Catégories:“児童書・YA(翻訳)”

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7歳の時に実の母を亡くし、13歳の時に父も亡くしたシンシンは、今は義母と半分だけ血の繋がった姉・ウェイピンとの3人暮らし。シンシンは腕のいい陶工だった父から絵と詩と書の三芸を習い、特に習字が上手でした。しかしこの1年間のシンシンの呼び名は「役立たず」。シンシンは、家の仕事を一手に引き受ける日々を送っていたのです。しかしシンシンは毎日泉にいる美しいコイに亡き母の魂を見て心を和ませていました。

ドナ・ジョー・ナポリ版「シンデレラ」。「シンデレラ」の物語は世界中に広がっていますが、その原形は中国にあったと言われていて、ドナ・ジョー・ナポリが今回の物語の舞台に選んだのも中国。ドナ・ジョー・ナポリ自身、1997年の夏に北京師範大学で創作を教えていて、その時に中国のシンデレラの物語を読むことにもなったようですね。でも舞台となっている時代はそれほど古くなくて、明代初代の皇帝・洪武帝の頃です。

この物語のシンデレラは、シンシン。でもシンシンは、欧米のシンデレラほどあからさまに義母や義姉に扱いを受けているのではないんです。もちろん日々の家の仕事は全部シンシンの仕事だし、それが不公平だというのは当然なんですが... 義姉のウェイピンは1年前から纏足をしていて、それが痛くて辛くて住んでる洞穴からも外に出られない状態。家の仕事なんてとんでもないし、足が痛いから、ついついきつい言葉を吐いてしまうんですね。それに義母の足だって纏足をした足だから、働くのに向いてないし。一家の大黒柱を亡くした家族に、奴婢を雇う余裕があるはずもなく。
もちろん義母がウェイピンに纏足をさせたのはいい結婚をさせるためで、シンシンにはさせないという時点で既に扱いの違いが出てるわけなんですが、シンシンの足は纏足をしなくても十分小さな足なんです。それもポイントですね。だって顔立ちが不細工で、足も大きいウェイピンに、シンシンは優越感を抱いてるんですもん。それにウェイピンが実の母親に可愛がられるようになったのは、父親が亡くなってから。母親は息子を産む気満々だったから、娘なんて全然眼中になくて、息子が産めないとなって初めて、母の目がウェイピンの方を向いたんです。やっと得た母の愛と価値観に囚われて、纏足をしさえすればいい結婚ができると信じてるウェイピン、なんだか可哀想です。
そんな状態だから、本家のシンデレラほど「シンデレラ vs 義母+義姉」の対比が鮮やかではないし、最終的に立場が逆転して胸がすくような展開というわけでもありません。何も知らなかったシンシンが徐々に成長して世界を知り、最後には1人の女性として自分の進むべき道を選び取るというのはいいんですけど... それでウェイピンはどうなるんでしょう? 結果的に義母と義姉を踏み台にしたようなシンシンよりも、どうしてもウェイピンの方が気になってしまいます。なんだかすっきりしないぞー。(あかね書房)


+既読のドナ・ジョー・ナポリ作品の感想+
「逃れの森の魔女」ドナ・ジョー・ナポリ
「クレイジー・ジャック」ドナ・ジョー・ナポリ
「バウンド 纏足」ドナ・ジョー・ナポリ

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トムは腹を立てていました。夏休みは弟のピーターと庭のリンゴの木の枝と枝の間に家を作ろうと前々から計画していたのに、ピーターははしかにかかり、トムはうつらないようにするために、アランおじさんとグウェンおばさんの家に行かなければならなくなったのです。アランおじさんたちが住んでるのは、庭のないアパート。万が一はしかにうつっていた時のために外に出ることもできず、友達もおらず、トムは日々退屈しきっていました。運動不足で夜も寝られなくなってしまったトムは、毎晩のように時計の打つ音を数えるのが習慣となります。古い置時計は、打つ音の数を間違えてばかり。しかしそんなある晩、夜中の1時に時計が13回打ったのです。夜の静けさに何かを感じたトムは、こっそりベッドから抜け出します... という「トムは真夜中の庭で」。
隣の家に住んでいたのは、"よごれディック"。数年前に奥さんに逃げられて以来、ディックは一人暮らしで、母さんに言わせると、ブタ小屋のブタのような暮らしぶり。運転はできないのに2台の車を持ち、1台ではウサギを、もう1台ではメンドリを飼い、卵を売って暮らしていました... という「汚れディック」他、全8編の短編集

