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蔵書票の本2冊。「蔵書票の美」の方は、蔵書票の由来に始まり、日本と西洋の違い、その歴史やデザインの変遷などを分かりやすく説明している本。実際の蔵書票の画像もたくさん収録されているし、巻末にはラテン語の金言・警句集なんかも入ってます。「書物愛 蔵書票の世界」の方にも、蔵書票の歴史なんかは書かれているのだけど、日本書評協会の本だけあって、日本人蔵書票作家の紹介にかなりのページが割かれていました。あと具体的な制作技法も。

蔵書票とは所蔵者を示す小票のこと。大抵は本の見返しなんかに貼って使います。日本でいえば、蔵書印みたいなものですね。日本のような和紙の柔らかい本には蔵書印を押すのが適していたんですけど、西洋の厚手の固い表紙をつけた本には蔵書票を貼る方が適していて、それで発展したのだそうです。本がとても高価だった時代には、必要に迫られて... だったんでしょうけど、この蔵書票のデザインが様々で、しかもとても素敵なので、今や本の所蔵を示すという本来の目的のためだけでなく、蔵書票を色々集めたいというコレクターを生んでるんですね~。あ、蔵書票に興味がある方には、長年仲良くして頂いてるいまむる嬢主催の蔵書票部というのもあります。→コチラ

子供の頃から蔵書印や蔵書票に憧れていた私。以前、高宮利行さんの「西洋書物学事始め」(感想)を読んだ時に蔵書票の章がとても面白くて、しばらく忘れていたその思いがふつふつと再燃してきてたんですよね。この本を読んでたらますますうずうずしてきて、画像ソフトでいくつか作ってみてしまいましたよー。本当は銅版画とか木版画とかで作った方が遥かに味が出るんでしょうけど、まあとりあえず。(右の画像です... クリックすると、ポップアップ画面で実物大となります)

そして今ものすごーく見て見たいのは、左の本。「黄金期の西洋蔵書票 Golden Age Exlibris ......Graphics of the Art Nouveau and Art Deco periods」です。アールヌーボーやアールデコは大好き。その時代の蔵書票をカラーで再現したという本は、いかにも素敵そうです。私好みかも。でもカラーだけあって、お値段は6300円! さすがに気楽にぽちっとしてしまうわけにはいきません~。(小学館ライブラリー・平凡社新書)

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須賀敦子さんの全集の第2巻。これは既読の「ヴェネツィアの宿」(感想)と「トリエステの坂道」(感想)、そして1957年から1992年までのエッセイが収められた1冊。以前、手元の本の文庫のカバーが2巻なのに中身が1巻でびっくりしたと書いたんですが、その後無事に版元さんに交換して頂けました♪ 文庫版の全集では、まだ5巻が発刊されていないので、今のところこれが最後の1冊です。やっぱりこの辺りのエッセイはいいですねえ。読んでいてとても好き。でも「ヴェネツィアの宿」と「トリエステの坂道」については以前感想を書いたので、まあいいとして。今回は全集でしか読めない1957年から1992年のエッセイについて。

須賀敦子さんは、まずフランスに留学して、それからイタリアへと行って、結局そこで結婚することになるんですけど、今回このエッセイの中では、フランスとイタリアの違いについて時々触れてらっしゃるのが印象に残りました。フランスには2年滞在したのに、フランス語「いっこうにモノにならなかった」のに比べて、イタリアにはたったの2ヶ月の滞在で日常会話に不自由しない程度に話せるようになったという話。もちろん、英語やフランス語は日本の学校での勉強、イタリア語は現地の外国人大学だったという環境の違いは大きかったでしょうし、フランスでは随分嫌な思いもしたのに比べて、イタリアでは須賀さんが1つ単語を覚えるたびに喜んでもらえたりして、それもあってイタリア語にはずるずるとのめりこむように取り組んだのだそう。

パリの早口のフランス語になやまされていた私は、イタリアに来て、ほっとした。まだほとんどその国のことばは知らなかったのだが、イタリア語のゆるやかさ、音楽性がたいそう身近で、やさしい感じをうけたのである。そのせいか、自分にもわからぬ速さ、自然さで、イタリア語をおぼえることができたように思う。

