Catégories:“児童書・YA(翻訳)”

Catégories: /

 [amazon]
赤ちゃんの時に両親を亡くし、今はハリエット大おばさんやフランシスおばさんと一緒に暮らしている9歳のベッツィー。大おばさんもフランシスおばさんもベッツィーをとても大切に思っていて、いつも甲斐甲斐しく面倒をみてくれます。特にフランシスおばさんは、いつもベッツィーの気持ちを一番分かってくれる人なのです。しかしそんなある日、ベッツィーの生活が一変します。ハリエット大おばさんの具合が悪いため転地療養しなければならなくなり、フランシスおばさんも同行することになったのです。でもベッツィーまでは一緒に連れて行けないので、ベッツィーは他の親戚に預けられることになるのですが...。

都会で大切に大切に育てられていたベッツィーが、それまで一緒に暮らしていた家族と離れて、田舎の農場に行く物語。最近出た本なんですけど、アメリカでは1917年に出版されたという作品。読んでるともう「赤毛のアン」や「大草原の小さな家」を思い出して仕方ない~。時代的にも同じぐらいですしね、まさにそんな雰囲気のお話です。

ベッツィーの最初の9年間は都会での生活。フランシスおばさんもハリエット大おばさんも、ベッツィーを大切に思うあまりに真綿に包むように大事に大事に育ててるんですが、これがいかんせん過保護すぎて... まるでベッツィーで人形遊びをしているように見えてきちゃうぐらい。愛情はたっぷりだし、悪気は全然ないのだけど。でもベッツィーに1人の人間としての人格を認めてなくて。
その都会での生活とは対照的なのが、パットニー農場での生活。ここの人々は、ベッツィーを全然甘やかしません。日々の暮らしに忙しいというのもあると思うんですが、必要以上に手をかけないんですね。最初からベッツィーを子供としてではなく1人の人間として扱って、正面から向き合っています。ヘンリー大おじさんは、初対面のベッツィーにいきなり馬車の手綱を預けて自分は計算に夢中になってますし、アンおばさんもアビゲイル大おばさんも殊更に労わるような言葉を口にしないし、細々と世話を焼いたりもしません。今までみたいに常に構ってもらえなくなったベッツィーは内心大いに不満。でもそんな日々を送ることによって、ベッツィーは自分の頭で考えることを知るし、自分のことは自分でやることを覚えるし、何か不測の事態が起きた時は自分で考えて対処できるようになるんですね。そして自分の力で何かができるということはベッツィーの自信に繋がって、ベッツィーはどんどん生き生きとした少女に変貌していきます。

まあ、よくあるパターンと言ってしまえばそれまでなんですが、それがすんごくいいんです! パットニー農場の人たちは、必要ないことは口にしないけど、見るべきところはちゃんと見てるんですね。きっと甘ったれて依存心の強いベッツィーのことも、最初から見抜いてたと思うんだけど、もちろんそんなことも口にしません。黙って見守ることの大切さ、ですね。そしてそれがベッツィーにすごくいい影響を及ぼしていて、読んでいて素直にベッツィーの成長ぶりが嬉しくなってしまいます。こういう感覚、いまどきの児童書ではなかなか感じられないものかも。やっぱり子供時代はこういう作品を読んで育ちたいものだわ~って思ってしまいます。(もちろんアンでもローラでもいいんですけどね)
そして本当に良かったなと思ったのは、フランシスおばさんたちの愛情は、方向性こそ多少間違っていたと思うんですけど、それでも愛されて育つというのはとても大切なことだなあ、と思えたこと。スポイルされきっていたベッツィーですけど、彼女が折々に見せてくれる人を思いやる心は、確かにフランシスおばさんとハリエット大おばさんに育まれたものなんですもん。それが暖かい結末を呼び込んだ一番の要因かと。

