Catégories:“ファンタジー(翻訳)”

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遙か昔、ギリシャで栄華を極めていたオリュンポスの神々も、キリストが生まれてからというもの、その権威は地に墜ち、今はロンドンで困窮に喘いでいました。神々がロンドンに移住したのは1665年のこと。丁度大流行中だったペストの影響でロンドンの不動産価格が底値を記録していた頃で、知恵の女神・アテナによる財テク工作の一環として計画されたのです。しかし一旦ゼウスの名前を家の名義人に記した途端、一族はその地に縛り付けられることになり、300年以上も同じ家に住みながら、倒壊寸前の家をヘパイトスの改築・修繕に頼って暮らしていくことに...。神々は今やその力を失い、僅かずつではあるものの、老い始めていたのです。

ギリシャ神話の神々が現代のロンドンに住んでるとあれば、それは読まなくちゃと思ったんですけどーーー。これがもうほんと一体何なんだか!という出だしで、やっぱり読むのやめようかと思いました...。何がどうだって、序盤がとにかくお下劣なんです。最初、犬の散歩中のアルテミスが木になってしまった女性に出会うところはいいんですけど(アポロンとダフネのエピソードの再来ですね)、その後が...! アポロンとアプロディテが何をしようと勝手ですけど、ここまで書く必要はあったのかしら?
ということで、犬の散歩のバイトで日銭を稼ぐアルテミスに、携帯電話でテレフォン・セックスのバイトに勤しむアプロディテ。英知に優れてはいてもコミュニケーション能力が限りなくゼロに近いアテナ。アポロンはいんちき霊能者としてテレビに出演してるし、エロスは今や敬虔なキリスト教徒。ギリシャ神話でお馴染みの神々がこれでもかというほど情けない姿を曝け出してます。「抱腹絶倒」とは書かれていても、もう全然そんな感じじゃないしーー。というか、この手のユーモアセンスは、私にはイマイチなのよーー。...それでもギリシャ神話だし!とかなり我慢しつつ読み進めていたら、世界が滅亡へと進み始めた頃から面白くなりました。
結論としてはそれほど目新しくもないし、特にオススメ作品とも思わないんですが、それでも終わりよければ全て良しですかね? なかなか可愛らしく収まっていたと思います。下品ながらも可愛らしい神々、と思えるようになったのがスバラシイ。話に全く要領を得ないアテナにはがっかりなんですが(もっと素敵なイメージを持ってたのにー)、その分、アルテミスやヘルメスがなかなかいい味を出していて良かったです。(早川書房)

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6月。ムーミン谷近くの山が噴火して大きな地震が起こり、遠くから海の水が押し寄せてきます。洪水のせいでムーミン谷はすっかり水浸し。避難しなくてはならなくなったムーミントロールたちの前に流れてきたのは、ムーミン一家よりももっと人数の多い家族が一緒に乗れるぐらいの大きな家でした。一家は早速その家に引越しをすることに... という「ムーミン谷の夏まつり」。
11月から4月までは冬眠するムーミンたち。しかし新年を少し過ぎた頃。ムーミントロールはふと目を覚まし、それきり眠れなくなってしまったのです。家の中は夏と一緒でも、妙に静かで寂しくて... ムーミンママの布団の上で丸まって長い冬の夜を過ごしたムーミンは、朝になると外に出てみることに。スナフキンに会いに南へ行こうと思ったのです... という「ムーミン谷の冬」。

ムーミンシリーズの4作目と5作目。
「ムーミン谷の夏まつり」は、1作目の以来の危機勃発の物語。でも彗星が地球にぶつかるというあの時にもまるで動じなかったムーミン一家が、洪水ごときでうろたえるわけもなく。(笑) 避難というよりも、もうほんと普通にお引越しですね。ピクニックのような和やかさ。みんなが新しい家に落ち着いた後でも、ムーミントロールとスノークのおじょうさんが木の上に置き去りにされるという事件が起きるんですが、ムーミンパパもムーミンママもあまり心配してないし~。はぐれたと分かった最初こそ嘆き悲しむムーミンママなんですけど、「ほんとに、あの子たちのことが、そんなにかなしいのかい」と言われて、「いいえ、ちょっとだけよ。だけど、こんなにないてもいい理由があるときには、いちどきにないておくの」ですもん。そこで一しきり泣いたら、後は希望のみ。なんて前向きなんだ!(笑)
今回は、ムーミントロールの気障な台詞にひっくり返りましたよ。「わたしがすごくきれいで、あんたがわたしをさらってしまうというあそびをしない?」というスノークのおじょうさんに対して、ムーミントロールの答えは「きみがすごくきれいだ、なんてことは、あそびにしなくていいんだよ。きみは、いまだって、ちゃんときれいなんだもの。ぼく、たいていきみをさらっちゃうよ。あしただけどさ」ですよ! それと、いつも孤高な人生を歩んでいるスナフキンが、公園の「べからず」立て札を片端から引き抜いてやろうと、ニョロニョロの種を蒔いたり、一緒に逃げ出した24人の子供たちの世話をしたりとなかなか楽しい展開です。