ああ、分かるなあ、って思っちゃいました。私もフランス語を断続的に何年か勉強してるんですけど、全然モノにならないままなんですよね。って、もちろん私の勉強不足が最大の要因なんですが(笑)、いくら勉強しても話せるようになる気がしないんです。須賀さんがたったの2ヶ月でイタリア語の日常会話を操れるようになったと聞くと、すごい語学の天才?!って感じだし、実際才能はある方なんでしょうけど、でもイタリア語だったらそれもあり得るかもって思うんです。
私が以前フランスに行った時は、励ましてくれるような人こそいても、意地悪するような人には当たらなかったので、別に須賀さんみたいにフランスに対して悪印象を持ってるわけじゃないんですけど... やっぱり日本語とイタリア語って、発音的にも相性がいいと思うんですよね。それに確かに音楽的で耳にやさしいし、フランス語よりも聞き取りやすそう。実際、以前イタリアに行った時に、事前に初心者用の本をざっと見ていた程度だったのに、お店の人や街の人たちが言ってることもなんとなく分かる部分が多くて、びっくりした覚えがあります。「フィレンツェに何日いるの?」と聞かれて、ごく自然に「10日間」って答えていたり。本屋で地図を調べていたら、現地のおじさんたちが「どこに行くんだ?」と一緒に探してくれて、文章にはならないながらも、なんとなくコミュニケーションが取れていたり。私の場合、大学の第二外国語がスペイン語で、スペイン語とイタリア語って同じ日本語の中の方言のように似てる部分が多いので、ある程度素地ができていたとも言えると思うんですが。
もしかしたら自分にはイタリア語の方が向いてるかも、なんて思いつつフランス語を続けていたんですけど、やっぱり自分にとってはイタリア語の方が居心地がいい言葉かもしれないなあ、って改めて思っちゃいました。来年はイタリア語に挑戦してみようかしら? 現地で勉強、なんてことは到底できないし、せいぜいNHKのラジオ講座ぐらいなんですけどね。もちろんイタリア語にはイタリア語の難しさがあるでしょうし、1つの単語を覚えるたびに喜んでくれるイタリア人気質の後押しは期待できないので(笑)、とてもじゃないけど数ヶ月でマスターなんてできないでしょうけど、もしかしたら私も私なりに、ずるずるとのめりこんでしまうかもしれないなあ、なんて思ったりします。(河出文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「須賀敦子全集1」須賀敦子
「須賀敦子全集2」須賀敦子
「須賀敦子全集3」須賀敦子
「須賀敦子全集4」須賀敦子
「須賀敦子全集5」須賀敦子
「須賀敦子全集6」須賀敦子
「須賀敦子全集7」須賀敦子
「須賀敦子全集8」須賀敦子

+既読の須賀敦子作品の感想+
「トリエステの坂道」須賀敦子
「本に読まれて」須賀敦子
「ヴェネツィアの宿」「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子

+既読の須賀敦子翻訳作品の感想+
「インド夜想曲」アントニオ・タブッキ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「ある家族の会話」ナタリア・ギンズブルグ

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全集の第3巻。20世紀フランスを代表する作家の1人、マルグリット・ユルスナールの作品や登場人物、そしてユルスナール自身に、自分自身の軌跡に重ね合わせていくエッセイ「ユルスナールの靴」。旅を通して出会った様々な人や訪れた街。そこで出会った建造物について書いた12のエッセイ「時のかけらたち」。ユダヤ人たちが高い塀に閉じ込められるようにして住んでいたゲットと呼ばれる地区、トルチェッロのモザイクの聖母像、コルティジャーネと呼ばれる高級娼婦など、主に水の都・ヴェネツィアの影の部分を訪れた旅と記憶の旅「地図のない道」。そして1993年から1996年にかけての18編のエッセイ。

全集の中でも、妙に読むのに時間がかかってしまった1冊。でも決して読みにくかったのではなくて、なんだか思考回路がどんどん広がりすぎてしまったせい。特に「ユルスナールの靴」は、ユルスナールの作品を実際に自分で読まなければという焦燥感に駆られてしまって... 結局は読まずに1冊手元に用意しただけで終わってしまったのだけれど。
その「ユルスナールの靴」の冒頭はこんな文章。

きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。

次の「時のかけらたち」は、実際に足が踏みしめて歩くことになる石畳の道の話がとても印象的だったし、「地図のない道」は、人間としての足場や立ち位置を考えさせられるしエッセイ。この3巻は、「足」がテーマとなるものばかり集めたのかな?
意外な収穫だったのは、「時のかけらたち」の「舗石を敷いた道」の章で語られる「アエネーイス」の話。これは、須賀さんが日本に帰ってしばらくすると、歩きにくいはずの舗石の道が無性に懐かしくなるという話が発展して、ウェルギリウスの「アエネーイス」の中の描写へと話が広がるんですけど、以前「アエネーイス」を読んだ時に納得しきれていなかった部分が、須賀さんの文章を読んですとんと腑に落ちてしまいました... とは言っても、「アエネーイス」にはそんな部分が多かったので、まだまだ理解しきれてないのだけど。でもやっぱり日本語にするとウェルギリウスらしさや良さがさっぱりなくなってしまうみたいで、その辺りにも納得。って、自分の読解力や理解力を棚に上げて勝手なことを言ってるのは重々承知ですが。(笑)
須賀さんの「アエネーイス」の講義、聴きたかったな~。(河出文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「須賀敦子全集1」須賀敦子
「須賀敦子全集2」須賀敦子
「須賀敦子全集3」須賀敦子
「須賀敦子全集4」須賀敦子
「須賀敦子全集5」須賀敦子
「須賀敦子全集6」須賀敦子
「須賀敦子全集7」須賀敦子
「須賀敦子全集8」須賀敦子

+既読の須賀敦子作品の感想+
「トリエステの坂道」須賀敦子
「本に読まれて」須賀敦子
「ヴェネツィアの宿」「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子

+既読の須賀敦子翻訳作品の感想+
「インド夜想曲」アントニオ・タブッキ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「ある家族の会話」ナタリア・ギンズブルグ

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フランスの商業美術家・ジャン・マルク・コテが、1900年に開催されるパリ万博に向けて請け負ったのは、丁度100年後、西暦2000年の生活を描いたシガレットカードの製作の仕事。そのカードは、結局発注した玩具メーカーの操業停止によって、配布されないまま埋もれてしまうことになるのですが、そのまま残っていた1組のカードが100年後、SF作家のアイザック・アシモフによって蘇ることになります。

先日の第39回たらいまわし企画「夢見る機械たち」の時に、日常&読んだ本logのつなさんが挙げてらした本。(記事) 古いイラストを見るのは大好きなので、眺めてるだけでも楽しい本でした~。つなさんからも伺ってたんですけど、ほんと飛ぶものが多くてびっくり。全部で50枚のカードが紹介されてるんですが、そのうち何らかの形で人間が飛ぶ機械を描いているのは全部で18枚あるんです。空を飛ぶことにこだわらず、人間が移動する手段としての機械を合わせると、半数を超えてしまって、この当時そちら方面への期待が大きかったのがすごく良く分かります。その後、2つの世界大戦を経てかなり進歩してしまった分野なので、ほんの2~3人しか乗れない飛行機や、人間がイカロスみたいに羽(動力装置付き)を装着して飛行している絵に、この頃はこの程度の発想だったのかあ、とちょっと微笑ましくもなるんですけどね。でも、飛行機野郎がカフェでドライブスルーしてたりするし! それに羽を付けた消防士が消火活動をしたり、建物の上の階にいる人間を救出してるのは、いいかもしれないなあ。...とは言っても、アシモフは「勢いよく羽ばたけば、火元を煽ることになって、火の勢いがますます強くなるのではないだろうか」と書いてるし、どうやってポンプで水をそこまで吸い上げるかなどの問題を指摘していて、確かにあまり現実的ではないのだけど。(笑)
私が一番楽しめたのは、これまた意外と多かった海中の絵かな。潜水帽をかぶって海底を散歩したり、水中ハンティングをしたり、時にはゲートボールをしたり(笑)、魚に乗ってのレースを楽しんだり。鯨のバスや、1人のりタツノオトシゴまで登場。アシモフが指摘するまでもなく、羽で空を飛ぶ以上に現実味が薄い分野なんだけど(笑)、「海底二万里」みたいで夢があって好きです♪