そしてこの本、美味しそうな場面がものすごーーーくいっぱいあるんです。バター作りやアップルソース作り、壁に吊るしてある黄色いトウモロコシで作るポップコーン、そして雪の上に垂らして固めたメイプルシロップのキャンディー。メイプルシロップのキャンディといえば、「大草原の小さな家」のローラと後に結婚することになるアルマンゾの「農場の少年」を思い出します~。子供の頃、もうほんと食べてみたくて、すっごく憧れたんですよね。実は「大草原の小さな家」のシリーズはそれほど好きではなかったのだけど、「農場の少年」だけは、もう数え切れないぐらい何度も読んでたぐらい。メイプルシロップはもちろんのこと、お母さんの作るドーナッツやベイクドビーンズの美味しそうだったことったら~。日々の生活に必要なものは基本的に全て手作りで、そういう描写もすごく楽しかったんですよね。1年に1度靴屋さんが回ってきて子供たちに靴を作ってくれるから、そのための皮を用意しておくのとかね、今でもはっきり覚えてます。(徳間書店)

| | commentaire(6) | trackback(0)
Catégories: / / /

 [amazon]
優しくて賢くて逞しいハヌシ王子は、7つの山と7つの川を越えた向こうに世界で一番美しい姫がいると聞き、早速求婚に向かいます。しかしハンナ姫は気位の高い姫。世界中の王子が求婚に訪れても顔をちらりと見るだけで、誰も気に入らずに追い返してばかりだったのです... という「美しいハンナ姫」他、全6編。

ポーランドに古くから伝わる民話をモチーフにしたという物語。民話を元にしてるだけあって、どこかで読んだようなお話が多いんですが、どれも神を信じて地道に正直に日々働く人間が最後に幸せになるというところで共通しています。そして生まれ持った性質や育ちがどうであれ、そういった人間に生まれ変わることは可能ということも。美しいけどわがままなハンナ姫もそうだし(この話はグリムの「つぐみのひげの王さま」に似た展開)、いくらみんなに言われても全然働こうとせず、自分の馬に餌をやることも知らなかった男もそう。若い頃に遊ぶことしか知らなかった女は、すっかり年を取ってしまった後に若い頃の怠け者の自分を目の当たりにさせられることになります。「ヘイ、若かったわたしは ヘイ、どこへ行った? ヘイ、川の向こうか、ヘイ、森にかくれてしまったか?」という歌が、楽しそうでもあり、物悲しくもあり...。
面白かったのは、正直に日々働きたい男が極貧のために子供たちに食べさせることができなくて、でもぎりぎりまで盗人になることに抵抗するにもかかわらず、結局盗人になることによって王さまや国を助けることになるという「盗人のクーバ」。そして怖かったのは、生まれた時に、怪しげな男から宝石の詰まった手箱をもらい、日々それで遊びながら成長する王女さまの話「王女さまの手箱」。美しい宝石に夢中になるのはよくあることなんですけど、宝石を所有するのはあくまでも人間のはず。完全に宝石に所有され、支配されている姫の姿が恐ろしいです。この話もなんだけど、全体的にどこかトルストイっぽかったな。(岩波少年文庫)

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: / /

 [amazon]
珍しく暖かな冬。毛皮職人のロイベンは迷った挙句、やぎのズラテーを思い切って売りに出すことに。家族みんなに愛されているズラテーでしたが、その代金8グルデンでハヌカのお祭りために必要な品物が買い揃えられるのです。しかし息子のアーロンがズラテーを連れて村を出た時には晴れていたのに、町に向かううちに空模様がにわかに変わり始め、とうとう吹雪になってしまい... という「やぎのズラテー」他、全7編。

ポーランド生まれのユダヤ人作家・アイザック・B・シンガーが、若者のために初めて書いたという本。他の2冊もそうだったんですが、シンガーの本は、まえがきもすごくいいんですよねえ。今回もぐっときちゃいました。