古時計が13回打った時にだけ現れる庭園とハティという名の少女。昼間はがらくたばかりが置かれている狭苦しい汚い裏庭があるだけの場所に、広い芝生と花壇、木々や温室のある庭園が広がっていて...! 退屈だったはずの夏休みが、わくわくする真夜中の冒険に一変してしまいます。子供の頃に何度も読み返した作品なんですが、中学以降は読んでなかったかも... ものすごく久しぶりの再読なんですが、これがやっぱり良くて! 大人になって読んでも全然色褪せていないし、それどころかさらに一層楽しめるというのが素晴らしい。
でも楽しい冒険も徐々に終わりに近づいて...。小さかったハティがいつしかすっかり大きくなっていたと気づくところは切ないです。しかもそれに気付かされるのが、他人の目を通してなんですから! でも最後に彼女の名前を叫んだ時、きちんとその声が届いたというのがなんとも嬉しいところ。年齢差を越えた2人の邂逅には胸が温まります。
この作品、子供の頃読んでた時はやっぱりトム視点で読んでたと思うんですけど、大人になった今読むと、もちろんトム視点が基本なんですけど、ハティもかなり入ってたかも。読む年齢に応じて、その経験値に応じて、新たな感動をくれる本なんですね。あー、こういう子供の頃に大好きだった本を読み返すたびに、本棚に入れておいてくれた父に改めて感謝してしまうなあ。

そして「真夜中のパーティー」の方は、今回初めてです。どれもごく普通の日常から始まる物語。特に不思議なことが起きるわけでもないし、日常のちょっとした出来事と一緒に子供たちの思いが描かれているだけ。でもそれがとても鮮やかなんですね。真夜中のパーティーが親にばれないように工夫する姉弟たち、ついついニレの木を倒してしまった少年たち、貴重なイシガイを川に隠す少年たち、せっかく摘んだキイチゴを無駄にしてしまい、怒る父親から逃げ出す少女、池の底からレンガの代わりにブリキの箱を拾った少年...。特に印象に残ったのは、川の底に潜りこもうとするイシガイを見ながら密かに逡巡するダンの姿かな。これは本当にドキドキしました。兄のようなパットが大人たちに糾弾されるのに憤慨した小さなルーシーの反撃も良かったなあ。溜飲が下がります。あと、間違えてブリキの箱を拾ってきた少年のあの達成感・充実感ときたら! 読んでいるその時には、それほど大した物語には思えないのですが、後から考えると印象的な場面がとても多かったことに気づかされるような、深みのある短編集でした。(岩波少年文庫)

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王さまとお妃さまに待望の赤ちゃんが生まれ、小さなお姫さまのために洗礼式が盛大に執り行われることになります。名付け親として招かれたのは、国中で見つかった7人の妖精たち。妖精たち1人1人から贈り物をしてもらい、想像できる限り最高のお姫さまになるようにするのが、当時の習慣だったのです。しかし宴の席に8人目の妖精が現れます。その妖精は50年以上も前から塔の外に出ておらず、生きているのかどうかすら分からなかったため、招かれていなかったのです。妖精用のどっしりした黄金のケースに入った純金のスプーンとフォークとナイフは7つしか作っておらず、その妖精の前に出されたのは普通の食卓道具。ばかにされたと思い込んだ年取った妖精は、口の中でぶつぶつと脅しの文句を呟きます... という「眠りの森の美女」他、全10編の童話集。

