Catégories:“文学・作家研究”

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「わたしには呪われた才能がある。どんなものでもひと目見ただけで、すぐに形式が見えてしまうのだ」というプロップ。彼はアファナーシエフの「ロシア昔話集」を読み始めた時、全てのプロットの構成が同じだということがたちどころに分かり、それがきっかけで「昔話の形態学」研究に取り掛かることになったのだそう。そのプロップの論文集「口承文芸と現実」に収められている13編のうちから7本を選んで収めた本。「魔法昔話の構造的研究と歴史的研究」「異常誕生のモチーフ」「口承文芸における儀礼的笑い」「口承文芸の世界におけるオイディプス」「口承文芸の特徴」「口承文芸と現実」「口承文芸の歴史性とその研究方法」

小さい子供の頃に読むならともかく、ある程度大きくなってから読んだら、昔話のプロットがいくつかのパターンに分かれてるだけだということは、当然すぐ分かることですよね。「呪われた才能」なんて、大げさな。...なーんてちょっと斜め視線で読み始めたこの本なんですが、いや、ごめんなさい。とっても面白く読めました。抽象的な理論のところは今一つ掴み切れてないんですが、昔話の中に見る具体的なモチーフに関しては、すごく参考になりました! それは「異常誕生のモチーフ」「口承文芸における儀礼的笑い」「口承文芸の世界におけるオイディプス」の3章。

「異常誕生のモチーフ」
異常誕生の最も一般的な形態は、聖母マリアと同じく処女懐胎。今でこそ妊娠に関する男女の役割がきちんと解明されていて、それが常識となってるんですけど、それ以前の人々は男性の役割を理解してなくて、そういう行為を妊娠に直接結び付けて考えることもなかったと知ってびっくり。そうだったんだ...。でも確かに、教えられなければ分からないことかもしれないですねえ。その場合、妊娠に直接関係するのは、女性が食べる果実(エンドウ豆やリンゴ、ココナッツ、ナッツ、葡萄、ザクロなど)であったり、呪文であったり、飲み水であったり。さらに、遺体の一部を食べることによって妊娠することもあったり。昔話で魚が大きな役割を果たしていることが多いのは、魚の「多産」という特徴からなのだとか。(ロシアの昔話には、確かに魚絡みの話が結構あるかも) そして物語の中で、時々子供が異様に速く成長するのは、主人公が救済者、あるいは英雄として異常誕生しているため。生まれた時に既に災厄が起きているので、即座に救済に着手しなければならないんですね。(笑)

「口承文芸における儀礼的笑い」
そして「笑わない王女」の話。この話にもいくつかパターンがありますが、これも研究者にとっては興味の尽きない話なのだそう。「笑い」というのは、かつては宗教的に独特な意味を持っていたんだそうです。生者が死者の国に入り込む時、あるいは死者の国にいある間「笑い」はタブー。生者は笑うことによって自分が生者であることを暴露してしまうのだそうです。そして逆に、生者の国に戻ってきた時には「笑い」が必須となるんですね。「笑い」は人間を悲しみから解放する力があり、生命を生み出す力があるものなんですって。「笑い」は生命を創造する呪術的手段であり、天地を創造する神もまた笑うのです... というのは、キリスト教以前の神々。キリスト教では笑うのは悪魔であり死神であり、キリスト教の神は決して笑わないのだとか。(知らなかった)

「口承文芸の世界におけるオイディプス」
そして「オイディプス」型の物語について。これも構造的にかなり典型的な魔法昔話なんだそうです。オイディプスといえば悲劇なんですけど、この型の物語では、全ての出来事の前にまず予言があり、そのために主人公が生まれた場所を離れることになり、後年戻ってきた時に父を殺して実の母と結婚する、あるいは血の繋がった妹と結婚するという近親婚が行われ、主人公が王位につく、やがて妻が実は血を分けた肉親だったというのが判明する、というのが基本的なパターン。なぜ王は殺されなければならないのかというのも、必ず行われる近親婚も、権力移譲が妻(女性)を介して行われるというのもどれも重要ポイントで... というそんな話。

上の3つは適当に抜き出したので、ちょっと妙になってるところもあると思うんですが...
中沢新一さんのカイエ・ソヴァージュのシリーズ(感想)を思い出すなー。どれもじっくり読みこんでおきたい論文でした。でも一番最初に収められている、レヴィ=ストロース教授の批判に応える「魔法昔話の構造的研究と歴史的研究」は、今までプロップの著作をまるで読んだことのない私にとっては(しかもレヴィ=ストロースについてもほとんど知らない)、イマイチ分かりづらかった... それまでの経緯を全然知らないですしね。反論の熱さには圧倒されましたが、この2人、お互い相手の論文を読むだけでなく直接論じ合えれば、きっとまた全然違う結果が生まれたでしょうに。西と東に分かれてしまっていたのが惜しいという感じです。そして後半の「口承文芸の特徴」「口承文芸と現実」「口承文芸の歴史性とその研究方法」の3つは、口承文芸に関しての研究の本筋と言えるものだし、本来ならここを読みたかったはずなんだけど、抽象的な論となっていると私にはちょっと難しくて。やっぱり具体例が多く挙げられている3つのモチーフに関する部分が一番面白く読めました。(講談社学芸文庫)

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西洋の文化を理解するためには欠かせないと言われている聖書の知識。しかし天地創造を扱う創世記はともかく、読みづらい部分も多いのです。キリスト教の信者ならともかく、あまりキリスト教との接点がない人間にとって、聖書を最初から最後まで読み通すのはとても大変なこと。そんな読者向けの聖書の解説本。枝葉末節は切り捨てて、有名なエピソードに絞って紹介していきます。

大学に進学する時にも、外国の文学を学ぶつもりなら聖書とギリシャ神話だけは読んでおきなさい、と学校で言われたんですよね。幸いギリシャ神話は子供の頃から好きだったし、聖書も、こちらは別に好きだったわけじゃないんですが(笑)カトリック系の学校に長く通っていたので、比較的読んでいる方。全部きっちり読み通してるわけじゃないけど、旧約聖書は物語として面白いですしね。あとは新約聖書の黙示録とか。なので、それほど初心者というわけじゃないんですが... ギリシャ神話関連の本では阿刀田さん独自の視点が楽しかったし! そちらを読んだ時に、この「旧約聖書を知っていますか」が良かったと教えてもらったので、さっそく読んでみました。
阿刀田高さんのスタンスは、1人の異教徒として、気楽な雰囲気で聖書を分かりやすく読み解いてみた、というもの。そのスタンスというか距離感が、読んでいてまず心地良かったです。やっぱりこういう宗教がらみの本は何かと難しいから... 信仰心が篤い人だと、深く踏み込めるでしょうけど、初心者向けの本じゃなくなっちゃいそうだし、一般の人のために解説するんなら、あまり信仰を持っていない人の方が客観的な態度をとれていいかもしれないですね。

聖書の中のエピソードに関しては、既に原典を知っている分、特に目新しいものはなかったんですが、それでもすごく久しぶりだし~。やっぱり阿刀田さん独自の視点が面白かったです。長年読んでいながら気がつかなかった矛盾点もあったし... たとえば創世記の最初のところで、6日目にもう男と女を作ってしまってたってほんと?! アダムが生まれて、その肋骨からイブ、と思い込んで読んでたから、こんな基本的なところにも気づいてなかったわ! そして創世記がイスラエルの民族にとっての神話だという話のところで、素人の推測と断りながらも書かれている文章に説得力がありました。

神話というものが歴史の中に入り込むのは、たいてい王国が隆盛を極めた時である。周囲の群雄勢力を平定し、強力な王国が誕生して、権勢ゆるぎない王が君臨すると(中略)その礎の確かさを文献として書き残したくなる。つまり神から与えられた王座なのだということを、あと追いの形で記録したくなる。

確かにそうなんだけど! 普通の神話を読んでる時はそういうのも当然頭にあるわけなんですけど、聖書に関しては全然考えたこともなかったなあ...。なるほど。身近にありすぎて気付かなかったわー。やっぱり時には一歩引いて眺めてみることが必要ですね。様々なエピソードの整合性のなさに関しても、いくつもの民族の持つ英雄譚や伝承が交錯して、聖書の中に吸収されたせいだと言われてみるとあっさり納得できますしね。そうか、聖書も普通の神話と何も変わらないんだなー。(笑)(新潮文庫)


+既読の阿刀田高作品の感想+
「新トロイア物語」阿刀田高
「ギリシア神話を知っていますか」「私のギリシャ神話」阿刀田高
「ホメロスを楽しむために」阿刀田高
「旧約聖書を知っていますか」阿刀田高

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人類の古代史に燦然と輝く2つの叙事詩「イリアス」「オデュッセイア」。しかしその作者とされるホメロスという人物については、未だに生まれた年も生まれた場所も判明していません。「イリアス」はともかく、「オデュッセイア」はホメロスの作品ではないとする説もあります。しかしこの時代に諸国を巡り歩く詩人たちが「イリアス」や「オデュッセイア」となるような物語を歌い上げていたのは確かであり、それらの作品をまとめあげ、内容豊かな叙事詩に仕上げた人物が「ホメロス」とされているのです。このギリシャに生れた盲目の吟遊詩人・ホメロスと彼の2つの主要な作品を、その筋を辿りながら解説していく本。

「イリアス」(感想)「オデュッセイア」(感想)は既に読んでるんですが、先日読んだ「ギリシア神話を知っていますか」「私のギリシャ物語」での阿刀田高氏独自の視点がとても面白かったし、開眼する部分が多々あったので手に取ってみました... が。
確かにこちらも、すごく読みやすくて分かりやすいです。「イリアス」や「オデュッセイア」に興味がありつつも、ちょっと敷居が高そうで... なんて思ってる人には、入門編として最適でしょうね。こういう本を一回読んでおけば、とっつきにくい叙事詩の間口もぐーんと広がるはず。でも逆に、そういった叙事詩を既に読んでいる場合は... 阿刀田高さんご自身がギリシャやトルコを訪れた時のエピソードも交えて、面白おかしく語られていくし、そういう意味では楽しく読めるんですが... ギリシャ神話関連の本を読んだ時ほどには新鮮味が感じられなかったかも~。それがちょっぴり残念でした。 (新潮文庫)


+既読の阿刀田高作品の感想+
「新トロイア物語」阿刀田高
「ギリシア神話を知っていますか」「私のギリシャ神話」阿刀田高
「ホメロスを楽しむために」阿刀田高
「旧約聖書を知っていますか」阿刀田高

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先日酒井駒子さん絡みで読んだ「絵本のつくりかた」の2です。こちらの副題は「フランスのアーティスト10名が語る創作のすべて」。副題通り、フランスの絵本がいっぱい! 「アーティスト10名が語る」となってますが、もう既に亡くなってる方の絵本も紹介されてるので、絵本作家さんとしては全部で15人。でもその名前だけを出しても、分かりにくいので...(笑) 見つかる限りの本の書影を出してみました。

まずは第1章、「忘れることのできない素敵な昔の絵本たち」。ここで紹介されているのはアンドレ・エレ、ジャン・ド・ブリュノフ、レオポルド・ショヴォー、ナタリー・パラン、フェオドール・ロジャンコフスキー。

   

一番惹かれたアンドレ・エレの絵本の表紙がないのが悲しいですが~。おもちゃ箱の中の人形たちが遊んでいるみたいな、可愛くて賑やかで楽しい雰囲気の絵なんです。ドビュッシーの楽譜に絵をつけたりもしてたみたい。でも邦訳されたのは、どうやら「ノアのはこぶね」という本だけらしく...。図書館に蔵書があるようなので、さっそく予約を入れてみましたが! と思ってたら、こんなページを見つけました。あとこんなのも。改めて見ると、なんだかコミックっぽい絵ですね。
ぞうのババールシリーズは、実際にはほとんど読んだことないんだけど、でも可愛いですよね。どうやらフランス語版は筆記体風の文字になってるようで(手書き?)、その柔らかい雰囲気が絵にぴったり。元々はお母さんが息子のために作ったお話を、画家のお父さんが絵本に仕立てたんだとか。やっぱりそういうのは基本なんだな~。

そして第2章、「絵本が生まれるところ」。ここで紹介されているのは、アネット・チゾン&タラス・テイラー、アン・グッドマン&ゲオルグ・ハレンスレーベン、リリ・スクラッチィ、ジョエル・ジョリヴェ、アンドレ・フランソワ。リリ・スクラッチィの邦訳絵本は見つかりませんでしたが...。

   

この中で一番好きなのは、バーバパパシリーズ。最初はペンと水彩画で描いていたけど、印刷すると黒い線が鮮明に出ないので、黒いふちどり線を描いたら一旦それを透明なシートにプリントしておいて、別の紙に彩色した絵に重ねて完成、という手間のかかる作業をしてるんだそうです。そして最初にバーバパパを描いたその日にたまたま赤鉛筆しか持ってなかったから、バーバパパはピンクになったんですって。(笑)
リサとガスパールも可愛いですね。でも私、この2人のことをずーっとウサギだとばかり思ってたんですけどーーー。リサとガスパールは何の動物なのかという質問に、「いたち? うーん、犬でもないし...」だなんて! うわあ、衝撃的事実だ。
それにしても、緻密に計算されているバーバパパシリーズに、大胆な勢いで描かれてるリサガスシリーズ。なんだかとっても対照的です。実際、絵のタッチも全然違うしね。

そして最後の第3章は「もっと深く絵本を知る」。リオネル・コクラン、ポール・コックス、エマニュエル・ピエール、グレゴワール・ソロタレフ、トミ・ウンゲラーの5人。

    

エマニュエル・ピエールの絵本は見つかりませんでしたが、「すてきな三にんぐみ」は有名ですね。このトミ・ウンゲラーが、結構アダルト~なものにも携わってると知ってびっくり。でも、この辺りのアーティストたちは、私はあんまり馴染みがないので、なんとも... えへへ。(美術出版社)


+シリーズ既刊の感想+
「絵本のつくりかた1」「Pooka+ 酒井駒子 小さな世界」
「絵本のつくりかた2 みづゑのレシピ」

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寒空の下、道をゆくのは1人の吟遊詩人。かつてこの地方には多くの詩人たちがいましたが、彼はその最後の1人。今やすっかり年老いて、放浪の竪琴弾きとしての貧しい暮らしに苦しんでいました。時代は移り代わり、古い慣習は消え、最早大広間の上席について、華やかに着飾った領主やその奥方に即興の調べを聞かせることもなくなっていたのです。飢えて疲れきっていた彼は、ヤロウ河畔のニューアーク城のアーチをくぐります。しかしこの城の公爵夫人に思いがけない暖かいもてなしを受けると、彼の中の吟遊詩人としての誇りが甦ります。そして名君と言われたフランシス伯爵のこと、これほどの勇者はないと言われたウォルター伯爵のこと、バックルー一族の古の戦士たちにまつわる古い武勲物語を歌うことに。

ウォルター・スコットの「最後の吟遊詩人の歌」の原文と日本語訳、そして佐藤猛郎氏による作品研究が収められている本。
「最後の吟遊詩人の歌」は、序詩と吟遊詩人が歌う6曲の古い歌からなる作品。英国における吟遊詩人の活躍は、英語が一応成立した13世紀頃から、エリザベス一世に弾圧されるようになった16世紀末ぐらいまでなんだそうで、この作品の吟遊詩人が生きてるのは、まさにその末期の時代。そしてその吟遊詩人が歌う物語は、時代がもっと遡ります。もてなしてくれた公爵夫人の祖先の物語。他の一族の戦い、ロミオとジュリエット的な恋愛、そして魔術。登場するのは実在の人物ばかりで、ここで歌われる出来事にも史実が多いのだそう。ウォルター・スコット自身の祖先で、実際に歌人だった「Walter Scot of Satchells」が書き残した「スコット一門正史」が元になってるんだそうです。
私が一番好きなのは中世に作られた叙事詩なんですけど、でもウォルター・スコットが19世紀に作ったこの作品も、ものすごく素敵でした。吟遊詩人がいた当時の情景が目の前によみがえってくるみたい。今は年老いた吟遊詩人が語るという枠物語の形式を取っているので、尚更そういった印象になったのかもしれません。読みながらもう、静かに熱くなりました!(なんて書くと意味不明ですが...) ああ、こういう作品、もっともっと読みたいなあ。