わたしたちのきのうという日、楽しかったこと、哀しかったこともふくめて、その日はどこにあるのか。過去とそれにまつわるさまざまな気持ちを思い出すうえに役立ってくれるもの、それが文学です。物語をする人にとって、きのうという日は、いつも身近にあります。それは過ぎ去った年月、何十年という時間にしても同じです。物語のなかでは、時間は消えない。人間たちも、動物たちも消えない。書く人にとっても、読む人にとっても、物語のなかの生きものは、いつまでも生きつづける。遠い昔におこったことは、いまもほんとうに存在する。(P.9)

本当は全文ここに載せたいぐらいですけど...! これだけじゃあ、ちゃんと伝わらないかもしれないんですけど...! でも我慢します。(笑)
シンガーは、子供時代を懐かしむかのようにワルシャワを舞台にした作品を沢山書いてるのに、実は彼の作品はポーランドでは1冊の本にもなっていないと訳者あとがきに書かれていて、びっくりです。1978年にノーベル文学賞を受賞してるんですが、その時もポーランドの新聞では「イディシ語で書く無名のアメリカ作家が受賞」と伝えられただけなんですって。その大きな原因の1つは、300万人以上いたはずのポーランドに住むユダヤ人が、ナチスの手によって殺され尽くしてしまったこと。シンガーが生まれ育ったワルシャワは、もうないんですね。そしてその結果、東ヨーロッパに住むユダヤ人たちの共通語であるイディシ語も死に絶えようとしているのだとか。そう知ってみると、一見「物語があれば、過去のこともいつも身近に感じられる」という前向きな言葉だと思ったまえがきの言葉が、また違う風に響いてきます。

「お話を運んだ馬」や「まぬけなワルシャワ旅行」にも登場した、ヘルムの村を舞台にしたお話も3編ありますし... ヘルムというのは、ポーランドに住むユダヤ人の昔話によく登場する、とんまばかりが住んでいるという架空の村です。それ以外の4編は、どれも生きることと死ぬことを主題にした物語。その中には深い信仰がこめられていました。どれも良かったんだけど、特に良かったのは上にあらすじを書いた「やぎのズラテー」かな。このお話がこの本のタイトルにもなってるんでしょうね。これはもう本当にしみじみと良かったです。
ユダヤのハヌカのお祭りや、子供たちが夢中になるグレイデルという駒遊びなど、見慣れないユダヤの風習が自然に楽しめるのも良かったし~。この本で挿絵を描いているのは、モーリス・センダックなんです。センダックも、彼自身はアメリカ生まれなんですけど、その両親はワルシャワ郊外のユダヤ人の町からアメリカに渡ったのだそう。「初代のシュレミール」に出てくる赤ん坊の表情が最高! そして雪の白さが印象に残ります。(岩波書店)


+既読のアイザック・B・シンガー作品の感想+
「お話を運んだ馬」「まぬけなワルシャワ旅行」I.B.シンガー
「やぎと少年」アイザック・B・シンガー
「ショーシャ」アイザック・B・シンガー