アンジェラ・カーターの「血染めの部屋」(感想)を読んだ時も、「青髭」を改めて読んでみたいなあと思ってたんですけど、先日ファージョンの「ガラスのくつ」(感想)を読んで、今度読みたくなったのは「シンデレラ」! いい機会なので、ペロー童話集を読むことに。これも岩波文庫版や白水社uブックス、河出文庫版(澁澤龍彦訳)、ちくま文庫版(巖谷國士)など、色んなバージョンがあって、読み比べてみたくなっちゃうんですが~。今回手に取ったのは天沢退二郎訳の岩波少年文庫版。本の挿絵はマリ林(Marie Lyn)さんという方で、これがまたとても素敵。この方、天沢退二郎氏の奥様なんですね!

「そして2人は幸せに暮らしました...」の後の話まできちんとついている「眠りの森の美女」や、狼に食べられたきりで終わってしまう「赤頭巾ちゃん」。そうか、この結末はペローだったのか。「眠りの森の美女」の後日譚がついてる絵本を子供の頃に読んで、それがものすごく強烈だったのに(特にたまねぎのソースが...)、それっきり見かけなくて一体どこで読んだんだろうと思ってたんです。そうか、ペローだったのか...。その他も、大体は知ってる通りのお話だったんですけど、10編のうち「巻き毛のリケ」というお話だけは全然知らなくて、ちょっとびっくり。訳者あとがきによると、この作品だけはグリムにもバジーレにもヨーロッパ各地の民話・説話には明らかな類話が見当たらないお話なんだそうです。道理で!
でも伝承に忠実なグリムに対して、同じく伝承を採取しながらルイ14世の宮廷で語るために洗練させたペロー、というイメージがすごく強いのに、訳者あとがきによると「赤頭巾ちゃん」なんかは、ペローの方が古い伝承に忠実なんですって。グリムの「いばら姫」では「眠りの森の美女」の後日譚はカットされ、「赤頭巾ちゃん」には新たな結末が付け加えられたというわけですね。でも洗練される過程で、少し変わってしまったのが、ペロー版のシンデレラ「サンドリヨン」。伝承特有の「3度の繰り返し」がなくて、舞踏会に行くのが2回なんですよ!(驚) でも変わってしまっているとしても、やっぱり物語として洗練されてて面白いです。それにそのそれぞれのお話の終わりに「教訓」や、時には「もう一つの教訓」が付けられてるのが楽しいのです。(ケストナーの「教訓」は、もしやここから?)

そして勢いづいて、以前読んだ「人類最古の哲学」(中沢新一)を再読。これ、2年ほど前にも読んでいて(感想)、その時も沢山メモを取りつつ読んだんですけど、既にかなり忘れてしまってるので... いやあ、やっぱり面白いです。5冊シリーズの1冊目は、世界中に散らばるシンデレラ伝説を通して神話について考えていく本。伝承・神話系の物語って、実はきちんとそれぞれの形式があって、それぞれの場面や行動にきちんと意味があってそういう決まりごとにのっとって作られてるんですよね。シンデレラといえば、日本ではまずペローやグリムが有名ですけど、もっと神話の作法に則ったシンデレラ物語が世界中に残っているわけです。そしてその物語を聞いた北米のミクマクインディアンが作り出したシンデレラの興味深いことといったら...! ええと、近々ドナ・ジョー・ナポリの「バウンド」を読むつもりにしてるので、そちらの予習も兼ねてます。(岩波少年文庫)

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外で雄鶏が「コケコッコー!」と鳴き、地価の大きな暗い石造りのお勝手のせまいベッドの中で目を覚ましたのはエラ。以前は2階の綺麗な部屋で暮らしていたのに、エラの本当のお母さんは既に亡くなり、娘を2人連れた婦人がお父さんと結婚してからというもの、エラは穴倉のようなこの部屋に追いやられ、家の仕事を一手に引き受けさせられていたのです。鳴き続ける雄鶏、そして早く起きることを催促する道具たちに、エラは渋々起き上がります。しかしその時、馬具につけた鈴の音と馬のひづめが鳴る音が聞こえてきます。1ヶ月もの間留守にしていたお父さんがとうとう帰ってきたのです。