「作品研究」では、老吟遊詩人に焦点を当ててウォルター・スコットが表現しようとしたものを探っていて、その辺りがとても参考になりました。年老いて疲れ果てた吟遊詩人の姿が、今はもうすっかり衰えてしまったスコットランドを表してるようだ、とかね。それに「Bard(歌人)」と「Minstrel(吟遊詩人)」の違いやその社会的身分について触れられているのも、すごく興味深かったです。「Bard」は、ケルト系の氏族の領主に直属する存在。世襲制で、領主一族の系図や武勲を暗誦する人。饗宴の席で竪琴に合わせて歌うだけでなく、領主の子弟の教育を受け持ち、戦いにおいては使節の役目も果たすとか。身分としては、領主、乳兄弟に次ぐ高いもので、その次に鼓笛手、布告役、一般家臣と続きます。それに対して「Minstrel」は、「中世期において、詩と音楽で生計を立て、竪琴に合わせて、自作の、あるいは他人が書いた詩を歌ってきかせることを職業とする人々」のこと。
北欧系の「Scald(歌人)」のようにゲルマン系諸民族の間でも「Glee」「Jongler」「Minstrel」と呼ばれる歌人と芸人の中間のような人々が存在して、ドイツでは「Minnesinger」、南フランスでは「Troubadour」といった宮廷歌人になっていったんだそうです。でも一時は王侯に仕える身分にまでなった「Minsutrel」も時の移り変わりと共にすっかり落ちぶれることに...。「言い伝える」じゃなくて「書き残す」時代になってしまうんですね。(評論社)


+既読のウォルター・スコット作品の感想+
「アイヴァンホー」上下 スコット
「湖の麗人」スコット
「最後の吟遊詩人の歌」ウォルター・スコット
「マーミオン」ウォルター・スコット

+既読のウォルター・スコット関連作品の感想+
「ウォルター・スコット邸訪問記」ワシントン・アーヴィング

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全6章でロシア人にとっての死生観や異界について語っていく本。
第1章 「この世」と「あの世」のしきい ... ロシアの農民への死の予告や死の迎え方、戻ってくる死者について
第2章 家の霊域に棲むもの ... ロシアの家の隅にしつらえられる祭壇やペーチカ、家神・ドモヴォイについて
第3章 ロシア・フォークロアにおける「死」の概念 ... 民族宗教詩や昔話の中の死
第4章 「聖なるロシア」の啓示 ... 民族宗教詩「鳩の書」について
第5章 ロシア的終末論 ... 反キリストについて
第6章 天国と地獄の幻景 ... スラブ神話における宇宙の成り立ち

ロシアの農民たちにとっての死や、ドモヴォイやペーチカについて書かれている最初の2章は具体的なエピソードが多いし、とても興味深いです。こういう土着の習慣や信仰というのは、ロシア文学を理解する上でも重要なポイントになるのかもしれないですね。そして第3章・第4章に出てくる民族宗教詩というのも全然知らなかったので、そういうのもとても勉強になりました。
でも私が個人的に一番読みたかったのは、キリスト教が入ってくる以前の純粋なスラヴ神話に関する第6章。そういう話はあんまり載ってないのかなーとちょっと諦め気味になってたので、これが本当に嬉しかった! 古代スラヴ人がそういった神話を書き残すすべを知らなかったために、その多くは失わせてしまっているというのが、ものすごく残念。でも少なくとも、古代スラヴ人は宇宙を巨大な卵として捉えていたようです。「宇宙卵」を産んだのは、世界を創造したと言われる2羽の「宇宙鳥」。

宇宙卵の殻は天、薄皮は雲、白身は水(大海)、黄身は地、である。黄身(地)は白身(水)に囲まれた形で卵の真ん中に浮かんでいる。黄身の上方の部分は人間の住む世界であり、下方は黄泉の国、死者たちの世界である。黄泉の国へ行くには、地を取り囲んでいる大海を越えて行かなければならない。あるいは深い井戸を掘って地を貫いて行かなくてはならない。

地(地上界と地下界を含む)と九つの天は一本の「世界樹」(「宇宙樹」)によって繋がれている

「世界樹(宇宙樹)と」いうのが面白いですね。これは北欧神話と同じ。しかも北欧神話でも、世界の数は全部で9つ。民族が違えば、たとえ住んでいる場所が距離的に近くても、まるで違う世界観を持っている方が普通なのに、この共通点は興味深いです。あと他の章にあったんですが、古代スラヴ人は、死ぬとみな卵とかガラスのようなつるつるとした高い山を登らなければならないと信じてたそうなんですね。そういう話も実際、北欧の民話を集めた「太陽の東 月の西」に載ってたし、思ってる以上に共通点がありそう。ああ、もっとこういう話が読みたいー。(岩波新書)

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1971年からイランの大学で教鞭をとってきたアーザル・ナフィーシーは、1995年の秋、最後の大学を辞めた時にかねてからの夢を実現する決意をします。そして教え子の中から最も優秀で勉強熱心な7人を選び、毎週木曜日の朝に自宅で文学について話し合うということ。そして集まったのは詩人のマーナー、「お嬢さま」のマフシード、コメディアンのヤーシー、「問題児」アージーン、物静かな画家・ミートラー、自立したいという欲求と認められたいという欲求の狭間で揺れ動いていたサーナーズ、そして「チェシャ猫」ナスリーン。ナスリーンは最後まで一緒にいられなかったものの、彼らは2年近くの間、ほぼ毎週木曜日になるとアーザルの家にやってきて、ヴェールとコートを脱ぎ捨て、小説と現実の関係について話し合うことに。

主にナボコフ「ロリータ」、フィッツジェラルド「華麗なるギャツビー」、ジェイムズ「デイジー・ミラー」、オースティン「高慢と偏見」を通して、筆者が大学で教えていた数年間、そして木曜日の秘密の授業をしていた2年足らずのイランの状況を描き出していくという作品。イラン革命の後のイランでは、頽廃的な西洋文化は全て悪とされていて、これらの小説も本屋の棚からどんどん消えていってるような状態なんですね。普通の人々もちょっとしたことで何年間も投獄されたり、簡単に殺されたりというかなり厳しい状況。男性にももちろん厳しいんですが、ほとんど人格を認められていない女性に対する厳しさはそれを遥かに上回るもの。そんな状況の中で生きている女性たちの思いを吐露していきます。
もちろん「テヘラン」で「ロリータ」を読むというそのイメージのギャップはとても面白いと思うし、授業で「華麗なるギャツビー」をめぐる裁判を開いたりといった事柄はそれぞれにとても興味深かったんですが... あまり私には伝わってきませんでした。同じ時代のことを書いている新藤悦子さんの「チャドルの下から見たホメイニの国」(感想)を夢中になって読んだのとは対照的。どこがどう違うのか今ひとつ分からないのですが... いや、本当は感覚的には分かってるんですが...
その中の1つの要因は、本の解釈にそれほど感銘を受けなかったってことですね。私が未読の本も沢山登場してましたが、少なくとも「ロリータ」「華麗なるギャツビー」「デイジー・ミラー」「高慢と偏見」は既読。オースティンの長編だって全部読んでるし。でも例えば「ロリータ」での、「ハンバートは自分が求めるロリータをつくりだし、そのイメージに固執した」という読み方、そしてそれをイランの男女関係に重ねていく部分には「なるほど」と思うんですけど、正直もっとイラン人ならではという読み方を期待してたので... 結局のところ、それが一番大きかったんだろうなと思います。もちろんそれは、私自身が「自分が求める彼女たちをつくりだし、そのイメージに固執した」とも言えるのかもしれませんが...(白水社)

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1985年に、ハーヴァード大学で6回の講義をすることになり、カルヴィーノが選んだ主題は「次の千年紀に保存されるべきいくつかの文学的な価値」。カルヴィーノの急逝により、その講義が実現することはありませんでしたが、これは事前にカルヴィーノが書き上げていた、6回のうちの5回分の講義の草稿を本にしたものです。

以前カルヴィーノの「なぜ古典を読むのか」を読んだ時に、題名通りの内容は最初の1章だけで、後はバラバラの文章の寄せ集めなんだなあーとちょっとがっかりしてた時に、overQさんがこっちの本の方がまとまった文学話になってますよ!と教えて下さった本。それから随分時間が経ってしまいましたが、ようやく読めましたー。

カルヴィーノが21世紀の文学に必要だと考えていたのは、「軽さ」「速さ」「正確さ」「視覚性」「多様性」。この5つのキーワードを通して、ギリシャ神話やオウィディウス、ルクレーティウスといった古代の文学から20世紀の文学までを考察しながら、カルヴィーノの目指してきたところを示しつつ、それが同時に21世紀以降の文学への提言ともなっている論です。こういうキーワードで文学を考えるのって、斬新だし面白いですね。これは案外文学以外にも広く通じるキーワードなんじゃないかしら。そしてこの本から感じられるのは、文学に対するカルヴィーノの真摯で愛情たっぷりの態度。
どれも面白かったんだけど、一番印象に残ったのは最初の「軽さ」かな。常々カルヴィーノの作品には、身ごなしの軽さを感じてましたしね。そんなカルヴィーノが小説を書き始めてすぐに気づいたのは、小説の素材となる様々な出来事と、文章を活気付かせる軽妙さの間に大きな隔たりがあるということ。それからは常にこの重さ、とりわけ物語の構造や言葉から重さを取り除こうとしてきたといいます。ここでの「軽さ」とはもちろん軽薄さではなくて、思慮深い軽やかさ。文章に取り付いて世界をじわじわと重苦しく不透明にしてしまう重さから逃れるためには、別の視点、別の論理、別の認識と検証で世界を見直さなければならないというんですね。カルヴィーノが作家として発表した1作目が、パルチザンでの体験を元にしたという「くもの巣の小道」ですものね。そういった経歴の持ち主だということも、大きな要因なんでしょう。
書かれていなかった6回目は「一貫性」になるはずだったようです。これはメルヴィルの「書記バートルビー」に触れる予定だったということしか分かってなくて... もう読むことができないなんて、とっても残念。(朝日新聞社)


+既読のイタロ・カルヴィーノ作品の感想+
「宿命の交わる城」イタロ・カルヴィーノ
「不在の騎士」イタロ・カルヴィーノ
「レ・コスミコミケ」イタロ・カルヴィーノ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「まっぷたつの子爵」「木のぼり男爵」イタロ・カルヴィーノ
「イタリア民話集」上下 カルヴィーノ
「魔法の庭」イタロ・カルヴィーノ
「見えない都市」イタロ・カルヴィーノ
「マルコヴァルドさんの四季」カルヴィーノ
「冬の夜ひとりの旅人が」イタロ・カルヴィーノ
「柔かい月」イタロ・カルヴィーノ
「カルヴィーノの文学講義」イタロ・カルヴィーノ
「パロマー」カルヴィーノ
「くもの巣の小道」イタロ・カルヴィーノ
「むずかしい愛」カルヴィーノ

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アイルランドによく見られる「取り替え子(チェンジリング)」の伝承。赤ん坊や女性が妖精に攫われて、知らない間に妖精が入れ替わっているというこの伝承をキーワードに、W.B.イェイツ、ロード・ダンセイニ、ブラム・ストーカー、オスカー・ワイルド、ラフカディオ・ハーン、コナン・ドイル、ジェイムズ・ジョイスといった19世紀末から20世紀初頭にかけてのアイルランドにゆかりの深い作家たちを取り上げ、その作品を見ていく本。

「ドラキュラ」や「ドリアン・グレイの肖像画」、そして「雪女」といった作品の中に「取り替え子」のモチーフを見るというのはなかなか興味深いです。そういう特徴が「取り替え子」だけの特徴なのかというと、それはどうだろうという気もするし、ちょっとこじつけかなと思う部分もあるんですけど、アイルランドにゆかりの作家たちだけに、意識的であれ無意識であれ、そういう伝承系モチーフを自作に転用してるというのは十分考えられますものね。
でもそういう文学的な考察よりも、実際の「取り替え子」の話の方が私にとってはインパクトが強かったです。
「取替え子」という発想自体、実はすごく人間の闇の部分を示してると思うんですよね。この本にも「妖精を見る」ということは「耐え難い苦しみを精神的に乗り越えようとしたり、動揺した共同体の安寧を取り戻すための知恵であり手段だった」とあります。「取替え子」という言葉は、気に入らない赤ん坊や妻をある意味合法的に葬り去る手段にも通じるもの。そもそも自分の子が本当の子供なのか取り替え子なのか見分ける「ぜったい確かなやりかた」とされていたのは、その子供を火の上にかざして、「燃えろ、燃えろ、燃えろ、悪魔のものなら燃えてしまえ、けれど神様、聖者さまの下さりものなら傷つくまい」と唱えるやり方なんですから。もしこの子供が取り替え子だったら、叫び声をあげて一目散に煙突から上に逃げていくそうなんですけど、普通の子だったらどうなるんでしょう。命を取り留めたとしても酷い火傷を負うはず。それって魔女裁判の「水に沈めて浮かんできたら魔女、沈んだら人間」みたいな判定に通じるものがありますよね。結局、普通の人間だったら死んでしまうわけで... 19世紀末には、そんな風に「妖精を見る」ことは社会的・法律的に許されなくなってたそうですが、この本の中で紹介されているブリジット=クリアリーの焼殺事件だって19世紀末の出来事。本当に怖いです。ええと何が怖いって、まずそうやって都合の悪いものを「なかったこと」にしようとすること。そしてそういう集団のヒステリックなパワーかな。一度走り出しちゃったら、もう誰にも止められないんですものね。(平凡新書)

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「音楽と文学の対位法」が新聞書評に取り上げられていた時に引き合いに出されていたのは、「のだめカンタービレ」の中の千秋の「楽譜どおりに弾け!」という台詞。その台詞がきっかけになって、青柳いづみこさんは「のだめカンタービレ」を読むことになったのだそうです。そしてさらに一色まこと「ピアノの森」、さそうあきら「神童」を読むことに。それらの作品は実際にクラシックに携わっている人々にきちんと取材調査した上でかかれたもの。「クラシック界のジョーシキは社会のヒジョーシキ」と言われるほど特殊なしきたりの多いクラシックの世界を、そういった漫画作品を通じて分かりやすく紹介していく本です。

私自身は「のだめカンタービレ」しか読んでないんですけど、メインに取り上げられているのが「のだめ」だったので、すごく面白かったです~。初見や暗譜、楽譜通り弾くという部分はまあ自分の経験からも多少は分かるんですけど、コンクールや演奏会、留学、そしてオーケストラとなるとまるで知らない世界ですしね。この本は、「のだめ」の解説書としてもすごく面白く読めるし、「のだめ」が実はとてもきちんと描かれた作品だということも分かります。のだめの弟が言っていた「不良債権」のこと、のだめのためのハリセンやオクレール先生の選曲のこと、そしてお父さんに愛されなかったのかもしれないターニャとお母さんに愛されすぎたフランクの違い、そして指揮者とオーケストラの関係のことなどなど、とても面白かったです。のだめの弾いている曲は、どれもとてものだめらしかったのですねー!!
そしてもちろん「のだめ」の話ばかりではありません。のだめ以外の話の中で特にへええと思ったのは、国際コンクールは「男の子は音楽なんてやるもんじゃありません!」と反対する親を説得する手段に使われているらしい、ということ。第一回ジュネーヴ・コンクールで優勝したミケランジェリも、第一回ブゾーニ・コンクールで4位入賞したブレンデルも、1960年のショパンコンクールで優勝したポリーニも、家族にピアニストになることを反対されていて、コンクールで優勝もしくは入賞してようやくピアニストになることを許されたんですって。びっくり! 他にもコンクールで弾く時は審査員を敵に回さない弾き方をしなければいけないこととか、青柳いづみこさんご自身の経験を踏まえた留学のエピソードとか... 私も知ってるピアニストの名前も色々登場して、その辺りも興味深かったです。
「のだめ」を愛読してる人にはきっと面白いはず! ぜひぜひ♪(文春新書)


+既読の青柳いづみこ作品の感想+
「モノ書きピアニストはお尻が痛い」「ショパンに飽きたら、ミステリー」青柳いづみこ
「水の音楽 オンディーヌとメリザンド」青柳いづみこ
「ボクたちクラシックつながり」青柳いづみこ
「ピアニストは指先で考える」青柳いづみこ
「指先から感じるドビュッシー」青柳いづみこ
「ピアニストが見たピアニスト」青柳いづみこ
「六本指のゴルトベルク」青柳いづみこ

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フランスに留学中、クラスレッスンで弾いたラヴェルの「オンディーヌ」に「もっと濃艶に歌って弾くように」と注意されたという青柳いづみこさん。実際、その後老若男女様々な国籍のピアニストの「オンディーヌ」に出会うことになるのですが、そのイメージは一貫して「男を誘う女」。しかし青柳いづみこさん持つオンディーヌのイメージは、ドビュッシーのオペラ「ペレアスとメリザンド」のメリザンドのように、人に媚びず、その美しさだけで人を惹きつける女なのです。このことから、青柳さんはオンディーヌとメリザンドについて、そして水の精について考え始めます。

神話や伝承の中の水の精の姿、文学作品の中に見られる水の精、そして「オンディーヌ」と「ペレアスとメリザンド」の物語、それらの音楽が考察されていきます。序盤はこれまで私も好きで読んできた神話や伝承の本の総まとめといった感じ。でも水の精の文学作品の方は、あんまり読んでない... フーケーの「ウンディーネ」(感想)と、ジロドゥの「オンディーヌ」(感想)ぐらいですね。この本を読んでいて読んでみたくなったのは、メーテルリンクの「ペレアスとメリザンド」、キーツの「エンディミオン」、ハウプトマン「沈んだ鐘」、ベルトラン「夜のガスパール」。でも市内の図書館にはどれもないし! ネット書店を調べても絶版本ばかりー。ただ、この本にも「ペレアスとメリザンド」のあらすじは載っていました。そしてどこにも「水の精」だなんて書かれていないメリザンドなのに、なぜ「水」を連想させるのかにもすごく納得。彼女は水そのものだったのか!