| | commentaire(4) | trackback(0)
Catégories: / / /


だいだいいろの童話集

Amazonで購入
書評/SF&ファンタジー
東京創元社で刊行中のラング童話集の10冊目。今回は献本で頂きました。感謝。

さて、最初はドイツやフランス、北欧といった一般的な童話から始まったラング色の童話集のシリーズなんですけど、刊行が進むに連れて世界中にその範囲を広げてきています。前回の「ちゃいろの童話集」では、ネイティヴ・アメリカンやアフリカ、ラップランドのお話が面白かったですしね。今回は、センナの口承伝承やパターン族に伝わる話、ショナ族の昔話、ベルベル人の昔話というクレジットが並んでました。センナはアフリカ南部のザンベジ川沿い。パターン族はどうやらアフガニスタンやパキスタンのパシュトゥーン族のことみたい。ショナ族は、アフリカ南部のジンバブエの辺り。ベルベル人は北アフリカ。
とっても興味深かったのは、全ての望みを叶えてくれるシパオという魔法の鏡が白人の手に渡ってしまったから、この世のあらゆる力を白人が握ることになった、とか、魔女をやっつけた姉妹は「宣教師に会ったことがなかったので、残酷な行いができたのだ」とか、黒人の話に白人が入り込んできてる部分。こういうのはこれまでのラング童話集にはなかった部分じゃないかしら...。ラングは自分の童話集に採取した童話を入れる際に、結構手を入れてるようなんですが、そういうのは残ってるんですね。いえ、宣教師云々の部分は何も問題ないんですが、不思議なのは「魔法の鏡」。白人の行いはどう考えてもずるいし残虐すぎるんですけど! ラングのことはあまりよく知りませんが、「ありのままを伝えなければ」なんて考えの持ち主だったとも思えないし... 19世紀の人だし、逆にそういう行為を当然として受け止めていたのでしょうか。でももし黒人を同じ人間として考えていなかったとしたら、そんな風に昔話を採用するのも妙な気がする...。

あ、でもそういったアフリカ系の話だけでなく、ヨーロッパ系のお話も入ってます。フランスのオーノワ夫人の話も久しぶりにいくつか入ってましたしね。今回私が一番嬉しかったのは、西ハイランドの話が入っていたこと。アイルランドやスコットランドのお話だって2つかそこらしかなかったのに、ハイランドとはー。アンドリュー・ラングはスコットランド生まれのはずなのに、ほんと全然と言っていいほどなかったんですよね。

全12冊のはずなので、これで10冊読了。残り2冊になっちゃったんですねー。最初は先が長くて気が遠くなりそうって思ったけど、案外すんなり読破できそう。この東京創元社版の刊行が始まってから復刊され始めた偕成社文庫版も、既に全12巻揃ってるみたいです。本当は、私自身も子供の頃に読んでいた川端康成・野上彰訳の偕成社文庫版を読みたかったはずなんですけど、いつの間にかすっかり東京創元社版ばかりになっちゃいました。でも大人になってから読むなら、こちらの方が読みやすいかも。字の大きさも程よいですし、挿絵も美麗ですしね。(東京創元社)


+シリーズ既刊の感想+(東京創元社版)
「あおいろの童話集」「あかいろの童話集」アンドルー・ラング編
「みどりいろの童話集」アンドルー・ラング編
「きいろの童話集」アンドルー・ラング編
「ももいろの童話集」アンドルー・ラング編
「はいいろの童話集」アンドルー・ラング編
「むらさきいろの童話集」アンドルー・ラング編
「べにいろの童話集」アンドルー・ラング編
「ちゃいろの童話集」アンドルー・ラング編
「だいだいいろの童話集」アンドルー・ラング編
「くさいろの童話集」アンドルー・ラング編

+シリーズ既刊の感想+(偕成社文庫版)
「みどりいろの童話集」「ばらいろの童話集」アンドルー・ラング

| | commentaire(0) | trackback(1)
Catégories: / / /

 [amazon]
ムーミンパパが川に橋を渡し終え、スニフとムーミントロルが森の中に入り込む新しい道を探検して海岸と洞窟を発見した日の晩、ムーミン屋敷にやって来たのはじゃこうねずみでした。ムーミンパパが橋をかけた時に家の半分がつぶされて、あとの半分は雨に流されたというのです。そして翌日、雨が上がった庭では、全てのものがどす黒くなっていました。それを見たじゃこうねずみは、じきに彗星が地球にぶつかって、地球は滅びるのだと言い始めます。