「ムーミン谷の冬」は、シリーズ初の冬の物語です。目を覚ましてしまうのはムーミンとちびのミイ。
冬眠中の11月から4月までの期間というのは、ムーミンたちにとって存在しないも同じ時間。北欧が舞台なのに、ムーミンが雪を見たこともなかったというのが驚きなんですが、ここに描かれているのは、まさに北欧の冬。夏とは全然雰囲気が違います。死んだように静まり返った雪の世界。「夜が明ける」とはいっても、半年は夜となる北欧は、白夜の反対の極夜の状態。1日中、薄闇のモノトーンの世界なんでしょうね。家の中にも外にも、寂寞としたイメージが漂っています。雪は音を吸収するでしょうから、一層不気味だったのでは。
「ここは、うちの水あび小屋だぜ」と言うムーミンに対して、「あんたのいうとおりかもしれないけど、それがまちがいかもしれなくてよ。そりゃ、夏にはなるほどこの小屋は、あんたのパパのものでしょうさ。でも、冬にはこのおしゃまのものですからね」と返すおしゃまさん。そう言われてしまうと一言もありませんね。よく知っている場所のはずなのに、ここは既に異世界。夏と冬でこれほど世界が変わるというのがすごいです。北欧に住む人々にとっては普通なのかもしれませんが、とてもインパクトがありました。
そしてそれだけに、春の到来がとても素敵。まだまだ雪が厚く積もり、氷も厚くはって寒いながらも、やがて水平線にお日さまが最初は糸のように細く顔を出し、それから少しずつ高く上るようになり、やがてムーミン谷にも弱い日ざしが差し込むようになります。そして雪嵐。こんな風に北欧の人々は春を迎えるんですね。目が覚めたムーミンママの「わかってますよ」という言葉がとても温かいです。ああ、特に大事件はおきない話なんだけど、シリーズ5冊読んだ中でこの作品が一番好き!(講談社文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ムーミン谷の彗星」トーベ・ヤンソン
「たのしいムーミン一家」トーベ・ヤンソン
「ムーミンパパの思い出」トーベ・ヤンソン
「ムーミン谷の夏まつり」「ムーミン谷の冬」トーベ・ヤンソン

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グリム姉妹の事件簿1

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書評/ミステリ・サスペンス


11歳のサブリナと7歳のダフネのグリム姉妹は、2年前に両親が失踪して以来孤児院暮らし。孤児院のミズ・スミートはグリム姉妹のことを毛嫌いしており、2人を孤児院から引き取ってくれる家庭を見つけることが、今や彼女の一大使命となっていました。今もまた、祖母だと名乗る人物のところに連れて行かれるところ。しかしこれまで2人を送り込んだ先の人々は大抵意地悪で、時には頭がおかしいこともあり、2人をメイドや子守りとしてこきつかうか、ただ無視するばかり。その上、今回連れて行かれる先は、両親にずっと死んだと聞かされていた祖母のところなのです。サブリナはその「祖母」の偽者の家からもすぐ脱走する心づもりにしていました。しかしダフネはすぐに「レルダおばあちゃん」に懐いてしまい...。