アシモフのコメントはちょっぴり辛口なんですが... こういうのって、実際に実現してるようなカードがいっぱいあったら、「へええ、すごいな」と感心はしても、結局のところ感心止まりだと思うんですよね。現実からは少しズレてるからこそ楽しめる部分って、実はとても大きいのではないかと。一昔前のSF黄金期(と書いてる私自身はよく知らないのだけど)によくあったような未来都市の予想図(たとえばドラえもんの元々いた未来とか)とはまた違う発想がここにはあって、この素朴さがすごく好きです。(パーソナル・メディア)

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須賀敦子全集最終巻。ここに収められているのは、両親や後に夫となるペッピーノに宛てた書簡集、『聖心(みこころ)の使徒』所収のエッセイ、「荒野の師父らのことば」、未定稿「アルザスの曲りくねった道」とそのノート、そして年譜。

両親、特にお母さんへの手紙は、全体を通してとても明るいトーン。手紙はかなりの頻度で出されていたようで、日常生活のこまごまとしたことが色々と書かれています。でも、「忙しい毎日だけど、元気なので心配しないで」という思いがとても強くて、それだけに、逆にかなり無理して頑張っていたのではないかと思ってしまうほど。ちょっぴり痛々しかったです...。そしてそんな両親への手紙と対照的なのが、夫となるペッピーノへの手紙。こちらには素直な心情が吐露されていて、ペッピーノに対する信頼の大きさがすごく伝わってきます。抑えられた情熱が文面からあふれ出してきそう、なんて思いながら読んでいたら、徐々に2人の間で愛情が高まり、そして深まっていく様子が手に取るように... きゃっ。
そして残念で堪らなくなってしまったのは、最晩年に構想中だった小説「アルザスの曲りくねった道」が、結局未完のままに終わってしまったこと。ああ、これは完成された作品を読みたかったなあー...。

時代こそ少しズレてますが、うちの母も須賀さんと同じ「丘の上の学校」にいたので、須賀さんのこと知ってたりしたのかしら、少なくとも共通の知人は結構いるはず、なんて思いながら読んでいたら、いきなり私の友達のお祖父さんの名前が登場してびっくり。という私にとっても「丘の上の学校」は母校なので、そこで一緒だった友達。そのお祖父さんは既に亡くなってるので、もう須賀さんの話を聞くことはできないのだけど。
そんなこんなもあって、須賀さんの少女時代~大学時代のエピソードが書かれている「遠い朝の本たち」や「ヴェネツィアの宿」には、妙に思いいれがあったりします。今回は、普段なら読み飛ばしてしまいそうな年譜までじっくりと読んでしまいましたー。もしかしたら私が大学の時に入っていた寮に、かつて須賀さんもいらしたのかしら? なんてちょっとミーハー興味混じりですが。^^; (河出文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「須賀敦子全集1」須賀敦子
「須賀敦子全集2」須賀敦子
「須賀敦子全集3」須賀敦子
「須賀敦子全集4」須賀敦子
「須賀敦子全集5」須賀敦子
「須賀敦子全集6」須賀敦子
「須賀敦子全集7」須賀敦子
「須賀敦子全集8」須賀敦子

+既読の須賀敦子作品の感想+
「トリエステの坂道」須賀敦子
「本に読まれて」須賀敦子
「ヴェネツィアの宿」「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子

+既読の須賀敦子翻訳作品の感想+
「インド夜想曲」アントニオ・タブッキ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「ある家族の会話」ナタリア・ギンズブルグ

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須賀敦子さんの全集の文庫版第7巻は、須賀さんがローマ留学時代に1人で企画から執筆、原稿の邦訳などをこなし、コルシア書店で出版して、日本に発送していたという全15号の冊子「どんぐりのたわごと」と、夫・ペッピーノの死から4年、翻訳の仕事をしながらミラノに住み続けた須賀さんの、ミラノを去ることになるまでの日記。