先日読んだ「銀のシギ」と同様、元は舞台のための脚本として書かれたものを小説に書き直したという作品。こちらもやはりファージョンらしい味付けがされて、元となっている「シンデレラ」の物語が楽しく膨らまされています。こちらの方が「銀のシギ」よりも賑やかですね。雪の季節の物語だし、まるでクリスマスのための贈り物みたい... なのに、こんな暑い時期に読んでしまってるんですが。(汗)
ペロー版の「シンデレラ」と違うのは、まず主人公のシンデレラに「エラ」という名前がつけられていること。でも以前読んだアーサー・ラッカムの「シンデレラ」(これはペロー版を元にC.S.エヴァンスが再話したもの)でも、同じようにエラという名前がつけられてたんですよね。やっぱり「Cinderella」という名前が「Cinder(灰)+Ella」ということだからなんだろうな、と思いつつ... 日本語のシンデレラの童話を読んでる限りでは、名前が出てきたような覚えがなかったんだけど(全然出てこなかったとも言い切れないのが微妙なとこなんだけど)、「灰かぶりのエラ」は基本なんですかね? それともファージョンか誰かが創作したものなのかな?(C.S.エヴァンスが再話したのは、ファージョンよりも後のことなので) あ、でももし基本だとしても、これは英語圏の人にとって、ですよね。ペローはフランス人だし、フランス語のシンデレラは「サンドリヨン(Cendrillon)」だから、また違うでしょうし。(この場合「Cendre」が灰)うーん、よく分からない!

ま、それはともかくとして。このエラがとても前向きな明るさを持つ女の子なのです。元話と同じく惨めな生活を送ってるはずなのに、その辛さを感じさせないほど。それも前向きになろうと頑張ってるんじゃなくて、ほんと自然体なんですよねえ。その自然体な部分は王子と会った時も変わることがありません。(その場面の会話のちぐはぐで可愛いことったら) そして子供の頃に「シンデレラ」を読んだ時、なんでお父さんは何もしてくれないんだろうと思ってたんですけど、その辺りもちゃんと織り込まれてました。お父さんは優しくて、でも優しすぎる人だったのですねー。しかも仕事で家をたびたび長いこと留守にしてるようだし。もちろん2番目の妻を離婚するなり、エラを信頼できる人間に預けるなり、何とかしようはあったとは思うんですが。(あ、でも離婚はできないのか、宗教的に)
エラのいる台所の道具が話し出すし、継母が実は○○だった、とか(笑)、頭が悪くて欲張りで太っているアレスーザと、怒りっぽくてずるくて痩せっぽちのアラミンタという2人の姉たちの対照的な姿も喜劇的だし、読んでるとやっぱり舞台向きに書かれた話だなあって思います。妖精のおばあさんは、あまり気のいい親切な妖精のゴッドマザーという雰囲気ではなくて、むしろちょっぴり怖そうな雰囲気なんですけどね。「チューイチュイ」という小鳥への呼びかけの声がとても印象的。そしておとぎ話で夢をみるのは普通はお姫さまと相場が決まっていますが、この作品では王子さま。ハート型の純金の額縁を眺めながら、運命の女性を夢見ている王子さまって一体?! でも一番良かったのは道化かな。王子の代わりに怒ったり喜んだり悲しんだりする道化。彼の意外な洞察力と、エラの父親との場面が素敵でした。賑やかでありながらほんのりと心が暖まる、この作品にぴったりの存在だと思います。(岩波書店)


+既読のファージョン作品の感想+
「ムギと王さま」「天国を出ていく」ファージョン
「年とったばあやのお話かご」「イタリアののぞきめがね」ファージョン
「町かどのジム」エリノア・ファージョン
「リンゴ畑のマーティン・ピピン」「ヒナギク野のマーティン・ピピン」ファージョン
「銀のシギ」エリナー・ファージョン
「マローンおばさん」エリナー・ファージョン
「ガラスのくつ」エリナー・ファージョン
「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」「ねんねんネコのねるとこは」エリナー・ファージョン