東京創元社の創元ブックランドの新刊。今回は献本で頂きました。感謝。
本の案内に、かのグリム童話をまとめたグリム兄弟の子孫が、今はおとぎばなしの登場人物たちの見張りをしつつ、代々探偵業を営んでいるとあり、この時点で既に興味津々だったのですが、帯にはさらにジェイン・ヨーレンの「どうしてわたし自身で考えつかなかったんだろう! すっごいアイディア」という言葉が。ジェイン・ヨーレンにそんなことを言わせるとは、と読む前から期待が膨らみます。
そして実際に読んでみて。確かにこの設定は面白い~。そもそもグリム兄弟がおとぎばなしを書き留めたのは、おとぎばなしの時代の終わりが近づいたことを悟ったから。昔々はおとぎばなしに出てくる生き物たち(エヴァーアフター)と人間は共に暮らしていて、不思議なことも日常的に存在していたのに、両者は徐々にぶつかり合うようになってしまったんですね。魔法が禁止され、エヴァーアフターたちが迫害され始めたのを見たグリムは、できる限り沢山の物語を書き留め、親しくなったエヴァーアフターたちがアメリカ移住するのを手伝います。船を世話し、ハドソン川のほとりに土地を買って、エヴァーアフターたちがその土地に町を築くのを手伝うんです。でも新大陸にも徐々に人間は増えて、エヴァーアフターたちの身に再び危険が迫ります。バーバ・ヤーガに魔法をかけてもらうことによって、今の状態に落ち着くことになったんですが...。
その話がレルダおばあちゃんから出た時は、グリム一族がエヴァーアフターの後見人のような役割なのかなあと思っていたのですが、舞踏会での会話を聞いている限りでは、エヴァーアフター側にも様々な思いがあるようで! その辺りは、読んでいてちょっと複雑になってしまったんですけど... でもいずれにせよ、どちらか一辺倒の態度だけってわけじゃないのが良かったです。それに昔ながらの物語やファンタジー系の作品の登場人物が所狭しと歩き回っているのには、やっぱりわくわくしてしまいます。彼らの裏の素顔を覗き見るような楽しさ~。そして一番魅力的だったのは、レルダおばあちゃんの言う「世界一大きなウォークイン・クローゼット」! これはすごいです! この中、入ってみたい!!

今回だけで解決することと、また次回以降に続くことと。まだまだ小手調べといった感じもあるし、これでようやく登場人物たちが落ち着くところに落ち着いたので、今後ますます面白くなりそうな予感。次作も楽しみに待ちたいと思います。そして創元ブックランドの本は毎回挿絵も楽しみなのですが、今回は後藤啓介さんによる影絵調の挿絵で、これも物語の雰囲気によく似合っていて素敵です。(創元ブックランド)

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7歳の時に実の母を亡くし、13歳の時に父も亡くしたシンシンは、今は義母と半分だけ血の繋がった姉・ウェイピンとの3人暮らし。シンシンは腕のいい陶工だった父から絵と詩と書の三芸を習い、特に習字が上手でした。しかしこの1年間のシンシンの呼び名は「役立たず」。シンシンは、家の仕事を一手に引き受ける日々を送っていたのです。しかしシンシンは毎日泉にいる美しいコイに亡き母の魂を見て心を和ませていました。

ドナ・ジョー・ナポリ版「シンデレラ」。「シンデレラ」の物語は世界中に広がっていますが、その原形は中国にあったと言われていて、ドナ・ジョー・ナポリが今回の物語の舞台に選んだのも中国。ドナ・ジョー・ナポリ自身、1997年の夏に北京師範大学で創作を教えていて、その時に中国のシンデレラの物語を読むことにもなったようですね。でも舞台となっている時代はそれほど古くなくて、明代初代の皇帝・洪武帝の頃です。

この物語のシンデレラは、シンシン。でもシンシンは、欧米のシンデレラほどあからさまに義母や義姉に扱いを受けているのではないんです。もちろん日々の家の仕事は全部シンシンの仕事だし、それが不公平だというのは当然なんですが... 義姉のウェイピンは1年前から纏足をしていて、それが痛くて辛くて住んでる洞穴からも外に出られない状態。家の仕事なんてとんでもないし、足が痛いから、ついついきつい言葉を吐いてしまうんですね。それに義母の足だって纏足をした足だから、働くのに向いてないし。一家の大黒柱を亡くした家族に、奴婢を雇う余裕があるはずもなく。
もちろん義母がウェイピンに纏足をさせたのはいい結婚をさせるためで、シンシンにはさせないという時点で既に扱いの違いが出てるわけなんですが、シンシンの足は纏足をしなくても十分小さな足なんです。それもポイントですね。だって顔立ちが不細工で、足も大きいウェイピンに、シンシンは優越感を抱いてるんですもん。それにウェイピンが実の母親に可愛がられるようになったのは、父親が亡くなってから。母親は息子を産む気満々だったから、娘なんて全然眼中になくて、息子が産めないとなって初めて、母の目がウェイピンの方を向いたんです。やっと得た母の愛と価値観に囚われて、纏足をしさえすればいい結婚ができると信じてるウェイピン、なんだか可哀想です。
そんな状態だから、本家のシンデレラほど「シンデレラ vs 義母+義姉」の対比が鮮やかではないし、最終的に立場が逆転して胸がすくような展開というわけでもありません。何も知らなかったシンシンが徐々に成長して世界を知り、最後には1人の女性として自分の進むべき道を選び取るというのはいいんですけど... それでウェイピンはどうなるんでしょう? 結果的に義母と義姉を踏み台にしたようなシンシンよりも、どうしてもウェイピンの方が気になってしまいます。なんだかすっきりしないぞー。(あかね書房)