この本は同じタイトルのCD「水の音楽 オンディーヌとメリザンド」と同時発売だったそうです。CDに収められているのは、以下の11曲。同時に記念リサイタルも開かれたのだそう。
 「エステ荘の噴水」リスト
 「水の戯れ」ラヴェル
 「水の反映(映像第1集)」ドビュッシー
 「オンディーヌ(夜のガスパール)」ラヴェル
 「オンディーヌ(プレリュード第2集)」ドビュッシー
 「バラード第2番op.38」ショパン
 「バラード第3番op.47」ショパン
 「ローレライ(歌の本)」リスト
 「波を渡るパオラの聖フランチェスコ(伝説)」リスト
 「バルカロール(サロン小品集)」ラフマニノフ
 「シチリアーナ(ペレアスとメリザンド)」フォーレ

本の最終章には、このCDに収録した曲にまつわるエピソードも多数紹介されていて、そちらも興味深かったです。たとえば「水の戯れ」のラヴェルと「水の反映」のドビュッシーの「水」の表現の違い。

ラヴェルがほんの一瞬かすめるようにしか使わなかった全音音階(すべての音が全音関係にある)を、ドビュッシーはよどんだ水を表現するために頻繁に使う。同じように左右の手のすばやい交替でかきならされるアルペジオのパッセージを、ラヴェルは透明感のある長七で、ドビュッシーは不気味な全音音階のひびきで書いているのは象徴的だ。もし、彼らの水を飲めといわれたら、ラヴェルの水は飲めるけれども、ドビュッシーの水は、あおみどろが浮かんでいたりして、あまり飲みたくない、そんな気がしないだろうか?

ドビュッシーの水は、あおみどろ入りですか?!(笑)
こちらのCDも合わせて聞きましたが、本当に水・水・水ばかり。水の揺らめきや煌きがたっぷりで美しかったです。(いや、時にはあおみどろも入ってるんですけど・笑) 青柳いづみこさんのピアノ、好きだわ~。(みすず書房)


+既読の青柳いづみこ作品の感想+
「モノ書きピアニストはお尻が痛い」「ショパンに飽きたら、ミステリー」青柳いづみこ
「水の音楽 オンディーヌとメリザンド」青柳いづみこ
「ボクたちクラシックつながり」青柳いづみこ
「ピアニストは指先で考える」青柳いづみこ
「指先から感じるドビュッシー」青柳いづみこ
「ピアニストが見たピアニスト」青柳いづみこ
「六本指のゴルトベルク」青柳いづみこ

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本当は「窯変」を読み終えてから読もうと思っていた「源氏供養」。我慢できなくて読んでしまいましたー。先日読んだ10巻で源氏の君も亡くなったし、まあいいかなと思って。いや、「窯変」を読んでいると、ものすごく「あとがき」が読みたくなるんです。でも「窯変」に「あとがき」はなくて、あるのは裏表紙の著者の一言だけ。まあ、それはそれでいいとは思うんですよ。白い表紙にフランス映画のワンシーンのような写真、そして各帖の冒頭には1行の言葉とそのフランス語訳があるようなこの本には! でもやっぱり「窯変」の後ろにあるものが色々と知りたくなってしまうんですね。

そして、あとがきを読みたくなるということは、やっぱり「窯変源氏物語」が生まれるきっかけについても知りたかったんだと思うんですけど、この「源氏供養」を読んでみると、「窯変」が生まれた背景には、どうやら瀬戸内寂聴さんの「女人源氏物語」があったようです。

"瀬戸内源氏"では、光源氏という男性を中心にして、それを取り囲む同士年のように語り手の女性達がいます。それぞれに光源氏との距離を取ってぐるりと取り巻くこの構造を見た時、「そうか、源氏物語がなんだかもう一つピンと来なかったのは、光源氏という男がどういう男かさっぱり分からなかったからなんだ!」と私は思いました。

「源氏物語の中で、光源氏は"空洞"として存在している」と。「だったら自分がその空洞の中に入っちゃえ」と、愚かにして無謀なことを考えたのは、この私です。

なるほどー。そういうことだったのか。

「源氏物語」という作品の性格上、この本でも男女の関係を見ていく部分がとても多いんですが(特に下巻はほとんどそれだけかも)、私が面白く読んだのは、源氏物語の中の対句的表現や図象学的解釈。紫式部は漢文学者の娘だっただけあって、「源氏物語」には漢詩的なレトリックが色々と潜んでいるみたい。あとは当時の風俗・習慣その他諸々の解説。身分のことや住まいの場所に関する説明も勉強になったし、桐壺帝の年齢設定とか、弘徽殿の大后を唐代の武則天になぞらえているのも面白かったし。あと「窯変」を書くために、和歌を改変したり、新たに和歌や漢詩、手紙を創作したという部分も興味深いです。やっぱりそうだったのかあ。
本編の「窯変」ほどの密度じゃないし、さらさらと読み流してしまえるような本だったんですけど、「窯変」を踏まえて読むにはやっぱり面白かった。それにあとがきに、源氏物語を映画にしたいと考え「文字による源氏物語の映画化」をしてしまったという言葉があって、これにとっても納得しました。うん、確かに「窯変」ってそういう作品ですよね。
ということで、11巻以降を読むのも楽しみです♪(中公文庫)


+既読の「源氏物語」の感想+
「源氏物語」+「まろ、ん?」小泉吉宏(与謝野晶子訳)
「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「源氏供養」上下 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治

+既読の「源氏物語」関連作品の感想+
「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「輝く日の宮」丸谷才一
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

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イギリスを理解する上で無視することができないのが「階級」という概念。その中でも一括りにされがちな「ミドル・クラス」は実は「アッパー」「ミドル」「ロウアー」という区分に分かれており、その中でも「ロウアー・ミドル・クラス」は、イギリス人の階級に関するこだわりがはっきりと現れる部分。しかしそれらの区分にこだわること自体がスノッブと思われがちなため、敢えて言葉に出したがらないイギリス人も多いのです。そんなロウアー・ミドル・クラスを中心に、イギリスの人々やイギリスの文学を改めて考えていく本。

以前読んだ「不機嫌なメアリー・ポピンズ」もすごく面白かったんですけど、こちらも面白かったです。やっぱりこういう知識は、イギリス文学を読む上では必須ですね。知ってるのと知らないのとでは、もう全然理解度が違ってしまうんですもん。大学の英文科だって、こんなこと教えてくれないし!

そしてイギリスの階級で一番厳しい視線にさらされてるのが、ロウアー・ミドル・クラスということらしいです。上流階級からそういう目で見られるならともかく、同じミドルクラスの中にいるはずの人たちから笑いものにされて、はっきりと線引きされてしまうとは...。
その原因は、まずロウアー・ミドル・クラスの人々の強い上昇志向。中身が伴ってないのに外見的なことだけ上の階級の人たちの真似をすることが「分をわきまえない」と嘲笑されるんですね。そしてこのクラスの人たちが上の真似をして身に着けた生活習慣や趣味、言葉遣いが逆に「ロウアー・ミドル・クラスっぽい」と揶揄されることに...。確かに、無理にお上品ぶる人たちに白い目が向けられるというのは分かる気がするし、それだけならそれほど問題もないはず。でもここで問題なのは、ロウアー・ミドル・クラスの人たちが上のクラスの真似をするのは、必ずしも自分たちの上昇志向のためだけではないということ。たとえば高級商店の店員だったり教師だったりとアッパー・ミドル・クラスと直に接する仕事についていることの多い彼らは、その場に相応しい服装や言葉遣いを求められるというんです。しかも限られた収入の中でやりくりしなくちゃいけないっていうんですから! それで嘲笑されてたら、それはちょっとお気の毒。でもどうやらそういう状況が斟酌されることはないみたい。素朴なワーキング・クラスの方がロウアー・ミドル・クラスよりも魅力的とされているっていうんだから、びっくりです。

そうか、ジェローム・K・ジェロームの「ボートの三人男」は、ロウアー・ミドル・クラスの小説だったのか。ジョージ・ギッシングもロウアー・ミドル・クラスの作家なら、P.G. ウッドハウスの「ジーヴス」も、ロウアー・ミドル・クラスの執事。(カズオ・イシグロの「日の名残り」の執事のモデルはジーヴスなんですって)「タイムマシン」などSF作品で有名なH.G.ウェルズが実はロウアー・ミドル・クラスの小説を沢山書いてたなんていうのもびっくりでした。(中公新書)


+既読の新井潤美作品の感想+
「不機嫌なメアリー・ポピンズ」新井潤美
「階級にとりつかれた人々」新井潤美

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先日吉岡幸雄さんの「日本の色辞典」(感想)を読んだ時に、改めて読みたいと思っていた「源氏物語」。古典中の古典だけあって、本当にいろんな方が書いてらっしゃるんですよね。私も漫画を含めていくつか手にしたことはあるんですが、最後まで読んだものがあるかどうか...。改めて調べてみると色んなのがあって、どの版にするか迷ってしまいましたよー。今回読みたいなと思ったのは、翻案作品ではなくなるべく原典に近いもの。となると与謝野晶子訳か谷崎潤一郎訳か... はたまた円地文子訳というのも気になるし、玉上琢彌訳というのはどうなんだろう? 一番みやびな日本語になってるのは谷崎潤一郎訳かもしれないな... でも歌人の与謝野晶子の訳というのも捨てがたいし... 円地文子も評判いいみたいだし... などなど激しく迷いつつ、結局与謝野晶子訳を選んでみました。

結果的に、与謝野晶子訳はとても読みやすかったです。昭和13年の現代語訳だから適度に風情もありますしね。和歌の解釈がないんですけど、これも雰囲気で読めちゃう。でも源氏が生きている間の話は面白く読んだんですが、「宇治十帖」に入ってからは集中力が途切れてしまって... ちょっと斜め読みになっちゃいました。(^^ゞ
そして「まろ、ん?」は「大掴源氏物語」という副題の通りの本。源氏物語のそれぞれの1帖を長いものも短いものも見開き2ページの8コマ漫画にしてしまっていて、これ1冊で源氏物語の概要が分かってしまうというスゴイ本です。(笑) これは以前にも読んでいるので再読。
源氏系は栗顔(まろ→まろん→栗)、頭中将系は豆顔になってるので人間関係も掴みやすいし、登場人物系図や主な官位表もその都度登場するので、ほんと分かりやすいんです。それに小泉吉宏さん、概略を書くのが上手いし~。与謝野晶子訳を読みながら自分がちゃんと理解できてるか、こちらの本で復習しつつ読んだのでした。

「まろ、ん?」で一番「おおっ」と思うのはこの部分。

秘め事が知れたら恋人や妻を苦しめるというのに それを告白することが誠実なことだと思っている人がいる。だがそれは自分の罪悪感から解放されたいと思っているだけだ。つまり甘えているだけである。

こういうところを読むと、そうだ「ブッタとシッタカブッタ」やなんかを書いてる人だったんだわーって改めて思い出します。(笑)

今度は谷崎源氏を読んでみたいな。(角川ソフィア文庫、幻冬舎)


+既読の「源氏物語」の感想+
「源氏物語」+「まろ、ん?」小泉吉宏(与謝野晶子訳)
「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治

+既読の「源氏物語」関連作品の感想+
「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「源氏供養」上下 橋本治
「輝く日の宮」丸谷才一
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

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既に毎夏の恒例行事となってるんですが、夏になるとどうしてもPCの調子が悪くなってきて困ります。先日とうとう再インストールしてしまいましたよー。それもあって、どうも本の感想を書くのが追いつきません... いや、連日のこの暑さで読書もそれほど進んでいないのですが。

この二階堂善弘氏、中国物関係のサイトを持ってらっしゃるとあったので、てっきり中国物好きの素人さんかと思っていたんです。文章も読みやすく分かりやすくまとまってたし、2冊とも「西遊記」と「封神演義」が中心になっていますしね... ってそれは偏見?(笑) そしたらなんと、関西大学の教授先生だったんですねー。道理でふとしたところで知識の深みを匂わせていたわけだ! でもそんな風に知識の深さを感じさせつつもマニアックに走ったりせず、むしろ全体像を概観できるように表層がきれいにまとめられているという感じの本でした。この2冊では「中国の神さま」の方が、民間信仰系、道教系、仏教系と、数多い神さまが系統立って要領良く紹介されていて良かったかな。中国物を読みながら、ふと調べてみるのに丁度いいかも。対する「中国妖怪伝」は、それほど「要領良く」という感じではないですね。知名度も高く、ある程度確立した存在の「神さま」に対して、妖怪は特定のお話の中にしか登場しない存在のことが多いので、仕方ないんだけど。
ただ私、「西遊記」は何度も読んでるので神さまも妖怪もお馴染みだし、登場してると嬉しいんですが、「封神演義」は読んだことがないんですよね... 以前読もうとしたことはあったんですが、丁度宮城谷昌光さんの「王家の風日」を読んだところだったので、同じ登場人物が共通してるだけに雰囲気の違いについていけなくて。(あまり覚えてないんですが、文章もダメだったのかも) 中国・台湾での知名度と人気ぶり、影響度を考えると、一度読んでみなくっちゃとは思ってるんですが...。(平凡社新書)

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李白に引き続きの「ビギナーズ・クラシックス中国の古典」。老荘思想には以前からちょっと興味があったので読んでみたんですが、孔子の「論語」を読んだ時みたいには楽しめなかったなあ。老子はなんだか抽象的なことばかり言ってるし... 実際、彼の説く「道」というのは簡単に言葉にできるようなものではないとのことなので、それも致し方ないんでしょうけど、読んでいても大きすぎるというか、深遠すぎてなかなか響いて来なかったです。それに比べると荘子の方がもうちょっと地上の人間に近い感じかな。具体的な分、分かりやすいですね。
このシリーズは、あと「 韓非子」と「 杜甫」があるんですが、そちらは未購入。せっかくだし、やっぱりこの2冊も買っておいた方がいいかしら。「韓非子」は、また読むのにちょっと苦労しそうかな? やっぱり「 杜甫」だけにしておくかなあ。(角川ソフィア文庫)


+関連シリーズ作品の感想+
「論語 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」加地伸行
「陶淵明 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」釜谷武志
「李白 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」筧久美子
「老子・荘子 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」野村茂夫
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

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酒を飲み、月を愛で、鳥と遊び、放浪の旅を続けた李白。杜甫と並ぶ唐代の詩人であり、「詩聖」と呼ばれる杜甫に対して「詩仙」と呼ばれる李白の詩69編を、李白の生きざまや人となりを交えて分かりやすく解説した本。

以前、同じ角川ソフィア文庫のビギナーズで「論語」と「陶淵明」を読んで、李白の本も買っていたんですが、ずっと積んだままでようやく読みました。原文と読み下し文、訳、そして訳の解説が載ってるんですが、かなり初心者向けで読みやすいシリーズなんですよね。今回の李白に関しては、時々「コンパ」だの「デート」だの妙に砕けた訳があって、そんな時は「雰囲気が壊れるからやめてくれー」と思ってしまったんですが... いくら初心者向けでも、ここまで砕いてもらわなくても。(汗)
唐の玄宗皇帝の時代に生き、仙人になりたいという夢を持ちつつ、自らの詩文の才能で世の中に出たいと思い続けていた李白。その夢はなかなか叶うことがなくて、しかもようやく叶ったかと思えば、わずか1年で失脚。そういう意味では不遇の人生を送っていたようです。実際に作品を読んでいると、飄々として大らかながらも、その奥には哀愁を感じてしまうような詩が多かったです。そういうところに、李白の人生が出ているのかな。
「月下独酌」を始めとして好きな詩はいくつかあるんですが、今回特にいいなと思ったのはコレ。

静夜思  (静かなる夜の思い)

牀前看月光  (牀前 月光を看る)
疑是地上霜  (疑うらくは 是れ 地上の霜かと)
挙頭望山月  (頭を上げて 山月を望み)
低頭思故郷  (頭を低れて 故郷を思う)

秋の静かな夜に月を眺めながら望郷の念に駆られる詩です。(角川ソフィア文庫)


+関連シリーズ作品の感想+
「論語 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」加地伸行
「陶淵明 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」釜谷武志
「李白 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」筧久美子
「老子・荘子 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」野村茂夫
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