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ノーフォークの海辺の風車小屋に住んでいるコドリングかあちゃんの子供は、全部で6人。息子はエイブにシッドにデイブにハルの4人で、それぞれに頑丈で大食漢で働き者。娘は18歳のドルと12歳のポル。ドルは丸ぽちゃの可愛い娘で、気性も素直で優しいのですが、怠け者なところが玉に瑕。12歳のポルは、ドルとは全くタイプが違い、子猫のように知りたがり屋の利口者。ある日、1ダースのダンプリングが焼けるのを待って白昼夢にふけっていたドルは、コドリングかあちゃんの「ダンプリングは、かならず三十分でもどってくる」という言葉に、今そこにあるダンプリングを食べてしまっても大丈夫だろうと考えます。

グリムの「ルンペルシュティルツキン」と同系の「トム・ティット・トット」の伝説を元にしたファージョンの創作物語。元となった伝説も巻末に収められているのが嬉しいところです。読み比べてみると、ファージョンがいかに元の話を膨らましたのかがよく分かります。この話、子供の頃も楽しく読んでたんですけど、大人になった今また読んでみると、見事に換骨奪胎されていて、改めてすごい!
まず、元の物語には女の子は1人しか出てこないのですが、こちらに登場するのはドルとポルの姉妹。王様と結婚するのはドルです。彼女は色白で金髪碧眼。とても美しく気立てもいいんですが、とにかく怠け者。そしてそのドルとは対照的なのが妹のポル。ポルは、よく日に焼けてて活動的。色んなことに鼻をつっこむし、やらなければならないことは、きびきびとこなします。外見も中身も正反対。...昔ながらのおとぎ話のヒロインに相応しいのは、やっぱりドルですよね。王さまもドルを見た途端、その美しさに惹かれてるし、のんびりしたドルのおかげで王さまは癇癪を半分に抑えることができるようになるし、あんなに怠け者なのに母性愛はたっぷりだし、ドルにはドルの良さがあります。でも冒険に相応しいのは、やっぱり聡明で活動的で勇敢なポル。元話では偶然名前が分かって、まあそれもおとぎ話としてはいいんですけど、今の物語としては詰めが甘いですよね。ポルが活躍するこの展開には、とても説得力があります。石井桃子さんが訳者あとがきで、ドルがポルを待つ場面は青髭みたいだと書いてらっしゃるんですが、本当にそうだなあ~。
それに謎めいたチャーリー・ルーンや銀のシギといった存在もいいんですよね。幻想的な月の男と月の姫の伝説も絡んで、この辺りもとても好き。あとの登場人物たちも楽しい人たちばっかりで! 二重人格な子供っぽいノルケンス王とかその乳母のナン夫人とか、どんと大きく構えたコドリングかあちゃんや単純な魅力の4人の兄さんたち... 若い小間使いのジェンも、家令のジョンも、コックのクッキーも、乳しぼりむすめのメグスも、庭師のジャックも! この作品は元々は舞台のために書かれた作品なんだそうです。そう考えてみると、4人の兄たちが食べたいものを並べ上げながら登場する場面とか、案外いいコンビのノルケンス王とポルの口喧嘩とか、楽しい場面がいっぱいです。(岩波書店)


+既読のファージョン作品の感想+
「ムギと王さま」「天国を出ていく」ファージョン
「年とったばあやのお話かご」「イタリアののぞきめがね」ファージョン
「町かどのジム」エリノア・ファージョン
「リンゴ畑のマーティン・ピピン」「ヒナギク野のマーティン・ピピン」ファージョン
「銀のシギ」エリナー・ファージョン
「マローンおばさん」エリナー・ファージョン
「ガラスのくつ」エリナー・ファージョン
「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」「ねんねんネコのねるとこは」エリナー・ファージョン