ムーミンシリーズの1作目。ムーミンシリーズを読むのは、実はこれが初めてなんです。テレビアニメもほとんど見てなかったんですよねえ。確かにもともと無邪気に明るく楽しいイメージではなかったんですが、いきなり彗星が地球に衝突?地球滅亡?! 実はとても深い話だったんですね? びっくりしました。
とは言っても。確かに刻々と近づく地球滅亡の日を待つ物語ではあるんですが、ムーミン一家やスニフ、スナフキンやノンノンはあまりにマイペースだし~。終末物はこれまでいくつか読んだり観たりしたし、アメリカのラジオドラマでH.G.ウェルズの「宇宙戦争」が放送された時の騒ぎなんかもすごかったようですけど、ここはやっぱり別世界ですね。決して明るくないし、そこはかとなく寂寥感が漂ってるんですけど、暖かくて優しくて、何とも言えないほのぼのとした味わいがありました。
とても印象に残ったのは、新しいズボンを買おうとしたスナフキンの「もちものをふやすというのは、ほんとにおそろしいことですね」という言葉。終盤、ありったけの持ち物を持って逃げようとする登場人物たちを尻目に、「ぼくのリストは、いつでもできるよ。ハーモニカが、星三つだ」という言葉もスナフキンらしくて、すごくかっこいいです。まあ、スナフキンのレベルに到達できる人はなかなかいないでしょうけど(笑)、たとえ物を所有しても、所有した物に縛られるようになっちゃだめですよね。(講談社文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ムーミン谷の彗星」トーベ・ヤンソン
「たのしいムーミン一家」トーベ・ヤンソン
「ムーミンパパの思い出」トーベ・ヤンソン
「ムーミン谷の夏まつり」「ムーミン谷の冬」トーベ・ヤンソン

| | commentaire(13) | trackback(0)
Catégories: / / / /

  [amazon] [amazon]
寝る前にお話を聞かないと寝ようとしない、大のお話好きのナフタリ。両親からも沢山のお話を聞くのですが、字が読めるようになると、お話の本も手当たり次第読むようになります。そんなナフタリは大きくなると本の行商人となり、愛馬・スウスの引く馬車に沢山本を積んで色々なところをまわって本を売り、本を買えない貧しい子には本をプレゼントし、人々の語る様々なお話を聞き、そして自分も沢山お話を語ることに... という「お話の名手ナフタリと愛馬スウスの物語」他、それぞれ8編が収められた短編集。

アイザック・バシェヴィス・シンガーは、ポーランド生まれの作家。ナチスの迫害から逃れてアメリカに渡ったんだそうです。その執筆は英語ではなく、子供の頃から使っていたイディッシュ語。元はユダヤ人やポーランドに伝わる民話なんだろうなってお話も多いし、ユダヤ教徒の家庭に育ったシンガーらしく、ユダヤ教のラビも頻繁に登場。ハリー・ケメルマンやフェイ・ケラーマンの作品でも読んでるんですけど、ユダヤ教の風習ってやっぱり面白いなあ。
とんまな人々が住むヘルムという町を舞台にした寓話的物語もいくつかあって、繋がっていくのが楽しかったんですが、やっぱり一番印象に残ったのは、上にあらすじを書いた「お話の名手ナフタリと愛馬スウスの物語」。この中に登場するナフタリは、作者シンガーの理想の自画像なのだそう。お話の楽しさ面白さを人々に伝えることを生きがい旅から旅への暮らしだったナフタリは、レブ・ファリクという人物との出会いがきっかけで1箇所に根を下ろした暮らしをしたいと初めて思うようになるんですけど、この2人の会話がとても深いんです。

いちにちが終わると、もう、それはそこにない。いったい、なにが残る。話のほかには残らんのだ。もしも話が語られたり、本が書かれたりしなければ、人間は動物のように生きることになる、その日その日のためだけにな。(P.21)

きょう、わしたちは生きている、しかしあしたになったら、きょうという日は物語に変わる。世界ぜんたいが、人間の生活のすべてが、ひとつの長い物語なのさ。(P.21~22)
生きるってことは、結局のところ、なんだろうか。未来は、まだここにはない、そして、それが何をもたらすか、見とおしは立たない。現在は、ほんの一瞬ずつだが、過去はひとつの長い長い物語だ。物語を話すこともせず、聞くこともせぬ人たちは、その瞬間ずつしか生きぬことになる、それではじゅうぶんとは言えない。(P.37)