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たったの一言口をきいただけで、出身階級が分かってしまうというイギリス英語。そして外見について何らかの評価を下す以前に、その人間の属する階級を無意識のうちに考えてしまうというイギリス人。文学作品を読めば、登場人物の住んでいる場所や読む新聞、食べる物、言葉遣い、仕事や学歴などの情報から階級がはっきり読み取れるようになっているといいます。なので文学をテレビや映画など他の媒体に移す時は、階級とアクセントが切っても切り離せない問題。イギリスの階級にはアッパークラス、ミドル・クラス、ワーキング・クラスという大きな分け方がありますが、この本では特にミドル・クラスを「アッパー・ミドル」「ミドル・ミドル」「ロウアー・ミドル」と分けて、その観点からイギリスの文学や映画を論じていきます。

いやあ、面白かった! 著者の新井潤美さんは小学校時代からもっぱら海外で教育を受けた方のようで、イギリスのアッパー・ミドル・クラスやロウアー・ミドル・クラスの寄宿学校も経験されてるんですよね。イギリスの階級を肌で感じる生活を送ってきた方だけに、具体的な例を挙げての説明にはとてもリアリティがありました。私もイギリス人作家の作品は今までも結構読んでますが、細かい階級について知らずに読んでいた部分が多かったので、ものすごく勉強になりましたー。しかも最近、ジェイン・オースティンの作品を何作か立て続けに読んだところでしたしね。それらの作品で一貫して描かれているアッパー・ミドル・クラスの人々や、同じ階級内でも微妙な上下関係とやそのこだわりぶりがとても良く理解できて面白かったです。なんで「エマ」で、主人公のエマが私生児のハリエットをそれほど引き立てていたかも分かったし、そもそもなんでそういう設定が使われていたかも分かったし。
それにそういった作品に出てくる住み込みの女性家庭教師(ガヴァネス)、メアリー・ポピンズみたいな乳母(ナニー)、そして「レベッカ」の主人公がしていたようなコンパニオンの話もすごく面白かったです。「ガヴァネス」は良家の子女を教育する仕事。「コンパニオン」は裕福な独身女性や未亡人の身の回りの世話をしたり、話し相手になるという仕事。通常、アッパー・ミドル・クラスかそれ以上の階級の独身女性が、家の事情などによってやむを得ずつく仕事で、普通の使用人よりも一段上の存在なのだそうです。それに対して、両親の代わりに子供を躾ける「ナニー」はワーキング・クラスやロウアー・ミドル・クラス出身者が一般的で、自分自身が教わったこともないマナーや話し方を仕込まなければならなかったのだそう。映画の「メアリー・ポピンズ」では、メアリー・ポピンズがやけに優しくて愛想が良くて違和感だったんですけど、やっぱり本のつっけんどんなメアリー・ポピンズこそが典型的な「古き良きナニー」だったんですねっ。
どの章もそれぞれに面白くて、ここには書ききれないぐらい。この本の中では、文学作品だけでなくて、そこから映画化された作品のことも例に挙げて、その階級へのこだわりがどんな風に反映されているか(あるいはされていないか)なんていう考察もあって、本好きさんだけでなく、映画好きの方にも楽しめる1冊なのではないかと♪

取り上げられている文学作品
I.ラヴ・コメディ今昔...
  「エマ」(ジェイン・オースティン)、「ブリジット・ジョーンズの日記」(ヘレン・フィールディング)(オースティン「高慢と偏見」も)
II.働く女たち...
  「ジェイン・エア」(シャーロッテ・ブロンテ)、「メアリー・ポピンズ」(P.L.トラヴァース)、「レベッカ」(ダフネ・デュ・モーリア)
III.階級と男たち...
  「大いなる遺産」(チャールズ・ディケンズ)、「眺めのいい部屋」(E.M.フォースター)、「コレクター」(ジョン・ファウルズ)
IV.イギリス人が異世界を描けば...
  「タイム・マシン」(H.G.ウェルズ)、「時計じかけのオレンジ」(アントニー・バージェス)、「ハリー・ポッター」(J.K.ローリング)
V.マイノリティたちのイギリス...
  「日の名残り」(カズオ・イシグロ)、「郊外のブッダ」(ハニーフ・クレイシ)

これらの作品を元にして作られた映画も併せて取り上げられています。(平凡社新書)


+既読の新井潤美作品の感想+
「不機嫌なメアリー・ポピンズ」新井潤美
「階級にとりつかれた人々」新井潤美

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全集の第3巻。20世紀フランスを代表する作家の1人、マルグリット・ユルスナールの作品や登場人物、そしてユルスナール自身に、自分自身の軌跡に重ね合わせていくエッセイ「ユルスナールの靴」。旅を通して出会った様々な人や訪れた街。そこで出会った建造物について書いた12のエッセイ「時のかけらたち」。ユダヤ人たちが高い塀に閉じ込められるようにして住んでいたゲットと呼ばれる地区、トルチェッロのモザイクの聖母像、コルティジャーネと呼ばれる高級娼婦など、主に水の都・ヴェネツィアの影の部分を訪れた旅と記憶の旅「地図のない道」。そして1993年から1996年にかけての18編のエッセイ。

全集の中でも、妙に読むのに時間がかかってしまった1冊。でも決して読みにくかったのではなくて、なんだか思考回路がどんどん広がりすぎてしまったせい。特に「ユルスナールの靴」は、ユルスナールの作品を実際に自分で読まなければという焦燥感に駆られてしまって... 結局は読まずに1冊手元に用意しただけで終わってしまったのだけれど。
その「ユルスナールの靴」の冒頭はこんな文章。

きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。

次の「時のかけらたち」は、実際に足が踏みしめて歩くことになる石畳の道の話がとても印象的だったし、「地図のない道」は、人間としての足場や立ち位置を考えさせられるしエッセイ。この3巻は、「足」がテーマとなるものばかり集めたのかな?
意外な収穫だったのは、「時のかけらたち」の「舗石を敷いた道」の章で語られる「アエネーイス」の話。これは、須賀さんが日本に帰ってしばらくすると、歩きにくいはずの舗石の道が無性に懐かしくなるという話が発展して、ウェルギリウスの「アエネーイス」の中の描写へと話が広がるんですけど、以前「アエネーイス」を読んだ時に納得しきれていなかった部分が、須賀さんの文章を読んですとんと腑に落ちてしまいました... とは言っても、「アエネーイス」にはそんな部分が多かったので、まだまだ理解しきれてないのだけど。でもやっぱり日本語にするとウェルギリウスらしさや良さがさっぱりなくなってしまうみたいで、その辺りにも納得。って、自分の読解力や理解力を棚に上げて勝手なことを言ってるのは重々承知ですが。(笑)
須賀さんの「アエネーイス」の講義、聴きたかったな~。(河出文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「須賀敦子全集1」須賀敦子
「須賀敦子全集2」須賀敦子
「須賀敦子全集3」須賀敦子
「須賀敦子全集4」須賀敦子
「須賀敦子全集5」須賀敦子
「須賀敦子全集6」須賀敦子
「須賀敦子全集7」須賀敦子
「須賀敦子全集8」須賀敦子

+既読の須賀敦子作品の感想+
「トリエステの坂道」須賀敦子
「本に読まれて」須賀敦子
「ヴェネツィアの宿」「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子

+既読の須賀敦子翻訳作品の感想+
「インド夜想曲」アントニオ・タブッキ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「ある家族の会話」ナタリア・ギンズブルグ

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須賀敦子さんの全集の文庫版第6巻は、ナタリア・ギンズブルグ論、イタリア中世詩論、イタリア現代詩論、文学史をめぐって、という4章に分けられた「イタリア文学論」と、須賀さんが邦訳したナタリア・ギンズブルグ作品、アントニオ・タブッキ作品、そしてイタロ・カルヴィーノの「なぜ古典を読むのか」につけられたあとがきを集めた「翻訳書あとがき」。

これまで読んだ全集の1巻と4巻は、一般人向けのエッセイということもあってとても読みやすかったのだけど、こちらの6巻は、「翻訳書あとがき」はともかく、もっと専門的でちょっととっつきにくかったかも。特に「イタリア文学論」の中のイタリア中世詩と現代詩。ここに紹介されてる作家なんて、全然と言っていいほど読んでないですしね... かろうじて、ダンテの「神曲」ぐらいですね。ウンベルト・サーバを始めとするイタリア現代詩人の名前は、須賀さんのエッセイを通じて名前を知った程度だし。しかも中には研究論文らしき文章も混ざってるので、難易度がかなりアップ...。須賀さんの訳でいくつかの詩が読めるのは、とても嬉しかったんですけどね。紹介されている作品に対する須賀さんの愛情がひしひしと感じられるだけに、自分の知識のなさがクヤシくなってしまいます。あ、でもナタリア・ギンズブルグ論はとても面白くて、「ある家族の会話」をぜひとも読んでみたくなりました! あと、アントニオ・タブッキも結局まだ「インド夜想曲」しか読んでないので、他の作品も読みたいなあ。
それと、詩論では原文が沢山紹介されてるんです。(日本語の文章の中にイタリア語が多用されてるのも、素人には読みにくい一因なんですが) 実際にイタリア語での朗読が聴いてみたい! イタリア語って本当に音楽的な言語だし、意味が分からないなりにも豊かに感じられるものがありそうです。(河出文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「須賀敦子全集1」須賀敦子
「須賀敦子全集2」須賀敦子
「須賀敦子全集3」須賀敦子
「須賀敦子全集4」須賀敦子
「須賀敦子全集5」須賀敦子
「須賀敦子全集6」須賀敦子
「須賀敦子全集7」須賀敦子
「須賀敦子全集8」須賀敦子

+既読の須賀敦子作品の感想+
「トリエステの坂道」須賀敦子
「本に読まれて」須賀敦子
「ヴェネツィアの宿」「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子

+既読の須賀敦子翻訳作品の感想+
「インド夜想曲」アントニオ・タブッキ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「ある家族の会話」ナタリア・ギンズブルグ

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文化出版局の「すてきなお母さん」誌に連載されていたというエッセイを1冊の本にまとめたもの。I章「本の中の子供」、II章「夢を追う子ら」に分けて、様々な児作家たちをとりあげています。I章で取り上げられているのは、女性作家。ローラ・インガルス・ワイルダー、エリナー・ファージョン、ヨハンナ・シュピーリ、ケート・グリーナウェイ、ルイザ・メイ・オルコット、ルーマー・ゴッデン、ビアトリクス・ポター、ジョルジュ・サンド、イーディス・ネズビット、セルマ・ラーゲルレーヴ、メアリ・シェリィ、ベッティーナ・フォン・アルニムの12人。II章で取り上げられているのは男性作家で、マーク、トウェイン、ルイス・キャロル、オスカー・ワイルド、ジュール・ヴェルヌ、ジョナサン・スウィフト、宮沢賢治、巌谷小波の7人。

児童文学論というよりも、これは作家論なんですね。19人の作家たちの生い立ちや家族に迫って、それが作品に与えた影響を考えていくエッセイ。この作家のうち、全然読んだことのないのは巌谷小波だけだったんですが、私ったら今まで作家のことなんて本当に何も知らずに読んできたんだなあと、ちょっと愕然としました。この中でも、特にファージョンやオルコット、ジョルジュ・サンド、キャロル、ヴェルヌ辺りは、何度読んだか分からないほど読み返しているのに! もちろんローラ・インガルス・ワイルダーの作品はそのまま彼女の歴史でもあるわけだし、ファージョンのように、「ムギと王さま」のまえがきで「本の小部屋」のことに触れていることから、読書一家の中で相当本を読んで育った人なんだろうなと想像できていた作家もいるんですが。

男性作家と女性作家と章が分かれてるんですが、特に女性作家の章が興味深かったです。例えば、ローラ・インガルス・ワイルダーの章。ローラの生活は、全て手作りです。家も家具も服も日用品も食べ物も全部手作り。外は荒々しい自然そのままの世界だけど、一旦家の中に入ってしまえば、そこはお母さんの手によってきちんと整えられていて、手作りの暖かさと家族の愛情で満ち溢れていて... そこがこのシリーズの人気の1つでもあるはず。でもそこで矢川澄子さんは

手作りの味わいはたしかに捨てがたい。ただしそれはあくまでも現代、二十世紀後半のわたしたちにとっての話であって、フロンティアの開拓者たちはかならずしもそう考えてはいなかったことをよくよく顧みなければならぬ。

と書いてるんですね。実際、この作品は1950年代から邦訳されていたらしいんですが、まだ戦後の荒廃の記憶も生々しい50年代にはあまり読まれることもなく、注目を集めるようになったのは、ようやく70年代になってからだったのだそう。確かに、戦後の窮乏を知っている人間にとっては、かなりキツい作品だったのかもしれませんね...。手作りを趣味として楽しむことができるなんて、確かに今の時代ならではのことと言えますし。このシリーズを読んだ時はまだ小学生だったから仕方ないんだけど、そんなこと全然考えてなかったなあー。
でもあの一連の作品の中で、ローラのお父さんが初めて脱穀機を使った時の言葉は、今でも鮮明に覚えてます。

機械ってものはたいした発明だよなあ! 旧式なやりかたのほうがいい連中は、かってにそうするがいいが、わたしは進歩派だよ。われわれはすばらしい時代に生きているんだ。

決して手作り・手作業信奉者じゃないんですよね。
ここで様々な作品の背景を知ってみると、その作家たちの作品がまた別の視点で味わえそうです。そうでなくても、子供の時の視点とはまた違う目で読めるでしょうしね。改めて、子供時代好きだった色んな本を読み返してみたくなっちゃいました。 (ちくま文庫)


+既読の矢川澄子作品の感想+
「わたしのメルヘン散歩」矢川澄子
「兎とよばれた女」矢川澄子

+既読の矢川澄子翻訳作品の感想+
「七つの人形の恋物語」「スノーグース」ポール・ギャリコ
「トンデモネズミ大活躍」「ほんものの魔法使」ポール・ギャリコ
「小鳥たち」アナイス・ニン
「フィオリモンド姫の首かざり」ド・モーガン
「風の妖精たち」「針さしの物語」ド・モーガン
「ザ・ロンリー」ポール・ギャリコ
「「きよしこの夜」が生まれた日」ポール・ギャリコ
「ゴッケル物語」クレメンス・ブレンターノ
「妖精の国で」W.アリンガム&リチャード・ドイル
「クリスチナ・ロセッティ詩抄」クリスチナ・ロセッティ
「タイコたたきの夢」ライナー・チムニク

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アーシュラ・K・ル=グウィンによる、ファンタジー・SF論。各地で行われた講演会やエッセイのために書かれた原稿を集めたものです。「夜の言葉」というタイトルは、「わたしたちは、人間は昼の光のなかで生きていると思いがちなものですが、世界の半分は常に闇のなかにあり、そしてファンタジーは詩と同様、夜の言葉を語るものなのです」という言葉からきたものなのだそう。

ル=グウィンの本は「ゲド戦記」以外あまり読んでいないし、SFに苦手意識を持つ私は、傑作と名高い「闇の左手」も今ひとつだったんですが、この本はとても面白かったです。でもファンタジーやSFファンにとっても、すごく興味深く読める本だと思うんですけど、どちらかといえば創作をする人にとって勉強になる本なのかも。
その創作という意味で一番印象に残ったのは、ファンタジー作品の持つべき文体に関して語っている「エルフランドからポキープシへ」という章。ほんの数箇所の言葉を変えるだけで、エルフランドの話のはずがワシントンDCを舞台にした現代小説に変わってしまう例や、E.R.エディスン、ケネス・モリス、J.R.R.トールキンの3人の文を例に出しての話で、この辺りは本当は原文で読まなくちゃきちんと理解できないだろうと思うんですが、すごく興味深かったです。あと、フリッツ・ライバーとロジャー・ゼラズニイの2人が口語体のアメリカ英語と古文体を場面に応じて使い分けてるとした上で、こんなことを書いていました。

シェイクスピアに深く精通し、きわめて広範なテクニックを展開しているライバーが、いかなるものであれ、雄弁にして優美なる一定の調子を保ちつづけられないはずがないのは百パーセント確かだというのに。ときどきわたしは考えこんでしまいます。この二人の作家は自らの才能を過小評価しているのではないか、自身に対する自信を欠いているのではないか、と。あるいは、ファンタジーがシリアスに取り上げられることがほとんどないこの国のこの特異な時代状況が原因で、二人ともファンタジーを真面目に考えることを恐れているのかもしれない。

確かにフリッツ・ライバーの作品の訳は時と場合に応じて変わっていたような覚えがありますが... 日本語訳だけしか読んでないとそんな風にすごい人だとは、なかなか分からないわけで。そうだったのか。ちょっとびっくり。
あとは、「善」と「悪」の二勢力の単純な対立と思われがちな「指輪物語」において、たとえばエルフにはオークが、アラゴルンには黒い騎手が、ガンダルフにはサルーマンが、フロドにはゴクリが、というように輝かしく見える人物もそれぞれに黒い影を伴っているという話は、「ゲド戦記」の第1巻を思い起こさせて興味深かったし、他にも色々と「ほおお」と思う部分がありました。この場ではちょっとまとめにくいんですけどね。(岩波現代文庫)