+既読のドナ・ジョー・ナポリ作品の感想+
「逃れの森の魔女」ドナ・ジョー・ナポリ
「クレイジー・ジャック」ドナ・ジョー・ナポリ
「バウンド 纏足」ドナ・ジョー・ナポリ

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ケーバーン山のふもとのグラインド村に生まれたエルシー・ピドックは、生まれながらのなわとび上手。3歳の時になわとびのつなを作ってもらって以来、一日中なわとびばかり。5つになった頃には誰にも負けないほどになり、6つの時にはエルシー・ピドックの名前はその州に知れ渡り、7つになった頃にはケーバーン山に住む妖精でさえエルシーの名前を知っていました... という「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」。
そして、どんなとこでも寝てしまうネコ。ピアノの上でも窓の棚でも、部屋の真ん中でも、ブランコの上でも、部屋の真ん中でも、ブランコの上でも... という「ねんねんネコのねるとこは」。

ファージョンの絵本2冊。
「エルシー・ピドック~」の方は、「ヒナギク野のマーティン・ピピン」でマーティン・ピピンがシルビアのために語ったお話だけを取り出して絵本にしたものです。このお話そのものも元々大好きなんですが、そのお話にシャーロット・ヴォーグの絵の柔らかい線、淡い緑を基調にした色合いがとてもよく似合っていて素敵~。夢がたっぷり~。で、お話そのものも素敵なんですけど、やっぱり石井桃子さんの訳もとてもいいんですよね。中でも「アンディ・スパンディ、さとうのキャンディ、アマンド入りのあめんぼう! おまえのおっかさんのつくってる晩ごはんは、パンとバターのそれっきり!」というなわとび歌が、子供の頃から大好きなんです。

「ねんねんネコのねるとこは」は、ファージョンの言葉にアン・モーティマーの絵がつけられた絵本。短い言葉に可愛いネコ。どのページにも気持ち良さそうに寝てるネコがいて、その表情が可愛くて、思わず撫でたくなってしまう~。ネコってほんと、いつ見ても幸せそうに寝てますものねえ。そして見開きの左ページと右ページのさりげない繋がりも楽しいのです。すぐ読み終えてしまうような絵本ですが、ネコが大好きというのが伝わってきて楽しい絵本です。(岩波書店・評論社)


+既読のファージョン作品の感想+
「ムギと王さま」「天国を出ていく」ファージョン
「年とったばあやのお話かご」「イタリアののぞきめがね」ファージョン
「町かどのジム」エリノア・ファージョン
「リンゴ畑のマーティン・ピピン」「ヒナギク野のマーティン・ピピン」ファージョン
「銀のシギ」エリナー・ファージョン
「マローンおばさん」エリナー・ファージョン
「ガラスのくつ」エリナー・ファージョン
「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」「ねんねんネコのねるとこは」エリナー・ファージョン

