、よくできた短篇程度のものにすぎない、という意識がかくれている」というわけではないんだけど、でもやっぱりそうなのかも...。で、「これはもはやスポーツライティングではない」なんて言い始めるんですね。(笑)
あとはデビュー前に原稿を突っ返されたり、デビュー後でも原稿がボツになったりという話。時にはどっちも体験してない人もいるようですが、やっぱり結構大変みたい。それでも書き続けなければ作家として大成することはできないし... 成功するには純粋な才能の他にも、確固とした自信や強い精神力が必要なんでしょう。せっせと投稿し続けて、しまいには出版社がそのパワフルさに負けてしまうというケースもあるようだし。そしてスティーヴン・キングみたいな人気作家でも、短篇60篇(!)と長篇4篇がボツになってるそうなんですが、まるでめげずに「ぼくはいくらでも書けるから、そんなの、ものの数じゃないヨ」と明るいんですって。やはりこういう作家が最後まで生き残るんだな。(晶文社)


+既読の青山南作品の感想+
「翻訳家という楽天家たち」青山南
「ピーターとペーターの狭間で」青山南
「眺めたり触ったり」青山南
「外人のTOKYO暮らし」青山南
「英語になったニッポン小説」青山南
「気になる言葉、気が散る日々」青山南
「小説はゴシップが楽しい」青山南
「大事なことは、ぜーんぶ娘たちに教わった」青山南

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1つ前の「アリゼの村の贈り物」の感想で、エッセイ向きじゃないかなと書いた部分が全開の本。うん、やっぱり美味しいお菓子や庭の花で作る小物の作り方は、こっちの本の方が似合いますね。高柳佐知子さんが住んでらっしゃるのは、ご本人曰く「カントリーといえるような美しい風景」ではなくて「中途半ぱな田舎」だそうなんですけど、それでも広いお庭には花が咲き乱れて、お友達が送ってくれた箱いっぱいの野のスミレを植えたり、そんなお庭でイースターの卵さがしをしたり、庭のテーブルで食事やお茶をしたりと生活を満喫している様子がとても楽しそう。あと、洋書店で偶然絵本に出会って以来ファンだというターシャ・テューダーさんに会った時のことや... エプロンや帽子、ほうきやはしごのこと、飛行船のこと、放浪人のこと、屋根裏部屋のことなど、お好きなものが色々紹介されています。
そして私が一番のお目当てにしてたのが、高柳さんのお好きな児童文学の話。やっぱりコレが一番面白かった...!
「お伽の国の言葉」と「読書人の黄金時代」のページはカラーのイラストと共に沢山の本やその中の言葉が紹介されていて、私もイギリスの作家の本が大好きだし、子供の頃から大好きな本がいっぱい登場するので、嬉しくなってしまう~。ここに、ファージョンの「西ノ森」から「詩みたいなものですわね」という言葉が出てくるとは! でも高柳佐知子さんが本格的に児童文学やファンタジーと出会ったのが20代半ばだというのがちょっとびっくり。もっと小さい頃から親しまれていたのかと思ってました。ある日、電車での時間潰しのために「大きな森の小さな家」(ワイルダー)をふと手に取ったことから始まったのだそうです。それからの数年間は「読書人にとっての黄金時代」だったとのこと。それでここまで影響されたというのもスゴイなあ... でもそれは本当に幸せな数年間だったんでしょうね。他人事ながらものすごく分かる気がします。(大和出版)


+既読の高柳佐知子作品+
「エルフさんの店」高柳佐知子
「ティスの魔女読本」高柳佐知子
「イギリス湖水地方を訪ねて」「風のまにまにイギリスの村へ」高柳佐知子
「ハイウィロウ村スケッチブック」高柳佐知子
「ケルトの国に妖精を探しに」高柳佐知子
「アリゼの村の贈り物」高柳佐知子
「ナチュラル暮らしの手作り工房へ、ようこそ」高柳佐知子
「庭が仕事場」高柳佐知子
「不思議の村のハロウィーン」高柳佐知子

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