+既読のアーシュラ・K・ル=グウィン作品の感想+
「闇の左手」アーシュラ・K・ル・グイン
「ゲド戦記」アーシュラ・K・ル=グイン
「夜の言葉」アーシュラ・K・ル=グウィン

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みなみらんぼう、桂宥子、猪熊葉子、井村君江、鷲津名都江、森省二、上野瞭、小原信、横川寿美子、田中貴子、吉田新一、松田司郎という、児童文学やファンタジーに造詣の深い12人によるファンタジー論。タイトルに「大学」なんてついてますが、堅苦しいものではなくて、むしろ一般向けの特別講習みたいな感じですね。

色々面白い話があったんですけど、その中で「へええ」と思ったのは、横川寿美子さんの「アヴォンリーという名のファンタジーランド 赤毛のアンの世界」。全体の要旨は「赤毛のアン」の物語の中の「ほっとした気分になれる」要素とは何かという、私としてはそれほど興味を引かれないものだったんですが、アヴォンリーという場所の特異性が指摘されてたのが面白かったです。「赤毛のアン」といえば、そこから派生してプリンスエドワード島の写真集なんかも出てることからも分かるように、いつか行ってみたいと思う人がすごく多い場所。アンは色んな場所を見ては感激して、自分だけの呼び名をつけているし、とても美しい場所だというイメージがあります。でもアヴォンリーではあれだけ景色の描写が念入りにされているのに、物語の冒頭はそうでもないんですよね。マシュウがアンを迎えに行った駅とか、そこから馬車に乗って眺めた景色とか、そういうのは全然描かれていないんです。
どこからあの描写が始まるかといえば、それは「歓喜の白い路」のりんごの並木道から。横川寿美子さんいわく、赤毛のアンの世界では、ここが外界とアヴォンリーを結ぶトンネルとなっていて、アヴォンリーはファンタジーランドの性質をそっくり持った異界となっているのだそうです。ファンタジーランドなのは、アヴォンリーを中心にせいぜい5マイル程度。時にはその外の世界へと出かけることはあるけれど、外に出てしまうとやっぱりまた描写がなくなってしまうのだとか。...そうなんですか! 最初に駅に着いてから途中までの描写が全然ないのは気づいてたし、アヴォンリーに着いた時のアンの感激を際立たせるためかなあ、なんてぼんやり思ってたんですけど、なんとアヴォンリーがファンタジーランドだったとは。これは今まで考えもしませんでしたが、あり得る話ですね。面白いなあ。

そのほかの論も、トールキンやルイス・キャロル、マザーグースやマッチ売りの少女、ピーター・パン、星の王子さま、宮澤賢治など、誰もが知ってるような身近な作家や作品を取り上げていて、なかなか面白かったです。(DHC)

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日常&読んだ本logのつなさんが読んでらして、気になった本。(記事) 宮澤賢治作品といえば、本当に有名どころしか読んでないのに大丈夫かしら、という心配もあったんですが、結果的には全然問題ありませんでしたー。良かった。知らない本が沢山出てくると「読みたい、でも読めない」で妙に苦くなることがあるんですけど、この本はそれほど作品を知らないながらもとても楽しめたし、穏やかに「ああ、また今度改めて読んでみよう」という感じ。もちろん、紹介されてる本が読みたくてうずうずするようなのもいいんですけどねー。今の私の気分にはちょっとツラいので。で、この本の表紙を見た時に「迷宮レストラン」(感想)を思い出したんですけど、数々の料理が鮮やかな写真で紹介されていた「迷宮レストラン」(とても綺麗でした!)とは一味違って、こちらは表紙と同じ出口雄大さんの挿画がとても柔らかくて、これも素敵でした。
後に菜食主義で粗食になってしまう宮澤賢治ですが、意外とハイカラで贅沢で新し物好きだったんですね。育ったおうちもなかなか裕福だったようですし。言われてみたら、確かに裕福な生活を知らなければ書けないような部分も多かったなあと思うんですが、実際には「雨ニモマケズ」のイメージが強いのでちょっとびっくりでした。生前には作品は全然売れなかったと聞いてましたしね。今は当たり前のようにあっても、当時はきっと贅沢だったりハイカラだったりしたんだろうなあというものや、その頃の日本人はあまり好まなかったという食べ物がいっぱい登場します。食に対する冒険心があった人なんですね。例えば「ビフテキ」「サンドヰッチ」といった言葉からも、そんなハイカラな雰囲気が伝わってきますね。そして忘れちゃいけないのは、幻想的な食べ物や飲み物。「チュウリップの光の酒」、飲んでみたーい。

そしてこの本を読んでいて一番読みたくなった宮沢賢治作品は、「十力の金剛石」。角川文庫版「銀河鉄道の夜」に入ってたので、これだけは読んでみました。これは、王子が大臣の子と虹を追いかけるうちに一面の宝石の世界に迷い込む話。ここではトパァズやサファイアやダイアモンドの雨が降り、野原には天河石(アマゾンストン)の花に硅孔雀石(クリソコラ)の葉を持つりんどう、猫睛石(キャッツアイ)の草穂、かすかな虹を含む乳色の蛋白石のうめばちそう、碧玉の葉に紫水晶の蕾を持つとうやく。琥珀や霰石(アラゴナイト)の枝に真っ赤なルビーの実を持つ野ばら。それだけ美しい場所なのに、草も花も「十力の金剛石」がまだ来ないので「かなしい」と歌うんですね。みんなが待ち望む「十力の金剛石」とは一体何なのか...
宝石の場面もワクワクしますし(漢字で書く宝石名が、また好みなんです♪)、その後の優しい情景もとても素敵です。(平凡社・角川文庫)


+既読の宮澤賢治作品の感想+
「宮澤賢治のレストラン」中野由貴 「銀河鉄道の夜」宮沢賢治
「注文の多い料理店」「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」宮沢賢治
「ざしき童子のはなし」「よだかの星」「風の又三郎」「水仙月の四日」宮沢賢治・伊勢英子

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amazonの本の紹介によると、
「指輪物語」「ゲド戦記」「ナルニア国ものがたり」。子どもたちを、そして今や大人たちをも惹きつけてやまない、魔法ファンタジーの不思議な魅力の秘密を解きほぐしていく。伝承の世界にその系譜を探り、細部のリアリティにその力を見出し、さらにそこには危険な罠すらひそんでいることも明らかにする、本格的な案内の書。
とのこと。脇明子さんの訳してらっしゃるファンタジー作品を何冊か読んでいるので、手に取ってみたんですが...

書かれていることに頷ける部分もあるし、「ゲド戦記」や「指輪物語」「ナルニア」についても興味深いことが書かれていたのに、しかもせっかくケルト神話やアーサー王にも触れられていたのに、なんかカチンと来てしまって、あまり楽しめなかったです...
なんだか上から目線の決めつけが多いように感じてしまったんですよね。例えば、ライトノベルやゲーム、アニメを十把一絡げに切り捨ててみたり。「ご都合主義のライトノベルの類が、読むに値しない本であることはかんたんに説明できる」とかね。いや、ライトノベルにご都合主義の作品は多いのかもしれないし、批判するのはいいんです。でもね、この方は、本当にライトノベルを読まれたことがあるのかしら? 1冊や2冊手に取ってみただけで、他の人から話を聞いただけで、全体を批判してしまってるのでは? そんな印象を受けました。私もあまり詳しくないですけど、私自身が読んだいわゆるライトノベルと呼ばれるレーベルの作品は、ご都合主義の作品ばかりじゃなかったですよ! 確かに一部を見て全体が分かることだってあるけれど、この方の場合は、一部から全体像を決め付けすぎのように感じられてしまいます... それもきっと、上から目線だからなんだろうな。主観的な意見が、既成事実であるかのように書かれているのも気になるし。
そしてもう1つ。「読むに値するファンタジー」の話は沢山出てくるんですけど、そうでない作品、脇明子さんが「とうていいいとは思えないようなファンタジー作品」とは何なのかというのが書かれていないところも疑問。これはきちんと書いて欲しかった。なぜ「具体的に作品名を挙げるわけにはいかない」のか私には理解できなかったし、具体的な作品名がない限り、読者が自分でその作品のことを改めて考えることもできないわけじゃないですか。具体的な作品名を挙げることによって様々な問題も出てきてしまうのかもしれないけど、ここまで書いておいて、それは中途半端ですってば。そういう部分が抜けてるから、この本全体が上っ面だけのことに見えてきてしまうのではないかしら。なんて思いました。エンデの「魔法のカクテル」とダールの「チョコレート工場の秘密」についての否定的な意見は、きちんと書かれてたんですけどね。

ただ、これだけは絶対的に同意できるというのがありました。それは、「ナルニア」は全7巻を一気に読むのではなく、1冊ずつじっくりと読み返して、馴染んでから次に進んだ方がいいということ。「たとえ最後で裏切られたように感じても、それまでにゆっくりと育ててきた愛情が色褪せてしまうことはなかっただろう」というのは、まさにその通りだと思いますね。そういう意味でも、子供の間に読んだ方が幸せな本の1つだと思います。...でもだからって、「ナルニア」のこの激しいネタバレは許されないですけどね! 「ナルニア」を最後まで読んでない方は、読まない方が身のためです。(岩波新書)

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世界中で愛されているイギリスの伝説上の義賊・ロビン・フッド。そのロビン・フッドがまず現れたのは、イギリス中世のバラッドでのこと。その後、ルネサンス演劇に登場し、近代のバラッドに歌われ、音楽劇やパントマイムとなり、詩や小説に描かれ、児童文学となり、何度も映画化されています。最初はヨーマン(自作農)出身のアウトローとして描かれていたロビン・フッドが、16世紀後半には「ハンティンドン伯爵」の仮の姿とされるなど、徐々にその姿を変容させていくことに注目し、様々な媒体の中に登場するロビン・フッドの姿を追っていく本です。

私が最初に読んだロビン・フッド物は、ハワード・パイルの「ロビン・フッドのゆかいな冒険」。これにはマリアンは登場しないので、マリアンが初めて登場したのはルネサンス以降だと聞いても、「へー、そうだったのか」程度。こういう作品で、時代が進むに連れてだんだんメンバーが豪華になっていくのはよくある話ですものね。でも、最初は庶民中の庶民として描かれていたロビン・フッドが、いつしか「実は伯爵だった」みたいな描かれ方をするようになったというのは、正直あまり嬉しくないかも...。ロビン・フッドは、やっぱり陽気で楽しくて、誰にも負けないぐらい強くって(時々負けるけど)ってところがいいんです。上品な貴族になっちゃったロビン・フッドなんて見たくなーい。
とまあ、知らなくても良かった部分を知ってしまったこともあり、えーと、私はロビン・フッドの何を知りたいと思ってたんだっけ。と、読後ちょっと考え込んでしまいました... 全体的な掘り下げ方も物足りなかったし、私としては読む必要がない本だったかも。とはいえ、ロビン・フッド関連の作品がものすごく沢山紹介されているので、その面ではとっても参考になりました。(岩波新書)

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先日「アーサー王の剣」を読んだ時に、日常&読んだ本logのつなさんに教えて頂いた本。エロール・ル・カインの画集とされていますが、むしろムックと言った方が相応しいと思います。エロール・ル・カインの紹介と共に絵が沢山収録されていて、未訳の絵本の絵も見られるのが嬉しいところ。時には純粋に西洋風だったり、時には東洋風のエキゾチシズムたっぷりだったり、その絵柄は自由自在。日本的な絵も描いてるんですよー。日本では出されてないんですが、「竹取物語」にはもうびっくり。まさに日本で描かれた絵本に見えます。まるで弁慶みたいな男性が欄干を上ろうとしている絵なんかもありました。(笑) 中国のお話の絵本は、もう中国の絵としか言いようがないし...。タッチも色使いもまさに、です。シンガポールで生まれ、インドに育ち、その後英国に渡ることになったというエロール・ル・カインの中には、あまり芸術的な国境は存在しなかったのかもしれないですね。
ヨーロッパ的色調の濃いハリウッド映画を見て育ち、そこから様々な影響を受けたというエロール・ル・カイン。「ニールセンやデュラック、ピアズリーの作品を初めて見たとき、それに影響されるというより僕はこう感じました。これは僕の世界だ。前から知っていた世界だと。」「僕はいいところだけをかすめとるカササギみたいなものです」という言葉が印象的でした。その構図の上手さも映画仕込みなのでしょうか。どの作品にも濃やかな気配りがされていて、文章以上に絵の方が雄弁だと言えそうなほどなのがすごいです。しかもこのユーモアセンス、好き♪

折りたたみ部分に並べたのは、今回一緒に読んだ絵本。これだけ画像を並べると壮観~。「サー・オルフェオ」と「キューピッドとプシケー」だけは神話絡みなので独立した記事にしましたが、この辺りも民間伝承がメインですね。「キャベツ姫」だけは、文章も絵もエロール・ル・カイン。
今まで読んだ絵本の中で、私が一番好きなのは「おどる12人のおひめさま」! これはグリム童話です。この話は子供の頃から好きだったんですけど、エロール・ル・カインの絵がまたとても素敵なんです。どれか1冊だけ手元に置いておく絵本を選ぶとしたら、私はこの本を選ぶなあ。あ、でも「キューピッドとプシケー」も素敵だし... どれも捨てがたいですけどね。(ほるぷ出版)


+エロール・ル・カイン作品の感想+
「アーサー王の剣」エロール・ル・カイン
「サー・オルフェオ」アンシア・デイビス再話 エロール・ル・カイン絵
「キューピッドとプシケー」エロール・ル・カイン
「イメージの魔術師 エロール・ル・カイン」
 

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ファンタジー小説を書いていると、しばしばぶつけられる「ファンタジーって、何...?」という素朴な疑問。小説家としてデビューして10年経ち、ひかわ玲子さんご自身の問いでもあったという、ファンタジーとは何なのかについて考えていく本です。豊田有恒、金蓮花、小沢淳、前田珠子各氏との対談も。

ひかわ玲子さんといえば、実は漫画家さんなのかと思い込んでたんです。でもプロフィールを見ると、「翻訳家を経て小説家としてデビュー」とあるだけで、漫画に関しては全然。じゃあ「花とゆめ」に描いてらっしゃるあの人は...? と思っていたら、どうやらそれは「ひかわきょうこ」さんだったようで... とほほ。(なんて失礼なヤツだ)
そんな私がなぜこの本を手に取ったかといえば、まず石堂藍さんの「ファンタジーブックガイド」(私のバイブル)に取り上げられていたから。それと今度、ひかわ玲子さんが書いてらっしゃる「アーサー王宮廷物語」を読んでみようと思っているから。

小説というものは全般に架空の出来事を書いているという意味でファンタジーとも言えるんですが、ここで取り上げているのは、ファンタジーと呼ばれるジャンル。ファンタジーと一言で言っても異世界物だったり、架空の歴史だったり、日常の中の不思議だったり色々あるんですが、ここでは特に異世界ファンタジーについて。(ひかわ玲子さんの中では「ファンタジー」といえばまず異世界物なのかな?)
「ファンタジーなんて、神話や伝説を集めてくれば、すぐにできる」なんて言葉に苦笑させられることも多いんだそうですが、ひかわさんは逆に世界そのものが架空だからこそ、中身が絵空事になっては駄目なんだと書いています。例えば渋谷の街を舞台にした話なら、たとえそれが絵空事でも、渋谷という実在の街のリアリティに頼ることができるけれど、ファンタジーで架空の世界を描く場合、舞台も架空なら描いている事柄も架空の出来事。そこに息を吹き込むのは、実はとても大変なこと。
そして、日本人なのになぜ金髪碧眼の白人の話を書くのかという質問もよく受けるそうなんですが、それはファンタジーにとって異国趣味(エキゾチシズム)が非常に大切だから、なのだそうです。日常とは切り離された世界だからこそ、想像力が広がるってことですね。海外のSFやファンタジーで黒髪の美女が登場するのも、それと同じことなんだそうで... へええ、そうなのか。
でもいくら金髪碧眼の白人が動き回っていても、日本人であるひかわ玲子さんの中から生まれてきた作品である以上、それは欧米で生まれたファンタジーとは本質的に違うもの。書き手の生まれ育った文化・風俗・社会が現れていて、キリスト教世界ではあり得ない日本人的世界になってるんだそうです。逆にそれが現れていなければ、絵空事で終わってしまっている、とも。確かにトールキンの「指輪物語」はとても大英帝国って感じだし、アメリカのファンタジーはどれもアメリカ的ですものね。あまり考えたことがなかったんですが、たとえ西欧的な世界を舞台にはしていても、日本人の書くファンタジーは日本人にしか書けない作品なのかも。
対談もそれぞれに面白かったし、ファンタジーについて色々新しい面が見られたし、これはひかわさんのアーサー王物が楽しみになってきました。早く読みたいな~。(東京書籍)