こちらも6巻に引き続き、ちょっととっつきにくい面がある1冊、かな。論文のような難しさこそないんですが、「どんぐりのたわごと」は、かなりキリスト教色の強い読み物ですしね。私にとってはキリスト教色云々よりも、この6巻は全体を通してひらがな率が妙に高くて、それがちょっと読みにくかったんですが...。でも、印象に残る文章が色々とありました。特に印象に残ったのは、「どんぐりのたわごと」の第3号に載っていたダヴィデ・マリア・トゥロルド神父の詩。彼はコルシア書店の中心的存在で、以前須賀さんの「コルシア書店の仲間たち」(感想)を読んだ時にもかなり前面に描かれてた人物です。2m近い大男で、人間自体もとても大きくて、その分懐はとても深いけれど、カトリック特有のこまごまとした様式的なものにはちょっと合わないんじゃ...? という印象だった人。もちろん繊細なところも持っているのは分かっていたのだけど、その彼がこんな詩を書いていたとは...。この詩を読んでるかどうかで、彼に対する理解は相当違ってくるのでは、なんて思ってしまうほど、ちょっと衝撃的でした。
そして第7号には、後に酒井駒子さんが挿絵をつけて絵本にした「こうちゃん」(感想)の原文が載ってます。酒井駒子さんの絵はとても素敵だったし、これを読んでいると改めてあの絵本を読み返したいなあと思ってしまったのだけど、今回、絵を抜きに字だけを読んでみて、すごく自分の中に入ってきたような気がしました。
あと、私が一番好きだったのは、第8号に収められているジャン・ジオノによる「希望をうえて幸福をそだてた男」の話。須賀さんがイタリア人の友人に宮沢賢治の話をしたのがきっかけで教えてもらったという物語なんですが、これはとても素敵でした~。「こうちゃん」やこの「希望をうえて幸福をそだてた男」は、キリスト教色もあまり強くないので、比較的とっつきやすいかも。
そして後半は、須賀さんの日記。後に書かれたエッセイとは違って、こういったプライベートな日記には、人の私生活を勝手に覗き込むような居心地の悪さを感じるんですが... 須賀さんが夫のいないミラノでの生活に限界を感じていたこと、それでも続いていく慌しい人間関係に、充実しながらも疲れていたことなどが感じられるようで、とても興味深いです。(河出文庫)


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「本に読まれて」須賀敦子
「ヴェネツィアの宿」「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子

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「インド夜想曲」アントニオ・タブッキ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「ある家族の会話」ナタリア・ギンズブルグ

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須賀敦子さんの全集の文庫版第6巻は、ナタリア・ギンズブルグ論、イタリア中世詩論、イタリア現代詩論、文学史をめぐって、という4章に分けられた「イタリア文学論」と、須賀さんが邦訳したナタリア・ギンズブルグ作品、アントニオ・タブッキ作品、そしてイタロ・カルヴィーノの「なぜ古典を読むのか」につけられたあとがきを集めた「翻訳書あとがき」。

これまで読んだ全集の1巻と4巻は、一般人向けのエッセイということもあってとても読みやすかったのだけど、こちらの6巻は、「翻訳書あとがき」はともかく、もっと専門的でちょっととっつきにくかったかも。特に「イタリア文学論」の中のイタリア中世詩と現代詩。ここに紹介されてる作家なんて、全然と言っていいほど読んでないですしね... かろうじて、ダンテの「神曲」ぐらいですね。ウンベルト・サーバを始めとするイタリア現代詩人の名前は、須賀さんのエッセイを通じて名前を知った程度だし。しかも中には研究論文らしき文章も混ざってるので、難易度がかなりアップ...。須賀さんの訳でいくつかの詩が読めるのは、とても嬉しかったんですけどね。紹介されている作品に対する須賀さんの愛情がひしひしと感じられるだけに、自分の知識のなさがクヤシくなってしまいます。あ、でもナタリア・ギンズブルグ論はとても面白くて、「ある家族の会話」をぜひとも読んでみたくなりました! あと、アントニオ・タブッキも結局まだ「インド夜想曲」しか読んでないので、他の作品も読みたいなあ。
それと、詩論では原文が沢山紹介されてるんです。(日本語の文章の中にイタリア語が多用されてるのも、素人には読みにくい一因なんですが) 実際にイタリア語での朗読が聴いてみたい! イタリア語って本当に音楽的な言語だし、意味が分からないなりにも豊かに感じられるものがありそうです。(河出文庫)


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