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トムは腹を立てていました。夏休みは弟のピーターと庭のリンゴの木の枝と枝の間に家を作ろうと前々から計画していたのに、ピーターははしかにかかり、トムはうつらないようにするために、アランおじさんとグウェンおばさんの家に行かなければならなくなったのです。アランおじさんたちが住んでるのは、庭のないアパート。万が一はしかにうつっていた時のために外に出ることもできず、友達もおらず、トムは日々退屈しきっていました。運動不足で夜も寝られなくなってしまったトムは、毎晩のように時計の打つ音を数えるのが習慣となります。古い置時計は、打つ音の数を間違えてばかり。しかしそんなある晩、夜中の1時に時計が13回打ったのです。夜の静けさに何かを感じたトムは、こっそりベッドから抜け出します... という「トムは真夜中の庭で」。
隣の家に住んでいたのは、"よごれディック"。数年前に奥さんに逃げられて以来、ディックは一人暮らしで、母さんに言わせると、ブタ小屋のブタのような暮らしぶり。運転はできないのに2台の車を持ち、1台ではウサギを、もう1台ではメンドリを飼い、卵を売って暮らしていました... という「汚れディック」他、全8編の短編集

古時計が13回打った時にだけ現れる庭園とハティという名の少女。昼間はがらくたばかりが置かれている狭苦しい汚い裏庭があるだけの場所に、広い芝生と花壇、木々や温室のある庭園が広がっていて...! 退屈だったはずの夏休みが、わくわくする真夜中の冒険に一変してしまいます。子供の頃に何度も読み返した作品なんですが、中学以降は読んでなかったかも... ものすごく久しぶりの再読なんですが、これがやっぱり良くて! 大人になって読んでも全然色褪せていないし、それどころかさらに一層楽しめるというのが素晴らしい。
でも楽しい冒険も徐々に終わりに近づいて...。小さかったハティがいつしかすっかり大きくなっていたと気づくところは切ないです。しかもそれに気付かされるのが、他人の目を通してなんですから! でも最後に彼女の名前を叫んだ時、きちんとその声が届いたというのがなんとも嬉しいところ。年齢差を越えた2人の邂逅には胸が温まります。
この作品、子供の頃読んでた時はやっぱりトム視点で読んでたと思うんですけど、大人になった今読むと、もちろんトム視点が基本なんですけど、ハティもかなり入ってたかも。読む年齢に応じて、その経験値に応じて、新たな感動をくれる本なんですね。あー、こういう子供の頃に大好きだった本を読み返すたびに、本棚に入れておいてくれた父に改めて感謝してしまうなあ。

そして「真夜中のパーティー」の方は、今回初めてです。どれもごく普通の日常から始まる物語。特に不思議なことが起きるわけでもないし、日常のちょっとした出来事と一緒に子供たちの思いが描かれているだけ。でもそれがとても鮮やかなんですね。真夜中のパーティーが親にばれないように工夫する姉弟たち、ついついニレの木を倒してしまった少年たち、貴重なイシガイを川に隠す少年たち、せっかく摘んだキイチゴを無駄にしてしまい、怒る父親から逃げ出す少女、池の底からレンガの代わりにブリキの箱を拾った少年...。特に印象に残ったのは、川の底に潜りこもうとするイシガイを見ながら密かに逡巡するダンの姿かな。これは本当にドキドキしました。兄のようなパットが大人たちに糾弾されるのに憤慨した小さなルーシーの反撃も良かったなあ。溜飲が下がります。あと、間違えてブリキの箱を拾ってきた少年のあの達成感・充実感ときたら! 読んでいるその時には、それほど大した物語には思えないのですが、後から考えると印象的な場面がとても多かったことに気づかされるような、深みのある短編集でした。(岩波少年文庫)

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町の高い円柱のうえに立っていたのは幸福な王子の像。全身うすい純金の箔がきせられ、目には2つのサファイア、刀の柄には大きな赤いルビーがはめられ、非常な賞賛の的。そんなある夜、一羽のツバメがエジプトに向かう途中、幸福の王子のいる町を通りかかります... という「幸福な王子」他、全9編を収めた短編集。と、
画家のバジル・ホールウォードのモデルとなっていたのは、美貌の青年・ドリアン・グレイ。彼は、ちょうどアトリエを訪ねて来たヘンリー卿に自分の美しさを改めて教えられ、同時に美しさを失うことへの恐怖をも植えつけられ、そして快楽主義者であるヘンリー卿の感化で、背徳の生活へと踏み出すことに。しかしその生活による外面的な変化は全て肖像画に表れ、ドリアン・グレイ自身はいつまで経っても若い美青年のままだったのです... という「ドリアン・グレイの肖像」。

先日再読した「サロメ」が思いのほか素晴らしかったので、そちらを訳している福田恆存さんの訳で読みたかったんですけど、「幸福の王子」はどうやら訳してらっしゃらないようですね... 残念。「ドリアン・グレイの肖像」は福田恆存さんの訳なのですが。