+既読のひかわ玲子作品の感想+
「ひかわ玲子のファンタジー私説」ひかわ玲子
「キャメロットの鷹」「聖杯の王」「最後の戦い」ひかわ玲子
「イスの姫君」ひかわ玲子

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「ハリー・ポッター」が大流行したことにより、1990年後半に大きく様変わりしたファンタジーの世界。かつて「かなわざる夢」を語るものであったファンタジーは、今や自由に現実と架空の世界を行き来し、「不可能」がなくなってきています。しかしそういった作品は、新しい何かを獲得している反面、古い何かを失っているはず... と、新旧ファンタジーの境を論じていく本です。

この中で一番面白かったのは、第1章「二つのネオ・ファンタジー」。ここで取り上げられるネオ・ファンタジー作品というのは、ハリー・ポッターシリーズと、ダイアナ・ウィン・ジョーンズによる諸作品。ハリー・ポッターの魔法のアイテムのバラエティとアイディアにも感心しつつ、DWJの作品のおもちゃ箱的感覚も楽しいとは思いつつ、どこか違和感も感じていて、実はあまり好きじゃなかったんですが、それが何なのか、自分ではよく分かってなかったんですよね。そういった部分をすっきりと理論整然と説明してくれていました。ものすごーく納得。やっぱり違和感には根拠があったんですねえ。
今回それらそれらの作品を読み解くに当たって井辻さんが注目したのは、ハリー・ポッターシリーズのダーズリー家における「ギャグマンガ的な2次元性」と、DWJ作品の持つ「奇妙に明るい平面性」。ハリー・ポッターシリーズでは、ハリーはダーズリー一家にかなりひどい扱いを受けていて、時々報復したりすると、それがまたすごいことになったりするんですが、これは普通のリアルな世界というより、マンガとして受け止めれば良かったようです。言ってみれば、トムとジェリーのドタバタ劇のようなもの。でも、ホグワーツという異次元世界は一応3次元的に描かれてるんですが、そのホグワーツですら、「マンガ的フラット化」を免れているわけではないとのこと。そしてDWJの作品は、奥行きの浅い背景の前で、登場人物たちが演技をしているようなもの。俳優たちも分かって演じているので、何事が起きても常に落ち着いているし、特別深刻にならないというのが特徴。そしてこの2つの作品に共通して、これまでのファンタジー作品と異なっているのは、「身体」に対するイメージ。複数の命があってリセットも効くという、まさにゲームのような感覚、だそうです。
いやー、確かにその通りですね。ファンタジー作品は、現実にはあり得ないことを描いているからこそ、何でもアリにはして欲しくはないんですが、今どきのファンタジーって、もちろん全部が全部そうではないですけど、ほんと何でもアリなんですもん...。でも井辻さん曰く、それは別に悪いことでも何でもなくて、現実世界の人間自身が、テクノロジーの進化によって、かつては夢でしかなかった「何でもアリ」の状態を手にし始めているからなのだそうです。

それ以外にも色んな観点からファンタジー作品を考察してるんですけど、5章「ハイ・ファンタジーの企み」で、「十二国記」を論じてるのも面白かったです。女性や年少者という弱い存在がパワーゲームに参加するために、彼らを弱者たらしめている条件を巧妙に取り除き、仕掛けを施しているとか...。なるほどねえ。面白いなあ。(研究社)


+既読の井辻朱美作品の感想+
「風街物語 完全版」井辻朱美
「エルガーノの歌」「パルメランの夢」井辻朱美
「幽霊屋敷のコトン」「トヴィウスの森の物語」井辻朱美
「ヘルメ・ハイネの水晶の塔」井辻朱美
「遙かよりくる飛行船」井辻朱美
「ファンタジーの森から」「ファンタジーの魔法空間」井辻朱美
「夢の仕掛け 私のファンタジーめぐり」井辻朱美
「魔法のほうき」井辻朱美
「ファンタジー万華鏡」井辻朱美

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以前にも「トールキン指輪物語事典」を読んだんですが(感想)、デイヴィッド・デイは、有名なトールキン研究家らしいです。ギリシャ神話や北欧神話、ケルト神話、アトランティス伝説、ベーオウルフやアーサー王など世界の神話や伝承、そして聖書の世界と、トールキンの作り出した指輪物語の世界を比較研究した本。

「シルマリルの物語」のメルコールの造形が堕天使ルシファーにそっくりだとか、ヌメノールの没落がまるでアトランティスみたいだとか、そういうのに気づく人は多いと思うんですが、この本によると実は逆! そういう既存の神話や伝承に影響を受けたのではなくて、トールキンが作り出そうとしたのは、それらの神話や伝承が生み出されてくるための背景となる歴史だった、というのが面白かったです。例えば、「シルマリルの物語」では、中つ国で目覚めたエルフたちが、ヴァラールたちによって西に来るように言われ、実際かなりの数のエルフは西へと渡っていくんですけど、最初から行くつもりのなかったエルフたちもあれば、行くつもりだったのに出遅れたエルフたちもあり、結局行けず仕舞いだったエルフたちもいるんです。なんでこんな複雑なことするんだろうと思っていたら、どうやら古代アングロサクソン人や初期ゲルマン人などに伝わるエルフ信仰に、うまく対応させようとしたみたいですね。「シルマリルの物語」で色々な動きを書くことによって、様々なエルフ伝承に一貫性を与えようとしたんですって。そうだったんだ! それから、単純明快なおとぎ話となってしまった出来事にも、背後に存在していたはずの歴史を作り出そうとしていたとか。たとえば、ロスロリアンの黄金の森にいるガラドリエルとアルウェンという2人の美女、深い森や魔法の鏡などの要素は、「白雪姫」にみられるもの。実際にはガラドリエルとアルウェンは対立関係にはないんですが、そういうことが元になって「白雪姫」の話が出来ていったとしているのだとか。そして、本当に眠っていたのは、白雪姫ではなく7人の小人。ヴァラールのマハルの作り出したドワーフの父祖の7人であったとか... へええ。
あと、ホビット庄が、トールキンが生まれ育ったイギリスの田園地帯とすれば、裂け谷はオックスフォード、ゴンドールとミナス・ティリスはフィレンツェの辺り、モルドールはオスマントルコとか、地理的な考察も面白かったです。そっかー、初期のドゥネダインの王国は古代ローマ帝国で、分裂してしまった帝国を再統一したアラゴルンは、シャルルマーニュ(カール大帝)だったのか。そして中つ国に神聖ローマ帝国が再建されたのね。(笑)(原書房)


+既読のJ.R.R.トールキン作品の感想+
「農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集」J.R.R.トールキン
「妖精物語の国へ」「妖精物語について」J.R.R.トールキン
「シルマリルの物語」上下 J.R.R.トールキン
「ビルボの別れの歌」「指輪物語『中つ国』のうた」J.R.R.トールキン
「ブリスさん」「サンタ・クロースからの手紙」J.R.R.トールキン
「仔犬のローヴァーの冒険」J.R.R.トールキン
「ホビットの冒険」上下 J.R.R.トールキン
「指輪物語」J.R.R.トールキン
「サー・ガウェインと緑の騎士」J.R.R.トールキン
「終わらざりし物語」上下 J.R.R.トールキン

+既読の指輪物語関連作品の感想+
「トールキン神話の世界」赤井敏夫
「トールキンによる『指輪物語』の図像世界」W.G.ハモンド/C.スカル
「トールキン指輪物語事典」デヴィッド・デイ
「図説 トールキンの指輪物語世界 神話からファンタジーへ」デイヴィッド・デイ

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ちょっと間があきましたが、またしても井辻朱美さんのファンタジー論を。ファンタジー作品の中における空間や時間について、「場所の力」「時の輪の外へ」「魔法の思考」という3章で読み解いていく本です。
井辻さんのファンタジー論を読むのも、これで4冊目。これが一番分かりやすく面白かったです。書かれた順番に読んでいるので、そう感じるのも当然かもしれませんが、これが一番論として整理されているように思いますね。コンパクトながらも中身は濃くて、第27回日本児童文学学会賞受賞の前作「ファンタジーの魔法空間」に決して劣らないものに仕上がっているのではないかと! 初っ端から「大草原の小さな家」や「赤毛のアン」、名探偵ホームズがファンタジーと書いてあるのには驚いたんですが、井辻さんが考える「ファンタジー」の定義の1つとして、↓こんな文章があり、納得。

「ファンタジーのファンタジー性とは、魔法への言及にかかわる問題ではない、ということだけを言っておこう。ファンタジーとはなにより、<ひとつの(別)世界>になりたがる作品のことだ。」(P.7)
「つまりこういうことだ。アンにせよ、ローラにせよ、ホームズにせよ、ある物語が時代や国を超えて愛されると、テキストだけであることをやめて、 <世界化>しようとする傾向があり、その<世界>の中身はなにもホンモノの周辺知識である必要はないということだ。」(P.9)

ファンタジー作品についての評論なんですが、例としてノンフィクション作品を取り上げていたり、E. ジェンドリンという現代の心理学者が創始したというフォーカシング心理学が取り上げられているのが、井辻さんの幅の広さを伺わせて興味深いところ。フォーカシング心理学におけるCAS(clearing a space)とは、自分のいる空間を改変することで、自分自身の中身も改変してしまうこと。それは例えば、日常的にお気に入りのカフェに行くという行動もそうなのだそうです。そして実際の行動だけでなく、イメージの中でも有効で、自分が気がかりに思っていることをイメージの中に並べて、それを何かに入れて隠してしまったり、そこから距離を置くことを想像するだけで、その問題に対する感じ方はかなり変わってくるのだそうです。そのイメージ操作のツールこそが、ファンタジーにおける魔法。その魔法に強い力を発揮させるためにも、意識を柔軟にして <現実=一枚岩>という感覚を溶かしてしまう必要があるのだとのこと。
こうやって考えてみると、ファンタジーと一言で言っても実に奥が深いです。こういったことを知った上でファンタジー作品を読めば、今まで気付かなかったことにも気付けそう。ということで、まだまだ読む予定。中で紹介されてた作品も読みたいな。(廣済堂出版)


+既読の井辻朱美作品の感想+
「風街物語 完全版」井辻朱美
「エルガーノの歌」「パルメランの夢」井辻朱美
「幽霊屋敷のコトン」「トヴィウスの森の物語」井辻朱美
「ヘルメ・ハイネの水晶の塔」井辻朱美
「遙かよりくる飛行船」井辻朱美
「ファンタジーの森から」「ファンタジーの魔法空間」井辻朱美
「夢の仕掛け 私のファンタジーめぐり」井辻朱美
「魔法のほうき」井辻朱美
「ファンタジー万華鏡」井辻朱美

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「指輪物語」「ホビットの冒険」「シルマリルの物語」を中心に、トールキンが創り上げた中つ国関連の事柄や用語を「歴史」「地理」「社会」「動植物」「伝記」という分類で整理し説明した本。

「指輪物語」など一連の作品は、イギリスには良質な伝説がないと感じていたトールキンが、50年をかけて作り上げたという神話体系。固有名詞が本当に沢山あって覚えるのが一苦労なんですけど、それらの固有名詞や中つ国での出来事がとても分かりやすくまとめてありました。これから「終わらざりし物語」を読もうとしている私にとっては、それぞれの物語の復習にぴったり。
ただ、基本的にあいうえお順に掲載されている事典なので、目的の項目を引くことも可能なんですけど、そういった使用をするにはあまり向いてないかも...。相互に参照できるような機能もほとんどないし、全体を通しての索引がないので、例えばエルフの3つの指輪のことを調べたいと思っても、自分で5つの章のうちで当てはまりそうな箇所を考えて探すしかないんですよね。結局ヴィルヤ(風の指輪)、ナルヤ(火の指輪)、ネンヤ(水の指輪)という項目はなく、「歴史」の「太陽の第2紀」の説明にも「社会」のエルフの項目にも、「伝記」のケレブリンボール(3つの指輪を作ったエルフ)の項目にも3つの指輪に関する記述はなくて、持っていたであろう人物の項目を「伝記」で探すしかありませんでした。どちらかといえば、調べ物をするよりも、通して読むのに向いている本かと。...通して読んでいると、似たような記述が多くて、最後の方はちょっと飽きてきたりするんですけどね。(やっぱり相互参照させてくれればいいのに)
イラストに関しては、あまり好みではないものが多かったのがちょっと残念。アラン・リーやトールキン自身のイラストを使うという案はなかったのかなー。(原書房)


+既読のJ.R.R.トールキン作品の感想+
「農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集」J.R.R.トールキン
「妖精物語の国へ」「妖精物語について」J.R.R.トールキン
「シルマリルの物語」上下 J.R.R.トールキン
「ビルボの別れの歌」「指輪物語『中つ国』のうた」J.R.R.トールキン
「ブリスさん」「サンタ・クロースからの手紙」J.R.R.トールキン
「仔犬のローヴァーの冒険」J.R.R.トールキン
「ホビットの冒険」上下 J.R.R.トールキン
「指輪物語」J.R.R.トールキン
「サー・ガウェインと緑の騎士」J.R.R.トールキン
「終わらざりし物語」上下 J.R.R.トールキン

+既読の指輪物語関連作品の感想+
「トールキン神話の世界」赤井敏夫
「トールキンによる『指輪物語』の図像世界」W.G.ハモンド/C.スカル
「トールキン指輪物語事典」デヴィッド・デイ
「図説 トールキンの指輪物語世界 神話からファンタジーへ」デイヴィッド・デイ

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現実世界とは一味違った別世界を作り出し、その中で生きる楽しみを謳歌するのは、ファンタジーと呼ばれる物語群の特徴。しかし現実世界を脇にのけて遊ぶための空間に、一体どのような意味があるのでしょうか。60年代頃から英米でファンタジーが復興し始めたその理由、なぜ今ファンタジーなのかという理由もあわせて、様々なファンタジー作品を9つの角度から考察していく本です。

枠物語、死後譚、多重人格、人形、動物、場所... といったキーワードから様々なファンタジー作品を考察していくのですが、今回「おお」と思ったのは、二重構造に関する話。ファンタジーには枠物語も多くて、その場合、明らかに構造が二重になってるんですが、死後譚も過去へのタイムスリップも、そういえば二重構造だったんですねー! 死後譚は、この世とあの世を対比することによって、この世の生の喜びを再確認させるし、過去へのタイムスリップも、現在と過去という二重構造で、「現在」にとらわれた自分を解放する1つの手だて。逃避ではなく、あくまでも別の選択肢によって自分を拡大する試みです。そしてさらに、多重人格は2つの物語を並列して語り、人形は主人公の内部の人格を外に投影し、動物は絶対的な無私の愛を持って主人公を守るという二重構造... そのようにして空間や時間その他を二重にすることこそが、ファンタジーの特徴だということ。いや、よくよく考えてみれば当然のことなんですが。

そして多くの枠物語では、枠と中身は全く異質なもので、枠が現実なら、中の絵は夢と幻想。外から眺めている限り、絵は作り物にしか見えないけれど、枠そのものも、絵を真実らしく見せるという役割を持っています。そしていったんその枠の中に入ってしまうと、その枠の中にこそ広大な真実の世界があることに気づくもの。でも、時に枠は裏返され、内側こそが外側のような感覚をもたらすんですよね。ここで引き合いに出されていたのがナルニアシリーズ。確かに、たとえばカスピアンは、異世界から来る子供たちにアラビアンナイトの魔神のような感覚を持っていたし、カスピアン自身、一度「イギリス」が一度見てみたいと願ってたんですよね。その他にも、同じような印象が何度も...。ナルニアを読んだ時に漠然と感じていた「枠の裏返し」がすっきりと解説されていました~。(NTT出版)


+既読の井辻朱美作品の感想+
「風街物語 完全版」井辻朱美
「エルガーノの歌」「パルメランの夢」井辻朱美
「幽霊屋敷のコトン」「トヴィウスの森の物語」井辻朱美
「ヘルメ・ハイネの水晶の塔」井辻朱美
「遙かよりくる飛行船」井辻朱美
「ファンタジーの森から」「ファンタジーの魔法空間」井辻朱美
「夢の仕掛け 私のファンタジーめぐり」井辻朱美
「魔法のほうき」井辻朱美
「ファンタジー万華鏡」井辻朱美

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実は文学作品だけでなく、多くの絵も描き残しているトールキン。実は、息子であるクリストファー・トールキンが「J.R.R.トールキンの著作研究は、絵をぬきにしては完全でありえない」と言っているほど。母に絵の描き方や飾り文字の書き方を教わって以来、描き続けてきたというトールキンの絵を200枚ほど、ほぼ年代を追って順に紹介していく本です。