他のも一見子供向けのただ面白い話に見えて、実はとても深くじっくり味わえる作品ばかり。そしてお話の楽しさや面白さを人々に伝えたいというシンガーの思いがとても伝わってくる、暖かい作品集です。(岩波少年文庫)


+既読のアイザック・B・シンガー作品の感想+
「お話を運んだ馬」「まぬけなワルシャワ旅行」I.B.シンガー
「やぎと少年」アイザック・B・シンガー
「ショーシャ」アイザック・B・シンガー

| | commentaire(4) | trackback(0)
Catégories: / /

 [amazon]
町かどのポストのそばにはミカン箱が1つ置いてあり、そこにはジムが座っていました。今8歳のデリーが知ってる限り、もしかしたらそのもっとずっと前から、朝も晩も夏も冬も、ジムはいつだってそこにいたのです。髪は真っ白で、顔は茶色くつやつやとしていて、目は青いガラス玉のようにきらきらしたジム。ジムはデリーの住む赤レンガでできた背の高い家の並ぶ通りの番をしているのだと、デリーは思っていました。この通りにはなくてはならない人なのです。

ゆるゆるとファージョン再読祭り中です。
ファージョンは枠物語が多いんですけど、今回はレンガの家が並ぶ通りにいるジムとデリーのお話が枠で、ジムがデリーに語って聞かせたお話が中身。ジムがどんな人なんだか最初は全然分からないんですけど、地域の人々から愛されてる存在だというのだけは確かなんですよね。そんなジムのことも、お話が進むにつれて徐々に分かってきます。ケント生まれで、キャビンボーイになりたくて家を飛び出し、ゆり木馬号のポッツ船長に出会い、世界中を冒険して回って... ジムがデリーに語る最初のお話こそ、小さい頃にマメ畑を荒らしにくる鳥の見張りをしていた時のことなんですが(これもまた可愛い話なんだわ... ベーコンのサンドイッチ!)、船乗りだっただけあって、そのお話の舞台は世界中に広がってます。時には海の底へ、時には霧の向こうへ、そして時には氷の抜け道の奥へ。イギリスの街角にいながらにして、色んな冒険を楽しませてくれちゃう。やっぱり今回は語り手も聞き手も男の子ですものね!
このお話の中で私が一番好きだったのは「九ばんめの波」かな。ゆり木馬号で航海中のジムが出会うのは、海の波に酔ってしまったタラ。「おまえ、それでもさかなか! こいつはおどろきだ!」と言うジムと一緒になって、海の動物が波に酔うなんて!と思いつつ、タラの「おどろくにはあたらないさ、ジム」「さっきの波は、とてつもなく大きかったじゃないか」という言葉に、妙に納得してみたり。そして船をひっくり返そうとする九番目の大波が来た時、タラはジムに助けてもらったお返しをすることになるのですが~。これがまたスバラシイ。そこらの昔話じゃあ、まずこういうのは読めません。(笑)
海の中の王国や霧の向こうの王国はとても美しかったし、氷の洞窟も幻想的。タラや大海ヘビ、ナマズの女王、ペンギンのフリップといった面々もそれぞれに魅力的~。それに何より枠部分の最後のシメも粋で気持ち良くて! とっても素敵な読後感です。(童話館出版)


+既読のファージョン作品の感想+
「ムギと王さま」「天国を出ていく」ファージョン
「年とったばあやのお話かご」「イタリアののぞきめがね」ファージョン
「町かどのジム」エリノア・ファージョン
「リンゴ畑のマーティン・ピピン」「ヒナギク野のマーティン・ピピン」ファージョン
「銀のシギ」エリナー・ファージョン
「マローンおばさん」エリナー・ファージョン
「ガラスのくつ」エリナー・ファージョン
「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」「ねんねんネコのねるとこは」エリナー・ファージョン

| | commentaire(0) | trackback(0)

Note


MAIL FORMBBS

購読する ATOM


Powerd by MovableType4.24-ja
Copyright 2004-2011 四季. All rights reserved.