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春の朝、冬眠から醒めたムーミントロールは、同じ部屋で寝ていたはずのスナフキンが既に外に出ているのに気づいて、慌てて外へ。外はとてもいい天気で、お日さまが眩しく光っていました。ムーミントロールはスニフを起こすと3人で山を登り始めます。そしてスニフが山の頂上で見つけたのは、真っ黒いシルクハット。スナフキンは自分の緑色の帽子を気に入っていたため、3人はムーミンパパのために家に持って帰ることに。

ムーミンシリーズの2作目。冬の始めに冬眠に入ってから、4月に目が覚めてシルクハットを見つけて、それにまつわる色々があって、夏の終わりにそのシルクハットの持ち主だという噂だった飛行おにがやって来て... というほぼ1年を通してのお話となっています。ということで、今回の話の中心となるのは、不思議な真っ黒いシルクハット。ええと私、シルクハットはムーミンパパのトレードマークかと思い込んでたんですが、違ったんですねー。この作品では、たったの1度、それもほんの短い時間かぶるだけ。ムーミンママに、帽子をかぶらないない方が「おもみがある」なんて言われて脱いでます。スナフキンは自分の緑色の帽子がお気に入りだし、引き取り手のなくなった帽子は、あっさり紙くずかごになってしまうことに。(それもすごい話だよね)

あれだけ大騒ぎして帽子を捨てた割に、島への冒険から帰ってきた後で、なんでまた家に持ち帰って大切に扱うことにしたのかよく分からなかったし... 中に入れた水が木苺のジュースになるから?(笑) まあ、最終的には役に立ったから良かったんですけど、今回はいくつかの点でちょっぴりもやもや、と。読み終えてみれば、最後に飛行おにがやって来てきれいに輪が閉じたとも言えるんですが、途中で焦点がちょっとぼけてて、それが残念だったかな。いずれにせよ、1作目に比べるととても無邪気な作品になってて、そのことにびっくりです。そりゃあ、彗星が衝突するぞ!なんて話に比べたら、どんな話を無邪気に感じられてしまいそうですが~(笑)まあ、童話らしく可愛らしくなったとも言えそう。本当はこっちから入る方が正解なのかもしれないな。(講談社文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ムーミン谷の彗星」トーベ・ヤンソン
「たのしいムーミン一家」トーベ・ヤンソン
「ムーミンパパの思い出」トーベ・ヤンソン
「ムーミン谷の夏まつり」「ムーミン谷の冬」トーベ・ヤンソン

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4月のある朝、アドバセン近くの牧草地を歩いていたマーティン・ピピンは、道端の畑でカラス麦の種をまいている若い男を見かけます。一握りの種をまくごとに、種と同じほどの涙の粒をこぼし、時折種まきを全くやめると、激しくむせび泣く男の名前はロビン・ルー。彼は美しいジリアンに恋焦がれていました。しかしジリアンは父親の井戸屋形に閉じ込められ、男嫌いで嫁にいかぬと誓った6人の娘たちが、屋形の6つの鍵を持ってジリアンを見張っているというのです。マーティン・ピピンはロビン・ルーの望み通り、ロビンの持つプリムラの花をジリアンに届け、代わりにジリアンが髪にさしている花を持ってくるという約束をします... という「リンゴ畑のマーティン・ピピン」。
空が緑に変わりかけ、月や星が出始めた頃。ヒナギク野にいたのは、ヒナギクでくさりを編んでいる6人の女の子と1人の赤ん坊。そこにやって来たのはマーティン・ピピン。自分の子供をベッドに連れに行くためにやって来たマーティンは、6人の女の子たちのために寝る前のお話と歌を1つずつ、そしてそれぞれの子供たちの親を当てることになります... という「ヒナギク野のマーティン・ピピン」

ファージョン再読祭り、ゆるゆると開催中です。今回読んだのは旅の歌い手・マーティン・ピピンの本2冊。2冊合わせて1000ページを超えるという児童書とは思えないボリュームなんですが、読み始めたらもう止まらない! いやあ、もう本当に懐かしくて懐かしくて... 夢中になって読んでいたのは、もっぱら小学校の頃ですしね。本当に久しぶりです。