トールキンが文学作品だけでなく、絵も多く描き残していたとは知りませんでしたが、実際に見てみると、見覚えがあるものが結構あってびっくり。まず中つ国の地図もそうですし、あとモリアの入り口のドゥリンの扉の絵とか!(この扉の絵は、トールキンの絵を元に、製版工が少し手を入れたようです) あと、昨日の「シルマリルの物語」の表紙の紋章も!(上巻がエルウェで、下巻がフィンゴルフィン) 実は既に色々と登場していたのですねー。
子供の頃の絵にも素敵なのがあったんですが、惹かれるのはやっぱりシルマリルの世界が浮かび始めた頃からの絵。絵を通してもイメージを膨らませていたんですね。「ニグルの木の葉」のニグルと重なっていたのは、文学面だけじゃなかったのか。「妖精物語について」の中で、妖精物語は本来文字で表現するのに向いているとした上で、もし絵画で表現しようとした場合、「心に描いた不思議なイメージを視覚的に表現するのは簡単すぎる」ので、逆に「ばかげた作品や病的な作品」なんて書かれてたんですけど、この本に掲載されているトールキンの絵を見る限り、「ばかげた作品や病的な作品」どころか、とても美しくて存在感のある絵が多くて驚かされるのですが! このまま挿絵として使われていないのが残念なほどですよぅ。もう本当にイメージにぴったりの絵が多くて嬉しくなってしまいますー。ちなみに、この本の表紙に使われてる絵もトールキンの作品です。これは「シルマリルの物語」の「マンウェの館」。絵を見るだけでも、神話の世界がトールキンの中に徐々に形作られてきた過程も見えてくるような気がしますし、それぞれの絵が描かれた状況にも詳細に触れられているのが嬉しいところ。絵画から見たトールキンの半生、とも言えそうです。
そして、文学作品から少し離れて、子供たちのために描いた絵が、またすごく可愛いんです。トールキンの遊び心たっぷりの楽しい作品ばかり。特に一連の「サンタ・クロースからの手紙」がいいなあ。サンタ・クロースや北極グマ、エルフなどキャラクターによって書体をまるで違うものにしているのも楽しいところ。子供たちに対する愛情もたっぷり。やはりこういった、本人も相手も楽しんでいるのが伝わってくるところから、傑作が生まれるのでしょうね。こういった作品は、絵本になっているようなので、今度ぜひ読んでみようと思います!(原書房)


+既読のJ.R.R.トールキン作品の感想+
「農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集」J.R.R.トールキン
「妖精物語の国へ」「妖精物語について」J.R.R.トールキン
「シルマリルの物語」上下 J.R.R.トールキン
「ビルボの別れの歌」「指輪物語『中つ国』のうた」J.R.R.トールキン
「ブリスさん」「サンタ・クロースからの手紙」J.R.R.トールキン
「仔犬のローヴァーの冒険」J.R.R.トールキン
「ホビットの冒険」上下 J.R.R.トールキン
「指輪物語」J.R.R.トールキン
「サー・ガウェインと緑の騎士」J.R.R.トールキン
「終わらざりし物語」上下 J.R.R.トールキン

+既読の指輪物語関連作品の感想+
「トールキン神話の世界」赤井敏夫
「トールキンによる『指輪物語』の図像世界」W.G.ハモンド/C.スカル
「トールキン指輪物語事典」デヴィッド・デイ
「図説 トールキンの指輪物語世界 神話からファンタジーへ」デイヴィッド・デイ

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神戸学院大学教授の赤井敏夫さんによる、トールキン研究書。トールキンの「ホビットの冒険」「指輪物語」「シルマリリオン」やそれらの作品を巡る評論、キャロル・ルイスやC.S.ルイスとの比較、ルイスやチャールズ・ウィリアムズと活動していたインクリングスでの姿などから、トールキンの創り出した神話世界を考察していきます。石堂藍さんが「ファンタジー・ブックガイド」に、「『指輪』のファンだと言いながらこの本を読んでいないのはモグリであろう」と書いてらっしゃるんですが... すみません、モグリです(^^;。

とにかく膨大な参考資料に目を通した上で書かれたということがよく分かる本です。すごい!
アラゴルンとフロドのこととか、ギムリとガラドリエルのこととか、へええ、そうだったんだ!という部分が色々とあったんですが、この本を読んでる間中、重なって仕方がなかったのは、「ニグルの木の葉」のニグルとトールキン自身の姿。
「ニグルの木の葉」というのはトールキンによる寓話的物語で、この主人公のニグルは画家なんです。大して評価をされているわけではないんだけど、どこか宿命的に絵を描いてる人物。そのニグルは、元々木よりも、1枚の葉を上手く描くタイプの画家で、葉の形や光沢、葉先にかかる露のきらめきなど細部を写すことに拘るんですよね。でもいつかは、それらの葉の絵から木の全体を描きたいと思っているんです。そして、風にもてあそばれる1枚の葉の絵は、木の絵になり、やがて数え切れないほど枝を伸ばして、どんどん巨大な絵になっていく... このニグルの姿は、トールキン自身の姿だったのですねー! 最初、自分の子供たちのために「ホビットの冒険」という物語を作り、それが出版社の人間の目に留まって出版されることになり、そして続編を求められた時。最初は気軽に執筆を始めるものの、トールキンの前には、「中つ国」を中心とした神話「シルマリリオン」が徐々に出来上がりつつありました。時には執筆中の「指輪物語」に合わせて、神話を遡って書き換えたり、「ホビットの冒険」の最後の「それ以来かれは死ぬまで幸せに暮らしました」という言葉になかなか相応しい続編にならないと、いくつもの草稿を破棄したり。1つのエピソードを大きな物語にふくらましたり。そのまんまニグルじゃないですか。執筆するトールキンの姿が見えるようです。「ニグルの木の葉」では、ニグルが、もうすぐ旅に出なくちゃいけないのに時間がないと焦ってるんですけど、その辺りも、亡くなるまでに作品を完成させられなかったトールキンの姿と重なります。そして、この本を読めば「ホビットの冒険」「指輪物語」「シルマリルの物語」といった木の全体の姿が俯瞰できます。

ただ、既に「指輪物語」として広まっている作品を「指輪の王」、「ホビットの冒険」を「ホビット」と表記したなどの拘りは、どうなんでしょうね。原題の「The Lord of the Ring」の「Lord」という言葉は、キリスト教的にも、簡単に「王」なんて訳せるような言葉ではないはず。「指輪の王」なんて訳すぐらいなら、いっそのこと英語の題名のままにしておいた方が良かったんじゃ...。気持ちは分かる気もするけど、わざわざ表記を変えるのは、どうも読者に不親切な気がします。(人文書院)


+既読のJ.R.R.トールキン作品の感想+
「農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集」J.R.R.トールキン
「妖精物語の国へ」「妖精物語について」J.R.R.トールキン
「シルマリルの物語」上下 J.R.R.トールキン
「ビルボの別れの歌」「指輪物語『中つ国』のうた」J.R.R.トールキン
「ブリスさん」「サンタ・クロースからの手紙」J.R.R.トールキン
「仔犬のローヴァーの冒険」J.R.R.トールキン
「ホビットの冒険」上下 J.R.R.トールキン
「指輪物語」J.R.R.トールキン
「サー・ガウェインと緑の騎士」J.R.R.トールキン
「終わらざりし物語」上下 J.R.R.トールキン

+既読の指輪物語関連作品の感想+
「トールキン神話の世界」赤井敏夫
「トールキンによる『指輪物語』の図像世界」W.G.ハモンド/C.スカル
「トールキン指輪物語事典」デヴィッド・デイ
「図説 トールキンの指輪物語世界 神話からファンタジーへ」デイヴィッド・デイ

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井辻朱美さんのファンタジー論に引き合いに出されていた、「指輪物語」のJ.R.R.トールキンの妖精物語論。2冊並んでますが、基本的に同じ本です。どちらにもまず妖精物語についての文章があって、C.S.ルイスに宛てた詩「神話を創る」(「妖精物語について」では「神話の創造」という題名)が。そして、「妖精物語の国へ」には「ビュルフトエルムの息子ビュルフトノスの帰還」が、「妖精物語について」には「ニグルの木の葉」が収められています。

なぜ同じような本を2冊読んだかといえば、メインの「妖精物語について」を読んでいても、ちっとも頭の中に入って来なかったから(^^;。
この2冊は訳者さんが違うのです。「妖精物語の国へ」は杉山洋子さん、「妖精物語について」は猪熊葉子さん。最初杉山訳を2回読んでもピンと来なくて、違う訳の本も読めば、きっと頭の中で内容を補い合ってくれるだろうと思って猪熊訳を読んだんですが、訳文はどうも一長一短、結局猪熊訳も2回読み、最後には2冊並べて読み比べてしまいました...。まあ、それだけ読み返した甲斐があって、ようやく頭に入ったんですが。(そこまでしなくちゃ入ってこない頭ってば)

やっぱりメインは「妖精物語について」でしょう。字が読めるようになって以来、妖精物語を愛してきたというトールキン。妖精物語を「子供っぽくてばかげている」「子供用の話だ」と一段低く見ようとする動きに対して繰り広げている、一種の擁護論ですね。妖精物語とは何なのか、その起源と効用とは何なのか、考察しています。これが発表されたのは、「ホビットの冒険」を刊行後、「指輪物語」を書いてる途中、でも壁にぶつかってる最中だったようで、なんだかムキになってるなあ、なんて感じる部分も。(笑)
特に印象に残ったのは、ファンタジーは本来文学に向いているという辺り。例えば絵画の場合だと、心に描いた不思議なイメージを視覚的に表現するのは簡単すぎるので、逆にばかげた作品や病的な作品が出来やすい。これが演劇になると、元々舞台上に「擬似魔術的な第二世界」を作り上げているので、「さらにファンタジーや魔術を持ち込むのは、まるでその内部にもうひとつ、第三の世界を作るようなもの」という理由で相性が悪い。その点、ファンタジーは、言葉で語られるのに向いているという話。映画についても書いてあれば良かったのに。でも、ディズニーは大嫌いだったようですが、映画化についてはやぶさかでなかったようですね。

お2人の訳はかなり違っていて、例えば神話や妖精物語を嘘だと言ったC.S.ルイスの言葉は、杉山訳は「銀の笛で嘘を奏でる」、猪熊訳は「銀(しろがね)のように美しいが嘘だ」。個人的には、日本語として硬すぎるように感じられる部分は多いものの、猪熊訳の方が好みです。(でもやっぱり硬いんだよね...)(ちくま文庫・評論社)


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「農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集」J.R.R.トールキン
「妖精物語の国へ」「妖精物語について」J.R.R.トールキン
「シルマリルの物語」上下 J.R.R.トールキン
「ビルボの別れの歌」「指輪物語『中つ国』のうた」J.R.R.トールキン
「ブリスさん」「サンタ・クロースからの手紙」J.R.R.トールキン
「仔犬のローヴァーの冒険」J.R.R.トールキン
「ホビットの冒険」上下 J.R.R.トールキン
「指輪物語」J.R.R.トールキン
「サー・ガウェインと緑の騎士」J.R.R.トールキン
「終わらざりし物語」上下 J.R.R.トールキン

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カルヴィーノの「なぜ古典を読むのか」に引き続きの評論系。とは言っても、今回はファンタジーなので全然違うんですが、こちらも面白かったです。考えてみたら、こういう本って、今までほとんど読んだことがなかったんですよね。ゴチャゴチャにギッシリ詰め込まれた引き出しの中みたいになってた頭の中が、ちょっと整理されたような...。

この2冊を通して一番印象に残ったのは、博物館に関する話。恐竜や古代文明を求めて井辻さんが博物館めぐりをされていた時に気づいたのは、博物館という場所が、外界とは切り離された凝縮された場所だということ。最も古い時代の物は必ず最下階に展示され、そこから徐々に上昇するにつれて現代に近づいていき、出口には必ず土産物屋やカフェが置かれて「現実へのなだらかな再接続が準備されている」ということ。ああ、言われてみればそうかもしれないですね。そして目を転じてみると、テーマパークのアトラクションも、閉ざされた建物に入ることによって、短い死と再生を体験するもの。そうやって空間を創り出し、体験することこそがファンタジーの核であり、ファンタジー作品を支えているのはそういった空間なのではないか。それに気づいた時、井辻さんはファンタジーを「場所」や「空間」という隠れたコードから読み直すようになったのだそうです。
「ファンタジーの森から」には、「幻想文学」に連載されていたファンタジー論が収められているんですが、まだそれだけで1冊にするほどではなかったようで、歌人としての井辻さんの作品やエッセイも入ってます。井辻さんの短歌は初めて読んだんですが、こんな風に神話や古代世界を歌ってらしたとは... 素敵~。たとえば俵万智さんや穂村弘さんの口語短歌(って言うんですかね?)の存在は、何もなくても目に入ってくるけど、こういうのもあったんですね! もっと読んでみたいです。そして「ファンタジーの魔法空間」は、「ファンタジーの森から」に書かれた論を、もう一歩進めて整理した感じ。特に「家」について論じた章がすごいです。井辻さんは評論本を他にも何冊か書いてらして、これは比較的初期の2冊。次はもう少し新しいのを読んでみようと思ってます。「ファンタジーの魔法空間」もとてもいいのだけど、まだ途上のような、もっと綺麗に整理できる余地があるんじゃないかという気もするので。そして、どちらの本にもトールキンの「妖精物語について」についてかなり引き合いに出されていました。こちらも読まなくては~。

トールキンといえば、「指輪物語」における回想シーンと歌謡の多さ、そしてその役割に関する話が面白かったです。あらすじを聞いただけではそれほど楽しいとは思えない話が、なぜそれほど魅力的なのか。その理由として井辻さんが挙げているのは、「そこでは時間がその瞬間に生まれ、どの瞬間にも停止しうるような、立ち止まりうる相を備えていたからだ」ということ。確かに「指輪物語」には、最近のジェットコースター的作品にはない、ゆったりとした流れがあります。古い叙事詩や神話によく見られるような、時には本筋とは関係ない部分が延々と描かれている部分。怒涛のように展開して、見事に収束する話も面白いんだけど、そういうのは「ああ、面白かった」だけで終わってしまうことも多くて、忘れるのも早いんですよね。(全部ではないですが) でも「指輪物語」みたいな作品は、じっくりと自分のペースで読めるし、読み終わった後、何度でもイメージの中で反芻できるんです。それが1つの大きな違いとも言えそう。そうか、そういうゆったりとした、今の時空から切り離されたような部分も、私が「指輪物語」や古い神話、叙事詩に惹かれる大きな要素なんだな、と再発見なのでありました。...自分で気付けよって感じですが(^^;。(岩波書店・アトリエOCTA)


+既読の井辻朱美作品の感想+
「風街物語 完全版」井辻朱美
「エルガーノの歌」「パルメランの夢」井辻朱美
「幽霊屋敷のコトン」「トヴィウスの森の物語」井辻朱美
「ヘルメ・ハイネの水晶の塔」井辻朱美
「遙かよりくる飛行船」井辻朱美
「ファンタジーの森から」「ファンタジーの魔法空間」井辻朱美
「夢の仕掛け 私のファンタジーめぐり」井辻朱美
「魔法のほうき」井辻朱美
「ファンタジー万華鏡」井辻朱美

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「なぜ古典を読むのか」という問いの下に、カルヴィーノが定義した「古典」の14の定義。そしてホメロス「オデュッセイア」に始まり、オウィディウス、プリニウス、バルザックやトルストイ、ヘミングウェイ、ボルヘス、レーモン・クノーまで、30人ほどの作家とその著作を取り上げていきます。


まず古典に関する14の定義なんですが...
全部書くとさすがにマズいかなと思うので、特に印象に残ったものだけ抜粋。

1.古典とは、ふつう、人がそれについて、「いま、読み返しているのですが」とはいっても、「いま、読んでいるところです」とはあまりいわない本である。

これにはニヤリ。あ、でも「読んでいる」も「読み返している」も一緒だとカルヴィーノは書いてます。その理由も。

2.古典とは、読んでそれが好きになった人にとって、ひとつの豊かさとなる本だ。しかし、これを、よりよい条件で初めて味わう幸運にまだめぐりあっていない人間にとっても、おなじぐらい重要な資産だ。
3.古典とは、忘れられないものとしてはっきり記憶に残るときも、記憶の襞のなかで、集団に属する無意識、あるいは個人の無意識などという擬態をよそおって潜んでいるときも、これを読むものにとくべつな影響をおよぼす書物をいう。

要するに、若い時に古典を読んで十分理解できなかったとしても、その後ほとんど忘れてしまったとしても、知らないうちに自分の血肉となっているのが古典。だから「よりよい条件」とは言えないような若い時に読んでも大丈夫。だからといって、若い時に読んでいなくて、壮年または老年となった時に初めて読んでも、それは「比類ない愉しみ」をもたらすから、これまた大丈夫。