「幸福の王子」は、実は子供の頃に大嫌いだった作品なんです。ワースト3に入ってました。何が嫌いって、幸福の王子の偽善的なところ。自分は貧しい人々を助けて満足かもしれないけど、そのために死んでしまったツバメはどうするの...?ですね。王子の思いやりが素晴らしい、なんて思わなかったし~。で、大人になった今読み返してみても、やっぱり凄い話でした。確かにツバメも納得してやってることではあるんだけど... しかも大人になってから読むと、さらに気になることがいっぱい。宝石や金箔を届けられた人は、その場は有難かったでしょうけど、金箔はともかく、立派なサファイアやルビーはどこから取ってきたのか一目瞭然のはず。疑われることにならなかったのかしら? もしそんなことにならなかったとしても、貧しくても正しく生きてきた生活がそれで一気に崩れてしまったりしなかったのかしら? 幸福の王子は、自分の目に見える範囲のほんの数人を助けたけど、その他の可哀想な人々はどうなるの? 全てに責任が取れないのなら、中途半端に手を出さない方がいいのでは?(千と千尋だね!) やっぱり幸福の王子の行動は自己中心的なものとしか映らないなあー。
そして今、他の作品を読んでみてもそういう物語ばかりでびっくりです。美しい言葉で飾られてはいるけれど、自己中心的な人々が純情な正直者を傷つける物語ばかり。赤いばらを欲しがった学生のために無意味に死んでいったナイチンゲールや、粉屋に利用されるだけ利用された正直者のハンス。死んでしまってなお、酷い言葉を投げかけられる侏儒。そんな物語も、オスカー・ワイルドの手にかかるとあまりに美しいのだけど...。オスカー・ワイルドはどんな気持ちでこういった作品を書いたのかしら。多分これが「童話集」でなければ、私も別にそこまで引っかからなかったんじゃないかと思うんですが...。(笑)

そして「ドリアン・グレイの肖像」は、肖像画がその罪を一手に引き受けてくれるという、今読んでも斬新な設定が楽しい作品。画家のバジルは画家ならではの鋭い目で「ひとりの哀れな人間に罪があるとすれば、その罪は、かれの口の線、瞼のたれさがり、あるいは手の形にさえ現れるのだ」と言うんですけど、ドリアン・グレイがいくら悪行を繰り返しても、外見は18年前に肖像画が描かれた時と同じ。顔つきは純真無垢で明るく、穢れをつけない若さのまま。
美貌の青年にとって、その美貌をなくすことは何よりも耐え難いことなんですけど、そのきっかけを作ったのはヘンリー卿。「美には天与の主権があるのだ。そして美を所有する人間は王者になれる」と言いながら、続けて「あなたが真の人生、完全にして充実した人生を送りうるのも、もうあと数年のことですよ。若さが消えされば、美しさもともに去ってしまう、そのとき、あなたは自分にはもはや勝利がなにひとつ残ってないということに突然気づくーー」なんて言うんですね。このヘンリー卿の言葉がどれも面白いし、その印象も強烈。やっぱりヘンリー卿には、オスカー・ワイルド自身が投影されてるのかしら。彼がドリアン・グレイの悪行にまるで気づいていないのが不思議ではあるんですが... 影響を与えた彼自身は快楽主義者としてではあっても、一般的な社会生活からは逸脱してませんしね。うーん、彼こそが本物だったということなのかもしれないな。あと、彼がドリアン・グレイに貸した本が背徳のきっかけになるんですけど、あれは何の本だったんだろう! 例えばマルキ・ド・サドとか?(笑)
そしてこの作品で特筆すべきなのは美へのこだわり。ドリアン・グレイ自身も美しい物が大好きで色々と収集してるんですけど、彼の存在自体がもう美しく感じられますしね。そして作品そのものもあまりに美しい...。とは言っても、その美しさは天上の美しさではなくて、堕天使の魅力なのですが。オスカー・ワイルドの美意識が全開の作品だと思います。(新潮文庫)


+既読のオスカー・ワイルド作品の感想+
「サロメ」ワイルド
「幸福な王子」「ドリアン・グレイの肖像」ワイルド
「ウィンダミア卿夫人の扇」ワイルド

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