「リンゴ畑のマーティン・ピピン」は、サセックス州に伝わる「若葉おとめ」という遊戯の元となる物語を語ったという形式の作品。この遊戯は、囚われの姫を助けにきた旅の歌い手とおとめたちのストーリー。古風な歌の歌詞もとても典雅だし、三部構成で、第一部では若葉のもえぎ色、第二部では白と紅、第三部では黄色い服になるという視覚的にもとても美しい遊戯なんです。でもこれ、実はファージョンの創作。
恋わずらいのジリアンを正気に戻すためには、誰も聞いたことのない恋物語を聞かせるのが一番ということで、マーティン・ピピンが6つの物語を語ることになるんですが、この話が本当に大人っぽいんですよね。子供の頃もドキドキしながら読んでたんですが、大人になって再読しても、やっぱりドキドキしてしまうーっ。これはやっぱり子供向けの作品じゃないでしょ... と思いながら読んでいたら、やっぱり違いました。訳者あとがきによると、30歳の男性のために書かれた物語なんだそうです。女性向けではなく男性向けだったというのが意外ですが、確かにこれは30歳の男性でも十分楽しめる物語かと。6つのお話の中で特に好きなのは「王さまの納屋」と「若ジェラード」。そして「オープン・ウィンキンズ」。って、子供の時と変わらないんですけど! そんなに進歩してないのか、私!
お話とお話の間の「間奏曲」では、イギリスの娘たちが楽しむ素朴な遊びや占いの場面もありますし、それぞれのお話の後にはそれぞれの乳搾りの娘と彼氏(なんて言葉じゃ軽すぎる... やっぱり「若衆」でしょうか!)との諍いの原因も告白されたりして、枠の部分も十分楽しめます。

そして「ヒナギク野のマーティン・ピピン」は、その次世代の物語。なんとこちらの聞き手は、「リンゴ畑」の6人の乳搾りの娘たちの子供たちなんです。暗くなってきてもなかなか寝に行きたがらない女の子たちのためのお話と、それぞれの女の子たちの親当てゲーム。「リンゴ畑」では6人の外見の説明がほとんどないせいか、全員の性格の違いを掴むとこまではいかないんですが、こちらは6人が6人とも全然違ってるので、この子の親は誰?というのを通して「リンゴ畑」の6人を改めて知ることができます。
こっちのお話で特に好きなのは、これまた子供の頃と変わらず「エルシー・ピドック夢で縄跳びをする」と「トム・コブルとウーニー」。あーでも「タントニーのブタ」や「ウィルミントンの背高男」「ライの町の人魚」も捨てがたいー。なんて言ってたら全部になってしまうんだけど。エルシー・ピドックのお話は、これだけで独立した絵本にもなってますね。
そして「リンゴ畑」と同じく、間奏曲がまた楽しいんです。子供たちはみんな、マーティンに親を当てられてしまうのではないかとドキドキ。当てられないための駆け引きもそれぞれなら、当てられそうになった時や、大丈夫だと分かった時の反応もそれぞれ。マーティンは結局子供たちの涙に負け続けてしまうんですけどね。間違えたマーティンを容赦なくいじめる方が子供らしい反応かもしれませんが、私としては間違えたマーティンを慰めるような反応の方が子供の頃も好きだったし、今でもそう。って、やっぱり進歩してない私ってば。(笑)(岩波書店・岩波少年文庫)


+既読のファージョン作品の感想+
「ムギと王さま」「天国を出ていく」ファージョン
「年とったばあやのお話かご」「イタリアののぞきめがね」ファージョン
「町かどのジム」エリノア・ファージョン
「リンゴ畑のマーティン・ピピン」「ヒナギク野のマーティン・ピピン」ファージョン
「銀のシギ」エリナー・ファージョン
「マローンおばさん」エリナー・ファージョン
「ガラスのくつ」エリナー・ファージョン
「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」「ねんねんネコのねるとこは」エリナー・ファージョン

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