9.古典とは、人から聞いたりそれについて読んだりして、知りつくしているつもりになっていても、いざ自分で読んでみると、あたらしい、予期しなかった、それまでだれにも読まれたことのない作品に思える本である。

古典を読む時には、できるだけ原典だけを直接読むべきだ、というのは他の定義の所に書かれていたんですが、この定義にも当てはまるでしょうね。確かに、解説本や研究本によって妙な先入観が入ってしまうこともあるでしょうし、そういった本は原典以上に雄弁にはなり得ないかもしれないのですが... でも、たとえばその本に対して自分が理解しきれてないと思った時なんかに、色々な考え方について知りたくなってしまうことがあるのも事実。その場合は、先に原典を読んでいればオッケーでしょうか。(笑)
そしてこの定義のところに書かれていた「古典は義務とか尊敬とかのために読むものではなくて、好きで読むものだ」という言葉に、本当にただ「好き」だけで読んでいる私のようなへっぽこ読者は、大きく励まされるのでありました。(笑)


でもこの「なぜ古典を読むのか」ということだけで1冊書かれているのかと思いきや、最初の1章だけでした... あらら。
その後の文章は、主にある文学叢書の「まえがき」として書かれたものだそうなんですが、文体も違っているし、内容的にもちょっとバラバラな印象。しかもここで紹介されているのは、古い時代のいわゆる古典作品だけではなくて、「現代の古典」と言われるような、20世紀の作家の作品も結構入ってるんです。私は狭義の意味での古典作品について読みたかったので、ちょっと残念。でもカルヴィーノにとっての古典の定義の中に、「古代のものにせよ、近、現代のものにせよ、おなじ反響効果をもちながら、文化の継続性のなかで、すでにひとつの場を獲得したもの」という文章があるので、仕方ないですね。狭義の古典に拘らない人には、逆にブックガイドとして楽しめるんじゃないかと思います。私自身、もし今これほどまでに古典の気分になっていなければ、もっと楽しめたんじゃないかと。...うーん、今読んだのは、ちょっと勿体なかったかも。あ、もちろん、ホメロス~クセノポン~オウィディウス~プリニウス~アリオスト辺りは本当に面白かったし、興味深かったですけどね。(みすず書房)


+既読のイタロ・カルヴィーノ作品の感想+
「宿命の交わる城」イタロ・カルヴィーノ
「不在の騎士」イタロ・カルヴィーノ
「レ・コスミコミケ」イタロ・カルヴィーノ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「まっぷたつの子爵」「木のぼり男爵」イタロ・カルヴィーノ
「イタリア民話集」上下 カルヴィーノ
「魔法の庭」イタロ・カルヴィーノ
「見えない都市」イタロ・カルヴィーノ
「マルコヴァルドさんの四季」カルヴィーノ
「冬の夜ひとりの旅人が」イタロ・カルヴィーノ
「柔かい月」イタロ・カルヴィーノ
「カルヴィーノの文学講義」イタロ・カルヴィーノ
「パロマー」カルヴィーノ
「くもの巣の小道」イタロ・カルヴィーノ
「むずかしい愛」カルヴィーノ

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prince.jpg以前ブログの記事にも書いた、フランス語研究会での勉強の一環として読んでいた「星の王子さま」が、とうとう読み終わりましたー。わーい!
フランス語は以前にも勉強してことがあるんですが、もうすっかり忘れてるし、「星の王子さま」をいきなりフランス語で読んでもちんぷんかんぷんなので(笑)、その時にも書いた通り、仏語版と英語版を対訳っぽく使用しました。同じヨーロッパの言語ということで文の構造も語順も似てるので、日本語訳と照らし合わせるよりも分かりやすかったです。(なんて書くと、まるで国際人のような錯覚に陥りそうですが・笑)

原書で読んで初めて気づく部分もあって、そういう部分に出会うと、原書で読んでみてよかったなあって思いますね。例えば王子さまが、自分の星を出る時に薔薇の花と別れの挨拶を交わす場面。私が持ってる内藤訳では、こう訳されてます。

「さよなら」と、王子さまは花にいいました。

原書ではこんな感じ。

--Adieu, dit-il a la fleur.

ここでポイントとなるのが、フランス語には"au revoir"(オールボワール)と"adieu"(アデュー)という2つの別れの挨拶があるということ。普段使うのは「また会いましょう」的な"au revoir"で、それに対して"adieu"は、「二度と会わない相手」もしくは、「また会うことはあるかもしれないけれど、そうそう簡単には会えない相手」に対する挨拶の言葉。
日本語だと「さよなら」という一言にしかならないんですが、このほんの一言の短い台詞に、王子さまはその言葉に「もう二度と会えないかもしれない」という気持ちを込めていたんですねえ。こういう部分に、ぐぐっと来ちゃうんですよー。日本語で読んでるだけでは、分からなかった部分。でも日本語にそれほどの思いを込められる言葉なんて、ないですものね。実際、書店で「星の王子さま」の訳本を4~5冊確かめてみたんですけど、この部分の訳はどれも「さようなら」か「さよなら」でした。

そして途中から原書と合わせて読んでいたのは、瑛里さんに教えて頂いていた「星の王子さまをフランス語で読む」。これは題名の通り、「星の王子さま」をフランス語で読み解いていく本です。でも、全くの初心者向けという感じではないですね。案外文法に関する説明が多いので(もっと文章の流れを追うのかと思ってたので、ちょっとびっくり)、少しでも文法を齧ったことのある人の方が良さそうです。
この本によると、フランス人の子供なら8歳か9歳ぐらいで読めるのだそう。ということは、実はかなり苦戦していた私のフランス語読解力は、幼稚園児かそれ以下ということかなあ。(笑)

そして4月からのNHKラジオのフランス語講座の応用編では、3ヶ月コースで「『星の王子さま』を読もう」が始まります。一度読了したとはいうものの、かなり流し読みしてしまってる部分もあるので、こちらを聞いてきちんと読み直す予定。ラジオ講座の放送時間は、午前7時25分~午前7時45分、午後1時20分~午後1時40分(再放送)、応用編は金曜日と土曜日です。(NHK第二放送)

Antoine de Saint-Exupery
Le Petit Prince」(仏語版) 「The Little Prince」(英語版)

「星の王子さまをフランス語で読む」(ちくま学芸文庫)

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臨床心理学者であり、心理療法家でもあった河合隼雄さんの児童書解説本。以前、「ファンタジーを読む」を読んだ時から(感想) 読みたかった本です。でも「ファンタジーを読む」で紹介されてる作品は結構読んでたから良かったんですけど、こちらは読んでない本も沢山。河合隼雄さんの考察は素晴らしいと思うんだけど、あらすじを最初から最後までとても丁寧に紹介される方なので、それだけですっかり読んだ気になってしまうのだけが難点なんですよね。それにやっぱり自分が知ってる本について読む方が面白いし、中に紹介されてる作品を先に読んでからにしようかな、なんて思ってたんですが。
とりあえず「飛ぶ教室」なら読んでるから、ちょっと読んでみよう... なんて思ったら! 止まらなくなっちゃいました。ケストナーの「飛ぶ教室」は私も子供の頃から大好きで、何度も何度も読んでる作品なんですけど、河合隼雄さんの文章や引用文を読んでるだけで、もう泣きそうになっちゃって(^^;。
それにリンドグレーンのピッピシリーズの章も良かったし~。でも「長くつしたのピッピ」が、「あしながおじさん」に触発されて出来た作品とは知らなかったです。リンドグレーンの母国語のスウェーデン語だと、「長くつしたのピッピ」は「Pippi Langstrump」で、「あしながおじさん」は「Pappa Langben」なんですって。そっくり! 英語の「Pippi Longstocking」と「Daddy-Long-Legs」ならピンとくるのかもしれないけど(私はこなかった)、日本語じゃあちょっと分からないですよね。そうなんだー、面白ーい。
紹介されている作品は、「飛ぶ教室」(ケストナー)、「まぼろしの小さい犬」(ピアス)、「思い出のマーニー」(ロビンソン)、「ぼんぼん」「兄貴」「おれたちのおふくろ」(今江祥智)、「ヒルベルという子がいた」(ヘルトリング)、「長くつ下のピッピ」「ピッピ船にのる」「ピッピ南の島へ」(リンドグレーン)、「ねずみ女房」(ゴッデン)、「ふたりのひみつ」(ボーゲル)、「つみつみニャー」(長新太)、「首のないキューピッド」(スナイダー)、「砦」(ハンター)、「わたしが妹だったとき」(佐野洋子)。私が読んでいたのは、恥ずかしながら「飛ぶ教室」と「ピッピ」だけ。「まぼろしの小さい犬」や「ねずみ女房」も読んでみたいな。(講談社+α文庫)


+既読の河合隼雄作品の感想+
「猫だましい」「ファンタジーを読む」河合隼雄
「子どもの本を読む」河合隼雄

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昨日に引き続き、ファンタジー系のブックガイドとなるような本です。今回は、臨床心理学者だった河合隼雄さんの著書。

「猫だましい」は、「トマシーナ」(感想)の解説が河合隼雄さんだったことから知った本。猫だましいとは、猫「たましい」と「だまし」を掛けたタイトルとのこと。本当はこの「猫だましい」の方が本命で、「長靴をはいた猫」、「空飛び猫」、「100万回生きたねこ」、「こねこのぴっち」、「トマシーナ」、「猫と庄造と二人のおんな」、その他モロモロ昔話に登場する猫の話から「綿の国星」まで、古今東西の猫の話が登場して、きっとすごく楽しめるだろうと思ってたんですけど... うーん、「ファンタジーを読む」を先に読んだせいか、少し霞んでしまいました。「ファンタジーを読む」の方が、1つ1つの作品に対する掘り下げが丁寧で、「そうだったのか!」が色々とあって面白かったです。

その「ファンタジーを読む」は、お馴染みのファンタジーの名作13冊に、心理療法家としての観点から新たな解釈が加えられたもの。13冊中、私の既読は9冊。あらすじが丁寧に紹介されているので、未読でも全く困らないんですが... やや丁寧すぎるきらいもあるので、やっぱり実際に自分で読んでからの方がいいかも。未読の4冊には、近々読もうと思っていた「七つの人形の恋物語」(ギャリコ)も入っていて、それを読んでからにすれば良かった... とちょっぴり後悔しました。
でも知ってる作品については、「そうか、そうだったのか」がいっぱい。特に「マリアンヌの夢」と「人形の家」、「ゲド戦記」には、納得できる部分が色々とあって良かったです。そして「北風のうしろの国」(マクドナルド)のところで出てきた、「ファンタジーが深くなる、あるいは、無意識界への下降が深くなると、それはきわめて死と近接したものとなる」という言葉にも、なるほど!でした。
でもリンドグレーンの「はるかな国の兄弟」については、もう少し書いて欲しかったかな...。これは私も子供の頃読んで、挿絵は綺麗だし物語は幻想的だし、大好きな作品だったんですが、子供心に色々な「不思議」が残ってしまっていたんですよね。この本では、その「不思議」は解消されず仕舞いのまま。(いつかこの「不思議」が解消される日は来るのかしら?)

そしてこの「ファンタジーを読む」と対になるような、「子どもの本を読む」という本もあったんですね。知らなかった。こちらもぜひ読んでみたいです。(新潮文庫・講談社プラスアルファ文庫)


+既読の河合隼雄作品の感想+
「猫だましい」「ファンタジーを読む」河合隼雄
「子どもの本を読む」河合隼雄

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昨日の「西行花伝」に引き続きの西行。でもこちらは物語ではなく評伝ということで、またちょっと違う西行の姿が見えてきました。「西行花伝」の西行は、少年時代から利発で、源重実の語る雅(みやび)な心について真面目に考え込むような少年。若いころから、人間的にかなり出来てるんですけど、白洲さんを通して見る西行はそれほど人間が出来てなくて、結構荒々しい面も持ってたみたい。若いころは好き嫌いがひどくて癇癪持ちで、世話になっている人でも、一旦見切ってしまうと簡単に縁を切ってしまったとか。出家の時に実の娘を縁から蹴落としてる、鎌倉中期に描かれた絵なんかも載ってて、かなりびっくりです。それもそのはず、西行の先祖には平将門を討った荒くれ者の俵藤太がいたから、なんだそうですが... そういうものなんですかね?(笑) あと、出家した後も待賢門院のところの女房たちとか、通りすがりの遊女相手に粋な歌のやりとりをしてみたりという艶やかさもあったり。もちろん「西行花伝」の西行が絶対とは思ってなかったんですけど、やっぱりかなり違うものなんですね。面白いなあ。
白洲正子さんご自身が、西行縁の地を辿って色々な旅をしてらっしゃるので、そういう紀行文的楽しみもあるし、能や歌舞伎、その他様々な資料に残る逸話を引き合いに出しての説明も興味深かったです。白洲正子さんの潔さのある文章もいいですね。(新潮文庫)

ということで、西行はこれで一旦オシマイ。次は坂口安吾氏の「桜の森の満開の下」を読もうかと思ったんですけど、あいにくとまだ満開じゃないんですよね。てか、まだほとんど蕾だし! なので、咲き揃うまでもうちょっと待つことにします。(^^ゞ


+既読の白洲正子作品の感想+
「日本のたくみ」白洲正子
「西行」白洲正子
「遊鬼」白洲正子

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先日読んだ「論語」と同じ、角川文庫の「ビギナーズ・クラシックス」のシリーズの1冊。以前OverQさんがたらいまわし企画の棺桶本に挙げてらした陶淵明です。私も漢詩は読んでみたいなと思っていたんですが、どこから入っていいものやらさっぱり状態。OverQさんに、陶淵明は漢文に慣れてない人間にも入りやすいと伺って、いつかは~と思ってたんです。「桃源郷」の言葉の語源となってる「桃花源記」も、原文を読んでみたかったし。...そんなところに初心者向けのこのシリーズが! なんともいいタイミングじゃありませんか。
漢文と書き下し文と訳文を行ったり来たりするので、この1冊を読み終えるのに、ものすごーーーく時間がかかっちゃいましたが... しかも時間がかかった割に、自分がどれだけ理解できたのか、自分の中にどれだけ蓄積されたのか不明なんですが... っていうか、ほとんど残ってない気もするんですが...(ダメじゃん) でも田園詩人と呼ばれる陶淵明の雰囲気はなんとなく掴めたような気が。山海経を主題にした詩を読んでると山海経が読みたくなるし、あと詩の中に「昭昭」とか「皛皛」(「白」が3つ、丁度「晶」みたいな感じで並んでる字です)という言葉が出てきたんですけど、「昭昭」が「月の光が空全体に広がった明るさ」で、「皛皛」が「白い月の光が川の水面のさざ波に反射した明るさ」なんですって。こういうのも全然知らなかったので面白かったです。
こういうのは繰り返し読むほど味わいが深くなるそうなので、また折りに触れてじっくりと読み返してみたいと思ってます... が、次はとりあえずこのシリーズの「李白」を読む予定。さて今度はどのぐらい時間がかかるんでしょ。忘れた頃にでも感想をアップできれば、御の字です。(角川ソフィア文庫)


+関連シリーズ作品の感想+
「論語 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」加地伸行
「陶淵明 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」釜谷武志
「李白 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」筧久美子
「老子・荘子 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」野村茂夫
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

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先日、孔子の弟子の顔回を主人公にした「陋巷に在り」を読んだんですけど、孔子という人についてほとんど知らないままだったので、気になってた「論語」を読んでみました。とは言っても難しいものではなくて、角川文庫から出ている「ビギナーズ・クラシックス」のシリーズの1冊。中学生にも分かるようにと書かれているので、ほんと読みやすいです。それでもこれをいきなり読んだら、子由だの子貢だの子夏だの、きっとどれが誰なのかさっぱり分からなくなったんでしょうけど、「陋巷に在り」で、孔子の弟子たちの造形もかなり出来上がってますしね。そういう意味でも入りやすくて良かったです。
それにしても、漢文とか書き下し文とか懐かしーい。一応漢文にも目を通したんですが、まだまだ読み方をちゃんと思い出してないんで、この中国古典のビギナーズ・クラシックスのシリーズで徐々に思い出していこうと思ってマス。ということで、細々と読み進める予定。このシリーズの中国物は、あと「李白」「陶淵明」「老子・荘子」の3冊があって、来月には「韓非子」「杜甫」が出るらしいです(←そこまでは読まないかもですが...)
あ、個人的には、「子曰く...」のルビが「し いわく」で、「し のたまわく」じゃなかったところも読みやすかったです。私にとってはこれが結構重要ポイントなんですよねー。(笑)(角川ソフィア文庫)


+関連シリーズ作品の感想+
「論語 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」加地伸行
「陶淵明 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」釜谷武志
「李白 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」筧久美子
「老子・荘子 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」野村茂夫
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

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